下を見るな。
手足に意識を集中しろ。
俺は今度こそ田舎で山ナシ谷ナシののんびり引きこもりスローライフを送るんだ。
こんなところで海に落ちて死んでなんていられない。
そんなふうに自分に言い聞かせながら少しずつロープを渡る。
悠長に命綱を用意している暇はなく、手や足が滑ったら死を覚悟するしかない。
「急いでリオン!アイツロープを切りに行ってる!」
ベルが警告してきた。
マジかよ!ロープ切られたら確実に落ちて死ぬ!
急げ俺!
心臓の鼓動が恐怖で早くなる。
俺は必死で腕を動かし、身体を引っ張る。
早く!
早く!
1秒でも早く!
気はこれ以上ないほど急くのにロープの先は遠く見える。
ふとロープの先に剣を持った男が現れるのが見えた。
錨が絡まった索具をよじ登り、錨に繋がったロープを切ろうとする。
「やめろおおお!」
無駄だとは思うが叫ばずにはいられない。
しかし、男は無情にも剣を振り下ろし、ロープに大きな切れ込みが入る。
そのまま、ロープはどんどん裂けていく。
ヤバい!
どこかに捕まる場所は──!
あった!
すぐ横に飛行船の方向舵があった。
ちなみにそのすぐ上には船室の窓。
(許せベル!)
俺は腰の剣を抜いて思い切り方向舵に突き立てた。
剣が木製の方向舵を貫通し、即席のハーケンになる。
ほぼ同時にロープが切れ、力なく落ちていく。
間一髪で俺は剣の方に体重を移し、方向舵にしがみつく。
(助かった──)
束の間の安堵で大きく息が漏れる。
だがぐずぐずしてはいられない。
俺は突き立てた剣を踏み台にして方向舵をよじ登り、船室の窓ガラスを叩き割る。
割れたガラスが手の肌を切り裂き、痛みが走るがぐっと堪えて窓枠に手を掛けて身体を引っ張り上げる。
船室に転がり込んだ俺は周りを見渡すが、武器はない。
仕方なく丸腰のまま船室のドアを開け、タラップを昇って甲板に出ようとしたところでさっきの剣を持った男と鉢合わせした。
「てめえ!あのアマの犬か!死ね!」
犬とは心外な。
俺は素早く身をよじり、突き出された剣をかわす。
間髪入れずに男の手首を掴み、思い切り引っ張る。
「うおっ!」
男はバランスを崩し、タラップに頭から落ちてくる。
そのままタラップの下まで転がり落ちた男に俺は馬乗りになり、組んだ両手を後頭部に振り下ろす。
気絶した男から剣を奪い取ると、急いで甲板へ上がり、舵輪のところに向かう。
魔力回路制御装置を見つけるとエンジンへのエネルギー供給をカットする。
プロペラの回転が止まり、飛行船は減速を始める。
後ろを見ればベルが駆る俺の飛行船が追いついてきている。
心臓が破裂するかと思うほどのアクションだったがなんとかやり遂げた。
幸い相手は銃を持ち出してこなかったので案外簡単に倒せた。
グッジョブじゃないか俺?
そう思った矢先、背後に気配を感じた。
振り返る暇もなく鈍器で殴られたような衝撃が走る。
さっき倒したと思った男に猛烈なタックルをくらった俺は派手に吹っ飛ばされて手すりにぶつかる。
「やりやがったなクソガキ!」
男の怒声が聞こえる。
「あのアマに籠絡されやがったのか!?俺の儲けの邪魔しやがって!」
油断した。
縛り上げるなりしておくべきだった。
しかし──盗人猛々しいとはこのことだろうか。
「はあ!?お前がアラベラを置き去りにしたのが事の始まりだろうが!人の船持ち逃げするとか最低だな!」
「抜かせ!俺には金が要るんだ!邪魔すんじゃねえ!」
男がどこからか持ち出してきた槍を構えて怒鳴る。
金が要る、か。
金が要るのは俺も同じだ。というかみんなそうだろう。
だが、金が要るからといって他人から奪うという手段に走るヤツが俺は大嫌いだ。
ここで気になっていたことを質問する。
「金、か。じゃあ俺の船からライフルと魔弾を盗んだのもお前か!?」
「!──そうかよ。アレの持ち主はてめえか。だがあんなお宝ぜってー返さねえぞ!」
やっぱりコイツが泥棒だったか。
「だったら尚更返してもらう!」
俺はさっき男から奪った剣を鞘から抜く。
剣と槍じゃ間合いが違いすぎて剣の方が不利だが──俺は腰に括り付けていた軍資金の袋を投げつけた。
袋から飛び出した硬貨が目眩しの役割を果たしてくれる。
金に男の意識が向いた一瞬で俺は一気に懐に飛び込み、槍を掴んで穂先を逸らす。
そのまま鳩尾に剣の柄頭を叩き込もうとしたが、男は膝で俺の鳩尾を蹴り上げた。
「ぐっ!」
悲鳴も上げられないレベルの激痛が走る。
俺は甲板を転がり、鳩尾を抑えて悶絶する。
「肉体強化魔法が使えんのはこっちも同じなんだよガキ!あんな魔法の才能もねえ生意気なクソアマと分け前半分こなんてしてられっか!」
クソが。魔法がなんだってんだ。
分け前とかいうのは契約だ。個人の力の優劣がどうだろうが関係なしに契約した内容は守るのが社会人の常識だろうが!
悪態が次々に頭に浮かんでくるが声にならない。
とにかく腹が痛い。
こんな痛みを味わうのは前世でも今世でも初めてだ。
まさか俺は痛みや苦労を味わうために転生させられたのか?
「生意気なクソアマで悪かったなこのクズ!」
不意に頼もしげなハスキーボイスがしたかと思うと、男の身体が吹っ飛んだ。
「ぐあああああ!」
男の甲高い悲鳴が聞こえる。
「魔法がなんだって?そんなモンが使えねえくらいで舐めてんじゃねえぞ!あーしはまだ小娘でも心だけは一人前の仕事人なんだよ!てめえみてえなクズに船持ち逃げされて泣き寝入りなんてすると思うなよ!この落とし前はキッチリつけてもらうからな!」
ベルが怒りに満ちた声でまくし立てているので俺は痛む身体に鞭打ってあたりを見回す。
ベルはもがく男の腕にプロレスの関節技のようなものを掛けて締め上げていた。
「い、痛い!痛い!降参!降参するから!許してくれえええええ!」
先ほどの威勢の良さは何処へやら男は涙目で許しを乞うている。
だがそれはベルの神経を逆撫でしただけだった。
「ハン!そんな情けねえセリフが吐けるうちはまだまだだなァ!」
「あぎええええええええ!!」
もはや人間のものではなく鳥か何かのような変な悲鳴を上げる男。
ベルは締め上げていた腕を離すともう一方の腕を締め上げた。
先ほど締め上げられていた腕は力なく垂れ下がっている。
肩の関節を外されたんだろうか。
──ものすごく痛そうである。こっちまで寒気がしてきた。
いつの間にか男は気絶したらしく、静かになっていた。
「フン、しばらくそのままでいるんだな。リオン、コイツの足ふん縛るの手伝って?」
ベルが狂気的な笑顔を俺に向けてくる。
やめろ!そのスマイルは怖いからやめてくれ!
「あ、ああ。でもお前、意外となんていうか、その──アグレッシブだったんだな?」
俺はしどろもどろになりながらロープを用意する。
「ねえリオン。アンタ今すごくあーしに失礼なこと思ったでしょ」
ベルがジト目で睨んでくる。
「──さて、さっき俺のライフルと魔弾を盗んだこと自白してたから探しに行かないと。ベル、貨物室ってどこかな?」
俺はそれとなく視線をベルからずらして話を逸らす。
この手の質問なんてどう答えても正解じゃないんだし。
「ごまかしたね!?」
ベルはそう言いつつも本気で怒ってはいないようだ。
「ここだよ。たぶん隠し倉庫の中に入れてると思う」
ベルが甲板に張ってあった簀子を外す。
ベルに続いて中に続くタラップを降りると、狭い通路の両脇に木の箱がぎっしり詰まっている。
ベルは通路の突き当たりで屈むと何かを押すような仕草をする。
直後に突き当たりの壁が手前に向かって開いた。
「よくできてるな。ただの一枚板の壁にしか見えなかったぞ」
俺は素直に感心する。
「運び屋の船には大体こういうのがあるんだよ。ま、あーしのはパパの特製だからよくできてるのはその通りだけど♪」
ベルは自慢げに言って明かりをつけた。
隠し倉庫の中には戸棚があり、いくつか妙なトランクと──俺の武器弾薬が収納されていた。
「あった!よかった〜」
ほっと安堵の息が出る。
「嘘!本物の魔弾?アンタどんだけ難しいダンジョンに行く気だったの?」
ベルが魔弾を見て興奮を隠せないでいる。
「ロストアイテムが手に入るところだ。それ以上は言えないな」
俺は勿体ぶるが、実際教えるわけにはいかない。
「ロストアイテム!?──そっか。まあ、頑張ってね。応援するよ!」
どこか哀れみと諦めを含んだような目でベルは言う。
無理もないか。
ロストアイテムが手に入る場所なんてどこにあるかも分からない、あったとしても例外なく高難易度なダンジョンだし。
「あ、そうだ。あーしの船に突き刺した剣、回収しといたから。あとで舵の修理手伝ってよね。その代わりあーしもアンタの船直すの手伝うから」
ありがたい。剣の回収をしておいてくれるとは気が利くじゃないか。
ん?俺の船を直す?
俺の船に大して損害はなかったはず。
「おい、俺の船を直すってどこ壊した?」
俺の質問に対してベルはしれっとした顔で答える。
「追いつくために制御装置のリミッターもっかい切っちゃってさ。エンジンがオシャカになっちった。メンゴメンゴ」
はあああああ!?
この女俺の船に何してくれてんだあああ!
固まる俺にベルは申し訳なさそうに、でも反省も後悔もしていない目で言う。
「そーいうわけだからアークロワイアルに着くまでまたしばらく一緒によろしく、ね♪」
ばっちーん、とでも効果音が出そうなウィンクをするベル。
(ちっくしょおおおおおお!!)
飛行船の命と言ってもいいエンジンを壊されて、おまけにとんでもなく太々しい態度を取られてるのに怒りきれない。
この女があのタイミングで来てくれなかったら俺は死んでたかもしれないし、ライフルと魔弾を取り返せたのもこの女のおかげだし──
──さっきのウィンクは
────可愛かった。
船旅はまだ続く。
リオン(#゜Д゜)「おい!最後の方に妙なルビが見えるんだが!?」
ベル(*・∀-)「ふーん、リオンってあーしのことそんな風に思ってたんだ〜?」
リオン(;゜д゜)「いや、あれは──」
ベル( ̄∀ ̄)「みなまで言うな少年。夏の日の恋は大人への階段だよ〜?」
リオン(#゜Д゜)「だから、恋じゃねーよ!」
ベル(*・∀-)「はいはい、そーゆーことにしといてあげる♪」