シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

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そろそろ皆さんも気付いてきているでしょうが、一応サブタイトルで上位世界へやってくる装者を暗示しています。
と言いつつそれを守らない時もあるかもしれませんがご了承ください。

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誰かのためのヒカリ

「先輩、こっち終わったよ」

 

 そう言って笑うのは天羽さんである。今夜から彼女のバイト研修が始まったのだ。

 ちなみにこれに先駆け彼女もギアへスマホの欠片を、依り代を組み込んでもらいに行っていた。

 

 ……体感三分ぐらいで帰ってきたけど。それでもあっちだと数時間は経過しているんだからホントにどうなってるんだか?

 

 時刻は午前一時を過ぎ、店内には客の姿もない。オーナーは荷物が大量に来る三時ぐらいまで仮眠中。

 よって今は俺と天羽さんだけ。教えないといけない事はそこまで大量にある訳ではない。残りはまだ来てない冷凍商品とか本の納品処理に、トイレ掃除などの店内清掃だ。

 

 ああ、ドライやアルコールとかのリーチ行きの飲料もそうだ。ただそこまで面倒な事はない。その荷物の多さに最初は閉口するかもしれないけど。

 

「分かった。じゃ、バックヤードのオリコンから商品補充をよろしく」

「バックヤードね。了解」

 

 大通り沿いや深夜でも人通りのある場所ならともかく、こんな住宅街に近いコンビニの深夜など基本静かなものである。

 まぁ金曜の夜や土曜の夜なんかはそうでもないのだが、今日のような平日の夜はこの通りだ。

 

 にしても、先輩、かぁ。今まで呼ばれた事ないからどこかくすぐったい。この先輩にはバイトの先輩という意味だけでなく設定上の“高校の先輩”も含まれているらしい。

 

 天羽さんの考えた設定はこうだった。高校卒業と同時に地元を離れ音楽で食って行こうとしたのだが、そう簡単に行くはずもなくバイトに明け暮れる日々。

 そうなると短時間で稼げる仕事を探すようになり、そこに加えて日々の食費も減らせるのが望ましいと思っていたところ、高校時代の後輩であるクリスからバイト中なら廃棄品での食事を許されると知ってやってきたと、こんなところである。

 

 オーナーはその話を聞いて天羽さんを雇う事に決めたそうだ。

 

――いや、僕も若い頃はバンドをやっていてね。

 

 そう照れくさそうにオーナーは言ってたっけ。夢のある若者を応援したいと、そうも言ってた。

 それを教えたら天羽さんは若干心苦しそうにしつつも最後には……

 

――ま、ある意味事実だからいっか。今のあたしは歌い手系配信者、だっけ。それだしさ。

 

 なんて笑っていた。実際今の彼女は場所が場所ならそれなりの人気者だ。

 まだ翼と合わせて十曲にも満たない動画配信であるが、それでもツヴァイウィングの力は凄まじく、逆光のフリューゲルは既に三日で五十万再生を超えている。

 それに影響され翼の上げている動画の再生数も伸びているし、天羽さんの個人曲もカバーが二十万再生でオリジナルの“逆光のリゾルヴ”に至っては三十万再生だ。

 

 チャンネル登録者数も二十万がもう見えている。正直言ってちょっと怖いぐらいだ。

 でも、もしかしたらこれはシンフォギア効果なのかもしれない。この世界から消えた“戦姫絶唱シンフォギア”だけど、その事を知っていた人達はどこかで覚えているんじゃないだろうか?

 じゃないと、いくら奈々さんの名前で釣ったとはいえ翼の歌で初日に十万以上もチャンネル登録者数がいくとは思えない。

 

「せんぱーい、補充の仕方は品出しと一緒?」

「そうだよ。日付を見て古いのが前になるようにしてくれ」

「はいよ」

 

 楽しげにお菓子の補充を始める天羽さん。どうやら本当にバイトを楽しんでいるらしい。

 何せ鼻歌まで歌って……ん? このメロディって……。

 

「天羽さん、それってもしかして……」

「ん? ああ、これ? そ、先輩から借りたCDに入ってたやつ」

 

 そうニヤリと笑う天羽さん。そう、実は前々から響達に俺のよく聞いていた音楽を知りたいと言われていたのだ。

 ただ、残念ながらほとんどデータとしてノートPCへ落としていて手元にあるのは本当に僅かな物しかなく、それでもと言われたので渡したら何と彼女達は中古のCDラジカセを買ってきたらしい。

 で、今やあの部屋では近所迷惑にならない程度の音量で特撮やアニメの歌が流れるのだ。

 

「でもどうして仮面ライダーV3……」

 

 と、そう言った瞬間思い出す。彼女は風見志郎と同じく両親と妹の四人家族だった事を。

 

「ま、色々理由はあるけど一番は途中のフレーズかな。父よ母よ妹よって」

「……悪い」

「いいって。何となくあの歌があたしには自分の歌にも思えてね。ま、あたしの場合はデストロンじゃなくてノイズだったけど」

 

 終始笑みを浮かべながら補充を続ける天羽さん。その横顔はたしかにどこか昭和ライダーのような悲哀を秘めているような気がした。

 考えてみれば彼女はあのライブで片翼を失ってからたった一人でノイズと戦い続けていたんだ。始まりは家族を失った事への復讐。本当に昭和のヒーローみたいだ。

 

「でも、V3で良かった。彼は途中から死んだと思っていたダブルライダーや終盤には相棒とも言えるライダーマンを得るんだ。天羽さんもそれと同じと言えなくもないし」

「へぇ、そうなんだ。てっきりあたしは一人きりで戦い続けるかと思ったよ。てか、ダブルライダーって何? 死んだと思ってたって……どういう事?」

「ええと……」

 

 隣へ移動して俺も補充を手伝いながら話す。静まり返った店内に店内放送と俺達の会話だけが響く。

 会話だけなら男と女がするものじゃない。それでも俺も天羽さんも気にしなかった。

 

 補充を終えてからはトイレ清掃を教える事に。天羽さんは学校を思い出すと言って苦笑してた。その笑顔がとても可愛くて、やっぱりこの子もまだまだ少女に近いんだなと思った。

 

「それにしてもさ」

「ん? 何か分からない事でもあった?」

 

 今は二人でカウンター内で廃棄時間の確認中。洗い物はとっくに終わってるし油交換は明日する予定なので必要なし。

 廃棄処理も既に終わっているので問題はない。休憩中の食糧には困らないと言える。まぁ、それも善し悪しなのだが。

 

「違うよ。思ってたよりも楽だなぁってさ」

「ああ、それか。ご心配なく。深夜の大変なところはこれからだから」

「そうなの?」

「そう。荷物は多い日だと全部で五回くる。まずは米飯やサンドイッチにチルド飲料系。次はパン。ここまではいい? で、次は本が来て、下手すると同時に冷凍商品が来る。で、最後に来るのがドライ。つまり店内の大半の商品だ」

「……うん、分かった。つまりあたしはまだ全然荷物をやってないって事か」

「そゆこと」

「ぷっ、何さその口調。似合わないって」

「いいだろ別に。っと、そろそろ肉まんアウトか」

 

 管理票を見れば残った一つが残念ながらタイムアウト。トングで取り出し捨てようとして……天羽さんを見た。

 

「食べる?」

「え? いいのかい?」

「いいよ。オーナーからは深夜のカウンターフーズに関しては持ち出さないなら確認要らないって言われてるしね」

「そうなんだ。じゃ、ありがたく」

「一応裏で食べてくれ。お客さんが来ると面倒だ」

「了解。へへっ、何だかテンション上がるなぁ」

 

 いそいそと裏へ引っ込んでいく天羽さん。うん、気持ちは分かる。俺も最初の頃はそうだった。

 これが一月もしない内に慣れ、あまりワクワク出来なくなるのだ。特にオーナーと二人だと揃って廃棄が出る度にため息が出る。

 

「売上にならないってのは、遠回しに俺の首を絞めてるようなもんだって気付いてしまったからなぁ」

 

 弁当屋は若干違う。あそこでは賄いが新メニュー開発も兼ねていた。つまり意味のある無駄と言うか、先行投資のようなものだった。

 でもコンビニは違う。ここでの無駄は本当に意味がない。食べてやるしかないのに、本来はそれさえも許されないのだ。

 

 そんな事を考えているともう一時半を過ぎた。あと三十分ぐらいでパンが来るな。

 今日の食事はパスタにするかパンにするか迷うとこだ。正直言えば天羽さんが何を食べるかによる。

 まぁ今日は初日だし、天羽さんの好きな物を選んでもらおうと思っている。オーナーはいつもパンを食べてるしな。

 

 ……きっと理由がいつも必ず何か廃棄として出るからだろうけど。

 

「ねぇ」

 

 ぼんやりと考え込んでいると後ろから聞こえる声。振り向けば天羽さんがメモを手にして若干首を傾げていた。

 

「どうした?」

「いやさ、メモを読み返してたんだけどさ、もう一回教えて欲しい事あるんだけどいい?」

「いいよ。何?」

「えっと……」

 

 天羽さんはクリスとこういうとこは似てる。ただ、クリス程几帳面ではない。

 メモを全部取るのではなく必要だと思った事や部分だけ取るタイプだ。

 天羽さんの疑問や質問へ答えていると時折来客があり、そのレジは全部彼女にやってもらった。何もサボった訳じゃない。深夜はそもそもレジをやる事が少ない。

 十時から一時まではそれなりにある方だが、そこからは本当に一時間に五回やったら多い方になってくるのだ。

 なので経験値を積んでもらうために天羽さんへやってもらっている訳。まぁ、正直問題なさそうだけど。

 

「おっ、パンが来た」

「え? ああ、あのトラック?」

「そうそう。大体二時前後に来るから覚えておいて」

「了解」

 

 中華まんの蒸し器の清掃の仕方や注意点を教え終わった頃に次の荷物が到着。

 すると天羽さんが既に手にリーダーを持っているではないか。

 

「これ、使うんだよな?」

「さすがにもう分かるか」

「当然」

 

 軽く笑みを浮かべる天羽さん。どうやらこれなら大丈夫そうだな。そう思いながら俺は商品を運んでくる馴染のおじさんを見つめるのだった……。

 

 

 

「あ~っ、疲れた」

 

 店を出て少ししたところであたしがそう言いながら伸びをすると、隣の只野が苦笑した。

 

「途中まで楽勝過ぎるって言ってただろ」

「途中まではね。何、あの荷物。えっと、カゴ車って言うの? あれで三台とかどうなってるのさ」

「多いともっと来るぞ。今日は新商品もなかったし、飲み物もアルコールが少な目だったから」

 

 嘘だろ。しかもただ運んだりとかだけならあたしも平気だけど、あれのバーコードを商品別に読み取っていかないといけないってのが面倒だ。

 しかもその荷物が来てからはもう大変。今日はオーナーがいたから三人でやれたけど、普段は二人でやらないといけない。

 あたしはまだ店内の商品配置とか覚えてないから右往左往してた。まぁ、それを見ては只野やオーナーが教えてくれたんだけどさ。

 

「そんな顔するなって。俺の言った事覚えてるか? 多い時は最大で五回荷物が来る」

「うん」

「つまり、だ。逆言えば少ない時もあるんだ。週に二回冷凍はこない日があるし、何と週に一度はドライが来ない日がある」

「じゃ、四回になるんだ」

 

 そう言うと只野は小さく首を横に振った。

 

「違うんだ。実は、そのドライが来ない日は冷凍の来ない日と重なってる」

「じゃ、その日は三回しか荷物がない?」

 

 笑みを浮かべながら頷く只野を見てあたしはふと気付いた。

 あたしの初日が今日になったのって、何でもオーナーと只野の相談の結果らしいんだよね。

 最初オーナーは明日にしようとしてたらしいけど、それを只野が反対したって。

 

「まさか……」

「おめでとう。今夜は荷物が少ない日だ。ただし、冷凍がないだけだけど」

 

 やっぱり。要はこいつ、あたしが初日で楽を味わうのを嫌がったんだ。

 それがどういう理由かは考えないけど、単なるいやがらせとかじゃない事はあたしにだって分かる。

 

「なら一番荷物が少ないのはいつ?」

「毎週土曜の夜勤。つまり三日後」

「……あたし入ってる」

「オーナーも出来るだけ荷物の少ない日を休みにしたいのさ。心配事が減るからな」

 

 納得。それにしても、今日は中々大変だったけど楽しくもあった。

 知ってるつもりのコンビニだけど、裏側に入ると色んな発見があるもんだ。

 オーナーからも、少しだけなら廃棄持ってっていいって言われたし。

 

「それにしても、そのシュークリームは響達用?」

「そ。で、この小さいクリームパンはおやつかな」

「気を付けないとすぐ太るからな。夜勤はデブるぞ?」

「分かってるよ。こっちじゃ訓練も出来ないしね。精々ランニングとか筋トレでもするさ」

「それもそうか。俺も何かやった方がいいかなぁ……」

「やった方がいいんじゃない? 言いたくないけど、廃棄の食事って油分や塩分多くなるよ」

 

 そんな事を話していると只野が足を止める。そこがどうもあたし達の住むアパートとあいつのアパートへの分かれ道みたいだ。

 

「じゃ、気を付けて帰れよ。おやすみ」

「ん。おやすみ」

 

 軽く手を上げ合って別れる。只野はあたしへ背を向け道を曲がる。その背を少しだけ見送って、あたしはそのまま直進する。

 何て言うか、バイト中は先輩って呼んだけど、いっそ外でもそう呼んだ方がいいかな?

 何せどこで誰が見てるか分からない訳だし、店と外で呼び方が違うって逆に言うと怪しいもんな。

 

「……よし、これからは先輩って呼び続けてやるか」

 

 言って少しだけ笑う。きっと只野は店の中は平気でも外だと恥ずかしがると思ったから。

 とりあえずさっさと帰ろう。でシャワーを浴びて翼達と朝ごはんを食べて……ん?

 

「あたしはいつ寝れるんだ?」

 

 今夜もバイトなら寝ないといけない。となると遅くても昼前には寝たい。でも朝ごはんはきっと八時とか早くても七時半。

 食べ終わってからいきなりは走らないから遅いと九時だ。終わって帰ってきてシャワーを浴びて……おいおい十時ぐらいになるかもしれないのか、これ。

 

「十時に寝たとして……晩ご飯は早いと五時、遅くても六時。つまり寝てられるのは七時間?」

 

 でも、それだと起きてすぐ食事だ。うん、これは不味いね。

 こうなるとあたしだけバイト終わりは翼達と別の行動をするしかない。

 そうと決まれば急いで帰ろう。で、シャワーは後回してシュークリームを冷蔵庫にしまったらそのままランニングだ。

 

「これからはバイトに行く格好からトレーニングを考えないといけないね」

 

 軽く走りながらあたしは笑う。いいじゃん、やってやるよ。どうせ週三日の事だ。

 夜の暗闇から働き出して、こうして朝の眩しい日の光を浴びて汗を掻けるなんて気持ちいいじゃないか!

 それに、もしこれで太りでもしたら絶対あいつが笑う。ほら見ろ言った通りだって。

 

 そんなのは絶対嫌だ。見てろ。あたしは絶対体重も体型も維持してみせるっ!

 

 その気持ちでアパートへ戻ると心持ち静かに階段を上がる。二階建ての一番手前側の部屋。そこが今のあたしの住家。

 鍵を取り出して開錠してそっとドアを開けると翼がもう起きていた。クッションの上に座ってテーブルに肘をついてる。っと、こっちに気付いた。

 

「ただいま」

 

 初めて出すような小声でそう告げた。奥にまだ寝てる響とクリスが見えたからだ。

 

「おかえり奏。お疲れ様」

 

 その小さな一言と笑顔が結構心に効いた。何だろうね、これ。多分だけどこれまであたしと翼がいたら一緒に戦ってたからだ。

 つまり、こうやって出迎えてもらう事はなかった。それが何て言うか、これが平和なんだって感じられるからだろうな。

 

「これ、お土産。定番のやつ。冷蔵庫に入れておいて」

「分かった。シャワー浴びるよね? 着替え出しておくから先に入って」

「あっ、ちょっと待って」

 

 そっと立ち上がって寝室へ行こうとする翼を制止する。というか、あれ? 翼ってこんなに気を利かせる子だったっけ?

 

「どうしたの?」

「えっと、あたしこれからちょっと走ってくるんだ」

「…………そういう事か。分かった。でもちょっと待ってて。タオルぐらいは必要だよ」

 

 そう言って翼は静かに足音一つ立てず寝室へと入り、タオルや下着などを入れた三段ボックスの一番上段からタオルを一枚取り出した。

 そしてまた音もなく戻ってくる。本当にどうやってるんだろ、あれ。

 

「はい」

「ありがと」

「気を付けてね。一応鍵持ってく?」

「いいよ。朝ごはんは二人が起きてからだろ? それまで汗掻いてくるさ」

「分かった。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 

 こうして再び部屋を出る。何だろうね、あの翼の奥さん感。

 もしあれが只野と出会ったからって言うなら、ちょ~っと色々あいつに問い詰めなきゃいけない事が出来たかも。

 さて、目的地はいやルートはどうしようか? 翼達と一緒に走ったやつもいいけど、どうせあたし一人なんだ。ならこの辺の散策も兼ねるか。

 

「……ならジョギングだね」

 

 軽くその場でストレッチをし、あたしは見知らぬ街を走り出す。

 朝の風は心地良く、まだ静かな街は穏やかで、柔らかな陽射しが優しく辺りを照らしていく。

 まだ知らないに近い場所だけど、もうあたしはこの街が好きになり始めてる。いや、この平和な世界がだろうね。

 

――あたしの世界も、いつかこんな風になって欲しいもんだよ……。

 

 

 

 奏が出て行ったのを見送り、翼はそっと立ち上がって靴を履き出した。

 

「まだ只野さんは起きてるかな?」

 

 そう呟く彼女の表情はまさしく恋する乙女のものだ。

 本当は奏がシャワーに入っている内に散歩と言って出かけようと思っていた翼だったが、まさか彼女が一人でランニングへ出るとは思っておらず完全に予想外だった。

 だがそのおかげで自分も自由に動けると思い直し、翼は小さく笑みを零しながら部屋を出ようとした。

 

「っと、着いた」

 

 そこに可愛らしい声が聞こえてこなければ、だ。

 

「なっ……」

「あ、あれ? 暗い?」

 

 聞こえた声と生まれた気配に振り向いた翼が見たのはアガートラームのギアを纏うセレナであった。しかも彼女だけである。

 

「せ、セレナ?」

「え? あっ、良かった。翼さん、お久しぶりです」

 

 寝室の隅に置かれていたノートPCから現れたセレナはカーテンを閉め切られている室内に首を傾げるも、玄関にいた翼を見つけて嬉しそうに笑みを浮かべると同時にギアを解除する。

 

「あ、ああ。その、セレナ。少しだけ声量を落としてくれるか? まだ立花と雪音が寝ているんだ」

「え? あっ、本当だ。ごめんなさい」

「いや、いい。その、待っていてくれ。おそらく動けないだろうから」

「え? っ?!」

 

 依り代のないセレナではその場から動けないだろうと踏み、翼は静かに彼女の近くへと移動する。

 一方のセレナはまったく身動き出来ない事に驚愕しつつ頑張って動こうともがく。その奮闘する様が愛らしく、翼は小さく苦笑しながらギアを纏う。

 

「おそらく私が触れば……」

「あ、あれ?」

 

 抱き抱えるように翼がセレナを持ち上げるとその足は簡単に床から離れた。

 

「このまま運ぶ。大人しくしててくれ」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 生まれて初めてのお姫様抱っこ。その相手が同性の翼という事にセレナはガッカリ――ではなく照れていた。

 

(つ、翼さん、王子様みたい……)

 

 やや照れくさそうに頬を赤めるセレナに翼は微笑ましく思って笑みを浮かべつつ、ダイニングへと移動しセレナをそっと下ろすとそのすぐ近くへ響用の座布団を置いた。

 その初めて見る物に小首を傾げつつ、クッションと似たようなものだとセレナは判断したが当然座れないため、翼が手を触れてやるとやっと可愛らしくそこへ座る事が出来た。

 

「あ、あの、今のはどういう事ですか?」

「簡単に言えば、ここでは私達は存在が不安定らしい。依り代、と呼んでいる物があるんだが、それが近くにないと動けないようでな」

「依り代……」

「ああ。……見てくれ。ペンダントに微かに色の異なる場所があるだろう?」

 

 ギアを解除しペンダントを見せる翼。そこには微かに色が異なっている部分がある。

 

「はい。それが依り代なんですか?」

「正確には組み込んだ証拠、だろうか」

「そうなんだ……。あ、あのっ、もしかしてこっちは夜なんですか?」

「いや、朝だ。ただ、まだ起こすには早い時間でな」

「そ、そうなんですか?」

 

 やや驚きを表情に出すセレナだったが、その反応に翼は何か嫌な予感を覚えて表情を少しだけ真剣なものへ変えた。

 

「そういえばセレナ、どうしてここへ? たしか君は一人で行動するなと言われていたはずだが?」

「え、えっと、実はヴェイグさんが只野さんって方やその世界に興味がありまして、遊びに来てくれた暁さんと月読さんにお願いしてこの近くまでついてきてもらったんです」

 

 そのセレナの話は翼には初耳だった。何よりあの人間嫌いのヴェイグが人と自発的に会ってみたいと言い出すのは驚きでしかなかったのだ。

 ちなみに切歌と調はマリアの言い付けにより仁志の世界へ勝手に行ってはならないと言われているので裂け目の手前で待機中である。

 

 そしてヴェイグが来た事で一つ分かった事実があった。

 

「匂いがない?」

「はい。その、ヴェイグさんが言うには、この世界は嫌な匂いも優しい匂いも一切しないそうなんです」

「……それがどういう意味を持つのか説明してもらえるか?」

「えっと……つまりここに住んでる人達の心が優しいとか汚れてるとかがヴェイグさんにも分からないって事みたいです」

「そうか。彼であってもこの世界の人間の善悪を事前に察知するのは不可能か」

「……らしいです」

 

 得られた情報に翼は内心でため息を吐いた。やはりこの世界は異常なのだと改めて感じ取って。

 沈黙してしまった翼にセレナはどうしたものかとオロオロとしていた。と言うのもヴェイグが何とセレナの中から出てみたいと言い出したからである。

 

――ヴェ、ヴェイグさん、本当に大丈夫ですか?

――ああ、この感じなら平気だ。

――わ、分かりました。気を付けてくださいね?

 

 そんなやり取りをした後、翼の目の前に久しぶりにヴェイグが姿を見せた。

 

「ヴェイグさん、どうです?」

「ああ、思った通りだ。ここなら俺も平気だ」

「平気、か。やはりここは特殊な世界で間違いないんだな」

「それで、タダノ? その人間はどこだ? 一緒じゃないのか?」

「ああ、只野さんはこことは別の場所に住んでいる。歩いて十五分程だが、今は多分寝ているはずだ」

「そう、そこなんですけど聞いていいですか?」

 

 そのセレナの切り出し方で翼はもう何かを察していた。

 

「分かっている。セレナ、君が月読達と来たと言う事はそちらはもう既に活動するような時間なのだろう?」

「は、はい」

「ちなみに何時か教えてもらえるか?」

「えっと、十時です」

 

 思わず翼は息を呑んだ。これまでこの世界へやってきた者達は時間の経過がずれている事があっても、そこにはそれなりの法則や条件があった。

 今回のセレナはそれから外れていたのである。この日初めてやってきた装者であるのに、その到着時間が大きくずれていたのだから。

 

「……そこまで違うのか」

「え、えっと、こちらは何時なんですか?」

「朝の六時半になるかならないかだな」

 

 今度はセレナが息を呑む番だった。三時間以上のズレという想像もしない現実に幼い彼女は感じ取ったのだ。この事が意味するのは絶対に良い事ではないと。

 翼とセレナの視線が交わる。そこに宿る色が同じである事に気付き、二人は同時に小さく頷いた。

 

「セレナ、暁と月読と共に一度私達の世界へ行ってくれ。そこで今の事を報告してもらえるだろうか? それと、君もここで活動できるようにギアへ細工をしてもらって欲しい。もしマリア達もまだならそちらも同様の処理をと」

「分かりました」

 

 凛としたセレナに頷きを見せて翼は視線をヴェイグへ向けた。

 

「君はどうする? 可能なら只野さんと話をして欲しい。それで見えてくるものや事があるかもしれない」

「……一旦出直す。ここへの興味は強くなったがそれでもセレナから離れるつもりはない」

「ヴェイグさん……」

「そうか、分かった。では、また来てくれ。待っている」

「はい。ヴェイグさん、行きましょう」

「ああ」

 

 ヴェイグは翼の前から姿を消し、セレナはまた翼によってゲートまで運ばれて一旦出直す事となった。

 再び静まり返る室内。翼はため息を吐くと立ち上がって再び靴を履いた。

 そして部屋を出ると施錠しやや急ぎ気味に動き出す。向かうは仁志の部屋だ。

 

(遂に時間のズレが露骨になった。しかも今回はこちらよりも向こうの方が時刻が進んでいる。これは、何か嫌な予感がする)

 

 焦る気持ちが足へ宿り、その速度は早足から駆け足へと変わっていく。

 と、翼が仁志の住むアパート近くまで来たところで思いがけず奏と出くわした。

 

「あれ? 翼?」

「奏?」

 

 期せずして共に走っていたところで遭遇し、しかもそこが仁志のアパート前という偶然に二人は瞬きをするも先にそこから脱したのは翼だった。

 

「奏、実はさっきセレナが来て……」

 

 告げられる内容に奏の表情が一瞬にして真剣なものへ変わる。

 理解したのだ。その内容の異常さに。

 

「よし、只野の部屋へ行くよ」

「うん!」

 

 時刻は午前七時前。これまでの経験から言えばもう寝ていると翼は思った。それでも一縷の望みを託すように彼女はドアをノックした。

 

「只野さん、只野さん。まだ起きてますか? 起きていたら聞いて欲しい事があるんです」

 

 時間もあって大きな声は出せない事もあり、翼はノックも声も控えめにならざるを得なかった。

 だが奏はそこから動いて裏へと回る。そして窓までやってきてカーテンが閉まっているかどうかを確認したのだ。

 

「……開いてる」

 

 この時間に寝るのであればカーテンは閉められているはず。なのに開いたまま。これで寝ているとは考えられない。

 そう思って奏は急いでドアの前まで戻った。翼はもう仁志が寝ていると考えたらしく若干肩を落としていた。

 

「翼、多分だけど只野は部屋にいない」

「え?」

「カーテンが開いたままになってる。夜勤明けの人間がこの時間に寝るとして、カーテン閉め忘れる?」

 

 その言葉に翼は首を横に振った。ならばもう答えは一つ。仁志はどこかへ出かけている。

 

「奏、もしかしたら只野さんの身にも何か起きてるかもしれない」

「……手分けするよ。翼、あんたは一旦あっちの部屋まで戻って。で、もしセレナがいたら情報をもらう。あたしはこの辺を探してみる」

「分かった。またこの辺りで落ち合おう」

 

 頷き合って二人は動き出した。急いで部屋まで戻る翼とアパート周辺を探す奏。

 その頃仁志はと言えば……

 

「あーっ、良い気持ちではあるけど疲れたぁ」

 

 額から汗を流しながらあの公園にいた。彼は一旦部屋に戻った後、自分も運動をしようと思い立ち、楽な格好へ着替えてこの公園までやってきてから今まで、のんびりゆったりとしたペースで延々歩き続けていたのだ。

 要は体力作りのウォーキングである。スマホのアラームをセットし、七時になったら振動するようにし、ようやく終わりを迎えたと言う訳だった。

 

「でもこれなら続けていけそうだな、うん」

 

 取水場へ行き、汗を流すのではなく顔を洗うようにして涼を取り、持ってきたタオルで顔を拭いて頭の汗なども拭っていく。

 最後に水を少しだけ飲んで一息つくと、彼は自分のアパートを目指す――のではなく響達の暮らす部屋へ向かった。

 

「シャワーだけ貸してもらおう」

 

 七時になれば確実に翼が起きているはず。そんな考えで彼は女性達の部屋を目指す。

 それと同じくしてゲートからセレナが再び現れる。だが、今度は翼がおらず、彼女は困惑した。

 

「あ、あれ? つ、翼さん?」

 

 いるはずの相手がいない事に戸惑うセレナだったが、その目の前にヴェイグが姿を見せる。

 

「セレナ、誰か来るぞ」

「え? 翼さん?」

「いや違う。何の匂いもしない奴だ」

 

 その言葉の直後、ドアを軽くノックする音が響く。

 

「翼、悪いけど開けてくれないか?」

「……男の人の声?」

「タダノって奴じゃないか?」

「あれ? おかしいな。翼? おーい」

「あ、開けた方がいいかな?」

「分からない。匂いがないんじゃ俺でも判断出来ない」

 

 揃って困り顔をするセレナとヴェイグだったが、すぐに一つの結論に達した。

 

「「確認しよう」」

 

 こうして二人はドアの近くまで移動した。ただ、やはりヴェイグも動けなかったのでセレナが抱き抱える形での移動となったが。

 

「あの、只野さんですか?」

「え? 誰?」

「え、えっと、私、セレナって言います」

「セレナ? え? セレナってイヴさんの妹の?」

「あっ、はい。そうです」

 

 疑問符を沢山浮かべる仁志だが、その受け答えで大丈夫だと判断したセレナは鍵を開けた。

 ゆっくりと開くドアの向こうに立っていた汗をタオルで拭いている男性の姿を見て、セレナは目をパチクリとさせる。

 

「うわぁ、本当だ。思ってた以上に小さくて可愛いなぁ」

「え? あ、えっと……ありがとうございます」

 

 生まれて初めて年上の男性から本心で褒められた事にセレナは照れから下を向いた。

 だが、仁志の意識はすぐに別のものへと奪われる。

 

「って、ええっ!? ヴェ、ヴェイグさん?」

「……ホントに俺の事まで知ってるんだな。しかも、名前を」

「どうしてここに? いや、違うか。どうしてこうして外に? てか人間嫌いでしょ?」

 

 しゃがんでヴェイグへ目線を合わせる仁志にセレナは直感で彼が優しい人だと思った。

 同じようにヴェイグも彼が悪い人間ではないと感じ取っていた。

 

「……この世界やお前からは嫌な匂いがしない」

「匂い……? ああっ、そっか。君は人の悪意とかを感じ取れるんだっけ。でもそれなら良かったよ。きっとここも俺も酷い匂いではないと思うけど、絶対セレナちゃん程優しい匂いではないだろうし」

「そ、そんな事ないと思います」

 

 あっけらかんと自分や世界は良くない匂いをさせると言い切る仁志にヴェイグは瞬きをし、セレナは少し困った顔でそれを否定する。

 二人はこのやり取りだけで仁志が本当に自分達の事を知っているのだと理解し、しかも自分達しか知らないはずのやり取りからの発言である事も悟っていた。

 

「とにかく中へ入れてもらっていいかな?」

「あ、えっと……」

 

 しゃがんだままセレナへ問いかける仁志。セレナは自分が判断してもいいものかと困った。

 そこへ翼が現れたのである。

 

「た、只野さん? それに、セレナとヴェイグも……」

「翼、おかえり。というか、汗掻いてるけど……」

「説明は後です。セレナ、もう組み込んでもらったのか?」

「はい。姉さん達も今頃はギアにあの欠片を組み込んでもらってるはずです」

「一人で来たのか?」

「き、緊急を要するって事で」

 

 翼とセレナのやり取りで仁志も何となく良くない状況になった事を察したのか苦い顔をしていた。

 何せ一番年少の装者が一人でここへ来たのだ。しかも一度やってきて再度出直す程に。

 実際はヴェイグが自分に会ってみたかっただけとは知らず、ただ時間のズレというこれまで深く考えてこなかった部分での異変が起きたため、その認識は間違ってはいない。

 

「……翼、すまないけどシャワーを貸してもらえないか? 汗と一緒に眠気も流したいんだ」

「分かりました。バスタオルは後で出しておきます」

「ありがとう。セレナちゃん、ヴェイグさん、申し訳ないけどちょっとだけ待っててくれ。すぐに俺も話を聞かせてもらうから」

「はい」

「ああ」

 

 こうして仁志はシャワーへと向かい、翼はバスタオルを用意するとセレナへ留守番を頼み、奏と合流するため再び来た道を戻っていく。

 薄暗い部屋でセレナはヴェイグを抱き抱えたまま寝ている響達を見ていた。

 

「……何だか不思議な感じ」

「何がだ?」

 

 ぽつりと呟いた言葉へヴェイグが顔を動かす。セレナはどこか楽しそうな表情を浮かべていた。

 

「響さん達の寝顔なんて初めて見るんです」

「……そういう事か」

 

 セレナも響達と行動を共にした事がない訳ではない。ただ、一緒に眠る事などなかったので寝顔を見る事もなかった。

 つまり、本来なら見る事のなかったものを見ているからこそセレナは楽しそうにしているのだとヴェイグは理解したのだ。

 

「只野さん、良い人みたいです」

「……かもしれない」

「ヴェイグさんは、そう思いませんか?」

「分からない。ただ、ああやってはっきりと自分や世界が優しくないって言えるなら、悪い奴ではないと、思う。それに……」

「それに?」

 

 セレナの問いかけにヴェイグは少しだけ遠い目をした。

 

「……俺の名前を初めて会う人間に呼ばれるなんて、複雑な気持ちになった。俺の事を迎えに来てくれるはずだった友人の知り合いなんじゃないかって、そう思った」

「ヴェイグさん……」

「でも、きっと違う。あいつは俺の事を知ってるだけだ。でも、それが俺には嬉しい。あいつは聖遺物なんかに興味はないだろうし、ドヴェルグなんて事にもこだわらないはずだ。ただ、俺がヴェイグって事に喜んでくれた。それが、俺には嬉しかった」

 

 これまで自分の持つ力や技術を狙ってきた者達しか知らないヴェイグにとって、仁志の純粋な興味や接し方は好ましく映っていた。

 初めて見る自分に対しての興味を示す様は、かつての未熟な頃の自身を思い出させるものがあったのだ。

 

「……会いに来て良かったですか?」

「……まだ分からない。でも、これが悪い出会いとは思いたくない」

「んぅ……?」

 

 二人の話し声でクリスが目を覚ましてゆっくりと目を開ける。そのまま布団から出ようとして何かに気付いて軽く掛布団を捲り上げた。

 

「……またかよ」

 

 自分を拘束するように響の腕がしっかりと巻き付いていたのだ。

 

「えへ~」

「……放せっての」

「ううっ……」

 

 優しく腕を引き剥がそうとするクリスに寝ながらも悲しそうな声を出す響。

 その光景を見てセレナは小さく笑う。まるで姉にじゃれつく妹のようだったからだ。

 

(今のクリスさんと響さん、姉さんと私みたい)

(何だか今のこいつらからもセレナに近いぐらい優しい匂いがする。前と匂いが変わるとか、そんな事あるのか?)

 

 微笑むセレナの腕の中でヴェイグは首を傾げる。彼は知らないのだ。今の二人は恋をしていると。

 心の中に新しく咲いた恋と言う名の花。響とクリスはそれが咲き誇っている二人なのだ。ただ、自覚しているか否かの違いはあったが。

 

「ったく、やっと動けるぜ……ん~……っは」

 

 大きく伸びをするクリス。その豊かな胸元が揺れセレナは思わず自分の胸を見ようとして……

 

「どうかしたのか?」

「っ!? え、えっと、何でもないです……」

 

 抱き抱えていたヴェイグと目が合う事となった。

 

(い、いつかは私も姉さんやクリスさんみたいになれるかな?)

 

 まだまだ成長途中の少女は血縁の女性を思い浮かべ、それが自分の将来像であると信じたかった。

 

「ん? セレナ……?」

「あ、はい。おはようございます」

「…………先輩はどうした?」

「えっと、奏さんを呼んでくるって」

「は?」

「それと只野さんがシャワーを浴びてます」

「はぁっ?!」

 

 寝起きで情報が交通渋滞を起こした。クリスはそう思うも口にする事はない。セレナに言ったところで意味がないと分かっているからだ。

 それでも彼女は何か面倒事が起きていると判断し、すぐさま振り向くと今も幸せそうに眠っている響を起こす事にした。

 

「おい、起きろ」

「ん~……あと五分……」

「お約束の答え返してるんじゃねぇ。すぐ起きて顔を洗うんだよ」

「んんっ……せめてあと三分」

「ダメだ。起きろっての」

「う~……じゃああと一時間」

「増えてんじゃねーかっ! てかもう起きてんだろっ!」

 

 この世界に来てから急速に距離感が縮まっている二人である。未来が見れば嫉妬する程見事なコンビ芸だ。

 セレナとヴェイグもそんな二人を見て思わず笑顔を浮かべていた。

 

「仲が良いですね、あの二人」

「だな」

「そっちもあたしらを見て和むんじゃねぇ!」

 

 その照れ隠しの一言にセレナとヴェイグは笑い出し、響も寝転がりながら笑う。

 そんな中、仁志はバスタオルで頭を拭きながら疑問符を浮かべて姿を見せた。

 シャツは汗を吸って気持ち悪かったので軽く水洗いをしてハンガーへかけ、元々履いていたジャージ姿という格好で。

 

「……何があったんだ?」

 

 楽しげに笑うセレナ達と一人照れているクリスを見て彼は首を傾げる事しか出来なかった。

 やがてそこへ翼と奏が戻ってきて、奏が汗を流す間にクリスと翼が簡単な朝食を作る事となる。

 セレナはもう食べているので遠慮し、仁志も帰ってから食べる物があるので断った。

 そうなると食べる四人が気を遣うかもと思い、二人はダイニングから寝室へと移動する事に。

 

「セレナちゃんもスマホの欠片組み込んだんだ?」

「はい。翼さんがそうした方がいいって」

「成程なぁ。ヴェイグさんはどうしてここへ?」

「神の世界と聞いて興味が出た」

「ああ、そういう事か。申し訳ないね。面白みのない世界で」

「いや、そんな事もない。十分面白い事があった」

「そう? 例えば?」

「お前とかだな」

「まさかの返答におっさんビックリ」

 

 セレナの腕の中から離れ、ヴェイグは部屋の中を自由に歩けるようになっていた。

 仁志のスマホがあるおかげである。今はセレナの横にちょこんと座って、まるでぬいぐるみのようであった。

 

 そんな光景を横目で眺め、響達は食事を進める。

 今朝は炒り卵に焼いたソーセージがそれぞれ四本とスライストマト、そしてバタートーストだ。

 

「なぁ、あんなに喋る奴だったか?」

「ヴェイグの事だろ? あたしも思った。たしかシリウス相手には結構手厳しかった記憶がある」

「多分只野さんはヴェイグさんの力とかに興味ないからじゃないかな?」

「そうだろうな。只野さんからすれば彼は愛らしい生き物だろう」

 

 その翼の言葉に三人は揃って頷き、はたと何かに気付いて視線を彼女へ向ける。

 

「「「愛らしい?」」」

「っ?! さ、さぁ早く食事を終えよう。話さないといけない事もあるし奏や只野さんも今夜に備えて眠らないといけないし」

 

 急かすように告げて翼は食事へ意識を向ける。どこからどう見ても照れ隠しである事は明白だが、今は翼の言う事も一理あるため彼女達はそれ以上何も言わなかった。

 ただ……

 

(翼さん、ヴェイグさんの事可愛いって思ってるんだ)

(ったく、先輩にもそんな面があるんだな)

(ははっ、まぁたしかに可愛いもんな、あいつの見た目)

(ううっ、絶対みんなして笑ってる……)

 

 翼の思わぬ一面にニヤニヤと笑い、それを空気から感じ取って翼だけが恥ずかしそうになっていたが、それもまた楽しい思い出の一ページとなる。

 

 

 

「思ったんだけどさ、これ、もしかすると時の流れ方がここ以外遅くなってるんじゃないか?」

 

 その俺の切り出しに全員が息を呑むのが分かった。自分でもとんでもない事言っているのは分かる。でも、こう仮定すると納得出来る事が多いんだ。

 

「この考えの理由の一つは天羽さんが体験した事。ここへ来る前と来た後で根幹世界の経過時間がほぼ動いていなかった。これ、明らかにおかしい。しかもだ。天羽さんの本来の世界なんて、根幹世界で過ごした時間とセレナちゃんの世界で過ごした時間まで流れていない事になってる。これは響やクリスが経験した事を超えてる」

「では、このままだとどうなるのですか?」

「俺の予想だと、いや色んな作品とかで似たような題材を扱うと出てくる展開は……ここ以外の時間が停止するとか、あるいは浦島太郎状態にされる」

「「うらしまたろう?」」

 

 俺の挙げた例えに二つの声が重なる。勿論セレナちゃんとヴェイグさんだ。

 

「説明は後でするね。つまり、こっちでの一日がそれぞれの世界では一年にも十年にも、下手をしたら百年にもなるって事ですね!」

「今までは逆はあってもそれはねーって思ってたのに……」

「でも、どうして急に? 何か状況が変化する切っ掛けはあったか?」

 

 その天羽さんの問いかけにセレナちゃんは首を横に振った。心当たりはないって事だろう。

 そして当然俺達にもそれはない。まさか天羽さんが夜勤始めたとかじゃないだろうしなぁ。

 

「とりあえずセレナへ頼んでマリア達にも依り代をギアへ組み込んでおくように言ってもらった」

「え? どうしてですか?」

「あのなぁ、そもそも今回の事が起きた場所はどこだ?」

 

 クリスの指摘で響がやっと思い出したらしい。そう、騒動の中心地はここなんだ。なら、最悪の場合ここへ装者九人勢揃いとなる。でもその時動けないとなったら面倒な事この上ない。

 おそらく翼はもう最悪の状況を想定したんだ。ここへ来る来ないではなく、来なければならなくなった時を。

 

 と、そこで俺は思い出す。切っ掛けかどうかは分からないけど、まだ根拠も証拠もないものだけど、たしかに最近あった大きな出来事を。

 

「なぁ、これはまだ俺の妄想でしかないんだけど……」

 

 この世界には元々“戦姫絶唱シンフォギア”という作品があった。そのファンは数多くいて、少なくても十万は超えるだけの適合者と呼ばれたファン達がいた。

 だけど、それがある日突然俺の記憶以外の全てからシンフォギアは消えた。そんな中で、俺達は“戦姫絶唱シンフォギア”という名の動画配信チャンネルを作った。

 更に風鳴翼が歌をアップし、ツヴァイウィングと言うユニットが逆光のフリューゲルをアップ。その後に天羽奏が歌をアップした。

 おかげでチャンネル登録者数は二十万へ届きそうな程であり、少しは世間に“戦姫絶唱シンフォギア”というものが知れ渡ったと言える。

 

 それが悪意には目障りなんじゃないだろうか? 折角消したはずのものを甦らせようとしている、と。

 

「……って思うんだけど、どうだろう?」

 

 俺のそんな考えを聞いて全員が考え込んでいた。あまりにも突飛な考えだとは思う。

 でも、悪意が平行世界などの悪意を取り込んで力を戻そうとしているとすればないとは言い切れない。

 そもそもこの上位世界とか扱われるところから戦姫絶唱シンフォギアそのものを消滅させて装者達を一掃しようとしたぐらいだ。なら、彼女達を孤立させてやろうとしてもおかしくない。

 

「なくはない、って感じかな」

「そう、だね。ただ、状況的に私達ツヴァイウィングが関係はしてる気はする」

「もしくは奏さんがセレナちゃん達へもこの事を伝えたからかもしれません。あの世界蛇と戦った世界の一つだし」

「あり得るな。って事はだ。下手するとあのフィーネのいる世界やもう一人のあたしらがいるとこは……」

「手遅れになっているかもしれない、な」

 

 俺の言葉に翼達が立ち上がる。今は行動するしかないもんな。でも……

 

「天羽さんは留守番。というより寝る」

「只野……でも……」

「駄目だ。むしろ寝不足の状態で何かあったらどうするつもりだ?」

 

 そう言うと翼達も揃って頷いた。今は不測の事態でも対応出来る人間だけが平行世界間移動を行うべき。そう三人も考えているんだろう。

 

「翼さん、私とクリスちゃんでフィーネさん達の世界へ行ってきます!」

「分かった。私はセレナと共に一旦本部へ戻り、今の推測を報告してからシャロン達の世界へ行ってみる」

 

 真剣な、微かな緊迫感が漂う中、俺はやや申し訳なく思いながら手をゆっくりと上げた。

 

「あのさ、俺は自分の部屋へ戻って寝ててもいい、かな?」

「どうせならここで寝ていきなよ。どうせあたししかいないし、何かあった時誰もいないより疲れてても装者がいる方がマシだ」

 

 そう言って天羽さんは真剣な表情を向けてきた。これは俺の事を信頼するのと同時に心配してくれてるって事か。

 

「只野さん、私も奏さんの言う通りだと思います。少なくても今は一人は止めてください」

「そうだぜ。しかも眠るなんて襲われたら逃げる事も出来ねぇ」

「私達も出来るだけ早く戻ってくるつもりですが、時間のズレが大きくなっている以上向こうの五分がこちらでは二時間や三時間となる可能性もあります」

「そう、だな。分かった」

「あたしの布団を使いな。あたしは翼の使うから」

 

 こうして俺と天羽さんは四人を見送ってから眠る事に。

 で、俺はダイニングに布団を敷こうと思ったのだが……

 

「い、一緒に?」

「あのさ、いくらあたしでも状況は考えるよ。それにあたしもあんたも夜勤明けで疲れてる。そんな時に離れてたら何か起きても気付けないかもしれないだろ?」

 

 あの天羽さんが寝室で寝ろと言ってきたのである。いや、俺も彼女の言わんとしてる事は分かるけど……。

 

「いいのか? 疲れて眠くても、男は男だぞ?」

「別にいいよ。むしろそんな眠そうな顔でスケベな事優先出来るぐらいの体力があるなら頼もしいね」

「……分かった。ありがとう天羽さん。おやすみ」

「そうそう、それでいいのさ。じゃ、おやすみ」

 

 と、そこでふと今朝の別れ際を思い出して思わず笑ってしまった。

 

「どうしたのさ?」

「ん? ああ、悪い。今日の別れ際にも言ったのになってさ」

「……あははっ、ホントだ。同じ日に二回も同じ奴におやすみって言うなんてね」

「本当だ。でも、うん、悪くないよ。やっと天羽さんと仲良くなれてきたって感じがした」

「やっとねぇ……。ま、そうだね。とにかく早く寝よう」

「あっと、念のためアラームセットしとく」

「よろしく。あとさ、やっぱあたしらも連絡手段欲しいよ」

「…………考えておく」

「ん。お願い」

 

 そこで俺達は揃って目を閉じる。するとすぐに睡魔がやってきて……

 

「た、只野さん、起きてください」

「ん……?」

 

 あまり聞き慣れない愛らしい声と力で意識を揺り起こされた。

 目をゆっくりと開ければそこには可愛らしい天使のような子が。ただ、最後に見た時よりもかなり元気がないように見える。

 

「お、おはようございます」

「そうは言ってももう夜になるがな」

 

 更に視界に入ってくる可愛らしい生き物。うん、こんなぬいぐるみあったら売れそう……。

 

「っ!?」

 

 そこで意識が覚醒した。夜になる!? というかセレナちゃんがどうしてまたいるんだ?!

 

「やっと起きたね……」

「天羽さん……」

 

 聞こえた気怠そうな声に目を向ければ、そこにはいかにもさっき起きたばかりですという顔の天羽さん。

 これが世界が世界ならトップアーティストなんだから笑えない。

 すると目の前へ差し出されるコップ。これは色合いからして響のか。

 

「お水をどうぞ」

 

 ただ、差し出してきたのは小さな愛天使。でもやはり明るさがない。

 

「ありがとう。ところでどうしてセレナちゃんが?」

「……えっと」

「セレナの世界へのゲートが消えたんだ」

 

 この時程俺は自分の迂闊さを呪った事はないだろう。考えてみれば確実に彼女に良くない事が起こった事ぐらい分かるはずなのに、気落ちしていると分かっただろうに。

 

 ヴェイグさんの声には悲しみが宿っていて、それを聞いたセレナちゃんが俯いた事が俺の心に重くのしかかった。

 そして同時に思う。帰り道が見えなくなってしまったこの子を、帰る事が出来るその時まで何としても守らないといけないのだとも……。




遂に承へ突入です。そして只野の男気スイッチが本格的に入る時がきました。

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