シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

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暗躍する悪意。既にその息が吹きかけられていない存在はエルだけになってしまいました。


キミだけに

 野菜を刻む包丁の音。沸々と聞こえてくる鍋の音。今まではそれらを見ているだけだった俺だが、今回は少々違っていた。

 

「未来、そろそろ茹で上がるけど?」

「分かりました。じゃあ、ざるに出してくれますか?」

「了解」

 

 時刻は午後六時半近くってとこか。

 今、俺の部屋には未来がいる。以前約束した事を果たしに来てくれたのだ。

 

 まぁ仕方ないと言えば仕方ないのだが、普通だと連絡を取るのが翼経由となるため、未来はそれを嫌って直接訪問してくれたのである。

 

――こ、こんばんは。夕食、作りにきました。

 

 買い物袋を提げて現れた未来に俺は驚きながらもある事を思い出して納得していた。

 

――仁志さん、今夜は部屋でご飯を食べてくださいね。

 

 今朝の勤務終わり近くに調からそう耳打ちされた時はどういう事かと思ったが、未来がやってきて理解したのだ。

 要するに未来は前日から調へ今日の事を相談していたと言う事で、そこはやはりあの洋菓子店での時間が影響しているのだろう。

 

 さて、そうして未来は食事の支度を始めてくれたのだが、ここで彼女からある提案が出たのだ。

 

――あの、出来れば一緒に作りませんか?

 

 この提案に俺が首を横に振るはずもなく、ある意味で恋人らしいと思いながら今に至る。

 ちなみにメニューはほうれん草とベーコンのパスタとポパイエッグというシンプルな物。

 

 パスタの作業分担は未来がパスタソースを作り、俺が麺を茹でる。

 ポパイエッグは俺がほうれん草を切って、未来が目玉焼きを作ってほうれん草を炒めて仕上げをするという、これだけの内容だ。

 で、既にポパイエッグは完成してテーブルの上。そう、テーブルの上なのだ。

 あの翼とクリスに飯を作ってもらった事でやはり俺ももう一度テーブルをと、そう思って買ってきたのである。

 

 ……折り畳み式のやつを。

 

 ちなみにそれを見た未来の第一声が「よっぽど好きなんですね、それ」だった。

 

 そんな事を思い出している間に俺がざるに出したパスタが未来の手でフライパンへと移動していく。

 そこで醤油などで味付けされたほうれん草やベーコンと一緒に炒められていくのだ。

 あー、微かに香るこしょうの匂いと未だ残る醤油の焦げた匂い。空腹に堪えるなぁ、この美味そうな匂いは。

 

「お皿お願い出来ます?」

「よしきた」

 

 言われて大き目の皿を出す。そこへ未来がフライパンの中身を移していくのを見て、取り皿を二枚用意する。

 何というか、これはこれで幸せだよな。チラっと振り向けば未来が満足そうに山盛りのパスタを見つめていた。可愛い。

 

「うし、じゃあ食べよう」

「はい」

 

 パスタの乗った大皿をテーブルの中央へ。ちなみに今日のメニューはほうれん草が安かったから、らしい。その理由に未来が将来いい奥さんになると確信しました。

 

「未来、どれくらい食べる?」

 

 フォークを二つ使ってパスタを取り皿へと盛っていく。それを見つめて未来はどこで止めようかと思案中のようだ。

 

「えっと……それくらいで」

「ん。じゃ、残りが俺ね」

 

 大体6:4だろうか。俺が6で未来が4って感じだ。

 

「じゃ……」

「「いただきます」」

 

 言ってから二人で軽く笑う。いや、何て言うか不思議な感じがするからさ。

 俺と未来が二人きりで食事なんて初めてだ。しかも、場所が俺の部屋とか。

 色々と湧き起こる感情を噛み締めるように俺はパスタを口へ入れる。

 

「ど、どうですか?」

「美味い……美味いよ未来。あ~、マジで幸せだぁ」

 

 不安そうな未来へ心からそう告げ、俺は幸せの味を噛み締める。

 そんな俺を見て未来が安堵するように息を吐き、そして嬉しそうに微笑んだ。

 うん、やっぱり女の子は笑顔が一番だ。特に未来の笑顔は心があったかくなるし。

 

「ふふっ、そこまで言ってもらえると作った甲斐がありました」

「もう本当にありがとな。また少しこれで小さな目標が達成に近付いた」

「目標?」

「うん、装者みんなから手料理を御馳走になるってやつ」

「只野さんらしい……。あっ、それって切歌ちゃんに言いました?」

「え? いや、この事は話してないけど、飯を作ってくれるように頼みはした」

「あー、それでか。一昨日、切歌ちゃんが私へ簡単に作れる美味しいご飯を聞きにきたんです」

 

 おおっ、切歌も中々かしこいな。まずは調やマリアじゃなくて未来を頼るとは。

 ま、俺が言った言葉を意識してるんだろう。それでクリスじゃなくて未来って辺りもおそらく手軽で美味しいってコンセプトを重視した結果かもな。

 

「教えてあげたの?」

「はい。とは言っても、私もそこまで料理が得意って訳じゃないんですけど」

「いやいや、俺からすれば十分だ。切歌もそう思ったんだと思うよ」

「そ、そうですか? なら嬉しいな」

 

 少しだけ頬を朱に染めて笑う未来に俺は思わず笑みが浮かぶ。

 

「でも、装者全員って……セレナちゃんもですか?」

「可能なら、かな。現状話をしてないのはセレナを除けば奏ぐらい」

「え? 響も作ったんですか?」

「あー、うん。美味かったよ」

 

 ただ、あの思い出には色々と複雑になる思い出もくっついてくるので厄介だ。

 主におっぱいとかおっぱいとかおっぱいとか。

 

「只野さん? 何思い出してるんですか? 顔、赤いですけど?」

「っ……うん、ちょっとね。その日に例のイグナイトもどきの一件が」

「あっ、そうなんですか。じゃあ、あの日なんだ。ふーん」

 

 あれ、若干未来の表情が不機嫌な感じに。どうしたんだ?

 

「未来? どうした?」

「……あの日の事、響やクリスに聞くと妙な事言うんですよね~。只野さんが自分からキスしてくれたって」

 

 うおっ! 未来のジト目が飛んできた!

 

「えっと、それはだな?」

「たしか只野さんってみんなの想いを受け止めるし、選ぶなら全員なんですよね? じゃあ、響とクリスだけズルくないですか?」

 

 うわぁ、開き直った女の子って、いや女性って強い。

 と、なるとだ。俺もそれにちゃんと応えないといけない。

 

「一つだけ言わせてもらっていいか?」

「何ですか?」

「多分そっちの想像してるのとはちょっと違うぞ」

「ちょっと違う?」

「そう。少し耳を貸してくれる?」

 

 その言葉に未来は体を乗り出して耳をこっちへ向けてくれた。よし、チャンス。

 

「……え?」

 

 頬へ軽くキスをして離れると、視界の中にはこっちへ顔を向けて左頬を片手で押さえて赤面する未来がいる。

 

「そこにしたんだよ。あとは額」

「…………そう、ですか」

 

 プシューと聞こえそうなぐらい真っ赤になってから、未来は小さな声でそう言うと黙り込んだ。

 

 うーん、頬へのキスでも未来には刺激が強いんだな。

 俺は……割と慣れてきた。平気ではないけど、慣れはある。

 

「やっぱり子供騙しに感じる?」

「ふぇっ?! そ、そんな事ないでしゅ!」

 

 でしゅ? そう思った瞬間未来がより一層真っ赤になって俯いてしまう。

 あ~、可愛いなぁ。許されるなら抱き締めたいぐらいだ。

 

「えっと、自分でしでかしておいて何だけど、とりあえず冷めない内に食べようか?」

「は、はい……」

 

 そこからしばらく黙ってパスタやポパイエッグを食べ進めていく――のだが、やはり無言のままで美味い物を食べるのは何か嫌だった。

 なので未来へ得意料理とかの話題を振る。するとすかさずこっちの話をと返されてしまった。

 

 まぁ、構わないか。そう思って料理関連の事を話す。最初に出来るようになったのは炒飯。何せ卵とご飯さえあれば後は素を使って簡単に出来る。

 その後は麻婆豆腐や生姜焼きなどの焼くだけ煮るだけ炒めるだけの物を作るように。そう話していると未来が笑ったり呆れたり表情をコロコロ変えてくれた。

 それが何となくだけど嬉しかった。俺の趣味の話じゃここまで表情は変えてくれないからなぁ。未来は中々ヒーロー物に染まる余地がないらしい。

 

 でも、こういう話題だと未来もみんなと同じぐらい反応が大きい。多分だけど、俺の経験を聞くのが楽しいのだ。

 俺も似たような事をこれまでのバイト先で経験したから分かる。面白いのだ、単純に。他業種やその仕事でのあるあるを聞くのは。あとはその人の性格や思考も分かってくるからかもしれない。

 

 食べ終わる頃には話し手が俺から未来へスイッチしていた。

 未来の話も多岐に渡る。日々の愚痴や起きた出来事に始まり、響やクリスとの買い物の話やバイトでの色々と、平和な時間でも大小様々なイベントが未来にも起きているらしい。

 

「それで、奏さんがネギと間違えてニラを買ってきちゃって」

「あらら」

 

 今は揃って洗い物を片付けながら会話中。俺が洗って未来が拭いて戻す。こうしていると夫婦のようだ。

 あるいは、歳の離れた兄妹、だろうか。まぁ現実的なのは後者だろう。

 

「翼さんがどうするのって聞いたら、ラーメンなんだからニラでも合うって言って食べやすい大きさに切って鍋の中へドボンと」

「奏らしい。それで?」

「まぁ美味しかったは美味しかったんですけど、思ったよりもニラが多くて、三人して半分残してニラ玉でも作れば良かったねって」

「あ~……」

 

 何とも楽しげな光景じゃないか。すっかり未来達三人の暮らしも馴染んでいるよなぁ。

 

 その後、洗い物を片付け終わってさてどうしようとなった時、未来がこっちへ詰め寄ってきた。

 その瞳に、強い決意を宿したような輝きを秘めて。

 

「あ、あのっ、只野さん」

「何?」

「えっと、ですね? 何か、私にしないといけない事、忘れてませんか?」

 

 赤い頬と潤んだ瞳でそう言われれば嫌でも分かる。そういう事、だよな。

 

「ああ、うん。ごめんな。俺ってこういう事に気付かないから」

「ぁ……」

 

 未来の体を少しだけ抱き寄せる。そしてそっと頬へ口付けた。

 

「只野さん……」

「未来、まだだよ」

「え? あっ……」

 

 反対側の頬へも口付ける。更にとどめとばかりに額へも。

 

「ははっ、とんだプレイボーイだな」

「……ホントです。でも、本気、なんですよね?」

「うん、それは間違いなく。遊びでこういう事が出来るなら、とっくに誰かと付き合った経験ぐらいしてたよ」

 

 変なとこで生真面目と言うか、妙に重く考えてしまうんだよな、俺。

 軽い感じで付き合うとか、理解に苦しむような思考してるし。

 

「……いつか、誰かを選ぶ時も来ますか?」

「…………可能性がないとは言わないよ。どんな事にも、さ」

 

 世の中に良くも悪くも絶対はないと、そう思ってるし思いたいから。

 

「分かりました。でも、一つだけいいですか?」

「何?」

 

 そう言う俺に未来は微笑んだ表情でこう言った。

 

――もしこのままの状態を望むなら、私、協力しますから。

 

 予想外の宣言に呆気に取られていると、未来がそのまま俺へ顔を近付けて頬へキスしてきた。

 ふわりと香る良い匂い。これが未来の匂い、か……。

 

「……只野さんは私にこう言ってくれました。誤魔化さないと壊れる絆なら壊してしまえって。でも、私思うんです。誤魔化したっていつか壊れる絆もあれば、誤魔化せば壊れない絆もあるんじゃないかって」

「未来……」

「私達の絆って、男女の絆で、もしかしたら壊れやすいのかもしれません。でも、みんなで支え合えば、思いやれば、壊れないでむしろゆっくりと丈夫になってくんじゃないかなって」

 

 それは、何とも甘く儚く、そして淡い願い。だけど、今の俺にはとても有難い想い。

 

「只野さんの願いは、みんな笑顔で居続けたい事、なんですよね? なら、私だって同じです。ううん、きっとみんな同じだと思います」

「そう、だな。それはきっとそうだ」

「今はみんな只野さんを男の人として好きですけど、これが来年には変わってるかもしれない。だけど、きっとそれを只野さんは止めない。ただ、みんなが笑ってくれればって、そう思ってくれるだろうなって、私は勝手に思ってます」

「いや、間違ってないよ。俺は何があってもみんなが笑っていてくれればそれでいい」

 

 優しく、だけどはっきりと言い切る。未来には俺の気持ちが伝わってると思って。

 その証拠に未来は嬉しそうに笑ってくれた。が、それだけじゃなくて……

 

「えっと……未来?」

「はい、何ですか?」

「その、いつまでこうしてるのかな?」

 

 何故か未来に抱き着かれるという状況に。いや、嬉しいんだけど色々と……なぁ。

 

「そうですね……いっそ日付が変わるまで?」

「ダメ。それはダメ。というか、おそらく九時過ぎ辺りで翼から連絡くるって」

「そっかぁ。でも、逆に言えばそこまでこうしていられますよね?」

「…………九時まで。九時になったら部屋まで送るから」

「ふふっ、はぁ~い」

 

 若干小悪魔な未来に内心ドキドキさせられながら、俺は人生で初めて女性と長時間抱き合うだけという稀有な時間を過ごす事となる。

 

 その後時間となり、アパート前まで未来を送った別れ際に彼女から手招きされて耳を貸すと……

 

――エッチな事、あまり知らないので教えてくださいね。

 

 というとんでもない爆弾を投下されました。慌てて顔を動かすと未来がしてやったりの表情で笑みを浮かべて小さく手を振って階段を上がっていった。

 

 その後ろ姿を見送りながら俺は大きくため息を吐いた。いや、本当に女は怖い。ほんの少し前まで少女だったのに、ちょっとした事でもう立派な女性になっているんだからさ。

 

「……敵わないなぁ」

 

 階段を上がり切ったところで、こっちへ軽く手を振る未来へ苦笑しながら手を振り返す。

 そして部屋の中へ未来が消えるのを見届けて俺は帰路へ就いた。

 歩きながら頭の中では最後の未来の言葉がリピートされ続ける。エッチな事、なぁ。あまり知らないって言ってたけど、逆に言えばどこまで知ってるんだろうか?

 そこのところを詳しく聞きたい。って、いかんいかん。完全に未来の術中じゃないか。

 

 翼といい未来といい、普段そういうのを感じさせない女性がエロへ興味や関心を見せると何でこうも男は興奮してしまうのだろう。

 そんな事を考えつつ、俺は店へと向かう。とりあえずは仕事で頭の中からスケベな事を追い出そうと、そう強く思いながら……。

 

 

 

 暑い道のりを歩いてやっと到着しましたスーパーデス!

 

「あ~、生き返るデスよ」

 

 中へ入れば涼しい空間がお出迎えデス。さてさて、まずはお野菜からデスね。

 

「メモメモ……」

 

 事前に書いてきた買い物メモを取り出して確認。ふむふむ、まずは玉ねぎとキャベツデスか。

 

買い物(ミッション)スタート、デス」

 

 今日の晩御飯はアタシが作る事になってます。ししょーからのボーナスをかけた試練。それを何としてもクリアして、見事7千円をゲットするんデスよ。

 未来さんへ相談した結果、男の人が好きそうな物で簡単に出来る物がいいと言われ、そこで聞いたいくつかの候補を調に相談した結果、豚の生姜焼きが最適だと言われました。

 

 考えてみればヴェイグも大好きデスし、アタシやエルだって大好きデス。暑い時期に食べるには最適デスし、何よりご飯が進むデス!

 

「キャベツを一玉と……玉ねぎは……三つ買うとお得デスか。なら三つデスね」

 

 買い物代としてししょーがくれた金額は3千円。ちゃんとレシートとおつりは渡す事になってるので余分な買い物は出来ないのデス。しくしく……。

 

「次は……豚肉デス」

 

 今回のメインデス! 生姜焼き用のお肉があるらしいのでそれを買います。

 スーパーの配置はある程度覚えてますからさくっとお肉売り場へ到着デス。

 むむっ、発見しました。でも、こうして見ると意外と高いデスね。

 

「ん? おおっ、こっちはお買い得な値段デス」

 

 量は多いのに値段はそこまで変わらない豚肉さんを発見デスよ。もしかしてアタシ、買い物上手デスかね?

 と、よく見れば国産とアメリカ産と違う部分発見デス。その違いだけでここまで値段が変わるんデスか。驚きデス。

 

 アメリカの方が大きな国だし豚さんもいっぱいいるから安いんデスかね?

 

「とにかく生姜焼きの準備はこれでOKデス。あと何か買わないといけない物はぁ……」

 

 一応メモを確認。っと、そこでふと冷蔵庫の中を思い出す。

 えっと、たしか生姜焼きのタレがなかった気がしました。いえ、正確にはあるんデスけど残り少ないとかマリアが言ってた気がするんデスよねぇ。

 

 なので生姜焼きのタレを買うデス。場所がいまいち分からないので店員さんへ尋ねますか。

 

「すみませーん。生姜焼きのタレってどこデスか?」

「生姜焼きのタレですね。それならこちらです」

 

 親切なおじさんに案内されて到着デス。

 

「ありがとうございますデス」

「いえ、では失礼します」

 

 アタシもバイトするようになったから分かるデスが、こういう時の何気ない一言がすっごく嬉しいんデスよねぇ。

 だから今のアタシは前よりもお礼を言う事が多いデス。自分がされて嬉しい事をみんなにすれば笑顔の輪が広がるはずデス。

 

「タレもゲットしたし、後はレジへ行っておしまいデスね」

 

 こうして無事お買い物終了(ミッションコンプリート)デス。

 レシートとおつりは今夜ししょーが食べに来た時に渡せばいいデスし、後はご飯をしかけてキャベツを半分使ってお味噌汁を作るだけデスね。

 まぁどうなっても最低5千円は確実なはずデス。ふふふ、高額特別ボーナスはもらったもどーぜんデス!

 

 そんな風にウキウキ気分でお家へ向かっていると、向こうから響さん発見デス。

 

「あれ? 切歌ちゃんだ」

「こんにちはデス。響さんはこれからお買い物デス?」

「うん。クリスちゃんがお洗濯物をしてくれてるからね。切歌ちゃんはこれから帰り?」

「デス! 今夜はアタシが腕を振るうんデスよ」

 

 そう言ったら響さんは目を見開いて驚いた。

 

「えっ!? き、切歌ちゃんが作るの?」

「むっ、失礼デスよ響さん。アタシだってやれば出来るんデス」

 

 ただ、今回は調やマリアの手は借りれないのデス。口だけは貸してくれるデスけど、それが精一杯なのデスよぉ。

 

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「フンスっ! そういう響さんはどうなんデスか? ちゃんとお料理出来るんデスか?」

「え? あ~……こっちに来てから少しずつやるようになってるからマシにはなってるよ。ま、前にもクリスちゃんと一緒に仁志さんへご飯作ってあげたし」

 

 そ、そういえばそんな事もありました。それが例のイグナイトギア事件の時デス。

 

「し、ししょーは何て言ってたデス?」

「美味しいって言ってくれたよ? そうだなぁ。もう少し頑張って料理上手くなって、また仁志さんに喜んでもらいたいなぁ」

 

 その言葉にアタシはハッとなりました。そうデス……お金のためにご飯を作るなんてダメダメデス。

 調もマリアもアタシ達のためにってご飯を作ってくれてます。アタシは、そんな事も忘れてたデス。

 

 ハッ!? も、もしかしてこれもししょーの試練だったデスか!? アタシがちゃんとお金に目をくらませる事なくご飯を作れるかを、ししょーは試したのかもしれませんっ!

 

「響さん、ありがとうございました。おかげでアタシは大事な事に気付けたデス」

「え? う、うん。どういたしまして?」

 

 不思議そうに首を傾げる響さんへバイバイしてアタシは急いでお家へ帰ります。

 

「ただいまデス!」

「「おかえりなさい」」

 

 出迎えてくれたエルと調へ頷いてアタシは台所へ向かいます。買ってきた物の中から豚肉をまずはしまい、次に玉ねぎとキャベツをしまいます。

 

「大事なのは食べてくれる人の笑顔、デス」

 

 冷蔵庫の扉を閉めて自分へ言い聞かせるように呟きます。うん、大丈夫デス。今のアタシならきっとししょーに喜んでもらえるご飯が作れるはずデス。

 そうとなればあとはお米を研がないといけないデスね。えっと、普段は七合デスけど今日は何合にしておく方がいいデスかね?

 

「調~、ご飯は六合デスか? 七合デスか?」

 

 居間へ向かって尋ねると調がこっちへフラフラと歩いてきます。で、若干嫌そうな顔をしました。分かりますよ調。居間に比べると暑いデスよね、こっち。

 

「六合でいいと思うよ? というか、切ちゃん、七合炊いてもいいけど食べ切ってもらえるの?」

「なっ……調、それは酷いデスよ。アタシのお料理だってオイシイって言ってもらえるはずデス」

「……メニュー、生姜焼きだけなんでしょ? 多分それじゃあ足りないよ?」

「きゃ、キャベツのお味噌汁が付きますよ?」

「…………寂しくない?」

 

 うっ! そ、それはアタシも若干思ってた事デス。で、でも、アタシの腕じゃ他のメニューなんて思いつかないし作れないデスから……。

 

 そう思って肩を落としてると、調がため息を吐くのが聞こえました。そしてアタシの視界に調の足が入ってきます。

 

「切ちゃん、顔上げて」

 

 言われるままに顔を上げればそこには苦笑する調。

 

「もしやる気があるなら、アドバイスをあげる」

「ほ、ホントデスか?」

「ホントもホント。メインは生姜焼きでしょ? で、汁物はキャベツのお味噌汁。あと一つおかずが欲しいんだよね?」

「は、はいデス」

「でも生姜焼きでお肉使ってるから、もう一つは別の物がいいかな?」

「デス、ね。出来れば別がいいデス」

「そっか」

 

 そこで調は口を閉じてアタシを見つめてきます。えっと、これは……?

 

「し、調? どうしたデスか?」

「……私は切ちゃんへアドバイスをあげるけど、それは切ちゃんからの質問や疑問に答えるだけ。自発的にする事は禁止されてる」

 

 小さく笑って調が告げたのは、きっとししょーから言われた条件デス。

 

「えっと、じゃあ、何かないデスかね? お野菜かお魚を使ったアタシでも出来そうな料理」

「そうだね。じゃ、一緒にもう一度お買い物行こう。エル、お留守番お願い出来る?」

「はい」

「で、でも調。アタシ達がいないとエルはトイレにも行けなくなっちゃうデスよ?」

 

 アタシ達のギアペンダントがないとエルは今の位置から動けなくなります。今の時期だとこまめに水分を取ってますからトイレが大問題になっちゃうデス。

 

「でも、セレナがもうすぐ帰ってくるから問題ないと思うんだけど……」

 

 そう、セレナは今ししょーのお部屋掃除をしてます。で、ししょーはそんなセレナを眺めてごろごろしてるはずデス。

 今日はアタシがご飯を作るので気にしないようにって事らしいデス。こういうとこがししょーの優しさデスね。

 

「あの、多分ですが姉さんはこのまま兄様の部屋にいると思います。一緒にお昼寝したいって言ってましたし」

「「えっ?」」

 

 それは初耳デス。というか、あのデート以来セレナがししょーにベタベタする事が増えたんデスよねぇ。

 何だかそれを見てマリアが複雑そうな顔してますし、調も微妙な顔が多いデス。

 

 アタシも、何だかもやもやするデスし、どうしたんデスかね?

 

「……切ちゃん、お買い物前に仁志さんのお部屋に寄ってもいい?」

「OKデスよ。むしろアタシも行こうと思ってました」

 

 いくらセレナがまだ子供っぽいからって、女の子デス。ししょーが困って寝れなくなったら問題デスし、ここはちゃんと注意が必要デス。

 

「エル、一緒にお出かけしよう。準備して」

「いいんですか?」

「うん。ヴェイグは寝てるからいいけど、エルはこのままだと動けなくなるでしょ?」

「それは……」

「エル、一緒にお買い物行くデスよ。さっ、帽子をかぶって準備するデス」

「……はいっ!」

 

 嬉しそうに笑ってエルが居間の奥へ、押入れ近くへと向かったデス。

 

「む~、エルは心なしか切ちゃんへ懐いてる気がする」

「まぁアタシとエルはししょーから色々教わってる仲デスから」

「むぅ……」

 

 膨れ顔の調も可愛いデスね。なのでほっぺをつんつんするデス。

 

「む~っ」

「おおっ、調がより膨れたデス。そんなにアタシとエルの仲が羨ましいデスか?」

「あの、切歌お姉ちゃん。調お姉ちゃんは多分突っつかれた事に怒ってるんだと……」

 

 そのエルの言葉に無言で頷く調を見て、アタシはいつかのチキンを食べてた時の事を思い出しました。

 

「ご、ごめんなさいデス。膨れる調が可愛くてつい……」

「……そんな事だろうと思った。切ちゃんらしい」

「ゆ、許してくれますか?」

「いいよ。エル、準備出来た?」

「はい、この通り帽子もかぶりましたし鍵も持ちました」

「うん、じゃあ行こう」

 

 そう言ってエルへ調が手を差し出すとそれを嬉しそうにエルが握ります。むぅ、こういうとこは調の方が仲が良いと思うデスよ。

 

 と、いけないいけない。お財布と買い物袋を持って後を追わないといけないデスね。

 

「切ちゃん、早く」

「切歌お姉ちゃん、急いでください。冷気が逃げてヴェイグさんが起きてしまいます」

「今行くデスよ」

 

 玄関前で待ってる二人へ慌てて合流デス。エルが鍵を閉めて三人で目指すはししょーのお部屋デス。

 ししょー、まだ起きてるデスかね? もし寝てたら……その時はどうすれば……。

 

 まっ、いいデス! その時になってから考えるデスよ!

 

 

 

「ねぇ、本当にダメ?」

「そうだなぁ。セレナがエルぐらい子供なら問題なかったんだけどね」

「む~っ」

 

 布団へ入って横になる仁志を見つめ、セレナはどこか不満そうに口を尖らせた。

 掃除も終わり、後は寝るだけとなった仁志へセレナが一緒に昼寝をしたいと持ちかけたのである。

 それを当然仁志はやんわりと却下した。もうセレナは大人への成長を始めた年頃だ。それが実兄でもない男と同じ布団で寝るなどどうかと思ったのだ。

 

「それにこの布団は男くさいと思うしな。申し出は嬉しいけど勘弁してくれ」

「……それって、私がお兄ちゃんにとって立派なレディって事?」

 

 その問いかけは、普段であれば何の問題もないもの。

 これまでのセレナであれば、深い意味を持つ事のないもの。

 仁志もそう考えて素直に頷き笑みを返した。

 

「そうだな。もうセレナは立派なレディだよ」

「……そうなんだ。うん、じゃあ仕方ないね。結婚するまでそういう事はしちゃいけないもん」

 

 嬉しそうに笑顔を見せて素直にその場から立ち上がるセレナを見て、仁志は微かに内心引っかかるものを覚えていた。

 

(一体何だ? 何が俺は気になってるんだろう?)

 

 少し前まで純真無垢だったはずの白いキャンバスに小さな、けれどたしかな汚れがある。

 それを仁志は感覚的に察知したのだが、残念ながらそれは本当に些細なサイン。

 結局彼はそれを理解する事なくセレナを見送って眠りに就く事となる。

 

「ふふっ、立派なレディだって」

(うん、頑張ってお料理とか姉さん達から教えてもらおう。そしてお兄ちゃんのご飯を作ってあげられるようになるんだ。それが奥さんのお仕事だもんね)

 

 仁志とマリアの関係性がセレナの中での夫婦だったため、どうしてもどこか古い形の夫婦像が出来上がってしまう。

 だが仁志はマリアや調へ事ある毎に感謝を告げ、労をねぎらっている。それにマリアや調は笑みを返し、時折彼からもらう有形無形の様々なものに癒されているのだ。故にその関係性は古臭くも真っ当な夫婦の形であった。

 

――待っててね、お兄ちゃん。私、出来るだけ早く大人になるね……。

 

 呟く言葉はある意味で微笑ましいもの。だが、そこに宿った想いにはかつてなかった淀みがあった。

 

 イノセントの名を与えられていた少女。そんな彼女へ闇が打ち込んだ楔の切っ掛けは、ノイズ襲来という試しにやった企みだった。

 あれで狙われたのがヴェイグであり、それを庇って仁志が動いた結果、それまで心を大きく乱す事のなかったセレナが強い怒りで心を動かしたのだ。

 それを好機と捉えた悪意が執拗にセレナを狙っていた結果、マリアと仁志の仲を取り持とうとする気持ちを利用し付け込んだ。

 

 そして、現在に至る。無垢な心に悪意の種はしっかりと根付き、その感情を栄養として成長を続けていた。

 

「あっ、姉さん!」

「エル? それに調さんと切歌さんも……」

 

 笑顔でセレナへ駆け寄るエルフナイン。それに不思議そうな顔を見せるセレナの視線の先には調と切歌が立っていた。

 

「セレナ、エルから聞いたよ。仁志さんと一緒にお昼寝しようとしてたって」

「ダメデスよセレナ。前も言ったデスけど、もうセレナも」

「うん、分かってる。私も立派なレディなんだってお兄ちゃんが言ってくれたから」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべてセレナはエルの手を握った。その笑顔を仁志が見れば息を呑んだに違いないだろう。それはあの奏や未来、響やクリスまでも浮かべた笑みに近かったのだから。

 だがしかし、その笑顔を見た者はいない。セレナ自身はそれを浮かべていて、切歌と調はセレナの顔が麦わら帽子で隠れて見えなかったし、エルフナインもセレナではなく切歌と調を見ていたからだ。

 

 純真無垢だからこそ毒も、闇も早く回る。強く素直な想い故に、それは深く根付く。

 光と闇は表裏一体。素直だからこそ悪意さえも浸透するのが速いのだ。

 

「それで、迎えに来てくれたの?」

「はい。それと、買い物にも行くんです」

「え?」

「切ちゃんがもう一品増やしたいからって」

「調のアドバイスを受けながら考えるんデス」

「そっか。じゃ、私とエルは先に帰った方がいいかな?」

「好きにしてくれていいよ。鍵はエルが持ってるし」

 

 そう言われてセレナはエルフナインへ顔を向ける。

 

「どうする?」

「じゃあ、帰りたいです。ヴェイグさんが起きた時、誰もいないと寂しいと思うので」

「そうだね。じゃあ、私とエルは先に帰ってます。お二人共、気を付けて行って来てください」

「分かった。そっちも大丈夫だと思うけど気を付けて帰ってね」

「行ってくるデース」

 

 こうして別れて動き出す四人。仲良し姉妹のように手を繋いで歩くセレナとエルフナイン。その背を少しだけ見送り、切歌と調は揃ってため息を吐いた。

 

(立派なレディ……か。多分セレナを丸め込むための言葉だろうけど……)

(完全な嘘でもないはずデス。ししょー、アタシの事もそう思ってくれてるデスかね?)

((何だか……もやもやする(デス)……))

 

 どうして自分へは言ってくれないのか。そう思って二人は視線を後方へと向ける。

 もう見えない古びたアパート。そこで眠る一人の男性へ想いを飛ばすような眼差しを。

 

「……切ちゃん、行こう」

「……デスね」

 

 やや沈んだ声で言葉を交わして歩き出す二人。だがそんな雰囲気もスーパーへ近付く頃には消えていた。

 切歌が自分のテンションを上げるべく調へ色々な事を聞いていったからだ。

 野菜を使った料理なら何がオススメで、魚なら何だろうとそういう事を話題にして。

 

「あっ、見えてきたデス」

「切ちゃん、とりあえずは安い物を見て考えるんだよ? それが賢い奥さんの条件」

「べ、別にアタシは奥さんになりたい訳じゃないんデスが……分かったデス」

 

 調の言葉にそう返す切歌であったが、その内心ではぼんやりとある想像が始まっていた。

 

(ししょー、アタシがかしこく買い物して、お料理したら褒めてくれるデスかね……?)

 

 切歌の脳内に浮かぶのは見事なフルコースのような料理の数々が並んだテーブルと、それを前にとびきりの笑顔を自分へ向けてくれる仁志の姿。

 

――どうデスかししょー。アタシだってやればこれぐらい出来るんデスよっ!

――ああ、見事だよ切歌! やっぱりお前は俺の最愛の弟子だっ!

 

 あの誕生日会の時に仁志が間違って言ってしまった言葉。それが今も切歌の心に強く残っていた。

 最愛という言葉。間違えたと仁志は思って言い直したが、あながち間違ってもいないのではと切歌は直感で感じ取っていたのだ。

 

 緩んだ顔のままスーパーへと入る切歌とは違い、やや険しい表情を浮かべるのは調である。

 

(仁志さん、セレナの事をまだ子供って思ってるみたいだけど、それはちょっと甘いと思う……)

 

 何となくだが調は感じ取ったのだ。今のセレナからは若干ではあるが乙女の気配が漂っている事を。

 

(もしかして、セレナは仁志さんに恋してる? 有り得なくないけど……でも……)

 

 あの時セレナが口にした“立派なレディ”という表現。それにどこか含まれた、女としての自覚のようなものを調は察していた。

 

「さっ、調。とりあえず今日のお買い得品はここに乗ってますよ」

「え? あ、うん」

 

 入口に掲示されたチラシを指さす切歌。調もそれに頷いて視線を向ける。

 

(……切ちゃんへのアドバイスはあくまで頼られた時だけ。でも、切ちゃんが私へ意見を聞いた事は仁志さんに伝わるはず。なら、切ちゃんの出来はある意味で私の結果にもなる)

 

 よしと頷くように首を動かし、調はチラシをじっと一分は見つめた後、脇目も振らずに店内のお買い得品から厳選して野菜などを選び始める。

 

「し、調、待って欲しいデスよ!」

 

 切歌がその後を必死に追いかける中、調は手にした物をかごの中へと入れていく。

 

「うん、これでよし。切ちゃん、お会計してきて」

「わ、分かったデス……」

 

 トテトテとレジへ向かう切歌を見つめ、調は静かに燃えていた。

 

「セレナ、本当に立派なレディはお買い物上手のお料理上手だって言う事を教えてあげる」

 

 マリアと同じく家事を預かる者としての矜持にかけて。そんな言葉が聞こえそうな程、今の調は闘志に満ちていた。

 ただ、それを浴びるというか受けるのは未だ事態がよく分かっていない切歌なのだが……。

 

(調、どうしちゃったんデスかね? ま、まぁおかげである意味助かったデス)

 

 彼女は知らない。これから仁志がやってくるまで、ある意味気の抜けない時間が始まるとは……。

 

 

 

「疲れたデェス……」

「お疲れ様」

 

 時刻は午後七時四十分を過ぎた辺り。切歌は洗い物を終えて居間へ大の字に転がった。

 マリアの労いに切歌は疲れた笑みを返すのみ。そんな姿に仁志は感謝を噛み締めるように切歌の傍へ腰を下ろした。

 

「切歌、今日の飯は美味かったよ。本当に、美味かった。ありがとう」

「えへへっ、いいって事デスよ。ししょー達が喜んでくれて、アタシは嬉しかったんデス。やっと、やっと調やマリアの気持ちが本当に分かりました」

「切歌……」

「切ちゃん……」

 

 これまで食事を担当していた二人に笑みが浮かぶ。それは自分達の苦労を切歌が分かったという事ではない。彼女が食事を作った際の喜びを理解してくれた事への笑みだ。

 

「切歌、立派だよ。じゃあ、これは約束の」

 

 財布から金を取り出そうとした仁志の手を、そっと切歌の手が止める。どうしたんだと思った仁志へ、切歌は優しく微笑みながら口を開いた。

 

「ししょー、アタシ、ダメダメでした。お金のためにご飯を作ろうとしてました。でも、それじゃダメって気付いたんデス。調やマリアはお金のためにご飯作ってないデス。アタシ達の笑顔のために作ってくれてました。だから、これはいらないデス。今日のお代は、ししょーがオイシイって笑顔で言ってくれただけでじゅーぶんデスよ」

「切歌……」

 

 その言葉が仁志の心を貫いた。彼こそ切歌の手料理食べたさに金の力を使ってしまったと気付いたのである。

 

「それを言うなら俺もだ。正直に切歌の手料理が食べたいと言えば良かったのに、君がやりたくなるような流れを作ってしまった。ごめんな切歌。こんな汚い大人のやり方へ、君は純粋な想いで応えてくれたって言うのにさ」

「あ、アタシの手料理が食べたかったデスか?」

「そうなんだよ。でも、目が覚めた。よし、ご飯代としてはお金が受け取れないなら、こうしよう。切歌、このお金は試練だ」

「試練、デスか?」

「ああ。これを使って、出来るだけ多くの楽しい思い出を作るんだ。勿論無駄遣いはしないように、な」

「ししょー……」

 

 取り出した7千円を切歌の手へそっと握らせ、仁志は微笑みかける。その笑みを切歌はしばし見つめた後、手の中の紙幣へ目を向けて再び仁志へと顔を向けて頷いた。

 

「分かりました。これでみんなと笑顔になるデスよ」

「うん、頑張ってくれ。それと、師匠としては切歌が自分の帽子を買ってくれる事を始まりにして欲しいかな。切歌が熱射病対策をしてくれる事は師匠の思い出にも繋がるからさ」

「っ! ししょ~っ!」

 

 告げられた言葉に切歌が弾かれるように体を起こすと嬉しそうに仁志へ抱き着いた。

 そんな彼女に驚きつつ、仁志は優しく笑みを浮かべてその頭を撫でる。

 

「……むぅ」

 

 その光景を眺め、調はやや憮然とした表情を浮かべていた。

 

(仁志さん、いつもなら切ちゃんがああするとダメだって注意するのに……)

 

 エルフナインやセレナならまだ分かる事でも、切歌がするとなると仁志は厳しく注意をしていた。

 それは切歌がもう子供とは言えない体であるのと同時に彼の理性を守るための事でもあったからだ。

 だが今は仁志が兄や父のような気持ちで切歌と接しているため、彼が邪な気持ちを抱く事がなかった。それ故に切歌の密着も微笑ましく思って対処していたのだ。

 

「切ちゃん、抱き付くのはそれぐらいにしないとダメだよ。仁志さんが困るから」

「ほえ? ししょー、困るデスか?」

「あー、今はそうでもないけどたしかにそろそろ離れておこうか。切歌も一人前の女性だしね」

 

 その言葉に切歌と調が対照的な反応を見せた。

 

((一人前の女性……っ!))

 

 切歌は嬉しそうに、調は苛立つように表情を変えたのである。

 結果、切歌は上機嫌で仁志から離れて手にした紙幣をそそくさと財布へとしまい、代わりに調が仁志へと接近する事に。

 

「仁志さん、今の、切ちゃんだけですか?」

「へ?」

「じー……」

 

 ふて腐れるような表情と声でジト目を仁志へ向ける調。その眼差しに仁志は自身の言動を思い返し、すぐに理解したのか苦笑して調の肩へ手を置いた。

 

「ごめんごめん。調も立派な女性だよ。思っても言わないと伝わらないもんな。許してくれ」

 

 まさしく調が欲しかった言葉であった。そして、これはそれだけではない意味を調へ与える事となる。

 

(私の言って欲しい事、気付いてくれた……。やっぱり仁志さんは凄い……)

 

 考えを読める訳じゃないが分かろうとしている。以前呼び捨てにしてもらおうと思った際の言葉を思い出し、調はその胸をときめかせていたのだ。

 仁志は自分の考えを読み取ろうとしてくれる。想いを酌み取ろうとしてくれている。そう思って調の恋心は強く反応していた。

 

「仁志さん、明日の晩ご飯は何が食べたいですか? 私、頑張って作ります」

「え? そうだなぁ……」

「言うだけ言ってください。出来るか出来ないかはそれを聞いて考えますから」

「そう? じゃあ……」

 

 心持ち仁志へくっつくように調は彼の腕へ抱き着いた。ただし切歌のような強い密着ではなく控えめなものではあったが。

 当然それに仁志は動揺する事なく、調の問いかけに答えようと思考を巡らせる。そんな彼を見て調は少しだけ微笑んでいた。

 

「「むぅ」」

 

 今度はそれを見て切歌とセレナが膨れ顔。良い雰囲気だと感じ取ったのである。ただエルフナインとヴェイグはそんな二人に小首を傾げ、揃ってマリアへ顔を向けていた。

 

「姉様、どうして姉さん達は膨れているんですか?」

「ふふっ、仁志と調が仲良しだからでしょうね」

「どうして仲が良いと膨れるんだ?」

「切歌もセレナも子供じゃないから、かしら」

「「……分かりません(分からん)」」

「クスッ、エルもいつか分かる日が来るわ。ヴェイグは……どうかしら? 分からないわね」

 

 楽しそうに笑いマリアはエルフナインの頭を優しく撫でる。それにエルフナインは笑みを返し、ヴェイグはそんな光景に笑みを見せる。

 平和で穏やかな家族の時間。仁志という父でもあり兄でもある相手を男として見つめている三人の少女を、妻として振舞う女はまだ微笑ましく見つめていた。

 

(セレナも、そういう気持ちを仁志へ抱き始めた、か……。切っ掛けは……やっぱりデートでしょうね)

 

 ある意味で当たっている読みではあるが、そこに悪意の干渉があったとまではさすがにマリアも読む事は出来なかった。

 

「調。調もそろそろ離れるべきデス」

「そうですよ。お兄ちゃんが困っちゃう」

「困ります?」

「え? あー、困った方がいいか。うん、困る困る」

「そうですか。じゃ、切ちゃん、セレナ、もっと困らせよう。こんな言い方出来ないぐらいに」

「「了解デス(分かりました)!」」

「えっ?! ちょ、ちょっとっ!?」

 

 調の反対側の腕へ切歌が、セレナは正面から仁志へ抱き着いた。そのまさかの展開に仁志は軽く慌て始め、それを見てマリア達が苦笑する。

 やがてその苦笑は楽しげなものへと変わり、ならばとエルフナインやヴェイグも仁志へくっつき始め、最後にはやや照れながらもマリアさえ背中へ抱き着いたところで仁志が観念するように項垂れた。

 そこで大きな笑い声が上がり、仁志もそれに合流するように笑い出した。

 

 誰かがその光景を見れば、仲の良い家族としか思えない風景だろう。だが彼らはそうではない。そうなるかもしれない可能性は秘めているが、今はまだ他人の集まりである。

 それでも、その心の距離感は家族に近いのかもしれない。一番年長の女が男を夫のように想い、一番年少である少女が男を父のようにも慕う事で。

 

「兄様、もしよければ何か話をしてください」

「あっ、じゃあアイマスがいいな。お兄ちゃん、教えて」

「アイマスかぁ。えっと、そうは言ってもあれの始まりはストーリーがあるようでないゲームだし」

「そうなんデスか?」

「意外……」

「いや、共通ストーリーみたいなのがないんだよ。元々のゲームは……」

「……語り始めたな」

「いいじゃない。これが仁志よ」

 

 自分を見つめる四対の瞳へ話しかける仁志を、背中側の二人が好ましく思って見つめる。

 そんなある日の夜の事。彼らだけの思い出が、また一ページ……。

 

 

 

「バーベキュー、ねぇ」

「いいとは思いますが、いつ行くのですか?」

「問題はやっぱそこだよなぁ」

「あとは場所もですよ。山なのか海なのかもありますし」

 

 1DKのアパートの一室。そこに珍しく仁志の姿があった。

 時刻は午後六時半。かつて仁志の物だった折り畳みテーブルも既にこの部屋の家具となって久しい。

 その上には、マリアが作った通称“いつもの弁当”が入っていた弁当箱が四つ置かれている。仁志が持参したもので、一度もあの店の弁当を食べた事のない三人へも食べてもらおうと彼が考えたのだ。

 

 つい先程までその味に彼女達も舌鼓を打ち、心も胃袋も幸せで満たされていた。

 

「海水浴は来週だろ? じゃ、バーベキューは来月?」

「どうかな? 海水浴とは違ってバーベキューならそこまで疲れ果てる事もないはずだし、仁志さんが休みの日なら可能だと思うよ?」

「どうです?」

「俺も翼のように考えてる。場所は正直そういう事が出来る店へ行こうと思ってたんだけどさ」

「そんなお店、あるんですか?」

「えっと、何て言ったらいいのかな? スーパーの屋上でビアガーデンみたいに……って言っても分からないか。まぁ、とにかく建物の屋上で営業してる店があるんだ。そこがバーベキューを出来る場所を提供してくれるんだよ」

「「「へぇ」」」

 

 どうしてもバーベキューというと野外でと、そういう風に思っていた三人にとって建物の屋上という発想は中々新鮮に感じられたのだろう。

 そこからはやる場合の食材の買い出しはどうするという話になっていく。何せ総勢十人を超える団体だ。しかも食欲旺盛な人間も数人いる。普通の量では全員が胃袋を満たす事は不可能と言えた。

 

 が、そんな事は仁志も既に理解している。

 

「で、食材の買い出しなんだが、車を借りて業務用スーパーに行かないか?」

「「「業務用スーパー……」」」

「まずそこを見て、足りない物やそこの物じゃ嫌な物をその後大き目のスーパーへ行って買い足すんだ。海水浴の週の土曜なら全員揃うだろ? そこで行こうと思うんだ」

「私と小日向は構いませんが……」

「奏さん、明けですよ?」

 

 翼と未来の視線が奏へ向くも、向けられた本人は平然と笑った。

 

「別にいいさ。あたしよりも仁志先輩の方が心配だよ」

「大丈夫。その日はマリア達の家で仮眠を取らせてもらうから」

「では、出発は何時頃になりますか?」

「そうだなぁ……じゃあ、みんなはマリア達の家へ一時半集合でどう? 俺は一人でレンタカーを借りに行って、あの家の前まで行くから」

「ん。翼、クリスとエルへ連絡」

「もうやってる」

「早いですね」

「聞きながら文面を作っていたからな」

 

 自慢げに返す翼に仁志達は苦笑する。この世界へ来て翼はメールなどで文字を打つ速度が飛躍的に向上していた。

 それは彼女が初期から連絡役を担っていた事もあるのだが、一番は動画のコメント返しを最初の頃は日課にしていたからだろう。

 さすがに今はもうしていないが、本当に初期の頃は生真面目な翼らしく全てのコメントへ丁寧にコメントを返していたのだから。

 

 奏も最初だけはやっていたのだが翼程長続きせず、早々に概要欄にコメントが増えたので返す事は無理と書き込んだのだ。

 マリアは最初からコメント返しをしないスタンスを取り、翼もマリアが動画を投稿するタイミングで寂しく思いながら奏と同じコメントを概要欄に書き込んで現在に至る。

 

 そしてクリスとエルフナインからの返信を受け、土曜の昼に海水浴後のイベントのための外出が決まった。

 

「こうなるとその日も待ち遠しいなぁ」

「未来、今のあんたの言葉、絶対響が言ってる」

「うん、間違いない」

「というか、おそらく今のタイミングで言ってたと思うぞ、俺は」

「ふふっ、実は私もそう思いました」

 

 この後、仁志は自分の部屋へ戻る事にして三人へ別れを告げて出て行った。さて、普段の状態へ戻った翼達は当然先程の事を話題に会話を――しなかった。

 

「ホントに仁志先輩があたしの手料理食べたがってるの?」

「はい。だって、本人が私に言ったんですよ? あと言ってないのはセレナちゃんを除けば奏さんだけって」

「でもさ、ならどうしてさっき言わなかったのさ?」

「多分だけど、仁志さんの事だから勤務中に言おうと思ってるかも」

「あっ、それありそうですね」

「勤務中に、かぁ……」

 

 ぼんやりと奏の中には休憩中に話題として振られるのが浮かんでいた。

 

「きっとそうですって。もう切歌ちゃんも作ったみたいだし」

「切歌も? そっか。こりゃあたしもやってあげないといけないね。てか、いっそ言われる前に作ってやるか」

「ふふっ、仁志さんの事だからきっとそうされたら驚くだろうね」

「うし、早速明日作ってやろうかな。翼、そういう訳だから」

「うん、了解。明日の朝食は小日向と二人で食べる」

「よろしく」

 

 そんな会話が展開されたとは知らず、仁志は自室にて思いもよらぬ訪問を受けていた。

 

「何か悪いな。勤務前だってのに」

「いいよ。それで、相談って?」

 

 クリスから今後の事で相談があると言われたのである。既に仁志は夕勤の要であるクリスには、少しだけ事件解決後の事を見据えた動きを話していたのだ。

 

「ああ。その、店の事だ。今募集をかけてるのが夕方と深夜。で、どっちか採用になったらあいつか片翼の先輩が辞める方向」

「そうなる」

「で、だ。そうなった後はあいつや片翼の先輩はどうすんだ?」

「そこなんだけど、今、広めの部屋を探してるんだ。最低でも3LDKの」

 

 それだけでクリスは何かを察した。

 

「……あたしらと先輩達を合流させるって?」

「そう出来たらなと」

 

 長きに渡り施設暮らしをしていたマリア達や自室へのこだわりが薄いセレナとエルフナインと違い、一般家庭で育った響や未来はやはりどこか個室が欲しいと思っている。

 翼や奏、クリスとて恵まれた環境での暮らしは短くないため、可能ならば自室が、あるいはプライベート空間が欲しいと思っているのだ。

 

「響と未来は寮生活で同じ部屋だったろ? だから一室でも平気だと思うんだ。で、翼と奏もきっと割り切ってくれる」

「あたしが一人で部屋を使っていいって?」

「もしくは翼とかな。奏が夜勤を辞められない場合は、さ」

「成程な」

 

 理解出来たとばかりに頷き、クリスは腕を組んだ。その豊かな胸を持ち上げるような形となり、仁志は一瞬だけそこへ目を向けてしまってから慌てて逸らす。

 

 それをクリスがそれとなく見ていると知らずに。

 

(あー、ヤバかった。どうしてもああされると一瞬見ちゃうよなぁ)

(見てた、な。そ、そうか。正面でこうされると見ちまうのか。覚えておこう……)

 

 それぞれ異なる意味合いで顔を赤くする二人。さて、普通であればここで響がやってきてとなるのだが、生憎彼女は今……

 

「はい、24円のお返しです。ありがとうございました」

 

 絶賛バイト中なのである。いつものように太陽の如き笑顔で店内に愛想と活気を振りまいていたのだ。

 

 そう、クリスは響がバイトである時間を狙って仁志の部屋を訪ねていた。テレビなどもない隣の部屋にいれば、嫌でも仁志の帰宅は察知できるもの。

 帰ってきたのを見計らって訪問すれば確実に仁志と話せる。しかも今回は邪魔も入らない二人きりでだ。

 

「で、相談ってその事だけ?」

「いや、もう一つある。その、こっちは仕事とは関係ないんだけどな」

「そうなのか? えっと、じゃあ」

 

 どういう事だと、そう聞こうとした仁志へクリスの小柄な体が飛びこんできた。反射的に受け止めた仁志の背中へクリスの華奢な細腕が回される。

 

「く、クリス?」

「あたしは言ったぞ。留学が終わったら、お前と、仁志と一緒に暮らすって」

「そ、それは聞いたけど……」

 

 仁志の胸板へ押し付けられるクリスの豊かな乳房。その感触に仁志は気付いていた。

 

(こ、この感じ……まさかノーブラっ!?)

 

 動揺する仁志へクリスは顔を上げて告げる。己の紛れもない想いと覚悟を。

 

「あ、あたしは仁志とならそういう事だって出来る。ううん、したい。それを、分かって欲しいんだ。その、悪意とか関係なく、あたしは本気で仁志を、その、す、好き、だから……」

「クリス……」

 

 素直じゃないクリスがどもりながらも告げた本音。その意味に、その重さに、その温かさに、仁志は動揺を沈めて凛々しくクリスの頬へ手を添えた。

 

「ありがとう。それと、分かってるよ。クリスが、そこまで思ってくれてたって。悪意は君の気持ちを利用して俺へ迫った事も」

「仁志……」

「そして今の言葉が君にとってどれだけ勇気と覚悟が必要だったかも、分かってるつもりだ。本当に、ありがとう」

 

 そう告げて仁志は顔を上へ向けて息を吐くと、もう一度クリスへ顔を向けた。

 

「クリス、目を閉じて」

「え? あ、ああ……」

 

 また以前のように頬へキスをしてくれるのか。そう思ってクリスはどこか嬉しそうに目を閉じる。

 だが、今の仁志はやっとある意味での覚悟が完了した。悪意など恐れて大事な女性達の心へ傷を作る事は出来ないと、そう思って。

 

(来るなら来てみろ。俺は、お前なんかに操られるものかっ! 俺は、クリスの想いに応えたいんだよっ!)

 

 そんな強い気持ちと共にクリスへの想いを込めて仁志はそっと彼女の唇へ自分の唇を重ねた。

 

 それは、一瞬であり、だけど永遠のようにも感じられた刹那の間。

 自分がされた事に気付いてクリスが目を開けた時には、もう触れ合っていた温もりは失せていた。

 ただ、微かな名残をその唇に残して。

 

「仁志……い、今の……」

「言ったはずだよ。俺だってしたくない訳じゃないって」

「そ、そうだけどさ」

「悪意が君達を通じて俺へ入り込もうとしてる。だけど、それを恐れて君達の心を傷付けるのは嫌なんだ。信じられないと誰かを傷付けるよりも、誰かを信じて自分が傷付く方がマシだって、そう思うから」

 

 告げられた言葉にクリスはゆっくりと表情を微笑みへと変えていく。

 

(ああ……やっぱあたしの目に間違いはねぇ。この人は、仁志は、あたしが惚れた男は強い人だ……)

 

 潤んだ瞳へ見つめる仁志に心を温かくし、クリスはその気持ちのまま口を動かした。

 

「なぁ、もう一度、してくれよ」

「……分かった」

「んっ……」

 

 今度は躊躇なく言えた言葉への仁志の答えも躊躇いがなかった。目を閉じてとの言葉もなく、ほぼノータイムでされるキスにクリスは嬉しそうに静かに涙を流しながら目を閉じる。

 抱き締める腕に合わせるように背中へ回った腕へも力が入り、それさえも喜びに変えてクリスは思うのだ。

 

 好きになって良かった。想いを伝えて良かった。この人に出会えて良かった、と。

 

――あたしは、この人と一緒に生きたい。仁志の傍で歌って、パパとママのような関係になりたい。二人で、パパとママの夢を叶えていきたいっ!

 

 クリスがそう心から思った瞬間、依り代から通知音が鳴る。それに反応して二人はキスを切り上げて顔を依り代へと向けた。

 

「……今、鳴ったよな?」

「ああ、鳴ったな」

「確かめて、みるか」

「そう、だな。そうした方がいいと思うぞ」

 

 仁志が依り代を手に取り、クリスはそのすぐ横から覗きこむ。ゲームを起動すると、久々となる通知が表示されていた。

 

「タップするぞ」

「ああ」

 

 そうして表示されたのは“ステータスが更新されました”との文字。ならばとステータスを表示させると特に変化なし。

 

「これは……?」

「どういうこった?」

「分からない。念のため一旦ギアを展開してもらえる?」

「分かった」

 

 聖詠を唱え、クリスの身を赤いイチイバルのギアが包む。

 

「……特に変化はないな」

「よし、じゃあちょっとアイコンを……」

 

 クリスのアイコンをタップし、ギア一覧とも言うべき画面を表示させる仁志。

 すると、そこに見慣れぬ表示が増えていたのだ。そのアイコンをタップすると……

 

「これは……」

「リビルド、だな」

「じゃあ一種のエクスドライブ解禁だ。それ、見かけは通常ギアでも出力がエクスドライブ近いってギアだし」

「そうか。って、これって、その、も、もしかしてキスしたから、か?」

「……正直それしか理由が思いつかないよな」

 

 そこで揃って赤面して俯く仁志とクリス。今頃恥ずかしさが出て来たのだ。あの二度目のキスは互いに雰囲気に飲まれていたという証拠である。

 そしてそこで二人は軽く相談する事に。何せリビルドという擬似エクスドライブが可能となったのだ。

 これは全員へ報告する必要がある。だが、当然そこでどうしてそうなったかを言う事になる。それをどうしようと話し合ったのだ。

 

「やっぱり正直に言うべきだと思うんだけど……」

「あ、あのなぁ、んな事してみろ。その、あいつがあたしへ何て言うか……」

「ま、まぁそれは……」

「それに、だ。あいつや先輩だってきっと迫るぞ。その、実験とか実証とか理由をつけて。そ、そんな理由でキスさせていいのかよ?」

「…………それはたしかに」

 

 したくないとかではなく、ステータスの変化理由を確かめるという理由でキスを迫らせるなどダメだ。

 仁志はそう思い、ならばと彼なりの妥協点を考え始める。どういう事情があれ、嘘は吐きたくないという仁志なりのこだわりであった。

 

(本当にキスをしたからじゃ、きっとクリスの言った通りになる。まずは全員へ話すんじゃなくて個別に話す事にしよう。で、そこで俺が響達へはクリスの時と同じ事を再現しよう。その、ちゃんと彼女達に向き合って。切歌達へは……強く想いをぶつけ合ったとかでいいかな?)

 

 少なくても嘘は言っていない。そう結論付け、仁志はクリスへその方針を伝えた。

 

「……ま、後輩達にはそんな言い方でいいだろ。でも、嘘を吐かないようにって苦労するぐらいなら」

「クリス、君達は俺へ女性としての想いを告げてくれた。明確な異性としての好意を。ただ、切歌や調、セレナはそうじゃないだろ? 三人は俺を兄とかの兄妹愛やそれに似てる感情で見てると思うんだ」

 

 それに関しては若干の疑問を浮かべるクリスであったが、自分がそこへ口出しするのもどうかと思って飲み込んだ。

 そうしてもう既に先程までの甘い男女の雰囲気は霧散してしまい、クリスは若干の寂しさを覚えながら部屋を出ようと動き出す。

 

「じゃ、またな」

「あっ、クリス。ちょっと待って」

「ん? なんっ……」

 

 仁志へ背を向けて靴を履いたところで呼び止められ、クリスはその場で振り向いたところでキスされた。

 

「……お休み。良い夢を」

「…………バカ」

 

 優しく微笑む仁志へクリスは顔を背けてそう呟くと部屋を出て行った。

 そしてすぐ隣の部屋のドアの鍵を開け、静かに靴を脱いで部屋の奥にある布団を敷くとそこへ倒れ込んだ。

 

(何だよっ! んなのズルいだろっ!? 不意打ちであたし様の思考をハイジャックたぁいい度胸じゃねーかっ! おかげでもう頭ん中仁志の事でいっぱいだってのっ!)

 

 枕へ顔を埋めて両足をバタバタさせるクリスだったが、その動きがやがて止まる。

 

「…………やっぱ、もうあたしダメかもしれねぇ」

 

 このままここで暮らしていきたい。仁志と二人で支え合い、求め合って生きて行きたい。

 そうクリスは思って仰向けに寝転んだ。

 最早見慣れた天井を見つめ、クリスは心の底から呟く。

 

――仁志と……ずっと一緒にいたい……。

 

 するとその呟きに呼応するようにクリスへ聞こえる声がある。

 

――なら、いればいい。どうせ本部の時間は止まってる。あたしの時間も止まってるようなもんなら、いつまでだって一緒にいれるじゃねぇか……。

――でも、おっさん達を助けて悪意をぶちのめさねーと気が済まねぇ。

――ばーか、考えてもみろって。こんなあったけぇ場所と時間、なくしてもいいのかよ? 下手したら、いや、まず間違いなく二度と来れなくなるぞ? それでもいいのか?

――やだ……。それは、それだけはやだ……。

――じゃあ迷う事はねぇ。悪意なんかどうせ何も出来ないんだ。ゲートを閉じてこっちにあたしらがいる時点であいつに打てる手はねぇ。それに、まだゲームの謎も解き切ってねーだろ。それを解いてからでもおっさん達を助けるのは遅くはねぇ……。

――そう、かな? ホントにそれでいいのか……?

――いいに決まってんだろ。それに、元に戻せても、だ。あたしは留学しないといけねぇ。外国で一人ぼっちだ。仁志に会えず、あいつらとも別れて、今のあたしは本当に平気か?

――っ!?

 

 クリスの中を恐ろしい程の孤独感が駆け巡る。愛する男と別れ、あったかい人達と離れ、たった一人となる自分を想像して。

 さっきまでのあったかさが一転、凍えるような寒さへ変わる。心の光が失せ、闇が包む。悪意が、笑みを浮かべた。

 

――ここでみんなで暮らそうぜ。何もずっとって訳じゃねぇ。せめて一年だ。それなら、きっとおっさん達も許してくれるさ。今までのとこれからの装者として過ごせなくなる平和な時間を、ここで少しばかり過ごさせてもらおうってだけさ……。

――……そうだな。少しだけ、少しだけなら……大丈夫だ……。

 

 そう呟いてクリスはゆっくりと目を閉じて眠りへと落ちる。夢も見ず、クリスは眠る。意識を深い闇の中へ沈ませるように。

 

 やがて時間は過ぎ、部屋へ響が帰ってくる。その手には店で買ったのだろう商品を入れた袋を下げて。

 

「ただいま。クリスちゃん、お土産買って……あれ?」

 

 普段であれば明るい室内が暗いままで、しかも既に布団が一組敷かれている。更にそこで横になっているクリスの姿を見て響は珍しい事もあるなと思って首を傾げた。

 

(どうしたんだろ? クリスちゃん、絶対私がバイトの時は出迎えるまで寝ないのに……)

 

 余程疲れたのだろうか。そう思いながら響は静かにドアを閉め、靴を脱いだ。

 そして明かりを点けようか迷ったが、起こすのもどうかと判断して暗いまま響はゆっくりと布団へと近付いた。

 

「……パジャマじゃない?」

 

 部屋着のままで寝ているのを見て、響はおぼろげに状況を理解していた。

 

「きっと寝るつもりはなかったんだ。でも、横になってて寝ちゃったんだね」

 

 ある意味で正解ではあるのだが、生憎響へ真実を告げられる存在はそこにいない。

 とにかく響はならばとクリスを揺さぶった。

 

「クリスちゃん。起きてクリスちゃん。せめて着替えて寝た方がいいよ」

「んっ……んんっ」

「あと、汗流しに行かなくていいの? 汗の匂いさせたままだと仁志さんに……意外と仁志さんなら気にしないって言うかな?」

「あたしが気にするってんだよ……」

 

 低く呻くような声が聞こえ、響は視線を下へ向ける。そこには眠そうな顔で自分を見つめるクリスがいた。

 

「あっ、起きた」

「起きた、じゃねぇ……。起こしておいて何言ってやがる……」

「でもさ、この季節は毎日汗を流した方がいいよ。私もこれからマリアさん達のお家へ行くつもりだし」

「……わりぃ、あと三分だけ待ってくれ。軽く顔を洗う」

「はぁ~い」

 

 フラフラと流しへ向かうクリスの背中を見つめ、響は小さく苦笑する。

 この後、二人揃って部屋を出てマリア達の家へと向かう。

 

「どうして寝てたの? 疲れた?」

「……気が付いたら寝てたんだよ」

「珍しいね。待ち疲れた?」

「そういう訳じゃねーよ。その、ちょっと店の事で仁志と相談してたからな。色々考える事があってそうしてたらって感じだ」

 

 向かう途中の会話は、これまでもあったような他愛ないもの。屈託なく笑う響と素っ気無いようでちゃんと相手をするクリスという、何ら変化のない二人。

 

 だが、クリスに根付いていた悪意は再び芽吹いて蕾を付けている。しかしまだ花咲くつもりはなかった。

 

――まずは一人。乗っ取るのは容易いけれど、それはまだ待ちましょう。装者達全員が咲ける時まで、ね。あはは、あははははっ!




クリス、闇に堕ちる。皮肉にも心を光で満たした事が闇を呼び込む結末へ繋がりました。
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