パンケーキを一緒に焼くパースさんと提督。
たまには、ただのんびりと過ごす休日というのも、いいものよね。
「どう? まだかしら?」
「待ってパース。あと少しだよ」
久しぶりに二人揃っての二連休となった週末の、日曜日の朝。パジャマの上からエプロンという随分ラフなペアルックで、私と提督はキッチンに立っていた。
フライ返しを構えて舌なめずりをしながらフライパンを見つめる提督と、その横でフライパンと提督へ交互に目を遣りながらお皿を携える私。秋の朝はまだ少し寒くて、冷たい空気が入り込まないようにと二人でぴったり肩を寄せ合っていた。パジャマ越しに提督の温もりがする。それだけでなんだかいい気分だ。ふふっ、布団の中でもあんなに抱き締めていたのに、おかしな私。
「……よしっ、今だ」
フライパンの蓋に手を添え頃合いを見計らっていた提督が、さっと蓋を開きフライ返しを伸ばした。わずかに立ち昇る蒸気。それと同時に、独特の甘やかな香りが辺りに漂った。ふわりと包み込む香りを胸一杯に吸い込むと、心の辺りが幸福感で満たされる。でも逆に、お腹の虫はとても正直に悲鳴を上げた。
「いつでもいらっしゃい」
お皿を構え、提督の方へ差し出す。頷いた彼は、フライパンから引き揚げたものを――こんがりとしたきつね色のホットケーキを、さっと私の手の中へ移す。表面も裏面も、見事な仕上がりだ。二人で食べに行ったハワイアン・パンケーキのお店と遜色ないかも。
お皿へ乗っかった美しい焼き色のホットケーキへ目を細める。お腹が空いているからか、我ながら締まりのない顔になっているのがわかった。
「さすがね、あなた。完璧なホットケーキよ」
「ありがとう。練習したからね」
私に褒められたのがよっぽど嬉しいのか、提督はニコニコと満面の笑みを浮かべる。その手はもう、すでに二枚目の準備に取り掛かっていた。慣れた手つきで油を広げ、私がかき混ぜたホットケーキのもとをフライパンへ垂らす。コンロの火を調整すると、星色の瞳はまた、焼き加減を見極めるようにじっとフライパンを向いていた。私もまた、そんな彼の横顔を窺い、そして手にしたお皿を窺い、とする。お皿には先程までと違って、焼き立てのホットケーキ一枚分の存在感が加わっていた。
ふとした悪戯心が湧く。彼がフライパンに集中している今なら、気づかれないかも。
お皿に乗ったホットケーキに手を伸ばす。指先で触れてみると、表面はもう適度に温度が下がっているみたいだ。それを確認した私は、今度は端の方を摘まんで少し切れ込みを入れた。ゆっくり慎重に千切っていくと、まだ随分温かい生地の中から湯気が立ち昇って、甘い香りを振りまく。それを堪能しながら、やや大きめの一口サイズを切り取った。それを迷わず口に運ぶ。ホットケーキの花みたいなまろやかな香りが口一杯に広がった。咀嚼すると、パンともスポンジとも違う弾力と甘さが楽しめる。口の中でホットケーキが踊っているみたいだ。蜂蜜をかけて食べるのが一番好きだけれど、こうして素のままの味も、私は好きだ。
焼き立てのホットケーキを味わえるのは、キッチンに立つ者の特権ね。そんなことを考えつつ、日曜の朝から口の中で開催される舞踏会を楽しんでいた。手元のホットケーキは、私が摘まみ食いした分だけ欠けている。日食のダイヤモンドリングって、そういえば丁度こんな風に見えるのよね、とそんなことも思った。
「……摘まみ食いバレてますよ、パースさん」
フライパンを見ていたはずの提督が、気づくと私の方に視線を寄越して、苦笑いしている。あら、目聡い旦那様。私は笑顔でごまかしながら、口の中のホットケーキを流し込む。舌の上にまだ優しい後味が残っていた。
「摘まみ食いじゃないわ。味見よ」
「どっちも同じことだろう?」
「違うわ。摘まみ食いはイタズラ猫のすることよ。でも味見は、料理人の特権だもの」
私の屁理屈に提督は一層眦を下げる。そんな顔も愛おしい。たまに……本当にたまに、ほんのちょっとだけ、こうして提督の困った顔が見たくなる。「仕方ないなぁ」と言わんばかりの笑みを向けて欲しくなる。私はきっと、かなりイケナイ奥さんだ。
ホットケーキを器用にひっくり返して蓋をした提督は、人差し指を差し出して私の鼻先に触れる。
「……イタズラ猫の仕業じゃ、仕方ないか。悪い奥様だね、君は」
そう言って、提督は私の額にキスを落とした。唇の感触が離れると、提督と目が合う。イケナイ私を許してくれた彼に微笑んだ私は、再度手元のホットケーキを千切った。さっきよりもサイズが少し大きい。
「はい、あなた。おいしいわよ」
「……共犯者を作ろうとしてるね?」
「さあ、何のことかしら。――あーん」
とぼけてホットケーキの欠片を差し出した私に、提督はそれ以上何も言わなかった。大人しく開かれた口にホットケーキを運ぶ。私より一回りくらい大きな口が、難なくホットケーキを咥えた。その拍子に、指先が彼の唇に触れる。
私のあげたホットケーキを、提督はモグモグとゆっくり咀嚼していた。その頬が次第に緩んでいく。優しい目元が、彼が「おいしい」と言っている証左だった。
それを見つめるだけで、こちらまで表情の締まりが無くなってしまう。
「おいしいでしょう?」
「……パースの言う通り、上出来だね」
首肯して、答えて、そして提督は笑う。へにゃりと柔らかな笑い方。そんな風に笑うのは、私に対してだけだって知っている。だからそれに気づくと、自分を突き動かす衝動をどうしても抑えられなかった。
つま先で立って背伸びをして、同時にお皿を持ってない片方の手で提督のエプロンを引っ張る。ほんの少し屈んだ提督の、たった今ホットケーキをあげた唇に、私の唇を押し当てた。朝一番のキスは、ゆっくりと丁寧に。私の熱が伝わるように。でもホットケーキを焼いてる最中だから、焦げないうちに唇を離す。本当はもう少し触れていたいけれど、今はここまで。それに今日はどうせ一日部屋でゆっくりするのだし、キスの機会はいくらでもある。今我慢した分も、後でたっぷり愛してあげるわ。
「……これで同罪ね」
私が言うと、提督はまた力が抜けた様子でクツクツ笑って、「君には敵わないな」と私の髪を撫ぜた。
三枚焼けたホットケーキ。端の方が欠けた一枚は、二人で半分こにした。たっぷりの蜂蜜と、あと私の淹れた温かい紅茶。そこに私たちのおしゃべりが加わって、何もない休日の朝はゆっくりと過ぎていった。