10月21日 午前12時16分 名寄市上空
「ボイド!カバー!」
追従する3体のネウロイのレーザーを急旋回で躱しながら、フラムが鋭く言い放つ。
「わかってるよ!」
ピッタリとフラムに追い縋るネウロイに銃撃を浴びせ、2体を白い破片に変えるジャニス。残りの1体を、身体の上下を反転させた姿勢でフラムが撃ち、追手を砕く。
「ふーう……ったく、面倒くさい動きばっかりしてくるねぇ」
「本当よ。出現しても陸軍の部隊が掃討してくれていたから体感できなかったけど、こうもやりにくいとは思ってなかったわ……」
一度大きく息を吐いて言うジャニスに、フラムが額に浮かんだ汗を袖で拭いながら返す。今2人が破壊したものは、地上の陸戦型ネウロイから射出された子機だった。
すると、2人の無線のチャンネルに気怠げな声が割り込んできた。
『そこは持ちつ持たれつってもんだ。こっちだって、空のネウロイの相手なんて何人でもやってらんねーよ』
「わお、聞かれてた。群長さんって案外暇なの?」
「ひっ……バカ!何言ってるのよ!申し訳ありません
今まさに陸軍の指揮を行っている群長のウィッチの吐き捨てるような言葉に、ジャニスが茶々を入れる。フラムが慌てて言うが、群長は茶々に対してフン、と鼻を鳴らす。
『街中のネウロイの掃討があらかた終わったのを伝えようとしたら、そっちがちょうどお喋り中だったんだ。実際に暇ってのもあるけどよ。ま、そういうわけで、残りは頼むぜフラム大尉』
「はい!みんな、状況は?」
『こちら游隼、A方面はもう少しで殲滅でぉわっ!』
『油断大敵ですよ游隼……フラム、あと3分でそちらに合流します』
『レイです!C方面は確保しましたが、現在アナさんの治療中で……』
『ストライカーの調子が良くない。少し遅れると思う』
「わかった。ボイド、先に私達だけで街の外に出たネウロイを追い立てるわよ!」
それぞれの返答を聞いて口に手を当てた後、振り返って言うフラム。それに、ジャニスはGAU-22/Aを持ち上げて答える。
「りょーかいっ!」
曇天が重苦しく垂れ込める空の下で、名寄市街から離れた山へと向かって飛ぶ2人。ある低い山の山肌に木々が薙ぎ倒された道ができており、その先で黒い塊が蠢いていた。
個体と液体の中間のようなそれは、奇しくもこの2人が過去に遭遇したものと変わらない性質を持っており、ぐにゃぐにゃと形を変えながら山肌を這い上っていく。
「40メートルくらいはあるかな?私とフラムだけで倒すんだったらちょっとキツそうだね」
「今は倒すのが目的じゃないし、街に近寄らせなければいいの。とにかく行くわよ!」
「はーい……よっとぉ!」
進行方向側に回り込み、銃撃を仕掛ける2人。表皮を砕かれたことでネウロイが重く低い声で唸り、上面から無数の触腕で包囲するように2人へと伸ばしていく。
「くっ、鬱陶しいのよ!」
「任せて!」
触腕の先から放たれるレーザーを、複雑な回避機動をとって避けるフラム。その横にいたジャニスが、包囲の隙間を掻い潜り、本体に一気に肉迫する。
「まとめて、吹っ飛べぇっ!」
両ストライカーのウェポンベイを展開し、無数の腕の根本へと残っていた3発ずつのミサイルを全て放つジャニス。連続して破裂音と破砕音が鳴り響き、根本が断ち切られた触腕が空中に消えていく。
「ナイス!今のうちに……!」
ジャニスの攻撃によって包囲が解けたのを見て、フラムも本体へと接近する。が、ネウロイは怒りの叫びを上げ、修復されている表面から全方位にレーザーを撒き散らした。2人もこれには手を出せず、レーザーの合間を縫って距離を取る。
「往生際が悪い奴ぅ」
「むしろ、潔く倒されたネウロイなんて見た覚えがないわよ」
「あー、確かに……って、こんな話してる場合じゃなさそうだ」
フラムの返答に納得したのか、ウンウンと数度頷くジャニス。その目下では、表面の白点がほぼ消えたネウロイが山の頂上に上りきっており、再び2人に触腕を伸ばそうとしていた。
「今度はどうやって攻撃しようか」
「残弾はどれくらいある?」
「あと4〜5秒掃射できるかできないかってとこ」
「微妙ね……コアの位置もまだ掴めてないし、歯痒いけど今はみんなを待つのが得策かしら……ん?」
「もしかして!」
フラムがそう言い、連絡をとるためにインカムに当てた手に、水滴が付いた。自分の手にも水滴が付き、空を見上げて言うジャニス。
初めは少し間隔をおいてフラムとジャニスに付いていた水滴は、音もなく、絶え間なく降り注ぐようになる。2人は、雨に打たれ始めた。
「やっぱり、雨だ!ってことは……」
これ幸いと言わんばかりにジャニスが見下ろすと、ネウロイの肉体には雨によって白い斑点がいくつもできており、次第に蜂の巣のように穴だらけになっていった。
「全弾撃ち尽くしてもいいから、逃げられる前に仕留めるわよ!」
「ラジャー!」
修復が追いつかないのか、全体が白くなりながらもネウロイが撃ってくるレーザーを躱し、別々の方向から接近する2人。朽ちた木のように崩れた表面を先行するジャニスが容赦なく削り、大きな断裂を作る。
すると、中心部から白に混じって赤い光が漏れ、コアである正十二面体が顔を出した。ジャニスと交差する針路で飛んでいたフラムはそれを見逃さず、残弾を使い切る勢いでコアに機関砲を掃射する。
DEFA791から放たれた音速の弾丸にコアを貫通され、弾性を一気に失ったネウロイの残滓が、山肌にだらしなく広がって消える。
上がった息を整えていたフラムは、完全に消滅したネウロイのいた山と名寄の街並みを交互に見て、近づいてきたジャニスと無言でハイタッチを交わす。そして、大きく息を吸い込み、オープンチャンネルで言った。
「こちら、フラム・ローズキャリー大尉……敵大型ウロイの撃破に、成功しました……!」
噛みしめるようなフラムの言葉で、無線越しに歓声が沸き上がる。10月21日午前12時42分、北海道名寄市は、実に5年ぶりにネウロイの支配下から解放された。
同日 午後1時48分 千歳基地第2食堂
お茶の入った紙コップを持ったフラムが咳払いを一つし、6人の前で話し始める。
「……みんな、今日はお疲れ様。みんなの奮闘の甲斐もあって、今日、無事に名寄市を奪還できたわ!」
フラムがコップを持つのとは反対の手を高々と掲げながら言い、正面の面々もそれに応じて歓声や指笛で喜びを表現する。レスポンスに満足気に笑みを浮かべてから手を前に出して一度制し、静かになったところで再び口を開くフラム。
「……さて。今日の作戦が成功したことで、予定通り稚内奪還作戦の開始日は10月31日に決まったわ」
「ちょうど10日後ですね」
腕時計に表示されていた日数を確認して言うフィーネに、フラムが首肯する。
「そう。陸軍は名寄の駐屯地から、私達は旭川の基地から出撃して、一気に巣を叩く……きっと厳しい戦いになるでしょうけど、私達なら成功させられる。絶対にね」
「言い切るね」
「自信満々って感じだね」
決意の籠もった表情で言うフラムを見て、ジャニスとアナが茶化すように話す。少し頬を赤くしつつ、コップを高々と持ち上げるフラム。
「そこ!静かにしなさい!……それじゃ、今日の作戦成功を祝して!乾杯っ!」
「「「「かんぱーい!」」」」
「「乾杯」」
フラムの音頭に合わせ、コップを突き合わせる6人。食堂の長テーブルの周りに行き、全体に置かれたオードブルを食べ始める。
「美味しい〜!これ、游隼さんが作ったんですか?」
「そんなわけないでしょ。帰ってきてすぐお風呂に入って、まだ上がってから1時間も経ってないんだから、いくら李大尉でもこんな量を作るのは不可能よ……でも、確かに美味しいわね」
ザンギをつまんで頬を緩めるレイにフラムが突っ込み、区切りのあるプレートに料理を取っていた游隼が答える。
「食堂の人達が作ってくれたんだ。フラムの言う通り、帰ってきてから作る時間は無さそうだったから困ってたら、『自分達にお任せ下さい!』『広報の日の恩を返させて下さい!』ってね」
「そういえば、李大尉は体験喫食の手伝いをされていましたね」
懐かしげに語る5人を、フライトポテトをつまみながらきょとんとした表情で見ていたフィーネに、アナが近寄って話す。
「……フィーネが来る前に、ここの基地の広報イベントがあったんだ。そこで、装備品展示や展示飛行をしたり、整備作業を公開したりした」
「なんと!参加された方々が羨ましいですね」
「で、游隼は一般向けに開放した食堂の手伝いをしてた。メニューの考案とか、調理も」
「游隼さんの料理が食べられたとは……そこも羨ましい限りです」
「いや、毎日食べてるじゃん」
アナの話で肩を落とすフィーネを見て、ジャニスが呆れたように返す。その言葉に「それもそうですね」と納得し、空になった皿にペンネグラタンを取りながらフィーネが何気なく聞いた。
「他の皆さんはなんの催しの担当だったんですか?」
途端、自然にジャニスとアナに視線が集まり、2人は互いに誰もいない方向に目をやる。いかにも答える気がなさそうに口笛を吹くジャニスを見て、フラムが切り出した。
「あー……私は、展示飛行の担当だったわね」
「私は案内役でした」
「私もフラムちゃんと同じで、展示飛行でした!やる直前にネウロイが来ちゃって、結局そのまま応戦に行ったので、実際はやらず終いでしたけど」
残念そうに語るレイの話を聞き、ふんふんと頷くフィーネ。次に、まだ答えていない2人の方へと顔を向ける。
「なるほど……では、ジ──」
「いやー!あの時のネウロイは大変だったね!小型のくせにステルスで、やたらすばしっこくてさー!だいぶ時間かかっちゃったよー!」
「そうでしたか。ア──」
「だったよね!アナ?」
フィーネの言葉に重ね、勢いよくまくしたてるジャニス。続く言葉にも重ねるようにキビキビとした動きで振り返りながら言うと、アナも相槌を打つ。
「大変だった。母機を倒さない限りいつまでも分裂してきたし、分裂した個体もステルスになるのとならないのがいて数と位置の把握も難しかった。幸い、カニンガムの魔導針で捉えられたから時間をかけて倒せたけど、なかなか脅威的なネウロイだったね」
アナにしては非常に珍しい長広舌に、神妙な面持ちを浮かべるフィーネ。
「アナさんがそこまで評価するとは、かなり面倒な敵だったのでしょう……しかし、聞けば聞くほど楽しそうなイベントだったようですね。次の機会には、私も参加したいものです」
「ふぃーふぇふぁんふぁふぃふぇふふぇふぁ……」
「せめて口の中のものを食べ終わってから話しなさいよバカツガイ!行儀も悪いし、何言ってるか全然わかんないわよ!」
パンを口いっぱいに頬張ってモゴモゴと話すレイを、フラムが怒鳴りつける。
「……フィーネさんが来てくれた分できることの幅も広がりましたし、来年はきっと、更にボリュームアップしたお祭りができますね!」
叱責を受け、慌ててコップのお茶でパンを流し込んで再び話すレイ。明るい笑顔を浮かべた彼女の言に、5人は表情を固くして言葉を詰まらせるが、フィーネはそれに笑顔で賛同した。
「そうですね、私は何を任されても大丈夫ですよ。整備と飛行は勿論ですし、お料理も手伝える程度には出来ると思いますので」
「生憎だけど、昼寝してるような暇は無いよ」
自信満々な発言に小さく笑いながらアナが言い、隣のカニンガムもそれにつられて微笑む。
「いえ、スケジュールを調整すれば時間を確保するのは可能ですよ。もし本当にするのであれば、『担当者仮眠中につき現在休止』といった立て札でも設置しておきましょうか」
「そんな、動物園じゃないんだから……フィーネもそれは嫌でしょ?」
「ふむ」
微笑み混じりに冗談を言うカニンガムに少し驚きつつ、游隼が2人を諌めてフィーネに問う。当の本人は大真面目な思案顔を浮かべ、閃いたように游隼に返す。
「……悪くないかもしれません」
「悪くないの!?」
「ふっ……くく……あっはっは!」
予想外の答えにずっこける游隼を見て、一連の流れに参加せず見守っていたジャニスが吹き出し、その笑いが全員に伝播する。
外では大雨と共にゴロゴロと雷が鳴り響く中、それ以降の祝賀会は楽しげなムードで執り行われた。
同日 1時3分 名寄市市街地
『こちらシバ。何も無かった』
『
『
ヘルメットのライトを点灯させ、埃が積もった家屋の中を捜索していた少女の耳に、三者三様の報告が返ってきた。インカムに手を当てて短く返信しつつ、チャンネルを切り替える。
「こっちも……えー、こちら
『ご苦労。捜索を継続せよ』
「了解、みんな集合して……お邪魔しました〜」
リビングを抜けて家の中へと軽く会釈をし、玄関の扉を閉める少女。家の前の通りには、既に3人のウィッチが集まっていた。
「大通りの方は2小隊が行ってるし、次は向こうの西2条南ね。ちゃっちゃと終わらせて、とっとと基地に戻るよ」
「ういーっス」
「了解です」
指示を出し、ストライカーの履帯を展開して道路の真ん中を進んでいく真木の後ろを、3人が追う。
「はぁ……戻っても基地の設営作業が待ってる……めんどくさい……」
真木の右隣にいた小柄な1人が、合羽の下でげんなりとした表情でこぼす。その声は殆ど履帯と雨の音に掻き消され、後ろの2人の耳に直接は届かなかったものの、真木はしっかりと聞いていた。
「そう言いなさんな、シバ。この雨だし、ずっと濡れっぱでいるより良いじゃん?」
右に顔を向けて返す真木。彼女の言う通り、フラム達がネウロイを撃破する活路を開いた、言わば恵みの雨は、今は激しく4人を濡らしていた。
「それはそうだけど……マキシ、ちょっと休んでもよくない?」
「戦闘終わってすぐ始まったしね。うーん……じゃあ、こうしよう。みんな、次の捜索の時にちょっとサボろうよ」
後方へと振り返り、真木はなんの戸惑いもなく大声で言った。腰を軽く曲げ、両手で各々の得物を保持していた2人が、えっと声を上げる。
「……それって、大丈夫なんスか?もしバレたら全員大目玉っスよ」
「私も同感です。やめておきましょうよ真木准尉」
「平気平気。これだけ広い上に雨も降ってるんだし、少しくらい休んでても不審に思われないって」
心配そうな与座と岡島の忠告も気にせず、謎の自信に満ちた様子の真木が平然と言う。こうなっては簡単に止まらないことを理解していた2人は、顔を見合わせ、諦めたように苦笑いを浮かべた。
「はーあっ、と。一応止めたっスからね」
「もし怒られたら、焼肉奢ってもらいますよ」
2人の返事を聞き、真木が微妙な表情でシバの顔を見る。
「……割り勘ね、シバ」
「マリーは別にいいけど……ザキは考えて食べてね」
「嫌です」
与座にそっぽを向かれ、歯噛みするシバ。それを見て笑いつつ、交差点に差し掛かった所で止まる真木。
「あはは……ま、バレなきゃいいの。それじゃ、分かれようか」
「2軒くらい見たら……サボる」
「早いっスね〜」
「ちゃんと調べ終わらないとバレますよ」
「はいはい、お喋りは合間にだけ」
四方に分かれつつ、片足ずつ上げて歩行用の足を展開し、家屋へと入っていく4人。真木は、豪邸と呼んでも差し支えないであろう洋風の一軒家の敷地へと歩いた。
「お邪魔しますね〜っと。ひょ〜、こりゃ凄いや」
真木が、89式小銃のライトを点灯し、洒落た扉を開いて呟く。萎れた花の入った花瓶や額に収められた洋画など、玄関の時点で既に漂っていたある種の風格に若干圧倒されながら、ストライカーを履いたまま家の中に上がった。
「こう広いと、誰もいないのを探すのすら大変だ」
雨合羽を脱いでバックパックに掛け、水滴の付着したゴーグルも首元までずり下げる。ようやく鮮明になった視界で、埃の積もった床を慎重に眺める真木。埃の凹凸や砂利などの痕跡が無いかライトで照らしながら確認し、ゆっくりと歩く。
立派な家具や大型テレビの並ぶ居間を抜け、台所の奥へ。階段の一段目から三段目ほどまでに異変がないことを確認し、2階より先にトイレや洗面所のある方向へと進んでいく。
冷蔵庫や戸棚から漂う強烈な腐臭で空気は淀んでいたが、真木は平然と歩を進める。軍の方針により、幾度となくこうして棄てられた家屋の捜索をしてきた北海道の陸戦ウィッチ部隊の隊員にとって、それは最早障害とすら認識されていなかった。
「!」
ある物を見つけた真木の驚きが、声になる直前に本能的に一瞬息を呑む段階で留まった。洗面所のさらに奥、風呂の入口らしき半透明のガラス戸にライトを当てると、そこに黒いシルエットが浮かんで見えたのだ。
光を当てても動く気配はなく、上端が真木の腰程度の高さしかないため、縦横1mもあるかといったところ。ネウロイだとしても厄介な相手ではない。インカムに手を当て、通常の会話より抑えた声で話す。
「……真木より各員へ、不審物を発見。活動を停止しているようだが、今の所正体は不明。これより接触を試みる。シバ、一応来て。場所はわかるよね」
『当然。行く』
シバのごく短い返答を聞き、真木は極力音を立てないように埃を踏みつけ、一歩ずつ風呂へと近づく。光が強くなってもシルエットは微動だにせず、一層得体の知れなさを感じさせた。
合羽とバックパックを一緒くたにして置いてから、一度ドアの前を横切って壁にぴったりと体を付け、手前にあった白いノブに右手を軽く掛ける真木。家を打つ雨音のみが静かに響くなか、音を立てずに深呼吸をし、ぐっと手に力を入れる。
その時、窓から白光が差し込んだ。しめたと心中で叫び、真木は待つ。案の定、一瞬遅れて空気を震わせる雷音に合わせ、ゆっくりとノブを回してドアを押し開ける。
わずかにドアが開いたのを見て、89式小銃を両手で保持する真木。そのまま10秒ほどドアの下半分に狙いを定めるも、隣から何かが動いた気配は伝わってこない。
ドアへと構えた銃を軸にして回転するように、真木はゆっくりと元きた洗面所の方へと移動。ドアの隙間から黒い物体を照らすと、光は物体の表面でネウロイの金属質なそれとは異なる反射をし、不規則な模様を真木の目に映し出す。
(「服?」)
黒い物体の表面を見て真木が第一に想起したのは、衣服だった。ひだともシワともつかない模様は、一定の硬度を有す多くのネウロイには真似のできず、衣服によく見かけるものだ。
事実、彼女は今日までの捜索活動で、逃げ遅れたかあえて選んだのか、服を着たまま亡くなり白骨化した遺体を幾多と見てきた。それらの前例を思い出したことで、真木の全身の緊張が少しだけ解れる。
意を決して足でドアを押す真木が、徐々に明らかになった黒い物体の全貌に息を呑む。予想は、半分だけ的中していた。それはネウロイではなく、スウェット生地のパーカーだった。
しかし、だぼっとしたパーカーの裾から伸びていたのは、マネキンと見紛うほど白く、傷や腐敗などが一切ない生きた人間の足。真木はその足を見てある事を思い出し、途端に心臓が早鐘を打ち始めた。
真木の脳内に浮かんでいたのは、数ヶ月前に空軍のウィッチ部隊が遭遇し、取り逃がしたという人型ネウロイの実験体の少女の特徴だった。
少々体のサイズより大きい黒いパーカーに、白い肌。細い足も年端も行かぬ少女のものと考えれば、一致している。ウィッチでもないのに、寒い北海道で下半身にズボン以外の防寒着がないことも、所在不明の実験施設から逃げ出したという話を聞いていれば頷ける。
目まぐるしく回転していた真木の思考は、直面した謎の人物の体が小さく跳ねたことによって堰き止められた。浴室の床に座り込んで浴槽の縁に突っ伏すような姿勢から、謎の人物は頭を持ち上げ始める。
話によれば、ネウロイのコアが埋め込まれたために自由飛行(ともしかするとレーザー放射の)能力を有しており、覚醒状態に陥ると全身から赤い光を発して能力を使用するという。
目の前の少女は発光などしていないが、真木は漠然とした危機感を感じ、ドアから数歩離れて89式のライトで全身を照らした。安全装置を解除し、じっと待つ。
眠っていたのか、眠たげに顔を上げた少女は、ライトの光を見てヒッと悲鳴を上げた。そして、光から逃げるように踵で床をずりずりと擦り、壁を背にしているために立ち上がりかける。だが、足がすくんでしまったのか尻餅をつき、俊敏な動作で光へと背を向けて全身を丸めて縮こまった。
「わっ……て、驚いてる場合じゃないんだ。君、大丈夫?」
真木は行動の速さに呆気にとられていたが、ぶるぶると震える少女に慌てて駆け寄る。浴室全体を明るくするために89式のライトを取り外して窓枠に置き、少女の肩にそっと触れる。
「うぉう、抵抗するね。でも、元気は無さげと」
肩に触れてきた真木を、腕をぶんぶんと振り回して拒絶する少女。しかしその動作に限らず少女の行動は一つ一つに力があまり入っておらず、手もすぐに床に落ちる。
「ちょっとごめんよ……うーん」
一応断ってから少女のフードを上げ、顔色を確認する真木。少女はフードを抑えて精一杯の抵抗を見せたが、それもすぐにやめ、真木のされるがままに受け入れる。
(「唇が乾燥してないのは残り湯を口にしてたから?でも血色は悪いし、目も虚ろだ」)
「えーっと、ちょっと待ってね。この辺に……あった。これ、飲みなよ」
離れた場所に置いたバックパックの中を漁り、ゼリー飲料の入ったパウチを取り出す真木。飲み口のキャップを回し開けて勧めると、少女は嬉しそうに手を伸ばしたが、取る直前で疑うように目を細め、ぐいと押しのける。
「警戒心が強いなぁ。毒や薬なんか入ってないのに……ほらね」
逆さにしたパウチからゼリーを絞り出し、少量口内に注ぐ真木。すぐにごくんと飲み下し、危険がないことを少女に証明する。再度勧められたパウチを渋々受け取り、少女は疑いの目を真木に向けつつ猛烈な勢いでゼリー飲料を吸う。
「……さーてと。どうしようか、これから」
「どうもこうもない。連れて行くしかない」
独り言のように真木が呟くと、シバが背後の暗闇からぬるりと顔を出し、少女がぎょっと目を剥いた。
「あ、このお姉ちゃんも私の仲間だから大丈夫。安心して……じゃ、報告しますか」
「ん」
シバに怯える少女に手を振って言い、害意がないことを伝えてから、インカムを叩く真木。
「こちら、第3小隊真木。西2条南、H4地点の住居にて"対象A"と思しき生存者を発見しました。健康状態は不安定ですが、見た所ネウロイ化はしていません」
『……よくやった。大切な客だ、なんとしても無事に連れ帰ってこい。ただし、その区画の捜索は終わらせてからな』
無線越しの低い声が、どこか安心したような声色で告げる。短く返答を残して無線を切り、シバと向かい合う真木。
「了解……シバ、あの子のお目付け役頼める?私達が捜索してる間、一緒にいてくれるだけでいいから。サボる大義名分にもなるでしょ」
「任せて。しっかり見ておく」
サボるという単語を聞き、力強く首肯するシバ。少女はというと、空腹が満たされたからか、体育座りの姿勢でこっくりこっくりと舟を漕いでいた。
「……逃げ出すことも無さそうだし」
「みたいだね。ま、そういう訳で」
89式とライトを回収してバックパックを背負い、合羽を羽織る真木。洗面所を抜け、玄関先に立て掛けてあったストライカーに脚を通す。扉を開け、なるべく静かに家から出て扉を閉じた。
草の生い茂る道を通って道路へと出たところで家に振り返り、真木がひとりごちる。
「あんな子がネウロイになるなんて、にわかには信じがたい話だけど……もしもその時が来るんだったら、せめて私達から離れた所で頼むよ」
悲しさを感じさせる声は、灰色の空から降り注ぐ雨の音によって掻き消され、誰の耳にも届くことはない。
北海道に、嵐が訪れていた。
25日に公立の試験があるんですけど僕は大丈夫なんでしょうか
多分大丈夫ですね(白目)