メ ン タ ル ヘ ル ス 秒 読 み ド ク タ ー   作:pilot

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第14話

「ドクター。」

 

薬くさい。

独特なこの匂いは、ロドスが製薬会社である以上ここで暮らす上で慣れなければならない、身近な臭気だった。

 

ドクター、と病床に上半身だけ起こした人間に呼びかけるその赤い服をきたループスの人間は、そんな慣れきった筈の匂いすらも鋭敏に拾う。

 

その匂いに混じる、おぞましい何かの匂い。

物質的な匂いと、そして概念的な匂い、どちらなのかはわからない。

けれども、好ましくないのは確かだ。

 

「どうしたんだい、レッド。」

 

それは誰が聞いたって、あのドクターの声色だったのであろう。

誰が解釈したって、ドクターがそのループスの少女、レッドに話しかけている、という状況なのだろう。

 

そう、物質的にはまさしくそうだった。

ドクターと名付けられた物質が、同じくレッドと名付けられた物質に声をかけたのだ。それは正しい。

 

「何かあったのかい?それともこの私の姿に心配してくれているのか?レッドは優しいね。」

 

そう、そう、物理的には必ずドクターだ。

 

皆の耳には心地よい音色だろう。

ドクターはそういう話し方を意識している人間だった。

 

レッドの耳にはしかしそうは聞こえない。

完璧を繕う薄っぺらい狂気染みた声だ、音色だ。音が外れている。

遠吠えの方が心地いい。

 

寸分の狂いもなくドクターだ。

 

しかしそれはドクターの中に間借りした、ドクターの皮を被った何かだ。それともドクターが変わり果ててしまったのか。

 

にこやかに、穏やかで、気弱で、優しい声色だ。

誰にだって好かれて、誰のことも見捨てない。

そんな仮面だ。

 

ループスの少女が口を開く。

 

「お前じゃない。」

 

そんなものはありえない。あのドクターに限っては絶対にありえない。

 

「お前に話しかけてない。」

 

叩き付けるように言い切ったその口、そしてそれに連動して鋭く研ぎ澄まされた瞳。

 

「レッド......?」

 

全てを見透かしているような、そんな印象すら与えられる。

何を見ているのだろうか、けれど物質的な観測は、何も教えてくれない。

 

「お前はレッドの知ってるドクターじゃない。みんなの知ってるドクターじゃない。お前は......誰だ?」

 

核心に、ナイフが突き立てられた。これはもちろん、精神的な意味で。

 

 

 

 

しばしの、沈黙。

レッドがここにきたのは、表面上のお見舞いでもない。

熱烈に励ますわけでもないし、彼女はそういった情緒を持ち合わせていない。

 

「......わからない。わからないよ。君はわかるのかい?頭の中に何か別人がいて、かつての行動をずっと繰り返させようとしてくる気持ちがわかるかい?」

 

ポツリ、ポツリ、とこぼれる音。

端から見ればただの精神異常者でしかないが、レッドには良くわかった。

 

その言葉の示す状態に、馴染みがあるからだ。

 

「君とかつて楽しく話せてたね。でもいつからか、君を戦力としてしか見れなくなった。どうにも楽しかった時期を思い出すんだけれど、まるで夢のようにしか逡巡できないんだ。

うどん、美味しかったよね?

そうだね、はじめは私も美味しかった。でもいつの間にかね、君たちのご機嫌取りのためだけに私はそれらを振る舞うようになって、そして君たちと会話するようになった。

私は、確かに楽しかったことを覚えてるんだ。」

 

そう語る、悲しげな語り手の顔は虚無だ。

なにも写していない。

都合のいいように解釈できるだろう。

笑顔か、悲哀か、あるいは憤怒か。

 

これは誰にでも好かれようと、効率のみを求めた結果であるのかもしれない。

 

だけれども本人はどうも思ってないのだろう。思えないのだろう。

だって非効率的だから。

 

「何が、言いたい。」

 

「もう終わったことだしさ。」

 

なにも写さなかった貌を、精一杯歪めて。

おそらく笑顔なのだろう。

恐ろしく機械的で、しかも露悪的。

 

けれど。

 

また、仲良くしてくれよ(早く通常業務に戻れ)。」

 

不純物が混じった。

どちらかはわからないが、しかし両方あるのならば希望はある。

 

「やっと声を聞けた、レッドも、やるべきことを見つけられる。」

 

確かに、まだ何かが残ってた気がした。

 

 

 

 

___________粉砕音。

 

気づけばドクターは、宙を舞っていた。

 

レッドに手を引かれて、落ちていた。

 

病室の窓から叩き出されたのだ。

 

 

 

「......何をしているんだ_____」

 

今度は叩きつけられた。ロドスの病棟、そのすぐ外の庭へ物理的、物質的にだ。

 

「ドクター。それ。」

 

痛みを感じる顔を無理矢理に上げるドクター。

目の前にはナイフが突き刺さっているのを見た。

 

「ドクター。それとも、誰かはわからないけど___」

 

 

 

「_____この目に、お前の死を写す。」

 

そしてそのナイフよりも鋭い、狼の目を見た。

 

 

 

 

 

ドクターはナイフを手に取り、その場を離れながら起き上がる。

 

するとどうだろうか、さっきまでドクターの居た筈の位置をナイフが掠めていく。

 

「プロジェクト......レッド......!お前は何をしているのか、自分でわかってるのか......!?」

 

「わかってないのは、お前。」

 

怒気をはらんだ声は、自分が殺されかけたことにではなく、むしろ別のことに怒りを向けているように見える。

 

彼は必要とあらば自分の命すら数勘定するだろうし、愛する人だってそうするだろう。

 

それほどまでに計画し、それを完璧に実行することに愉悦を感じる人間だった。

 

だったというのは、かつての彼はもう死んだ筈だったからだ。

 

今の彼が持っているのは、かつての記憶に振り回されて立てた、自分の為に命を投げ捨てるほどの兵を育てる計画、それを邪魔されたことへの怒りか、それとも___

 

「きっと、レッドの知ってるドクター、こんなとき自分を責める。」

 

「何を......わかったような口を......!」

 

怒りのままに振り回すそのナイフは、あまりにも鈍い。

レッドはそれを軽々と避けると、掌底を叩き込んでドクターを弾き飛ばした。

 

「ドクター、教えて。」

 

起き上がろうとするドクターに、駆け寄る人影。

非番のオペレーターが異常に気付き駆け付けたのだろう。

 

「レッドさん!何をしているんですか!?」

 

その中にはアーミヤもいる。

 

「普通の人は迷ったときどうするかって、前ノイルホーンに聞いた。

例えば、今日食べる晩御飯で悩んだら。

そしたら、明日死ぬと仮定して何が食べたいか。それを思い浮かべろって、彼は言った。」

 

「じゃあ、ドクター。」

 

ドクターを守るように、オペレーター達が集まってくる。

 

「自分で自分がわからなくなったら、こうやって追い込まれると、多分わかると思う。」

 

「どうする、ドクター?」

 

 

 

 

 

この状況で、ドクターは混乱していた。

あってはならない混乱だ。

彼は真に混乱したことは今のいままでない。

何故ならば、本当に命の危機に晒されることが無かったから......ではない。

その記憶に負けていたからだ。

パニックに陥りかければ途端に冷静になり、むしろ混乱とはほど遠くなる。

そして、刃のように鋭く指揮を執り、脅威を刈り取る。

 

それをする度に、昔に戻っていった気がしていた。

 

だけれども今回は違うのだ。

 

「わからない......君が何をしたいのか、わからない......」

 

自分に向けられた意識は殺意ではないことをドクターは気づいていた。

 

だから混乱するのだ。

 

本気で心配され、そしてそれをぶつけられるなど、記憶の中には無いのだ。

 

「レッドが何をしたいか、それは別に重要じゃない。

重要なのは____」

 

フッ、とオペレーターの視界から消えるレッド。

 

ドクターにだけ、見えていた。

目の前に現れたのだから。

 

「ドクターは、どうしたい?」

 

ナイフを振り上げた、レッドが居た。

 

 

 

 

 

 

「......無理だ、無理だ、こんなの無理に決まってる......」

 

ガクり、と膝を折るドクター。

大上段に、片手でナイフを構えた隙だらけのレッドを前に、項垂れていた。

 

「許してくれ、許してくれ、昔の自分よ、昔の信頼よ、許してくれ......私は冷徹になりきれない、期待されるべき存在になりきれない......」

 

「ドクター!?」

 

アーミヤがいの一番に駆け寄る。

ドクターはまだぶつぶついっていた。

 

「無理だった。それでいい、ドクター。わからないまま続けるより、無理なことがわかった。」

 

それを見届けたレッドは、踵を返していつの間にか何処かへ消えていた。

 

 

 




追記
誤字報告ほんとありがとうございます......!

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