シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

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マリアとセレナ姉妹は一緒に暮らす事となり、エルフナインもそこに住む事となります。
当然依り代(スマホ)はエルフナインが持つ事になるので……必然的に出費が増えます。

それと前回の金額は素人(4610)というネタです。


Stand up! Ready!!

 それは、只野が翼達の訪問で起こされる前の事だった。

 時刻は十一時を過ぎた辺りで、クリスどころか響さえも起床し三人で翼の帰りを待っていたのだが……

 

「今戻った」

「翼さん、おかえり……ってええっ!?」

「エルフナイン、だとっ!?」

「お、お久しぶりです、響さん、クリスさん」

「おいおい、どうなってるんだいこれ……」

 

 ノートPCから現れた翼に抱かれたエルフナインの姿を見た響は目を何度か擦り、クリスはまるで弦十郎のような口調をする始末。

 奏も勿論驚いていたが、彼女の驚きはその後から現れた者達であった。

 

「ここが……上位世界」

「ほ、本当に狭い……」

 

 マリアと未来が現れ、一気に四畳半の寝室は人口過多となったのだ。

 

「セレナっ!」

「ね、姉さん?」

 

 ギアを消すやマリアは軽く驚くセレナへ駆け寄るとその体を抱き締めた。

 実はセレナにはまだあの衝撃の出来事から一夜明けただけだが、マリアは既に三日は経過していたのである。

 それでもまだ若干割り切れていないマリアからすれば、曇りが消えたセレナの顔はとても喜ばしい事だったのだ。

 

「良かった。本当にもう気持ちを持ち直したのね」

「う、うん。ヴェイグさんや奏さん達、それに只野さんが元気づけてくれたから」

 

 どこかはにかむようなセレナの表情を見てピクンとマリアの眉が動いた。だがそれに気付いたのは残念ながら一人もいない。

 

「セレナ、その只野って男に何を言われたの? 何をされたの? 私に教えてくれる?」

「え、えっと……うん、あのね……」

 

 只野に言われた事や翼とのやり取りで抱いた事。それらをセレナはマリアへ伝え始める。

 

 さて、イヴ姉妹がそうして話を始めるのと同じように、響は久しぶりの親友との対面を果たして……

 

「響、どうして一度も顔見せてくれなかったの? 心配してたんだよ?」

「い、いやぁ、こっちだと一週間でもそっちじゃ一日とかあったからつい……」

 

 まるで単身赴任の夫が妻に詰め寄られるような会話を繰り広げていたのだ。

 クリスや翼は触らぬひびみくに祟りなしとばかりに距離を取り、エルフナインとヴェイグをダイニングへ避難させていた。

 

「それで、その荷物は何だよ先輩」

「食料だ。それと、すまないがこれから私は只野さんの部屋へエルフナインを連れて行こうと思っている。私達と違いエルフナインはスマートフォンサイズの依り代なしでは動けないんだ」

「マジか?」

「はい。これは只野さんの物だそうですし、僕がずっと所持していていいものかと」

「嘘だろ? ヴェイグの奴は結構動いてるぞ?」

「それはセレナが抱えているからだ。セレナが来た時に偶然分かった事だが、私達依り代を持っている者が触れている間は動けるらしい」

「でも、逆に言えばそうじゃないと動けない、か」

「それと、その機械がある場所なら俺も自由に動けるぞ」

「おそらくですが、このスマートフォンサイズの依り代なら、その建物全てを対象内としてくれるはずです」

 

 その説明にクリスは心当たりがあったために頷いた。

 コンビニ勤務の際は事務所のロッカーの中にスマホはあり、スーパー銭湯の際は脱衣所にあった。

 それでも当時の欠片をギアへ組み込む前の装者達はどちらも差し障りなく活動出来たのだ。

 

 その事を聞いてエルフナインは自説の裏付けが取れて安堵する。

 何せ分からない事だらけなのだ。上位世界というものが存在する事もそうなら、そこでは自分達が容易に活動出来ないというのも初めての情報だったのだから。

 

「エルフナイン、そろそろ只野さんの部屋へ向かおう。昼前、か。おそらく寝ているだろうが状況が状況だ。只野さんも理解してくれるだろう」

「はい。じゃあ」

「待って」

 

 動き出そうとした翼とエルフナインへ待ったをかける声。マリアであった。

 彼女の横ではセレナが少し疲れた顔をしている。今までマリアへ長々と話をしていたためである。

 ただ、どこか満足そうでもあった。短い時間だったが、今の自分の決意などを全て姉へ伝えられたからである。

 

「私も行くわ」

「……分かった。では行こう」

「あ、あのっ! 未来はいいんですか!?」

 

 助けてとばかりに声を上げる響だったが、翼は申し訳なさそうに顔を逸らした。

 

「小日向は、お前に会いに来たのだ、立花」

「いっ!?」

「なぁ~んで嫌そうな声出すの?」

「そ、そういう事じゃないんだ! その、今まではみんな只野さんへ興味を持ってたし……」

「そっか。でも私は違うから。ない事もないけど、それよりも今まで響が何をしてたのか、ちゃんと勉強とかやってるのか心配なんだ」

「べ、勉強……?」

「うん。響、こっちでアルバイトしかしてないんでしょ? 戻った時どうするの? 勉強、ただでさえ遅れ気味なのに、それでちゃんと卒業出来る?」

「く、クリスちゃんがいるから何とかなるってっ!」

 

 にっこり笑顔で(響にとっては)怖い事を告げてくる未来。そのあまりの怖さにクリスを頼る響だったが、それが未来の怒りを買う。

 

「何でクリスを頼るの? あと、どうして響からクリスの匂いがするのかな? ねぇ! ねぇ!」

「ひぃぃぃぃぃっ! ごめん未来ぅぅぅぅっ!」

 

 断っておくが一度として未来は響の体へ顔を埋めた事もその近くで匂いを嗅いだ事もない。それなのにはっきりと響からするのがクリスの匂いと看破したのだ。完全にホラーかサスペンスである。

 これで未来が笑っていたら完璧だったと言えよう。ただ、今の未来は若干拗ねていた。それがその光景を見ているクリスにとっては唯一の救いと言えた。

 

(ホント、あの子のバカへの愛情は時々重いよな……)

 

 とはいえセレナもいる今、あまりそんなやり取りを見せるのもどうかと思い、クリスは小さくため息を吐きながら響と未来へ近付いていく。

 

「まぁ落ち着けって。とりあえず座れよ。な? あたしのクッション使っていいから」

 

 そのクリスの言葉を背に翼達は部屋を出た。

 残される形となったセレナとヴェイグは奏へと視線を向ける。彼女は一人CDラジカセを手に寝室へと移動を始めていたのだ。

 

「か、奏さん、どうしたんですか?」

「ん~? そろそろ寝ようかなって。休みだからと思って眠気来るまで起きてようって思ってたけど、今それが来たからさ」

「どうしてその機械を持っていく?」

「ああ、これ? 今聞いてるやつにさ、いい夢見れそうなの結構入ってるんだ。それだけをチョイスして再生するようにしてあるから、それを聞きながら寝ようってね」

 

 眠そうな、でもどこか幸せそうな顔で奏は答えるとフラフラと寝室へ入り、そこで揉めている響と未来を他所に自分の布団を敷き始めた。

 それを視界に捉えた響は藁をも縋る思いで彼女へ声をかけた。

 

「か、奏さん、助けてください」

「え~? あたしこれから寝るんだけど……」

「え? お昼寝ですか?」

 

 奏の眠たげな、そして面倒だと言わんばかりの言葉に未来が反応した。その瞬間、ここだとばかりにクリスが会話へ入った。

 

「実はな、片翼の先輩、コンビニで夜勤やってるんだ。で、今日も勤務明けで疲れてるんだよ」

 

 言いながら響へ軽く肘を突いてクリスは話を合わせろと合図する。

 それに気付いて響は細かく頷き、未来を大人しくさせようとした。

 

「そ、そうなんだよ。だからあまりうるさくは」

「そっか。じゃあ響、ちょっと外で話そう? どこか向いてる場所、ない?」

 

 響は逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。

 そんなメッセージウィンドウがクリスの脳内には浮かんでいた。

 

――く、クリスちゃん、どうしよう?

――……諦めろ。

 

 視線や首の動きだけでそんな会話を交わし、響は観念するように肩を落とすと未来へついて来てと告げ玄関へと歩き出す事となる。

 

 こうして響は未来と共に近くの公園へと向かう事となった。

 それを見送り、クリスは翼の持ってきた食料を冷蔵庫へとしまい始め、セレナもそれを手伝う事に。

 

 その様子を見つめ、ヴェイグは寝室へと視線を向けた。

 

「……優しい歌が聞こえるな」

 

 奏が眠りながら聞いているのは、仁志が渡した内の一枚。所謂メタルヒーローと呼ばれる特撮ヒーロー達のOPとEDが収められたベストであった。

 そのEDばかりを奏は選んで流れるようにしていたのだ。この事が切っ掛けでヴェイグもヒーローソングへ興味を持ち始めるのだが、それはまた別の話……。

 

 

 

「だから、未来の事を忘れてた訳じゃないんだって」

 

 その私の言葉を聞いて未来はつーんと顔を背けた。

 

「ふーんっだ。どうせ響はこの平和な世界でクリス達と仲良く暮らしてる方が良くなったんでしょ? 私の事だってそこまで心配してなかった癖に」

「そんな事ないよぉ」

「ホントに?」

「ホントホント」

 

 実際寂しく思ってなかった訳じゃない。でも、クリスちゃんや翼さん、奏さんなんかもいてくれたから強く未来を求めるっていうか、傍にいて欲しいって思わなかったのは事実。

 だからって心配してなかった訳じゃない。実際平行世界とのゲートが消えたって分かった時、私はクリスちゃんに止められるぐらいの勢いで本部へ戻ろうとしたんだから。

 

――落ち着けってっ! 気持ちは分かるけど単独行動は避けろっ!

――でもっ! もしかしたら未来達にも何か起こってるかもしれないっ!

――っ! だから落ち着けってのっ! あたしは一人で行くなって言ってんだっ!

――クリスちゃん……。

――あたしも一緒に行く。あの子やおっさん達が心配なのはこっちも一緒だ。

 

 本部へのゲートは無事だったけど、それを確認したら今度は二人揃って只野さんの世界への裂け目が心配になった。

 それで急いで戻ったんだよね。未来の事も気になったけど、只野さんはギアがない。なら、いざとなった時危ないのは只野さんだ。そう思って私とクリスちゃんはこっちへ戻ってきたんだから。

 

「……響、まだ戻ってこれそうにない?」

 

 そんな事を思い出してると未来がそんな事を聞いてきた。

 

「ごめん……。こっちでアルバイト始めたのは知ってるでしょ? 私さ、今じゃ結構頼りにされ始めてるんだ。それに、私がいないと今の部屋で暮らすのも厳しくて」

「それは……分かるけど……」

「未来、確認したい事があるんだ」

「何?」

「本当なら私達は知らない間に消滅させられてた。これはいい?」

「……うん」

 

 何となくだけど未来はまだ実感が薄いんだと思う。私達だって只野さんと話をして、色々経験してやっと受け入れる事が出来たんだ。

 ここは未来にもこの世界が本当に本来関わるはずじゃなかった世界だって事と、今もまだ危機は去ってないって分かってもらわないと。

 

「元々この世界では私達が大きな事件に関わってた時の事がアニメになってたんだって。最初はルナアタックの時。次がフロンティア。キャロルちゃん達との事にサンジェルマンさん達との事。そして、神の力に関連したヴァネッサさん達との事」

「で、でも、平行世界の事とかも知ってるって」

「そっちはゲームだったんだって。只野さんは言ってた。私達の日常みたいな部分はそんなに詳しく知らないって。でも、逆に言えば軽くなら知ってるんだ。それも、本当なら沢山の人達が」

 

 その瞬間、未来が息を呑んだのが分かった。うん、嫌だよね。でもこう言えばきっと未来にも分かるはず。

 

「板場さんとたまにアニメ見たりするよね? あれが私達だったんだよ、只野さんの世界じゃ」

「そんな……」

「只野さん達は私達を実在しないって思ってた。だからその戦いや暮らしとかを見ても何も罪悪感を抱かなかったんだ。だって、作り物だって思ってたから」

「……そっか」

 

 やっと未来にも伝わった。只野さんは私達の生活を覗いてたなんて思ってなかったって。こうして私達と出会った事でそういう事だったんだって気付いたんだって。

 なら次は只野さんの考えや気持ちを教える番だ。そしてそれを聞いて私がどう思ったのかも。

 

「未来、聞いて。只野さんはこう言ってくれたんだ。ここにあった私達の物語は、諦めずに手を伸ばし続ければきっと何かが変わるかもしれないって思わせてくれるものだって。それを聞いて私は嬉しかった。私が目指してたものを、願ってたものを、作り物だって思ってた人が感じとってくれたんだって」

「響……」

「だから私は思ったんだ。ここで出会ったのが只野さんで良かったって。何も頼る組織や物もない中で只野さんは私達を一生懸命支えてくれてるんだ。今までのような暮らしも支援もないけど、だからこそ私は懸命にここで生きてる。それがここでの私の戦いだって」

「ここでの、戦い?」

「うん。ベルちゃんを歪めた悪意は私達を消そうとしてた。それを只野さんが食い止めてくれたけど、このまま放置じゃ変わらない。翼さんと奏さんがツヴァイウィングとしてここで歌を唄ってる。それを配信してるチャンネルを只野さんが戦姫絶唱シンフォギアにしてくれたんだ」

「それは聞いた。それが私達の事を描いた作品名だったんだよね?」

「そう。だから今、私達はここでの暮らしを守るために戦ってる。私とクリスちゃんはコンビニの夕勤で働いて、奏さんは夜勤。翼さんは普段掃除や洗濯をしながら動画で配信する歌を覚えたり悩んだりしてる」

 

 今、ここでの暮らしは戦いだ。楽しいし幸せだけど、いつか終わる……。

 ううん、終わらせないといけない。そう、頭では分かってるんだ。

 

「あのね未来、ホント言うとね。私、何度もここの暮らしが本当だったらいいのにってクリスちゃんに言ってるんだ」

「そうなの?」

「その度にクリスちゃんが私を受け止めてくれて、まるで未来みたいに私の弱さを包んでくれる。だから今の私からクリスちゃんの匂いがするんじゃないかな? 一緒に寝てるし」

 

 そう言ったら未来は目を見開いた。うん、そりゃ驚くよね。だってクリスちゃんだし。

 でも、今のクリスちゃんはとっても優しくてあったかい。うん、こっちに来てからクリスちゃんとの距離は前以上に縮まったって言える。

 今じゃ未来と同じぐらい私の隣にいてくれる。親友とはまだ呼べないかもしれないけど、それに近いぐらいに。

 

「……クリスがいるから寂しくないの?」

「えっと、難しいな。未来がいない事への寂しさはあるよ。でも、広い意味での寂しさはないかな?」

 

 未来がいない。だから寂しい。そういうのはない。

 でも、未来がいない。いてくれたらいいのにって、そういう寂しさはある。

 

「そっか。今の響は私が絶対必要とかじゃないって事だね」

 

 その言葉を聞いて私はいつかの只野さんの言葉を思い出した。

 いつまでも一緒にいられる訳じゃない。いつかはきっと今よりも距離が離れる時が来る。

 もしかしたら、それが今軽く来てるのかもしれない。将来起きるはずの私と未来の距離が離れる時が。

 

「……そう、かも」

「そっか……」

 

 一度も目を逸らす事なく、私は未来の目を見つめた。未来も私の目を見つめてくれた。

 あの時はお互いに言いたい事を言えないで別れちゃったけど、今回はそんな事はしたくない。言わないと、言葉にしないと伝わないって知ってるから。それに、言葉だけじゃなく目や顔にも出さないと伝わらないから。

 

 私が未来の事を嫌ったとかじゃないって。今も大好きだけど、大好きだからこそ未来の人生は未来だけで決めて歩いて欲しいって。

 

「未来、私と一緒に歩いてくれるのは嬉しいよ。でも、常にじゃなくてもいいから。未来が私とたまには別れて歩きたいならそれでいい。私にもそういう時はあるかもしれない。いつも一緒だけが仲良しじゃないでしょ?」

「……うん」

「私ね、こっちに来て色々な事を勉強してるんだ。これはきっと学校じゃ教えてくれない事。知りようがない事。生きるために、必要な事」

「生きるために?」

「うん……」

 

 そこで私は一度だけ深呼吸。未来はそんな私を見て首を傾げてる。

 

「突然だけどクイズです! シャワーなし、トイレあり、台所ありで六畳の部屋があります! 駅まで歩いて十分ぐらいで、徒歩十分圏内にコンビニ、ネットカフェ、スーパーもあります! さて家賃は大体いくら?」

「ええっ!?」

 

 さすがの未来もこれには即答出来ないみたいだ。そうだよね、分からないよね。

 でも、これが生きるための勉強なんだよ未来。学校じゃ教えてくれない。私はここで只野さんと暮らしてる内に学んだ事なんだ。

 

「ひ、ヒントは?」

「えっと……今の私達が暮らしてる部屋、あるでしょ? あそこより8000円も安い」

「ヒントになってるようでなってないよ……」

 

 何というか未来がこんなにも弱ってるのは珍しい。さて答えは出るかな?

 

「……三択にして」

「三択? うーん……」

 

 どうしよう? ベタに行くならとんでもなく安いのと中間と高いのだけど、正解から考えると現実味が無さ過ぎるし……

 

「じゃ、一番は3万円台。二番は2万円台。三番は4万円台」

「えっと……じゃあ二番」

「残念。正解は一番。只野さん曰く、トイレが共同なら3万円を切れるんだって」

「は、反応に困るよ……」

 

 だよね。私も初めて聞いた時は理解出来なかった。トイレが共同ってどういう事って聞いたら、そのアパートには一つしかトイレがなくて、それを住人全員で使うっていう事って知ってちょっと気持ち悪くなったもん。

 だから女性でそんな条件飲む人はいないって。女性は大抵バス・トイレ完備が最低条件じゃないかって只野さんは言ってた。

 

「ね、こんなの学校じゃ知りようがないでしょ?」

「うん、それはまぁ……」

「でも、こういう事知っておいた方がいいんだ。学院を卒業した後、私達はもう寮を出るんだもん。そこでどういう条件でどういう立地でどんな土地に住むか。そこの家賃は適正かどうか。シャワーだけでいいのかお風呂も欲しいのか。あるいはシャワーとトイレは一緒でもいいのか。家賃を優先するのか条件を優先するのか、とかね。そういうのをちゃんと考えられるようにならないといけないんだ」

 

 只野さんは男の人だったからあの部屋でも平気だった。

 でも私は無理。今の部屋みたいなのがギリギリかなってぐらい。

 

「響、卒業したら一人暮らしするの?」

 

 未来がどこか意外そうな、でも寂しそうな顔をする。

 

「正直迷ってる。今みたいに未来と二人で暮らすのも楽しそうだから。でも……」

「でも?」

「私も未来も装者を続けないといけないなら、一人で暮らした方がいいとは思うんだ」

 

 はっきりと未来へ伝えた。今はまだいい。学生だし、寮生活だし。でも、卒業したらそうはいかない。

 大学へ行くならまだいいかもしれないけど、そこはもうS.O.N.Gの関連じゃない。じゃあ、今みたいな融通は利かないんだ。

 専門学校なんかでもそう。装者としての任務がある限り、私達は普通の生活は出来ない。

 

「未来、思えばあの時から私をずっと支えてくれてありがとう。私が今もこうして笑っていられるのは、間違いなく未来のおかげ」

「響……」

「だからこそ、一度卒業を区切りにしよ? 私と未来が二人で支え合うのは一先ず学院生活まで。そこからは、一旦距離を開けてみようよ」

「距離を……?」

「うん。それで見えてくるものや分かる事があると思うんだ。今の暮らしで私がクリスちゃんや翼さんから感じたものや事のように。近くじゃ見えない時は離れて見る。今の私と未来は近くに居過ぎて見えなくなってるものとかあるんじゃないかなって、そう思うから」

 

 そこで私は息を吸い込む。ここでちゃんと未来へ伝えないといけない気持ちがあるから。

 

「私は、もっと未来の事を知りたい。そして未来にも私の事を知って欲しい。そのためには、一度これまでと違う距離でお互いを見る事も必要じゃないかなって」

「これからも仲良くいるために?」

「ううん、これからもっと仲良くなるために、だよ。きっと私も未来もお互いに当たり前になってて忘れてる事があると思うんだ。それに二人して気付いてないと思う」

 

 クリスちゃんや翼さん、奏さんだってそうだった。今までと違う距離感になって、初めて見えてきた事があった。

 只野さんは、私にそれを教えてくれた。いつも手を繋ぎ合ってるだけじゃ分からない事もあるって。手を離す事も時には必要だって。

 だって、手を離してもまた繋ぎ合えばいい。離した時の寂しさを知るから、繋ぎ直した時の嬉しさを、喜びを知るんだって、私はあのデートで教えてもらえたから。

 

「未来、私は未来と手を離しても心を離すつもりはないから。絆は途切れさせやしないから」

「響……。うん、分かった。私も響をもっと知りたい。だから卒業したら二十歳になるまでは離れて暮らそっか」

「うんっ! 二十歳になって、大人になって、そこでもう一度一緒に過ごすか考えようよ」

「約束だよ?」

「勿論っ!」

 

 未来と私の小指を結ぶ。口で紡ぐのは小さい頃に教えてもらったわらべ歌。

 小さい頃未来とこうして歌った事がある。ううん、小さい頃だけじゃない。何度か歌ったものだ。

 約束、か。これまで何度か破りそうになったけど、それでも何とか破る事なく叶えられてきた。

 

 これからも、そうしていこう。未来との約束だけじゃなく、誰かと交わした約束は。

 

「「指切ったっ!」」

 

 

 

 これで五人目。また道行く人がこちらを見て微笑んでいく。何でだろう? 僕には理解が出来ません。

 

「エル、どうした?」

 

 そう言って僕へ問いかけるのは只野さん。エルというのはこちらでの僕の愛称だそうです。エルフナインではこの世界では目立ちすぎるからと、そういう事らしいです。

 

「いえ、どうして道行く人達が僕を見て笑っているのかと」

「あー、それは格好にあるんだよ」

「格好に?」

 

 言われて視線を下げる。汚れもないしどこもおかしくないはずなんですが……。

 

「えっと、エル? よく考えてごらん。君は見た目からして子供だ。そんな子が白衣を着て道を歩くなんておかしいんだ」

「そ、そうですか?」

「そう。だからこそこれから君の、エルの服を買いに行くんだよ。せめてもう少し子供らしい格好をね」

「わ、分かりました」

 

 只野さんはこの世界の協力者であり支援者。それもただの一般人。なのにこの人はこれまでの平行世界の方達と同じぐらい僕らへ援助をしてくれている。

 金銭的なものは無理でも、響さん達の事を受け入れ、生活できる体制をこちらに構築しつつある。それに、僕にキャロルの事を教えてくれた。

 

 まさかパパがアダムさんと友人だったなんて思わなかった。これはキャロルも知らない事だ。

 僕は自分の思い出がほとんどない。だから只野さんと会う事に何も嫌悪感はなかった。でも実際会ってみて分かった事がある。

 この人は本当に普通の人だ。僕がこれまで出会った人達の中でも目立った才能や資質が分からない。

 

 だけど、とっても優しい。今も僕の服や依り代を持ち歩けるケースを買いに行くところだ。

 僕の手は片方只野さんと繋がれている。そしてもう一つの手は……。

 

「どうして私も同行しないといけないのよ……」

 

 マリアさんがそう呟いてため息を吐いた。そう、残る手はマリアさんと繋がれている。

 

「仕方ないだろ? 俺がエルと二人で歩いてみろ。即通報だ。君がいるからまだ親子かなって思われるんだよ」

「それが嫌なの。どうして私が貴方と夫婦を演じなければいけないのよ」

「別に演じる必要はないって。ただ今は黙って買い物について来てくれ。翼とじゃエルの髪色がどちらからも繋がらないんだ」

「だからってねぇ」

「あ、あの、僕のせいですみません」

 

 このままじゃお二人が口論を始めるかもしれない。そう思って止めに入る。

 すると同時にお二人が苦い顔をした。

 

「……イヴさん、とりあえず今はエルの事を片付けよう」

「そうね……」

「あ、あれ?」

 

 何故か一瞬でお二人が意見を同調してくれた。よく分からないけど、僕の行動は正解だったみたいだ。

 それにしてもこうやって街を歩くなんて久しぶりだ。しかも誰かと両手を繋いで歩くなんて初めてだし、何だかワクワクする。

 

 お休みに外へ出る事も稀だったし、何より僕はキャロルの思い出を見る事がしたかった。でも、ここでは仮想脳領域へダイブする必要はない。

 何故なら只野さんがいるから。只野さんにキャロルの事を教えてもらおうと、僕はそう思っている。

 

「あの、今の赤い看板のお店は何ですか?」

「あれ? 焼き鳥屋。飲み屋の一種」

「のみや?」

「えっと、居酒屋って分かる?」

「いざかや?」

 

 聞いた事があるようなないような。そう思っているとマリアさんが小さく笑った。

 

「ふふっ、要するにアルコールを、お酒を楽しむ場所よ」

「そうそう。安く酒を飲めて、ついでにツマミ、酒の御供になる物を提供してる店」

「成程。只野さんは」

「エル? おじさんは、だ」

 

 僕の言葉をそう遮って只野さんは小さく苦笑した。そうだった。ここにいる時は僕は見た目に反しないような言動を心がけないといけない。

 

「おじさんは、行った事があるんですか?」

「ない事はないよ。数える程で足りるけどな」

「あら、お酒は嫌いなの?」

「嫌いじゃないけど好きにはなれない、かな。それに、金がない奴が酒好きだったらもっと頑張って稼ぐさ。酒とタバコにギャンブルは金食い虫だからなぁ」

 

 どこか遠い目をしながらしみじみ告げる只野さんにマリアさんも何も言わなかった。でも、その顔は呆れてる。

 

「そうじゃなくてももっと稼ごうと思わなかったの?」

「元々夢もなくこっちに出て来たんだ。親と一緒に暮らしてるのが嫌でさ」

「そうなんですか? 僕だったら嬉しくて堪らないんですが……」

 

 僕には信じられない言葉だった。家族と暮らせるなんて幸せだと思うのに。

 

「エル、人間の多くは失ってからしかその事の有難みを分からないんだよ。それがどれだけ良い事だったか。どれだけ恵まれていた事なのかを。俺もそうだった。一人で暮らしていて良かったと思っていたのは最初の一年ぐらいだ。三年目辺りから良かったなんて思わず、ただただ日々を生きるだけになり、五年目ぐらいで何も考えないようになり、七年目からはこのまま一生こんな暮らしかと絶望し始めた」

「只野……貴方……」

 

 遠くを見つめるように歩く只野さん。その横顔はとても疲れているように見えた。

 僕はそんな顔をした人を初めて見た。生きる事に疲れたというような、そんな顔を。

 

「死んだ方がマシじゃないかって、そう思った事がない訳じゃない。一度なんて本気で死のうと思って色々考えた。でも、出来なかった」

「出来なかった?」

「ああ。生きるのを諦めるな。そんな言葉が頭をよぎったんだよ」

「生きるのを……諦めるな……」

 

 そこで只野さんは足を止めた。そして僕の目の高さへしゃがんでくれた。

 

「エル、きっと君なら分かるんじゃないか? 死にたくないのに死んでしまう人が世の中にはいる。なら、自分から死を選ぶなんてとんでもないって」

「……はい」

 

 僕がそうだった。そんな僕をキャロルは助けてくれた。僕の心を自分の体へ入れてくれたんだ。

 

「だから、今も俺は何とか生きてる。そうしたら、まさか俺が死ぬ事を踏み止まれた言葉を言ってた子達と出会うなんてな」

「……そう、そういう事」

 

 マリアさんが何かに納得するように呟いた。僕も少しだけ分かった。只野さんが自殺を止めた理由に響さんが関わっているんだと。

 そしてどうして只野さんが響さん達へ一生懸命支援してくれるのかも。この人は恩返しをしてるんだと思う。自分がこうやって生きるのを諦めないでいられる事への、恩返しを。

 

「さて、湿っぽい話はここまでにしよう。そうだ。この面倒事を片付けたら、エルにそのスマホをしばらく貸すよ」

「え?」

「それで平行世界のキャロルに会いに行くといい。思い出のキャロルと会うのもいいけど、もう一つの可能性と出会ってみたら思いがけない化学反応でエルの中のキャロルも活性化するかもしれない」

 

 その言葉に僕の中で色々な事が駆け巡った。どう言葉にしていいか分からないけれど、きっとこれは感動なんだと思う。

 キャロルに会える。平行世界でも、僕がまたキャロルと会える!

 

「いいんですかっ!?」

「いいよ。今回の事で俺も覚悟が決まった。諦めずに生きていくだけじゃない。何とか現状を少しでも変えていこうってな。そのスマホは丁度俺がシンフォギアに出会った年に買ったやつなんだ。GXの時、つまり君とキャロルの物語だ」

「僕とキャロルの物語……」

「俺は思うんだ。どうしてキャロルは君を、エルフナインという別人格とも言える存在を作り出していたのか。計画に利用するためと彼女は言うかもしれないけど、俺はこう思ってる。君こそがキャロルの良心だったんだと」

「僕が……キャロルの良心?」

「人は二面性を持ってる。善と悪だ。目の前でパパを殺され、キャロルは自分の中の悪が膨れていくのを止められなかったんじゃないかと思うんだよ。でも、それじゃあいけないとどこかで彼女の良心が叫んだ。パパの願いは、託したかった事は本当に今の自分の解釈でいいのかって」

 

 思わず息を呑んだ。只野さんの言葉は僕がどこかで願っていた事に近かったから。

 

「その気持ちが君を生んだ。キャロル・マールス・ディーンハイムとしての善の部分を君が、悪としての部分を自身へ残して」

 

 そう言って只野さんは僕を見た。その表情はどこか優しいもの。

 

「俺は、そう思いたいんだ。キャロルはキャロルで自分を止めたかったんじゃないかって」

「……はい、僕も、僕もそう思います」

 

 そして僕の中のキャロルもそう言ってくれると思う。パパの命題は、世界を分解して再構築する事で果たされるものじゃない。

 今のキャロルならきっとそれを分かってくれてる。ううん、きっとどこかで分かってたんだ。それでも、只野さんの言う様に自分の中の恨みや憎しみを止められなかった。

 

「只野、貴方はどうしてそこまでこちらに入れ込むの? 創作物だったんでしょ?」

 

 マリアさんの言葉に只野さんは一瞬驚いた顔をして、すぐに苦笑した。

 

「まさか自分で言うかね。でも、それがある意味普通か」

 

 どこか楽しそうに告げて、只野さんはマリアさんの目を見てこう言い切った。

 

――もう架空じゃないって知ったからな。あれは現実で、俺の知らない世界で本当にあった物語ってさ。

 

 真剣な表情で告げられた言葉にマリアさんは何も言わなかった。僕も何も言えなかった。

 この人は、もう受け入れたんだ。響さんと出会い、過ごした事で。創作物としてあった僕らの、ううん装者達の戦いの記憶や日々。それは紛れもない現実だと。

 

「エル、俺のは一つの意見だ。答えなんてどこにもない。あるとすれば、それは君に体を託したキャロルだけが知ってる」

「はい」

「だから、君は君の答えや意見で生きて行けばいい。真実を探す事もいいが、自分の信じたいものや事を信じて生きたっていい」

「え?」

「ちょっと、いきなり過ぎでしょ」

「いいんだよ。この子は生真面目過ぎる。真実を気にし出したら寝食を忘れる子だぞ?」

 

 ひ、否定出来ません。実際皆さんからも休みの日にやっている事で心配をおかけした事がありますし。

 

「気楽に生きろと言ってもこの子はそう簡単に出来ないさ。だから俺が言えるのは、答えを出す事は大事だけど、それが周囲から見て正しいか否かは突き詰めないでいいってぐらいだ。ああ、他人に迷惑をかけないならって注意事項も忘れずにね」

「それが只野さんの生き方ですか?」

「そうだな。俺の答えは俺にしか意味が無いし変えられない。それが世の中からは間違っていたとしても、俺にとっては正解だ。ただ、それを誰かに押し付ける事はしないし、逆もされたくない。互いに迷惑をかけない限り、な」

 

 何となくだけど、一瞬だけ只野さんが司令と重なった。きっと今のが人としての芯なんだと思う。

 マリアさんも少しだけ只野さんを見直したような顔をしている。そして只野さんが見てない時に小さく微笑んだ。

 

「で、イヴさん。エルにはどういう格好がいいかな?」

「そうね……。スカートとパンツならどっちがいい?」

「えっと、下着で歩くのはさすがに恥ずかしいです」

 

 一瞬お二人が足を止めて同じような顔で僕を見つめた。何を言ってるんだろうって、そんな顔で。

 

「え、えっと……パンツって下着の事ですよね?」

「ぷっ……あははははっ! い、イヴさん、エルには分かり易い表現じゃないと通じないと思うぞ、これ」

「……みたいね」

 

 急に笑い出す只野さんと額に手を当ててるマリアさん。

 ぼ、僕は何か間違った事を言ったんだろうか? でも、たしかにマリアさんはスカートとパンツと言ったし……

 

「え、エル、パンツって言うのはこの場合ズボンの事だ」

「そ、そうなんですかっ?!」

 

 知らなかった。まさかそんな呼び方もあるなんて……。

 

「ごめんなさい。えっと、なら改めて聞くわ。スカートとズボン、どちらが好き?」

「しょ、正直どちらでも。ただ、動き易い方が助かります」

「……ねぇ、只野。このままだとエルフナインは……」

「ファッションへの興味ゼロで生きていくだろうな。教育していくなら今からだぞイヴさん。ここにいる間は白衣で済ませる事も、休みの日に一日中おこもりさんも出来ないからな」

「そうね。なら……エルフナイン? これから私が貴方にファッションの楽しさを教えてあげるわ」

「え、えっと……よろしくお願いします」

「ええ、任せて頂戴。只野、予算はどれだけ? まさか1万円以下って事はないでしょうね?」

「えぇ……駄目か?」

「駄目に決まってるでしょ。女の子の、それもこんな可愛い子の服よ? 貴方みたいに余程変じゃなければ安物でいいみたいにはいかないのっ」

 

 そう言われて只野さんが大きく肩を落としていたのが印象的だった。

 僕も只野さんの考えに賛成なんだけど、この状況でそれを口にしてはいけない気がした。

 

 その後、マリアさんが凄くやる気で、只野さんと僕は二人で困る事になった。そこまで多くない服屋さんを回り、僕は何度も服を着替えさせられて正直とても疲れた。

 只野さんなんか量販店でいいじゃないかと言い出してマリアさんに叱られていたぐらいだ。

 だけど僕が服を着替える度に、マリアさんと只野さんが喜んだり驚いたりしてくれたのは僕も嬉しかったし楽しかった。

 

 その中で僕が気に入った物を一着と、マリアさんと只野さんが話し合って決めた一着を購入して帰る事になった。只野さんが若干辛そうに支払いをしてるのを見てマリアさんが苦笑してたけど。

 

 帰り道の途中でひゃっきん? というお店へ立ち寄り依り代を入れる首掛け袋を買って、今はお二人と手を繋いでゲートのあるアパートを目指していた。

 ちなみに格好は早速買ったものへ変わっていた。元々の服装はこの着ている服を入れるはずだった袋へ入れて只野さんが持ってくれてる。

 

 ちょっとだけ足元がスース―します。スカートなんて初めて履きました。でも、マリアさんと只野さんが似合うと言ってくれたからお気に入りです。

 色は淡い緑。上着は黄色。それを見た只野さんが僕とキャロルの色みたいだって言ったのが印象的でした。

 

「イヴさん、エルの事なんだけど、可能なら君達姉妹と暮らしてもらっていいだろうか? 三姉妹で通ると思うんだよ」

「いいわ。エルフナインさえ良ければ、だけど」

「僕は構いません。それに、僕とセレナさんが一緒の方が只野さんも安心なんですよね?」

「安心って言うよりはお互いにいい影響を与えるんじゃないかなって思うんだ。そうそう。エル、こっちにいる間はイヴさんやセレナちゃんをお姉ちゃんとか姉さんって呼ぶように」

「お姉ちゃん、ですか?」

 

 そう僕が口にした瞬間、マリアさんがとっても嬉しそうに笑った。

 

「いいわねそれ。じゃあ、私もエルって呼ぼうかしら?」

「その方がいいよ。マリア、セレナ、エルフナインじゃ姉妹感が薄いだろ?」

「マリア、セレナ、エル。そうね、こちらの方が姉妹って感じがするわ」

「あ、あの……」

 

 何だか大変な事になってきた。でも、マリアさんが楽しそうだからいいかな?

 それに僕も少しだけ嬉しい。擬似的とは言え姉が出来るなんて、思いもしなかったから。

 

「えっと、じゃあ改めてよろしくお願いします、マリアお姉ちゃん」

「エル、ダメよ。お姉ちゃんに敬語はなし」

「いいんじゃないか? 家族に丁寧語使うぐらいは」

「そう? 距離感を感じるけど……」

「敬意があるって事でいいと思うけど……じゃあこうしよう。お姉ちゃんじゃなくて姉様だ」

「姉様?」

「マリア姉様、ですか?」

「っ!?」

 

 マリアさんが凄い驚いた顔をして僕を見てきた。

 そしてそれを見て只野さんが面白くて仕方ないみたいに笑ってる。

 

「え、エル……その呼び方でもう一度挨拶してやって?」

「分かりました。マリア姉様、よろしくお願いします」

「~~~~~っ?! ああっ! もうっ! 只野っ! 私に妙な趣味を作ろうとしないでっ!」

「いたっ!? ちょっ!? 痛い痛いっ! 叩くなっての!」

 

 ど、どうしよう! お二人が喧嘩を始めてしまいました!

 こ、こうなったらあの時と同じように僕がお二人を止めないとっ!

 

「や、止めてください姉様! 兄様!」

「「……え?」」

 

 や、やった! またお二人を止める事が出来ました。

 

「えっと……エル? 今、何て言った?」

「え? 止めてください姉様って」

「その後よ。只野の事、何て言ったの?」

「兄様ですが?」

 

 何かいけなかっただろうか。マリアさんを姉と呼ぶなら只野さんは兄じゃないかなって考えたんだけど?

 年齢で考えても間違ってないはず。只野さんはマリアさんより七つ程上だ。そして夫婦は嫌だとマリアさんが言っていたから兄妹が妥当なはずだ。

 

「……ま、それでいいんじゃないか?」

「良くないわよ。結局私と貴方が夫婦に思われそうじゃない」

「ないない。呼び方だけで俺とイヴさんを夫婦に勘違いなんて、そいつは余程想像力がないよ。大体俺みたいな男が、どうやって、イヴさんみたいな美人の嫁さんもらえるって言うんだ?」

「それはそうだろうけど……」

「ですが、マリア姉様は結婚願望が強い傾向にあると思いますのでなくはないかと」

「は?」

「え、エルっ!? 何を言ってるのよっ!?」

 

 あれ? でも、たしか時折疲れたようにマリアさんが自分は結婚出来るのかって自問自答しているのを見た事がある。

 でもそれを言う事は出来なかった。只野さんがマリアさんの反応から意外なものを見たと言うように表情を驚きに変えたからだ。

 

 もしかして、僕は言ってはいけない事を言ってしまったんだろうか? そう思うけど、言ってしまった事をなかった事には出来ない。

 

「あー……まぁそうだよなぁ。そっちの世界じゃ君程高嶺の花はないもんな」

「…………やっぱりそう思う?」

「そりゃあね。ただでさえ美人でスタイルも良くて家庭的。なのに世界の歌姫で救国ならぬ救世主だ。そんな女性へプロポーズ出来る男なんて、そっちにだって中々いないと思うのが普通だって」

 

 その言葉でマリアさんが目に見えて肩を落とした。まるで服を買う前の只野さんだ。

 マリアさんはその後只野さんへ色々と聞いていた。どうすれば男性から声をかけてもらえるのかとか、どういう事を出来れば男性は喜ぶのかって。

 それに只野さんは自分の意見が男性全てに通用するとは思わないでと前置いて意見を述べていた。僕はその話を聞きながら思う。

 

 マリアさんと只野さん、本当に兄妹みたいだって。

 今の話も妹が兄へどうすれば結婚出来るか聞いているようにしか思えないし。

 

「でも……」

 

 チラリと視線を上げる。そこでは……

 

「料理が出来る方がいいのは知ってるの。でもそれだけじゃ弱いんでしょ?」

「いやいや、イヴさんみたいなステータスの女性が家事が得意とかはむしろ強みだよ。あとは得意料理とかを家庭的なものにすればいい。ポトフとかの煮込み料理辺りがいいんじゃないかな?」

 

 最初の時の雰囲気はどこへ行ったのか。そんな風に思うぐらいマリアさんが只野さんと会話していた。

 でも、姉様と兄様、か。うん、ここでの僕はマリアさん達の妹だ。ならちゃんとそう思って振舞おう。

 

 そんな事を思いながら僕は歩く。頭上から聞こえるお二人の会話に笑みを浮かべながら……。

 

 

 

 一先ずマリアと未来は自分達の世界へと戻って行った。それを見送り仁志はすぐさま行動開始。マリアとセレナ、そしてエルフナインとヴェイグが暮らす部屋を探すために彼は駅前の不動産屋をあたる。

 今回仁志は強気だった。これまでは家賃の条件を満たしていれば構わないと考えてきたが、今回探す部屋はまだ幼い少女二人を住まわせる部屋だ。セキュリティや設備など今まで重視してこなかった事を重点的に見直したのである。

 そのために彼は家賃は一旦置いておいて考える事にしたのだ。

 相手の挙げるいくつもの部屋の中から現在の動画配信による収入などを考え、またマリア自身にもどこかで働いてもらう事を考えた際の最低賃金を加えた計算をし、無理なく家賃を支払って行けそうな物件を目を皿のようにして探した。

 

 それと並行し彼は二台の連絡用のスマートフォンを購入。その一つを自分用にし、もう一つは翼へと託したのだ。

 

――翼は基本フリーで動けるだろ? なら一番連絡が取り易いからさ。

 

 元々仁志が使っていた物をエルフナインが常に所持するため、セレナへの連絡もそちらで取れるからだ。

 セレナを、エルフナインを、マリアを預かる事になった仁志はこれまでにない程やる気に満ちていた。

 背負うものが出来、男として覚悟を決めたのである。

 特に幼い二人の少女の存在が大きかった。彼自身がマリアや翼へ告げた言葉こそ、彼自身の本心でもあったのだから。

 

 そしてそれは少女達への支援だけに留まらなかった。

 

――本当にいいのかい?

――はい。まずはお試しでお願いします。いきなり俺も責任ある立場やら役職なんてキツイんで、シフトを一日増やす事から始めたいんですよ。

 

 何とコンビニ店長を段階的に目指してみる事にしたのである。

 まずシフトを一日増やして週五勤務とし、それで無理が出なければこれで固定。次は勤務内容の拡張で、それも平気ならば合格という言わば適性試験であった。

 オーナーはそんな事をせずともと言ったのだが、仁志は自分が本当に店長が務まるなど思えなかった。それを自他ともに見極めさせて欲しいと申し出たのだ。

 

 夢もなくただ生きていただけの男の、少し遅い前進であった。

 

 その背を押したのは偶然出会った一人の少女から始まる日々。自分が住んでいる場所を、国を、世界を守るのだとなった男の、正義感と良心による覚醒だった。

 

 その男の変化を彼を知る者達は一様に喜んだ。ただ一人、始まりの少女を除いては……。

 

「奏さん、最近只野さん、仕事中どうですか?」

 

 その響の問いかけに奏は食べていたアイスを口に咥えたまま首を傾げた。

 季節は皐月の風が迫り始めた四月下旬。もう響達がこの世界で暮らし出して一か月が経過していた。

 相変わらずあの六畳間で生活する仁志だったが、その暮らしは多少ではあるが改善の兆しが出ていた。

 一番は何と言ってもセレナが手伝いとしてその部屋の掃除をするようになった事だろう。

 翼からの話を聞いた仁志が、ならばと仕事として家政婦の真似事を頼んだのである。

 

 そう、現在セレナはマリアやエルフナインにヴェイグと共に、響達の暮らすアパートと仁志の暮らすアパートの中間点とも言える場所の平屋で生活していた。

 家賃は当然これまでよりも高いが、それでも物件自体がそれなりに古い事もあり格安と言えたのだ。

 セキュリティーと言う面で言えば貧相と言えるが、そこは静かな住宅街。それに極端な話、今の彼女達に仁志以外のこの世界での知り合いなど皆無に等しく、響達以外の訪れる者など基本的に警戒心を抱いておかなければならないと言えた。

 

「ん~……特におかしな事はないよ。もっとへばるかと思ったけど、割と元気に仕事してるし」

「そうですか……」

「んだよ。何か気になる事でもあんのか?」

「……うん。只野さん、先週のシフトからお休み少なくなったでしょ? だから最近一緒にお出かけとか出来てないからさ……」

 

 シフトの日数が増えた事に加えて、これまでよりも発注などでオーナーと協議する事も増えたために、仁志は休みはほぼ寝て過ごしていると言っても良かった。

 それが響には寂しさを感じる要因となっていたのである。それは、ここへ来て初めて彼女が感じた強い寂しさであった。

 

「仕方ないだろう。只野さんは今店長となるための試用期間だ。今までやっていた事と大きく変わる訳ではないとはいえ、一日勤務が増えて考えないといけない事も増えた。その疲労は私達では想像出来ない」

「それはそうですけど……一緒にご飯食べる事もなくなっちゃったし」

「代わりに向こうで食ってるからいいだろ。エルフナイン達が喜んでるって聞くぞ?」

「らしいね。マリアも言ってたよ。一人にしておくと食事さえも取らずに寝るだろうからって」

 

 セレナが仁志の部屋の掃除などを引き受けている事を利用し、マリアは彼の生活が何とか崩壊しないように気を配っていた。

 そんな彼女は仁志の紹介であの弁当屋でバイトとして働いている。美人のバイトが入った事もあり、弁当屋の売り上げは多少ではあるが伸びたのだから男と言うのは本当に単純なものである。

 

「……マリアさんの歓迎会も只野さん来てくれなかったし」

「お前なぁ……」

 

 マリアがこちらで生活するための準備を色々としてやってきた次の日、セレナやエルフナインも参加してのカラオケのルームを使った歓迎会が行われたのだが、そこに仁志は来なかったのだ。

 いや、正確には来れなかったのだ。勤務明けで疲れていた事とその日もまた仕事だったために。

 

(最近只野さんと会えるの、お店での数分だけだ。その時は元気そうだけどすぐオーナーと話を始めたりするからゆっくりお喋り出来ないし……)

 

 会いに行こうにも日中は寝ている事が予想され、たまの休みなどセレナさえも夕食に誘いにいくだけであった。

 

 少し前まであった日常がもう遠くなってしまった気がする。そんな風に思い響は表情を曇らせた。

 

 恋心の自覚ないままに来た響だったが、それ故に彼女は何故今自分がここまで落ち込んでいるかが理解出来ないでいた。

 勿論響が落ち込んでいるようにクリスや翼も多少の寂しさは覚えている。何せ二人も惚れた男との時間が減っているのだ。

 それでも二人が響程沈んでいないのにはちゃんとした理由がある。

 

(動画投稿に関しての意見などは送ってくれているし、見た感想などもくれる。只野さんは、本当にしっかりしている)

(あいつが今みたいになってから店の空気良くなってるし、あのスケベもより大人しくなりやがった。おっさんみたいな男になろうとしてるってのは嘘じゃねーな)

 

 仁志の成長や変化、あるいは変わらぬ優しさを感じ取る事が二人には出来たのだ。

 つまり響だけが二人とは見ている部分が違うのである。彼女は、仁志の男としての部分ではなく人としての部分に惹かれた。

 故に見ている部分は男としての成長ではないのだ。響は仁志がただ自分達から離れて行っているような気がして仕方なかったのだから。

 

 寂しいです。その一言が言えない響。あれだけ言葉にしなければ伝わらないと痛感したのに、今の彼女はそれを忘れてしまったかのようだった。

 

 同じ頃、マリア達の暮らす一軒家に仁志の姿があった。

 

「……旨い」

 

 唐揚げを口に入れてゆっくりと咀嚼してからの呟きには、文字通り噛み締めるような気持ちが込められていた。

 

「大袈裟よ。まぁ、陽子さんの秘伝のタレを教えてもらって作ったからだろうけど」

「本当に美味しいよ姉さん」

「はい、とっても美味しいです!」

「ふふっ、ありがとう。で、ヴェイグはどう?」

 

 満面の笑みを見せるセレナとエルフナインへ女神の如き微笑みを返し、マリアはテーブルの上に直接座って食事をしている家族へと声をかけた。

 

「むぐ? …………初めて食べたが旨いな」

「そう、良かったわ。まだまだあるから遠慮なく食べてね」

「「「はーい(分かった)」」」

 

 元気よく返事する二人の少女と一人の異種族。仁志は返事もせず味わうように唐揚げを口に入れながら白米を口へと運んでいる。返事をするよりも食欲を優先しているのだ。

 

(まったく、本当に疲れ果ててるわね……)

 

 そんな仁志を見てマリアは小さくため息を吐く。こちらに来てから彼女は否応なく仁志と関わる事となった。

 何せまずは生活する上で色々とあったためである。本来の世界ではもう金銭面に困る事はないマリアだったが、こちらではそんなはずもなく言わば無一文の状態から生活しなければならなかった。

 せめてと本来の世界で自分やセレナ、エルフナイン用の寝具などを購入し、最低限の準備は行った彼女だったがそう何度も世界間を行き来する訳にもいかず、仁志から当座の生活費として渡された金額でやりくりする事となり、彼から鍵と同時に渡された家計簿をつけていく事になったのは言うまでもない。

 

 それだけでなく、仁志が自分の部屋の掃除などをセレナの小遣い稼ぎとして頼んだ時はマリアは真っ先に反対したのだ。一人暮らしの男の部屋へ幼い少女が一人で訪れるなど色々な意味で不味いと。

 だが、そこは仁志も分かっていた。故に先に大家へ話を通していたのだ。合鍵を作りたいと申し出て、その理由として近くに越してきた姪っ子にお手伝いとして部屋の掃除をさせたいと。

 

 周囲からの目を意識した根回しまでしてのそれにマリアは渋々折れた。何せセレナへの小遣いを今の自分が渡せるはずがなかった上、今後もそれは少々難しいと思ったからである。

 それに何よりもセレナ本人のやる気へ水を差したくはなかったのだ。自分でお金を稼ぐ事の大切さと大変さを学ばせるべきとの仁志の言葉もあり、マリアは妹の可愛いお手伝いさんを許可したのだった。

 

「只野、唐揚げだけじゃなく野菜も食べなさい。セレナとエルもよ。ヴェイグを見習いなさい」

 

 唐揚げの第二陣を揚げつつ、しっかり食卓へ目を走らせるマリアはまさしく母親であった。

 名前を挙げられた三人はそれぞれ唐揚げに伸ばしていた箸やフォークを止め、苦い顔でその手を戻していく。

 

「セレナ、これも旨いぞ」

「う、うん。じゃあヴェイグさんが全部食べてくれていいですよ?」

 

 そんな三人を不思議そうに眺めながらヴェイグはフォークで野菜炒めを食べていた。人参、玉ねぎ、ピーマンと言ったいかにもな料理だが、当然苦手な物が入っていれば手を出したくない料理である。

 セレナはピーマンが苦手であり、実は只野もあまり好きではない。エルフナインは野菜は平気なのだが野菜炒めと言う料理が苦手なのであった。

 

 理由は若干水っぽくなってしまうから。食感が好きではないのである。

 

「セレナ? 今のは私の聞き間違い? まるでヴェイグへ押し付けるように聞こえたけど?」

「っ!? や、やっぱり私も食べますね、ヴェイグさん!」

「あ、ああ……」

「エルもちゃんと食べなさい。野菜は平気なんでしょ?」

「は、はいっ! ちゃんといただきます!」

「……実家の母さんよりこえぇ」

 

 二人への言葉を聞いて仁志がぼそりと漏らした言葉。それにマリアの眉が一瞬だけ動く。

 

「只野? 返事は?」

「イエスマムっ! ちゃんと食べますっ!」

「よろしい」

 

 満足そうに頷き、マリアは視線を鍋へと戻した。その背中を見つめ、仁志達は顔を突き合わせる。

 

「何だかさ、イヴさんの印象が大分変わったんだけど、元々あんな感じ?」

「いえ、こっちに来てからです。姉さん、毎晩家計簿を見てため息ばかり吐いてますし」

「何でもかつての逃亡生活よりも厳しいかもしれないと言っていました」

「マジか……。にーきゅっぱが御馳走の時よりもかよ……」

「にーきゅっぱって何だ?」

「ん? ああ、物の値段の略し方なんだよ。298円だから2と9と8でにーきゅっぱ」

 

 仁志の説明に頷くヴェイグとセレナにエルフナイン。そんな彼らへ呆れたような声が聞こえたのはその直後だった。

 

「くだらない事言ってないで冷めない内に食べなさい」

「「「「っ!?」」」」

 

 弾かれたように野菜炒めへ箸やフォークが伸びる。それを背中越しに見つめ、マリアは小さく微笑んだ。

 

(こうしてると本当に家族になったみたいね……)

 

 ペットのヴェイグ、次女のエルに長女のセレナ、そして父親の仁志。そう想像してマリアは一瞬にして顔を赤くして首を横に振った。

 

(何を考えてるのよ、もう! 百歩譲ってセレナとエルフナインを娘はいいとして、只野を旦那はないでしょ!)

 

 それでも、このままだと自分のような女が嫁げるのは仁志ぐらいかもしれないとマリアは割と真剣に悩み始め、その悶々とする背中を見て四人は再び顔を突き合わせて首を傾げるのだった……。

 

 

 

 今の私の朝は早い。午前六時には遅くても起きてまず朝食の支度を始める。野菜は翼が本部から運んで来てくれている物を使う。

 お肉なんかも持ってくるけど、あちらはあまり日持ちしないから使い切れない時は冷凍にして使うようにしてる。でも、これもいつまで出来るか分からない。出来なくなったら、その時からが正念場かしら?

 

「今日は……人参がそろそろ危ないわね」

 

 毎日翼があちらとの行き来が出来るか確認も兼ねて野菜を持って来てくれる。なのでちゃんと使い切らないといけないわね。

 よし、人参はきんぴらにしましょう。それと……じゃがいもは茹でて潰してサラダね。

 そうなると他にも何か欲しいわね。そう思って今度は冷蔵室を開ける。

 ハムと……スティックチーズが残ってるからこれを刻んで入れましょ。

 

「これと玉子焼きでおかずはいいわね。後は汁物かしら」

 

 私もセレナもエルフナインさえも日本人ではないけど、健康のために味噌汁を飲むようにしている。

 というのも只野が飲みたがるのよね。自分一人じゃ面倒だとか何とか言って。おかげですっかり作り方を覚えたわ。

 となると具は何にしようかしら? と、そこで目に入ったのは陽子さんからもらった乾燥ワカメ。

 お店で使ってる物だけど、賞味期限が切れたし少ないので捨てようとしてたのをもらったのだ。

 海藻サラダとかにでも使おうと思ってたけど、ちょうどいいわね。

 

「うん、ワカメの味噌汁にしましょうか」

 

 これで献立は終わり。お昼ご飯は残るだろうご飯でおにぎりを握っておけばいいし、何なら味噌汁を多めに作っておけばお昼も飲めるもの。

 我が家の食費の半分を只野が出してくれているおかげで家計は何とか回っている。ただ、これも現状本部からの食料支援があってこその状態だ。それがなくなればかなり厳しくなる。

 

「いっそアルバイトの日数、増やそうかしら?」

 

 私の勤務は午前十一時から午後七時までの週四。だけど営業自体は二時で一旦閉めて、夕方四時からまた開けるって感じで夜十一時までやっている。

 私はセレナ達の世話があるからと陽子さんへ交渉してそうなっているけど、一日ぐらい閉店までやる日、作るべきかしら? でもそんな交渉が出来るような人で本当に良かった。こればかりは只野に感謝しなくちゃ。

 

 本当に、有難かった。仕事終わりで晩ご飯を作るのはかなり辛いけど、セレナ達が嬉しそうに食べてくれたり手伝ったりしてくれるだけで疲れが飛ぶしね。

 それにセレナがご飯だけは仕掛けてくれるし、後片付けはエルと二人でやってくれて有難いの何のって。

 ヴェイグは私の背中をその体で踏んで疲れを取ろうとしてくれるし、本当に助かってる。

 

 そんな事を考えながら朝食を作り出してしばらくすると、我が家で二番目の早起きがキッチンへやってくる。

 

「くんくん……みそ、か。この匂いにも慣れたな」

「ヴェイグ? おはよう、でしょ?」

「ああ、すまん。おはよう」

「ええ、おはよう。セレナとエルは?」

「まだ寝てる。今朝は何だ?」

 

 言いながらテーブルへ登ろうとするヴェイグだけど、そうはさせるものですか。

 

「ヴェイグ、手を洗ってきなさい。つまみ食いをするとしてもそこは守ってもらうわ」

「……分かった」

 

 んもうっ、やっぱりサラダへ手を出そうとしてたわね。と、そこで聞こえてくる玄関の戸を開ける音。

 出来るだけ静かに開けてるんでしょうけど、殺し切れないわよね、あの引き戸だと。

 そして玄関から真っ直ぐこちらを目指して足音が近付いてくる。

 

「あ~味噌の匂いだぁ。イヴさん、ありがとう。これ、毎度おなじみの上納品」

「冷蔵庫に入れておいて」

「へいへい。っと、そうだ。これこれ、見てよイヴさん」

「何よ?」

 

 只野がこちらに近付きながら何かを袋から取り出す。これは……見慣れないスイーツね。

 

「新商品の廃棄。さくらパフェってやつなんだけど、興味ある?」

「まぁお洒落で可愛いとは思うわ。味は?」

「残念ながら俺は食べた事ない。でも、逆に考えてくれ。廃棄になる事が少ないって事は、だ」

「そんな不味くはないって事ね。いいわ。朝食終わりに食べてみる」

「ん。今晩にでも感想よろしく」

「了解。それにしても奏がよく食べなかったわね? 一緒だったんでしょ?」

「そうそう、天羽さんも狙ってたみたいなんだけど、俺が世話になってるイヴさんへ渡したいって言ったら折れてくれたんだよ」

 

 言いながら冷蔵庫へスイーツをしまっていく只野を横目に、私は少しだけ笑みが浮かんでいた。

 奏の欲しかった物を食べられるってだけじゃない。毎日のように只野はここへ仕事終わりにやってきては、廃棄のスイーツなどを差し入れてくれる。

 それはセレナやエルにとって楽しみの一つであり、私の疲れを癒してくれる物でもあるのだ。

 

 そう言っているのに、只野は今のようにそれは世話になっている礼だと言ってきかない。

 今は世話されているのはこちらだと言うのに。本当に、こうと決めたら譲らないんだから。

 

「うし、シュークリームは今回三つ。分かってると思うけど」

「私はあのパフェがあるからって事でしょ?」

「そっ」

「タダノ、来てたのか」

 

 そこへ手を洗ってきたヴェイグがやってきた。相変わらず只野に対して若干嬉しそうにするのね、彼は。

 

「ヴェイグ、おはよう。そうそう。また冷蔵庫に入れてあるからな」

「ああ、シュークリームか。助かる」

「いいって事さ。セレナちゃんとエルは……寝てるか」

「まぁ、いつものようにタダノが帰った後ぐらいで起きるだろう」

「そっか。じゃ、二人にも伝えておいてくれるか? 一番上段に置いてあるのはイヴさんのだから食べちゃ駄目って」

「分かった」

 

 会話だけ聞いてると父と子ね。そんな事を思いながら私は取り出した茶碗へご飯をよそっていく。

 

「只野、どれぐらい食べるの?」

「いつもと同じで」

「同じね。分かったわ」

 

 言い終わると同時に炊飯器の蓋を閉め、茶碗をテーブルへと持って行く。

 只野は既に定位置に座っていて、ヴェイグもテーブルの上に座っていた。多分只野が持ち上げたんでしょうね。何も音しなかったし。

 

「はい」

「ありがとう」

「タダノ、仕事の方はどうだ?」

「ん~……一日増やしただけなら問題なさそう。ただ、これで夕方からってなると厳しいかもなぁって感じ」

 

 私がお椀に味噌汁を注いでいると聞こえる会話に思わず苦笑する。さっきは只野が父でヴェイグが子だったのが逆転してるように聞こえたからだ。

 本当にこの二人は不思議だわ。でも、きっと友人だからなんでしょうね。

 

 そう、あの人間嫌いのヴェイグがセレナ以外で作った友人が只野だった。しかもその申し出はヴェイグから。

 

――タダノ、俺にさんはいらない。これからは呼び捨てでいいぞ。

 

 あれを、友人になりたいと言う申し出と呼ぶのなら、だけど。でも、きっと只野にはそう伝わったはず。

 あれ以降二人はこうしてよく話すのを見る。ヴェイグも只野の仕事や体などを心配しているし。

 それをこちらが聞くと、今只野に倒れられたら困るからだの一点張り。でもセレナがこっそり教えてくれた事によると、只野はしつこいぐらい言わないと本気で無茶をして痛い目を見るからだそう。

 

 きっと昔の自分と似てると言っていたそうだからその経験からでしょうね。

 

「人参のきんぴらにポテトサラダと玉子焼き。いいねいいね。これで納豆とかあったら安い旅館の朝食みたいだ」

「安いは余計よ。はい味噌汁」

「おー、今朝は何?」

「ワカメよ。陽子さんが捨てようとしたのをもらったの。賞味期限は切れてるけどまだ食べる分には大丈夫」

「成程なぁ。でもいいね。味噌汁のザ・定番だ」

「そうなの?」

「そうそう。後は豆腐や油揚げに大根とかかなぁ」

 

 ふむ、大根……か。うん、いいわね。一本丸ごともらって味噌汁や煮物なんかに使いましょう。

 そうと決まれば翼へ連絡しておかないと。今日も本部へ行って食料をもらってくるはずだ。エルが起きたらお願いしなきゃ。

 

「マリア、俺の分はまだだろうか?」

「ああ、ごめんなさい。今用意するわね」

 

 只野のお椀へ顔を近付けてクンクンしてるヴェイグがそんな事を言ってきた。ふふっ、可愛いわね。

 多分だけど只野もヴェイグが食べられるようになるまで待ってるつもりだし。

 そう思ってヴェイグの分を用意する。私はセレナとエルが起きてから食べるつもりなので椅子に座って二人を眺めるだけ。

 

「「いただきます」」

「召し上がれ」

 

 フォークとスプーンで食べるヴェイグと箸で食べる只野。何というか少し和むのよね、この光景。

 二人して美味しそうに食べてくれるのは勿論だけど、見た目が違う二人が同じ物で笑みを見せ合ってるのは心に感じるものがある。

 

「いやぁ、やっぱ旨いなぁ。ヴェイグ、ワカメは初めてだっけ?」

「ああ。噛むとヌメヌメしてるな、この草」

「海藻の一種なんだ。海の物。海って分かる?」

「馬鹿にするな。聞いた事ぐらいある」

「見た事は?」

「…………ない」

「じゃ、近い内に行こう。で、みんなで旨い物食べよう」

「ホントか?」

「海に行くのは別にいいけど、休みに動けるの? 忙しいんでしょ、店長さんは」

 

 私がそう少し嗜めるように告げると只野が少しだけ苦い顔。ほらやっぱり。

 

「気持ちは嬉しいけどぬか喜びになるような事言わないの。ヴェイグだからいいけど、これがセレナやエルなら影で泣くわよ?」

「そう言われると辛いなぁ。ヴェイグ、ごめんな」

「いやいい。お前は嘘を吐こうとしてない事ぐらい分かる。ただ、それが嘘になってしまう事があるんだろう」

「ホントにごめん。何とか二連休作れるようにするよ」

 

 まただ。また父と子だ。本当に知らない内に笑みが零れてくる。この二人を見てると只野が父親になった時が想像しやすいもの。

 思えば休みの日の夕食もそんな感じだ。私が仕事から帰ってきて作る食事にセレナが只野を呼んできて、そこで食べている時のエルとの会話なんてまさしく親子だし。この前なんか……

 

――あの、聞きたい事があるんですが……。

――何?

――えっと、夢の国という場所があるって聞きました。どういうところなんですか?

――あー……簡単に言えばテーマパーク、遊園地かな?

――遊園地?

――やっぱセレナちゃんも興味あるかぁ。連れて行ってやりたいけど、ここからじゃ遠いからなぁ……。

 

 完全に娘二人を前にして頭を抱える父親だったもの。後で場所とそこの入園料を聞いて絶句。

 向こうなら何の問題もないけどこっちじゃ行くだけで出費が酷い。

 なので二人でしばらく夢の国を話題にしない事で一致したぐらいだ。

 

 そんな事を思い出しながら私は食事をとる只野を見つめた。初めて会った時よりも疲れが見える顔を。

 

「只野、無理はしないで頂戴。貴方にもしもがあったら、今の私達は終わりなの」

「分かってるさ。だからこうやってイヴさんが気遣ってくれてる訳だしな。それにちゃんと勤務始まりに野菜ジュース飲んでるし、休憩中の飯も出来るだけ気を遣ってるんだ」

「……ならいいわ。そうそう、運動は続けてる?」

「勿論。この後は腹ごなしの運動としてまた散歩してから寝るよ」

「その前にこっちか向こうで汗だけは流しなさい。いい?」

「了解ですマム」

 

 まったく、これで一応お互いに成人してる男女なんて信じられないわね。私の注意もそうなら、向こうの返しもそうだけど、本当に大人のやり取りじゃないわ。

 

 この後只野は私の作った食事を平らげて満足そうに去って行った。その後片付けをしていると、私の愛しい妹が目を擦りながら起きてくる。

 

「ねえさん、おはよう……」

「おはようセレナ。ちゃんと顔を洗ってきなさい」

「はーい……」

 

 そしてそれと入れ替わるように今や義妹となったエルがやってきた。

 

「おはようございますマリア姉様」

「おはようエル。顔は洗った?」

「はい。何か手伝う事はありませんか?」

「特にないわ。あっ、自分の分のご飯を茶碗へ注いでくれる?」

「分かりました」

 

 只野のおふざけでエルが始めた姉様呼びだけど、正直何というか悪くないわね。セレナは姉さん呼びをされて嬉しいみたいだし、本当にそこだけは只野の企み通りと言った感じかしら。

 それに、心なしかエルも私やセレナを姉として扱う事で日々を楽しんでいるような気がする。考えてみれば本来の世界ではあの子は研究者だ。そこに誰も不満も違和感もなかった。

 

 そう、きっと本人さえも。

 

 でも考えてみればそれは私達も、そしてエルフナイン自身も無意識にそういうフィルターをかけていたのだと今なら分かる。

 外見相応の扱いをされ、そうあれるここではエルフナインでさえも子供のように見える。ヴェイグやセレナと遊んだり、只野の持ってくる廃棄品を見て質問したりその味に笑ったり驚いたり。

 それを見て私もセレナも、そして只野さえも心の栄養をもらえてるのだと分かる。

 

「……本当に、ここは平和な場所なのね」

 

 振り向けば聞こえる少し離れた洗面所の水音と、視界の隅に映る茶碗にご飯をよそっているエルの姿。それと、きっとヴェイグは居間兼寝室でクッションに座って日の光を浴びて欠伸しているだろう。

 つい一か月前なら有り得ない光景が私の日常となっている。それに、ここでは私はただのマリア・カデンツァヴナ・イヴ。世界を救った女でもなければ世界の歌姫でもない、ただの女。

 

 そんなもう望んでも手に入らない私でいられる。これは向こうが平和になろうと手に入らない事実。ここは、私をただのやさしいマリアにしてくれる。

 

「マリア姉様、味噌汁の具は何ですか?」

 

 物思いに耽る私をエルの声が現実へ引き戻す。

 

「ワカメよ。食べた事はある?」

「はい。サラダに入っていたのなら」

「そう。なら大丈夫ね」

「エル、おはようっ!」

 

 私とエルが話していると顔を洗ったセレナが姿を見せた。あらあら、もうお姉さんモードね。

 

「おはようございますセレナ姉さん」

「良い匂い。あっ、姉さん。そういえば只野さんは?」

「もう食べて散歩に行ったわ。もしかしたら汗を流しによるかもしれないけどね」

「そっか。ヴェイグさんも?」

「ヴェイグなら居間で日向ぼっこしてるはずよ。ほら、セレナも早くご飯と味噌汁を用意しなさい」

「はーい」

 

 セレナは再会してから本当によく笑っている。最初はまだ強がってるのかと思ったけど、そうじゃない。

 あの子は、本当にここで強く生きようとしている。いつか来るゲートへの道を切り開ける時を信じて。

 それを決意させたのが只野。彼はセレナへ泣いてもいいと言ったらしい。だけど泣き続けるなとも。

 彼がセレナへ言った言葉は父性に満ちている言葉だと分かる。寄り添うのではなく相手の自立を願い、助けるものだと。

 

 私が似たような事を言ってもきっと駄目だったと思う。何故ならセレナの悲しみの大本が私にも悲しみとして襲っていたから。

 悲しい時は泣いていい。次に泣く時は悲しみじゃなく嬉しさの涙に。それを男性の只野が言うからセレナの胸には響いた気がする。

 男が母になれないように女は父になれない。きっと、これはどこでも変わらない真実なんだと思う。

 

「今日の具は何?」

「ワカメだって姉様は言ってました」

「わかめ? どんなの?」

「海藻の一種のはずです。えっと、たしか」

「エル、解説はいいから食べなさい。セレナもまず食べてみなさい。もし口に合わなかったら私が飲んであげるから」

「「はーい」」

 

 そう、真面目なこの子達が間延びした返事をするようになっている。これは本来なら叱るところなんでしょうけど、いい意味で気が抜けていると思うとそうしていいものかと思案してしまうのよね。

 

 とにかく今は私も食べましょう。っと、いけない。二人のための玉子焼きを作らないと。

 

「あれ? 姉様は食べないんですか?」

「玉子焼きを作るのを忘れてたの。焼き立てを食べてもらいたかったから。二人は先に食べてなさい」

「じゃ、サラダから食べてるね」

「姉様、こっちの人参はなんですか?」

「きんぴらよ。甘辛い味だからご飯が進むと思うわ」

「そうなんだ……あむっ、美味し~」

「あっ、姉さんズルいです」

「こら、ケンカしないの」

 

 背中から聞こえてくるやり取りに自然と笑みが浮かぶ。チラリと時計を見ればもう七時を過ぎていた。

 只野、どっちで汗を流すのかしら? 最近はほとんどこっちでシャワー借りてるけど、あれって多分こっちは散歩が終わった後は全員起きてるからでしょうね。

 向こうは響が絶対寝ているでしょうし、下手をしたらクリスだって寝ているもの。訓練よりもアルバイトの方が疲れるなんて……分からないでもないけど。

 

 本当に接客って疲れるのよね。それに男ってほとんどと言っていい程胸を見るし。分かってはいたけどああまでされるとほん……っきで嫌になるわ。

 

 と、そこで気付いた。只野って、私の胸見ないわね……。女に興味ないのかしら?

 もしかして、響達へ手を出さなかったのってそういう事?

 

「……まさかね」

 

 そう呟きながら私の中でその考えは膨らむばかり。ないとは思う。でも、そうかもしれない。

 彼は、異性に興味を抱けないんじゃないかって。

 

 

 

 こうやって朝走るのが日課になってもう二週間以上。あたしもすっかりこの生活に慣れてきた。

 自分の世界へのゲートが消えた事はショックだったけど、あの子が、セレナがいたから何とか飲み込めた。

 寝起きの頭で聞いたのも今思えば良かったのかもしれない。理解するのに時間がかかったしね。

 でもあのままあの部屋にいたらヤバいと思って只野と一緒に外へ出た。

 で、適当にバイトまで時間を潰そうと思ったけど、翼達が生活してたって言うボロアパートを見てみたくてそのままついて行って、只野の使い古した布団があるのを見て悪いとは思ったけど利用させてもらう事にした。

 

 只野が目を離した隙にそこへ顔を伏せて泣いたんだ。声を出す事はなかったけど、色んな感情をぶつけるように泣いた。

 あいつはあたしが寝てたって思ったみたいだけど、その鈍感さにあの時は助けられた。それと、あいつ自身の存在にも。

 

「あいつが、只野がいる限りあたしらは大丈夫」

 

 噛み締めるように呟く。あいつがいれば、覚えていてくれてれば、あたしの世界は、旦那や了子さん達は大丈夫。そう思う事が出来たから、只野には感謝してる。

 バイトだってそうだ。店長になろうとしてるみたいだけど、だからってあたしの事を蔑ろにする奴じゃない。むしろ積極的に意見を聞きに来る。主に商品に関して。

 

 まぁ夜勤の女なんて珍しい上にあたしみたいな年齢でやる奴はいないもんね。あと、本来は防犯の事もあって店側が難色を示すって聞いた。

 

「あれ?」

 

 そんな事を思い出してると目の前から歩いてくる見慣れた顔。やれやれ噂をすれば何とやらじゃないけど、考えてるだけでも効果があるのかね?

 

「天羽さん?」

「先輩じゃん。どうしたのさ、こんなとこで」

「いや、食後の運動で散歩中。天羽さんはジョギング?」

「そ。何なら一緒にやる?」

「あ~……その方がいいかなぁ。いや、実はさ、ちょっと前まではあの公園をグルグルウォーキングしてたんだけど、最近景色が変わらない事に飽きちゃってこうしてブラブラしてる感じ」

 

 凄く分かる。だからあたしも走るコースを時々変えてるし。

 

「ならバイトがあった日は一緒にやる? お互い出来る状態にしてあの分かれ道で待ち合わせ」

「いいのか? 見られたら面倒な事になるかもしれないぞ?」

「いいよ。てか、その時はこう言ってやればいいさ。モーニングを奢ってもらうって条件で付き合ってますって」

「うわっ、妙にリアルな報酬。でも、その理由は使えるな」

 

 言って只野が笑う。でもその笑顔には以前までの明るさというか活気がない気がした。

 

「ね、先輩。やっぱ疲れてる?」

「……分かる?」

「あー、うん。仕事中はそうでもないけどね」

 

 こうやって見ると勤務中はそういうのが出ないようにしてるんだと分かった。ったく、道理で最近オフの時にあたしらと顔を合わせないようにしてるはずだよ。

 でも、あまりあたしは大きな声でこいつの事を責められない。週に三日一緒に仕事してて気づかなかったんだから。

 

「セレナちゃん達はまだ誤魔化せるんだけど、響達は無理だろうと思ってさ。出来るだけ仕事以外では顔を合わせないようにしてるんだ。自分も疲れてるって分かってるから」

「なら……っ」

 

 シフトを戻してもらえばって、そう言おうと思って口を閉じた。

 只野がどんな気持ちでそれを始めたかをあたしは聞いてる。こいつは最悪に備えてるんだ。悪意が翼達の世界への行き来を封じた時に。

 今はそことの行き来だけは出来ている。だから翼が定期的に報告を兼ねて食料を調達してるけど、正直怖いのは消えない。

 実は時間の経過のズレ方が固定されたからだ。こっちで一時間が向こうじゃ一分にさえなっていないみたいな、そういうので。

 今までと違って絶対時間の流れは翼達の世界が遅い。これはマリアがこちらへ来て翼と歌った“不死鳥のフランメ”を上げた後からだ。

 只野が言うには、その歌ってのがこっちにあった“戦姫絶唱シンフォギア”の二期、だっけ。その時の歌だからじゃないかだって。

 

 そんな事を思い出しながら、あたしは目の前の疲れた顔の男に少しでも元気を出してもらおうと言葉を何とか繋げた。

 

「あたしが添い寝でもしてやろうか? 元気でるだろ?」

 

 今のあたしが出来るのはこうやって茶化してやるぐらいだ。前だったらこう言ったらきっと呆れた感じでふざけ返してきたはずだ。あるいはちょっと真面目に注意とかね。

 

 だって言うのに今のこいつは……

 

「元気出過ぎて逆に疲れそうだから遠慮しとくよ」

 

 何でそんな疲れた笑みで返すんだよ。ちょっと前まであたしへふざけてきただろ。いいよ、少しぐらいスケベな事言ってもさ。怒らないからふざけてくれよ。

 

 あー、ダメだ。これ、あたしも結構参る。只野がこんな調子じゃ響じゃなくても暗くもなるよ。

 

「そうかい。ああ、そうだ。響が結構参ってる。あんたと一緒に過ごせてないって」

「響が?」

 

 意外そうに瞬きする只野を見てあたしは鈍感すぎると思った。

 どう見たってあの子があんたの事意識してるのは分かるだろ! 何なら惚れてるよ、あれ!

 そう言いたかったけど、さすがにそれは言わずにおいた。これは外野が言う事じゃない。

 

「難しいかもしれないけど、仕事じゃない時に話をしてやってくれない? あの明るい奴が暗くなるとこっちまでさ」

「……分かった。何とか時間を作ってみるよ」

「頼むよ。で、どうする?」

「へ? 何が?」

 

 こいつは……。

 

「ジョ・ギ・ン・グっ! あたしと一緒にやるの? やらないの?」

「ああ、それか。うん、じゃあ天羽さんと一緒にあがった日だけ一緒にやってくれるか? それなら楽しくやれそうだ」

「ん、約束だからね。細かい事はバイトの時に」

「分かった。じゃあな」

「はいはい」

 

 こうしてあたしは只野と別れて動き出す。少しだけ走って後ろを振り返れば、只野はフラフラとはいかないまでもトボトボに見える感じに歩いていた。

 

 ……うん、やっぱり心配だ。仕方ない。あいつを部屋まで送ってやるか。本来なら普通逆だからな?

 

 

 

 奏に付き添われマリア達の住む家を目指す仁志。その姿を不気味に見つめる黒いもやのような物があった。

 

――思ったよりも堪えてない、か。やはりあの男が厄介ね……。




只野奮起す。その背にある幼い少女二人や戦姫達を守るため。
その代償にこれまでのような繋がりを響達と持てなくなり、それが太陽を曇らせる事となりました。

そして久々登場の悪意。狙いはやはり只野ですが……?

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