と前書きを書いた数時間後にまた休校が決まりましたので、なんとかストックを増やしていこうと思います。
ある日の午後。食堂のテーブルにて、戦いが繰り広げられていた。
「あいこで……しょ!しょっ!しょっ!」
良く通る声で食堂全体に音頭を響かせながら、勢いよく腕を振り下ろし、握り拳の形を変えるジャニス。その周りの席には、悔しげながらもどこか期待をこめたような眼差しのレイとフラムに、ジャニスの戦いをじっと見守る游隼とアナ、そしてその正面の席に──仏頂面のまま機械的に腕を振り下ろし、手先の形を変えているカニンガムが鎮座していた。
「うわぁー!負けたー!」
何度目かのドローが続いた後、ついにカニンガムの手のひらがジャニスの拳を打ち砕いた。非常に残念がるジャニスと違い、意外そうに自分の手を眺めるカニンガム。
「……勝ってしまいました」
「初参加でしたよね、カニンガムさん。まさか勝ち残るなんて……」
レイが若干驚きを含んだ声で言う。カニンガムが勝ったジャンケンによる戦いとは、週末に札幌市へと外出し、隊員それぞれの嗜好品や生活用品を買ってくることができる権利、言わば「買い出し権」を決めるものだった。
これまでカニンガムは「仕事が残っているから」「ネウロイが来たから」と権利争いの参加を断ってきたのだが、この日は仕事量も多くなかった上にネウロイも来ていないということで、フラムに半ば強制的に参加させられていたのだ。
「よし、よく勝ったわねカニンガム!ボイドが悔しそうな顔を見てるだけでいい気分だわ!」
「左様でございますか?」
高笑いと共にどこか的はずれな称賛を送るフラムに、カニンガムが小首を傾げる。
「……先に私に負けたじゃん」
「フン!カニンガムが勝ったってことは、私の勝ちと同じなのよ!」
「はいはい、二人とも落ち着いて」
口を尖らせて言うジャニスに、どこかで聞いたような暴論を展開するフラム。話が進まなくなると察したのか、いがみ合っている二人の間に游隼が入り、強引に話をまとめる。
「ごほん……じゃ、今日はアナとカニンガムが行くってことで。みんな良いよね?」
「勿論よ!」
「異議なーし」
「はい!」
「オッケー」
「了解です」
それぞれの賛同の言葉を聞き、游隼が一つ頷いて言った。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「「行ってきます」」
「どう、乗ってみた感想は。確か、これに乗るのも初めてだったはずだけど」
「……これは、中々に爽快ですね」
甲高いエンジン音と風を切り裂く音が響いている中、若干高揚気味なカニンガムの声がアナの耳に届く。数十分ほど前に3人から勝利をもぎ取ったカニンガムは、現在アナの駆る大型バイクのシート後部に座り、アナの体に抱きついていた。
「それに、不思議な感覚です。普段はもっと速く飛んでいるというのに……妙に、緊張してしまいます」
「周りに物があるから、スピードを感じやすい。風の影響とかもあるのかもしれないけど」
アナは一般道のためあまり速度を出していなかったが、等間隔で並んでいる電柱や、道路脇に生えている木が後方へと流れていく光景が、車に乗っている時に見るそれとはまるで違うようにカニンガムは感じていた。
「この辺りは建物がないから、飛んでる時と風景がそう変わらないけど、町の方まで行くと結構面白い。みんなそう言ってた」
「……スリャーノフ大尉、普段に比べて随分と饒舌ですね。なんというか、意外です」
「そう?……バイクは楽しいから」
言われて気づいたのか、少し恥ずかしそうに返すアナ。声色自体は変わらないが、口数と内容が普段よりも明らかに増えていたのにカニンガムは気づいており、くすりと笑みを浮かべる。
「それより。カニンガムは行きたい場所は無いの?買いたい物とかでもいいけど」
恥ずかしさもあったのか、アナが話を切り替える。名目上、二人は「買い出し」に札幌市へと行っていた。が、しばらくは雪の影響で隊で唯一車の免許を持つ游隼が引っ張りだこだったため、実質的にはアナの久々のツーリングも兼ねていた。なので、游隼のように嗜好品のリクエストをしないのも自由であった。
「今の所必要なものは揃っていますし、もともと行くつもりもありませんでしたので、皆さんのようにこれと言った何かがある訳では」
「そう。まあ、行ってから何か欲しい物ができるかもしれないし、今は無理に考えなくても大丈夫」
「そう言って頂けると幸いです……では、もうしばらくはこの旅路を楽しませていただきましょう」
次々にやってくる木々や対向車に目を細めながら、カニンガムが言った。
高速道路で札幌へと到着し、札幌駅付近のデパートでレイのリクエストの丸い牛乳プリンとジャニスのリクエストのスフレチーズケーキを買った二人は、そのデパートの別の階にある書店に来ていた。
「しかし、ああは言ったものの……何も浮かびませんね」
雑誌が平積みされている棚の前で、カニンガムがひとりごちる。ファッション誌を手に取りパラパラとめくってみるが、琴線には引っ掛からなかったようで元の場所に戻した。
「何か、無いものでしょうか……む」
ふと、一冊の本がカニンガムの目に留まり、取り上げられる。
「収穫はあった、カニンガム」
会計を既に済ませたのか、厚みが生まれている書店の袋を持ったアナが声をかける。それに反応し、カニンガムが持っていた本を見せた。
「それは……」
カニンガムの手に持たれていた本の表紙には、何かを煮込んでいるらしい写真と、その本の内容がとても簡単であるという煽り文が書かれていた。つまり、カニンガムが持っていたのは料理本であった。しかも、ごく基礎的な。
「李大尉ほどでなくても、人並み程度には出来るようになっておきたいと思いまして」
「へえ……私も読んでみようかな」
「では、実践の機会があれば一緒にやってみましょう」
その後もいくつかの料理本を見比べた後に最初の本を買ったカニンガムは、次に、同じフロアの紅茶専門店を訪れた。
フラムのリクエストした紅茶を探しに店を訪れたカニンガムが、様々な銘柄の茶葉が並ぶショーウィンドウを見て、小さく感嘆の息を漏らす。
「……これは、良い品揃えですね。インド、スリランカに清も。オストマルク産のものなど、扶桑ではそう手に入らないと聞きました」
「ありがとうございます」
にこやかな表情を浮かべる店員とカニンガムがすぐさま紅茶について語り合い始めた横で、アナが退屈そうに周囲を見渡す。そして何かを見つけたのか、カニンガムに小さく断りを入れてから、紅茶専門店の並びの先にある店へと駆けていった。
「……後は、こちらの祁門紅茶などはいかがでしょうか。ネウロイによる被害で少し前まで製茶工場が閉鎖されていたんですが、最近やっと市場に出回るようになったんです。渋味が少なく甘味が強いので、おすすめですよ」
「では、それも買わせていただきます」
「ありがとうございます。では、こちらもお付けして……」
数分後、3種類の茶葉が入った紙袋を持ったカニンガムが振り返ると、アナが少し離れた位置でビニール袋を抱えて佇んでいた。
「済んだみたいだね」
「はい。それは?」
袋の口を広げ、中身を見せるアナ。その中には、「Sapporo Whisky」と書かれたラベルが貼ってある、琥珀色の液体に満ちた四角い瓶が入っていた。
「ウイスキー。游隼と一緒に飲もうかと思って」
「なるほど。でも、良いのですか?スリャーノフ大尉はあまりアルコールが得意ではなかったと記憶していますが」
「……ちょっとでも飲めればいい」
「そうですか。では、残りを買ってしまいましょう」
どこか不貞腐れたように言うアナに、それ以上の追及もせずに提案するカニンガム。特に異論が出なかったため、二人はそのまま基地で切れていた日用品等を買い、デパートを出た。
「ふう。なんとか入った」
駐車場にあるバイクに、購入した品々をトランクに積み込み終わったタイミングで、アナが言う。リアトランクと左右の小さな収納スペースも2つとも使い、なんとか積むことができた。
「帰りましょうか」
「そうだね」
アナがフルフェイスヘルメットを被って先に青いバイクにまたがり、エンジンをスタートさせる。低い唸り声のようなエンジン音が安定したところで、球体を半分に割ったようなヘルメットを被ったカニンガムがその後ろに乗り込む。
「出るよ」
大型バイクをすいすいと操り、車がちらほらと止まっている駐車場から出ていくアナ。通りに出て信号待ちをしている時に、ふと、空を見上げて言った。
「今日は天気が良い」
「言われてみれば、確かにそうですね。朝からずっと快晴でした」
カニンガムも同じく空を見上げる。薄く消えかかっているような小さな雲以外には浮かんでいるものはなく、真っ青な空が広がっていた。
「ツーリング日和というものでしょうか」
「そうかもね」
林立するビル群を、隙間から差し込んでくる陽光に目を細めながら眺めるカニンガム。時折対向車線の車も交じりながら、様々な店舗や会社のビルが軒を連ねる町並みが流れては背後に消えていく景色は、どこまでも続く自然とはまた別の生命力に満ちていた。
バイクの速度が落ち、止まる。正面は大きな歩車分離式の交差点となっており、信号が黄色から赤に変わるところだった。必然的に、車の流れが堰き止められた。
ふと、カニンガムの耳に、無数のエンジン音に混じって泣き声のような音がかすかに届いた。半ば無意識にその声の主を探そうとカニンガムが左右を見回すと、二人の左後ろの歩道で、母親らしき女性の隣で泣いている少女がいた。
見たところ外傷はなく、どこかを押さえて痛がっている訳でもない。女性も、どこか少女をたしなめるような表情でしゃがんでいた。少女は涙を拭う手とは逆の手で天を指しており、カニンガムはその方向に目をやった。
すると、そちらに赤い風船がふわふわと浮かんでいた。おそらく、既に街路樹よりも高い位置にあるそれを惜しんで少女は泣いていたのだろう。正面をちらりと見ると、歩道の信号の切り替わりにはまだ余裕がありそうだった。一瞬の逡巡はあったものの、カニンガムはすぐに動き出した。
「大尉、少し降ります」
「え?」
カニンガムの言葉に、声を上げるアナ。突然の降車宣言を聞き間違いだと思って聞き返す声と、「降りる」という単語に反応し、その判断に対しての疑問の声だった。
「ちょっと、カニンガム」
アナの声も気に留めず、バイクから車道に降り、ヘルメットを外してアナに渡すカニンガム。あまりに当然のように差し出されたヘルメットをつい受け取ってしまったアナに、カニンガムが冷静に言う。
「すぐに戻ります」
そして、ガードレールを飛び越え、歩道へと走っていく。風船は更に上昇し、横の三階建てのビルの真ん中ほどの高さを漂っていた。
(「あの高さでは、おそらくただジャンプしただけでは届かない……」)
「ほら、また新しいの貰ってあげるから……んっ?」
母親らしき女性が子供をあやしている横を、疾風のような速度で駆け抜けるカニンガム。当然ではあるが、女性は見知らぬ人物に横を走り抜けられたことへの驚きの表情をしていた。
ひょろん、という音とともに、カニンガムの頭と腰に黒猫の耳と尻尾が生える。速度を維持したまま飛び上がり、ビルの入り口の庇の上に飛び乗るカニンガム。
「とう」
あまり気合いがこもっていない掛け声とともに再びジャンプし、風船に結ばれていた紐を掴む。猫を想起させるようなしなやかな身のこなしで空中で姿勢を整え、ふわりと着地。
「ふう……はい、どうぞ。今度は、離してはいけませんよ」
未だ泣き止んでいなかった少女に、しゃがみこんで風船を差し出すカニンガム。突然現れた謎の人物に驚きを隠しきれていない様子の少女だったが、泣き晴らした赤い顔で頷き、言われるままに風船を受け取った。
「あの……どなたか存じませんが、ありがとうございます」
一部始終を見て口を開けて呆けていた母親が、戸惑いがちに礼を言うが、それを静止するように手のひらを向けるカニンガム。
「お気になさらず。当然のことをしたまでです」
「カニンガム!もう青になる!」
「それでは、失礼します」
ヘルメットのシールドを上げて顔を露出させたアナが叫び、同時にヘルメットを投げる。胸元でそれをキャッチし、再び少女と母親に一礼をするカニンガム。横断歩道の信号は点滅しており、もう間もなく車道の信号が青になることを示していた。
黒猫の耳と尾が引っ込んだ状態でバイクに乗り込み、ヘルメットの金具を留めるカニンガム。ヘルメットの位置を調整し、信号が青に変わったタイミングでアナの体に手を回そうとした。すると。
「……おねーちゃー!あいがとー!」
ガードレール越しの歩道から、少女が風船をしっかりと持ちながらカニンガムの乗るバイクの方へと走り、舌足らずに言う。
前の車が発進し、二人の乗るバイクも前進する。おぼつかない足取りでバイクを追いながら残った手をぶんぶんと振る少女に、カニンガムは微笑みを浮かべ、左手を振り返した。
「……どうなることかと思った。本当に」
帰路の高速道路にて、アナが言った。
「申し訳ございませんでした。つい体が動いてしまい」
毎度ながら平坦な声で、悪びれる様子もなくカニンガムが答える。
「いいけどさ、特に何事もなかったし。でも、急にバイクから降りるのはやめてほしい」
「以後気をつけます」
「……あとは、カニンガムがあんなに子供好きだったとは知らなかった。意外」
「嫌っている訳ではありませんが、特段好きという訳でもありません。あの少女を助けたのも、偶然あの場に居合わせたからです」
若干からかうような声色で言うアナ。それに対してもカニンガムは冷静さを失わず、普段通りの冷静な声だった。
「どうだか。フラムに仕えてるのも、子供が好きだからだったりするかもしれないし」
「そんな理由ではありませんよ……それにしても、本当に綺麗な夕日です」
「あ、誤魔化した」
「おかえりー!ちゃんと買ってきてくれた?」
「勿論」
「うわーい!ありがとー!」
大型犬のように二人を出迎えたジャニスに、チーズケーキの箱が入った袋を渡すアナ。
「おかえり。どうだった?カニンガム。たまの外出は」
ジャニスに続いてエプロン姿の游隼が聞く。
「なかなか楽しめました。もし仕事が済んでいればですが、次の機会も参加させていただくかもしれません」
カニンガムにしては珍しい自発的な発言に、游隼が意外そうに言う。
「へぇー、そんなに楽しかったの……ねぇ、何かあったのアナ」
「直接聞いてみたら?そうだ、これ。游隼に」
「え?あ、ありがと!」
質問をはぐらかすように、ウイスキーを游隼に渡すアナ。そのアナの様子が妙だったのに游隼は気づいていたが、問い詰めても無駄だということも薄々気づいていたので諦めたのだった。
「あ、カニンガムさん!アナさん!おかえりなさい!」
「栂井少尉、買ってきましたよ」
たまたま席を外していたのか、談話室に入ってきたレイにカニンガムがプリンの袋を見せる。
「やったぁ!ありがとうございますカニンガムさん!」
全力で抱きついてこようとするレイの頭を手のひらで止め、袋のみを渡すカニンガム。
「あ、そういえば、ちょっと見てほしい動画があるんですよ!絶対に胸は揉みませんから、離してください!」
「動画ですか?……絶対ですよ」
「絶対です!」
カニンガムが腕をよけ、前につんのめるようになるレイを支える。その動作にレイが付け入れるような隙は無かったが、支えられたレイがスマートフォンを取り出して手際よく操作し始めたのを見て、カニンガムも警戒を解いた。
「どのような動画なんですか」
「さっきたまたまTwitterで見たんですけど、こんな感じのです!」
どうぞ、とレイが差し出したスマホの画面には、おそらく車の中から撮影されたであろう動画が流れていた。ツイートの文面は、「身体能力ヤバい女性ライダーが居たんだが……」と。
動画自体の内容は、黒いジャケットとデニムパンツ姿の人物が突如としてビルの庇に飛び乗り、再度のジャンプで空中を漂っていた風船をキャッチして、ふわりと地面に降りるというものだった。その後、投げ渡されたヘルメットを被って再度バイクにまたがる所まで撮影されていた。
撮影者や同乗者の驚く声が入り、動画は10秒ほどで終わった。そんな短い動画であるにも関わらず、いいねやリツイートの数は2万を超えており、かなり多くの人がその動画を目にしているようだった。
「この動画、中央区の方で撮られたらしいんですよ。それで『そういえばカニンガムさん、出かけた時にこんな服着てたなー』って思って」
「……………………」
スマホの動画を見ながら語るレイの言葉で、ちらりとカニンガムが自分の体を見る。上半身を覆う黒いジャケットにデニムパンツの、ラフな服装。
「この動画がツイートされたのも一時間くらい前ですし、その頃はまだ街にいたと思うんですけど、これってもしかしてカニンガムさんですか?」
スマホから上げられたレイの表情には嘲笑や失望といった負の感情は一切なく、ただ純粋に「いいこと」をした人物が目の前にいるのかという期待感に包まれているようだった。
「……はい。少女が風船を飛ばしてしまって泣いていらしたので、取って差し上げようと思いまして」
観念したようにカニンガムが言うと、レイは期待が的中したことを喜ぶように小さく息を呑んだ。
「やっぱりそうだったんですか!カニンガムさん、かっこいいですね!なんか、ヒーローみたいですよ!」
「私にそんな役は似合いませんよ」
「そんなに謙遜しなくてもいいじゃないですか!このこの〜!」
「ふむ……紅茶を淹れてボイド中尉のケーキのご相伴に預かろうと思っていたのですが、少尉の分は用意しなくていいようですね」
どこか冷ややかさを感じさせるカニンガムの言葉に、身震いするような動作をしたレイが頭を全力で下げて言った。
「ごめんなさーい!」
アナが乗っているバイクは、ホンダ・ゴールドウイングツアーです。最初はよりスピード狂らしくするためにR1や隼などに乗せる予定だったのですが、名目上だけでも買い物に行くのに収納がまるで無いんじゃ駄目だろ、と思い、ゴールドウイングにしました。免許の問題や値段については「ウィッチだから」で勘弁してください。