「オタク君さぁ、こういうのが好きなんだぁ」

 ライトノベルを持った浅黒い肌のギャルと呼べるクラスメイトは僕にそう言った。

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それっぽい文章なだけです(手抜き


文豪ギャルとライトなオタク君

 無味無臭の生を歩んでおります。

 

 埃と紙、煙草と畳の香りはあの時から消えてしまいました。私の人生というのは人のすすり泣く声で色を失い、人の焼ける匂いで味を失い、人の骨を拾っては香りを喪いました。

 私の人生というのは、あの場で祖父と共に焼けて、ただ焦原を崖に向かい歩くだけの生が始まりました。

 それでもどうにか人であった私は阿呆の真似をして、口から軽々と泥を吐き出すヒトへと成りました。阿呆の真似をする自分を好きには成りません。阿呆の真似をしているであろう良き隣人もまた、好きになどなる筈はありません。

 けれども私はヒトであります。恥の多い人生などと太宰先生のように表現などはいたしません。

 ただ色の無い人生を、無意味無休に歩んでいるだけです。

 

「キリぃ。昨日のテレビ見たぁ?」

「見た見た。やっぱあーし、あのアイドル好き」

「わかるぅ! 顔がカッコいいよね!」

 

 無為無策の人生を歩む私は、こうして同じく泥を吐く隣人から【キリ】と呼ばれております。てれびというのは五月蝿く。阿呆の如く燥ぐ隣人の言葉は一寸足りとも理解した試しはありません。

 彼女が選り好みする言葉は理解してしまいますので、それを泥にして吐き出していれば好いのです。

 付け爪も、化粧も、髪の色も、肌の色も。いつの間にか私というヒトは誰かの好みの上に乗せられてしまいました。そこに私という意思はありません。愉しいと口にしても、心に何かが灯る事などこれっぽっちもありませんでした。

 

「オタク君さぁ! 教室で読書とかしてんじゃねぇよ!」

「あっ……」

 

 泥の住人の手には一冊の本がありました。取り上げられた【オタク】と呼ばれる男は手を伸ばしますが、彼は蜘蛛を助けた泥棒ではありませんでした。

 暴力というのは何時もヒトに振るわれます。氷が溶けるように。水が落ちるように。波紋が解けるように。泥の住人達はそれを嘲笑いましょう。私は表情が凍るのを感じながら、それをどうにか溶かして笑みを浮かべて泥に沈みます。

 心に謝罪など述べません。それは彼に吐き出さなければ所詮自己満足でしかないのです。

 

 

 

 

 

「せんせーごめーん。あーし、せーりだから保健室いくねー」

「あ、おい」

 

 軽々と笑いながら授業を抜け出せるようになった事は、この泥の人生の中でも得と思える事でした。先生の武勇伝は落語に劣り、教えの内容は教科書に全て書かれております。それでも阿呆である私はてすとで好い点数を取る事は無いのですが。

 泥の住人として時間単位でヒトの居ない場所は暗記しております。安い紙煙草はこの齢に忌避される物で、その程度は阿呆でもわかっているようです。その程度しかわかってはおりません。

 ヒトの居ない冷たい階段へと腰を下ろして、私は懐から文庫を取り出します。紙の上表紙で隠れた文庫は泥の住人には似つかわしく無い物でした。口八丁で文庫を泥から掬い上げた私は本を広げます。

 文字を埋め尽くした本を読んでいた私にとって、それは驚きの塊でありました。

 確かに小説という体裁を保ちながら、挿絵もある。所謂ライトノベルという本である事は私程度にもわかりました。その程度しかわかってはおりませんでした。

 愛らしい女子が男児に恋をする。大袈裟に言えば英雄譚は久しく文字に触れた私を満たしていきます。

 それでも、ただ気紛れに読んだ、という以外でその本を手に取る事はきっともう無い事でしょう。端から端まで読み切り、本を挟んで手を閉じます。

 

 

 心が躍る。という感覚を私は知りません。

 比喩表現としては知っております。物語の少女のように、揺らされる事などありませんでした。ただ無色の世界に陰鬱としていました。慰めにもならない泥との戯れもまた私を陰鬱な感情へと誘い、泥溜りに檸檬を置いておけば気が晴れるのだろうかとも考えました。

 物語の少女に憧れは、一寸だけあります。硝子の靴に憧れもしました。その為に足を削ぐなどという事は私には出来ませんでした。

 

「あっ」

「ん? オタク君じゃん」

 

 時を無為に使い、放課後で無人であろうと思った教室には【オタク】が居りました。何かを探している様子で、教室に入ってきた私に目を剥いて驚いて、半歩後退りました。私も、また泥の住人である証明です。

 探している何かは私が持っている文庫でしょう。私は文庫を【オタク】へと手渡します。

 

「オタク君さぁ。こんなのが好きなの?」

 

 口から出た泥は飲み込めずに【オタク】の足元へと転がりました。彼の趣味に関して何かを言う権利も私にはありません。ライトノベルを読んだ私の簡素な応えであります。

 【オタク】は瞼を一頻り動かして、震える声を絞り出します。

 

「よ、読んだの?」

「何、あーしが読んじゃダメだった?」

「い、いやそうじゃなくて! えっと、その、これは二巻だから! 一巻も読めばきっと面白いから!」

 

 私の泥をひっくり返した【オタク】は目を輝かせて、笑みを浮かべて、声をひっくり返していました。その様子が面白く見えて、心が少しだけ揺れ動きます。

 あゝ、これが心が躍るという感覚なのでしょう。私は直感します。

 恋には落ちるもので、ヒトとして星に立つ限り避けられないことなのでしょう。

 崖から背中を押されたように、私は夢から覚めました。

 

 色付いた人生を、ただ歩いて往きませう。

 

 

 

 

 

 

 

 【オタク】と私との会話など、さして特筆すべき物はありませんでした。

 【オタク】の早口に語る登場人物の評価は私にとって興味の薄いものです。何より【オタク】の好みの登場人物は今の私とは対極に位置している人物だったものですから、興味が削がれてしまうのも一際でした。

 根付いた阿呆のような口調をやめてしまう事も一考いたしました。けれど【オタク】にこの気持ちを知って欲しくはないという我儘が私の中には確かにあります。同時にこの気持ちを知ってほしいという感情もまた、ありました。

 

「あーしが前にいるのに好きなキャラがみんな女の子なのはどーゆー事かなぁ」

「三次元に興味は無いです」

「オタク君さぁ、そーゆーとこだと思うぞぉ」

 

 それでも好きな事を語る【オタク】の事を止めはしませんでした。

 無意味な会話だとは思います。それでも私にとって心地好い空間であり、【オタク】がいるという事が何よりも意味がありました。

 放課後の短い時間ではありますが、私は【オタク】との逢瀬を愛しておりました。

 

「そういえば、その、期末テストとかどうするの?」

「あー……あーし、バカだからテキトー」

「もし、その、良ければなんだけど、僕が、その……教えようか?」

「オタク君が?」

 

 思わず聞き返してしまう程、私は舞い上がってしまいました。阿呆の真似をしていてよかったとここまで思った事は後にも先にもありません。

 恥ずかしそうに頷く【オタク】に私は訝しげな表情をしてみせます。

 

「ほ、ほら、その僕はそれなりに頭いいし、もしよければ……なんだけど……」

 

 【オタク】の頭の良さは知っていました。順位を張り出される母校で上から数えた方が早い事も知っております。一人の両手では数えられませんが、二人の手があれば数えられる程度に頭が良い事は知っておりました。

 尻すぼみになる【オタク】に私はニッコリと笑います。軽々と、口から砂利を吐き出します。

 

「オタク君がそこまで言う(ゆう)ならしょーがないなぁ」

 

 まるでコチラが許したような物言いが私の口から転げ落ちました。喜びのあまり諸手を上げたい気持ちは、抑え込みます。

 あさましく無残でありましたが、この感情は同時に尊い物であります。

 

 

 

 

 

 【オタク】は中々に教える事が卓越しておりました。

「自分の復習も兼ねてる」

 という言葉に嘘偽りはないようで、確りと内容を噛み砕いて教える様子は実に好い物でした。

 私はヒトに物を教えるという事は苦手でありましたので、余計にそう感じてしまうのでしょう。私が【オタク】に恋をしているから、余計にそう想うのでしょう。

 その事を否定は致しません。

 

 放課後の僅かな逢瀬は少しばかり延長して、雲が低かった空は高くなり、容易く帳を下ろします。

 

「その、家まで送るよ」

「オタク君がぁ?」

「ぼ、僕だって男なんだけど」

 

 細腕を見ながら訝しげに砂を吐き出してみますが、嬉しさが勝って笑ってしまいます。

 頼りにしている、と冗談めかして口から言ノ葉を吐き出します。きっとそのままの意味で受け取った【オタク】は意気揚々とカバンを持ち、私の前を歩きます。

 私の方が脚が長いのですぐに追いついてしまいそうになりますが、貴方の背中を眺めていたい一心で少しばかり緩やかに歩いてしまいます。

 手を伸ばせば届く距離で、会話もなく、けれど心地好い空間でした。

 

 ふと、貴方は空を見上げて、震える口を開きました。

 

「月が、綺麗ですね……」

 

 などと貴方が言うもので私は驚きを隠せませんでした。

 それでも私は貴方の中では阿呆で軽々な女でありましたので。

「当たり前じゃん」

  と笑って応えてみせるのです。

 しょぼくれた貴方は大層愛らしい物でせう。

 貴方は気付きませんでしたが私の顔は林檎よりも赤く染まっておりました

 

 あゝ、このまま死んでしまいたい。



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