一つとして、特別じゃない日はない。
昨今、今日という日は、必ずと言っていいほど何かしらの記念日になっている。例えば、イチゴの日。例えば、夫婦の日。例えば、民間航空の日。例えば誰かの誕生日で。反対に誰かの命日かもしれない。
特別じゃない、日なんてない。
「ねえ、提督。知ってるかしら」
つるべ落としの夕陽を見送って、しっとりとした夜の訪れに包まれる執務室。一日の仕事を終え、いつものように紅茶を淹れた俺に、ソファから秘書艦が呼びかけた。定位置に身を収め、背もたれ越しにこちらを窺うのは、若紫の瞳。所作一つでそよぐ金砂の髪を揺らし、パースが俺を見ていた。「提督」と呼んでいる間は秘書艦モードらしいが、柔らかい鈴の音に似た声は彼女が可愛らしい企みをしている証であり、きっともうすでに奥様モードになっている。呼び方が「あなた」に切り替わるのも、時間の問題だろう。
「何の話だい」
二人分のティーセットをテーブルに広げながら、パースへ尋ねる。彼女はその背から何某かを取り出し、俺に見せた。
パースの白い手に収まるのは、見覚えのある四角いパッケージ。細いサブレに薄くチョコレートをまとわせた、定番のお菓子だった。
アメジストの瞳を細め、薄桃の唇の端を持ち上げて、パースが笑う。悪戯を企む眼差しも艶やかだ。つい先日、「トリック・オア・トリート」と告げた黒メイド姿が、その眼差しに重なる。どこか蠱惑的な表情に、お菓子も悪戯もされたばかりというのに、まったく懲りていない俺だった。
「今日は、ポッキーの日なんでしょう」
パースの企みの内容は、何となく察しがついた。
誰が彼女にそんなことを吹き込んだのか――おそらくは金剛かウォースパイトあたりだろうけど――は知らないが、パースはおそらく、ポッキーゲームを迫るつもりだろう。キス魔の気があるパースは、それにかこつけて私に口づけをしようとするのだろう。
俺がそこまで思い至ったことを、彼女は知っているのか知らないのか。そうだね、と俺が頷くと、パースは益々笑みを深めた。今まさに、彼女の悪戯の餌食になろうとしているのに、向けられた満面の笑みが眩しくて、つい惚けてしまう。
心を奪われた俺に、パースは予想通りのことを、予想以上の言葉で告げる。
「ポッキーの日だから、あなたにキスをしてあげる」
いろんなものを数段飛ばしにした結論に、ただ笑うしかなかった。吹き出すことだけは日頃鍛えた腹筋でなんとか堪え、我ながら妙な笑みを浮かべてパースへ答える。
「最早ポッキーというクッションをすっ飛ばしていらっしゃる」
でも、いつも真っ直ぐなパースらしいかもしれない。
菓子箱を机の上に置きながら、パースが愛らしく小首を傾げた。晩秋の彩を宿す瞳が煌めく。その光に吸い込まれてしまいそうだ。
「嬉しいでしょう?」
さも当たり前のように訊くものだから。俺は益々頬を緩めるしかなかった。
「それは、もちろん」
「ふふ、素直ね」
パースがソファの隣をポンと叩く。俺も早く定位置に座ってと、その目が促していた。座ればきっと、キスをされる。
選択肢なんて用意されてなかった。
ソファへ腰を降ろすと、すぐにパースが顔を寄せてきた。さらりと流れた黄金の髪から、得も言われぬ甘い香りが漂う。けれど意識はすぐに紫の瞳へ引っ張られた。その輝きから目が離せない。
特別じゃない、日なんてない。君と一緒なら。唇が触れる寸前、そんなことを思っていた。
ポッキーはちゃんと美味しくいただきました。