現れたのは巨大な焦げ茶色の熊だった。
奇襲攻撃に失敗してもなお、諦めるつもりはないらしく、雄叫びを上げて突進してくる。
「危ない!」
ウルツがマリエを思い切り突き飛ばした。
熊の顎が空を切る。
「隠れろ!」
「う、うん!」
マリエは急いで近くの生い茂った蔦の中に隠れた。
熊は隠れたマリエを追おうとしたが、ウルツが石を投げつけた。
吠える熊にウルツは怒鳴る。
「来い!俺が相手だ!」
ウルツは背負っていた銃を構えていた。
熊がウルツ目掛けて飛びかかろうとした瞬間、ウルツの銃が火を噴いた。
しかし、熊は倒れない。
むしろ怒りを増したようで、あっという間に距離を詰めると、ウルツを薙ぎ倒そうと前脚を横薙ぎに振るう。
ウルツは素早く跳び下がって熊の攻撃を躱し、銃と弾薬袋をマリエが隠れた蔦の茂みに放り投げた。どうやら銃は単発らしい。
「チッ、しぶとい。急所を外したか──」
毒づいたウルツは腰の鞘からククリ刀を抜いて構える。
「マリエ!隙を見てその銃を装填しろ!」
ウルツが叫ぶ。
(はあ!?何無茶なこと言ってんのよ!)
銃の使い方は一通りウルツに教わったが、目と鼻の先で熊が暴れている状況で、隠れ場所を出て銃を取りに行くなど──できるわけがない。
「早くしろ!でないとこのまま2人ともこいつの胃袋行きだぞ!」
ウルツが言い終わるや否や、再び熊が攻撃を繰り出す。
凶悪な爪がウルツの頭を狙って振り下ろされるが、ウルツは素早く跳び下がって躱す。
熊は追い立て、再び爪を振り下ろしてきたが、ウルツはこちらも難なく躱し、勢い余って木にぶつかった熊にククリ刀で斬りつけた。
熊が咆哮し、前脚を振るうがウルツは距離を取って石を投げつける。
目を狙った投石を鼻先に受けた熊は悲鳴を上げる。
「今だ!銃を取れ!」
ウルツが叫ぶ。
(ああんもう!)
マリエは銃の所まで走った。
見かけより重い銃と弾薬袋を抱えて必死に隠れ場所に走る。
熊が追って来ている錯覚で気が急く。
生い茂った蔦に飛び込むと、弾薬袋からライフル弾を取り出した。
震える手でボルトハンドルを引いて空薬莢を排出し、取り出した弾を装填する。
「装填できたわよ!」
マリエが叫ぶと、ウルツはククリ刀を投擲した。
熊は前脚で叩き落とそうとしたが、ククリ刀はブーメランのようにカーブして熊の後脚に突き刺さった。
熊が痛みで悶えている隙にウルツはマリエの方に走ってきた。
銃を受け取ったウルツは熊に照準を合わせる。
熊は逃げようとしていたが後脚に刺さったククリ刀が足を鈍らせていた。
ウルツが引き金を引いた。
熊は一声弱々しく吠えたかと思うと、頭から血を流し始めた。
それでも何歩か進んだ後、横に倒れ、力なく地面に横たわる。
ウルツは倒れた熊に石を何度か投げつけてから近付き、ククリ刀を引き抜いた。
血と脂を拭き取ると、周りの蔦を切って橇を作り、熊の死体を乗せた。
「それ、持っていくの?」
「ああ、川で解体する。仕留めた獲物を放置することは許されん」
誰に許しを乞うのかとマリエは思ったが、口には出さない。
宗教的なことに口を挟むのはこの世界ではタブーである。
◇◇◇
ボルツ川に着いたマリエとウルツは熊の解体に取りかかった。
「大いなる森の狩人よ、その魂はエンテの下へ。肉体は現世に残り、我らの糧となり給え」
祈りの言葉を唱えたウルツはククリ刀を突き立てる。
心臓に悪い光景と集まって来る蝿の羽音でマリエは気分が悪くなる。
「怖いか?」
ウルツが涼しい顔で訊いてくる。
「──うん」
「誰しも生きていくには他の命を奪らなきゃならねえ。食うためにも、着るものを作るためにも、な」
ウルツは重い声で言った。
かと思えば少し明るい声になり、笑顔を見せる。
「熊は強いし、食うにはあんまし向かねえが、金になるぞ。これくらいの熊なら毛皮で800ディアにはなる。肝はもっとずっと高く売れるぞ」
命懸けだが、成功すれば大金が手に入る──本来マリエはそんな仕事は好きではないが、考えさせられる。
金は欲しい。喉から手が出るほど。
でも稼ぐ手段が見つからなかった。ラーファン領にダンジョンはあるにはあるが、冒険者ギルドの許可がないと入れない。
そしてギルドはマリエのような幼女に冒険者登録をさせてくれるわけがない。
でも──森の中で狩りをして稼ぐのはアリなのではないか。そう思えてくる。
治療魔法を鍛えていけば稼げるようにはなるだろうが、それには何年もかかる。
(待てよ──それなら同時に──)
森に狩りに出かければ、食べ物を入手できて、運が良ければ大金を稼げて、怪我をしても治療魔法の修行になる一石三鳥だと思い至る。
ウルツは考え込むマリエを余所に木の枝で骨組みを作り毛皮を干した。
「よし、できたな」
熊の解体を一段落させたウルツは休む間もなく木を切り倒し、丸木舟を作ってくれた。
マリエは何も手伝えない自分が少し情けなくなる。
「俺はここでこの熊の処理を終わらせないといけない。だから、ここから先はマリエ、お前1人だ」
「うん──大丈夫。川を下っていくだけだから。1人でも行けるわよ」
ウルツは複雑な表情をしていた。やはり心配しているのだろうか。
「まあ、お前ならそう言うかとは思ったが──」
ウルツはふっと息を吐くと少し顔を逸らして言った。
「お前を撃ったのは悪かったな。俺としたことがとんだヘマをやっちまった」
「もういいわよ。あんたのお陰で──その、生きて戻れそうだし」
謝るのが遅い、という不満はあるが、助けられたのも事実なので水に流すことにした。
ウルツは腰に提げていたククリ刀を外してマリエに差し出した。
「このククリをやろう。役に立つぞ」
「い、いいの?これって大事なものなんじゃ──」
「それが必要なのはマリエ、お前の方だ。コイツも可愛い女の子に使われる方が嬉しいだろうさ」
初めて茶目っ気を滲ませるウルツ。
「──ありがとう。その、大事にするね」
マリエはずしりと重いククリ刀を受け取り、肩から提げる。
(──帰ったらまず洗おう)
──柄や鞘や掛け紐に染みついた臭いはキツい。
マリエの内心など露知らぬ風でウルツは笑顔を見せる。
「ああ、達者でな」
ウルツはそう言って丸木舟を押し出した。
丸木舟は川の流れに乗って進み始める。
「さよなら!ウルツ、ありがとう!」
マリエは大きく手を振る。
小さく手を振り返すウルツはどんどん小さくなっていく。
やがてその姿は木々に隠れて見えなくなった。
◇◇◇
「ああ、生きていたのか」
マリエが屋敷に戻って父親が発した言葉がそれだった。
(コイツ──!娘が3日間も森で行方不明になってこんな格好で戻ってきたのにそれだけ!?)
父親に対する怒りが沸々と沸き起こり、マリエは拳を握りしめる。
元々屑なのは知っていたが、ここまで自分に無関心だったのはさすがにショックだった。
逃げるように屋敷を出る。
(こんな家──いつか自分の力で絶対に出ていってやる!)
怒りを滲ませてマリエは歩く。
目的地は古倉庫。
使わなくなって、売り物にもならないガラクタを詰め込んだその場所でマリエはランタンを灯し、使えそうなものを探す。
壊れたり、装飾を剥ぎ取られた家具に混じって思わぬ掘り出し物が見つかった。
古びて埃を被った銃を手に取る。
旧型の単発式ライフル──子供の身体にはあまりにも重いそれを、マリエは脚の欠けたテーブルに運んで分解整備する。
長い間整備を怠ってきたらしく、油と煤が混じった汚れが隙間に入り込んでいる。
その汚れを油を染み込ませた布で丁寧に拭き取っていく。
今すぐにこの銃で憎らしい屑家族を射殺したいという気持ちが一瞬湧き上がるが、すぐに頭から追い払う。
2度目の人生をそんなことで犠牲にしたくはない。
部品の一つ一つを入念に観察しながら慎重に作業を続ける。
(今夜はここで泊まろう)
当分家族と顔を合わせる気にはなれそうにない。
◇◇◇
1週間後。
「装備よし、銃よし、ククリ──よし」
木の皮でできた簡単な鎧に身を包み、銃を背負い、腰にはウルツから貰ったククリ刀を差したマリエは目の前に広がる森を見据える。
もう怯えて嘆いて絶望するだけの情けない生き方はやめだ。
これからは欲しいものは自分で掴み取ってみせる。
差し当たり家で出される食事よりマトモで腹一杯食べられるもの──それをこれから取りに行く。
「よし!行くわよマリエ!」
自分に活を入れてマリエは森の中へと踏み込む。
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リビアが方言使う日常系
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マリエの熊狩り
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ユリウスと串焼きの出会い
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ルーデとラウダの喧嘩
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バンデル爺さんの哀しき過去