遂に1話1万字を突破してしまった──
アンジェはお茶会に使う部屋の1つで俺を待っていたが、クラリス先輩を見て表情が少し険しくなる。
「1人で来るようにと言っておかなかった私のミスか──」
アンジェは目を閉じ、額に手を当てて呟いた。
それを見てクラリス先輩が挑発的な言葉を発した。
「あら、ミスならもう1つあるわよ。今日という日を指定したことね」
やめて!そういう陰険な言葉の駆け引きはやめて!俺が居た堪れなくなるから!
俺の内心の叫びなど露知らず、火花を散らし始めるお嬢様方。
「クラリス、私は
「あら、私は仮にも彼の婚約者よ。彼の問題は私の問題でもあるわ。いずれ夫になる彼の今後に関わる話なら私も聞く必要があるとは思わない?」
クラリス先輩が同意を求める目で俺を見る。
やめて!俺にそんな質問を振らないで!
2人の視線の板挟みに遭う哀れな俺はどう答えたらいいか分からない。
助けてルクシオン!
──ていうかルクシオンどこ行きやがった!?
アイツこういう大事な時に主人である俺を助けないとかなんて役立たずなんだ!
──まさかわざとか?わざと俺をド修羅場に置き去りにして嗤ってるのか!?
だとしたら絶対許さねえ!
騒がしい俺の脳内に比例するかの如くお嬢様方の火花も激しさを増していく。
「彼の後ろ盾になっているのはレッドグレイブ家だぞ」
「彼は寄子や子飼いではないでしょう?干渉される謂れはないと思うのだけど」
「彼の安全に関わることだ。下手を打てば彼にとっての脅威が増えることになるんだぞ?」
「レッドグレイブ家にとっての、と修正が必要じゃないかしら?」
ヤバい!
俺を守るためという名目での取り合いが白熱していく。
何だよこの当人の意思を無視して「安全」だの「守る」だの「干渉」だの欺瞞に満ちたワードを連発される状況。
これじゃまるで大国の軍事基地を至る所に造られた小国の島みたいじゃないか!
何だって俺がこんな目に遭うのか。
誰か!誰でもいい!この戦場みたいな空気をなんとかしてくれ!
俺はただひたすらにそう祈った。
すると──
ドタドタと騒がしい足音が近づいてきたと思ったらドアが勢いよく開き、マリエが部屋に飛び込んできた。
「大変よあに──え?」
アンジェとクラリス先輩に睨まれたマリエは蒼ざめた表情で固まる。
だが助かった!今日だけはお前を救世主と崇めてもいいぞ妹よ!
「何だ?」
アンジェとクラリス先輩が何か言う前に口を開いた俺に、マリエは我に返ったようにまくし立てる。
「ユリウスたちがあんたに決闘挑むって言ってるの!勝ったら私との関係に口を出すなって。しかも──しかも壊された鎧を継ぎ合わせただけのダッサい鎧作って、そのためだけに共有財産から50万ディアも使い込みやがったのよおおお!」
途中からへたり込んで泣き出すマリエ。
俺もアンジェもクラリス先輩も完全にドン引き状態である。
ユリウス殿下は俺との決闘で「負けたらマリエと別れる」という条件を呑み、そして負けた。
なのに今になってそんな決闘を申し込んでくるとか──神聖な決闘を何だと思っているのだろう?負けた側だと理解していないのか?
そしてそれ以上に呆れたのが使い込んだ金額である。
何だよ50万ディアって。日本円だと5000万だぞ?それを鎧ひとつ作るのに使ったとか──想像を超えた馬鹿だ。
「私が頑張って貯めたのに──生活のために何回もダンジョンに潜って必死で貯めたお金だったのに──私に何の相談もなしに職人まで雇って──ほとんど全部なくなっちゃったのよぉ──」
マリエが泣きじゃくる。
まるで夜な夜な内職をしてコツコツ貯めた生活費を馬鹿旦那によって酒とギャンブルに注ぎ込まれる哀れな妻のように見えてくる。
チラッとアンジェとクラリス先輩の方を見てみたが、2人の表情は「無」だった。
マリエやユリウス殿下やジルクに対する怒りやら恨みやらそんなものを通り越してしまっているようだった。
愛していた相手が他の女のために2度も決闘を起こせばこうもなるか?
(どうしたもんかな──)
考えろ俺。これはチャンスだ。
修羅場が静まり返った隙に気を落ち着ける必殺の方法を使えば──
「──ひとまずお茶を飲んで落ち着こうか」
◇◇◇
誰だよお茶を飲めば心が落ち着くとか言った奴は。
熱い修羅場が冷たい修羅場になっただけじゃないか!
さっきまでアンジェ対クラリス先輩だったのがアンジェ&クラリス先輩対マリエに変わっただけだった。
お茶会──と言っていいのかすら分からないが──の席は重苦しい沈黙が支配し、俺がお茶を淹れる音だけがやけに響き渡る。
「──どうぞ」
声が震えないようにするだけで精一杯である。
「頂こう」
「ありがとう」
マリエの前にティーカップを持っていくと2人の視線が厳しくなった。
俺が「仇敵」に自分たちと同等のサービスをしていることが不快なようだ。
「あ、ありがとう」
ティーカップを受け取るマリエは吃るのを抑えられずにいた。
──そういえばコイツはどうやって俺の居場所を知ったのだ?
アンジェが俺に313号室に来るよう
その疑問はすぐにマリエに投げかけられた。投げかけたのは俺ではない。
「それで?どうしてリオン君の居場所があそこだと分かったの?そもそも貴女はいつからリオン君に泣きつける仲になったのかしら?」
クラリス先輩がマリエに質問を投げかける。
学園祭の時とは違って落ち着いた声だが、それが却ってマリエにとっては恐ろしいようだ。
「え、えっと──その──」
逡巡する様子を見せるマリエ。
「私も知りたい。さっさと話して貰いたいな」
アンジェがクラリス先輩に同調する。
クラリス先輩に比べて明確に苛立ちを感じる声音である。
マリエが一瞬助けを求めるような目でこちらを見る。
「──話せ」
そう言うとマリエは白状した。
「ルクシオンが313号室にいるって言ってた──んです」
やっぱりルクシオンの仕業か。主人である俺をこんな修羅場から助け出そうともしないのはひとまず置いておくとして──これであいつの存在が2人にバレる。
こうなったら存在自体は認めて正体だけは隠し通す方向に変えるか。
「ルクシオン?誰なのそれは?」
クラリス先輩は怪訝な表情になるが、アンジェは思い当たる節があったようで俺に視線を向けてくる。
「その名は聞いたことがある。リオン、公国の旗艦に私を救出しに来た時にお前はこう言っていたな。「ルクシオン、迎えに来てくれ」と。そしてお前の鎧が迎えに来た。あの鎧の中にもう1人誰かいたのか?」
──そういえばそうだった。
アンジェにはルクシオンの名前をポロッと聞かれてたんだった。
今までそれに対する追及がなかったのはむしろ幸運だったくらいだ。
「ルクシオン、いるんだろ。出てこい」
命令するとルクシオンが俺の右肩あたりに出現した。
アンジェとクラリス先輩が目を丸くする。
「何だこれは?」
「こいつがルクシオンだよ。俺の使い魔だ」
「使い魔?変わった形ね」
凝視してくるお嬢様方に対してルクシオンは説明を垂れ始めた。
『使い魔とは納得できませんね。私は魔法ではなく科学の産物です。初めましてお嬢様方。私はマスターのサポートをしています。ルクシオンと申します。使い魔ではなく、人工知能を搭載した──』
しかし、ルクシオンの説明は敢えなく流されてしまい、再び修羅場の空気が部屋に充満する。
「お前の使い魔がこの女に私たちの居場所を教えたと?リオン、これはお前の意思が絡んだことか?」
アンジェが疑念のこもった目で俺を見る。
しかもマリエをこの女呼びしてて、俺の方にまで敵意の余波が来ている。
そんな視線をアンジェから向けられるなんてついこの間まで考えもしなかった。
「いや──こいつの独断だよ」
それだけ言うのが精一杯だった。下手な言い訳をしたらそれこそ
「そうなのか?使い魔の独断専行を許すとは頂けないな。手綱をもっとしっかり握っておく必要があると思うぞ」
アンジェがルクシオンを睨みつける。
ルクシオンはとぼけて口笛でも吹いているかのように明後日の方向を向いていた。
挑発的とも取れる態度にアンジェの表情が硬化する。
やめろ!マスターである俺の胃を労われ!
『マスター。今盛大なブーメランになることを考えていますね』
俺にだけ聞こえるように言ってくるルクシオン。
俺が何をしたというのか。俺が人の胃に穴を開けるようなことしたことは──あ、何度もあったわ。
反対を押し切って1人でボート同然の小さな飛行船で未知の領域に旅に出たこととか。王太子殿下を決闘でフルボッコにして、煽り倒して説教まで垂れたこととか。その決闘で自分に大金を賭けて大勢を破産させて、絶叫する彼らを嘲笑ったこととか──。
そうか。あの時の俺は親父や他の家族に今の俺と同じ思いをさせていたのか。
すまん親父。実家への投資増やしとくわ。
精神的ダメージに苦しむ俺にクラリス先輩が助け舟を出してくれた。
「リオン君を苛めるのはそれくらいにしてくれないかしら、アンジェリカ」
アンジェがクラリス先輩の方を向く。
クラリス先輩の方はマリエに向き直る。
「それで?貴女がリオン君の居場所を知っていた理由は分かったわ。ならば来られた理由は何かしら?貴女はいつからリオン君に泣きつける仲になったの?」
そう問いかけるクラリス先輩は笑顔だった。でもその笑顔が怖い。
無言の圧というか、アンジェとは違った恐ろしさを感じる。
「え、えっと──それは、その──」
しどろもどろになるマリエ。まさか前世で俺と兄妹だったとは言えないのだろう。
俺の方も俺の方でマリエに接近したのはゲームクリアに必要な情報を聞き出せると期待してのことだったのだが、それを正直に言う訳にはいかない。
となると──2人を納得させられそうな理由は1つだけだ。
「マリエ──腕輪と首飾りを見せてやれ」
「え?あ、うん」
マリエは制服のシャツの袖をまくり、襟元のボタンを外す。
現れたのは【聖なる腕輪】と【聖なる首飾り】だ。
正直賭けだったが上手くいった。こいつが腕輪と首飾りを肌身離さず持ち歩いていたのは好都合だったな。
「マリエは【聖女】だ」
マリエが気を利かせて腕輪と首飾りを光らせた。
「俺がこの前空賊を討伐した時に【聖なる首飾り】を手に入れた。腕輪の方はマリエがダンジョンで見つけたんだ。俺たちが接触したのはそれがきっかけだよ」
「──信じられない。本物の失われた宝だと?」
「2つの宝は長い間行方不明になっていたと聞いたけれど──神殿がこのことを知ったら何と言うかしら──」
アンジェとクラリス先輩の目が驚愕に見開かれる。
それと同時に2人の表情に名状し難い悔しさや葛藤のようなものが混じる。
婚約者にこっ酷く振られ、陰口を叩かれたり取り巻きに離反されたりと酷い目に遭った元凶が【聖女】の地位を手に入れる資格を持っていると見せつけられて面白くないのは俺にも分かる。
俺だったら彼女あるいは奥さんを奪った男が成功して幸せを掴んでいくのを見たら、発狂するかもしれない。
だがそれでも俺はマリエを聖女にする方針を曲げるわけにはいかない。
それがリビアを救えるほぼ唯一の可能性だから。
俺は2人を説得するために拙い言葉でプレゼンを開始する。
「俺だって正直信じたくはない。でもマリエが宝に聖女と認められたのは紛れもない事実だ。聖女の力は王国最大の切り札になり得る。どんな鎧や飛行船よりも強力な戦力だ。もしまた公国が戦争を仕掛けてきたり、他の国が侵攻してきても、聖女の力があれば圧倒的に有利に立てる。それに──だ」
紅茶を一口飲んで口の中を潤す。
アンジェとクラリス先輩の反応は上々だ。
「聖女の魔法の価値は戦力としてだけじゃない。戦いで傷ついている多くの人を救えるんだ。特に聖女にだけ使える『禁術』には条件次第で死者の復活さえも可能にするものがあるそうだ」
暗にリビアを救える可能性を示すことでアンジェの興味を惹く。
その試みは上手くいったようで、アンジェは明らかに「死者の復活」に反応した。
「だから俺はマリエを聖女に推挙するつもりでいる。こいつには思うところもあるし、個人的には嫌いなタイプだけど、マリエが聖女になることは国のため、ひいては俺と家族の利益になることなんだ。私情は捨てる。俺とマリエとの関係はそういうことだ」
アンジェとクラリス先輩は複雑な表情で俺の話を聞いていた。
クラリス先輩が溜息をひとつ吐いて紅茶を飲み干し、口を開いた。
「いいわよ」
「えっ?」
何がいいのか一瞬分からなかったが、すぐにクラリス先輩が続きを話し始める。
「私はいいわよ。リオン君がその決闘を受けても。前と同じように叩きのめして勝ってもいいし、勝ちを譲って負けてもいい。それであの5人の中で決着が着くのなら、もう好きにさせてやるわ」
「──私もだ。正直、殿下には文句のひとつでも言ってやりたいけどな。だが、言い方は悪いが殿下に対する気持ちが冷めてしまったらしい。むしろリオン、お前を余計なことに巻き込んですまないと思っているよ」
アンジェも決闘を受けることに賛意を示してきた。
「──それってマリエがあの5人と付き合うことに文句はないってことかな?」
2人のお嬢様とマリエを交互に見て俺は確認する。
マリエの方は困惑していた。
「──え、えっと、私としては、その──」
本当は決闘など拒否する方向に持って行きたかったのかもしれないが、そんなことを言い出せる空気ではない。
クラリス先輩がマリエの方を向いてきっぱりと言った。
「勘違いしないで。リオン君を煩わしさから解放するためよ。貴女を許したわけではないし、この先貴女があの5人とどうなろうと興味はないわ。ああでもね、貴女には感謝しているの。貴女があの男を私から引き剥がしてくれたおかげで私はずっと素晴らしい伴侶を得られたのだから」
元婚約者で、不良堕ちしてまで振り向かせたいと願った程に愛していたジルクを「あの男」呼ばわり──女って切り替えがハッキリしてて恐ろしいね。
しかも言葉の上では感謝を伝えているように見えてその実「俺と婚約(仮)して幸せを得た自分」を強調し、ジルクをはじめ略奪した恋人たちに金銭的に苦しめられているマリエを嗤っている──やっぱりクラリス先輩って腹黒だな。
ま、俺もクラリス先輩の立場だったら同じように煽るだろうけどね。
結果的に幸福をもたらしてくれたとしても、それは怒りや恨みを忘れる理由にはなり得ないのだから。
ただ──マリエの正体を知っている俺としてはあまり苛めないでやって欲しいと思う。
「まあその──なんだ。あいつらもせっかく鎧作ったんだしさ?拒否したら作った鎧もかかった金も全部無駄になっちゃうだろ?決闘が終わったら他のことに使うとか売るとかすればいいと思うぜ?それにあいつらのことだから拒否しても諦めるとは思えないし──」
男目線からの意見でやんわりと説得するとマリエはようやく折れてくれた。
「わ、分かったわ。その代わり、あの5人が作った鎧は絶対に壊さないでよ?あの鎧がユリウスの鎧みたいに吹っ飛んだら私の全財産が鉄屑になるんだからね」
真剣な表情で念押ししてくるマリエ。
まあ、保証はできないが留意しておこう。
「決まりだな。決闘は受ける。俺は負けようと思う。そうすればあいつらも満足してもう絡んで来なくなるだろ」
お嬢様方も文句はないらしい。
「──そうだな。賛成だ」
「私も文句ないわ。あ、貴女の用件はこれで済んだかしら?」
マリエは頷いてそそくさと部屋を出て行った。
◇◇◇
「いやーびっくりドン引きだったけどこれでとりあえずは片付いた──な?」
これにて一件落着とばかりに紅茶のお代わりを淹れに席を立とうとしたが、アンジェに袖を掴まれる。
「話は終わっていないぞ。リオン、お前には訊きたいことがいくつもあるし、話すことも沢山ある」
どうやら逃がしては貰えないようだ。
俺の代わりに紅茶を淹れるクラリス先輩がアンジェに問いかける。
「貴女がリオン君を呼んだ理由は見当がつくわ。家の指示ね?」
「──そうだ」
「リオン君が私と婚約することを貴女の家──いえ、レッドグレイブ公爵派閥は警戒している。だからその経緯を聞き出してあわよくば翻意させようとしている──といったところかしら?」
アンジェはクラリス先輩を睨みつけていたが、溜息を吐いて紅茶を一気に飲み干して、言った。
「──さすがは大臣の娘と言ったところか」
「どうも。私だって考えなしに婚約するわけじゃないわ」
クラリス先輩が全員のカップにお茶を注ぎながら言う。
紅茶を一口飲んだアンジェは幾分か落ち着いた声で話し始める。
最初はクラリス先輩を追い出したがっていたのに、今はそうはしていない。なぜだろうか。
「クラリスが言ったことも間違いではないが──私はリオンの意思を確かめたいのだ。リオン、お前の望みは自分の領地で平穏に暮らしたい、だったな?」
アンジェの問いに俺は頷く。
「ならばなぜクラリスとの婚約に同意した?」
「なぜ、と言われても──」
唐突にクラリス先輩と婚約する理由を訊かれて俺は返事に困る。
婚活から逃れるのに絶好の機会だったから?クラリス先輩が俺のこと好きな素振りを見せてたから?
でもそれだと「ではクラリスでなくても良かった、ということか?」って訊き返されるだろうし──
上手い返しを思いつかない俺にクラリス先輩が追い討ちをかける。
「リオン君が婚約に同意したのではないわ。彼の方から結婚を申し込んできたのよ。私がそれを受けた。リオン君が好きだからよ」
自分への惚気を聞かされる気持ちって分かるだろうか。
つい数分前まで修羅場だった部屋で、しかもその修羅場の中心にいた人に。
アンジェは裏切り者を見るかのような目で俺を見るし、本当に居た堪れない。
「本当か?」
「──はい。そうです」
アンジェは少しショックだったようだ。
目を瞑って少し考えるような仕草をしたかと思うと──
「お前は確かに父上の寄子や子飼いではない。だがレッドグレイブ家の庇護下にあるのは周知の事実だ。そんなお前がクラリスと結婚するということは、ただでさえ微妙な立場を更に危うくしかねないのだぞ」
「──え?なんで?」
そんなの聞いてない。クラリス先輩は別にレッドグレイブ家と敵対しているわけではないはず。むしろどの派閥にも属さない中立で政略結婚という観点から見ても別に問題があるとは思えないのだが。
「まあ、お前が政治に興味がないのは気付いていたが──アトリー家は中立の立場であることは知っているだろう」
「え?──はい」
「お前は何か勘違いしているようだが、中立というのは全てを敵に回す覚悟が必要なのだぞ。どの派閥にも味方も敵対もしないというのは聞こえが良いかもしれないが、その結果、誰からも信用されないのでは意味はない。特にお前はな」
なんで俺が中立派に立つと危ないんだ?
頭に疑問符を浮かべていると、アンジェが解説してくる。
「考えてもみろ。お前が所有するロストアイテムの船と鎧はそれこそ誰もが喉から手が出るほどに欲しいものだ。特に公国との戦いでのパルトナーの活躍が知れ渡り、お前に対する注目と警戒が集まっている。これまではレッドグレイブ家の影響力もあって表立って妙な行動を起こしたりはしていなかったが──これからはそうもいかない。お前がクラリスと結婚するということは中立のアトリー家と同盟する──つまりレッドグレイブ家の庇護を蹴るという宣言に等しい。そうすればお前は今以上にお前のロストアイテムを狙う者たちの脅威に晒される。場合によっては父上もお前を危険分子と判断するかもしれない。つまり──お前は下手をすれば全ての派閥を敵に回すぞ」
アンジェが表情に影を落とし、低い声で言った。
そんなの困る!
「えぇ──俺は権力争いに参加する気なんてないのに」
「その気があろうがなかろうが争いに巻き込まれるのが政治の世界だ。もう1度聞くが、クラリスと結婚する理由は何だ?何かお前自身の考えがあってのことか?」
──言えねえ。あの時は婚活から逃れたい一心でそんな大層な考えは1ミリもなかったなんて。
クラリス先輩という俺にはもったいないほど素敵な女子が俺を好いてくれていることに舞い上がって、このチャンスを逃せるかと青臭い勇気を振り絞って後先考えずにプロポーズしたが──こんなややこしい政治案件になると分かっていたら、間違いなく二の足を踏んでいただろう。
そのことを隠しつつアンジェとクラリス先輩双方を納得させられそうな答えは──
「──好きだからだ。クラリス先輩が」
手の込んだ口上など考えつかず、シンプルにクラリス先輩が好きだから、という理由しか提示できなかった。
アンジェが拍子抜けしたようにふっと笑う。
「──やはりか。お前に政治センスなど期待できないとは思っていたが──ただの、普通の恋愛だったというわけだな」
なぜかアンジェの表情が少し翳る。
「クラリスとの結婚がお前の意思なら私には止めることはできないが、これから先お前は難しい立場に追いやられることになるだろう。私としてはお前が危険に晒されるのは──」
するとクラリス先輩が反論した。
「レッドグレイブ家の庇護を受け続けるにしても危険度は大して変わらないと思うわよ?派閥は縮小して発言力も低下していることだし」
アンジェは否定しなかった。
俺もふと思い出した。公国と繋がっている奴の特定に協力を依頼した時だ。
ギルバートさんが「今のレッドグレイブ家に発言力はほとんどない」って言ってたっけ。
あの時たしか俺は後ろ盾としてのパワーを疑ったけど他に頼る相手がいないと思って忘れていた。
アンジェが自嘲するような笑みを浮かべたかと思うと、クラリス先輩に問いかけた。
「お前の家ならばリオンを守れると?」
クラリス先輩は自信に満ちた笑みで答える。
「アトリー家の情報力を甘く見ないで欲しいわね。代々大臣職を引き継いできた力よ」
アンジェとクラリス先輩の視線が交錯する。
その視線に込められた感情や考えは俺には読み取れない。
アンジェが口を開く。
「神殿の方はどうする気だ?リオンがあの女を聖女に推挙すれば神殿とのつながりができる。リオンにその気がなくとも、神殿によって新勢力の旗印として担ぎ上げられでもすれば王宮全体を敵に回すぞ。そうなればアトリー家にとっても不利益ではないか?」
「そんなことになるのはリオン君よりもユリウス殿下たちではないかしら?リオン君は単に失われた宝と聖女の資格を持つ者を見つけただけ、という立場を取って距離を置けるけど、ユリウス殿下たちはそうもいかない。むしろ警戒すべきはフランプトン侯爵の派閥よ」
クラリス先輩は立板に水の勢いで政局予想を並べる。
俺にはさっぱりだが、宮廷貴族の生まれで根っからの政治家の令嬢はやはりその辺りの感覚が発達しているらしい。
「フランプトン侯爵はリオン君を明確な脅威と見做して排除しようとしている節があるわ。レッドグレイブ家はリオン君を派閥の一員として取り込む方針だったようだけど、侯爵は違う。それこそ抹殺してロストアイテムだけ取り上げることを企んでいてもおかしくない相手よ」
え、何それ怖い。
そういえばフランプトン侯爵はヘルトルーデを学園に留学させようとしていたと聞いた。
公国と共謀してこの前の公国による侵攻を引き起こした疑いがある、とも。
本当にそのフランプトン侯爵とやらは厄介な相手のようだ。
『ご心配なく。マスターを抹殺などさせませんよ。お望みであれば侯爵の方を抹殺することも可能です』
空気状態だったルクシオンが物騒なことを言ってくる。
だが、ルクシオンを使って王宮での情報収集を行えば危険を減らせるのは間違いない。
よし、決めた。フランプトン侯爵派閥に関することはレッドグレイブ公爵家に丸な──任せていたが、これからはルクシオンにもやらせるとしよう。
尤も、ルクシオンは今公国に関する情報収集やら実家や領地での工場の立ち上げで忙しそうなので本格的にやるのは公国からもう1つの魔笛を奪った後になるだろうけど。
俺を取り残して議論を始めていたお嬢様方に割り込む。
「アンジェの言いたいことは分かった。でもクラリス先輩との結婚をやめるつもりはない。色々とややこしいことになるのは分かったけど、俺にも対策はある。ルクシオンだっているから、手に入れようと思えばそれなりに情報も手に入るし」
2人が俺の目を見つめてくる。
「もう一度はっきり言っておく。クラリス先輩と結婚するのに変な意図があるわけじゃないし、レッドグレイブ家とも協力関係は維持したい。公国と──フランプトン侯爵とやらの派閥という共通の敵があるからね」
アンジェがゆっくりと口を開く。
「お前の意思は分かった。父上に伝えておく。私としてもお前と敵対はしたくない。その──恩人だからな」
やっと長い
そう思った俺だがお話はまだ続く。
「だが、意外だよ。お前とクラリスが知り合ったのは学園祭の時だったな。それほど日は経っていないのにもう婚約内定とは──どういう経緯でこうなったのか聞かせてくれないか?」
そこからクラリス先輩との馴れ初めを学園祭の時から話す羽目になった。
◇◇◇
やっとお話が終わって部屋を出た時にはすっかり夜になっていた。
ほとんど真っ暗闇の中にポツンポツンとある外灯が道を淡く照らしている。
俺はクラリス先輩と並んで寮への道を歩いていたが、どうにもクラリス先輩の機嫌が悪いように感じる。
どこか不機嫌なオーラが出ているというか──この前一緒に帰った時には腕を絡めてきたが、今日は手も繋いでこない。目も合わせてこない。
女子寮が見えてきた時、俺はたまりかねて質問した。
「あの、先輩。俺何か気に障るようなことしました?」
するとクラリス先輩は立ち止まって溜息を吐いた。
「──鈍感」
そして俺の方に振り返ったかと思うと悲しげな微笑みを浮かべて言った。
「アンジェリカのことは愛称で呼び続けるのに──私のことはクラリスと呼んでくれないのね」
俺はハッとした。
この前、一緒に帰った時「クラリスと呼んで」と言われたばかりではないか。
「──すみません」
クラリス先輩は少し頬を膨らませていたが、すぐに溜息を吐いて笑顔になる。
「じゃあこうしましょう。私もこれからは君付けをやめるわ。これからはお互い呼び捨て。それならイーブンでしょう?リオン」
呼び捨てで呼ばれてドキッとしたのは久しぶりに思う。
俺を呼び捨てにする相手といったら家族か、ダニエルやレイモンドくらいしかいなかった。後はアンジェだな。いずれも恋愛対象にはならなかった。
でも好きな人に呼び捨てにされるって──心地良いな。
「そうですね」
するとクラリス先輩がスッと身体を寄せてきたかと思うと、人差し指を俺の唇に押し当ててくる。
「それと、2人きりの時は敬語もなし。いいわね?」
緑色の瞳に有無を言わせない迫力が宿っていて、逆らう意志を奪われる。
「わ、分かったよ。クラリス」
クラリス先輩──クラリスはパッと明るい笑顔になった。
「よろしい」
クラリスが俺の手を握って指を絡めてくる。いわゆる恋人繋ぎってやつだ。
俺たちはそのまま手を繋いで女子寮まで歩いた。
>最初はクラリス先輩を追い出したがっていたのに、今はそうはしていない。なぜだろうか。
リビアの容態を聞きたがっていたからです。聖女の禁術の話を聞いて、また別の機会に詳しく聞こうと思い直しました。