シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

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サブタイの元ネタは言わずと知れた名作邦画です。
期間限定とは言え複数の想いと向き合うのは……な話。


番外編 男はつらいよ……

「みんなで遊びに行きたい?」

 

 俺の言葉に切歌と響が力強く頷いた。

 

 場所は俺の部屋。時刻は午後二時を過ぎた辺りで、夏の暑さのため窓を開けていても風がなく、扇風機程度では汗が流れるのを止める事は出来ないレベルである。

 それでも俺はまだ空調を使うつもりはない。いや、正確には使えないんだ。実は、今この部屋のエアコンは壊れている。つい最近使おうと思ったら動かず、リモコンの電池を変えても反応なしという有様。

 何せ一人暮らしを始めた頃からの付き合いだ。もう寿命を迎えてもおかしくない。金に余裕も出来たし買い替えるべきかと、そう思っていた矢先にお亡くなりになったである。

 

 そんな中でも俺と過ごせるならばとやってくる辺り、この必愛コンビは似た者同士なのだろう。

 あのノイズ出現を受けて、二人は表向き万が一の際の護衛としてここへ来ては漫画を読んだり、俺の話を聞きたがったりと忙しい。

 

 心配してくれているんだとは思う。何せあの一件まではこんな事しなかったのだから。

 

「八月ももう半ば。なのに結局海水浴は行ってないじゃないですか!」

「デスデスっ! これじゃ水着がカワイソウデス!」

「とは言ってもなぁ」

 

 一応ここから海水浴が出来る場所へ行けない事もない。電車で一時間程度かかるが、知多の方へ行けばいいからなぁ。

 それにしても、水着ねぇ。正直プールでも思ったが、今の俺はあれを心穏やかに見る事が出来るのだろうか?

 

 あと、地味に他の男達に見せたくないと思っているんだが、それは言った方がいいかね?

 

「ししょぉ、う~み~、行きたいデスぅ~」

「仁志さぁん、うーみー、行きましょうよぉ~」

 

 両側から元気っ子二人に引っ張られる。暑いんだけど、若干幸せ。

 

「あ、あのな? 一つだけ知っておいて欲しいんだけど」

「「?」」

 

 揃って小首を傾げる二人を見てると、時々姉妹なんじゃないかと思う。

 響と切歌って色々と似てるので親戚なんじゃなかろうかと本気で思う時あるんだよなぁ。

 

「俺、正直さ、みんなの水着姿を他の男に見せたくない」

 

 そう本音を告げると二人が揃って顔を赤くした。

 

「そ、それって、独占欲、ですよね?」

「まぁ」

「し、ししょーはアタシや調さえも見せたくないデスか?」

「そりゃあね」

「「……ぁぅ」」

 

 何故に君達は揃って顔を赤くするんですかね。もしかして暑さで?

 やっぱ早く新しいエアコン買おう。こんな中でセレナに掃除なんてさせられないし。

 

「よし、ちょっと出かけてくる」

「「どこへ(デス)?」」

「エアコンを買いに近所の電気屋まで。修理じゃ時間かかるけど、買い替えなら早いはずだし。っと、その前に銀行寄って金下ろしておくか」

「「私(アタシ)も一緒に行きます(デス)っ」」

 

 ま、そうなるとは思ってた。じゃあ、両手に花で出かけるとしますか。

 鍵に財布とスマホを二つ持って靴を履く。それに続いて響と切歌が靴を履くんだけども……

 

「「? どうかしたんです(デス)か?」」

「……何でもない」

 

 Tシャツだもんだから胸元がチラリと見えた。あー、何でこうチラッと見えるエロスって破壊力高いんだろうな?

 それに響も切歌もある方だから結構な威力だった。いかんいかん。熱で理性が息絶えそうだ。

 

 二人が出るのを待って鍵を閉める。で、この暑いのに二人してすぐに腕を組むのは何でデス?

 

「さっ、行きましょう仁志さん!」

「ゴーゴーデス!」

「はいはい」

 

 ま、響は女性として、切歌は弟子として俺に接してくれてるんだ。それに、こうやって二人の可愛い女の子と腕組んでると、周囲も仲良し姉妹と親戚のおじさんぐらいにしか見えないだろう。

 

「それで、どんなの買うんですか?」

「デスか?」

「どうせなら最新型がいいなぁ。電気代安いらしいし」

 

 マリア達の家のはそういうのだ。女性五人にヴェイグがいる事もあって、結構奮発したんだよな、あの居間の空調は。

 

「おおっ、お家のやつと同じのデスね。あれのおかげで夜寝る時が快適デスよ」

「私達の部屋のはダメですか?」

「響達の部屋のでもいいんだよ。サイズとしては十分だしさ」

 

 二人の部屋のも比較的新しい物だ。俺としては値段としても手ごろなので迷うところではある。

 

 両腕の暑さと熱さに何とも言えない気分となりながら、俺達は銀行のATMコーナーへと入った。

 

「「「涼し~」」」

 

 別世界のようなそこでずっと過ごしていたい気分に駆られるが、今は金を下ろす方が先だ。

 

「じゃ、ここで待っててくれ」

「「はーい」」

 

 素直な二人に苦笑しつつ、俺は財布からキャッシュカードを取り出してふと思い出す。

 

「こっちから大金を引き出すのはマリアが初めて来た時以来かもしれないな」

 

 現在、俺は二枚のキャッシュカードを持っている。一枚は俺が昔から使っている口座のカード。もう一枚は動画配信で得られる収入を入れている口座のカードだ。

 あのみんなで初めての遠出の資金はそこから調達した。そう、その口座のお金はみんなに関係する事にしか使わないと決めているからだ。

 

「……残高が増えてるんだなぁ」

 

 みんなのおかげで地味に貯金出来ている。たしかに出て行ってる分もあるんだが、それよりも入ってくる分があるので正直俺自身の金を使う必要はあまりない。

 それぞれの生活費はみんなのバイト代や動画の収益で賄っているからだ。というか、家賃だけならまとめて動画の収益だけで支払える。

 

 二十万ぐらい引き出してATMでの作業終了。そこに置いてある封筒を一枚もらって札をそこへしまって二人が待っている入口近くへ戻る。

 

「お待たせ」

「いえいえ」

「涼む事が出来たのでむしろありがたいデス」

「そっか。じゃ、また炎天下へ戻るとするか」

「「うへぇ」」

 

 自動ドアを開けた途端流れてくる熱風。それに響と切歌が表情を歪める。

 まったく、こういうとこは本当に変わらないな、この子達は。

 

「電気屋さん行ったら私と切歌ちゃんは外で待ってた方がいいですか?」

「別に中で待ってればいいよ。色々家電を見てればいいんじゃない?」

「じゃあそうするデスよ」

「だね。色々ゆっくり見てよう」

 

 俺を挟んで会話する響と切歌は本当に仲良し姉妹のようだ。

 ただ、気のせいか響は腕へ胸を軽く押しつけてる気がする。それを指摘し辛いので黙っているが、これ、割とキツイ。

 性欲の方は、まぁ定期的に色んな方向で処理してるけど、だからってこれは色々ヤバい。

 

「えっと、響?」

 

 それでもそれとなく注意をしておこう。

 

「何ですか?」

「あのな、ちょっとくっつき過ぎたと思うぞ」

「えっと……ダメ、ですか?」

 

 ムニュっと押し付けられる柔らかな感触。こ、これはやはり意図的か。

 

「ししょー? 大丈夫デスか? 顔、ちょっと赤いデスよ?」

「ホントだ。仁志さん、軽く水分補給した方がいいですよ。あっ、スーパー寄りましょう。ねっねっ」

「デスね。ししょー、何事も用心するべきデス」

「……じゃあ、まぁ」

 

 嫌だとは言えず、はっきりと言う事も出来ず、情けないおっさんは両腕に女子高生をくっつけたままスーパーへと立ち寄る事にした。

 

「飲み物飲み物っ」

「デスデース」

「おいおい、あまり引っ張らないでくれって」

 

 気分はもう親戚のおじさんか歳の離れた兄貴である。正直嬉しいけれど、さっきから腕へ柔らかな感触が当たってるので下手に腕を動かせない。

 響は意図的に、切歌は無意識に、それぞれ女を使っている。以前だったらこれをそれとなく振り払うか窘めていた。

 

 それが、もう出来ない。したくないってのもある。

 

「どれがいいかな?」

「ししょーはどれにするデスか?」

「そりゃ水分補給なのでスポーツドリンク系」

「「え~、違うのにしましょう(した方がいいデス)よぉ」」

 

 やれやれ、この魂の姉妹は……。

 

「もしかして飲みたい物が複数ある?」

「「デス(はい)っ」」

「……で、俺はどれを選べばいいの?」

 

 そう聞くと二人が嬉しそうに飲み物を前にあれこれと話し始める。それを聞きながら俺は両腕から感じる感触に必死に自分の心を落ち着ける事になった。

 

 俺は大人俺は大人俺は大人。そう自分へ言い聞かせながら俺は響と切歌の誘惑へ抗い続けるのだった……。

 

 

 

「兄様、海に行くって本当ですか?」

 

 エアコンの購入とその納期などを決めた翌日の昼過ぎ、俺がマリア達の家の居間で涼んでいるとエルがそう聞いてきた。

 おそらく切歌が話したのだろう。そう思って視線を向けるとてへへって感じで笑われた。可愛いので許す。

 

「まだいつになるかは分からないけど、今月中には」

「電車ですか?」

「それなんだけど、今回はレンタカーでワゴンタイプを借りて行こうかなと」

「「「「「「レンタカー?」」」」」」

 

 俺の言葉にマリア達まで反応した。そう、今日はマリアのバイトは休み。なのでこの昼間の時間はこの家の全員が揃っているのだ。

 

 ……エアコン来るまでセレナに俺の部屋の掃除はさせられないからなぁ。代わりに肩たたきや軽いおつかいを頼んでお小遣いを渡している。気分は本当に父親だ。

 

「そう。俺だって免許は持ってるよ。しかも中型だ」

 

 引っ越しのバイトをやった時にそこの先輩から聞いたんだよなぁ。中型だと車使う系の仕事の時便利だから採用されやすいぞって。

 それを覚えてて、パチンコ屋時代に取ったんだよな。いやぁ、あの頃はいざとなったらスクールバスとかの運転手とか楽そうだしなんて考えで取った免許だけど、ちゃんとこういう時に活かされるんだからホント人生って分からんもんだ。

 

「で、十四人乗りの車なら余裕で全員乗れるだろ?」

「まぁ、私か奏が助手席に乗れるし、エルやヴェイグを一人と数えても十二人だし……」

「荷物も平気でおけるね、姉さん」

「車で移動デスかぁ。楽しそうデス」

「でも、仁志さん、運転大丈夫?」

「まぁほとんどしてないけど……」

 

 免許を取ってから二年弱は結構乗る事があった。ま、実家の普通車なのでワゴンタイプではないのが難点かもしれないけど何とかなるさ。

 それに、頑張って中型の時の教習を思い出せば何とかなる、はず。まぁ超が付く程の安全運転で行こう。

 

 いや、その前に軽く練習も兼ねて今から運転するべきか? 幸い今日は休みだし、マリア達を乗せて予行練習させてもらおうかな。

 

「マリア、頼みがあるんだけど」

「何? 運転の教官役?」

 

 小さく苦笑しての言葉に俺は思わず頬を掻いて頷いた。いや、お見事だ。読心術でも使えるんじゃないかね、彼女。

 

「さて、これからレンタカー会社へ連絡して、ワゴンタイプ借りれるか聞こうと思うんだ。で、良ければみんなで軽く買い物がてらドライブとしゃれ込まない?」

「だそうよ? どうする?」

「「「「「行くっ!」」」」」

「……だって」

「じゃ、ちょっと待っててくれ。まずは連絡をっと……」

 

 で、その結果大人数乗りのワゴンタイプが空いていたので予約を取り、全員で出かける事になった。

 本音を言えばマリアが運転できると楽なんだが、ここじゃ彼女に免許はない。運転自体は可能だけど、万が一を考えると非常に不味いのでほぼ不可能だし。

 

「マリア、悪いけど横から指導をお願い」

「いいわよ。でもそんなに不安なら、以前と同じで公共交通機関を使う方がいいんじゃない?」

「ヴェイグの事を考えると、さ」

 

 その言葉だけでマリアは小さく微笑んで頷いてくれた。そう、電車やバスじゃヴェイグがみんなと喋れない。

 

「貴方らしいわ。ふふっ、本当にらしくて嬉しくなるぐらいよ」

「それは良かった」

「お兄ちゃん、お買い物ってどこへ行くの?」

 

 マリアと話していると前を歩いているセレナがこっちへ振り返ってそう聞いてきた。

 

「ああ、ここからだと車で大体二十分ぐらいの大きなショッピングモールだよ。映画館も併設されてるようなとこだ」

「映画館デスか……」

「凄く大きいんだね、きっと」

「楽しみです!」

 

 エルの嬉しそうな声に笑みが浮かぶ。と、隣のマリアも同じように笑っていた。

 

「何?」

「いや、相変わらず笑顔が素敵だなってね」

「っ……も、もう、そういう事言わないの。今の貴方だと、本気の口説きよ?」

「嫌ならやめるよ」

 

 どこか答えを予想しながらそう言うと、マリアが若干呆れた顔でため息を吐いた。

 そしてこちらへジト目を向けてくる。それがある意味可愛くて思わず笑みが零れた。

 

「どうして笑ってるのかしら?」

「マリアが俺へ意識を向けてくれてるからかな」

「……本当に、貴方って人は……」

 

 最後には軽く嬉しそうに笑うマリアを見て俺は笑みを返す。と、そんな俺へ切歌が近付いてきた。

 

「ししょー、買い物って食料品だけデスか?」

「そんな事は言わないよ。本とか服とか見てくれていいから」

「調、だそうデスよ」

「うん、聞いてた。じゃあ服見たいね」

「エル、何か見たい物ある?」

「えっと、靴が見たいです。サンダルが欲しいなって」

 

 切歌達の会話を聞いていると本当に父親の気分になってくる。チラリとマリアを見れば彼女も微笑んでいた。

 同じような事を思っているんだろうなと思いながら視線を前へ戻す。もし本当にこういう家庭を築けたらどんなに幸せだろうか。

 

 マリアが妻で、可愛い娘のエルとセレナ、切歌と調はマリアと俺の妹ってとこかな。

 この平屋で慎ましく楽しく暮らす。そんな有り得ない未来を想像して息を吐く。

 

「ビーチサンダルはあった方がいいかもしれないな。砂浜の砂はとんでもなく熱いから」

「はいはーい。ししょー、ビーチボールはダメですか?」

「買う必要なし。レンタルで十分」

「そうね。私も仁志の意見に賛成よ」

「切ちゃん、お財布を持ってる二人がこう言ってる以上は諦めた方がいいよ」

「ううっ、そうデスね……」

 

 肩を落とす弟子の姿に苦笑が漏れる。何というか、下手をしたらこの中で一番子供かもしれないな、切歌は。

 

 そうやって歩く事十数分後、俺達はあの切歌達の動画を撮ったカラオケ店に来ていた。実はここの本業はカラオケではなくレンタカーなのだ。

 受け付けで名前を告げ、書類への記入や免許証などを出して手続きを済ませたら、そこからは店員さんに案内されるままマリア達と一緒に希望した車まで移動。

 

「ではこちらがキーになります」

「どうも」

「お気を付けていってらっしゃいませ」

 

 俺が店員さんと話している間に後部座席へ切歌達が乗りこんでいく。で、当然ながらマリアは助手席へ。

 俺が運転席へ乗り込むと、既に後ろはテンション高くなっていた。

 

「ししょーししょーっ! 座席全部倒してもデスか?」

「お兄ちゃん、もうヴェイグさん喋ってもいい?」

「いいよ。それと切歌、多分だけど座席全部倒すなら誰も乗ってない時じゃないと無理だから後にした方がいい」

「了解デスししょー」

「ヴェイグさん、もう喋っていいですよ」

「そうか。それにしても、ここはくるまを貸す店だったのか。てっきりカラオケだと思ってたぞ」

「どうもそれは副業みたいなものらしいです」

 

 後ろの会話を聞きながらミラー位置を確認。シート位置の調整を終わらせてシートベルトを装着すれば準備完了。

 

「じゃ、エンジンかけるぞ。みんなシートベルトしたか?」

「「「「「はーい(ああ)」」」」」

 

 隣のマリアから返事が無いので視線を向けると後ろの確認をしていた。

 

「……大丈夫みたいよ」

「よし」

 

 イグニッションを押してエンジンをかける。正直この方式の車に乗るのは初めてだ。

 バックモニターとか色々付いてて戸惑うけど、まぁ問題ない。一応ナビで目的地を検索して設定する。

 

「マリア、悪いけど教官役よろしく」

「了解。くれぐれも安全運転でお願いね」

「分かってるって」

 

 ゆっくりとアクセルを踏んで動かし始める。久しぶりで若干の緊張はあるものの、それでも教習初日程の怖さはない。

 それでも気は抜けない。錆びついた感覚を取り戻していかないとな。そう思って慎重に運転していく。

 

「思ったよりも上手いじゃない。久しぶりとは思えないわ」

「結構内心はドキドキもんだぞ。昔よく乗ってたのは普通の乗用車だったしな」

 

 その証拠に隣のマリアを見る事が出来ない。まだそこまでの余裕がないんだ。

 何せ乗せているのがマリア達である。俺一人なら気楽に動かせる車も、乗せているのが大事な家族にも似た人達と思うと普段以上に慎重になるってもんさ。

 

「ヴェイグ、可愛いデスね」

「うん、シートベルトしてるととっても可愛い」

「そ、そうか?」

「きつくないですか?」

「ああ、平気だ」

「むしろ緩いかもしれません。本番では何か対策を取った方がいいかも」

 

 聞こえてくる声に笑みを浮かべつつ、俺は運転へ集中する。と、しばらくして信号で止まった時だった。

 

――何だか本当に家族になったみたいね。

 

 耳元で囁かれた声に顔を動かす。そこにはこちらを見て微笑むマリアがいた。

 

「…………頑張ればこういう車、買えなくもないぞ」

「そう? あの辺りだと駐車場代、いくらなのかしら?」

「帰ったら調べてみるか? 空きがあるかも含めて」

「ふふっ、そうね。それもいいかもしれない」

 

 交わす会話は夫婦のようだ。なのに向けられる眼差しは女のそれだ。本当に、世界を相手に大見得切れた女性は凄い。

 その魅力的な顔を見つめていると向こうも少しだけ艶っぽい表情になるところなんて、もう役者が違うとまざまざと思わされた。

 

「信号、変わるわよ」

「っ」

 

 そこで弾かれるように顔を前へ向け、俺は深呼吸一つしてからアクセルをゆっくりと踏んでいく。

 加速し始める車体がまるで俺の気持ちと連動しているようで複雑な気分となる。

 

「そう、加速はゆっくりでいいわ。そういう事を言われないでもちゃんと出来てるから私の言うべき事はないのよ」

 

 心持ちその声は大きく出された、気がした。すぐに後部座席のエル達へ聞かせているのだと分かった。

 さっきの自分の行動を怪しまれないように、かもしれない。

 

 そうやって走らせてまた信号で止まった時、俺は横のマリアにしか聞こえないように話しかけた。

 

「マリア」

「何?」

「俺は、少しだけ君が、女性が怖いよ」

 

 そう告げると、マリアは一瞬瞬きをしてすぐに小さく苦笑するとまたこちらへ顔を寄せてきて……

 

――それでも貴方は私を嫌いにならないでくれるでしょ? だから私も女の顔を見せられるの。

 

 なんて言って頬へキスまでしてきたのだ。おかげでそこから駐車場まで俺は無言で色んなものと戦う羽目になった。

 

 思った以上に気疲れしたと思いながら運転席から降りると、そこで待っていたマリアに軽く笑みを向けられた。

 

「本気で怖いって」

「あら、これぐらいで怖がってたら馬鹿な夢は見れないわよ?」

 

 あっさりそう返されて、俺は反論出来ずに頭を掻くしかなかった。

 ハーレムなんてもんは空想の中で留めておくべきだ。特に、俺みたいな一般人には。

 そう心の底から思って、それでもと思い直して歩き出す。

 

「ししょー、早くお店を見て回るデスよ!」

「兄様~っ!」

「分かったからちょっと待っててくれ」

 

 既に店内へ通じる入口近くで俺を待つ切歌とエルを苦笑混じりに落ち着ける。

 

「ヴェイグさん、気になる物があったら教えてくださいね?」

「分かった。それとなく服を引っ張る」

「マリア、帰りは私が助手席でもいい?」

「構わないわ。見た所仁志の運転に問題はなさそうだしね」

 

 本当に、家族みたいだ。だからこそマリアは俺の妻になってもいいと思ってくれているんだろうな。

 

 子供も、望んでくれてる。悪意が言った言葉の父無し子でもいいさえ抜けば、あれはきっとマリアの本音なんだろう。

 

「お待たせ」

「じゃ、レッツゴーデスっ!」

「はいっ!」

 

 先陣を切って歩き出すのは切歌とエル。その後を調とヴェイグを抱えたセレナが続く。俺はマリアとそんな五人の背中を見ながら歩く。

 

「ねぇ仁志」

「ん?」

「貴方、男の子が欲しいと思ってるでしょ?」

「……ああ」

「私も、同じ気持ちよ。ヴェイグは息子と言うよりは歳の離れた弟に近いし」

 

 マリアの手が俺の手へ触れる。視線を向ければマリアの視線とかち合う。

 

「……今は、無理だ」

「その言い方だと、今じゃなければいいみたいに聞こえるわ」

「…………さすがにまだ親になれる自信は」

「そんなもの誰にも最初はないわよ」

 

 ピシャリと言い切られてしまう。エスカレーターに足を乗せて俺はマリアへ視線を向ける。

 

「今だけ、今だけでもいいから私を妻の気持ちにさせて。貴方も、夫の気持ちでいてくれていいから」

「……分かった」

 

 言われて気付いた。俺、また軽く逃げ腰になってたって。なので小さく息を吐いてマリアと手を繋ぐ。

 するとマリアが嬉しそうに微笑んでくれた。それでいいと言うように。

 

「エル、後で俺とマリアと手を繋いでくれ。ないと思うけど人が多いし、はぐれないように」

「分かりました」

 

 これなら周囲も親子連れに思ってくれるだろう。そう思ってマリアへ視線を向けると、何故か若干不満そうな表情。

 

「どうした?」

「もう終わり?」

「いや、続くだろ。エルを」

「親子じゃなくて夫婦が良かったのよ」

 

 その言葉に思わず赤面する。少し拗ねたマリアが、その、思った以上に可愛かったからだ。

 

「なら、それはまた別の機会に」

「絶対よ」

 

 そこで会話終了。ついでにエスカレーターも三階へと到着。

 エルと手を繋ぐと、そこで思い出すのは初めて二人と出会った日。

 で、どうやらマリアとエルもらしい。二人して懐かしむように笑みを浮かべていたから。

 

 そこからしばらく全員で三階の専門店街を見て回り、二階へと降りるエスカレーター近くの広場で一旦停止。

 俺とマリアがエルを連れて、切歌達はヴェイグと共にそれぞれで動く事にしたんだ。

 

「それじゃ、今から三十分後にこの真下に集合って事で。調、切歌とセレナの監督役をよろしく」

「うん、任せて」

「エル、また後でね」

「はい。ヴェイグさんもまた後で」

「じゃあ、早速移動開始デース!」

 

 歩き出す切歌達を見送り、俺はマリアとエルと共にまずは靴屋へと向かう事にした。

 そこでエルのサンダルを選んでいたのだが、俺はどうせワンシーズンしか使わないのだからと安い物を選び、マリアは足元にも気を遣うべきと可愛い物を選んだ。

 

「以前はここで揉めたけど……」

「分かってるって。ここは当人に決めてもらおう」

 

 で、初めての時の事を思い出してエルに選んでもらおうとなったのだが、そこでこう言われてしまったのである。

 

「今の兄様と姉様は、まるでパパとママみたいです」

 

 その瞬間二人して天井を見上げるように顔を背けた。何て言うか、エルから笑顔でのパパ・ママ呼びはこう、くるものがあったのだ。

 なら、少しだけ、少しだけ調子に乗るか。マリアの想いをちゃんと酌んでやれなかった代わりに。

 

「じゃ、今だけそう呼んでくれていいぞ」

 

 顔をエルへ向け、さっきのお詫びじゃないけどマリアにも聞こえるように意を決して告げる。マリアが驚くようにこっちを見てきたけど、俺はエルへ視線を向け続けた。

 

「今だけ、ですか?」

「ああ。セレナ達と合流するまでは、かな」

「姉様も構わないんですか?」

「っ……ええ。エルがそれでもいいのなら」

 

 マリアがそう言うとエルが嬉しそうに表情を輝かせて笑みを見せた。それにこちらもつられて笑顔になる。

 

「じゃあ、僕はママの選んだ物がいいです」

「ですって?」

「分かったよ。まぁ可愛い娘のためだ。多少の散財は何て事ないさ」

 

 そう言うとエルとマリアが楽しそうに笑った。それを見て俺も笑う。

 あの時はエルはほとんど笑ってなかった。マリアも笑う事はなかった。

 それが今じゃこうなってる。それに経過した時間と築いた絆を感じ、幸福感を噛み締めた。

 

「パパ、次は服が見たいです」

「よしきた。じゃ、アドバイザーはママに頼もうか」

「ならパパにはスポンサーをお願いするわ」

 

 どこか三人で笑いながら呼び合う。遊びだよって、そう自分へ言い聞かせているんだと、思う。

 じゃないと、俺達は本当にそうなろうとしてしまうから。それでも、それでもそうなりたいと思っているんだと伝え合っているんだ。

 

 たった三十分間の親子ごっこ。だけど、俺達三人にとってはきっと忘れる事の出来ない思い出だろう時間だな。

 

 最後に食料品をみんなで見て回って購入し、たい焼きとか団子などのおやつを買って帰路に就く。

 帰り道の途中でガソリンスタンドへ立ち寄って給油し、車を店へ返して買い物袋を片手に提げて歩きだそうとした俺へ、マリアがそっと耳打ちしてきた。

 

――今度は二人きりでドライブしたいわね、パ・パ?

 

 視線を横へ向ければ、そこには照れを宿しながらも妖艶に微笑むマリアがいる。

 本当に女性は魔物だ。でも、そんなマリアも悪くないと、そう強く思った外出だった……。

 

 

 

 夏の深夜は厄介だ。この店はそうでもないが、それでもやはり客の動きが活発化してる気がするんだよな。

 普段なら静かになる時間になってきても、ちらほらと客が入ってくるので気が抜けない。

 

「店長、洗い物終わったよ」

「ありがとう天羽さん。じゃ、レジ見ながら廃棄やろう」

「ん、了解。あたしはパンやってる」

「お願いするよ。こっちは米飯をやってるから」

 

 奏が売り場へと出てくのに続いて俺もカウンターから出る。店内の客数は……二人か。時刻は十二時近くなので別に珍しいとは思わない。

 雰囲気的におそらくこの辺の人間じゃない。多分だけど、駅前にあるカラオケの深夜フリータイム受付待ちだろう。

 

 おにぎりを手にして一個ずつ裏を見ていく。廃棄があると複雑な気分になりながら買い物カゴへそれを入れて行く。

 

「店長、ちょっといい?」

「ん?」

「今日は荷物三時前に終わりでしょ。ちょっと話があるんだ」

「分かった」

 

 多分仕事関係の事じゃない。なら個人的な相談か?

 そんな事を思いながら業務をこなす。時々レジをやりながら荷物を片付け、補充や廃棄を片付け、清掃などを終わらせた頃には店内が静かになっていた。

 

 二人で一旦事務所兼休憩室へ下がり、互いに椅子へと腰を下ろす。

 

「で、話って?」

「海に行くって話の事」

「ああ、誰から聞いた? 切歌?」

「翼から。正確にはエルからになるのかな? しかも車だって?」

「そう。日帰りだけど、前行った場所よりは近いから」

 

 ここから車で二時間もあれば余裕で着く。ただ、多分以前のプールより人は多いだろうから駐車場だけが問題か。

 

「ホントに大丈夫なの、それ。行きも帰りも運転するの仁志先輩でしょ?」

「まぁ、こっちで免許持ってるの俺だけだし」

「泊まりにした方が良くない? 海で遊んで運転出来る?」

「大丈夫だと思うけど……」

 

 奏の心配も分からないでもない。前回はバスに電車と自分は乗るだけで良かった。だが車移動となるとそうはいかない。

 ただ、そういう事なら行きは助手席にマリア、帰りは奏と座ってもらって話し相手になってもらえば何とかなると思うんだよな。

 

 そう思って考えを話すと意外と奏が嬉しそうにした。何か喜ぶべきポイントあったか?

 

「えっと、どうして嬉しそうなんだ?」

「それ聞く?」

 

 あ、ちょっと不機嫌だ。つまり聞かないで分かれって事か。となると……

 

「もしかして、俺が奏を指名したから?」

「ビンゴ。しかも帰りなんてね」

「いや、奏の方がマリアよりも体力もあるだろうし若いからって事なんだけど」

「それでもいいのさ。肝心なのはマリアに勝ったって事なんだから」

「勝ったって……」

 

 ちょっとそれは聞き捨てならない。そう思って注意をしようとした時だった。

 

――黙らせたいならキスしてよ。

 

 そうどこか挑発するように言われてしまったのだ。

 ただし、若干照れがあるので奏も平気ではないらしい。

 

「天羽さん、今、勤務中」

 

 だから若干キツイ口調でそう言った。さて、これで頭を冷やしてくれるかね?

 

「勤務中にキスって、ちょっとドキドキしない?」

 

 効果なし!? むしろ少し興奮してる感じがするんですけど!?

 

「天羽さん?」

 

 それでも負けないとばかりに冷たい声をぶつける。

 

「っ」

 

 さすがにこれは奏も表情を変えた。やれやれ。

 

「……今の仁志先輩も、あたし好きかも」

 

 あっれれ~? おかしいぞぉ? 奏が何かMっ気出してないか、これ。

 っと、店内に来店あり。なので俺は椅子から立ち上がってカウンターへと向かう。

 

「天羽さんは休憩してていいよ。で、それが終わったらドリップマシンをよろしく」

「あっ……」

 

 このままだと不味いと思ったので、ある意味で渡りに船だ。

 店内を見れば来店したのはいかにも学生だろう感じの男性。まぁ高校生ぐらいだろうか。アイスのコーナーを眺めている。

 

 で、何か決めたんだろう。そこから一つアイスを手に取ってこっちへ来る。

 

「いらっしゃいませ」

 

 無言、か。ま、この時間帯なら珍しくもないし、若いのなら余計だな。

 

「128円です」

「あの、赤髪の女の人って休みですか?」

 

 代金を出しながら聞かれたのは奏の事だった。まぁ土曜の深夜は絶対いるからな奏。

 

「休憩中ですが、何か御用ですか?」

 

 だんまり。ま、こうなれば理由は一つだ。クリスもあったらしいが、惚れたってやつだろ。

 ただ、奏はここではっきり言えない男は好みじゃないと思うぞ。

 

「130円お預かりします」

 

 出された金を受け取り会計を済ませる。

 

「2円のお返しです。ありがとうございました」

 

 袋を受け取って無言のまま帰る少年を見送り、俺は自分があれぐらいの頃を思い出す。

 多分だけど、俺なら聞かないな。というか、聞くぐらいならいっそ呼び出してもらうぞ。

 

 ……極端だな、俺。

 

「店長」

 

 聞こえた声に振り向けば奏が立っていた。

 

「天羽さん? どうかした?」

「いや、さっきの子さ、よく来る常連なんだよ。何でも浪人してるらしくて」

 

 ああ、そういう事か。もうこれだけで分かる。彼は彼なりに奏と関係を深めようとしてたのか。

 

「一浪?」

「多分ね。ただ、さ」

 

 そこで奏の表情が曇る。

 

「何かあったのか?」

「……年頃的に当然だと思うんだけど、割と見られるんだよね」

 

 これは、あれだ。男なら見てしまう、万有引力ならぬ万乳引力の法則か。

 

「それは、まぁ、嫌かもしれないけどそれが男って事で一つ」

「あー、うん。分かってるんだけど、ぎらついた目で見られるとさすがにさ」

「は?」

 

 何だろう。今、凄く怒りが沸いた。何? あの少年というか青年一歩手前は奏の胸を所謂おかずにするために見てるのか?

 あー、何だろうか。俺、やっぱり独占欲あるんだな。そういう風に思った事なかったけど、うん、今ので分かった。俺、嫉妬深いわ。

 

「奏、もしまたそういう目に遭ったら教えてくれ。あいつの顔は覚えた。今の時代、セクハラってのは致命傷になりかねない。それをあの浪人生に教えてやるから」

「ちょ、仁志先輩?」

「何だ?」

「えっと……」

 

 こっちを困惑するように見つめる奏だけど、それがふっと緩んで笑顔に変わった。

 

「ううん、ごめん。何でもないよ。休憩してる」

「? ああ、ごゆっくり」

 

 心なしか嬉しそうに裏へ戻っていく奏を見送り、俺も今の内に発注をやっておこうと思い直して裏へ戻る。

 事務所から端末を持ち出そうと戻ると、奏が笑顔で廃棄のパスタを持ってカウンターのレンジへ向かおうとしていた。

 

「今日はパスタ?」

「そ。しかも珍しくボロネーゼ」

「ああ、それ美味いよな」

「ねっ! だからテンション上がってるんだぁ」

「そっか。俺はどうしようかな?」

「何ならシェアする? クロワッサンがあったからさ。それを軽く温めて残ったソースつけて食べるとか」

「よし、そうしよう。それと俺はおにぎりにする。梅とツナマヨを一つずつだ」

 

 発注は飯を食ってからにしよう。そう思って俺は廃棄の品が入ったカゴを漁る。そこからおにぎり二つと低カロリークロワッサンを二つ取り出してカウンターへ。

 2レジ後ろのレンジへまずおにぎりを入れて十秒加熱。次にクロワッサンの袋を少しだけ開けてからレンジへ入れて、こちらは二十秒設定で十五秒加熱。

 

 それらを持って事務所へ戻る。奏の方は多少長く時間がかかるので先におにぎりを食べ始める。

 と、そうだ。ついでに売上データとか見ておくか。

 

「あちちっ、お待たせ仁志先輩」

 

 聞こえた声に振り返ればそこには嬉しそうな顔でパスタを持った奏の姿。

 

「お~、相変わらず美味そうな匂いだな」

「だよねだよね。じゃ、お先に」

「どうぞ。っと、これクロワッサン」

「サンキュ。って、こっちもあったかいじゃん。さすが仁志先輩。気を利いてるね」

 

 プラスチックで出来たフォークでパスタを美味そうに食べ始める奏。その姿に自然と笑みが零れる。

 そして、こうして彼女と過ごせるのもあとどれくらいかとぼんやり思うのだ。

 残すカオスビーストは二体。今のみんななら上手くすれば来月までには全滅させられる。そう、実はもう深夜と夕方は求人を掛け始めている。

 

 オーナーへは、夜勤はもう一人入れて層を厚くしたいと言ってあるし、夕勤はそろそろクリスと響が受験も近いので学業へ力を入れ始めたいとして納得してもらっている。

 とはいえ、まだ店内募集だけだ。求人サイトなどを利用するのは二週間後、九月になってからと決めていた。

 

 そして、ゆっくりとみんなのシフトを減らし、最終的には十月かその前で辞めてもらおうと考えている。

 最初に未来、次に響だ。多分ギリギリになるのがクリスと調かな。奏はそれこそもう一人の夜勤が決まればいつでも辞めてもらえるし。

 

 ……そう、辞めてもらわないといけない。彼女達の居場所は、ここじゃないから。

 

「仁志先輩」

「ん?」

 

 顔を上げればそこにはこっちへパスタを差し出す奏の姿。

 

「はい、残りは食べてよ」

「あ、ああ……ありがとう」

「どういたしまして。さてと、食後のデザートに何かなかったっけ?」

「えっと、プチエクレアがあったはず」

「おっ、いいじゃん。じゃ、それもーらい」

 

 明るく楽しげな奏を見ていて思う。あんな風に彼女が本来の世界でも生きていけるようにと。

 願わくば装者としての時間が、少しでも、一瞬でも減っていきますようにと、心から願う。

 

「……美味いなぁ」

 

 少し冷めてきているけど、それでも十分温かいボロネーゼを食べながら俺は奏を見つめる。

 プチエクレアを冷蔵庫から出してその場で一つ摘んで笑みを見せる、そんな可愛い彼女を。

 

 その後で間接キスしていた事を指摘されて若干自分の迂闊さと奏の強かさに頭を抱えるのだが、それはまた別の話。

 

 ちなみにどこでそれを言われたかと言えば……

 

――仁志先輩も一つ食べる?

――くれるのならもらう。

 

 この会話の後、プチエクレアを「あーん」されたところで言われたのでした。

 そこからしばらく奏が幸せそうにしていたのが尚の事印象に残った。

 ホント、幸せだけど色々辛いな、我ながら……さ。

 

 

 

 今、俺は中々珍しい光景を見つめていた。

 

「先輩、そっちはどうだ?」

「もう出来上がる。そちらは?」

「準備万端だっての」

 

 場所は俺の部屋。時刻は午後一時を過ぎた辺り。クリスと翼が俺の部屋にいて、並んで飯を作ってくれているという、レアな光景だ。

 

 響は未来と外出中らしく、奏は夜勤明けなので部屋でぐっすり。かくいう俺もついさっきまで眠っていたのだ。

 それを翼からの着信で起こされた。で、寝惚けた頭で言われるままにドアを開けたらそこにはクリスと翼が揃って立っていたと、そういう訳だった。

 

――昼食を作りに来ました。

――あのバカがあの子とでかけるついでに飯も食ってくるらしいからさ。先輩と相談して仁志の飯を作ってやろうってな。

 

 そう言いながら揃って買い物袋を見せてきた時、俺は夢を見てるのかと思ったぐらいだ。

 

「あの翼が……飯を……か」

 

 しみじみ呟く。ここで四人で生活していた時、俺達は決して翼に炊事をさせなかった。

 いや、正確には一人でさせなかったのだ。

 必ず誰かが翼へ目を光らせるか、味付けなどをさせない助手レベルで動いてもらっていたのだから。

 

「私とてあの頃のままではありません」

 

 と、俺の呟きを聞いていたのかやや憮然とした口調で翼がこっちへそう言ってきた。

 

「つっても、そこまで難しいもんじゃないけどな。何せ炒飯だし」

「そ、それでも進歩は進歩だ」

「そうだな。俺も最初はそんなもんだったよ。出来る事から始めればいいさ。それを続けていればその内上手くなる」

「仁志さん……」

「ったく、仁志は先輩に甘いんだっての。ほら、テーブル出してくれよ。皿が置けないからさ」

「あっ、ごめん」

 

 慌ててクリス達の部屋から運んできたテーブルを組み立てる。やっぱ俺も買うか、新しいテーブル。

 そんな事を思っている俺の目の前へ置かれるのは大きな天津飯? いや、よく見れば乗ってるのはかに玉だ。って事は……

 

「かに玉炒飯?」

「おう、そういうこった」

「私と雪音の合作、というところでしょうか」

 

 成程、これは中々美味そうだ。

 

「これ一品だけで勝負ってとこに翼とクリスらしい潔さを感じるよ」

「ま、あれこれ作るよりも、な」

「何かを分け合って食べる方がよいかと思いました」

「……そっか」

 

 地味に心に響く考えだ。同じ釜の飯を食うじゃないが、やっぱりこうやって同じ物を分け合うってのは、自然と連帯感を強くするしな。

 

 俺も、響達やマリア達と食事するようになって思い出した。誰かと一緒に食べる飯って、あったかくて美味いって事を。

 

 それぞれに片手に取り皿を持ちながら、もう片手にはレンゲやらスプーンやらとまとまりがないけど、それがかえって俺達らしい気がして笑みが浮かぶ。

 

「じゃ、手を合わせて……」

「「「いただきます」」」

 

 一斉にかに玉炒飯へ手が伸びる。三方から山を切り崩していくも、まだまだ山はびくともしない。

 

「おっ、炒飯には卵を使ってないんだ」

「ええ。かに玉を乗せるので構わないかと思いまして」

「代わりにネギを追加してあるのか。先輩、これ悪くないと思うぜ」

「ふふっ、そうか。さて、なら味はっと……」

「「「はむっ」」」

 

 期せずして全員同時に口へ入れる。おおっ、これは……かに玉のあんかけが天津飯に近い味で、中のご飯が炒飯だからか店で食うような感じだ。

 追加で入れたネギの歯ごたえもいい感じだし、ごま油で炒めたのだろう香りが堪らない。卵の優しい味の中にあるタケノコやきくらげの触感もあって、普通の天津飯よりも歯ごたえや味の変化が楽しめてこれはこれでいい。

 

「「「美味いっ!」」」

 

 感想も同時とか。もう本当に狙ってるんだとしたら可愛いし、そうじゃないとしたら嬉しくなってしまうな。

 

「先輩、もしかしてこのネギ最初に油で炒めて使ったのか?」

「い、いけなかったか? その方がごま油の香りがネギに移ってよいかと」

「大正解だっての。な、仁志もそう思うだろ?」

「ああ。翼、これ多分炒飯だけでも美味いよ」

「そ、そうですか。なら、今度はそれだけで食べさせてあげますね?」

 

 にっこりと微笑む姿はまるで新妻のようだ。というか、そこで気付いた。翼もクリスもエプロン付けたままだって。

 

「で? 仁志、それだけか?」

「勿論クリスの作ってくれたかに玉だって美味いよ。天津飯っぽくするために卵を若干柔らかくなるように焼き時間変えたんだろ?」

「ま、まぁな」

「俺、天津飯好きなんだよ。作るのは無理だからもっぱら王将で食べるぐらいだけど」

「「王将?」」

 

 揃って首を傾げる新妻スタイルな二人に笑みを返して俺は話を始める。

 中華っぽい飯を食いながら中華料理の店の話をするってのも妙な感じだな。そう思いながら俺は二人へ王将、つまり“餃子の王将”の話をする。

 

 でもこうして聞いて分かるのは、みんなの世界には俺がよく利用しているファストフードの店やファミレス、コンビニなんかもないって事だ。

 多分似たような店はあるんだろうが、俺が利用しているものとまったく同じではないはずだし。

 

「餃子と言えば、私も小日向や奏と作りました」

「へぇ、それは楽しそうだ」

「実際、楽しくもありました。私は包むのが上手く出来ず、奏と小日向に任せてましたが」

「くくっ、先輩らしいな」

「言うな。それで、最後に一つだけ残ったのでわさびを乗せてじゃんけんで負けた者が食べる事にして」

「「え?」」

「奏も小日向も私へ譲るので、ならばとスーパーでもらってきた無料のわさびを使おうと思って」

「「いやいや、どうしてそれで罰ゲームを始めるんだよ?」」

 

 クリスと言葉が重なる。翼はそんな俺達へ小さく苦笑するとこう言った。

 

「私も、こちらで変わり、小日向へもそういう事を言い出せるようになったと言う事です」

 

 そのはにかむような笑顔に俺は瞬きをしてからゆっくりと笑みを返した。

 翼が、未来にも既に本来の自分を見せられるようになっているんだと分かって。

 

「そうかよ。で、それは誰が食べたんだ?」

「そ、それは……」

 

 言いよどむ翼に俺も、きっとクリスも瞬時に察した。目の前の女性が食べたんだろうと。

 

「ああ、もういいぜ先輩。よく分かった」

「な、何故か一瞬で片が付いてしまったんだ。まさか一撃とは……」

「ちなみに何で負けたんだ?」

「チョキです」

「「あー……」」

 

 想像出来た。あの翼命名“かっこいいチョキ”だろう。彼女はGXの時の買い出しじゃんけんを覚えていなかったのか? たしかあそこでもそれで負けただろうに。

 

「な、何ですかその反応は。雪音もだ」

「いや、なぁ」

「ああ。ホント先輩は先輩なんだなって」

「……一応褒め言葉として受け取っておく」

 

 憮然とした顔のままレンゲを動かす翼。そんな彼女に俺とクリスは顔を見合わせて苦笑し合う。

 そこからは話題を変える事に。まぁ俺が変えた訳ではなく翼から例の事への話が出たのだ。

 

「エルから聞きましたが海へ行くつもりとか?」

「ん? んっ」

 

 頷きながら口の中の物を咀嚼して嚥下する。正直飲み込むのがもったいないぐらい贅沢な飯なんだよな、これ。

 クリスと翼の合作だし、何気にこれで翼の手料理までも食べてしまった。残すは切歌、未来、奏、セレナの四人だ。

 

 ……コンプまで半分切ったぞ、おい。

 

「海かぁ。ま、せっかく買った水着をたった一度でタンスの肥やしにするのは気が引けるしな」

「しかも、だ。車で移動するそうだ」

「バス?」

「レンタカーだよ。俺が運転する」

「はぁ? 総勢十二人だぞ? まぁヴェイグの奴は外すとしても十一人だ。仁志が運転手として、だ。助手席に一人だろ? 普通免許じゃ」

「実は中型免許持ちなんだよ。それに久しぶりの運転だからさ、練習も兼ねてマリア達を乗せて慣らし運転済み。ある程度感覚を取り戻したし、教習の時の事も思い出したから心配ない」

 

 そう告げるとちょっとだけ翼とクリスの目がつり上がった。あっ、これはそういう事か。

 

「「マリア達と……」」

「その、丁度その日マリアがバイト休みでさ。そうなるとあの家が一番人数多いだろ? それと、運転が久しぶりなのもあって指導出来る人間も必要だったんだ」

 

 紛れもない本音と考えを述べると二人は渋々理解してくれたように頷き、揃って口へかに玉炒飯を運ぶ。

 

「えっと、それでさ、可能なら車の購入も考えてるんだ。いつまでこうしていられるか分からないけど、その、たまには大きな場所で買い物とかもしたいだろ? 集まりも鑑賞会やカラオケだけじゃ何だしさ。幸い資金の方もみんなのおかげで増えてるし」

「仁志さん……ですがそれは……」

「いい、のかよ? 全部解決した後は、その……」

 

 二人が言わんとしてる事は分かる。そして同時に、それ故に言いたくない事も。

 

「この世界はみんなが何も考えずにバカンスを過ごすには最高だろ? なら、車はあった方がいいさ。電車やバスじゃヴェイグが黙ったままじゃないといけないしさ」

 

 明るく告げる。俺は、もう君達と会えないとしてもそんな未来を認めるつもりはないんだ。

 その気持ちを込めて、乗せて、二人へ告げた。無駄になんてならないと、無駄になんてさせないと。

 

「だから、無事解決した後にここへ来る時は、ガソリン代ぐらいは出してくれると助かるよ。維持費やら税金やらは自分でも使わせてもらうから出しておく」

「……はい、分かりました。その時は、是非」

「ああ、何ならこっちへ引っ越しさせてやるよ」

「引っ越し、か……」

 

 クリスの言葉にぼんやりとセレナや奏の話を思い出す。

 セレナは俺にマリアと一緒に自分の世界へ来て欲しいと言ってくれた。奏は俺に自分の世界へ来て欲しいと言ってくれた。

 どちらも根底にあるのはここでの時間だと思う。この温かな時間を、安らぎ癒される日々を、少しでも本来の場所で味わいたいんだろう。

 

 もし、もし俺が天涯孤独の状態で、ここで世話になった人達がいないのなら、喜んで彼女達の誘いを受けただろう。

 でも、俺には世話になったオーナーや陽子さんが、何より両親がいる。それを捨てるように自分の生まれ故郷を離れる事は、出来ない。

 

「気持ちは嬉しいけど、俺はこの世界を離れるつもりはないよ。少なくても、両親が健在な今のところは」

「っ……そ、そっか」

「ああ。クリスの気持ちは嬉しいけどね」

 

 軽く俯くクリスの肩へそっと手を置くと彼女の顔が驚くように上がった。

 

「多分だけど俺の生活を心配してくれたんだよな? ありがとう。でも、大丈夫。俺は、ここでちゃんと生きていくから。君達との時間を、思い出を、想いを支えに、何があっても生き抜いていくよ」

「仁志……」

 

 微笑みと共に言い切る。クリスを安心させるように、自分へ言い聞かせるように。

 例えもう二度と会えなくなるとしても、ここで生きていくんだと。

 

「なら、私がこちらへ移住するのはどうですか?」

「なっ!? せ、先輩っ!?」

 

 聞こえた言葉に顔を動かせば、翼の真っ直ぐな眼差しが俺を貫く。それを逸らす事なく受け止め、俺はクリスから手を離す。

 

「いつ戻れなくなるかも分からない。俺が事故や病気などで死んだ場合、君は寄る辺を失う。それでもいいのか?」

「はい。元より連れ添うとはそういう事です」

 

 思わず息を呑む。翼は優しく微笑みながらそう断言したのだ。それはつまり防人やアーティストの風鳴翼ではなく“ただの風鳴翼”としての言葉だ。

 

「ここで、私は可能なら仁志さんといつか話した夢を実現させたいのです」

「……そっか」

「ええ。その時までには、着物か割烹着を決めておいてくださいね?」

 

 見事なまでの強さだ。それも、刀のような鋭い強さじゃない。これは、まさしく羽毛のような強さだ。力に抗うのではなく受け流して時には自分の力に変えて浮かび上がる、そんな強さだ。

 

「ま、待てよっ! それならあたしもこっちに来るってのっ!」

「雪音、それはいいが、お前にここでの目標や夢はあるのか?」

「……いっそこのままあの店の要になってもいい」

「ちょ、ちょっと待ったっ!」

 

 さすがにそれはどうかと思う。正直言えば翼の話もどうかと思うけど、クリスのはそれよりも性質が悪い。

 

「な、何だよ?」

「クリス、君はご両親の意思と夢を継いで叶えるんだろ? それを捨ててまでやるのがコンビニ店員じゃご両親が浮かばれないって」

「だからって仁志の事を諦めろって言うのかよ! あたしの初恋を、想いを、捨てろって言うのかよっ!」

「っ?!」

 

 放たれた言葉の矢は思った以上に深く俺の心を貫いた。

 両親の夢と自分の恋心。どちらも天秤にかけて答えを出せるものじゃないんだと、そこで気付いた。

 

「……ごめん。でも、俺は俺自身の事でクリスがやっと自分で見つけて叶えたいと思った事を捨てさせたくないんだ」

「仁志……」

「もし、もしも君が夢よりも俺を取るとなったら、俺はきっとその重さに自分で自分を潰してしまうよ。だから、その……もし、もしこっちに来るとしても、ご両親の夢を叶える方へ動いてくれるならまだ何とかなる」

「え?」

 

 こっちでもクリスの両親が何とかしたいと思った内戦や紛争は続いてる。バルベルデなんてないけど、似たような場所は残念ながら、ある。

 

「俺には楽器を弾く才能も、歌を作る才能もないけど、何かでクリスの夢の手助けは出来ると思う。ただ、俺は紛争地帯に君を行かせるなんてしたくない。だから、動画配信とかの歌う事で寄付を募って支援するってのは、ダメか?」

「っ……ダメじゃねぇ。ううん、ダメじゃない。その、ありがとな、仁志」

 

 そう言ってクリスは嬉しそうに微笑んでくれた。初めて見るその天使の微笑みに俺は魅入った。そんな風に笑ってくれるのかと、そう思って。

 

「なら、いっそ私と雪音の二人でこちらへ居を構えるか?」

「え?」

「そう、だな。それもありか」

「へ?」

 

 な、何だろうか。急に場の空気が変わったような……。

 

「仁志さん、どうですか?」

「あたしと先輩なら、文句ないだろ?」

「ま、まぁ最初からみんなに文句も不満もないけど……」

 

 悪意に操られてる……とかじゃない。何せ二人してからかうように笑ってるんだ。

 でも、きっとその想いは本物だ。それを俺が重く受け止め過ぎないようにしてくれてる。

 

「住む場所はどうしましょうか? 最初は借家だとして……」

「いっそマリア達が暮らしてるとこでいいだろ」

「しかしあそこでは個人の部屋が……」

「今だって似たようなもんだ」

「それはそうだが……」

「よし、なら3LDKで探そうぜ。出来ればこの辺りだけど、無理なら一駅離れたっていいし」

「ちょっと待って欲しい。その場合、寝室は別々?」

 

 冗談めいた話なので、俺も参加する事にした。いや、もし本気だとしても構わない。今は、今だけは二人の気持ちに寄り添おう。

 

「い、一緒がいいのか?」

「出来れば」

「ふふっ、その場合は仁志さんの部屋に最低でもクイーンサイズのベッドが必要ですね」

「いやいや、布団三組でいいだろ。で、リビングで川の字に寝ようじゃないか」

「んじゃ、仁志が中央だな」

「そうなるな。あっ、だが雪音、可能なら部屋はもう一つは欲しくないか?」

 

 そう翼が尋ねた瞬間、クリスは俺と同じく疑問符を浮かべたのだが、すぐに何かを察して顔を赤めて頷いた。

 

「えっと、何のために?」

「「子供部屋です(だ)」」

 

 言って失敗。聞いて後悔。だけど反省はない。今はこれでいいのだ。

 

 その後、食べ終わった後の皿とかを俺が洗う後ろで、翼とクリスは笑みを浮かべながら冗談半分に話を続けていた。

 そして俺が洗い物を終えて戻ると、二人してこっちへ顔を向けて笑いかけてきた。それも、どこか照れを宿して。

 

「「子供は何人欲しいんだ(ですか)?」」

 

 答えられる訳ないだろ。いや、だって言えば確実に流れがピンク色な感じになると思ったから。

 でも、黙っているのも嫌だった。だから仕方なくこう返す事にした。

 

「そっちはどうなの?」

「「産めるだけ何人でも」」

 

 で、見事なカウンターを喰らって赤面。ただし、どうやら向こうもそれが精一杯だったらしくて耳まで赤くして俯いてしまったけど。

 

 ま、その、何だ? 今だけは、こんなやり取りをしてもいいだろう。

 ただ、そこから俺は翼とクリスに抱き着かれる事となった。多分だけど、俺が離れている間に何らかの話し合いがあったんだと思う。

 

――今日の事は、嘘にしたくないから。

 

 ただ、そう揃って告げてくれた二人へ俺は感謝を言葉ではなく、腕で軽く抱き締める形で伝えた。

 それにどこか嬉しそうに笑みを見せてくれる二人だったが、俺はそこからしばらく困り続ける事となる。

 

「あの、二人共? 何でそこまで密着するの?」

「いえ、この部屋の冷房が効き過ぎて少し寒いので」

「ああ、だからこうしてる」

「じゃあ、設定温度を上げるから」

「そうすると今度は暑いのです」

「そうそう。これが一番だっての」

 

 左右から感じる温もりと柔らかさ。それと良い匂い。理性を総動員して本能を抑えつつ、俺はただただ時間が過ぎるのを待った。

 

 それでも、決して腕の中の温もりを手放す事だけはしないと心に誓って。

 そんな俺の腕の中で二輪の可憐な笑顔が咲いた……。

 

 

 

「わぁ、本当に凄い漫画の数だね」

「少年漫画から少女漫画、ちょっとエッチな漫画まであるみたいです」

「そ、そうなんだ……」

 

 今、俺は駅前のネカフェに来ている。メンバーはいつかと同じく調……だけではなくもう一人いる。

 そう、未来である。何でも動画配信のために音楽を聞いたり覚えたりがある翼や奏と違い、未来はバイトとジョギング以外やる事がないため、料理の腕を磨こうと思って調と相談したらしい。

 そこで、最近漫画飯を作る事にハマっている調が未来を同士にしようとネカフェへ誘った。ここまではいい。

 

 問題はここからだ。で、何故か調が俺にも付いて来て欲しいと頼んできたのである。理由は、ネカフェでナンパされたら面倒だという、まぁ分からなくもないものだった。

 

「飲み物はいいか? 一旦部屋に戻るぞ?」

「あ、はい」

「分かった」

 

 三人揃って黒髪という事もあり、今の気分はさながら妹二人といる兄貴である。

 前回よりも広い部屋のドアの鍵を開け、俺は靴を脱いで靴箱へ入れてそこへ上がると調と未来も同じようにして部屋へと上がった。

 

「何だか普通にお部屋みたいでびっくり」

「だね。只野さん、これが普通なんですか?」

「違うよ。今回は未来もいるから広い方がいいかと思ってこういう感じ。座布団もあるからどうぞ使ってくれ」

「うん」

「ありがとうございます」

 

 そう言って二人は座布団へ座ってテーブルへ飲み物が入ったコップを置く。

 

「それで、二人で漫画飯に挑戦するのか?」

「そう思ってたんだけど……」

「聞いた感じだと、対決とか特別な時のご飯って雰囲気が強いんです。だからもっと家庭的な感じがいいかなって。なので只野さん、何かありません?」

「そうだなぁ」

 

 要するに凝った料理じゃなく、お手軽かあるいはちょっと工夫するだけで美味しく出来るレシピってとこか。

 それも、多分男の料理じゃなく冷蔵庫に残った物とかを使える系。そうなると料理漫画は基本相性が……ん?

 

「あれなら、いけるか?」

 

 昔母さんが読むだけで実践した事はない料理漫画。あれの主人公は新婚の奥さんで、料理が苦手なキャラだった。よくあるお母さんが料理上手ってやつだ。

 たしかタイトルはキッチンの達人、だったかな? とりあえず探してみよう、のその前に折角PCがあるので出版社や掲載されていた雑誌や作者名などを検索しておく。

 

「あったあった」

「何があったの?」

「えっと……キッチンの達人?」

 

 俺が検索を始めたから二人が後ろから覗きこんでくる。何というか、本当に兄貴になったような気分だ。

 こんな妹いたら嫁に行かせたくないと言い出すのも分からんでもないな、うん。

 

「そう。主役が新婚の奥さんで料理下手なんだ。だからある意味参考に……」

「「探してきます」」

 

 何故か俺の説明を少し聞いただけで未来と調がそう言ってフロアへと出て行った。残された俺はと言うと、仕方ないのでそのままPCで読み始める。いや、無料で読めるってあるから、ね。

 

 そうして読み始めると記憶がよみがえってくる。あー、そうだったそうだった。この旦那さんが結構な子供舌で、魚が苦手だわ人参が嫌いだわと大変なんだよなぁ。

 

 漫画の記憶と一緒に両親の事を思い出す。うちは共働きで、父さんは町工場で働き、母さんは看護師という、まぁありきたりではないけど珍しくはない家庭だった。

 見合い結婚だった両親は、まぁ何というか子供の目から見てもよく結婚したなと思う程言い争う事が多かった。

 けれど、今にして思えばだからこそ夫婦を続けられたんだろうと思う。見合いだったのも良かったんだろう。いつだったか母さんから聞いた事がある。

 

――本当は結婚するつもりなんてなかったけど、一度でいいから見合いぐらいしてって言われてね。恋愛だったらお父さんは対象外だったんだから。

 

 それでも結婚するんだから人生分からんもんだ。俺も、それがなかったらこの世にいない。

 

 結婚、かぁ。まさか縁のないものと思っていたものが、ある意味目の前まで迫ってるとか、一年前の俺に教えてやりたい。

 

「ただ、その葡萄は届いて甘いけど、取ってはいけないやつなんだよな」

 

 誰もいないからこそ本音を呟く。響達は俺に惚れてくれてるけど、その要因の半分ぐらいはこの現状もあると思う。

 誰だって自分のために必死になってくれる相手に好感を抱かないはずはない。それに、吊り橋効果とは違うけど、ここじゃ俺以外に頼れる相手もいないっても大きいはずだ。

 

 そう、俺がみんなに惚れられているのは状況なども作用しての事。俺自身の魅力などでは決してない。

 

「って、きっとみんなに言うと怒られるんだろうなぁ」

 

 特にマリアと奏辺り。うん、きっとそうだ。なので多少くすぐったいけど修正する。

 俺がみんなに惚れられているのは状況なども作用しての事で、俺自身の魅力だけでは決してない。

 うん、これなら怒られない。多分怒られないと思う。怒られないんじゃないかな? ……まぁちょっと覚悟はしておく。

 

「「ただいま~」」

「おかえり~」

 

 聞こえた声に反射的に声を返して、はたと気付く。ここ、家じゃないんだよなぁ。

 で、振り向けばそこには俺と同じような事を思って気恥ずかしそうにしている二人の女の子がいる。

 

「いやぁ、こういうの気を抜いてるとつい言っちゃうよな」

「うん、ついつい言っちゃう」

「靴脱ぐのも大きい気がします。あれで一気にお家感出るし」

「ああ、そうだな。で、見つかった?」

 

 そう尋ねると二人は顔を見合わせて笑みを見せ合ってからこっちへ顔を向けた。

 

「「じゃーん」」

「おー、あったんだ」

 

 でも、さすがに二人で読むのもと、そう思ったので俺は未来へ声をかける事に。

 

「未来、こっちに来てくれ。PCでも読めるんだ。漫画は調に渡してこっちで君は読むといいよ」

「えっ、そんな事出来るんですか?」

「ああ。読むだけなら無料で出来るらしい」

「未来さん、そうしてください。それとも私がPCでもいいですよ?」

「あっ、ううん。私がこっちで読むから。只野さん、やり方教えてくれませんか?」

「え? ああ、いいよ」

 

 とはいえ、やり方も何もただクリックし続けるだけなんだが……まぁいいか。

 未来をモニターの正面に座らせ、俺はその横で操作を教えるだけの形で変則的な読書タイムは始まった。

 

「……何だか、可愛いなぁ」

「可愛い?」

「えっと、この奥さんと旦那さんです。二十六、かぁ。八年後には私も奥さんに、なれてるかな?」

 

 チラリとこちらを見てくる未来にそこはかとない色気と強い可愛さを覚える。

 

「……俺は既にこの旦那さんの年齢越えてるからなぁ」

「む~……」

 

 軽く膨れ顔をする未来。正直メチャクチャ可愛いです。

 そこから未来は無言で漫画を読み始めた。やっぱり掲載誌が女性誌だったからか、内容や雰囲気が柔らかいな。

 

「………………」

 

 未来が無言で読み進んでいるのもそういう事なんだと思う。軽く笑みを浮かべているので、当たりの漫画って感触かね。

 

「ふふっ」

 

 そしてたまに笑う。うん、何かいいな、こういうの。やっぱり可愛い女の子は何しても絵になるよ。

 そう思って俺は未来の横顔を眺め続ける。すると、不意に未来がこっちへ目を向けた。

 

「何ですか?」

「え? あ、えっと、未来の顔を見てた」

「……どうしてです?」

「その、コロコロ表情が動いて可愛いなって」

「っ!?」

 

 ボンっと聞こえそうなぐらい未来が顔を赤くした。で、俯いた――と思ったらすぐに顔を上げる。

 

「そ、そう思うならずっと見ててくれていいですよ?」

 

 と、そう言って未来は少しだけ赤い顔でこっちをずっと見つめてきた。

 

「……分かった。じゃあ、遠慮なく君を、未来を見つめさせてもらうよ」

「……はいっ!」

 

 嬉しそうに笑う未来にこっちも思わず笑顔になる。陽だまりと、そう響が評してるのが分かるな、本当に。

 未来の笑顔は誰かに安心を与える笑みだ。響の笑顔は誰かを元気にする笑みだ。だからこそ二人は互いを支え合っていたんだろう。

 お日様と陽だまり、か。その関係性がここで大きく崩れる事が無くて良かった。むしろ以前よりも強く結びついたかもしれない。

 

 今の二人を見てるとそんな感じだ。一人でもへいき、へっちゃらで生きていけるけど、二人になるとその力強さが増す感じだしな。

 

「只野さんは嫌いな物あります?」

「ピーマン」

「クスッ、即答ですね」

「食べられない事もないけど嫌いだ。あとセロリ」

「あー、セロリは分かるかも。匂いと味が強烈ですし」

「そうなんだよなぁ。噛むとあの独特の味の水がさ」

「分かります分かります」

 

 話しながらも未来の目は漫画へ向けられている。ただ、どことなくその表情はさっきよりも柔らかい笑みだ。

 漫画が面白くなってきたんだろうか? まぁ、話が進むにつれて主人公の奥さんの料理スキルも上がってるのが分かるし、旦那さんとの関係性もどんどん夫婦らしくなってくからな。

 

 そんな事を思いながら未来と喋る。時々漫画に出てくる料理の感想を求められ、食べてみたいだの俺でも出来そうだのと言い合う。

 

 何というか、幸せな時間だなぁ。

 

「何だか仁志さんと未来さん、イチャイチャしてる」

「「っ!?」」

 

 そこへ放り込まれる調の言葉による爆弾。それが思いの外激しく炸裂した。

 恐る恐る振り向けば、そこにはジト目の調がいらっしゃいました。

 

「あ、あのな調。俺と未来は」

「想い合ってるから問題ないと思うんだけど、ダメ?」

 

 俺の言葉を遮るように未来がそう調へ問いかけた。まるで母親が娘へ諭すような感じだ。

 調もその言葉の意味する事を察して気まずそうに口ごもる。うん、母娘と言うよりは姉妹だな。

 

 と、そこで気付いた。未来とばかり喋ってて調を一人きりにしてたって。以前は俺と二人だったけど互いに無言で漫画を読んでた。でも、今回は俺が未来と話してた。だから調は孤独感を覚えたんじゃないかって。

 

「調、もしかして寂しかったか? だとしたら、ごめん」

「あっ……」

 

 俺の言葉で未来も気付いてくれたらしい。その表情が一気に申し訳なさそうなものへと変わっていく。

 で、それを見た調が小さな動きで首を縦に振る。やはり寂しかったらしい。

 

「ごめんね調ちゃん。私ばかり只野さんと話して」

「いえ、私も言えば良かったんです。仁志さんにこっちとも話して欲しいって」

「いっそ、三人でPCのモニターで見るか? そこまで小さくないし、未来と調なら並んで座っても余裕で読めるだろ?」

 

 俺の意見に二人はしばし無言で見つめ合う。

 

「……そうしよっか?」

「はい」

「よし、じゃあ漫画を三人で返しに行こう。で、そこからはPCのモニターで読もうか」

「「はい(うん)」」

 

 そうして三人で漫画を運んで棚へ戻して部屋へ戻って、今度は飲み物のお代わりを注いでから三度戻る。

 モニター前に調と未来が並んで座り、俺は後方でその間の位置取りに座った。

 

「調ちゃんはどこまで読んだの?」

「未来さんよりも少しだけ先です。なのでここから一緒に読み直します」

「いいの?」

「はい。その代わり仁志さんの意見を聞いていきますから」

「つっても美味そうだなとかぐらいしかないぞ?」

 

 何せ俺は作るよりも食う方がいい。実際自炊してた時も凝ったもんなど作らず、パスタだカレーだハンバーグだ炒飯だと、もう男の手料理全開だったのだから。

 なのでクリスやマリア、調の料理がどれ程嬉しかったか。実家で暮らしてた時や陽子さんの賄い飯を思い出したぐらい、金を取る為じゃない手料理は美味かった。

 

「むっ、さっきは未来さんに嫌いな物とか教えてたのに」

「あれは……」

 

 あれ? もしかしてこれって調なりに俺の食の好みを探ってくれてる?

 だとしたら、何て可愛いんだろうか。よし、じゃあ教えましょう。いや、知ってもらって覚えてもらおう。心の底で感謝しながら、な。

 

「ピーマンとセロリが苦手で、ししとうも好きじゃない。レバーは嫌いで……」

 

 嫌いな物を話しながらふと思う。そう言えば俺、こういう話をマリアにした事ないぞ。なのにどうして今まで俺の食べられない程嫌いな物が一度たりとも出てこなかったのだろうか?

 

 ……陽子さんだ。あの人は俺の好みを知っている。だからこその“いつもの弁当”であり、俺のもう一人の母なのだ。

 

 そうやって思いながら話していると、不意に未来が小さく笑うのが聞こえて話を中断する。

 

「何か面白い事でもあった?」

「あ、その、何だか今日の只野さん、自分の事なのに饒舌だなって。普段自分の事こんなに話す事ないじゃないですか」

「そうですよね。私も何か珍しいなって思ってました」

「あー、まぁする必要もないと思ってたし」

 

 俺の好き嫌いなどみんなは知りたいと思ってなかったからな。そういう話を唯一したのは響ぐらい、か?

 

「もっと、こういう話、聞きたいな。調ちゃんは?」

「そう、ですね。ご飯作る時の参考になりますし、したいです」

「だそうですよ?」

「分かった。でも、今はとりあえず漫画を読んでレシピなどを覚えてくれ。ルームの利用時間があるんだ。俺自身の話は制限時間ないからさ。いつでも出来るって」

 

 そこからは何というかこう、妙な時間だった。漫画がどうしても新婚夫婦を描いてるもんだからか、未来や調が思い出したかのように「いいなぁ……」とか「こんな生活、憧れる……」と呟くのである。

 俺としてはどうしたものかと。ただ、未来は俺へ想いを寄せてくれているのでまだ対処は可能だ。

 

「えっと、俺、まだ未来の手料理食べた事ないからさ。いつか、食べさせてくれると嬉しいな」

「え? 何度か作ってますよ? みんなで」

「その、俺だけのためにって感じの」

「ぁ……ふふっ、分かりました。近い内に作りますね」

 

 よし、これで未来は大丈夫。もう上機嫌で漫画を読み始めてる。さて、そうなると……。

 

「じー……」

 

 こちらはないのかとばかりにジト目を向ける調さんをどうするか。とはいえ、俺も伊達に数か月彼女と接していない。

 

「調、俺、調との約束忘れてないから。いつでも呼んでくれよ? 何があっても試食役、果たすからさ」

「……それで今は許してあげる」

 

 ふぅ、どうやらお許しが出たようだ。本当に可愛い妹分である。

 

「何て言うか、この旦那さん……」

「はい。味の好みとか容姿は違ってますけど……」

「ん?」

 

 何で二人して俺を見てるんです? もしかして、この旦那さんが俺に似てると言うんだろうか?

 うーん、俺は別に一般企業勤めじゃないし、子供っぽい味が大好きって訳じゃないし、魚はむしろ好きな方だし、野菜だってそこまで嫌いな物がある訳でもないぞ。

 

「「只野(仁志)さんそっくり」」

「あれ?」

 

 なのにどうして二人の意見が一致するんでしょうか? まぁ二人の顔がどこか笑ってるので良しとする。これぐらいで良い大人は怒らないし苛立たないのだ。

 

 ……でも言う程ホントに似てるか?

 

「あー、こういう事あるよね」

「あります。切ちゃんともケンカした後、中々お互い謝れなかったり」

「不和の林檎の一件もそんな感じだったなぁ」

「うん、あの時は本当に迂闊だった。よく考えれば切ちゃんらしくない事がちらほらあったのに」

「仕方ないよ。分かり易い違和感ならともかく、本当に気を付けてないと分からない事だったんでしょ?」

「はい」

「思い出してみれば、あれと悪意のやろうとしてる事は似てたな」

「「あっ……」」

 

 三人して沈黙。あー、本当に俺もまだまだだなぁ。過去のイベントからも悪意のやってる事へのヒントがあるじゃないか。

 ソルブライトギアもそうだし、ホント、うっかりしてるなぁ。特にあのイベントは好きなものの一つだったのに……。

 

 ん? ちょっと待て? そういえば俺って、前にもこうやって大事な事を忘れてる事あったよな。

 えっと……そう、あれはたしかまだ響達がやってきた理由が分からなかった頃だ。

 ノイズが発生するとか錬金術師が実はいるとか考えてた時、俺はベアトリーチェの中に巣くっていた悪意の仕業じゃないかって思って、それを響達へ言うのを忘れてたんだよなぁ。

 

 思えばあの時か。ベアトリーチェの傍付きの石屋の名前を忘れたのも。

 

 ……これ、何となく引っかかるな。あの時は年齢からくる衰えかと思ったけど、ゲートから悪意の影響があった事が分かった今、考え直してみる必要、ないか、これ。

 

 忘れないようにスマホのメモへ書いておいて、ついでにエルと翼、クリスのスマホへも相談したい事があるってメールを送信しておく。

 よし、これで最悪俺が忘れても誰かが覚えていてくれるはずだ。さて、なら後はっと……ん? 何やら視線を感じる。それも二つも。

 

「「じー……」」

 

 こちらをジト目で見上げる二人の美少女。可愛い、けど怖い。

 

「す、すみません。ちょっと悪意に関する事で思った事があったのでエル達へメールを送っていました」

「「じー……」」

「えっと、えっと……駅前の洋菓子店で何か甘い物でもどうですか?」

「「……じー」」

 

 どうやら今のは効果ありらしい。でもダメなのか。

 いや、ちょっと待てよ? 俺がケーキとかを買っても二人が部屋に戻ればそこには同居人達がいる訳で、そうなるとそれはむしろ悪手な訳で……そういう事か。

 

「たしかあの店、店内に喫茶スペースもあったから、ちょっと早めのおやつって事で」

「「仕方ないからそれで手を打ってあげます(る)」」

 

 よく出来ました。そんな感じで笑みを見せる二人に安堵するように息を吐いた。どうやら読みは間違ってなかったらしい。

 ま、ケーキ二つに飲み物二つで二人の怒りが解けるのなら安いものだ。そう思って俺はモニターの漫画へと意識を向ける。

 

 時間までに読み終わる事は出来なかったものの、二人はすっかり“キッチンの達人”が気に入ったらしく、俺に代金は払うのでネットで注文して欲しいと言ってきたのだ。

 

「分かった。俺の部屋に届く形にしておくけどいいよな?」

「「はい(うん)」」

「でも、その後はどうするんだ? 二人の住む場所はバラバラだし」

「只野さんの部屋に、置いてもらっていいですか?」

「俺の部屋に?」

「うん。その、読みに行くから」

「あー……その方がいいか」

 

 洋菓子店への道すがらの何気ない会話。俺の両隣りを黒髪美少女二人が陣取る幸せ陣形。

 ここに響と切歌がいればインペリアルクロスが出来たな。その場合は俺がレオンの位置からジェラールの位置になりそうだけど。

 

「響、結構入り浸ってるって聞きますし」

「切ちゃん、よく顔出しに行ってるから」

「……よく御存じで」

 

 そう、エアコンを買い替える前から二人はちょくちょく部屋へ来るようになってる。ノイズの襲撃に、悪意の手出しに備える形で。

 

 にしてもどうやら二人は、特に調は切歌の監視も兼ねるんだろうか……?

 

「っと、そろそろだな」

 

 洋菓子店が見えてきた。こうやってこの店の前に来るのも久しぶりだ。最後はたしか響と二人で歩いた時だった。

 

 あれから、もう半年近く経とうとしてるのか。あっという間の数か月だったな。

 

「いらっしゃいませ」

 

 店の中へ入ると程よく効いた空調の涼しい風とどことなく漂う甘い香りがお出迎え。

 

「じゃ、お嬢様方、お好きな物を御一つお選びください」

「調ちゃん、どうする?」

「そうですね……」

 

 ショーケースの中を楽しげに見つめる二人に笑みを浮かべながら、俺はぼんやりと思う。

 彼女達が元の世界へ戻っても、こういう風に過ごすだけの日々になりますように。一般人として生き、過ごしていられますようにと。

 

「「只野(仁志)さんはどうします(するの)?」」

「そうだなぁ……じゃ、スフレチーズケーキ」

「はい、スフレチーズケーキですね」

「じゃあ……私はショートケーキで」

「私は……モンブラン」

「ショートケーキとモンブランですね。あとはよろしいですか?」

「んじゃ、アップルパイも一つ」

「はい、アップルパイですね」

 

 こちらを振り返る二人へ財布を出しながら笑みを一つ。

 

「分け合って食べよう。嫌いなら無理にとは」

「「食べます」」

「ん。あの、店内で食べていきたいんですけど」

「かしこまりました。では、御飲物をお選びください」

「どうする?」

「アイスミルクティーで」

「私はアイスのレモンティーがいい」

「すみません。ミルクティーとレモンティーをアイスで一つずつ。それとストレートもアイスで一つ」

 

 こうして俺達は少しだけ贅沢な時間を過ごす。ただ、予想はしていたが俺のチーズケーキを二人がねだり、一口ずつ食べてもらったのはいいのだが……

 

――た、只野さん、お返しにこっちも一口どうぞ?

――仁志さん、チーズケーキのお礼。あーん。

 

 周囲に客がいなかったのがせめての救いだ。まぁ店員さんにはしっかり見られたと思うけど。

 ちなみにアップルパイも美味かったです。で、何となく心苦しく思って、全員分の店の名前が付いたスポンジと生クリームのお菓子を買って店を後にした。

 

 割とな出費となったが、未来に調とのデート代と思えば安い安い。

 

「只野さん」

「仁志さん」

「ん?」

「「次、いつデートしてくれますか?」」

 

 ……どうやら向こうもデートと思ってくれたらしい。本当に、女の子ってやつは凄いな。

 肉体の年齢差は埋められないけど精神の年齢差なんてとっくに埋められてる。いや、下手すりゃこっちが下かもしれない。

 

「……考えとくよ」

 

 こんな一言で笑みを返してくれるんだから、本当に、ヤバいぐらい幸せだ。

 これを、俺は本当に手放せるのだろうか? いや、そうなる事を恐れちゃダメだ。そうだ。手放したってもう一度掴みに行けばいい。

 俺はあるがままを受け入れた上で、気に入らない事には抗ってみせる。せめて気持ちだけでも、俺はヒーローのようでありたいから。

 

「奏さん、もう起きたかな?」

「さすがに起きてるんじゃないですか? こっちはヴェイグが寝てるかも」

「ヴェイグってそんなに寝てるの?」

「暇さえあれば寝てます。切ちゃんのあげたクッションが寝心地いいって」

 

 そう思いながら俺は歩く。両隣にいる、愛しい少女達の会話に笑みを浮かべながら……。

 

 

 

「これ、これがいいんじゃないかな?」

「いや、俺はこっちの色がいいと思うぞ」

「フレッシュグリーンがいいんじゃないでしょうか?」

 

 車のカタログを前に意見を出し合うエル、セレナ、ヴェイグ。俺はそんな三人を眺めてマリアの布団でゴロゴロしていた。

 調は切歌と一緒に昼飯であるピザを受け取りに行き、マリアはバイト。で、俺はつい二十分前まで眠っていたのである。

 

 ちなみにあのカタログは俺がもらってきた物だ。とりあえずこの地方に本拠地がある国内最大手のメーカーである。

 

「なー、ちなみに車種はどれで見てるんだ?」

「「「……これ!」」」

 

 セレナがカタログを持ってこっちへ向けると、エルとヴェイグがカタログに描かれた車を指さした。言うよりも見せる方が早いって事だな。

 

「……ノア、ね」

 

 ウルトラマンと同じ名のやつか。まぁノアって名前自体が有名だから仕方ない。

 値段は……2百万オーバー……か。まぁそうだろうな。

 

 ……中古じゃダメだろうか。でも、それでも百万は超えるだろうし……。

 そもそも十人以上が乗れるってなると限られてるんだよなぁ。そういう意味では残念ながらノアは対象外。

 この家の人間だけなら余裕だけど、こればっかりは仕方ない。せめてマリアの免許がこっちでも使えればな……。

 

「やっぱり高い?」

「あー、まぁ安い買い物ではないよ。買えない、って程でもないけどな」

 

 セレナが小首を傾げて告げた言葉に苦笑混じりにそう返す。これも、半年前なら考えられなかった事だ。

 車もなくていい生活をずっと続けていたからなぁ。それに収入面もだ。車って持ってるだけで金食い虫だし。

 

 今の問題は全員が乗れる車ってなると車種が限られるって事。実際、試しに聞いてみたらあの店でも十一人乗り可能となるとそんなに数はないと言われてしまったし。

 

「タダノ、本当に買うのか? この前のように借りるので十分だろ?」

「でも、レンタカーは行きたい時に乗りたい車が絶対ある訳じゃないからな。それに、今だとみんなで遊びに行くってなると基本電車やバスを使うしかないだろ? それじゃ、色々面倒もあるしさ」

 

 ヴェイグが気にしないように本人の事は伏せて車を買う事の理由を話す。まぁヴェイグは賢いから言わなくても自分の事が理由の一つだって気付いてるだろうけど、それでもだ。

 

「兄様、そういえば駐車場は見つかったんですか?」

「ああ、それね。一応見つかったよ。まだ契約はしてないけど」

 

 場所はこのマリア達の家から歩いて三分ぐらいのとこ。実際見てきたけど、ワゴンタイプでも平気そうな作りと場所ではあった。

 なのである意味理想的、ではあるんだが……いつ買うか決めてからじゃないと契約はしたくない。意外とバカにならないんだよ、駐車場代。

 それだけじゃない。調べてみれば、車検に保険、車を買うだけで月々の出費がどえらい事になる。それを知って、だから若者が車を買わなくなる訳だと理解した次第だ。

 

 とまぁ、こういうところがまだまだけち臭い俺である。仕方ないのだ。所詮はしがない雇われコンビニ店長だし。

 

「見つかったの? どこ?」

「ここから近い場所だよ。何なら見に行くかい?」

「うん!」

「でも姉さん、切歌お姉ちゃんと調お姉ちゃんがピザを取りに行ってるから……」

「あっ……」

 

 エルの指摘にしょぼんとするセレナ。ふむ、時計を見て二人の行動パターンを予測し、駐車場の場所を考えると……多分大丈夫だろう。

 

「いや、いいよ。今から見に行こう」

「「「え?」」」

「そこ、あそこからの帰り道に近いから。上手くすれば見に行って帰ってくる時に合流するかもしれない」

 

 そう言ってあげるとセレナが嬉しそうに笑う。さて、なら俺が言うべきは一つだ。

 

「エル、セレナ、帽子をかぶって玄関前で待機」

「「はーい」」

「ヴェイグにも帽子な」

「すまん」

 

 三人の帽子は俺とマリアで買った麦わら帽子だ。海に行く事を決めたので、なら幼いエル達には確実に日射病対策が必要だとして用意したのだ。

 元々夏になって陽射しも強くなってきたし、セレナは俺の部屋へ掃除に来るからその行き帰りで熱射病になったらと不安に思っていたから丁度良かった。

 で、エルとヴェイグもたまの外出時に真夏の直射日光を浴びさせるのもどうかと思ったのだ。

 そうなると別々よりはお揃いの方がいいかと思い大きさ違いで買ったら、なら色違いのリボンを巻いてより見分けが付き易いようにマリアがアイディアを出してくれて現状となっている。

 

 本当に気分は親である。

 

「「「暑い……」」」

 

 外へ出ると真夏の暑さが体を包む感じ。で、見事に表情を歪める仲良しトリオ。

 ホントに癒される。世のお父さんお母さんが頑張れる理由が分かる気がするよ。子供の喜ぶ顔を、笑顔を見るためなら意外と人って頑張れるんだって、俺はこの子達から教えてもらったから。

 

「じゃ、行こうか」

「「「うん(はい)(ああ)」」」

 

 大中小の麦わらが視界の中で動く。何て言うか、幸せだ。

 

「お兄ちゃん、どっち?」

「まずは駅前と逆方向」

「って事は……」

「こっちです!」

 

 元気よく歩き出すエルにヴェイグを抱えたセレナが続く。本当に気分は休日の父親だ。

 夏の陽射しを浴びながらもう見慣れた道を歩く。こっちの方も響達が来なけりゃ歩く事はなかったなぁ。

 

 ほんの小さな事で世界は変わる。そういやあのライダーが言ってたな。自分が変われば世界が変わる。成程、道理だ。

 

「今日の晩御飯は何でしょう?」

「調さんに聞いてみないと分からないけど、お買い物まだだしお願いしたらそれを作ってくれるかも」

 

 そして子供は宝物とも。エルやセレナを見てると本当にそう思う。だからこそ、二人がこうして歳相応のやり取りをしてるのが、堪らなく愛しくて、そして切ない。

 

「兄様」

 

 そう思って少しだけ俯いてるとエルの声。顔を上げれば分かれ道。

 

「このまま真っ直ぐでいい?」

「それとも曲がるんですか?」

「あ、ここで曲がるんだ」

 

 いかんいかん。響と出会った時から分かってた事だろ。今更悔やむな。悩むな。みんなの居場所はここじゃない。

 それに何より、こんな気持ちでいたら悪意につけ込まれる。みんなを本来いるべき世界へ返したくないなんてのは、それは俺のエゴだしわがままだ。

 どんなに辛くたって、苦しくたって、彼女達はそれぞれの世界で強く生きていける。そう俺は信じてるし知っている。

 

 ……悪意が最後に突いてくるとすればここだろうしな。絶対にそんな言葉に俺は負けない。

 そもそもだ。俺がどれだけのヒーロー物を見てきたと思ってんだ。お前ら闇がやる手段なんて知り尽くしてると言ってもいいんだぞ。

 

「っと、二人共バックバック」

 

 気付いたら目的の場所へ着いていた。俺が呼びかけるとセレナとエルが戻ってくる。

 

「ここ?」

「どこが空いているんですか?」

「えっと、奥から二番目の場所」

 

 駐車場の中へ入って二人へ教える。まだ何もない場所を見つめて二人は少しだけ黙った。

 俺も黙ってそこを見つめた。何て言うんだろうか、まだ実感がない。俺が車を買おうとしてるなんて、なぁ。

 

 でも思い出してみれば、響と出会ってからは実感のない事の連続だった。

 創作の存在が実在して、俺の知らないとこで本当に世界や宇宙の今日を賭けた戦いがあって、更には恐ろしい敵までいると言われて……。

 

 って、それだけじゃない。俺の生活だって大きく様変わりしただろ。

 

 その契機はセレナとエルの来訪だ。それとマリアだな。あの三人の暮らしを守るために、そして響達の暮らしを支えるためにと俺は現状を変えようと決意したんだ。

 店長を目指して動き出して、それをみんなに支えられてここまできた。まぁ、悲しい事に収入と言う面ではみんなの動画に凄まじく助けられているけど。

 

「まさか車とはなぁ……」

 

 空を見上げて呟く。夏らしい入道雲と青空の白と青のコントラストが目に優しい気がする。

 

「お兄ちゃん、車買ったらここにとめるんだよね?」

「ん? ああ、そうなるな」

 

 視線を動かしてセレナを見る。麦わら帽子のつばを片手で持って見上げる姿は、まさしく夏の美少女って感じだ。

 

「じゃ、ここまでの道覚えておかないと。ね、エル」

「はい!」

 

 おうっ、何とも無邪気で強烈な一撃を。これで今更車買うのが怖くなってきたとは言えない。

 

 でも、そう、だよな。もう翼達にだって言ってるし、男は度胸だ! 今の収入なら節約すればローンだって払えるし!

 

「うし、じゃ帰ろう」

「「うん(はい)っ!」」

 

 幸せってなんだっけ。そう問いかけられたら今の俺ならこう答えるだろう。そう考えられる事がある意味で幸せなんだと。

 あの頃の俺はそんな事さえ考えられなかった。その日その日を生きるので精一杯だったからだ。

 

――っと……あれ?

 

 それが変わり出したのはあの日の出会い。たったそれだけ。だけど大きな人生の転機。

 ありもしないとどこかで思っていたような人達との関わり。思いもよらなかった事態との遭遇。平凡でさえなかった俺の人生が、誰に知られる事無く波乱に満ちたものとなっている。

 誰かは誰かのヒーローだと聞いた事があるけど、俺はその言葉を今噛み締めている。かつての俺のヒーローのような事を、今の俺はやっているんだ。

 響達にとって、俺はある意味ヒーローなんだろう。だけどそんな彼女達こそが俺にとってはヒーローだ。

 

「およ? ししょー達じゃないデスか」

「何で外にいるの?」

「調さんに切歌さん」

「実は……」

 

 戻る途中で運良くピザの箱を抱えた二人と遭遇。何で外にいるのかと疑問顔の二人へエルが説明しながら歩き出す。

 俺はそんな四人を視界に入れながらゆっくりと歩く。もう見慣れた光景だ。それが、今の俺の日常だ。

 

「……何でもないような事が、幸せだったと思う、か……」

 

 色褪せる事のない名曲のフレーズがやけに胸を打つ。

 俺も、あの歌のように一年後、今の景色を思い出してしんみりするのだろうか?

 それとも、懐かしみながら新しい思い出を作っているのだろうか?

 答えの出ないままに俺の足は動く。止まっている暇はないとばかりに進み続ける。

 そうだ。もうある種の終わりは見えてきている。残るカオスビーストは二体。それを倒せばきっと悪意が何かしてくる。それを何とかすればこの事件は終わるんだ。

 

 終わった後こそが俺の本当の戦いの始まりだろう。それが寂しさに耐えながらなのか、それとも嬉しくも苦しい女性達との時間なのかは分からない。

 

 ……可能なら、どちらに転んでもみんなが笑ってくれたらいいな。俺は、この際どっちでもいい。

 俺が辛く苦しくても、みんなが笑っていられるのならそれでもいいんだ。

 男のやせ我慢だと笑われたっていい。見栄張りだのカッコつけだの言われたって構わない。それでも、俺はみんなが幸せに笑っていてくれれば、幸せだ。それが俺の幸せなんだ。

 

「「「「「ただいま」」」」」

 

 揃って声を出す。俺も、お邪魔しますとは言わなくなった。いや、朝はそう言ってるんだけど、エル達が起きてる時はそう言わないようにしているのだ。

 兄さんって、そう呼んでもらってるからな。家族として捉えてくれてるのに他人行儀なのはどうかと思うんだよ。

 

「はぁ~……居間が天国デスよぉ」

「外、暑いからね」

「二人も帽子かぶった方がいいですよ」

「はい、僕もそう思います」

「タダノ、どうだ?」

「そうだなぁ。時にお二人さん、懐事情はどうだい?」

 

 そう尋ねるとあからさまに一名がギクリとばかりに反応する。

 

「あまり高いのじゃなければ買えるだけのお金は残ってる」

「さすが調。さて、切歌?」

「じ、実はデスね? アイマスのCDをレンタルしちゃいまして……」

「は?」

「あっ、うん。切ちゃんが少し前に沢山CDを持って帰ってきた事があった」

「どれもいい曲で、私とエルも少しだけど覚えたんだよ」

「えっと……“READY!!”と“CHANGE!!!!”は歌えます」

「マジ?」

 

 俺の問いかけに笑顔で頷くセレナとエル。こ、これはヤバい。正直言って聞いてみたい。エルとセレナのアイマス曲とか、可愛いに決まってるじゃないか。

 

「え、えっと“Star!!”とか“Shine!!”とかは?」

「それは知らないなぁ」

「そうか。じゃあ、765アイドルの曲ばかりなんだな」

「? よく分からないデスが、とりあえず代表的な物をって、そうオススメされた物を片っ端から借りてきたんデスよ」

 

 えへんっと胸を張る切歌だが、それで財布を空っぽ近くしてしまったのだろう。

 と、なれば、だ。これはあの台詞を言うしかあるまい。言いたくても中々言う機会のなかった、あの名台詞を!

 

「この馬鹿弟子がっ。自分の財政も考えずに散財しよって……だぁからお前は阿呆なのだっ」

「あうっ、ご、ごめんなさいデスししょー……」

「まったく……それじゃ海に行った時に何も買えないだろ?」

「はっ!? そ、そう言えばそうでした!」

 

 言われて気付く辺り本当にその時その時を生きてるな、切歌は。

 仕方ない。可愛い弟子のためだ。

 

「切歌、そんなお前に特別ボーナスをやらんでもない」

「ほ、ホントデスかっ! さすがししょー!」

「あの、仁志さん。あまり切ちゃんを甘やかさないでもらえますか?」

「し、調ぇ……」

 

 俺の言葉にジト目の調からストップがかかる。大丈夫だよ調。俺だってただ金を渡すだけじゃないさ。

 

「まぁまぁ、何も無条件で金を出す訳じゃない。切歌、バイトが休みの日でいい。君一人で昼でも夜でもいいから飯を作ってくれ。その報酬としてボーナスをやろう」

「あ、アタシ一人で、デスか?」

「そう。美味しく出来たら7千円。上手に出来たら5千円。失敗したら3千円で、誰かに手伝ってもらったら出来の如何を問わずボーナスなし」

「なっ!? やるデスやるデスやらないでか、デスっ! 一人でやれば最低3千円なら十分デスっ!」

 

 分かり易いぐらい目の色が変わった。まぁ、こうでもしないと切歌は料理なんてしてくれないだろう。

 それに、一人でとは言ったけど助言などは禁止してない。多分調はそういうところに気付く子だから心配もしてない。

 

 ……あと、正直禁じたところで泣き付いて縋るのが目に見えてるんだよなぁ。

 

 そんな風に思ってると調がこそっと近寄ってきた。

 

「仁志さん、あれって私は手伝っちゃダメなんですよね?」

「うん、手を出すのはダメ」

「……口出しは?」

「OK。ただし、君からするのはダメ。あくまで切歌が主体」

「ふふっ、分かりました」

 

 この通りだ。本当に調はいい奥さんやお母さんになると思う。

 

 この後はピザを食べながら海の話に終始した。やはりと言うか、当然と言うか、エルや切歌だけなく調も楽しみにしてるようだ。

 とりあえず今回の海水浴はレンタカーで行く事に決まっているし、既に休みも取ってあるので予約も完了。

 

 個人的には少々不安が残ってはいるんだが、それでも今はそれよりも期待感の方が強い。

 何せ、あの時は夜勤明けで色々と……。

 

「……もう、あれが一か月近く前かぁ」

 

 ポツリと呟く。そして理解した。そりゃ響と切歌が催促するはずだよ。

 以前までなら任務や訓練、更にそれぞれの予定が合わないなんてざらだった。だから夏のイベントもある程度妥協や我慢が出来た。

 それが、こっちではない。なのに、肝心要の俺が一向に動かないし計画しないときたもんだ。

 

 あれ? これって完全父親のポジションじゃないか?

 

 そういえば、家の父さんは旅行が好きだったなぁ。ま、正確には乗り物好きで車の運転も列車や飛行機、船などに乗ったり見たりが好きな人なんだけど。

 子供の頃は、毎年夏と冬に旅行へ行って、地図だけで見れば日本全国を制覇したっけ。全てを覚えてる訳じゃないけど、今でも思い出せる記憶が沢山ある。

 

 …………俺、何やってんだ。いくら盆休みとかがないからって、エルやセレナの夏の思い出がプールと遊園地だけで終わりでいい訳ないだろ。

 泊まりの旅行は無理でも、日帰りでいいから、もっと楽しい時間を作ってやらないと。

 

 よし、今決めた。夏、はもう無理だけど、残暑が終わるまでに夢の国へ連れて行ってやろうっ!

 

「兄様、どうしました?」

「ん? ああ、来月の事を考えてたんだ」

「「「「「来月?」」」」」

 

 揃ってこっちを見つめる可愛い眼差しに笑みを返す。

 

「エル、セレナ、覚えてるかい? 夢の国の事」

「はい」

「うん」

「そこへ、九月中に連れて行ってやろう」

「「ホント(ですか)っ!?」」

 

 弾けんばかりの笑顔に俺は力強く頷いた。もう決めた。オーナーに行って来月も連休をもらおう。

 いくらかかるか知らないが可愛い二人の天使のためだ。この際金に糸目は付けん。マリアにもそう伝えて了解してもらう。

 

「ししょー、夢の国って何デス?」

「雰囲気から考えると……遊園地?」

「似たようなものだよ。テーマパークってやつだ。この前のところとは雰囲気なんかも違うし規模も違うから楽しみにしてて」

「「うん(はいデス)」」

 

 ザババコンビも笑顔になってくれたし、これでもう後には退けなくなった。これでいい。

 以前ヴェイグに海を見せてやると言った時、俺にはこれだけの意志力がなかった。

 でも、今の俺は違う。何があっても言った事は曲げずに貫き通すんだって、そう思えるだけの何かが出来たんだ。

 

「タダノ」

「ん?」

 

 そう思っていたらヴェイグが近くにいた。その表情はどこか不安そう。

 

「いいのか? その、これが嘘になったら」

「しないよ。嘘にはしないしさせない。だからヴェイグ、楽しみにしててくれ。行き先は夢の国だけど、それだけじゃないように考えるから」

「……分かった」

 

 ニコリと笑って頷くヴェイグに俺も笑みを返す。

 追い込むのとはちょっと違う。今の俺は自分の意思で動いてる。

 流されて、フラフラして、その場その場さえ何とかなればいい。

 そんな俺はもう終わりだ。ちゃんと今日を生きて、明日を見つめて歩いていかないと。

 

「よし、ちょっとごめん。俺、今から店へ行ってくる」

「「「「「いってらっしゃい」」」」」

 

 善は急げだ。オーナーへ連休の相談だけしておこう。九月の平日で可能なら明けじゃなくて二日目に出発して泊まって、翌日帰ってきてから勤務。

 そうなると負担が少ないのは月・火休みの水曜勤務か。奏へも相談だな。うん、まずはオーナーからだ。

 

「うひ~、暑いなぁ」

 

 廊下はまだマシだったけど、玄関開けたらこれだ。だけど、気にしてられない。今はこの動き出してる気持ちのままに動いていたいんだ。

 

 それに、俺は考えるよりも動く方が上手くいく方だ。下手の考え休むに似たりとはよく言ったもんだよ。

 

「よし、悪意なんてやっつけてみんなで笑うためにも、まずは目の前の事をしっかり片付けていくか」

 

 自分へ言い聞かせるようにそう告げて俺は店へと向かう。

 いずれ来る別れの時。だけど、その時に俺は泣くつもりはないし、みんなを泣かせたくもない。

 どうなろうと俺だけは笑って、笑顔で見送りたいんだ。

 

「もう二度と~会えないとしても~ステイアラ~イブ」

 

 あの歌のように、俺はここで、この世界で生きていく。何があっても、どうなろうとも、笑顔を忘れずに……。




今回はずっと只野目線でした。
倒すべき敵も残り僅か。夏も終わりが迫り秋の足音がそこまで迫って来ています。

秋は恵みの季節でもありますが、同時にもの悲しさや寂しさなども感じさせる季節でもあります。
果たして只野達にとって秋はどういう季節になるのでしょうか?
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