怖い話   作:夜ノとばり

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「久しぶりだな、高橋」甲高(かんだか)い、作り物めいた声が心の奥底に埋もれていた記憶を瞬時に呼び覚ました。

「あ、ああ……。何年ぶりだ?」同時に、なぜだ、という疑問が頭をもたげる。

「八年」飯塚は簡潔に答えた。

「そ、そうか……」

「どうしたんだ? そんなに慌てて」その問いかけにはあまり感情がこもっていない。

「い、いや、何でもないが」

「ふーん」

 飯塚は気のない返事をし、会話に間が生まれる。

「……飯塚」

「何だ?」

 深呼吸し、動悸(どうき)を押さえる。

「……なぜ俺の電話番号を知っているんだ?」

「……」

 ―――。

 通話が切られた。高橋は茫然(ぼうぜん)と画面を見つめる。切れる直前、飯塚はにやりと笑ったのではないか、そんな考えが脳裏をよぎり、いやいや、ないない、……あるわけない、そう自分に言い聞かせる。

 窓や、廊下の向こうの正面に見える玄関扉に無意識に目が行く。六畳のワンルームを一通り見渡し、再びスマートフォンの画面に目が吸い寄せられる。

 携帯ゲーム機が胡坐(あぐら)をかいた太腿(ふともも)から床に落ち、ごとん、と重い音がした。汗ばんだ手で拾い上げると、手持ち部分に付着した(あぶら)がぬめりと伸び、てかてかと光沢を放つ。

 息苦しさにため息を吐くと、部屋の照明が少し、暗くなったような気がした。

 

☆ ★ ☆

 

 飯塚という男を一言で端的に表すことができるとするならば、「声マネ芸人」という言葉がふさわしいんじゃないかと思う。Twitterとかでたまに見かける、アニメキャラクターや芸能人の有名なセリフをその声で言ってくれる人だ。

 高い声低い声はもちろん、少女よろしくキャンディボイスから老人によくあるしわがれた声までお手の物。顔を隠せばあら不思議、もう声の主が誰か分からない。動画サイトで配信するだけで声優のオファーが殺到しそうな自由自在っぷりである。

 彼らが一体どんな声帯を持っているのか、読者もさぞ気になるところだろう。俺も気になる。誰か教えてほしいものである。

 それだけ、飯塚はたくさんの「声」を持っていた。

 そんな、自分の才能にすら恐怖を感じているであろう飯塚がなぜ、高校を卒業し疎遠になって八年が経った今になって、俺に電話をかけてくるのかと言えば……、……話したくないでは済まされない、深く、黒い因縁が、俺と飯塚の間にあるからなのだが……。

 

 

 ()()()()があるまでは、俺と飯塚は普通の友人同士だった。

 朝、学校で顔を合わせればどちらからともなく下らない話ができ、休み時間に変顔をすれば集まっていたメンバーの何人かは笑うような、適当で居心地のいい関係。テストの点数が低ければ「安心しろ俺の方が低い」と傷を()め合うことができ、高ければ遠慮なく高笑いを浴びせられる、文字通り遠慮のない関係だ。

 ただ一つ、俺たちの輪の中には他にない、ある特異点があった。

 俺を含め誰も、飯塚の本当の声を知らなかったのだ。

 しょっちゅう声を変えて遊んでいたせいもあるだろう。飯塚は悲しいことがあれば裏声でよよと泣き崩れ(もちろん演技だ)、何ならハンカチだって噛んでいた。喜ばしいことがあればぬわはははと高笑いを発し、「見たかこれが私の力だ!」などと某アニメキャラの野太い声音で言って見せるのである。……冷静に振り返ってみるとこいつ、ただの変態にしか見えない。

 しかし一年の始めこそ変人扱いされるものの、その小太りで低身長というコミカルな体格とひょうきんな性格ゆえに、飯塚の存在はおのずとクラスの日常として馴染(なじ)んでいき、「本当の声を聴いたことがない」というあまりにも異様な事実が直視されることはなかった。

 それに、俺たちは飯塚の最も自然な声を聞いたことがなかったとはいっても、彼と会話はしていたし、彼も無理をしていたというわけではなかった、と思う。

 飯塚は俺たちが普段会話に使用する「最も自然な声」の代わりに「デフォルトの声」なるものを持っていた。

 普段の自分の声に自信がなかったのだろう。

 そしてその「デフォルトの声」というのが、冒頭で俺が聞いた甲高い作り物めいた声であり、俺が、八年ぶりに電話をかけてきた人物を飯塚と認識する決め手となったのである。

 

 ……こうして話し出してしまったからには、遅かれ早かれ()()()()についても触れておかねばならないだろう。

 少々話すのに勇気がいる話題だ。できれば思い出したくない。控えめに言って黒歴史、俺の人生に刻まれた汚点。

 反省はしている。ちゃちな言い回しだが、俺はその件に関しては今でも罪悪感でいっぱいだ。

 俺は飯塚を見捨てたことがある。

「飯塚の受け入れがたい側面を目撃し彼の人間性に失望した」とか「なんとなく友達でいるのに疲れた」とか、そういう精神的なものではなく、もっと、非常に物理的な方法で、俺は飯塚を見捨てた。

 具体的には、助けなかった。

 卒業式を間近に控えた三月某日。

 放課後、俺は空に浮かんだ雲を漫然と眺めながら粛々と帰宅コースに自転車を走らせていた。

 この学校から帰宅するのも残り数回なのか、それにしても顔に当たる風が気持ち良いとしみじみ思っていると、前方を歩く飯塚を見つけた。

 大学デビューは危険だと忠告でもしてやるかとブレーキを握り、声をかけたか、かけなかったか。

 飯塚が突如、横にスライドした。

 一瞬、宙を舞った飯塚の体がコンクリートにどさ、と落ちる。車は速度を緩めず通り過ぎていく。

 飯塚が()かれた。道行く人々の喧騒(けんそう)が悲鳴へと変わる。俺は追いついて自転車を止めた。

 現実味のない光景に唖然としていると、飯塚が俺に気づいた。

「た、助けてくれ……」

 それはもう絵にかいたような低いしゃがれ声、交通事故に遭った人間が(のど)の奥から絞り出す必死の声だった。

 多分、俺は麻痺していた。毎日毎日飯塚の巧みな変声を耳にしすぎていたせいだ。

 何だよ、こんな時まで笑わせてくるのかよ。

 笑いがこみ上げ、俺は思わずぷふっと吹き出した。学ランのポケットからスマートフォンを取りだしてパシャリ、写メを取り、自転車にまたがり、発進させた。

 後ろに倒れたままの飯塚を振り返ることはしなかった。何人かが道を開け、俺がスマホ片手に通過すると、どよめきがわずかに大きくなった。

 

 それから飯塚とは一度も顔を合わせていない。二人とも別々の大学への進学が決定していたし、あいつは事故以降学校を休み、卒業式も欠席した。担任に聞いても、本人の希望だとかで飯塚の入院している病院は教えてもらえず、結局分からずじまい。

 後日ふと気になり、轢かれた飯塚の写真を改めて見てみた。

 固そうなコンクリートの地面に右膝を下にして横たわる、彼の周囲には人だかりができている。

 俺の向かいの女子高生も彼にスマホを向けていた。ほっとした気分になったのも束の間、飯塚の足が目に止まり、呻いてしまう。

 右膝が有り得ない方向に曲がり、紺色のズボンは赤黒く染まっていた。

 極めつけは飯塚の表情だった。信頼していた仲間に裏切られたら、俺もきっとこんな表情をするのではないか。

 痛みに歪んだ顔面がさらにひきつり青ざめ、かっと見開かれた小さな目には驚愕が浮かび「信じられない」と俺を責め立てるようだ。親の仇を見る目、とはこういう目を言うのだろう。

 すぐさま俺は画像を削除し、不都合な記憶を脳内から直ちに消去した。自分が()いた種とはいえ、……嫌なものを見た。

 まあ実際のところ記憶は消去されておらず、忘れたつもりになっているだけなのだが。

 なぜ飯塚は現在になって俺に連絡してくるんだ? 

 もしや、まだ恨んでいる? 恨まれている?

 しかし、しかしだな、八年も経過していれば、学生時代の過ちくらい、笑い話になっていたっておかしくないだろう。過去の話は過去の話、こびりついた憎悪もしっかりこすり落として水洗便所に流すのが大人ってもんだ。え、トイレ感が強すぎる? またまた。または括弧に入れて凍結する(過去だけに)とか。

 当時は色んな意味で若かったからな。今の俺なら倒れた人を写メで撮るなんて友人でも絶対にしない。若い時のやんちゃだよ、やんちゃ……。ほら、飯塚も俺と一緒に小便器に大便したりしただろう、覚えてるか。

 いつも俺と一緒に遊んでいたもんだから、ホモ疑惑が浮上したこともあったな。攻めとか受けとか腐女子界隈で話題になってた。俺は友達だと否定していたが、飯塚がちゃんと否定してくれないから大変だったんだぞ。

 ……はっ。

 ……飯塚、密かに俺のことが好きだったのでは? 「ただの友達のはずなのに、なんだかあの子が気になってしまう……」と俺に淡い好意などを抱いていたのでは?

 ぐわあ恥ずかしい! その気はないけどちょっと嬉しい!

 ……待てよ?

 もしや俺はそんな飯塚を、助けずに笑いものにした上、写メ撮って逃走したのか。で、その後音沙汰(おとさた)無し、と。

 

 ……殺される。

 

 冗談じゃなく本当に命が危ない。何という手酷(てひど)い仕打ちだ許せん、いや俺の仕業だけども。

 もし俺が飯塚なら間違いなく一生根に持つ。可愛さ余って憎さ百倍どころの騒ぎじゃない。(わら)人形とか持ち出すレベルだ。(うし)の刻参り待ったなし、目撃されたら目撃者までやりかねない。

 あくまで仮定の域を出ないけれど、とりあえず俺に出来ることは一つ。

 すまなかった。

 俺が悪かった、と次に会った時に飯塚に謝罪することだ。

 八年もの間、恨まれていたとしても、かつての友人である事実に変わりはない。平謝りに謝れば道は開けるのではないだろうか(小並感)。

 来るなら来い、飯塚。洗練された俺の土下座、見せてやるよ。

 と、握り締めたスマートフォンが振動し、非常に驚いた。ついでに語彙力もどこかに飛んで行ったようで、すごくびっくりした。

 バクバクと鳴る心臓を撫でつけ、電話主に訴訟起こしてやろうかと考えながら通話ボタンを押す。

「よう」

 甲高い声。飯塚だ。

 先手必勝早い者勝ち、ここぞとばかりに謝罪の言葉を連ねていく。

「飯塚、謝らせてくれ。高三の時、怪我してたのに助けなくて本当悪かった。申し訳な」

「高橋ー」感情のない間延びした声が俺の言葉を(さえぎ)る。

 学生時代に嫌というほど聞いた飯塚のデフォルト声は、こうして電話越しに聞くと変声機を使っているようでもあった。

「……あまりゲームばかりするなよ」

 俺は目を見張った。

 通話中に俺はゲームについて一言たりとも口にしていないはずだ。なぜ知っている。

「会社ではパソコン入力ばっかりなんだから、少しは目を休めろよな」

 どこかにカメラが仕掛けられているのか、と周囲を見回す。一人暮らしを始めてから飯塚を部屋に招いたことは一度もない。なにせ八年間会っていないのだ。

 おそらくこいつはあてずっぽうを言っているだけだ。俺は高校生の時からゲーム漬けだった。近頃は正社員がパソコンをいじらない仕事の方が少ない。ネット社会というのはそういうもんだ。踊らされるな。

「……それがどうかしたか」

 飯塚に聞こえないように深呼吸をして、平静を装う。

「いや。何でもない。ところで、床に直に座るのは()を悪くするからやめた方がいいぞ」

 床に直座り? 正に今の俺だ。

 飯塚は声が完全に笑っていた。対して俺は完全におちょくられていた。

 だんだんと沸き上がる怒りと状況を言い当てられた恐怖が俺の中でせめぎ合っている。

「お前なぁ……」俺の口調に苛立(いらだ)ちが混じる。

 ピッ、と音が鳴り、電話が切られた。

「はあ? は? は?」

 あからさまに困惑していると、再びスマートフォンがブブブと音を立てた。

「いきなり切るんじゃねえよ、飯塚のアホ」出るなり悪態をつく。

「高橋さんのお宅でよろしかったでしょうか」若々しい男の声が物腰低く尋ねてくる。

「は?」つい間抜けな声が出た。

「東警察署のものです」

 東警察署は自宅から最寄りの交番だ。

「お母様が事故に()われまして。高橋しのぶ様の息子さんでよろしかったでしょうか」

「は、はい」確かに母の名前だ。

 母が事故? 冷や汗が噴き出る。

「東小学校前の交差点で人が()ねられたと110番通報がありました。救急にも連絡し現場に到着したところ、どうやら命に別状はないようなのですが、搬送(はんそう)する際に『息子を呼んでくれ』と仰ったので、その電話番号にかけさせていただきました」

「す、すぐ行きます。どこの病院ですか」

 言いつつ、寝間着の下を脱ぎ捨てる。

「東山大学病院です。急ぎ過ぎで事故に遭いませんよう、安全運転でお越し下さい。お待ちしています」

「ありがとうございます!」

 通話を切る。丁寧な口調で好感の持てる青年だった。こちらの安全までも気遣ってくれるとは。

 それより、一刻も早く病院へ行こう。命に別条がなくとも、心配だ。

 時計は十三時前を指している。東山大学病院か。大体の場所は把握している。バイクなら二十分はかからないだろう。

 父親にも知らせなくては。電話口の彼は真っ先に息子の俺に電話したそうだから、まだ情報は届いていないはずだ。

 呼び出し音がじれったい。そわそわと貧乏ゆすりをしながら待つことしばし。焦燥感で体が熱い。

「どうかしたか」暢気(のんき)な父の声がした。「母さんが事故に巻き込まれた!」熱を吐き出すように俺は叫んでいる。

「は?」間抜けな声が聞こえた。流石親子だ、とDNAの精度に感心する。無意識に額に手を当てた。「母さんなら俺の隣にいるぞ」

「は?」またしても間抜けな返事をしてしまう。DNAって怖い。

「だから、母さんは俺の隣にいる。今頭()でてる」

 火照った体が急速に冷めていくのを感じる。俺は混乱していた。訳も分からず自分を攻撃しそうになるのをぐっとこらえる。

「のろけはいい。確かにそこにいるのか?」

「ああ、いる。これが間違いならおそらく間違っているのは俺ではなく世界だろうな」「事故に遭うとは、私の分身も大変ね」

 父の声の後ろで女性が呟いている。紛れもない、母だ。

 母は実家にいる。

「いるんだな、ありがと」言い終わる前に電話を切った。

 頭の中をぐるぐると疑念が渦巻いている。我知らず立ち上がっていたことに気づき、へたりと床に尻をついた。

 あの人当たりの良さそうな警官。彼は嘘をついていたのか?

 警察が嘘を吐く? そんなことがあるのか。

 それとも間違い電話か。事故に遭った人物が警官に教えたとされる番号が間違っていたのだ。

 いや、それも有り得ない。警官は俺の母の名前を言い当てた。偶然ではないはずだ。

 何だったんだ?

 またしてもスマートフォンが震えた。父さんか? 一体何なんだ。

「あの、高橋(のぼる)様のお宅ですか」

 品の良さそうな女性と思しき高い声が遠慮がちに俺の名を呼ぶ。もう間抜けな返事はするまい。

 この状況でいうことではないだろうが、……モロ好みだった。声が。

 咄嗟に、どんな返答をすれば一番会話が続くだろうかなどと考えていると、家のインターホンが鳴った。

 誰だろう。飯塚? 土下座の準備をしておかないといけないな。

 ドアホンの液晶にはツナギ姿のマスクの男が段ボール箱を抱えている姿が映っている。俺、何か注文したっけ。覚えがないが、届いているからにはしたのだろう。

 邪魔しないでくれ。俺は電話越しの彼女と会話するのに忙しい。

 言い訳が向こうに聞こえるはずもない。

 ごめんなさい、別の時間にしてください……。電話の対応で手が塞がっていて……。本当ですよ……信じてください。

「え、っと、いらっしゃいませんか?」

 スマートフォンの向こうで彼女が困っている。こんな綺麗な(声の)人を困らせるとは、俺は罪深い男だ。

「すいません。いますよー!」

 まったく、今日は電話がよくかかってくる。

 

 彼女は化粧品の販売促進をしているらしい。俺はこれといった化粧品を使わないが、「母親にプレゼントがしたい」と思い付きを口にしたところ、彼女の嬉しそうな声が聞こえてきたので、ほくほく気分で購入することにした。

 良い親孝行の機会でもある。話も引き延ばせて一石二鳥どころか一石二兆くらいある。お母さんいつもありがとう。

「私、ちょうど外回りの最中なんですが、近くを通るので、良ければこれから御自宅に伺ってもよろしいでしょうか?」

「……はい! ぜひお願いします!」

「それではすぐにそちらに――」

 数分の会話を終えた俺は、感動に打ち震えた。夢じゃないかしら。

 声と顔の良さは比例しないとは聞くが、いきなりこうも直接対面にこぎつけるとは。あと十分かそこらで彼女が俺の家にやってくるわけだ。

 よし、よし! とガッツポーズを決めていると、ピンポンとチャイムが鳴った。

 販促(はんそく)の彼女がもう来たのか。少しばかり早すぎる。多分別の人だろう。期待しすぎは精神衛生上良くない。

 となると飯塚か。今度こそ土下座の準備をしておこう。飯塚、本当にすまなかった。

 ドアホンの液晶に映っていたのは、先程、俺が無視した配達員その人だった。「すいませーん、宅配便でーす」今この瞬間に到着したみたいな声を上げている。五分以上前からいたくせに。

 バレバレだよ。デートに三十分も遅刻した彼氏に「ううん、私も今来たところ」と微笑みかける彼女くらいバレバレだよ。あの時は本物の優しさに涙が出た。ありがとう元カノ。

 まさかずっと玄関扉の前に陣取っていたのか。俺が留守だったらどうする。

 それに、販促のお姉さんとあんたが鉢合わせたらどうするんだ。微妙な空気になっちゃうだろ。

 玄関先は数分後に俺とお姉さんが互いに心を開いた真摯(しんし)(紳士)な会話を繰り広げるのに使うのだ。部外者は立ち入り禁止である。早急に荷物を受け取りご帰宅願おう。

 販促の彼女の来訪、飯塚に謝罪、宅配便の受け取りと、今日は外に出る用事が多く忙しい。俺の休日はもっぱらゲームに興じるのみで、カーテンを開けない日もざらにある。珍しいことだ。

 たたきでサンダルに足を通してから半裸であることに気づいた俺は、部屋に逆戻りし脱ぎ捨てられていたズボンをつっかえつっかえ履く。

 警察からの電話中に中途半端に着替えたせいだ。ほとんど脱いだだけだが。

 あの警察は誰だったんだろうか? 電話内容が嘘だった時点で警察ではあるまい。

 そうだ。スマホに残った履歴を辿れば、誰がこんな悪質な悪戯(いたずら)をしたか分かるかもしれない。悪戯とはいえ俺の母親をダシに使うとは、笑えない冗談だ。どうせ犯人は親しい友人の誰かだろうが、きつく言っておかねばなるまい。暇を持て余した神々の悪戯(あそび)とか言ったら許さないぞ。今日は四月一日(エイプリルフール)じゃないんだから。

 すすっとスマートフォンを操作し、履歴ページを開いた。

 警察からの着信は……、っと。

 ……嘘だろ。

 履歴には「非通知」の字が並んでいた。

 今日俺が実家にかけた番号以外が全て「非通知」となっている。

 ……警察ともあろうものが非通知で電話なんてかけるだろうか。

 かけるわけがない。つまりこれは悪戯。

 販売促進の電話が非通知なんて有り得ない。これも悪戯か。畜生。純粋無垢な青年の心を弄びやがって。

 すると俄然(がぜん)、ドアホンの液晶の宅配便の男まで怪しく見えてきた。

 おかしいとは思っていたんだ。

 まず、実家暮らしの母――実家で父に頭を撫でられていたらしい――が俺の家の近所で事故に遭うとは考えにくい。俺の自宅に来るなら、父と一緒に来るはずだ。事故に巻き込まれたとしても、父も道連れで怪我を負うはず。電話をかけてきた警官面した男性は父について一言も触れなかった。

 さらに、販促のお姉さんは電話をかけるのが仕事だろうに、営業の外回りを兼任していると言っていた。それなら電話などせず直接訪ねて来ればいいではないか。ついでに俺の住所も知っていたし。

 そして……玄関前のツナギ姿の男。宅配業者の配達員は一つの部屋の前に何分も滞在するような真似はしないはずだ。加えて、俺は宅配業者に荷物を注文した覚えなどない。

 どれも疑いなくスルーしてきたけれど、不審な点が多すぎるのだ。

 だが、悪戯にしても悪質が過ぎる。ここまでする理由は何だ。

 販促の彼女と会うのは玄関先、母が事故に遭い運ばれたというのは東山大学病院、配達員を出迎えるのは玄関先。どれもが()()()()()()()()()だ。

 廊下の向こうの玄関に視線をやる。配達員が立ち塞がっているのか、覗き穴から光は差していない。真昼間だというのに薄暗い廊下が一層暗く感じられた。

 今日俺の身に起こった不可解な出来事は全て、「俺を玄関から外に出させる」のが目的だったのだ。

 だが、俺を部屋から出させて何になる? 殺すのか? そんな物騒な。

 玄関開けたらクラッカー爆発、誕生日の祝賀パーティーが始まる、……こともない。誕生日は今日ではないからだ。今週でもなければ今月でもない。

 嘘の電話で俺を家から引きずり出してまですべきこととは。

「……刺されるのか?」どうにも現実味の欠落した妄想だ。

 そもそも俺に恨みを持つ輩がいない。殺害される理由は皆無……。

 いるじゃないか。しそうなやつが。

 ……こんなことをするのは。する可能性があるのは。男女構わず大勢の声を使い分けるなんて芸当が出来る人物。――そいつは。

 飯塚しかいない。

 俺は学生時代飯塚を見捨てて逃げた。親しかった友人の手酷い裏切りに、飯塚は俺に激しい憎悪を抱いた。八年の時を経ても消滅することのない、殺したいほどの、許し難い怨念を。

 ああ、十分に考えられる。

 ピンポーン

 三度、インターホンが鳴らされる。

 玄関の鍵は開けっ放しだ。

 恐る恐る、忍び足で玄関に向かう。裸足の足の裏と廊下の床がピタピタと、シールを貼ったり()がしたりするかのような不快な音を奏でる。

 そして俺は廊下を中頃まで進んだ時、たたきの方で何かが擦れるギリギリという音を聞いた。

 薄暗い廊下の先、玄関のドアノブに付着した手垢の汚れが、微妙に動いているのだ。

 ゆっくりとだが、確かにドアノブが回されていた。冷や汗が背筋を伝う。

「早く出ろよ」低いしゃがれ声は、嫌でも耳に入った。

 飯塚の声だった。事故に遭った飯塚が助けを求めてひねり出した、まさしくその声だ。

 おそらくこれが、飯塚の最も自然な声だったのだ。事故の際、俺は飯塚がふざけていると誤認し、立ち去った。

 悪かったな、飯塚。

 心臓がはちきれんばかりに脈を打っている。額からこめかみに冷や汗が垂れた。ハア、ハアと呼吸音が鼓膜(こまく)を揺らす。

「そうだ、もっと近く」扉に金属が触れたような音を聴き取る。

 慎重にたたきを踏んで、覗き穴から外の景色を覗く。聞こえる呼吸音が比較にならないくらいに荒く、大きくなっている。

 見えたのは、真ん丸に見開かれた、血走った小さな目だった。ガリガリッと一息に、ドアノブが回転する。




最近アニメをよく見ます。合わないなあと感じる作品も多いですが、「鬼滅の刃」は面白いですね。なんであんなにヒットするんだろうと考えながら見ています。
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