吾輩は鬼である、名は‘‘まだ‘‘無い 作:しいな
痛みが、痺れが、猛烈な吐き気が、身体を包み込んで、死へと進んで行く。
「あ゙ぐぁ…」
「滑稽ですね」
もう何を言っているのかわからない、相手が。
脳内へとただ一つの言葉が囁かれる。
『人を喰らえ、そうすればすぐに治る』
何度も、何度も、囁かれる、おかしくなってしまいそうなほどに。
五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い、五月蠅いッ!
そう心中で念じる度に、言葉の意味が薄れてついには意味を失くす。
「しぶといですね…早く死んでくださいよ」
そんな声が聞こえた、私に刀を刺した子だろうか。
言った者など、どうでもよかった『早く死んでくださいよ』その言葉が耳に、心に残った。
死んだほうが楽なのではないか、抗うことをやめ死を受け入れようとした私の耳に声が届く。
「死のうとしないで!貴方は鬼舞辻を倒すんでしょう!?名前も…!」
「姉さん!?」
そうだ、私はあの憎き鬼を殺し、名を授けてもらうのだ、こんなところで無様にくたばるわけにはいかない…。
その想いに応えるように体の痛み、痺れ、吐き気が少しずつ、確かにひいていく。
長い、長い時間かけて私は体を起こし、立ち上がる。
口からは血が垂れ、完治とは言えないが直に治るので大丈夫だ。
「なん、で…一番強力な毒だったのに…」
私を獲物を睨む虎のような目で睨み、小さくそう呟く。
左肩に刺さっている刀を良きを勢いよく引き抜き、地面に突き立てる。
「しのぶ、混乱したわよね、ごめんね」
「私が、無理でも」
「ッ!?」
しのぶと呼ばれた少女は私だけに聞こえる声でそう言った。
その瞬間、斬撃の嵐が私の身体を襲った。
斬撃一つ一つに水の幻影が見えたり炎の幻影が見えたりと美しい。だが私は見惚れて真正面から喰らう馬鹿ではない。
重い体を動かし最低限の動きで避ける、多少は傷を負うが仕方ないことだ、なにせ五人もいるのだから。
「なにっ!?」
「この人数だぞ!?」
頸に幾つか傷は入っているが痛みを伴うだけで致命傷にはならない。
「貴方たち、何してるの?」
ドスの効いた声が響き、場が静まり返る。
私に斬りかかってきた者たちは冷や汗をだらだらと流し刀を持つ手を震わせ、戦慄しているようだ。
「しっ、しのぶ様が…!」
「しのぶ?」
「っ!」
顔を逸らし、不貞腐れた子供のように黙り込む。
「私も鴉だけで連絡を済ませたのは悪いと思うわ、でも何も言わず毒を打ち込んで隊士に襲い掛かるよう命令するのも違うと思うわ」
「…」
「待て、喧嘩はしないでくれ。鬼である私が全体的に悪いのだから」
間に割って入り、落ち着かせようとするが逆効果だったようだ。
「悪いと思うならここから消えるか死ぬかしてくださいよ」
「う、だけども私にも目的というものがあって…」
「その目的に姉さんを巻き込まないでください、もう一回毒打ち込みますよ?」
正論だ、私の目的に彼女を巻き込む意味などないのだから。
私が消えるそう言おうとした時、横に押されて言い損ねる。
「私の目的にも彼を巻き込んでるの、しのぶには関係ないでしょう」
「鬼と仲良くするため!?そんな馬鹿なこと言わないでよ!鬼なんて人を喰らうことにしか能がない、化物なんだから!この男だってそうよ!」
「彼は違うわ」
「何が違うって言うのよ!鋭い爪、牙、開いた瞳孔、全部鬼の証じゃない!」
「確かに彼は数人、人を喰らってるわ」
「じゃあ滅する対象でしょ!?」
「…二百年間の間で、数人よ」
「二百年間が何?数人喰らったことは違いないじゃない!」
目の前で繰り広げられる口論を私はただ眺める事しかできなかった。
「なぁ、あんた、人間を見てどう思うんだ?喰らいたいとは思わないのか」
刀を私に突きつけて男がそう言うので切先を掴みながら答える。
「その気持ちに負けて人を喰らったよ、けど喰らっても残るのは消えることのない悲しみと虚無感、後悔だけだ。満足感など感じられない」
そう言うと男は刀を下ろし、興味が無くなったように私から目を逸らした。
口論が繰り広げられている方に目を向け、声を掛けようとした時だった。
「おいおい、派手なことになってるねぇ」
後ろから刀が出てきたかと思えば、頸に当たるか当たらないか絶妙な距離に刃が置かれる。
「何で鬼を放っておいて地味な口論をしてんのかねぇ、こいつの頸、派手に斬っちまうぜ?」