LAGOON THE SHORT   作:サメの歯

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喧嘩したロックとレヴィの短い話です。


GAY IN THE BAR

 夜の無い街ロアナプラは、たまに気まぐれな悪意でも働かないと、血と薬とむせ返るような悪意の入り混じった混沌から遺体を返しさえもしない。

 

なかんずく「イエローフラッグ」と表札に掲げられたオンボロの酒場はいつだって不機嫌そうな息をして、腹の中の気まぐれで胃液の弾丸を弾けさせながら中の人間を一つも吐き出さないことが時としてある。

 

 レベッカ=リーは不機嫌そうな息を鳴らして、件のイエローフラッグでさえも直ちに消化不良でペッペと吐き出してしまいたいと思うような荒々しさでガタンとスツールに腰かけた。数年も荒々しい人間に酷使されているそれはキキーっと悲鳴をあげたものの、主人の機嫌を損ねまいと再び沈黙を守った。

 

目前に不機嫌な女が勢いよく座るのをため息混じりに見ながら、

「おいレヴィ、やけに機嫌が悪いじゃねえか。頼むから憂さ晴らしにここをまたオープンカフェかなんかにするんじゃねえぞ」と、イエローフラッグの店主バオは釘をさした。この街で最も危険なのは、不機嫌なフライフェイスのロシア女に、笑顔の中華マフィア、それに目の前で今にも沸騰しそうなこのレベッカだと店主は知っている。

 

「ああ?うるせえなあ、それより酒だ。今日は飲まなきゃやってらんねえ」

 

「ったく。触らぬレヴィに祟り無しだ。大人しくしておけよ」バオは呆れながら、棚の奥から取り出したオレンジビターズをタンブラーに注ぎ、レベッカの前に置いた。

 

「おい待てよ旦那。いつものリコリス姉さんはどうしたんだ?あいつがいなきゃあ締まるもんも締まらねえだろうが」

 

「悪いなレヴィ。あいにく切らしてんだ。そんな趣味の悪い女よりもドライジン野郎に鞍替えしてもいいんじゃねえのか」

 

「はんっ、あいにくそんなカラッカラの干からびた男に興味はねえよ。どこぞのホワイトカラー野郎よろしくな」

 

フンっと不機嫌な音をたて、酒はグイと喉に押し込まれた。件の日本人の憎たらしい顔が苦味とオレンジの風味に合わさってそのまま喉を通り過ぎた。

 

 ちょっとした小競り合いのつもりでつつき合っていたら、いつの間にか本気で殴り合っていたなんてことはよくある話で、ロックがレベッカお気に入りのオレンジリップクリームを間違って使ったことが発端で、いつの間にかレベッカの服のセンスの悪さの話に持ち込まれ、最後にはロックの胸ぐらがレベッカの力強い拳によって握り締められていたところで、喧嘩はダッチのヘッドロックによって解散させられた。

 

 いくらレベッカが男顔負けのワイルドなガンマンだとしても、唇が乾けば集中力は持たない。お気に入りのカトラスのスプリングに油が足りていなければ、銃の撃針はプライマーを鋭く押し出したりは出来ないのと同じことだ。

 

 ただ、レベッカに反省の気持ちが出てはいないということではない。ただそれは、意地の山が反省の太陽の光をいつまでも遮っていて、その山が崩れるには時間が必要だということだ。

 

ドンっと、野ウサギも飛び出す荒々しさでタンブラーをカウンターに叩きつけ、あの憎たらしいアジアンフェイスの顔を思い出しながら、静かに酒が回るのを待った。チェッカーボードを広げていた数人のフロックコートを着た荒々しい男達も、カエルよろしく逃げるようにこの酒場を飛び出したかもしれない。

 

程よくアルコールがレベッカの頭をぼんやりとさせ、さてあの男をどうやって謝らせようかとホルスターを片手で弄んでいると、レベッカの隣にベルモットの甘ったらしい匂いと共に「よいしょ」と静かな声で女が座るのがちらと見えた。この不愉快な、匂いを纏わせるのは水商売の女と相場がきまっている。尤も、この匂いを発する女に群がる男もこの街には大勢いるのだけれども。

 

ただ、レベッカはこの街に精通しているとは言っても、全ては知っているわけではない。飛行機王サントスディモンが車については何も知らないのと同じと言っても良い。

つまり、長々と話したが、レベッカはこの女の顔を見たことはない。

 

「ああ?見ない顔だな。どこの店だ?あの気色の悪いアフロ野郎の店か?」バオから4杯目の酒を注がせた後、またもそれを一気に喉に押し込んで横目で女をチラリと見た。

 

「まあ、そんなとこね。ただ、いつもはあんたの着てるその服とか作ってるわ。服屋さんって、やつよ。あの人に世話になるのは家の酒がなくなって飼ってる大きな猪が暴れ出すときと、その親猪が金をせびってくるときぐらいね」

安物のビロードのブラウスを身にまとい、腰のギャザーにこれまた安っぽいフラウンスをはためかせてフフンと微笑みを湛えた。

 

「はっ。猪なんて危ないモン飼ってもいいことないぜお嬢ちゃん。飼うならもっと従順な犬を飼わなきゃ。んでもってコニーアイランドでバターケーキでも子供に配ってるのが似合いだ」

 

レベッカの言うことはいつでもトゲと皮肉と悪意が等分ずつブレンドされていて、言われた人間は少なからず腹を立てることがある。しかし今回のレベッカはそのブレンドの比率を変えて、皮肉、そして純粋な感想の1:3にした。

 

「まあ、そうね。けど、猪に大昔に助けられた人間も、いないことはないわ」

 

笑顔は憂いの表情へといつの間にか様変わりし、女はどこをみるでもなく虚空を見上げているのだった。

 

レヴィことレベッカ=リーにも女らしいところがないわけでもない。お気に入りのウィンチェスターは今でも大事に部屋に飾ってメンテナンスを欠かしていないし、リップクリームにだって少しのこだわりがある。ただ、この女の、男を男「たらし」めるような色気はレベッカには無縁のもので、この女に少しの嫉妬心が沸かないわけでもない。いつもはカトラスを大いに振り回して血を飛び散らせるレベッカも、一度仕事が終われば気も緩んで女の心が出てくる時もある。ただ、いつもはそれをおくびにも出さないだけだ。出せば弱みになって死ぬ命を落とすこともある。ロアナプラはそういう街だとレベッカは知っている。

 

「はんっ。そうかよ」眉間のシワは不機嫌そうにその筋をさらに深め、より多くの酒を欲するのだった。

 

「そういえば、さっき変な男が、いや心は女だったかもしれないけど、うちの店に来たわ」

 

女はやけに嬉しそうだった。かつての楽しい日々を思い出す35歳の疲れ切った妻のように笑い、綻んだ笑顔はライラックのようだった。

 

レヴィはもともと無口な方ではない。いつだって1言われれば4返すような女だ。しかし、今日は話したくない気分だった。だから女の話を黙って聞いた。

 

話は簡単で、奇妙なオカマ野郎が女の店に来ている親猪を追い払ったと言う話だ。

 

「ハっ。なんでもそりゃ、愉快なこった」

 

「ふふっ。本当にね。しかもそのオカマったら、この街一番の雑貨屋を教えてくれなんて言ってね。どうやら、大切な旦那さんにプレゼントを買ってあげるとかなんとか、そんな健気なこと言ってたわ。あんまり覚えてないんだけど」

 

「殊勝なことで」

 

「オカマでなければ、いい男だったんだけどねえ」

 

「違いねえな」にやりとレベッカが笑った後、女も笑い、その後しばしの沈黙が訪れた後、女はポツリと「あんな風に、私も愛されて見たかったわ」と呟いた。

 

「お前は玉なし竿野郎にゾッコンってわけだ」

 

「ふふっ、まあ、羨ましいってだけよ。彼女、いや彼?まあ、どっちでもいいや。あの人の相手がね。あんな目をさせるなんて、一体どんないい相手なんだろうって」

 

懐かしむように目を細めた後、女は取り直したようにスツールに座り直し、オンボロの懐中時計を覗いてもう帰る時間だと言った。

 

「あなたは?」

 

「ギムレットにはちと早いな」

 

「洒落たこと言うじゃないの。じゃあね」

 

そう言って女はイエローフラッグから夜の歓楽街へと足を運んで行ったのだった。

 

レベッカはぼうっと、なんとなくそのナイスガイことナイスゲイの顔が一体どんな顔だったのだろうかと考えながら、オレンジビターズにレモンを適当に絞ってグラスを仰いだ。

 

「ここにいたのか、レヴィ。ダッチが呼んでるぞ」

 

「ああ?」

 

背後から憎たらしくも聴き慣れた声が飛びかかった。

 

「ったく、どうして俺が」その声にレベッカは再び怒りを再燃させそうになる。

 

「それと、これ」しかしレベッカの反論が口から出る前にロックは言葉を続けた。

 

振り返ったレベッカに差し出されたのは4インチ四方の赤い紙袋。

 

「一応、これ。今朝は、ごめん。一応、新しいの買ってきたんだけど」

 

レヴィは目を擦ってロックの顔を見上げた。

 

唇には、妙にぼやけたオレンジの口紅らしきものが周りにまとわりついていた。レベッカ愛用の、あのリップクリーム。

 

「なあ、なんでかわかんないんだけど、みんな俺の顔じろじろ見てくるんだ。おれ、何か変か?」

 

「っプハハ。ああそりゃ」

 

レヴィは涙を堪えながら言った。

 

「オカマみてーだ」

 

かくして、イエローフラッグからは、妙に嬉しそうな女ガンマンと、妙な格好をした男が、妙に近い距離で歩きながら吐き出されたのだった。

 

「おいレヴィ、近いよ。暑いから離れてくれ」

 

「ははっ。うるせえよオカマ野郎」

 

ロアナプラの夜は長い。

 

 

 


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