シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

36 / 60
まさかの水着再び。今回はそれだけです。


デンジャラス・サンシャイン

「よし、みんな乗ったな? シートベルトを忘れずしてくれよ?」

「「「「「「「「はーい(分かった)」」」」」」」」

「クスッ、奏まで立花達と一緒になって言わなくても……」

「ったく、悪乗りしてんな」

「ホントね。まぁ、仕方ないわ。完全に旅行だもの」

「いいじゃん。乗り物まで若干バスっぽいし、何だか慰安旅行とか修学旅行みたいでワクワクするよ」

「ですよね! 私も楽しみで楽しみでっ!」

「デスデスっ! 早起きも今日は辛くなかったデスよ!」

「へー、じゃあ目覚ましでちゃんと起きたエルやセレナに何度も揺すられて起きたのは誰だったんだろう?」

「切歌お姉ちゃん、嘘は良くないと思います」

「うん。切歌さん、何度ももう少しもう少しって」

「たしか調がこのまま置いていくと言ったら飛び起きたな」

「そ、それは言わない約束デスよぉ!」

 

 切歌の言葉にみんなが笑うのを聞きながら、俺は一人運転席周りの微調整。今日はいよいよ海水浴へ行く日である。

 

 天気は雲一つない快晴、とはいかないが夏らしい入道雲が見えるいい天気だ。

 時刻は午前七時半になるかならないか。おかげでまだ暑さが辛くない。

 

 実は今から海水浴場へ向かう前に買い物へ行くのである。朝七時から開いてるスーパーがあるのでそこへ寄って飲み物やお菓子を買っていくのだ。

 そのために俺は朝からこの車を借りに行った。ちょっと大変だったけど、みんなのためなら早起きぐらいへいき、へっちゃらだったりする。

 

 前回は事前の準備も何もなく、ただ遊びに行っただけ。今回は海水浴だけじゃなく、その前からイベントにしたかった。

 そのためにマリアと調は唐揚げなどのおかずを、未来はサンドイッチ、クリスはおにぎりを作ってきてくれている。お昼ご飯という訳だ。

 まぁ、腐ったりしないように保冷剤入りの保冷バッグも用意している。クーラーボックスには沢山の氷と、俺は俺なりに準備してきた。

 

 重かったけどね、クーラーボックス。ただ、帰りは軽くなってるのでよしとする。駐車場に着いたら海までは奏に頼もう。

 

「うし、じゃあしゅっぱーつっ!」

 

 ブレーキ踏みながらエンジンをかけて、ギアをドライブへ入れてからサイドブレーキを下ろす。

 

 こうして夏最後の大イベントは始まった。

 

 で、前回は早々に寝ていたので知らなかったが、どうやらみんな俺の歌ってる動画を見たらしい。

 それを響とクリスだけがあのバスの中で知って翼達へ不満を述べた事を話題に、エルとヴェイグがどうしてという疑問を問いかけていたのだ。

 というか、声に出す事はしないがヴェイグ、やってくれたな。まさかマリアだけじゃなく翼達にまで見せるとは。いくら何でも恥ずかしいっての。

 

「なぁ、それってやっぱ最後に歌ったやつか?」

 

 ただ肝心の歌ったものが分からない。多分ラストだと思うんだが、違うのかね?

 

「え? あ、えっと」

「君の中の永遠デスっ!」

 

 思わずブレーキを踏みそうになった。それでも何とか落ち着いて信号で停止。

 

「な、ナンデソレヲ?」

「あ、あの、姉様が好きな歌だったのでつい。いけなかったでしょうか?」

 

 バックミラー越しのエルの申し訳なさそうな声と表情に何か言う気が失せた。

 えっと、何? つまりみんなして俺がラブソングを歌うところを見た訳で、しかもそれを響やクリスが知らなかった事を不満に思うって事は……。

 

「ま、いいよ」

 

 あっさり言い放ってゆっくりとアクセルを踏む。車体が静かに加速を始めて動き出す。俺の心と同じように。

 もう今の俺にとっては今更な事だ。あの頃は、響達の好意へ向き合うのを恐れてた。素直に俺の気持ちを伝えるのを怖がっていた。

 だけど、もうそんな俺は過去になった。今の俺はちゃんと好きだと伝えられるんだ。

 

 何故かざわっとする後ろと横に小さく笑みを浮かべて俺は告げる。

 

「そんなに聞きたいのなら今度聞かせてやるよ。ある意味とっておきのラブソングを、さ」

「「「「「「「「ええっ!?」」」」」」」」

 

 聞こえてくるのは見事に女子高生以上の女性達の声。チラッとバックミラーを見れば不思議そうに小首を傾げるエルとセレナにヴェイグが見えた。

 

「ち、ちなみに何て曲名か教えてもらっても?」

「いいぞ。神魂合体ゴーダンナーだ」

 

 その瞬間、間違いなく肩透かしを食らったような空気が流れた。

 まぁ、どう考えてもまともなラブソングではないと思うよな。

 ところがぎっちょん。これが割と熱くて燃える、聞き様によってはラブソングなんだよ。

 

 と、まぁこれはある意味でブラフ。今の俺なら、みんなの前でラブソングを歌う事が出来る。

 本当の本当に、それらしいのを歌ってやろうじゃないか。だけど、俺らしい感じの歌で、さ。

 

「おおっ、中々カッコイイデス」

「切歌さん、見せてください」

 

 どうやら後ろではエルのスマホで早速ゴーダンナーが検索されたようだ。

 

「っと、ここだここだ」

 

 一旦右折する。危うく目的のスーパーを通り過ぎるところだった。

 

「ちょっと、大丈夫なんでしょうね?」

「心配いらないよ。この辺は一人暮らしするまでは活動範囲だったんだ」

 

 家から車で十分圏内だったからな、ここ。よく母さんの夜勤の買い物のために来たもんだ。

 

「じゃ、仁志さんのお家、この辺りなんですか?」

「いや、家自体はここから車で十分ぐらい行ったところにある……マンションのような外観のアパートだ」

「一軒家じゃないの?」

「違うよ。もっと言えば持家でさえない。借家だよ」

 

 そうやって話しながらふと父さんと母さんはどうしてるのかと思う。

 一人暮らしを始めて一年ぐらいは連絡を取ってた。というか、向こうから取ってくれていた。

 だけど、段々年月が経つ内に連絡が減り、もうここ五年ぐらいなんて声さえも聞いてない。

 

 それでも毎年正月と誕生日にメールぐらいは来る。逆に言えばそれだけだ。

 

 で、何故これをみんなに言わないのかは、言うまでもなくどう反応されるか分かっているから。そう、確実に俺が責め立てられる。

 

 ま、分かってはいるんだ。悪いのは自分だって。だけど、それも今のようになったからであってなぁ。

 

「お兄ちゃんのお母さんは看護師さんなんだよね」

「ああ、そうだよ。よく覚えてたな」

「えへへ」

 

 早い時間だけあって駐車場はガラガラ。ただし、食料品売り場に近いところはちらほらと埋まっている。

 なので若干離れたところへ駐車する。バックモニターに頼る事無く慣れている、というか教わったアナログ方式でゆっくりとバック。

 

「……よし」

「みんな、降りていいわよ」

「響さん、入口まで競争デス!」

「いいよ!」

「僕も参加します」

「私も!」

 

 マリアの声で弾かれるようにシートベルトを外して動き出す切歌に響。今ではそこにエルとセレナも仲間入りだ。本当に年頃っぽくなったな。

 

 だが、駐車場でそんな事をしようとすれば……

 

「「「「ダメ(だっての)」」」」

「「「「っ」」」」

 

 マリアを始めとするそれぞれの頭の上がらない人間からの制止が飛んでくると、こういう訳だ。

 

「切ちゃん、車が少ないとはいえ駐車場だよ? もし何かあったらどうするの?」

「あうっ、ご、ごめんなさいデス……」

「おめーもだ。年上のくせして何乗っかってやがる。ちゃんと注意しろって」

「ううっ、ごめんなさい……」

「セレナちゃんもダメだよ。お姉ちゃんならエルちゃんを止めないと」

「は、はい。ごめんなさい」

「エル、今の貴方はヴェイグを抱えてるでしょ? なら余計いつもよりも気を付けないと」

「はい……ごめんなさい姉様」

「あ~あ、やっぱりこうなるか」

「だね」

 

 奏と翼はそんな光景を見て苦笑している。まぁ俺も似たようなもんだ。

 ただ、何というか、切歌が調に注意されてるのは分かるんだが、響を注意してるのがクリスで、セレナを注意してるのが未来な辺りに小さな感動を覚える。

 

 で、チラリと切歌が俺の方を見てくるのは助けてくれって事か。

 仕方ない。可愛い弟子を助けてやりましょう。

 このままじゃ長引きそうだし、イベントの始まりからケチが付くのは避けたい。

 

「あー、マリア達もそれぐらいにしてやってよ。ほら、こんな状況は初めてだろ? みんなテンションが上がってるんだ。たしかにちょっと短慮だったかもしれないけど、ここは一つ穏便に。ほら、切歌達ももう一度謝って」

「「「「ごめんなさい(デス)」」」」

「な? 四人も反省してる事だし、まだ始まったばかりなんだからさ」

 

 そう言うとマリア達も表情を緩めた。多分だけど四人もここが退き時と思ったのだろう。

 

 我が家だと、こういう役割は必要なかったなぁ。母さんは父さんが俺を叱ってる時は基本ノータッチで逆もまたしかりだし。

 ただ、それは俺が完全に悪い時である。そうじゃない場合は程々で切り上げてくれるものだが……

 

 と、そこで思い出した。みんなはそこまで親に叱られた経験が多くないんだと。

 

 未来と響は一般家庭だけど、響は例の一件で家では迷惑をかけないように良い子をしていたはずだし、それ以前からもそこまでお転婆ではなかったと、思う。

 未来は未来で雰囲気的に家庭で激しく叱られる事をしなさそう。うん、両者共に親から叱られた回数が俺より少ないと見た。

 

 マリア達は言うまでもない。彼女達はそもそも親に叱られる経験自体が少なかったはずだ。

 もしくは、そうと思わず過ごしていた、かもな。特にナスターシャ教授はおっかなかっただろうし、叱るのが躾けではなく教育に近かっただろう。

 

 俺は自信がある訳じゃないが、これでも優等生ではなかったから叱られた経験なら星の数程ある。

 だから今の切歌達の気持ちもマリア達の気持ちも何となく分かったし。

 

 にしても、久しぶりに自信がある事があったと思えば叱られた経験とか、本当に何の自慢にもなりゃしないな、我ながら。

 

「とりあえず、今はみんなで買い物だ。で、代金は俺が支払うので制限を設けまーす。飲み物は車内用と海用で一本ずつ。お菓子は一人一つまで。ただし、大きな袋菓子は数が多いと邪魔になるので五つまで。それ以上あった場合、最終チェックで撥ねてマリアに戻してもらいますのでそのつもりで」

「何で私?」

「この中で一番年長でお母さん感強いから」

「……否定出来ないわ」

 

 以前であればどこかに嫌がる感じがあったのに、今はそれがまったくない。しかも、こちらを一瞬ではあるが見て笑みを見せる、か。

 

 ……これ、我ながら言葉の選択をミスした気がする。

 

「あの、少しいいでしょうか?」

「はい、翼」

「車内用は分かるのですが、海での飲み物が一本とは少々心もとない気が」

「ああ、そこは分かってるよ。俺はみんなで飲めるように大きなペットボトルでお茶だの水だのを選んでおくから」

「そういう事ですか。なら納得です」

「うし、じゃあ早速行くか。でかいお菓子はあたしの方で選ぶとするよ」

「あっ、奏さんズルい」

「そうデスそうデス。おーぼーデス」

 

 言いながらみんなが車を降りて行くのを見送り、俺はやっと運転席から降りた。

 鍵を閉めて歩き出すと車のすぐ傍で待っててくれたのか翼が立っていた。

 

「翼、みんなと一緒に行かなかったのか?」

「仁志さんを一人にするのは忍びなかったもので」

「気を遣わなくてもいいのに。でも、うん、ありがとな」

「い、いえ、これぐらい感謝される程の事でもありませんから」

 

 隣り合って歩くと気分は恋人と言うか何というか。

 彼女も、俺と一線越えてもいいと思ってくれている。そう思うと嬉しくもあり苦しくもある。

 

「そういえば、先程セレナが仁志さんの母君は看護師をしていると」

「ああ、うん。準看だけどね」

「じゅんかん?」

「多分準看護師って事だと思うよ。正看、正看護師ってのがあるから」

「そういう事ですか。仁志さんの父君はどういう仕事を?」

「もうそろそろ定年を迎えるけど、町工場で加工業をやってる。タバコぐらいしか金の使い道がない、しがない作業員だよ」

「御自分の父親への当たりが強いですね」

「ま、男同士なんてそんなもんだよ」

 

 と、そう言ってからふと翼へ顔を向ける。すると目が合った。

 

「何ですか?」

「いや、えっと……こう考えると男ってやっぱり多かれ少なかれ不器用なんじゃないかなってさ」

「……そう、かもしれません。でも、だからこそ今の私があります。お父様の注いでくれたものは、この身にしかと宿っていますから」

「そうだな。君の味覚の鋭さも、知識や性格も、どこかに八紘さんが宿ってる。風鳴翼の中には、ちゃんと風鳴八紘が残ってるんだ」

「……はい」

 

 少しだけ触れてくる手が翼の想いと気遣いを表してて若干くすぐったい。だから俺も手の甲を合わせる。

 握りたいけど今はダメと、そう互いを律してるんだと伝え合うように。

 

「仁志さん」

「ん?」

「私は、いつでも只野翼になりますからね?」

 

 そう言って翼はこっちへ妖艶に微笑んでみせた。

 その威力は思わず足を止めてしまう程凄かった。

 店の中へ入っていく翼の背中を見つめながら、俺は頭を掻く事しか出来ない。

 

「強いよなぁ、女の人って」

 

 マリアもそうだし奏もそうだ。そしてここに来て翼も覚悟というか、はっきりと女を見せてきた。

 俺が全員と言ったのなら、それを貫いてみせろとばかりに迫ってきた。

 俺の迷って悩んで何とか出した覚悟なんて、彼女達のような命懸けの状況などを経験した人からすればあっさりと出せるのかもしれないな。

 

「だけど、俺は俺だ。誰かと比べたって仕方ない。比べるなら過去の俺と比べよう」

 

 自分に言い聞かせて歩き出す。とっくにみんなは買い物を始めているだろうから少し駆け足。

 すると買い物カゴが置いてある場所にクリスとマリアが立っていた。

 

「遅いっての」

「もうみんな動いてるわよ?」

「ごめんごめん。その、待っててくれてありがとう」

 

 感謝を告げると二人揃って小さく微笑む。やっぱりこんな事でも感謝を告げるのは大事だな。

 カゴを俺が持って三人でまずは飲み物確保へ動く。目指す先は2リッターのペットボトルがずらりと並ぶ飲料コーナーだ。

 到着すると色取り取りのラベルを纏った飲料がお出迎え。さて、まずは何から選ぼうか。

 

「とりあえず基本的なのを買っておこう」

「お茶は……緑茶がいいわね」

「スポーツドリンクは……メーカー品だな」

「いっそお茶は紅茶も買っておくか? 砂糖の入ってない奴なら食事の時にも飲めるだろ?」

「そうね」

「だな」

 

 こうしてると本当に家族みたいだ。あるいは仲良しサークルか何かかも。

 そしてどんどん重くなる買い物カゴ。カートにすればよかったとここで後悔。

 いや、筋トレだと思えば……。

 

「ちょっと仁志、大丈夫なの?」

「腕、震えてきてんぞ」

「あー、クリス、カート頼んでもいい?」

 

 残念ながら俺の腕力では10キロ以上を片手で支えるのは不可能らしい。

 両手で持てば平気だけど、出来れば楽したいのであっさりと掌返し。

 仕方ねぇなと苦笑してクリスがカートを取りに行ってくれ、俺は邪魔にならない場所へカゴを置いて一休み。

 

「ふふっ、完全にお父さんね」

「まぁ、年齢的にはなくはない呼ばれ方だしな」

 

 中学時代の友人が結婚したと聞いたのは二十五歳ぐらいの時だったか。しかも姉さん女房。職場の同僚とか言ってた。

 まぁしっかりした奴だったし、頭良かったけど進学校じゃなく工業高校へ行って資格だのなんだのを取ったぐらい現実的な奴だったからそこまで驚かなかった。

 たしかもう子供が二人いるんだっけか。しかも男の子だったと記憶している。会わないし年賀状のやり取りなどないが、未だに時々向こうからメールが来る。

 

 ……今にして思えばそういうとこが結婚出来るか出来ないかの差なんだろうと分かる。俺は人間的に子供もいいとこだったしな。

 

「いてっ!」

 

 急に額に痛みが走る。視線を動かせばそこには呆れ顔のマリア。

 

「な~に沈んだ顔してるの? さっきの切歌達よりも酷いわよ?」

「……過去の自分の未熟さを噛み締めてただけさ」

 

 おそらくだがデコピンされたんだと思う。てか、この流れってXVでの翼とのやり取りに似てるな。

 

「そう。ならいいけど、そんな顔、みんなの前では見せないように」

「ああ、分かってるよ。これから楽しい時間を過ごすんだからな」

「そういう事。いつもの貴方に戻ってくれて良かったわ」

「っ」

 

 思わずドキッとする。何気ない言葉だけど、その、心にくるやつだ。

 

「ま、マリア、今の」

「カート持ってきたぞ」

「ありがとう。仁志、カゴ、乗せてくれる?」

「あ、ああ……」

 

 運良くなのか運悪くなのかカートと共にクリス登場。ま、いいか。今のは甘えた訳でも何でもない。

 

 ……よな?

 

「あっ、ししょー達発見デス!」

「兄様、お菓子選んできました」

 

 そこへ現れるは切歌達年少組。その手のカゴにはお菓子を沢山……って程でもないな。むしろ少ないぐらいだ。

 ただ、何故か調の表情が険しい。切歌へ軽くジト目を向けているし、これは何かあったな。

 

「えっと、これだけ?」

「えへへ、実はデスね」

「……切ちゃん達は海に行ってかき氷を食べようって思ってるんです。仁志さんからもらった特別ボーナスがあるからって」

「アタシの頑張りに対してししょーがくれたゴホウビデスし、ここはエルやセレナの笑顔のためにって感じデスよ」

「兄様、海の家のかき氷は美味しいんですよね?」

「ね?」

 

 エルとセレナの確認にどう答えたものかと頭を悩ます。ただ、ここは言うべき事は言っておこう。

 

「切歌」

「? 何デスかししょー」

「そのかき氷は、お昼を食べる前か? それとも後か?」

 

 その瞬間切歌の笑顔が固まった。うん、やっぱり忘れてたな。だから調が若干不機嫌なんだ。

 

「え、えっと……それは当然」

「後、よね? 私や調が頑張って早起きして作ったおかずもあるし」

「で、デスデス……」

「でも切ちゃん、さっきは少し泳いだらって言ってなかった?」

「いっ! あ、あれはデスね?」

 

 調のジト目に切歌がしどろもどろになっていくのを横目に、俺はエルとセレナへ目線を合わせるようにしゃがんだ。

 

「いいか? たしかに海で食べるかき氷は美味しいかもしれないが、それがマリア達の作ったご飯に勝てると思うかい?」

「「ううん」」

 

 フルフルと首を横に振る二人に俺だけじゃなくマリアやクリスにも笑みが浮かぶ。それと、こっそりとヴェイグも首を横に振っていた。

 

 本当に可愛いな、この三人は。心が癒されるよ。

 

「それが分かってるならいいよ。お昼前にかき氷を俺が買ってあげるから。ただし、二人で一つを分け合うんだ。マリア達のご飯を美味しく食べるためにね。いいか?」

「「うん(はい)っ!」」

 

 これが一番だろう。ダメと言うよりは折り合いをつける。そして、ご飯を作ってくれた人への感謝を持って食べる事だ。

 

「こんな感じなら許可出せる?」

「ええ。本当に父親ね」

「おう、見事なもんだ」

 

 装者の中でも母性の強い二人に太鼓判を押されるとは、中々嬉しいじゃないか。

 で視線を切歌へ向ければ調も同じ条件ならと許しを出していた。切歌の場合は調と半分にするんだろうな。

 

「あっ、いたいた。只野さーん」

「お菓子、選んできましたよ~」

 

 未来と響、奏と翼も合流した。さすがにそちらはちゃんとお菓子が人数分入ってる。

 

「マリアとクリスはいいのか?」

「ええ。それに、あまりお菓子ばかりあってもね」

「きっと残っちまうだろ? そうなったら後が面倒だ」

「成程ね」

 

 この辺りに母親適性が出ている気がする。いや、もう帰りの事などを考えているからなぁ。

 

「じゃ、後は個人の飲み物か。じゃあ、切歌達のお菓子を響達のカゴへ移してくれ。で、空になったカゴへ飲み物をまとめてくれるか?」

「了解だよ仁志先輩」

「えっと、緑茶にスポーツドリンク、それに紅茶?」

「無糖なんだ。これなら食事にも使えると思ってね」

「成程。いいかもしれませんね」

 

 カートの上に置かれているカゴの中身を見て翼が頷く。とはいえ、これだけでは少々心もとないのも事実。

 となると追加を選ぶべきか。それも甘いものだな。炭酸系もいるだろう。そうなると残った後の事を考えるなら……サイダーか。それとジュース類もいるな。

 

「エル、セレナ、オレンジとアップルならどっちがいい?」

「「オレンジ(アップル)」」

 

 ありゃりゃ。まさかの不一致。仕方ない。ここは大人しく両方買うか。

 

「分かった。じゃ、両方な」

「「はい(うん)っ!」」

 

 これで五本。そこへサイダーを一本の計六本。総量は12リッター。だけど、正直夏の海ならまだ足りない。

 なのでもう一本水分補給にもってこいの物を。スポーツ飲料とも言えなくはないが、最初のよりもこれは風邪などの時に向いてる奴。

 

「こんなもんかな?」

「いいと思うよ」

 

 聞こえた声に顔を動かせば笑っている奏がいた。

 

「そう?」

「十分じゃん。足りなければ向こうでも買えるし」

「高いからここで買ってるって分かってるか?」

 

 けち臭いかもしれないがこれが俺なのだ。

 いくら収入が増えたところで急に金遣いを変える程俺は気楽にはなれないからなぁ。

 そんな俺を見て奏は苦笑する。そんな姿さえも可愛いんだから美人は得だよ。

 

「分かってるって。でもさ、ここで買い過ぎたら邪魔になるし、程々にしとくべきだと思うよ?」

「むぅ……」

 

 一理ある。クーラーボックスだって四次元ポケットじゃない。

 

「仁志さん、私も奏と同意見です。備える事は大切ですが、何事も適度がいいかと。あのクーラーボックスならそれぐらいがいいのでは?」

「……だな」

 

 翼にまでこう言われてしまっては仕方ない。これで十分だと折り合いをつけ、俺は飲み物の選択を終える事に。

 

「ししょー、ししょーの飲み物はどうするデスか?」

「おっと、そうだった。自分の分を忘れてた」

「仁志さんらしいですね」

「いってきなよ仁志先輩。カートはあたしと翼で見てるから」

「ありがとう」

 

 切歌達がいる辺りへ移動すると既に響が持っているカゴには沢山のペットボトルが。

 それでも響は顔色一つ変えず、両手ではあるがカゴを持っている。俺でも似た事は出来るだろうが笑顔は浮かべてないだろうな。

 

「あとは兄様だけです」

「お兄ちゃんは何にするの?」

「そうだなぁ……」

 

 正直お茶か水にしようと思ってたが、ここは一本ぐらい甘い物にしておくか。

 そう思ってレモンティーを手に取り、もう一本はほうじ茶でもと思ったところである物が目に入った。

 

「ソルティライチ、ね」

 

 海で飲むにはある意味で丁度いいか。そう思ってそれを手に取って俺も二本選び終わった。

 

「響、重いだろ? 俺が持つから」

「あはは……じゃあお願いします」

「うおっ……け、結構な重量だな、やっぱ」

 

 両手で支えながらカートまで運ぶと、翼が下段にあったお菓子の入ったカゴをどかしてくれた。

 

「ありがとう」

「いえ」

「仁志先輩、それどれくらい重いのさ?」

「そうだな……健ドリが満載のオリコンより重い」

「おっと、そりゃ結構な重さだ」

 

 夜勤を経験した人間しか分からない例えに奏が楽しそうに笑う。対するマリア達は小首を傾げていた。

 ただ調や未来は補充で触った事があるのか納得するように苦笑していたけど。

 

 カートを押してレジへと向かう。まず上のカゴを下ろし、次に下段のカゴをレジへと乗せる。最後にお菓子の入ったカゴを受け取るとカートを奏が押してレジを通過――しようとするのを俺が止める。

 

「何?」

「そこにカートを合わせてくれ。カゴを乗せてくれるから」

「ああそういう事ね」

 

 納得という顔で奏がカートを停止すると、やがてレジを通過した2リッターペットボトルの入ったカゴがそこへ乗せられる。

 

「もう持って行っていいよ」

「ん」

 

 さて、一体いくらになるんだろうか。諭吉先生でおつりはくると思うが、一葉さんで足りると助かるなぁ。

 

 そんな事を思いながら俺は徐々に増えて行く金額を眺めるのだった……。

 

 

 

「ししょー、まだデスか?」

「切ちゃん、それ五分ぐらい前にも聞いたよ」

 

 最大十四人乗りの車内は広さこそあるものの大人数で遊ぶには不向きな作りであり、トランプなどで遊べるのも五人程度が限度だった。

 なので遊ぶために持って来ていたトランプなどでは全員が遊べず、切歌としては若干不満が残る結果となっていた。

 それもあって、早く海で遊びたいという気持ちへシフトしていたのである。運転手である仁志へ思い出したようにまだかまだかと催促しているのはそういう事だ。

 

「いいんだよ調。切歌は早くみんなで遊びたいんだ」

「デスデス。さすがししょーは分かってるデスよ」

「でも切歌さん、少し落ち着いた方がいいですよ?」

「はい、僕もそう思います。海で遊ぶ前に疲れちゃいます」

「切歌も外の景色を見たらどうだ。中々楽しいぞ」

 

 テンションが高い切歌へセレナとエルフナインがやんわりと落ち着くように声をかける。

 ヴェイグは窓際の席に座る翼の膝上から外の景色を眺めていた。見慣れない街並みや風景などを見て彼はその表情を緩ませていた。

 

「う~……じゃあじゃあししょーの話を」

「運転中だよ切ちゃん」

「ししょぉ……」

「あはは……すっかり切歌ちゃんは仁志さんに甘えるようになっちゃったね」

「師弟の関係だから、じゃない?」

「いや、それだけじゃなくて仁志先輩が切歌に甘いのも関係してると見た」

「あたしも同意見だ。仁志は後輩達に甘いからな」

「どうしてそこで俺が悪いみたいな流れになるんですかね!?」

 

 さすがに黙ってられなくなったのか声を張り上げる仁志。だが……

 

「ちょっと、ちゃんと意識を運転へ向けて頂戴。今、貴方の操作に全世界の命運が握られているのよ?」

 

 というマリアの軽く嗜める言葉が放たれ、仁志はそこで押し黙るしかなくなるのであった。

 

「暁、菓子でも食べて落ち着け。もしくは何か歌ってくれないか?」

「歌、デスか?」

「ああ、エルから聞いたぞ。例のアイドルマスターという物のCDを沢山借りて聞いたのだろう? 私達にも教えてくれ」

「そういう事デスか。お任せデス」

 

 そこから切歌が歌い始めたのは“READY!!”だった。

 すると、それを既に歌えるようになっていたエルフナインとセレナも一緒になって歌い始め、調も途中から参加しての合唱となった。

 そうなってくると二番のサビを歌う頃にはサビの一部は響達も覚え、最後には彼女達も参加してのまさしく“アイマスらしさ”が溢れる雰囲気となる。

 

 それを聞いて密かに仁志が感動しながらハンドルを握っていた。

 

(うわぁ、装者にエルを加えてのREADY!!とかすげぇ……)

 

 人数だけで考えればフェアリーと呼ばれる美希・響・貴音を抜いた765プロ勢揃いである。

 その事に気付き、仁志は歌が終わると同時に口を開く。

 

「ブラボーっ! 出来ればそのままCHANGE!!!!もお願いしたい!」

「了解デスししょーっ!」

 

 仁志が喜んでくれている。それに笑顔をより明るくして切歌は視線をエルフナインやセレナへ向けた。

 それがどういう意味かを理解し、二人は頷いてみせる。そして切歌は調へも顔を向けた。

 

「調もいいデスか?」

「うん、任せて」

 

 こうして始まる“CHANGE!!!!”に仁志は笑みを浮かべながら運転する。

 車内に流れる歌声と溢れる笑顔。それにヴェイグは一人笑みを深くしていた。

 

(とても優しい匂いだ。いつかの時よりも匂いが強い。こんなの初めてだ)

 

 そう思ってヴェイグは顔を上へ向ける。そこにはサビだけでも覚えて歌う翼の笑顔があった。

 

「翼」

「ん? どうかした?」

「いや、とてもいい笑顔だと思ったんだ。今の翼の歌も俺は好きだ」

「ふふっ、そう。ありがとう」

 

 最近ヴェイグにも素の自分を出せるようになった翼である。というのも、この世界で過ごしている内に彼女が防人足らんと強く思う事が減った事が大きい。

 結果、彼女は防人でも歌手でもない状態が常となった。更に仁志への恋が彼女の中での変化を促したのだ。

 ただの翼。その言葉通り、今の翼は柔らかく笑い、弱い自分を認めて抱き締める事が出来るようになっていたのだから。

 

 仁志の希望で歌われた“CHANGE!!!!”も終わったところで丁度目の前の信号が赤へ変わり、車がゆっくりと減速して停止する。

 

「最高だったよ! もう、本気で金を出したいぐらいだっ!」

「大袈裟よ」

「えへへっ! ししょーにそこまで言ってもらえると歌った甲斐があるってものデスよ」

「仁志さん、他には何かあります?」

「え? そうだなぁ……ジブリ、自分REST@RTは歌える?」

「あうっ、それはまだうろ覚えデスよぉ……」

「そっかぁ。じゃ、逆になんなら歌える?」

「えっと……」

 

 切歌達が覚えている楽曲名を挙げていき、それを聞いて仁志がならばと考え込み、ある曲名を告げる。

 それを聞いて切歌達は任せろとばかりに笑顔を浮かべ、仁志は期待感と喜びに胸を膨らませた。

 と、そこで信号が青へ変わりゆっくりと前の車が動き出して、仁志はアクセルを軽く踏み込み始めた。

 静かに動き出す車体。同時に始まる再度のライブ。

 

「もう伏し目がちな昨日なんていらないっ」

「今日これから始まる私の伝説っ」

 

 切歌と調が歌い始めるのは“THE IDOL M@STER”という曲。まさしくアイドルらしい歌であり、歌っている二人の表情をバックミラーで見て仁志は微笑んでいた。

 

(ここじゃみんなは戦姫じゃなくてアイドルなんだなぁ。それも、ある意味俺だけの、か……)

 

 忘れ去られてしまった“戦姫絶唱シンフォギア”。その中の登場人物であった彼女達の事をしっかりと覚えているのは現状では自分だけ。

 そう思って仁志は小さな満足感と微かな苦しさを覚えていた。自分だけしか彼女達の事を覚えてないという意味を噛み締めたのだ。

 

 僅かな苦みを感じながら聞こえてくる愛らしい歌声へ耳を傾けつつ仁志はアクセルを踏み続ける。

 そうしている内に周囲の風景が変化していく。家々だけではなく水平線が見えてくるようになったのだ。

 

「みんな、海が見えてきたぞ」

 

 仁志の声で全員が一斉に運転席側の窓へ顔を向けた。

 

――おお~っ……。

 

 年少組とヴェイグの声が重なり、響と奏もそれへ声を重ねる。

 以前と違い遠くに見えるのではなく、これからそこへ向かっているためにゆっくりとではあるが近付いてくる海原に誰もが気分を高揚させていく。

 

「向こうに着いたらまず俺はパラソルとか借りに行ってくるからさ。個人の荷物はそれぞれでお願い出来るか?」

「了解デスよっ!」

「分かりましたっ!」

「ったく、相変わらずこういう時の反応は早ぇよな」

「ふふっ、響と切歌ちゃんらしいよね」

 

 呆れ顔のクリスに苦笑する未来。そんな二人も視線は眩しく光を反射している海原へと向けられている。

 

「こうして海が近付くと否応なくテンション上がってくるね」

「そうだね。ヴェイグ、今回はちゃんと海岸や砂浜をその目で見れるから」

「ああ、楽しみだ!」

「あっ! 見て見て! 鳥が飛んでる! カモメさんかな?」

「海鳥だとは思いますけどここからじゃ分かりませんね」

 

 窓へ張り付かんばかりに外を見つめるセレナとエルフナイン。そんな二人を見てマリアは助手席で小さく苦笑した。

 

「エル、セレナ、危ないからちゃんと座ってなさい」

「「はーい」」

「もう、返事だけなんだから」

 

 気の抜けた声で返事をし、そのまま外へ視線を向け続ける二人にマリアは苦笑を深くして視線を隣の仁志へ向けた。

 彼は時折ナビへ目を向け、道が間違っていないかを確認しながらハンドルを握り続けていた。その姿にマリアは微笑みを浮かべる。

 

(本当に父親みたいね。今の貴方も私は好きよ?)

 

 声に出さず愛を送るように仁志へ向けて笑みを見せるマリア。

 一方の仁志はそれに気付く事もなく、前方へ意識を向け運転へと集中していた。

 

(気を抜き過ぎないようにしないと。自分の手に十人以上の命がかかってるんだって、そう思っていないといけないしな)

 

 先程までの雰囲気で幾分精神的疲労は抜けた。そう思って仁志は目的地に着くまで集中力を途切れさせないように意識を切り換えた。

 

 こうして目的地までの間仁志は黙々と運転を続け、時折信号待ちの時に水分を口に含むだけとなる。

 そしてようやく響達を乗せた車は海水浴場近くの駐車場へと到着し、荷物をそれぞれ持って一路海水浴場へと向かう事になる――はずだったのだが……

 

「じゃ、俺は先に行って場所とか確保しとくよ」

「ええ、気を付けて」

「頼んだよ、仁志先輩」

「すぐに合流しますからね」

「ああ、待ってる」

 

 先んじて仁志がレジャーシートなどが入った荷物を持って出発。マリア達は車へ残る事に。

 というのも、更衣室は混雑が予想されるため車の中で水着へ着替えた方がいいと仁志が判断したのだ。

 なのでまずは年少組と学生組が着替え、マリア達年長組が車の外で見張りをする事になった。

 

「マリア、帰りはあたしが助手席だからよろしく」

「分かってるわよ。それにしても……」

「ん? 私の顔に何か付いているか?」

 

 自分の顔を見つめ、小さく息を吐いたマリアへ翼は不思議そうな表情を浮かべる。

 

「翼、随分仁志に気安い口調をするようになったのね?」

「いけないか?」

「そうは言わないけど……」

「私は、可能ならこちらで仁志さんと暮らしたいと言った。例え生まれた世界を捨てる事になっても構わないとな」

「「っ?!」」

 

 さらりと告げられた言葉にマリアと奏が揃って息を呑んだ。翼は笑みさえ浮かべて青空を見上げていた。

 

「ほ、本気なのか翼?」

「うん、本気。向こうでアーティストとしての私が必要とされなくなったら、ギアを受け継げる者が出てきたら、防人としても歌手としても私が求められなくなったら、その時はここで、仁志さんの傍で暮らしたい」

「そんな日が来ると思ってるの? 貴方は大人気のアーティストで、天羽々斬の装者なのよ?」

「私は、来ると信じているしそれを掴むつもりだ。それにマリア、その言い方ではまるで私の願いは叶わないと言いたいように聞こえるぞ」

「そ、そんな事はないわ」

 

 無意識に翼の発言を羨ましいと思った故の反応だと理解し、マリアは気まずそうに顔を背ける。

 そうなると今度は奏が口を開いた。

 

「あのさ翼。ギアがなければ平行世界を渡る事は」

「依り代があるよ。仁志さんに迎えに来てもらえばいい。あの人は、私の夢を聞いて覚悟を尋ねてきたんだ。自分が死んだら、もうこっちで私に寄る辺はないぞって。それでもいいと私は返した。それが寄り添うという事だからって」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべて告げる翼に奏は羨ましいとばかりに表情を歪める。

 何人も装者がいる根幹世界とは違い、奏の世界は装者が一人だけ。しかもアダム達との協力は秘密裏であるために表向き頼りにする訳にはいかない。

 つまり、翼のような事を奏が出来る可能性はもっと低いと言えた。そして仁志を自分の世界へ招く事も同様に。

 

(仁志先輩は、きっとこの世界を捨てない。だから翼はこっちへ来る事を選んだんだ。あたしも、あたしだって出来る事ならそうしたい……)

(羨ましい……。上手くいけば世界を越えて生きていこうと出来る翼が。私には、私にはそんな事は絶対に無理だもの……)

 

 ズキリと心が痛む。想いだけなら翼と同じだけの熱量を持っているのに、そう言えない、そう出来ない自分の立場へ苛立ちと悔しさを噛み締めて、マリアと奏はそれぞれ顔を背けて表情を歪めた。

 

 そこへ後部座席のドアが開いて水着となった響達が荷物を持って姿を見せる。

 

「おっまたせデース!」

「マリア、翼さん、奏さんもお待たせしました」

「もう結構暑くなってきてるんで覚悟してくださいね」

「え、ええ」

「分かったよ」

 

 未来の言葉にやや暗い顔で返事をしてマリアと奏は車内へと入っていく。

 それに小首を傾げる切歌達だったが理由までは分からず、おそらく外で日の光を浴びていたからではないかと自己解決させた。

 

「翼さん、切歌ちゃんや調ちゃんと一緒ならエルちゃん達は仁志さんを追い駆けてもいいと思うんですけど……」

「ああ、構わない。暁、月読、二人を頼むぞ」

「はいデス!」

「分かりました」

「エルとセレナはヴェイグの事を頼む」

「「はいっ!」」

「ヴェイグ、難しいかもしれないが出来るだけ声を出さないようにな」

「ああ」

 

 そう指示を出して翼は微笑みと共に車内へと入り、そこでドアが閉められる。

 

「うし、あたしらが見張ってるから、お前らは慌てずに海水浴場へ向かえ」

「車とかに気を付けてね」

「走っちゃダメだよ?」

「「「「はい(デス)っ!」」」」

 

 こうして帽子をかぶった年少組は上機嫌で歩き出す。その背中を見送りながら響達三人は笑みを浮かべていた。

 

「いやぁ、何だか不思議だね」

「何がだよ?」

「ほら、去年の夏も似たような事があったけど、あの時は任務のついでの海だったから」

「ああ、魔法少女事変の頃な」

「要石があった神社の近くの保養施設だね」

 

 懐かしむように話す響達。まだあの頃から一年しか経過していないのかと思う反面、もう一年経ったのかとも思うのだ。

 そしてその一年で大きく自分達の状況が変化している事も思い、三人は小さくなった四人の背中を見つめて遠い目をした。

 

「……あの時は、まだセレナちゃんと出会う前だった」

「そうだな。神の力なんてもんも知らない頃だ」

「ギャラルホルンだって知らない頃だもんね」

「それに、エルちゃんがエルフナインちゃんだった」

 

 その響の言葉にクリスと未来が無言で頷く。

 今のエルフナインはかつてと違い、感情を大きく動かし、楽しそうに笑う少女となっている。

 錬金術師でもなければ研究者でさえない。一人の無邪気な少女なのだ。それが、響達にはとても嬉しく心があったかくなる事なのだから。

 

「このまま、あいつは見かけ相応に生きていければいいよな……」

「うん……そうだね。ね、響」

「……エルちゃんは、そうであって欲しいかな。でも、エルフナインちゃんは……分からないや」

 

 エルフナインがここで告げた“ここでの自分はエル”という発言を響は覚えていた。だからこそ、エルには外見相応の生き方を続けて欲しいと言えたのだ。

 

 車の影に身を隠すように三人はしゃがむ。地面は灼熱となっているので完全に腰を下ろす事はしなかったのだ。

 ジリジリと輻射熱が立ち上るコンクリート。その熱を感じながら三人は無言で空を見上げた。

 大きな入道雲と青空の風景は典型的な夏の景色。その青と白の色合いに彼女達は小さく笑みを浮かべた。

 

「お待たせ」

「うわぁ、車の中と外だと外の方が若干マシだね」

「本当だね。今ならサウナだよ」

 

 そこへ現れるは水着姿となったマリア達年長組の三人。その三者三様の魅力に響と未来は無意識に自分の体へ目を落とした。

 

((……もう少し欲しいな、胸。それか、細い脚))

 

 そんな事を思ってため息を吐く二人とは違い、クリスはやれやれとばかりに息を吐いて立ち上がった。

 

「じゃあ行こうぜ。ねぇと思うが、後輩達がナンパされてないとも限らねーし」

「そうだな。その事を忘れていた」

「エルとセレナがいるから大丈夫だと思うけど……」

「分からないよマリア。性質の悪い奴がむしろあの二人がいるから声をかけてるかも。簡単に逃げられないからってね」

「奏さん、やめてくださいよぉ」

「そうですよ。心配になりますから」

「私だけ先に行こうかしら……」

「なら奏も一緒に連れていくといい。二人がいればその手の男達の目はそちらへ向くだろう」

 

 翼の言葉に頷き、マリアは早足で歩き出す。それを見て奏は小さく苦笑すると同じように歩く速度を速めた。

 まるで徒競走のような二人を見つめ、響達は苦笑する。何せ二人の手には片や大き目のバスケットと保冷バッグが、片やクーラーボックスと紙コップなどが入ったビニール袋がそれぞれ下げられているのだ。

 まさにレジャーらしい荷物を持って急ぐ姿は母親そのもの。二人のタイプの異なる母親像に響達は笑ってしまったのである。

 

「で、あんな事を言っていたが、雪音は正直どう思う?」

「後輩二人だけなら有り得るってとこだ」

「あー、うん。切歌ちゃんと調ちゃんなら絶対声をかけられるよね」

「そこを只野さんが見つけて割って入る?」

「ふふっ、俺の妹とその友人に何か? と、こんなところだろうな」

 

 翼のいかにもな台詞にその光景が想像出来、響達は納得するように頷いた。

 そうして彼女達も海水浴場を目指して歩き始める。真夏の太陽を浴びながら誰もが楽しげに笑みを浮かべていた。

 

 響達が道路から砂浜へと続く階段を降り始めた頃、仁志はと言えば……

 

「こんなもんかな?」

 

 夏も終わりがけで平日ともあり、何とか悪くない場所へレジャーシートとレンタルしたパラソルを立てて拠点を設ける事に成功していた。

 その日陰となったシートに座る形で仁志を見上げている者がいる。ヴェイグであった。その格好はいつかのプールの時と同じように白と青のストライプカラーの水着を着ている。

 

 既に切歌は準備運動もそこそこに泳ぎ始め、調はそんな彼女へジト目を向けつつエルフナインやセレナと共に準備運動中だった。

 

「タダノ」

「ん?」

 

 若干人気がないため、周囲には今の所仁志達以外のパラソルはまばらであり、ヴェイグが軽く声をかけるには十分な条件と言えた。

 それでも一応二人は周囲を警戒しながら会話を始める。

 

「あのプールとやらへ行った時よりも独特な匂いがするぞ」

「ああ、潮風ってやつだよ。海の匂いだ」

「……何とも言えない匂いだな。だが、嫌いじゃない」

「そっか」

「タダノは泳がないのか?」

「今はな。みんながここへ来て場所を把握したら俺も切歌達みたいに準備運動して軽く」

「ししょ~っ! ちょっと沖の方まで泳いでくるデ~スっ!」

 

 聞こえてきた大声に仁志とヴェイグの顔が動く。海に入って大きく手を振っている切歌を見て、仁志とヴェイグは笑みを浮かべて手を動かした。

 それを見て嬉しそうに切歌は素早く手を振って沖へと向かっていく。調はそれを追う形で海へと入っていき、代わりにセレナとエルフナインがパラソルへ戻ってきた。

 

「ヴェイグさん、一緒に波打ち際へ行きましょう」

「なみうちぎわ?」

「はい、海の水が押し寄せている場所です」

「ああ、あそこの事か。分かった」

 

 セレナに抱えられ、ヴェイグは日陰から日差しの中へと出て行く。二人の頭にある麦わら帽子もあってか、仁志にはまるでアニメのワンシーンのように見えていた。

 

「エルも行っておいで」

「はい。兄様、荷物をお願いします」

「ああ。怪我しないようにな。楽しんでおいで」

「はいっ! 姉さん待ってくださーいっ!」

「あっ、ごめんねエル。一緒に行こ?」

「はい!」

 

 手を繋ぎ合って波打ち際へと向かう二人を見つめ、仁志は淡く笑みを浮かべる。

 揃って麦わら帽子をかぶって手を繋ぐ擬似姉妹。それがもう既に本当の姉妹のようにしか見えなくなっていたからだ。

 

 優しく打ち寄せる波を足に受け、セレナとエルはその冷たさに笑みを浮かべつつそっとヴェイグを砂浜へと下ろした。

 と、そこで波が打ち寄せヴェイグの足元を通り過ぎる。その感覚にヴェイグは目を大きく見開いた。

 

「……これが、海か」

「はい。そして今のが波です」

「なみ……おおっ、また来たぞ」

「気持ちいいですよね」

「ああ。地面も……不思議な感触だな」

 

 興味津々な様子で動き始めるヴェイグ。それを周囲から隠すようにセレナはその場へしゃがみ、エルフナインはヴェイグの体をまるで操っているようにそっと触った。

 

 まさしく初めて海へ来た子供のようなヴェイグ。それにセレナやエルフナインも一緒になって波打ち際で遊び出した。

 

 さてその頃切歌は久々の海に笑顔を弾けさせていた。沖を示すブイへ掴まり、ご満悦である。

 

「あ~っ! 最高デスよ~っ! 空は青いし雲は白いし海は冷たくて気持ちいいデスし、言う事ないデスっ!」

 

 誰に言うでもなく高いテンションのまま叫ぶ切歌。するとそこへ近付く一つの影があった。

 それはブイ近くで浮上すると同時にそこへと掴まる。

 

「ふぅ……切ちゃん、ちゃんと準備運動しないとダメだよ」

「大丈夫デスよ。まったくやらなかった訳じゃないデスし」

「そうだけど……」

「それよりも、暑い中の海は気持ちいいデスね、調」

「それは同感。マリア達、まだ来ないかな?」

「うーん……まだみたいデスね」

 

 沖から海岸の方を見つめる切歌。調も同じように顔を動かして仁志がいるパラソル付近へ目を向ける。

 

「……それらしい人はいないね」

「デスね。っと、あれマリア達じゃないデスか?」

 

 嬉しそうにある方向を指さす切歌。その方向へ調も視線を動かして確認する。

 

「……うん、ホントだ。あれマリアと奏さんだ」

「じゃあ、ちょっと戻ってみるデスか?」

「そう、だね。一旦戻ろう」

「じゃ、競争デース!」

「あっ、ズルいよ切ちゃん!」

 

 そうやって泳ぎ出す切歌と調。それと時同じくして、パラソル下で荷物番をしていた仁志の下へマリアと奏が合流していた。

 仁志の足元にはパラソルと一緒にレンタルしたビーチボールが転がっている。切歌達がきっと使うだろうと思い、しっかりとレンタルしてきたのだ。

 

「へぇ、割といい場所じゃん。人もそこまでいないし、シャワーへもそんなに遠くないし」

「そうね。これぐらいなら許容範囲だわ」

「あと、思ったよりも家族連れが少ないね」

「多分だけどもう家族連れは大抵来た後だと思うよ。八月も終わりに近いだろ? 海水浴に来るような家族連れは、親は仕事で子供は宿題の追い込みさ」

「あははっ、そうかも」

「と言う事は奏も仁志もそうだったの?」

 

 マリアの問いかけに名前を挙げられた二人は小さく苦笑して頷いた。それがまるで兄妹のようにも見え、マリアも笑った。

 

「さてと、じゃあ俺も軽く準備運動だけしておくか。ないと思うけど足がつったりとかで溺れたらカッコ悪いじゃ済まないし。そっちもちゃんとやっておいてくれよ?」

「とか言って、仁志先輩がそうなったりして」

「うわぁ、笑えないし現実的な懸念をどうも」

「ふふっ、入念にしておきなさい」

「へいへい。そうするよ」

 

 パラソルから出て日差しを浴びながら準備運動を始める仁志。その途中、その目がふと何かに気付いて細められる。

 

「……何だ? エルとセレナが海へ向かって叫んでる……?」

 

 運動を続けながら二人が見ている方へ目を向け、仁志は瞬時に彼女達の行動の意味を理解するやその場から弾かれるように駆け出そうとして、慌てて足を止めて一旦パラソルの下へと戻るとビーチボールを手にした。

 

「ちょ、どうしたのさ?」

「仁志?」

「切歌が溺れてるっ!」

「「っ?!」」

 

 突然の行動に疑問符を浮かべる二人へそう返すと仁志は再び駆け出した。

 その眼差しは沖を示すブイと波打ち際の中間点へ注がれていて、そこで切歌が慌てるように動いていたのだ。

 調はそんな彼女へ近付きたくても近付けないような雰囲気のまま、焦りを表情に浮かべている。下手に自分が近付いては一緒に溺れてしまう危険性があると理解しているのだ。

 

「兄様っ!」

「お兄ちゃんっ! 切歌さんがっ!」

「分かってる! 後は任せろっ!」

 

 言いながら海へと入っていく仁志。そのままビーチボールを持って急いで切歌へと向かって泳いでいく。

 

「切歌っ!」

「し、ししょーっ! 助けて欲しいデスっ! あ、足がっ!」

「大丈夫だ。落ち着いてこれに掴まれ。これを掴んでいれば絶対沈まないから」

「は、はいデスっ!」

 

 ビーチボールへ掴まり浮き輪代わりにした切歌は、泣きそうな顔で仁志を見つめた。

 

「ししょぉ……怖かったデェス……」

「俺も肝を冷やしたよ。でも、一体どうして?」

「そ、それは……」

「切ちゃん、準備運動途中で切り上げたんです」

 

 俯く切歌に変わって調がその場で立ち泳ぎしながら原因を告げると、仁志の表情が見る見る険しくなっていった。

 

「……切歌」

「っ」

「色々言いたい事があるけど、今の君を見ればちゃんと分かってると思う。だから一言だけ」

「な、何デスか……?」

 

 戦々恐々と問いかける切歌。叱られると、そう思ってその体もどこか縮こまっている。それを見た仁志はゆっくりと手を切歌へと動かしていく。

 

(叩かれるデスっ!)

 

 幼い頃の記憶から目を閉じる切歌。するとその頭へ優しく手が乗せられた。

 

「……へ?」

「切歌が無事で良かった。助けられて良かったよ」

「ししょー……」

 

 恐る恐る目を開けた切歌が見たのは、心の底から嬉しそうに微笑む仁志の顔だった。

 その安堵を宿した表情と言葉に切歌が視界が滲んでいくのを感じていた。

 

「あ、あれ? おかしいデスね。涙が出て来たデス……」

「ああ、拭わないように。塩水が目に入ったら凄く痛いからな。調、君は大丈夫?」

「うん、私は平気だから。仁志さん、切ちゃんをお願いします」

「分かった。切歌、こっちにおいで? で、首へ腕を回して脱力してくれ」

「グスっ……はいデス」

 

 仁志の伸ばした手を掴み、切歌はそのまま抱き寄せられるように彼の胸へと収まる。それを確認し、仁志はボールを利用しその場からゆっくりと砂浜を目指した。

 調はそんな仁志の動きに合わせて泳ぎ出す。そうして三人は無事砂浜へと戻ってくる事が出来た。足が付く様になったところで仁志は大事を取って切歌をそっと抱き抱えて歩き、ビーチボールは調が運ぶ形となった。

 

「切歌さんっ!」

「切歌お姉ちゃんっ!」

「セレナ、エルも心配かけてごめんなさいデス。もう大丈夫デスから」

 

 駆け寄ってきた二人へ力ない笑顔で声をかける切歌。その目は泣いたために赤くなっている。

 

「切歌っ!」

「マリア……」

 

 血相を変えて駆け寄ってきたマリアへ切歌は申し訳なさそうな表情を返すしか出来なかった。ただ、絞り出すように一言だけ告げる。

 

「ごめん、なさいデス……」

「マリア、切歌も今回の事は深く反省してる。俺達が叱る必要はないよ。彼女は、この結果と現状だけで俺達の説教なんかよりも強いメッセージを受け取ってくれているから」

「……そうみたいね。でも、良かったわ。切歌が無事で」

 

 優しく切歌の頬へ手を当てて微笑むマリア。その温もりに切歌はまた涙が出てくるのを感じるも、目を閉じる事無く笑みを浮かべてみせた。

 その笑顔と流れる涙が何よりのマリアへの返事であり感謝の伝え方だと感じたのだろう。現にマリアもその切歌の反応に一瞬驚いたものの、すぐに笑みを浮かべて頷いてみせたのだから。

 

 その後、合流した響達へも切歌の事が伝えられ、準備運動の大事さを痛感させる事となる。

 切歌は大事を取ってしばらく日陰へ寝かされ傍に仁志と調が付き添う事となり、響達は少し休んだら一緒に遊ぼうと切歌へ告げてそれぞれに海を楽しむべく動き出すのだった……。

 

 

 

「別に大丈夫デスよ調。ししょーがいてくれますから」

「いいの。私がもっと強く切ちゃんを止めれば防げた事故だし」

「切歌、今は調の好きにさせてあげよう。調は調で、今の切歌と同じで自分を責めてるんだ」

「「ぁ……」」

 

 その仁志さんの言葉に異なる意味合いの同じ声が漏れた。

 切ちゃんはきっと私の気持ちを察して、私は自分の気持ちを仁志さんが正しく察している事への驚きと嬉しさを感じて、かな。

 

「あの時自分が……って、その気持ちは分かるよ。痛い程、よく分かる。だからこそ、俺はこう言わせて欲しい。もう同じ事は繰り返すもんかって、そう思ってくれ」

「もう同じ事は……」

「繰り返すもんか……デスか」

「ああ。過ぎた事を悔やんでも仕方ないんだ。反省は大事だけど後悔はいらない。覆水盆に返らずとも言う。一度起きてしまった事はもうなかった事には出来ない」

 

 そっと仁志さんの手が横になっている切ちゃんと座ってる私の手へ重ねられる。あったかい……。

 

「二人が自分を責めているように俺も自分を責めてるんだ。ちゃんと監督するべきだったとね」

「ししょー……」

「仁志さん……」

「だから、この事はこれで終わりにしよう。そしてもう少ししたらみんなでビーチバレーをやろうじゃないか。そして、海の家へ行ってかき氷を買って、みんなで分け合って食べて、海岸を散歩するのもいいし泳ぐのもいい。切歌、難しいかもしれないが、君が一番気持ちを明るく持って欲しい。調もだ。今夜寝る時に、さっきの事を笑い話に出来るぐらい、あるいは思い出せないぐらい楽しい時間を作ろう。みんなで」

 

 そう告げて仁志さんは私達の手を優しく握った。その温もりに私も切ちゃんもゆっくりと表情が緩んでいく。

 さっきの事で冷えてしまった心が静かに温められていくような、そんな感覚に包まれて。

 

 仁志さんはやっぱりあったかい。今だって私や切ちゃんだけじゃなく自分も悪かったって、そう言って励ましてくれてる……。

 

 やっぱり、私は仁志さんの事が大好きだ。でもそれは切ちゃんやマリアへの大好きとは違う大好き。

 だって、切ちゃんに手を握られてもこんな風にドキドキしない。マリアに手を握られても顔が熱くならない。

 

 うん、そうなんだ。私も、マリア達と同じだった。仁志さんを、この人を、男の人として見てるんだ。

 なら、こうしちゃいられないね。私は響さん達に置いていかれてる。急いで追い付かないと。ううん、追い越すぐらいじゃないと。

 

「あの、仁志さん、お願いがあるんですけど」

「お願い?」

「はい。その、日焼け止めを塗って欲しいんです。私、今まで忘れてて」

「ああ、そっか。でも、それなら同性のセレナやマリアの方がいいんじゃない?」

「……遊んでるところを邪魔するのも悪いから」

 

 もっともらしい理由で仁志さんにボディータッチをしてもらおう。少し恥ずかしいけど、背中を触られるぐらいは平気。

 水着の上を脱いで胸を腕で隠しながらシートへとうつ伏せになる。み、見えてないのに凄く顔が熱くなるのが分かった。

 

 だって、仁志さんの視線が私の背中に注がれてるのが分かるから。

 

「ししょー、アタシもお願いしたいデス」

 

 そこへ聞こえる切ちゃんの声。顔を動かせば切ちゃんもうつぶせになって水着の上の紐を解いてた。

 と、そこで切ちゃんがこっちへ顔を向けて少しだけ赤い顔になる。

 

「な、何だか恥ずかしいデスね」

「うん」

 

 私が切ちゃんと話してる間、仁志さんは「え~……」とか「いやでもなぁ……」とか呟いてた。

 で、そんな事を少しした後で……

 

「わ、分かった。じゃ、二人いっぺんにやるから」

 

 どこか困った声でそう言って仁志さんは日焼け止めを手に取った。

 多分だけど、妹みたいに思ってる私や切ちゃんでも女子高生の体を入念に触ると妙な意識をするってそう思ってるんだ。

 だから仁志さんは、二人いっぺんなら強く意識する事もなく出来るだろうと判断したんじゃないかな?

 

「前は自分で塗れるだろうから背中だけ塗るぞ」

「お、お願いするデス……」

「うん、お願い」

 

 シートの上にうつ伏せとなって寝そべる私と切ちゃん。どこか緊張している切ちゃんに笑みが浮かぶ。

 

「じゃ、塗るぞ」

 

 聞こえてきた声に少しだけ緊張する。その後でたまに頭を撫でてくれる大きくて優しい手が背中へ乗せられたのが分かった。

 丁寧というよりは優しく塗り込む感じの手付きに仁志さんらしさを感じて嬉しくなる。

 エルやセレナを撫でる時と私や切ちゃんを撫でる時、その撫で方が違う事に気付いたのはいつだったろう?

 

 エルやセレナは少しだけ強めに撫でて、私や切ちゃんは髪を乱さないように優しく撫でてくれる。

 あれは、きっとエル達は子供だから大好きだよって気持ちを強く込めて撫でてるんだ。

 だけど私達はもう子供じゃないから髪型を崩さないようにって気遣ってくれてる。

 

「ふわぁ……ししょーの手、あったかくて安心するデスよぉ……」

「うん、本当にあったかい。お日様みたいな手……」

 

 切ちゃんのどこか眠そうな声に私も同意する。こっちで私達を守ろうと頑張ってくれる人の手。私達の笑顔を、暮らしを支えてくれる手だから。

 

「あまりおだてないでくれ。こっちは生まれて初めての事に妙な緊張をしてるんだからさ」

 

 声だけで分かる。今、仁志さんは困った顔で笑ってる。

 

「仁志さん、大丈夫。とっても気持ちいい」

「デスよぉ。ししょーの、とっても気持ちいいデス……」

「ふ、二人共? その、感想は嬉しいけど表現が違うって。これはマッサージじゃなくて日焼け止めを塗ってるだけで」

 

 ……何となくだけど仁志さんの言いたい事が分かった。多分私と切ちゃんが気持ちいいって言うのが恥ずかしい、のかな?

 

「でも気持ちいいのは事実」

「そうデスね……」

「あ、ありがとな」

「だから、仁志さん。もっと気持ち良くして?」

「し、調っ!?」

「ししょぉ、アタシもデスよぉ。もっと気持ち良くして欲しいデス……」

「き、切歌まで……」

 

 多分、今の仁志さんは顔が赤い気がする。切ちゃんは無意識だろうけど、私はちょっとだけエッチな感じを意識したし。

 

 それでも止めないでちゃんと背中全体へ塗ってくれるのが仁志さんの優しさと責任感を示してる。

 本当に、大好きになっちゃう人だ。

 

「よし、これで終わり」

「「ぁ……」」

 

 あったかいのが離れて、急に寂しさがやってきた。

 

――もっと触ってて欲しい。もっとあったかくして欲しい……。

 

 でも、もう塗る場所ない。さすがに前は恥ずかしいし……。

 

――それ以外にもまだある……。

 

 それ以外の場所……? っ?! お、お尻はどうかと思う。

 

――大好きな人なら平気。だって、恋人とかならやる事だし……。

 

 恋人……。

 

――告白する前に行動で私の気持ちを仁志さんに分かってもらうんだ。もう私は仁志さんを恋人みたいに思ってますよって……。

 

 それなら、いいかな? 水着の上からなら、直接じゃなければ、構わない。

 

――もしそれで出来ないって言われたら、私を大人の女って見てくれてるって事だ。それならそれで嬉しい……。

 

 そう、だね。うん、言うだけ言ってみよう。もしこれで塗ってくれるってなったら本当は子供扱いだって事だし。

 その時は私の事をちゃんと大人の女だって意識させないといけない。胸は小さいけど、気持ちだけはもう大人だから。

 

「あの、仁志さん」

「何だい?」

「出来れば、その、お尻も……」

「いっ?! い、いやいや、さすがにそこは」

「ダメ? 私、仁志さんなら構わないから。水着の上からでいいので塗って欲しい」

 

 言いながら私は笑ってた。だって仁志さんが思い切り動揺してる。私を、女って意識してくれてる。

 

 嬉しい……。うん、嬉しい。もっと意識して欲しい。もっと私を大人って見て欲しい。

 

「えっと、調? 何て言うか、気持ちは嬉しいけどそれはさすがに」

「私、仁志さんの事、好きです。男の人として、見てます。女として、想ってます。これでも、ダメですか?」

 

 胸を隠しながら体を起こしてそう告げる。仁志さんは顔を背けようとして、しないでくれた。

 赤い顔だけど、真剣な眼差しで私の目を見つめてくれた。

 

「……本当に?」

「こんな嘘吐きたくないです」

「そっか。うん、そうだよな。君は言い辛い事もはっきり言える女性だった」

 

 そう言って仁志さんは私へバスタオルをかけてくれた。胸が隠せるように。

 

「その、気持ちは分かった。でもさすがにお尻とかは塗れないよ。悪いけど勘弁してくれ」

「……分かりました」

「助かる。じゃ、俺はちょっとみんなの様子を見てくるよ」

 

 ちょっとだけ急ぎ気味にパラソルの下から出て行く仁志さんを見送って、私は胸を隠してた手をどけてかけられたバスタオルを抱き締める。

 

 それが仁志さんからの私への気持ちだからって、そう思って。

 

「し、調? 今の、ししょーを」

「うん、そうだよ。私もマリア達と一緒。仁志さんを、旦那さんにしたい」

 

 言ってすとんと心に落ちた。そっか。私、仁志さんに旦那さんになって欲しいんだ。

 私の事を優しく見守ってくれて、助けてくれて、労ってくれて、大事にしてくれる、あの人を。

 

――切ちゃんへ言ってあげないと。もう私は切ちゃんの隣に居続けられなくなるかもって……。

 

 切ちゃんの隣に居続けられない……。

 

――だって、仁志さんの奥さんになったら切ちゃんとは暮らせないから……。

 

 そっか……。じゃあ、言っておこう。

 

「切ちゃん」

「な、何デスか?」

「私、もう切ちゃんの隣にはいられなくなるかもしれない」

「えっ!? ど、どうしてデスか!?」

「仁志さんの奥さんになるから。奥さんは旦那さんの隣が定位置。だからごめんね」

 

 そう言って私は日焼け止めへ目を向けた。仁志さんに塗って欲しかったけど、さすがにもう無理だと思うから自分で塗ろう。

 

 そうやって動き出す私を切ちゃんがどこか寂しそうな表情を見つめてくる。だから私は言ってあげる事にした。

 

――切ちゃんは師匠を取られても平気? 頑張らないとみんなが切ちゃんから師匠、取っちゃうよ?

 

 

 

 水着をちゃんと着直してパラソルの下から出ながらアタシはししょーの姿を探します。

 今はししょーに会いたいデス。会って、アタシの中のもやもやをどうにかして欲しいデス。

 

「嫌デス……。ししょーを取られるなんて嫌デス……」

 

 さっきの調の言葉がずっと頭の中でグルグルしてます。アタシは、アタシはみんなで幸せになりたいデス。

 でも、このままじゃ調やマリア達がししょーをダンナさんにして、アタシはのけ者にされちゃうかもしれません。

 

 そんなの、そんなの嫌デス。絶対嫌デスっ!

 

――こうなったらアタシも師匠のお嫁さんになるしかないデス……。

 

 思わず足が止まりました。アタシが、ししょーのお嫁さん、デスか? してくれるデスかね?

 

――この前のお料理、とっても喜んでくれました。アタシが作ったご飯、美味しそうに食べてくれたデス……。

 

 そうでした。ししょーはアタシの作ったご飯をマリアや調に負けてないって言ってくれたデス。

 

――このままじゃみんなバラバラになっちゃうデス。そうならないためにもアタシも師匠のお嫁さんに立候補して、またみんなで笑うデスよ……。

 

 そう、デスかね? それで本当に笑えるデスかね? ししょー、困ってるデスのに。時々ししょーが響さん達といる時に困った顔、してるデスのに。

 

――あれはきっとアタシの事を気遣ってくれてたんデスよ。アタシを一人にしないようにって思って師匠は困ってたんデス……。

 

 ありえるデス。ししょーは優しいデス。アタシがししょーって呼ぶようになってから、扱い方がそれまでよりももっと優しくなりました。

 弟子だってそう思ってくれて、色々な事を前よりも話してくれるようになりました。アタシも、気付いたら調よりもししょーといる時間の方が多くなってます。

 

「あれ? 切歌? どうしたんだこんなとこで?」

 

 聞こえた声に顔を上げると、そこには不思議そうな顔をしたししょーがいました。

 

「あ、えっと……」

 

 言えないデス。調からししょーを取っちゃうぞって言われたなんて。

 

「何だ何だ? 俺がいなくて寂しくなったか?」

「っ」

 

 その言葉が、思ってたよりもズキンと心に響いたデス。

 

「ししょー……」

「ん?」

「ししょーは、アタシを置いてどこか行かないデスよね? アタシだけ置き去りにしないデスよね?」

「切歌……」

 

 こっちを見てししょーが驚いた顔をしました。だって、このままじゃししょーはアタシの傍からいなくなります。

 

 調は可愛くて気が利いて、お料理もお掃除もしっかり出来るお嫁さん向きの女の子デス。

 マリアは言うまでもありません。お母さんにもお嫁さんにも最高の女性デス。

 響さんだって、クリス先輩だって、未来さんや翼さん、奏さんだってそうデス。みんな、みんなお嫁さんになれる人達デス。

 

 セレナやエルはししょーが子供みたいに可愛がってます。

 アタシだけ、アタシだけが違うんデス。アタシだけが弟子だから、お嫁さんに向かないデスから……。

 

 そう思ってたら頭にあったかい物が置かれました。時々そうやってアタシを笑顔にしてくれる、ししょーの手デス。

 

「ししょー……?」

「何があったか知らないけど、そんな顔しないでくれ。切歌が笑顔じゃなくなると俺だけじゃなくてみんな心配するんだぞ?」

 

 そこで思い出します。足がつっちゃった後、ししょーにだっこされて運ばれてる時のマリア達を。パラソルの下で横になってた時の響さん達の顔を。

 

「まださっきの事を引きずってるのかもしれないけど、心配するな。俺は、何があっても切歌の師匠だから。それに、切歌は弟子って言っても俺からすればかけがえのない趣味仲間でもあるんだ。置き去りなんてしないよ。むしろ俺がそうしないでくれって頼む方だ」

「ししょー……」

 

 アタシへ安心させるように笑うししょーに胸があったかくなるデス。

 

「あの、ししょー、一つ聞かせて欲しいデス」

「何だ?」

 

 今なら、聞ける気がします。ジョーダンっぽく聞けばきっとししょーも返事をしやすいはずデスし。

 

「アタシも、ししょーのお嫁さんになりたいって、そう言ったらダメデスか?」

 

 なのに、アタシはジョーダンっぽく言えなかったデス。普段のアタシらしくない、どこか気弱なそんな声。

 でもししょーはそれに困った顔じゃなくて照れた顔を見せてくれました。嫌がる顔じゃなく、嬉しそうな顔をしてくれました。

 

「ダメじゃないよ。ありがとな切歌。その、本当に嬉しいよ」

「ほ、ホントデスか? 嬉しいデスか? 困らないデスか?」

「……困らない訳じゃないよ。だけど、それ以上に嬉しいんだ。可能なら今すぐに大声で叫びたいぐらいだよ。切歌が奥さんになってくれるって言ってくれたってさ」

 

 優しい笑顔でそう言ってししょーはアタシの事をそっと抱きしめてくれました。

 あったかいデス……。トクントクンってししょーの心臓の音が聞こえてきます。

 

「だから切歌、いつもの切歌に戻ってくれないか? 今みたいなしおらしい切歌もいいけど、俺はやっぱり普段の明るくて元気な切歌が好きだ」

 

 その言葉にアタシは胸のもやもやがキレイに消えるのを感じました。

 そしてさっきまでの気分が嘘みたいに一気に楽しくて嬉しくなってきたんデスっ!

 

「ししょ~っ!」

「っと! いきなりだな」

「えへへっ! アタシの元気はいきなりデスよっ!」

「やれやれ、困ったもんだ。やっぱりしおらしい方が良かったかな?」

「あっ、そういう事言うデスか。じゃあこうデス!」

 

 思いっきりししょーに抱き着きます。お、おっぱいも当たるデスけどししょーなら問題ないデス!

 

「き、切歌っ?! さ、さすがにそれは」

「ダメデス! 許してあげませんっ! 許して欲しかったら焼きそばとかき氷のメロン味をよーきゅーするデスっ!」

「な、なんて即物的な要求の犯人だ。なら、こうしてやるっ!」

「ふぇっ!?」

 

 視界がグルンって変わって、気付いたらししょーの顔が目の前デス。

 って、またお姫様だっこされてるデ~スっ!?

 

「よし、食い意地の張った犯人確保。このまま署まで連行する」

「は、放せ放せ、デス」

「ダメだ。話はきっちり署で聞かせてもらうからな」

「と、取り調べってやつデスか? じゃあカツ丼食べれるデスか?」

 

 顔が熱いデスけどそれをししょーに気付かれないようにごまかします。

 

「いいけど、あれって出前だから代金はその人持ちらしいぞ」

「夢がないデ~スっ!」

 

 衝撃の事実デス。と、というか、やっぱり恥ずかしいデスよぉ。

 

「そもそも取り調べに夢も何もないと思うんだがなぁ……」

 

 だけど、ししょーの腕の中って安心するデス。えへへ、気分はお姫様デスね。最高デス。

 そのままアタシはししょーにお姫様だっこされてパラソルの下へと戻る事に。

 そこで待っていた調がアタシの事を見て若干羨ましそうな顔をしたのが印象的でした。

 

「よっと、やっぱり切歌は軽いな」

 

 優しくシートへ下ろしてもらって、アタシはししょーへ向き直ります。

 

「ししょー、ちょっと耳貸してくださいデス」

「耳を? はいはい」

 

 よし、ここデス!

 

「……き、切歌?」

 

 ししょーが目をパチクリさせてます。ほっぺたにキスしてあげたデスよ。

 調も目を見開いて驚いてますね。どうデスか、調。お嫁さんになるならこれぐらいは出来ないとダメデスよ?

 

「あ、アタシはししょーの弟子を今ここでやめさせてもらうデス。代わりに、今からアタシはししょーのお嫁さん修行を始めます」

「はい?」

「ししょー、色々教えて欲しいデス。お嫁さんになるために」

「むっ、切ちゃんズルい」

「ズルいって調? お嫁さん修行って普通母親が」

「それなら私も仁志さんの弟子になる。お嫁さん修行を仁志さんにつけてもらうから」

「えぇ……無視なのぉ……」

 

 ししょーが困った顔をするデスが、今のアタシには調の言葉の方が問題デス。

 

「し、調は十分お嫁さん修行出来てますからししょーは必要ないデス」

「ううん、必要だよ。私、家事はそれなりだけどエッチな勉強はまっ」

「はいそこまでっ! そこまでそこまでっ! これ以上この話題で話すというなら二人は車へ戻ってもらいまーす!」

 

 調の言葉をししょーがさえぎるように大きな声を出しました。

 でもちゃんと聞えました。エッチな勉強、デスか。そ、それはたしかにししょーから教えてもらわないと無理デスね。

 

 なのでししょーの傍へ駆け寄って見上げます。

 

「ししょー、エッチな勉強も教えて欲しいデス」

「んなっ!?」

「私もお願いしたいです」

「調っ!?」

「だって、このままじゃ私達、そういう事を知らないままで社会に出ます」

「それだと、エッチな言葉だって知らないでそういう言葉を使っちゃうかもデスよ」

 

 実際、どーてーもそうだと思うデス。だからししょーへお願いしないとダメデス。

 他の男の人じゃ、アタシや調へエッチな事をするに決まってます。でも、ししょーはそういう事はちゃんとそういう関係になった時だけって言える人デス!

 

「「ねぇ、お願い(デス)。教えてししょー(師匠)」」

 

 アタシと調が両脇へしっかりと抱き着いてししょーへおねだりデス。

 するとししょーが大きくため息を吐いたかと思うと……

 

「「っ!?」」

 

 頭に強い痛みが走りました。見上げればししょーのゲンコツが調の頭に落ちてます。つまりアタシも、デスね。

 

「二人共、少し海で頭を冷やしてくるんだ。もう立派な女性だという自覚を持て」

「……持ってるからお願いしたんですけど……」

「デスデス」

「そ、そういう事は家でやれ、ってのもないな。とにかく軽く海で遊んでおいで。ついでにこれを持って響達と合流するといい」

 

 そう言ってししょーはアタシへビーチボールを渡しました。これならビーチバレー出来るデスね。

 

「……行くデスか」

「そう、だね」

 

 調と顔を見合わせて頷き合う。これ以上はししょーを本当に怒らせちゃうデスし、そろそろアタシも遊びたいデス。

 

 だけど、パラソルを出る前にししょーへ一言だけ言っておきます。

 

「ししょー、アタシ、本気デスっ!」

「私も本気。だから師匠」

「「いつか修行、つけてください(デス)」」

「…………怪我しないように気を付けてな」

 

 こっちへ背中を向けてししょーはそう言いながら座りました。

 何となくデスけど、今のししょーはプールの時と同じ状態な気がします。

 多分男の人としての反応しちゃったんデスね。えへっ、嬉しいって思っちゃうのは何でデスかね?

 

 そう思って調へ目を向けると目が合いました。で、同時に笑っちゃいました。

 

「行こうか切ちゃん」

「デスね」

 

 今のアタシはししょーから見れば立派な大人の女デス。その事に自信を持って調と一緒に海へ向かいます。

 

 さぁ、海はこれからデス! 楽しい時間を作るデスよっ!

 

 

 

「はい、どうぞ」

 

 兄様の手から姉さんの手へ黄色い山頂の氷の山が渡る。とっても美味しそうです。

 

「ありがとうお兄ちゃん。エル、先に食べていいよ」

「ありがとうございます」

 

 ストローのようになっている変わったスプーンを手にまずは山頂付近を一口。

 

「ん~っ!」

 

 冷たくて甘くて少し酸っぱい味が口の中に広がる。レモンの香りと味がして、僕の口の中で消えていく。

 

「美味しい?」

「はい! とってもっ! 姉さんもどうぞ!」

「じゃあ遠慮なく」

「はい、あーん」

「あー……むっ。ん~っ」

 

 僕のすくったかき氷を食べて姉さんが嬉しそうに目を閉じる。良かった。姉さんもこの味が好きみたいです。

 

「エル、俺にもくれ」

「分かりました」

 

 今度はヴェイグさんにかき氷を食べてもらいます。これがヴェイグさんの初かき氷です。

 

「どうぞ」

「あー……っ?!」

 

 口に入れた瞬間、ヴェイグさんの全身の毛が逆立ちました。

 

「あっ、ヴェイグさん、少し酸っぱいから気を付けてね」

「姉さん、す、少し遅かったかもしれません」

 

 忘れていました。ヴェイグさんは知らない事が意外と多い事を。

 レモンが酸味を持っている事もその中の一つだったようです。

 

「……エルの言う通りだ。その、もっと早く言って欲しかったぞ」

「「ご、ごめんなさい」」

 

 若干怒り眉なヴェイグさんへ二人で頭を下げる。そんな僕らを見て兄様達が笑った。

 

「まぁまぁ、ヴェイグも勘弁してあげてくれ。どうしてもさ、こういう時って自分の知ってる事はみんな知ってるって思いがちになるんだよ」

「……そうだな。ああ、それと味自体は嫌いじゃないぞ。ちょっとビックリしただけだ」

「「ホッ……」」

 

 その言葉に姉さんと二人で安堵した。そのままヴェイグさんはクリスさんが響さん達と分け合っている赤いシロップのかかったかき氷をもらっていた。

 イチゴ味のそちらは驚く事もなく頷いていたので気に入ったみたいだ。で、次はメロン味の切歌お姉ちゃん達へと。

 

「ヴェイグさん、全部の味を食べてみるつもりだね」

「ですね」

 

 ちょっと気持ちは分かる。見れば皆さん笑ってる。きっとヴェイグさんのしてる事は皆さんどこかでしたい事かした事がある事なんだろう。

 僕も、許されるかな? そう思って兄様の近くへ移動する。兄様は僕の動きに気が付いて不思議そうに顔を向けてくれた。

 

「エル? どうした?」

「あ、あの、一口ください」

 

 兄様の持ってるかき氷は白い山頂。何でもカルピスをかけてもらったらしい。

 

「いいけど……お腹壊さないようにな?」

「はい!」

「お兄ちゃん、私もいい?」

 

 僕が兄様からかき氷を受け取ると後ろから姉さんの声が聞こえた。

 

「勿論どうぞ。ただし、一口だ。自分達の分もあるんだからね」

「そうよ。エルもセレナも程々にしなさい。ヴェイグ、貴方もよ」

「「はーい(分かった)」」

 

 姉様の言葉に返事をして僕と姉さんは兄様のかき氷を食べる。甘くて爽やかな味です。

 僕、レモンもいいけどこっちも好きだなぁ。いっそ両方を混ぜたら美味しいかもしれませんっ!

 見れば姉さんもそう思ったみたいで持ってるレモンのかき氷を見つめていた。

 

「姉さん、混ぜたいんですか?」

「え? エルも?」

 

 その瞬間、僕らの視界からかき氷が消えた。

 

「「ダ~メ」」

「「ぁ……」」

 

 僕らの考えは兄様と姉様によって阻止されました。仕方ありません。レモン味だけで楽しみます。

 そう姉様へ言ったら苦笑してかき氷を返してもらえました。

 そんな僕らとは対照的に、ヴェイグさんは遂に皆さんから一口ずつもらっての全種類コンプリートです。

 

「どれも美味いな。この暑い時にはピッタリだ」

「うんうん。私もそう思うよヴェイグさん」

「デスデス」

 

 響さんと切歌お姉ちゃんが深く頷きます。ただ、今一瞬見えた二人の舌が凄い色になっていた気が……。

 で、それを見ただろうヴェイグさんが驚いた顔をお二人へ向けています。

 

「き、切歌? 響もどうした? 舌が変な色になってるぞ」

「あー、シロップの色素だよ。着色料を使ってるからそれで舌がその色に染まるんだ」

 

 その言葉と同時に響さんが笑って舌を出してくれた。見事に真っ赤になってて、言われてなかったら怪我でもしたのかなって思う程だった。

 

「だから姉様は食べないんですか?」

「そんな事ないわよ。エルやセレナから分けてもらおうと思ってたわ」

「おっ、もうエルも舌が黄色になってるぞ」

「ほ、本当ですか?」

 

 僕の問いかけに笑って頷く兄様と姉様。なので確認のために姉さんに見てもらう事に。

 

「ど、どうでふふぁ?」

「……うん、黄色い。エル、私はどう? べー」

 

 そう言って見せられた姉さんの舌も黄色になっていた。凄い……。

 

「なってます。姉さんの舌も黄色です」

「そっかぁ。じゃ、切歌さん達は緑?」

「ん? れー……」

「「わぁ……」」

 

 切歌お姉ちゃんの舌は見事なまでに緑色です。で、調お姉ちゃんも笑いながら舌を見せてくれて、そっちも緑色。

 なので対抗するように僕と姉さんも舌を見せました。そうしてたら兄様達が笑い出しました。

 

「はははっ、妙な張り合いをするんじゃないって」

「もう、本当に貴方達は……」

「仲良しだよね、エルちゃん達」

「本当だね。完全に姉妹だよ」

 

 未来さんの言葉に僕は笑顔になった。そうです。今の僕らは姉妹です!

 

「さて、これ食べたら次はどうする?」

「今度はバレーじゃなくて全員でどれだけパス回せるかでもやろうぜ」

「それはいいな。仁志さんもそれなら参加出来ますよね?」

 

 そう、さっきまでのビーチバレーは兄様は僕やヴェイグさんと一緒に見学してました。

 何でも年齢もあって怪我するかもしれないからと、そう言って。

 

「ししょー、それなら大丈夫デス?」

「今度はみんな一緒に遊びましょう」

「分かったよ。ヴェイグとエルも参加な?」

「それはいいですけど……」

「俺はどうすればいいんだ?」

 

 すると僕とヴェイグさんを見て兄様は笑みを浮かべた。

 

「まぁ、まずはかき氷を食べ終わってからだ。あー、でも慌てて食べちゃダメだぞ。じゃないと」

「「~~~~~っ!?」」

 

 響さんと切歌お姉ちゃんが揃って頭を押さえて俯いた。一体何が?

 

「ああなる。急激に冷たい物を摂取すると頭痛が起きるんだ」

「そうなんですか……」

「切歌さん、響さんも大丈夫ですか?」

「へ、平気デス……」

「こ、これぐらいへいき、へっちゃら……」

 

 お二人の表情はそうは見えないけど、調お姉ちゃんも未来さんも呆れた顔をしてるので本当にそうなんだろう。

 

「……かきごおりとは中々怖い食べ物なんだな」

 

 そんなお二人を見てのヴェイグさんの噛み締めるような言葉に、兄様達が大きく笑った。

 

 

 

 ヴェイグとエルフナインを参加させてのボール遊び。それは当初のパス回しではなくボールを爆弾に見立てたしりとりとなった。

 十秒以内に答えなければ終わりというルールで行われたそれで、ヴェイグはエルフナインの膝上に座って回されてきたボールを懸命に保持して隣へ渡し、エルフナインはエルフナインでしりとりの答えを考えるという共同作業を行った。

 

 これが中々に続いて行き、一回目が終わった頃には既に昼時となっていた。

 照り付ける太陽はその勢いを増し、パラソルの外は灼熱と呼んでもいいような雰囲気である。

 

「じゃ、そろそろお昼といきますか」

「そうね。調、未来、クリスも広げるの手伝って」

「「「待ってました(デス)っ!」」」

 

 響、切歌、奏の声に周囲が苦笑する。食べたのがかき氷だけとはいえあれから一時間も経っていないのだ。

 それだけ燃費が悪いという事だろうと思うも、内の二名は元々色気よりも食い気だった事もあり単に食い意地の問題かもと思われていた。

 

 やがてシートの上に今朝作られた食べ物が並べられていく。それを見て仁志達は感嘆の声を上げた。

 それに作った者達が嬉しそうに笑みを作り、全て並べ終えて飲み物なども行き渡ったのを見てマリアが共に並べていた者達へ目配せをする。

 

「「「「さっ、召し上がれ」」」」

 

 作った者達が声を揃えて食事の開始を告げれば……

 

「「「「「「「「いただきます(デス)」」」」」」」」

 

 それ以外の者達が感謝を告げるように手を合わせて声を揃える。

 

 十二本の手がそれぞれで動いて料理へと伸びていく。思い思いの料理を手に取り、口へ運ぶ仁志達。

 そして全員の顔に笑顔が咲いた。最高の食事とは何だと言われれば、きっと彼らはこう答えるだろう。

 

 親しい者達と食べる事、だと。

 

 笑顔を浮かべる事で誰かが笑顔になり、それを向け合う事でそれがより強く輝きを得ていく。

 時には苦い顔や渋い顔を見せても、それさえもすぐに笑顔へと変えてしまう時間が今たしかにここにある。

 誰もがどこかで分かっているのだ。この時間がどれだけ得難く、また儚いものかを。

 この日常は本来非日常である事を。そうでなければならない事を。

 

 それを知らぬ振りをするかのように誰もが笑顔を見せ合う。

 この時間が日常であり続けて欲しいと願いながら、祈りながら、そして……

 

 それが叶わぬものと、どこかで分かっていながら……。

 

「奏さん、お昼を食べて少し休んだら沖までどっちが早く行けるか勝負しません?」

「おっ、いいね。マリアも参加しなよ。ガングニールで競争といこうじゃないか」

「別にいいわよ。私も思いっきり泳いでみたかったし」

 

 光槍トリオは競争を……

 

「エル、後でボート借りてくるデスから、それでヴェイグやセレナと一緒に乗るといいデス」

「ありがとうございます!」

「ヴェイグさん、今度は海の上へ行けますよ」

「おおっ、そうか!」

「ふふっ、はしゃいで落ちないようにね」

 

 年少組はボートを使っての楽しい一時を……

 

「雪音と小日向はどうする?」

「そうだなぁ……いっそ焼いてみるか?」

「や、焼けるのかな?」

「やるだけやってみればいいじゃないか。それもまた夏の思い出だよ」

 

 残った翼達へ仁志がそう声をかける。ただ、その瞬間三人は若干恥ずかしそうに仁志へ視線を向けて……

 

「「「じゃあ、オイル塗ってくれよ(ますか)?」」」

「っ!?」

 

 上目遣いでそう言われ、仁志は思わず息を呑んだ。以前までの彼なら赤面してそこで背を向けただろう。

 だが、今の彼は何とかその場に踏み止まって深呼吸一つすると……

 

「喜んで」

「「「っ」」」

 

 逆に翼達の顔を赤面させるようになっていた。そこに昼前にあった切歌と調への日焼け止め塗りが大きく影響している事は言うまでもない。

 

 こうして再びそれぞれに散って動き出す仁志達。そんな彼らに悪意の魔の手は着実に伸びていた。

 既に蕾を付けられたクリス。根付いてしまったセレナと翼。それと種が植え付けられた調。そして根を残したままの響。

 装者の半数以上が悪意の影響を受けてしまっているのだ。残るマリア達でさえも悪意の影響下になった事がある者達ばかり。

 

 そう、ゆっくりとではあるが着実に悪意の企みは進行している。闇は静かに、深く、装者達の心へ入り込んでいた。

 

 そしてそれは、既に影響下に置いた装者を使ってよりその企みを成功させようと動いている。

 

「っぷはっ! あたしの勝ちぃ!」

「っふ~……惜しかったなぁ! もうちょっとだったのに!」

「本当よ。僅差も僅差じゃない」

「僅差だろうと勝ちは勝ちだって」

 

 明るく笑う奏を見てマリアが軽く呆れつつも苦笑する中、響はブイへ掴まりながらポツリと呟いた。

 

「まぁいいか。一番勝ちたい勝負は負けなければいいんだし」

「「っ」」

 

 それが何を意味するのか分からぬ奏とマリアではない。翼が言っていたように、響もまた仁志の世界で一緒に暮らそうと思っているのかと、そう思って二人は視線を彼女へ向ける。

 

「響、あんた……」

「もしかして、この世界で仁志と一緒に暮らそうとか考えるの?」

「へ? いや、さすがにそれはないですよ」

 

 困った表情で二人へ答える響だったが、その眼差しが少しだけ遠いものへと変わる。

 

「でも、出来たらいいなって思ってはいます。それか、仁志さんを私達の世界にって」

「仁志を……」

「連れてくって言うの?」

「可能なら、です。クリスちゃんはそう考えてるみたいですよ。自分が養ってもいいって、そう言ってました」

 

 さらりと告げられるクリスの考えに奏とマリアは息を呑んだ。

 

(仁志先輩を……養う? でも、あたしだって自分の世界なら可能だ。あの人一人ぐらい、余裕で養える……)

(仁志に来てもらって、家の事を基本やってもらう……。エルも私の部屋で同居してもらって、たまに私が家事を代わってあげて……)

 

 頭の中に浮かぶ幸せな未来想像図。そんな二人へ響は更なる爆弾を投下する。

 

――私、この世界とお別れする前に絶対仁志さんとの思い出作ろうと決めてます。仁志さん言ってくれたんです。悪意が私達を操ってキスさせるなら、それを逆に利用して元に戻すぐらいしてやるって……。

――っ!?

 

 年長らしく心を強く持とうとしていた奏とマリアの決意に、小さな、けれど確かなヒビが入った。

 その音を聞いたのか、悪意はニヤリと笑って響の口を動かしていく。

 

――私とクリスちゃんがキスして欲しいって言ったら、仁志さんはちゃんとした状況とかを作ってするからって、そう約束してくれました。私とクリスちゃんのデートは、そういう事になってるんですよ……。

――そう、なんだ。

――デートで、キス、ね。

 

 ピシピシとヒビが大きくなっていく。既にキスは済ませた奏とマリアであるが、デートをしてその中でというのは未経験。

 それを仁志が自分から響やクリスへすると言った事は、二人の心を大きく動かすには十分過ぎる威力を持っていた。

 

――そういえば、未来と調ちゃん、こっそり二度目のデートしたみたいだし、マリアさんや奏さんも仁志さんへ言ったらどうですか? 私もこっちに来たばかりの頃に二人きりでデートしてますし……。

――……そうするか。

――ええ、不公平は不味いものね。

 

 年長としての覚悟や決意は崩れ去り、女としての想いが強く奏とマリアを動かし始める。

 装者ではなく女性としてのその心は、悪意から見れば穴だらけにも等しい状態だった。

 

――これでこの二人にも……ふふっ……。

 

 同時刻、ボートをレンタルした切歌は調と二人でボートを押すように足を動かして泳いでいた。

 

「ヴェイグさん、どうですか?」

「ああ、海は凄いな。広くて大きいぞ」

「ふふっ、落ちないでくださいね、ヴェイグさん」

「分かってる」

 

 ボートから海を覗き込むヴェイグにセレナが苦笑しエルが笑顔を見せる。

 それを見つめて切歌は笑顔を浮かべていた。

 

(うんうん、ししょーからの試練は今の所成功デスね)

 

 出来るだけ楽しい笑顔の思い出を多く作る。そのために仁志からもらった資金を使っている切歌。

 そんな彼女へ調がそれとなく声をかけた。

 

「ねぇ切ちゃん」

「ん? 何デス?」

「いつ、お嫁さん修行、始める?」

 

 それは昼前に二人で仁志へ迫ったものだ。あの時は恋心の自覚もあって言えた事も、冷たい海水に浸かって楽しげなセレナ達を見ている今は答える事が出来ない内容と言えた。

 

「あ、あれは……そのデスね?」

「早めに動かないと私と切ちゃん、クリス先輩達に置いてかれちゃう」

 

 置いていかれる。その言葉が切歌の心を掴んだ。

 

「ど、どういう意味デスか?」

「考えてみて切ちゃん。私達はどーてーの意味が分からなかった。なのにクリス先輩達はみんな分かってた。つまり、私達じゃ大人の女として師匠の喜ぶ事をしてあげられない」

「な、ナルホド……」

 

 この手の話では普段から主導権を握るのは調だった。

 切歌は気付けば足を止め、完全に聞き入る体勢となっている。

 それを察して調はボートの上にいるセレナ達へ声をかけた。

 

「セレナ、エル、しばらく二人でボートを漕いで動かしてもらっていい?」

「分かりました」

「任せてください!」

「でも沖に行っちゃダメだよ。そこだけはお願い」

「「はーい」」

 

 ボートの左右にある小さなオールを使ってセレナとエルフナインは自分達で動かし始めた。

 ヴェイグはそれに興奮し、エルフナインと共にオールを動かしていく。

 ボートに掴まったまま、その光景を横目にしつつ調と切歌は話を続けた。

 

「切ちゃん、師匠はきっと私達が真剣にお願いすれば教えてくれるよ。だってあの時ダメだって言わなかった」

「おおっ、そうデスね」

「あれは、多分私達の真剣さを試してる。本気でお嫁さん修行を、エッチな勉強が出来るのかって。その覚悟はあるのかって」

「あ、アタシはししょーとなら……」

 

 赤い顔で少しだけ照れくさそうに俯く切歌を見て、悪意は不気味に笑って調の口を動かした。

 

――そんな消極的なら私一人で師匠へお願いしに行くよ。それでもいいの、切ちゃん。一人だけ置き去りにされても……。

――っ!?

 

 弾かれるように顔を上げた切歌へ調はそっと手を差し出した。

 

――一緒に色々教えてもらおう? 同じお嫁さん修行の弟子として……。

――調と……一緒に……。

――そう、それで二人で師匠に教えてもらうんだよ。立派なお嫁さんになれるように……。

――二人でししょーに……。立派なお嫁さん、デスか……。

――うん、頑張ろう切ちゃん。だから手を取って……。

――……分かったデス。調と一緒なら何も怖くないデス。

 

 差し出された手を取った切歌へ調は優しく微笑む。

 同じく悪意もほくそ笑む。種は植え付けられていないでも、もう手の内と言ってもいい切歌を見つめて。

 

 そんな二人にエルフナインもヴェイグも気付けない。何故なら二人はセレナと共にボートの先頭部分で海の中を眺めていたのだ。

 

「どこだ? どこにくらげがいるんだ?」

「さっきあの辺りを泳いでたと思ったんだけど……見間違いかな?」

「分かりません。もしかしたらボートが近付いたから逃げたのかもしれませんね」

 

 セレナにくらげがいたと思わせてボートを停止させ、エルフナインとヴェイグをそこへ誘導させていたのだ。

 それも悪意による行動。調を軽く操り、切歌へ種を植え付けられるように準備するための動きだった。

 

――これでいい。残るは……。

 

 丁度その頃仁志は多大な精神疲労とそれを上回る幸福感から脱しようとしていた。

 

「お、終わった……」

 

 翼、クリス、未来のサンオイルを塗り終ったのである。

 昼前の切歌や調が可愛くなる程の破壊力を仁志へ与える無防備な三人の背中と外されている水着のブラ部分。

 それが仁志の理性をガリガリと削り、性欲をガンガン刺激していたのだ。それを何とか制御し切り、彼は三人の女性達から苦笑されるという結末を掴み取った。

 

「お疲れ様です、仁志さん」

「でも、鼻の下が伸びてたぞ」

「嬉しくはありますからいいですけどね」

「そう言ってくれると助かるよ」

 

 疲れたような笑みを浮かべる仁志へ三人が笑う。ただし、まだその水着の上は外れたままであり、仁志の視界にはそれぞれの潰れる形になっている乳房が僅かに見えていた。

 

「あー、さて俺はちょっとエル達の様子を見てくるよ」

「「「い、いってらっしゃい……」」」

 

 反応しそうになる男としての部分を抑える意味も兼ねてその場から動き出す仁志。

 その理由を察して三人はやや赤い顔をして送り出した。

 そうして仁志がいなくなったところで三人はそれぞれに水着を着け直すとシートから体を起こす。

 

「あとは日を浴びるだけだね」

「だな。パラソル、ちょっと動かすか」

「なら私も手伝おう」

 

 荷物やクーラーボックスなどに日が当たらぬよう考えながらパラソルの位置を変える翼とクリス。

 未来は差し込んできた太陽の光に手を動かして日よけを作った。

 

「眩しい……」

「こんなんでいいだろ」

「そうだな」

 

 そうして再びシートへと横たわるクリスと翼。それに倣う様に未来もまたシートへうつ伏せとなった。

 

「そういえば先輩。この前の話だけどよ」

「ああ」

 

 その会話の切り出し方に未来が不思議そうに顔を動かして翼の方を向いた。

 

「いっそさ、先輩やあたしの持ってる金を貴金属のアクセサリーとかに換金しちまって、こっちへ持ち込むってのはどうだ?」

「え?」

「それはいいかもしれないな。さすがに金塊などでは怪しまれるだろうが、宝石やそれらを使ったアクセサリーなら私達が売り払っても怪しまれる事もないし」

「ちょ、ちょっと待ってください。ど、どういう意味ですか?」

 

 クリスと翼の会話に未来は狼狽えた。何せどう聞いても冗談に聞こえない内容だったからだ。

 自分達の世界を捨てて仁志の世界へ来る。そうとしか聞こえないものだったために。

 

「どういうと言われてもな」

「そのままだ。あたしと先輩は、最悪この世界で仁志と生きる」

「っ?!」

 

 おぼろげに思っていた以上の答えだった。そこまでかと、そう思いながらも、未来は未来で納得し共感する部分があったのだ。

 

「あたしや先輩は人に言えねぇ事が多すぎる」

「それをあの人は知っている。知った上で受け入れてくれた。包んでくれた」

「そんな相手を、あっちで探すのは難しいんだよ。それに、打ち明けるのも辛い」

「そういう事だ」

「で、でも二人は装者で」

 

 最後の砦である“シンフォギア装者”という事実。それを未来が口にした時、翼とクリスは同時に同じ答えを返した。

 

――装者である前に人間だ。

 

 その答えに未来は二の句が継げなくなった。そう言い放った二人は辛そうな顔をしていたからだ。

 言いたくなかった。言うつもりはなかった。そんな心情が表情に出ていた。

 

「すまん小日向。今のは忘れてくれ……」

「ああ、聞かなかった事にしてくれると助かる……」

「そ、それは……」

 

 顔を未来から背け、翼とクリスは小さな声でそう告げて黙り込んだ。

 それが未来には衝撃だった。あの翼とクリスが、責任感の強い頼られる二人が、揃ってそれらを投げ捨てるような事を言ったからである。

 

(でも、考えてみればそうかもしれない。みんな、翼さんやクリスのそういう面に知らない内に甘えていたのかも。二人だって女性だもの。好きな人が出来て、その人とずっと一緒にいたい。普通に暮らしたいって、そう思ってもおかしくないよ)

 

 実際未来も昔はどうして響が傷付き戦わないといけないのかと悩んでいた頃がある。

 その結果、その想いを利用される形で神獣鏡のギアを纏い、響と戦ってしまったのだから。

 

「小日向、お前はどう思っている?」

 

 そんな中、ポツリと問いかけられた言葉に未来は意識を切り換えた。

 

「どう思っているって……」

「やはり、私達は間違っていると思うか?」

「そこまでは……」

「でも間違ってないとも言えないんだろ?」

「クリス……」

 

 どこか諦めたような表情と声。そこで未来は察するのだ。翼とクリスは先程の話を本気で話しつつも、どこかで不可能だと思っている事を。

 

「分かっているんだ。これが、夢物語だと」

「悪意を倒して全てを終わらせれば、きっとこことの行き来は出来なくなる」

「それでも、人は夢を見てしまう」

「それでも、人は希望を欲しがる」

「叶わないと言われても」

「ありはしないと知っていても」

 

 照り付ける日の光は眩しく、生命の波動に満ち溢れている。なのにも関わらず、それを浴びている翼とクリスの表情は冴えない。

 

「翼さん……クリス……」

 

 未来は視界に移る二人の沈んだ顔に心を痛めていた。仁志へは、みんなで笑顔になりたいと思い続けるのなら協力すると言ったが、それはあくまで現状の中である。

 全てを終えた後、この世界との行き来が不可能となった後は彼女も想像していなかった。いや、想像するつもりはなかったのだ。

 

 そこから、未来もまた目を背けていたのだから。

 

 そんな想いから俯く未来。今の幸せは本来の居場所では望めない。それがどれ程辛く苦しいかを想像し、彼女は自分ではなく響達自分以外の装者達へ想いを寄せた。

 

(こんなのってないよ。好きな人が出来たのに、望んでた時間を得たのに、本当にいるべき場所へ戻ったらそのどちらも失わないといけないなんて……)

 

 それは根幹世界の響達だけではない。奏もセレナもそうなのだ。

 かつて未来が不安視した事が現実となっていた。この上位世界で半年近くも過ごしてしまった事で、すっかり全員が本来の状況へ戻る事に拒否感を覚えてしまったのである。

 

――いっそ、このままここでみんなで生きていけばいいんじゃないかな? だって、私達の世界は時間が止まっただけだもん。なら、こっちでもう少し過ごしたって構わないはずだよ……。

 

 そこへ悪意が忍び寄る。一度入り込んだ事もあってか、未来の弱い事も熟知していた。

 

――でも、そんな事はダメだよ。一刻も早く悪意を倒して全ての世界を元に戻さないと。

――響達の幸せを、只野さんの幸せを犠牲にして?

――っ?!

――世界のために、響達の幸せを犠牲にして日常って名前の辛く苦しい日々を送らせるんだ? ほとんどの人達が平和や幸せを受け取る中で、響達だけが傷付き苦しみ悲しんでるそんな日々を……。

――ぁ……。

 

 優しく愛が重たい傾向のある未来。そんな彼女にとって、響達と、そして仁志が味わう痛み苦しみは見過ごせるはずがないもの。

 しかも悪意は未来の大事な人達ばかりが傷を受ける中で、見も知らぬ名も知らぬ者達が幸せになっていると吹き込んだのだ。

 残念な事に今の未来にとってその悪魔のささやきはあまりにも強く、あまりにもあっさりと心へ落ちてしまった。

 

「……ねぇ、クリス。翼さんも、聞いて欲しい提案があるんですけど……」

 

 ふふっと楽しげな雰囲気さえ漂わせるような笑みを浮かべ、未来は沈む二人へ告げるのだ。

 

――みんなで幸せになりませんか?

 

 闇は嗤う。愛も所詮は欲に過ぎないと。光など、希望など、容易く邪へと染まるのだと。

 

――あははっ! お前達の弱点はずばり平和。お前達が望んでも手に入らぬとどこかで諦めている“普通”こそがお前達の弱点よ。あははっ、あはははは……。




悪意、蠢く。只野の知らぬところで行われる、装者闇堕ち計画。

……日焼けした翼とかクリスってオチではないですよ?
まぁそれはそれで見てみたくはありますけど(汗
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。