暇を見つけては細々と進めていたら長くなってしまいました
爆発の轟音に続いて地面全体が揺れ、砂埃が背中に降りかかる。その衝撃に意識を取り戻したのか、水平に横たわった視界に薄汚れた壁が広がった。
「……!…………!…………」
ふと、水中のように不明瞭な聴覚に聞き覚えのない声が耳に届き、上半身が揺さぶられる。おかげで五感と意識に鮮明さが戻り始め、同時に体の節々の痛みも冴える。
「しっかりして、お姉ちゃん!」
ともすれば自分よりも年下かもしれない、あどけなさの残る少年の声。
「うっ……とりあえず、離して……大丈夫だから」
打撲による全身の痛みに耐えながら、背中側に振り向く。そこには、声の印象の通りまだ10歳にも満たないような風貌の少年がいた。
顔立ちや黒い髪から察するに扶桑人らしき少年は、うろたえた様子でこちらの顔を指差す。
「で、でも、血が出てる!」
「平気……そんなに、痛くないから」
血が入りかけた目を袖で拭うのと同時に再び爆音が響き渡り、足元がぐらぐらと揺れる。
背後の壁に空いた穴から覗く目下の道路では、ネウロイが触手をイソギンチャクのように蠢かせており、すかさず上空から雨のように機関砲が降り注いだ。
(「あの発射音はボイドの……無事みたいね」)
そこで、あるはずのものが無い違和感に耳に手を当てると、インカムが無い。頭をよぎった焦燥に駆られ周囲を見回すと、護身用のベレッタを含めた武装一式とストライカーもそこには無く、あちこちが凹んだゴーグルが転がっているだけだった。
「お姉ちゃん?」
「……君、私が持ってたものを持ってない?どこかに落ちて、ごほっ……っぐ!」
心配げな表情の少年に詰め寄ろうと立ち上がり、一つ咳き込んだ瞬間、左胸にひときわ激しい痛みが走った。しゃがみ込みながら思わず胸を抑えた手が、その感触を伝えてくる。
恐らく、肋骨が折れていた。痛みで感覚が鈍麻しているため正確な数はわからないが、1本以上なのは確実だろう。幸いにも呼吸は出来ているので、肺に突き刺さってはいないようだ。
「ほ、本当に大丈夫なの!?」
「ちょっと、痛いだけよ……君が目を覚ましたときに、拳銃がその近くに落ちていなかった?拾っていない?」
「落ちてたけど、怖くて……拾わないで、ここに逃げてきたよ……」
浅い呼吸で息を整えながら駆け寄ってきた少年に聞くと、少年は俯き加減に言う。責めているわけでは無いのだが、どうしてもそう聞こえてしまっているようだ。
「そう……まあ、今はひとまず、移動しましょう。あのネウロイが私を放っておくとは限らないし、ここに留まっているのは危険だわ」
「う、うん。でも、どこに行くの?」
「屋上……私の仲間がこのビルの周りを飛んでるから、助けてもらうのよ。いいわね?」
飛んでる、という言葉が腑に落ちないのか小声で復唱しつつも、おずおずと頷く少年。ゆっくりと立ち上がり、ヒビが入った非常階段の標識の矢印の方向へと向かう。
(「武装はなし、通信もできない、ついでに私は負傷、と……」)
朽ち果てたオフィスビルの内部を進みながら、状況を再確認する。
たとえストライカーや武装が使える状態でも取りに行くのには手間がかかるし、こんな状態では到底DEFA 791の反動に耐えられないのは自明の理だ。残っているのは、万が一の為に持っていたコンバットナイフのみ。
「……ほんと、ツイてない」
悲観的な現状を鑑み、ついひとりごちた。自分に向けての言葉かと横を歩く少年が顔をこちらに向けたので、手を小さく振り否定の意を表す。
胸の痛みがより意識を鮮明にしたので、なぜこんなことになったのか、記憶を辿る。
灰色の雲の下を、編隊を組んだ6人が北東方向へと飛んで行く。
「道東の方面に行く任務っていうのは、中々珍しくない?私、多分初めてだなぁ」
「基本的に、航空ネウロイが旭川辺りを通るようなルートで来ますからね。理由は、よくわかんないですけど」
前後を飛ぶ5人に向けて言うジャニスに、レイが答える。
「ジャニス以外の皆さんは、過去に道東に行く任務に就いた事はあるんですか?」
フィーネの質問に、フラムとアナが首を傾げる。
「……言われてみれば無いわね。私達の任務は迎撃が主体だし、今回みたいな偵察任務もいつも陸軍がやってたから」
「確かに。まあ、別の任務で時間がかかってるんだったら仕方がない」
返答を聞き、4人が呻る。6人の目的地は、旭川の北東に位置し、オホーツク海に面した都市である紋別市。2万人ほどいた住民は5年前のネウロイ侵攻時に退去しており、既にゴーストタウンと化していた。
「ま、ジャミングが発生したってことは、99%ネウロイがいると見て間違いないだろうね」
『ええ。扶桑陸軍の最新鋭レーダーシステムを妨害できるようなジャミングなど、人為的に行うのはほぼ不可能でしょう』
紋別市付近のレーダーサイトがジャミングされたのは、つい1日前の、扶桑陸軍の陸戦ウィッチ部隊が旭川から紋別市とは逆方向にある留萌市へと向かったその日だった。そのため、引き返す訳にもいかない陸軍から空軍へと協力要請があり、201に白羽の矢が立つことになった。
「見えてきましたね」
何本かの自動車道が通っていた山を越えた先の光景を見て、レイが呟く。オホーツク海沿岸部に集中した市街地は遠目に見ても寂れており、人の気配など感じられそうにも無かった。
『ジャミングの中心部は市の北西部にあり、既に市全体をカバーしています。おそらく市内の建物や地中にもネウロイは潜伏していると思われますので、それらしき痕跡が見つかった際には警戒するようにして下さい』
「勝手に土足で上がり込まれてちゃ、たまったもんじゃないねぇ」
「向こうにとってはただの障害物なんだから、そもそも遠慮もしないだろうし」
アナにそう返され、呆れ顔を浮かべたまま首を振るジャニス。
「……いつか北海道が完全に解放されたら、離れてしまった皆さんも昔住んでいた所に戻れるんでしょうか」
「家はともかく、その場所には戻りたいとは思うんじゃない?たとえ全然違う光景になってたとしても、それが故郷ってものでしょう」
先頭を飛ぶフラムが、上半身だけを向けて返す。その返答に納得できたのか、数度頷くレイ。その眼下には、紋別の街並みが広がっていた。
「……ジャミング源を叩く前に、軽く偵察するわよ。私とボイド、フィーネ中尉で
足元のビルが立ち並ぶ街を人差し指で差すフラムの言葉を、游隼が引き継ぐ。
「じゃあ、私達は南側だね」
「15分後に再集合しましょう。でも、もし目標が動いたら、戦闘中じゃなかったらそっちを優先的に狙って」
「「「了解!」」」
「それにしても穴だらけね。下はどんなことになってるのやら……」
道路に空いた直径5m前後の穴を見て、フラムが呟く。10や20ではきかないその数に、長い街道は蜂の巣のように変貌していた。
「道路が無事ですし、それなりの深さはありそうですね。地下に空洞を作って増殖していないといいのですが」
「それも考えられるね……そうでないことを祈りたいけど。もぐら叩きは勘弁だよ」
穴を見つめ続けたせいか引き込まれそうになる感覚に首を振りながら、ジャニスが言う。
「……あのビルの中を確認しましょう。ボイドはそのまま周囲の監視を。フィーネ中尉、着いてきて」
「了解です」
「はいはいっと」
元は商社だったらしき大きなビルの壁面に近づき、ゆっくりと内部に入り込む2人。オフィス内はレーザーによって無残に切り裂かれ、天井や机が真っ黒に焼け焦げていた。
「酷い有様ね。ただ、この頃にはもう人は居なかっただろうし、そこが救いかしら」
「ええ、本当に……今のところネウロイの痕跡は見つかりませんが、別の階も探してみますか?」
ストライカーの排気で舞った埃を吸い込まないように腕で口を覆いながら、フィーネが振り返る。確かに、オフィス内にネウロイの移動痕らしきものは無かったが、フラムは頷く。
「一応、下の階も見てみるわ。中尉は外側に何かないか探してみて」
「はい。わかっているとは思いますが、警戒は怠らないようにしてくださいね」
「もちろん」
壁の穴から外に出ながら言うフィーネに、振り返って言うフラム。ごく低く浮遊したまま、消えてしまった非常口の電灯の指す方向にあった扉を、ストライカーの主翼がぶつからないよう横向きになりながら開ける。
狙い通り、そこには階段があった。真っ暗な空間をゴーグルに備え付けのライトで照らし、壁や床を注視しながら下へと降りていく。
片手でDEFA791を保持しながら、降りた先にあった扉を静かに開け、その隙間から1階の様子を伺う。が、2階と変わらず荒れ果てていただけで、ネウロイが活動したような跡も移動物も無い。
「ふぅ……こちらフラム、1階も特に変わったことはなかったわ」
安堵のため息をしつつ、肩にDEFA791を乗せるフラム。
『骨折り損でしたね』
『根城になってなかっただけマシじゃない?余計な戦闘はしたくないし〜』
「まあ、そうとも言えなくはないわね。もう何軒か侵入されていそうなビルを当たってみて」
フラムが、無線に答えながらビルの外へと出た時だった。視界の右の片隅で何かが動き、更に砂利を踏みしめたような音まで立てたのだ。
「──っ、誰!」
鋭く右に目をやっても影はそこには無く、走っているのか、素早いテンポで地面を踏みしめる音が遠ざかっていくのがフラムの耳に届いた。
出力を制御し、右側の一番近くにあった路地裏をフラムが覗き込むと、音の主らしき──恐らくは人間に違いないであろう──何者かの翻った服の一部が、右の建物の影に消えて行った。
『何?誰か居た?』
「ええ!多分人だけど、何かがこのビルの裏路地を右に行ったのを見た!追うわ!」
『私は上から行きます』
即座にビルの屋上ほどの高さにいたフィーネが右斜め前方に飛び、先回りするように路地の上に出る。が、その姿を捉えかけた瞬間に、影は別の建物の壁にぶつかるようにし、視界から消える。
『フラム、5m先の曲がり角を左に行った先の建物の壁面に、人が通れそうな穴があるはずです。対象は、そこに逃げ込んだかと』
「ありがとう、探してみるわ」
すぐさまフィーネに言われた角を曲がると、確かにその建物の壁には2mほどの縦に細長い楕円形の穴が空いており、一般的な体型の人間なら苦もなく入れそうだった。
とはいえ、ストライカーを履いたままでは難しそうだったので、ランディングギアを展開してゆっくりと着地し、近くにあった瓦礫を足がかりに地面に降りるフラム。
周囲の静けさの中で軽い着地音が響くも、逃亡者の移動音は聞こえてこない。油断せずにDEFA 791を置き、腰のホルスターから出したグロック17を右手で構え、左手を無手にする。
「……何者かは知らないけど、そこにいるのはわかってるわ!痛い目に遭いたくなかったら、5秒以内に投降しなさい!……5!4!」
フラムの張り上げた声が穴の先や壁に反響し閑静な街に木霊するも、変化はない。
「3!2!……1!」
カウントダウンを終えたフラムが、グロックを握る手にぐっと力を込めたときだった。HUD上のレーダーを見ていたジャニスが、その変化にすぐさま叫ぶ。
『フラム!ジャミング源が動いた!』
「全く、嫌なタイミングで動き出すわね……周囲に警戒!私はこっちを先に済ませるわ!」
『『了解!』』
一瞬レーダーに目をやってからフラムが素早く告げ、2人が周囲を見渡す。すると、一際高い位置にいたジャニスが、街の北部の異常に気づいた。
『うっひゃ〜、立派だこと』
『あれではもぐら叩きには少し大きすぎますね』
北西部の住宅街の一角で土煙が上がり、その中から黒い塔が地面から生えるようにして現れた。ジャニスの現在高度から推測しても、40mは下らない高さだろう。
「……多少の怪我は覚悟してもらうわよ!」
フラムが意を決し、シールドを展開しながら光の漏れている壁の穴へと入る。転がっている複数の丸テーブルや椅子を見るに、元々はカフェだったらしき建物の中には、人影どころか動く物体すら無かった。
(「隠れた?でも、動く音はしなかったし……居たのは間違いない、と」)
差し込む光はあったがより詳しく痕跡を探すために、シールドを収束し、ライトを点灯するフラム。足元をよく観察すると、うっすらと積もった埃の上に自分のもの以外の足跡を発見した。
それは一定の距離まで伸びており、ふと唐突に消えていた。消えた地点の周りにもだが、バックトラックをしたと考えてもフラムより手前に隠れられそうな場所や物は無い。
静止したまま目まぐるしく思考と視線を巡らせるフラムの背後に、何かが落ちる物音が響く。それに、シールドを背面に展開しながら猫のそれのような反応速度で振り返り、銃を向けるフラム。
そこに落ちていたのは、数本の蛍光イエローの線が入った一足の運動靴だった。フラムのスニーカーと大差無いサイズや、マジックテープで足に固定する形式から、それが小学生程度の小児向けのものであることはすぐに判明し、更にフラムの視線は即座に上へと向けられる。
「……!」
フラムの目に飛び込んだモノの第一印象は、「天井付近の闇の中に浮かんでいる少年」だった。落ちたものと同じ靴を履いていて、グレーのセーターと紺色のジャージといった、何の変哲もない格好。
そして、幼い顔面の口元が真っ黒なことと、浮いていること。その通常ありえない2点の現象がフラムの脳に、ひいては肉体に判断を下させた。
「ネウロイだ」と。
瞬時に、少年の周囲の闇に向けて発砲するフラム。放たれた9×19mmパラペラム弾が暗闇を裂いて着弾し、新たな白光を生み出した。
『ん?フラム、どうしたの!』
金属を擦り合わせるような声と共に、天井に張り付いたネウロイが少年をフラムが元々向いていた背後へと放り投げる。
「う……わぁぁあ!?」
「ちぃっ!」
自分の頭上を飛んでいく少年の落下に合わせ、後ろに倒れ込むように跳ぶフラム。首を前に屈めつつ自由落下する少年を腕で抱え、窓だった場所をすり抜ける。
「君!立って歩けそうなら、ここから離れなさい!」
「うぅん……うぅ……」
フラムが体を起き上がらせて檄を飛ばすも、少年は未だにグロッキーで、その言葉も半分ほどもわかっていない様子だった。
「やっぱりあれくらいじゃ効かないわよね……うわっ!」
少年の体を揺さぶるフラムを、件のネウロイの体から伸びた、タコの足のような無数の腕が襲った。咄嗟に左手でシールドを展開し、急襲を防ぐフラム。
「このっ……2人とも、この建物の中にネウロイがいるわ!牽制して!」
『了解!』
シールド越しに何度も叩きつけられる触腕に歯噛みしながら、フラムが2人に叫ぶ。それとほぼ同時に、ジャニスも叫んだ。
『っ、フラム!4時!』
ジャニスの叫びで、フラムの顔が斜め後方に向けられる。その直後、シールドで防いでいるものと同じ腕が、コンクリートの地面を突き破って勢いよく出現した。
「嘘っ!?」
間髪を入れずにぐるりと右にスイングし、2人を襲う腕。位置関係から見ても、先に少年へと当たるのは明白だった。
一瞬の逡巡を乗り越え、グロックを捨て、少年の襟を右手で掴んで後方の道路へと投げ飛ばすフラム。最早、上にも下にも回避することは不可能だった。
最低限の防御のために戻ってきた右手を俊敏に躱し、無防備になったフラムの胸元に、鞭のようにしなった触腕が叩きつけられる。
「っ、は……!」
肺が押されたことによって、フラムの口からは意思とは反して空気が漏れ出す。そして、その華奢な肉体は猛烈な速度で斜め後上方に打ち上げられ、向かいの朽ちたビルの壁を突き破った。
『フラムーっ!』
(「腕が当たる瞬間に、思い切り後ろに跳んでおいて正解だったわね……もしまともに食らってたら、今頃は死んでたかも……まあ、少しやりすぎたかもしれないけど」)
痛む胸の感覚にも慣れ、呼吸も安定したため、僅かなりともフラムの思考も落ち着き始めていた。非常階段も発見したことで、手すりを掴みながら横を並んで歩いていた少年に話し掛ける。
「キミ、名前はなんて言うの?」
フラムに話しかけられたことで、びくりと肩を震わせる少年。しばしの間階段で立ち止まって、口を開く。
「……ナナバン、って呼ばれてた、から、それでいい……」
最初は扶桑の珍しい名なのかとも思ったが、少年の「呼ばれていた」という発言から、そうでもないようだと意識を改めるフラム。その言葉に違和感を覚えつつ、会話が途切れないように続ける。
「じゃあ、ナナバン君は、どうしてこんな所にいたの?……もし良かったら、聞かせてくれない?」
「……お姉さんの仲間って、ウィッチ、だよね」
「ええ、そうよ。私もそう」
「お姉さんは、ぼくを殺すの?」
真っ直ぐに自分を見つめた少年の言葉に、フラムは眉をひそめた。確かに、既にゴーストタウンと化した街にいる時点で怪しい存在ではあるが、それだけで殺すほど軍も狭量ではない。
「いいえ。どうして?」
「だって、ぼくは……ぼくは、人じゃ、ない、から……」
泣きそうになりながら少年が話した言葉を聞き、フラムは目を見開いた。が、少年が俯いていたせいで、それは悟られずに済んだ。
「どういうこと?人じゃない、って」
「ぼく……の、体の中には、ネウロイのコアがある。だから、もう人じゃないし、ウィッチにも殺されちゃう、って言われて……」
鼻水をすすって、少年が続ける。逸る気持ちを抑えながら、あくまで冷静に続きを促そうとするフラム。
「言われたって、誰にそんなことを」
「わかんない……知らない場所に、知らない大人の人に連れてかれて……その人たちに、コアを移されたんだ」
「連れて行かれた……キミの体にコアが移された時の……いや、その前から、思い出せる所まででいいから、教えてくれない?」
「うん……知らない人に病院みたいな所に連れてかれて……何をするのって聞いたら『君はこれからイダイナソンザイになる』、って言われて、寝ちゃったんだ。それで目が覚めたら、頭が痛くて、『君の体にネウロイのコアを埋め込んだ』って……」
「……それより前のことは?」
「よく覚えてない……あの日から、思い出せないんだ……お姉ちゃん?」
少年の訝しむような声でフラムが我に返ると、あまりにも力が入ってしまったのか、握っていた金属の手すりに指が食い込んでいた。慌てて手を振り、平然を装う。
「な、なんでもないわ……でも、見る限りナナバン君の体はネウロイみたいにはなってないみたいだけど?」
過去の恐怖を思い出しているのか、少年は顔を青ざめさせつつも、ぽつりぽつりと話す。
「うん……それから、ぼくと同じ……コアを埋め込まれた子たちが集まって、『ウィッチは敵で、君たちを殺す』とか、『君たちはもう人じゃないからだ』って教えられた……すごく怖かったけど、1人以外はネウロイみたいになれなくて、『シッパイサクだ』って怒られて……みんなでバラバラに逃げ出したんだ」
「だから、この街にいたのね……その、ネウロイみたいになれた子は、どんな子だったの?覚えてること、教えてくれないかな」
「で、でも……お姉ちゃんは、ウィッチなんでしょ?」
うっ、と言葉を詰まらせるフラム。確かに、少年が先程聞いたウィッチのイメージを抱いているならば、わざわざ似た境遇の者のことは喋ろうとはしないだろう。
「え、えぇっと……実は、私達は特別なウィッチなの。キミを見つけても殺さないのは、キミと、キミと一緒にその『病院みたいな所』から逃げてきた子を、助けるのが目的だからなの」
あえて笑顔を見せ、警戒心を解きほぐそうとするフラム。情報を引き出すためとはいえ、(フラムも似たりよったりだが)年端もいかない少年を騙すことに抵抗は覚えたが、少年の言葉にはそれほどに価値があった。
「覚えてる?キミがさっきネウロイに捕まってた時に、私が助けたの。キミの言うとおりの目的なら、わざわざ助けないでしょ?」
「そ、そうかも……」
「ね?だから、その子のことを教えてくれない?外見……どんな見た目だったか、だけでもいいから」
「うん……えっと、まず髪が……っ、うわぁぁ!」
「うわっ、と」
少年が話し始めようとしたその時、階段が揺れ、2人はしゃがみ込んだ。おそらく、ネウロイが自分(あるいは少年か?)を狙って、ビルそのものか柱に体当たりでも仕掛けたのだろう、と推測するフラム。
「……あともう少しだし、説明は屋上に行ってから聞くわね。私の仲間と合流できれば、もう安全よ」
「う、うん……」
頷き、少年は手すりを手がかりにして立ち上がる。が、その両足は小刻みに震えていた。彼の意識に刷り込まれたものの大きさに複雑な感情を覚えながら、安心させるように手を握り、ぐらつく階段を登っていくフラム。
「よ……いしょ、っと。ネウロイは、居ないみたいね。ほら、今のうちに出ましょう」
錆びついた鉄製の非常扉をフラムが押し開けると、2人の前に屋上が広がる。床の所々に穴が空いているのを見るに、航空ネウロイの攻撃でもあったのだろうか。
「わ、わかった」
「さっきはボイドが上にいたはずだけど……あ、いた!ボイド!うっ……」
フラムが周囲を見渡していると、ビルの前の空間に、レーザーの勢いに押されたジャニスが飛び上がった。声を張り上げて呼ぶが胸に痛みが走り、その場にうずくまる。
「くっ……あ、フラム!よかった、無事……じゃ、ないみたいだね。大丈夫?肋骨?」
「多分そう……ネウロイは?」
「フィーネがこのビルの前の道路に抑えつけてる。ジャミングで通信は取れてないけど、レイ達ももうすぐこっちに来ると思うから、呼んでくるよ……その隠れてる子が、さっき見たって子?」
ジャニスがそう言って背後を指したところで、フラムは背後の少年の存在を思い出した。振り返ると、少年は鉄扉の影に身を隠し、恐る恐るという風にジャニスを覗き見ていた。
「そう。ほら、何もしないでしょ?この人も私の仲間だから、こっちに来て大丈夫よ」
「……うん」
「フラム、ちょっと」
2人のやりとりを見ていたジャニスがホバリング状態で手招きし、フラムを少年から離れた場所に呼ぶ。
(「どしたのあの子、何か訳有りっぽいけど」)
フラムの耳元に顔を近づけ、声を落として話すジャニス。
(「大まかに説明するわ……おそらく、前に遭遇した人型ネウロイと同じ謎の施設で、人体実験を受けさせられていたらしいの。コアが体に埋め込まれたんだけど、ネウロイ化はしなかったって」)
同じくひそひそ声で話すフラムの言葉に、ジャニスが驚いたように短く口笛を吹く。
(「で、どうすんの?一緒にいたってことは、殺すつもりはないんでしょ。保護?」)
(「ええ。基地に連れて行って、その後は……」)
「お、お姉ちゃん!前に!」
少年の叫びに2人が振り返った瞬間、道路に面したビルの壁面から無数の黒い触腕が這い上がってきた。
3人が、亡者の手の如き触腕の先端が赤く光ったと認識した次の瞬間。幾本ものレーザーが屋上をうねり、穴だらけになっていた地面ごとフラム達を襲う。
「フラム!」
片手でシールドを展開し、レーザーから身を守りながらジャニスがフラム達へと手を伸ばす。が、フラムは立ちすくんでいた少年の手を取りに行っていたために、僅かに反応が遅れ、その手を掴むことは出来なかった。
足元が崩落したことで、2人の体は重力に引かれて落ちていく。目下の階は屋上の瓦礫によって床が抜けており、そのまま落ちれば無事では済まないことは確かだった。
「わ……ぁぁあ!」
舞い上がる土煙と埃の中へと落ちるも、フラムが崩れた壁から突き出ていた鉄筋を空いた片手で掴んだことで、2人の体は屋上から5mほどの高さにあった。
「っ、ぐぅ……!」
食い縛られたフラムの歯の間から、堪えきれずに嗚咽が漏れる。自重に加えて少年1人分の体重がかかることで、その肉体には激痛が走っていた。
「……ボイド」
フラムが呟きながら見た頭上の穴からは、継続して襲いかかるレーザーに耐えるジャニスの姿が見えた。
「……フィーネ中尉」
重低音のドラムロールのような、機関砲の独特の発射音が聞こえたことで、姿こそ見えずともフィーネの生存を確認するフラム。
「ぅあぁぁっ!」
間髪を入れずに炸裂音が響き、ビル全体が揺れる。フィーネのミサイルが、ビルに貼り付くようにしていたネウロイに命中したのだろう。体が揺れたことでフラムの体を再び痛みが襲い、悲鳴が上がる。
(「駄目、力が入らない……!」)
痛みによって意識が遠のき始めたことで、フラムの両手から力が抜ける。ただ支えることもままならなくなり、徐々に2人の体が下がっていく。
「……お姉ちゃん、手を離して……このままじゃ、ふたりとも死んじゃうよ!……ボクはもう人じゃないし、死んでもいいんだ!」
フラムの右手にぶら下がっていた少年が、涙ながらに叫ぶ。が、口の端から血を流し、痛みに顔をしかめても、俯いて精一杯の笑顔を少年に向けるフラム。
「……いいえ……私は、キミを守る……絶対に」
「なんで……」
「私、言ったわよね……キミを助けるのが、目的だって。あれ、嘘なの」
「え……」
少年が唖然とした表情を浮かべるが、フラムは続ける。
「この街に来たのも、キミと会ったのも偶然……多分、キミが言う、ネウロイになれたって子と同じ女の子とも、前に遭遇したわ。その時は、迷わず殺そうとした……人型であっても、ネウロイだから」
少年は声も上げずに、フラムの言葉を聞く。
「……ずっと、迷ってた。あの判断は、正しかったのかって……でも、キミのおかげで、本当のことを知ることが出来た……」
自然と、鉄筋と少年の手を握るフラムの手に力が入り、2人の体が持ち上がっていく。
(「私には……
フラムの視線の先で、耳障りな金切り声を上げるネウロイが肉体をよじらせ、黒煙が上がる損傷部を反対に向ける。割れ砕けた窓枠から、ビルの中へとまばゆいばかりの赤い光が差し込んでいた。
「……私は、君が元の人間に戻ることができる可能性を諦めない……だから私は、キミに、今この瞬間を生きることを諦めさせないの!」
胸部の痛みに耐え、集中のために一度深呼吸をするフラム。その全身が青い光に包まれ、頭と尾てい骨の辺りから白いペルシャ猫の耳と尾が生える。
「……隊長命令よ、ボイドっ!しっかり、キャッチしなさいっ!せぇぇえ……のっ!」
「ええ……えぇぇぇぇっ!?」
左手で自分を持ち上げるのと連携させ、右手で少年を垂直方向へと放り投げるフラム。重力に真正面から逆らう動きを強制させられた少年は、抗議の声の代わりに困惑の悲鳴を上げた。
「ちょっ……ったく、無茶するね!」
唐突なフラムの叫びとその行動に困惑するジャニスだったが、シールドを収束したかと思うと、ネウロイからの猛攻を体捌きだけで避け、ふわりと空中を舞った少年の肩を確かに掴む。
「ほい、掴んだよ!……おひゃー!」
少年をキャッチして安堵するのも束の間、更に激しくなったレーザーの嵐によって、体を上空へと無理やり押し上げられるジャニス。
『全く、近づく隙もないですね……!』
ビルの向かいの道路上でネウロイを攻撃していたフィーネも、触腕を活かした多方向からのレーザーによって、接近すらままならない状況だった。
それほどに荒れ狂うネウロイを、フラムはただ1人、ビル内部の鉄筋の上に乗って見、呟いた。
「一般市民の安全を確保し、なおかつストライカーユニットが使えない状況でネウロイを撃破する……難題ね」
そして、制服のボタンを開き、脇にぶら下げていたホルスターからコンバットナイフを抜いた。数週間前に身につけた自分なりの投げ方を思い出し、刃先を右手でつまむ。
「力をお貸し下さい……ペリーヌ・クロステルマン様」
一言、目を閉じてそう言ったフラムは、まるで階段を一つ降りるかのような気軽さで、虚空へと足を踏み出す。
赤い光ーーネウロイのコアの光は、フラムがぶら下がっていた位置よりも下から差し込んでおり、直接視認はできていない。鉄筋の上からナイフを投げても、ほぼ確実に命中しないだろう、と踏んだ上の行動だった。
足を下にして落ちていく中で右腕と右肩を後方に引き、その時を待つフラム。赤い光は徐々に弱々しくなっており、コア周辺の装甲が修復されていることを表していた。
制服は音を立ててはためき、青いリボンにまとめられた金髪もあちらこちらに揺らめく。が、その精神は胸を刺す痛みも忘れ、思考は深海の底の如き静かさを保つ。
集中の源は、ネウロイや少年を襲った謎の組織への怒りか、それとも別の感情なのかフラムはわかっていなかった。心の中にあったのは唯一つ、右手のナイフを正確に投げることだけだった。
赤い光に近づき、フラムは腕の感覚のみに意識を集める。視界を上向きに流れていく景色がスローに見え、崩れた張り出した床を通り過ぎた時、血よりも鮮やかに光るコアが、フラムの目の前に現れる。
「ふっ!」
新たに形成された装甲の隙間から覗くコア目掛け、小さく息を吐き、右腕を全力で振り抜くフラム。
顔を通り過ぎて少しした辺りでリリースされたナイフは、全体に魔法力の青白い光を纏い、真っ直ぐにコアへと飛んでいく。
フラムは、少しでも抵抗が生まれるように両手足を広げ、仰向けの姿勢で落下する。重なり積もった瓦礫に全身を叩きつけられる前にシールドを展開し、軽くバウンド。幸運な事に、落下地点の瓦礫は平坦だった。
「いだっ!……んぐぅ……」
10cmほどの高さから落下し、平らな瓦礫の上で悶えるフラム。涙に滲む視界の端では、白い光がビルの外から差し込んでくるのが見えた。
呼吸が落ち着いた所で安堵の溜息を一つ吐き、横たわるフラム。いつの間に晴れていたのか、吹き抜けと化してしまった屋上から見える青空に小さな影を発見し、フラムの口元に笑みが浮かぶ。
「全く……遅かったじゃない」
甲高い双発型魔導ジェットエンジンの音に、柔らかな口調で呟くフラム。影はどんどん大きくなり、青い空を隠していく。
「ごめん!負傷箇所は肋骨と、後はどこかある?」
「背中もよ。先に肋骨をお願い」
「わかった、ちょっと待ってて……」
レイは即座に瓦礫のない平地に降下し、ストライカーと装備を置いて仰向けのフラムの横にしゃがみ込む。
「……はい、これでいいはず。深呼吸してみて」
両手をフラムの胸にかざし、数十秒ほど治癒魔法を発動させてレイが言う。その通りに何度か深呼吸しても胸の痛みが無いことを確認し、フラムはゆっくりと起き上がる。
「次は背中だね。どこかピンポイントで痛かったりしてる?」
「いや。全体をお願い」
「了解っと……そういえば、あの子のこと、ジャニスさんから聞いたよ……人型ネウロイになれたって子の特徴も、一緒に」
あちこちが破れた制服の背に手を当て、レイが静かに切り出した。その言葉にフラムはこれといった反応も見せず、黙って治療を受ける。
「髪は金髪で短くて、目の色は赤。別れた時に着てたのは、黒いパーカーだったって」
「……聞けば聞くほど、あの時の人型ネウロイと一致するわね」
「やっぱり、あの子は人間だったんだよ!私が治したときだって、肉体は完璧に人間のものだったし……わっ?」
「私に、話させて」
背中の治療を終え、正面に回り込んでまくしたてるレイの顔の前に人差し指を突きつけるフラム。驚きとその後の言葉を受け、レイは押し黙った。
「以前の一件の……あなたの判断は正しかった。あの時あの子を撃ってたら、私は軍人としてではなく、人として大切なものを失うところだった。改めて言うわ、止めてくれて、本当にありがとう」
正座の姿勢になり、深く頭を下げるフラムを、レイは神妙な顔つきで見ていた。
「……そして、ここに誓うわ。私は、あの子をあんな風にした組織を絶対に止める。これ以上、あの子たちと同じような存在を生み出さない為に。たとえ、この命に替えてもね……あなたはどう?少尉」
そう言って立ち上がり、座ったままのレイに勢いよく手を差し出すフラム。レイは、その手をなんの迷いもなく掴み、立ち上がる。
「聞くまでもないでしょ……隊長」
お互いに覚悟の籠もった視線をぶつけ合い、フラムとレイはぐっ、と握手を交わした。
2人はそれから部隊に合流し、多少の苦戦はしつつも(ストライカーが壊れていたフラムは除く)5人でジャミング源である塔型ネウロイを破壊。
聞いたこと、誓い合ったこと全てを部隊の全員に説明し、便宜的に同意を得たのだった。
長らくお待たせして申し訳ありません
やっと受験生の辛さが実感できるスケジュールになり、小説に手を付けられるような状況でもなくなってきているため、次話は少なくとも2月頃まで投稿できないかと思います 伏線張っといてなんですが
気長に待っていただけると嬉しいです