シンフォギアの消えた世界で 作:現実の夢想者
きっとクリスはジロジロ見られる事に恥ずかしがってくれる事でしょう。
「いらっしゃいませっ!」
「い、いらっしゃいませ」
あのバカが元気よく声を出すから仕方なくあたしも声を出す。こうやってしっかり働くのなんて初めてだからよく分からねーが、あいつが言うにはそこまで難しい事はないらしい。
それに初日の今日は基本的な事しか教わらないしな。あと、教育係が……
「雪音さん、レジの打ち方はもう大丈夫そう?」
「あ、ああ。メモも取ったしな」
「そっか。じゃあ……」
そう言ってあいつは目を動かす。どうやらレジに客が来そうだ。
「やってもらっていい?」
「お、おう……」
な、何だってんだよ、この妙な感じは。初めて先輩達と戦った時よりも緊張してるのか、あたしは。
「いらっしゃいませ」
「い、いらっしゃいませ」
あいつが出す声に合わせてあたしも声を出す。でも何故か言葉がどもっちまう。すると目の前のおっさんはあたしの胸元を見てどこか笑いやがった。でもエロい感じじゃねぇ。
それでも普段なら文句の一つも言うとこだが、今のあたしにはんな余裕はねぇ。とりあえず目の前に置かれた缶コーヒーを手に取ってバーコードを読み取らせる。
「百二十八円、です」
「はいよ。二百円で」
「二百円、お預かりします」
丁寧な言葉遣いなんてしてこなかったからか、正直業務よりもそっちの方が難しいな。
金額を打ち込んで現計を押せば引き出しが開いてくる。そこからおつり分の硬貨を手に取っていく間、ずっと後ろであいつが見てるのが分かった。
「兄ちゃん、珍しいな。いつもは夜中だろ?」
「今日は色々あってヘルプですよ。新しい学生バイトの子が二人入ったので」
「あー、やっぱ新人さんか。あっちの嬢ちゃんは元気いいな」
「出来るだけ優しくしてやってください。二人共初めてのバイトなんで」
「おお、そうか。じゃ、他の奴らにも言っとくわ」
「お願いします」
お、おつりを渡そうにも会話が続いてて隙がねぇ。と、そう思ってたら会話が切れた。
「七十二円のお返し、です」
「おう、ありがとな嬢ちゃん。バイト頑張れよ」
「あ、ありがとうございました」
その場で頭を下げてレジが終わる。な、何て言うか、これだけであたしは疲れたぞ。
「雪音さん、操作自体は大丈夫。言葉遣いは大変かもしれないけど言ってる内に慣れてくるから」
「あ、ああ」
「只野さーん、ちょっといいですかー?」
「今行く。じゃ、ちょっと一人で頑張って」
「あ、おいっ!」
あのバカに呼ばれてあいつが離れてく。そこへ別の客が来た。しかもカゴに結構な量の品を入れてやがる。
「い、いらっしゃいませ……」
と、とりあえず処理していくしかねぇ。そう思って大きい袋を取り出してそこへ考えながら通した商品を詰めていく。
チラっとあのバカの方を見ればホットスナックの打ち方を教えてもらってやがる。
おい、それはさっき一緒に教えてもらったろ。だからあいつがメモを取れって言ってただろうが!
「あっ、すいません。マイルドセブンも一つ」
「ま、まいるどせぶん?」
一体何の事だ? ホットスナック、じゃねーよな? なら……タバコか?
「す、すみません。あ、あたしタバコ詳しくないんで」
番号で言ってくれってそう言おうとしたら、よりにもよって目の前の野郎は……
「あー、そっか。えっと……メビウスの事」
「め、めびうす?」
何で名前が変わるんだよ!? てか、こっちの話を最後まで聞けってんだっ!
「どうしたの雪音さん」
と、そこへあいつが来た。で、客の顔を見て何かに気付いたらしい。
「タバコですか?」
「そうそう、メビウス一つ」
「何番のやつです?」
そこから交わされた会話はあたしには何の事だか分からなかった。一ミリの奴じゃないとか何だとか言ってた気もする。
その間、あたしはただ商品を通して袋に詰めるを繰り返すだけ。
あいつが客と話しながらタバコの箱を一つ持ってきて、それをあたしへ渡してくれたのでそれも通す。
で、会計を終えて客がいなくなったのを見てからあいつが謝ってくれた。タバコは銘柄だけを言う奴がいるから、必ず番号で言ってくれって押し切るように言わなかったって。
でも、それはあたしはちゃんと聞いてた。なのに言えなかったのはあたしの責任だってのに、こいつは自分がちゃんと念を押さなかったのも悪いからって責任を半々にしやがった。
「なぁ、さっきのまいるどせぶんとかめびうすってのは何なんだ?」
「どうやら昔はメビウスって銘柄はマイルドセブンって呼んでたらしい。で、昔からタバコ吸ってる人達は自分達の常識が一般常識って思うらしくてね。ま、覚えなくてもいいよ。すみませんが番号でお願いできますかって言い続ければいいから」
「わ、分かった」
そう言いながらあたしはすぐメモへマイルドセブンとメビウスの事を書き始める。と、その間あたしの代わりにあいつがレジをやってくれた。こういうとこ、気が利くよなこいつ。
メモを書きながらチラっとあのバカを見れば平気そうにレジをやってる。言葉遣いもあたしよりも簡単に対応出来てるし、こう見るとこういう仕事はあたしよりあのバカの方が向いてるんだろうな。
それにしてもと、あたしはレジを手慣れた感じでやってるあいつを見る。
今日、本当はこいつは休みだった。だけど、あたしらのためにこの時間のヘルプって事で働いてる。
オーナーのおっさんは新人二人を同じ日に入れる事をどうかって思ってたらしいが、あいつが自分が教育するからって押し切ったらしい。
まぁ、本来はもう一人この時間帯に入ってる奴がいるから余裕があったらしいが、よりにもよってそいつが休みやがったせいでこの有様だ。
あいつはあたしとあのバカの教育をしながら業務を回してやがる。これだけでもあたしからすりゃ大したもんだ。
「只野君、新人さん達はどうだい?」
メモを書き終えたところで裏からオーナーが出て来た。何でも人手不足で昼から深夜まで毎日のように仕事してるらしい。
ただ、あいつが入ってる時だけは深夜帯だけ休みみたいな過ごし方をしてるって聞いた。あいつはもう店長みたいなもんだってオーナーも言ってたしな。
「初めてって思えないぐらいです。立花さんは愛想がいいし、雪音さんは覚えが早いし、きっと三日目ぐらいで基本は一人で対処出来ると思いますよ」
「そうか。それは助かるなぁ」
「あと、出来るだけ二人は一緒のシフトがいいと思います。互いの足りないとこを補うような長所と短所なんで」
「うーん、そうかぁ。でもなぁ、茂部君や近藤さんとも組んでもらう必要もあると思うんだけど……」
「近藤さんはいいですけど、茂部君とは組ませない方がいいですよ。何なら少しだけオーナーも立花さんのフォローしてやってください。それで俺の言う事分かるはずですから」
あいつの言葉でオーナーはそういう事ならってあのバカの方へ歩いて行った。
「なぁ、何であたしとあのバカをセットにするんだよ? 人手不足って言うならバラバラでシフトに入った方が」
「茂部って奴は大学生の男なんだけど、正直仕事はいい加減なんだ。元々深夜希望で入ってきたんだけど研修期間からちょいちょいサボるもんだから、俺が夕方へ回した方がいいってオーナーへ言ったんだ」
「……ホントにそれだけか?」
正直少しサボるってだけでこいつがんな事を言うとは思えねぇ。
「……飲み物の在庫を保管してる場所があるんだけど、そこで寝てた事があってさ。だから最初は断るべきって言った。でも人がいなくてそれは出来ないって言うから、ならせめて深夜よりは忙しくて早々サボれないだろう時間帯へって」
「そこまで厄介なのかよ?」
「夕方ではまともに働いてはいるらしいけどな。ただ、もう辞めたけど可愛いバイトの子へ連絡先を渡した事があるような奴だから……」
そこで納得した。要はこいつはあたしとあのバカを心配してるんだ。そのもぶ? とか言う奴があたしやあのバカへ迫ってくるんじゃないかって。
何て言うか、完全に保護者じゃねーか。ま、あのバカとデートをしてやったぐらいだもんな。
その後も基本レジ中心で時間は過ぎてった。あたしもバイト終わりには詰まる事なく言葉を発する事は出来るようになったし、あのバカも多少ミスはあったらしいがあいつがフォロー出来るレベルのもんだったらしく、大きな問題なく終わる事が出来た。
廃棄の見分け方も思ってたより簡単だった。ごみ袋の交換はちょっと抵抗感ある場合もありそうだけど、まぁそこは運次第だ。
帰り際、オーナーがバイト初日お疲れって事で小さなチョコをくれた。正直嬉しかった。
深夜勤務の人間と軽く挨拶をしてから三人で店を出ると、少しだけ冷たい風が吹き抜ける。普段こんな時間に外にいる事ないから妙な感じだ。
「どうだった?」
「楽しかったです!」
「まぁ、いい経験にはなった」
「そう。続けていけそう? 次は俺はいないけど」
その瞬間、あたしとバカの顔が曇る。そうなんだよな。次はオーナーはいてもこいつがいないんだ。
だからってあたしらが深夜帯ってのは無理だ。未成年なあたしらじゃ駄目だって言われたし。
「で、出来れば只野さんがいて欲しいです……」
「あ、あたしとしてもあんたがいてくれた方が安心出来る」
その言葉であいつが嬉しそうに笑ったかと思うと顔を急いで背けやがった。照れてやがるのか。
「そ、そうか。そういう風に言われると嬉しいけど、さすがに夕方と深夜続けて勤務はキツイからなぁ」
「で、ですよね……」
見るからに肩を落とすバカを見て、あたしは無理もないと思った。多分だけどこのバカはあいつに惚れ始めてる。
一緒の布団で寝てもいいみたいな事を思わず言っちまうぐらいだ。まず間違いないだろ。と、そんなバカを見てあいつは仕方ないって感じで息を吐くと後ろ手で頭を掻いた。
「……ちょっと待っててくれるか? 少しオーナーと話してくる事が出来た」
そう言ってあいつはまた店へ戻って行った。その背をどこか期待を込めたような目でバカが見つめてた。
「おい」
「え? 何?」
こっちへ向いた顔は普段のバカだ。でも、どっか違う気もする。
「きっとあいつ、あたしらが入る時だけ夕方から入る気だぞ」
「……やっぱりそうかな?」
「しかねーだろ」
「わ、悪い事しちゃったかな?」
「ま、あいつはそう思わねーだろ。きっと出来ない事はないんだろうさ」
「……お礼言わないと」
「止めとけ。きっとあいつもこっちに申し訳なく思ってるから堂々巡りになる」
「でも……」
「悪いと思ってんならメモを取る習慣つけろ。一度教えてもらった事、何回聞いてんだ?」
「あうっ、それはぁ……」
「言い訳すんな。お前、あいつだけじゃなくオーナーにも聞いてただろ」
「ど、どうしてそれを?」
「丸聞こえなんだよ。お前の声、大きいからな」
「で、でも、元気よくていいって只野さんもオーナーさんも褒めてくれたよ?」
「そりゃそうだろうがな、客への挨拶と同じ大きさで喋るなっての。時々客が笑ってたの聞いてなかったか?」
「ええっ!? あれって私の事笑ってたの!? てっきりクリスちゃんの言葉遣いに笑ってたんだと」
「おい、ちょっと待て。てーのは何か? お前はあたし様の苦労を聞いて笑ってたって事か?」
「そ、そんな事はないよ?」
「こっちの目を見ていいやがれっ!」
あたしがこのバカへ掴みかかろうとした時、あいつが店から戻ってきた。手には店で買ったのだろう何かが入ったそれなりの大きさの袋がある。
「お待たせ。じゃ、帰ろうか」
何を話してきたかを言わず、あいつは歩き出した。その後を追う形であたしらも歩く。
「あ、あのっ、何を話してきたんですか!」
「二人は週三の希望だろ? 俺も稼がないといけなかったし、オーナーに言って研修中の間だけ夕方から出れるようにしてもらった」
「ホントですか!?」
「ああ。ただ、俺も年齢があるから付き合えるのは研修期間だけ。それが終わったら悪いけど……」
「分かってるっての。大体あたしらはこっちで一週間過ごしたら一旦戻るんだからな?」
「それは分かってるよ。でも、すぐに戻ってきてくれるんだろ?」
「はいっ!」
バカが即答しやがった。ただ、あたしは即答は出来ない。
「雪音さんは無理そうかな?」
でも、こいつの暮らしを見てると放置は出来ねぇ。それに、この世界で何か起きるもしくは起きてるのは間違いないんだ。
それを調べるにも金はいる。そうだ。ここじゃ今までみたいな動き方じゃ不味い。調べてくれる人手はいないし入ってくる情報だってない。こうなるとやっぱあたしらだけじゃ足りないな。
「戻ってくるっての。ただ、やっぱり調べる事に時間を割ける人間を連れてくる必要がある」
「え? 誰か連れてくるの?」
「しかねーだろ。あたしらはバイトしないとならねーのに、その上で調査なんて体力が持つか不安だろうが」
「そうだな。響はともかく雪音さんは体力ないもんなぁ」
ぐっ、こ、こいつそんな事まで知ってやがるのか。と、そこで思い出した。そういやこいつ、搬入の荷物が来た時あたしにはレジを任せてたな。
あれ、今思えばあたしの体力を心配してたのか。でもそれをそのまま言うとあたしが反発すると思ってレジを任せた?
「……そういうこった」
あまりしたくないが体力作りに走る事でもやるか。きっとあのバカは喜んでやるだろう。てか、下手したらこっちでもやるな、こいつ。
そんな風に思って見てたらこっちへバカが顔を向けてきた。
「クリスちゃん、明日も頑張ろうね!」
「……ああ」
ま、いいか。向こうじゃ装者って事もあってバイトなんてやりたくても出来ねーしな。そう思ってあたしは手にしてた物を思い出した。
オーナーがくれたチョコ。このままじゃ体温で溶けるか。そう思ってもらったチョコの包みをはがして食べる。でも口の中に広がる味は思ってたような普通の味じゃなかった。
「ん~……このチョコ、プリン味だぁ」
どうやらバカも同じタイミングで食ったらしい。なんつーか、妙に気恥ずかしいな。
「あー、ちゃんとしたプリン食べたくなってきちゃった。クリスちゃん、どう?」
「……否定はしねぇ」
それどころか賛成したい。何だよ、この感じ。何て言うか、こんな会話あまりこいつとした事ないな。
「ははっ、とにかく早く帰ろう。っと、その前に晩飯を買おうか」
「「買う?」」
あたしらに笑みを見せてあいつは先導するように歩き出した。アパートへの道じゃねぇなこれ。
そう思いながらもその後を追う様に歩いてると、やがてあいつの足が一軒の店前で止まる。
ここは……弁当屋か。
「すみませーん。まだ間に合いますかー?」
あいつが店の中へ声をかける。すると、少し間があってエプロンを着けたおばさんが出て来た。
「はいはい。あら、仁志くんじゃない。今日はどうしたの? いつもなら夕方に来るのに」
「色々ありまして。いつもの出来ます?」
「いいわよ。まだ火を落としてないからって……」
そこであたしらへ気付いたのかおばさんの目がこっちへ向いた。で、若干ニヤッとした感じに笑ってあいつへ顔を向ける。
「あ~ら、隅に置けないわねぇ。そんな可愛い子二人連れて」
「今日から入ったバイトの後輩ですよ。なので先輩として初日ぐらいイイカッコしたいんで、いつもの三つお願いします」
「はいはい、そういう事にしておくよ。盛りは?」
「えっと……」
店のおばさんと話すのを見てここによく来てるのが分かった。あと、多分休みの日にしか使ってない事も。
視線を動かせばあのバカは店のメニューを眺めてやがった。その目がキラキラとしてる気がするのは気のせいか?
「クリスちゃん、見て見て! のり弁が二百八十円だって!」
「マジかよ、安いな……」
「うわっ、唐揚げ弁当は三百六十円だよ! ご飯の大盛りは……えっ!? 無料なのっ!?」
「大盤振る舞いな店だな、おい」
「そうだよ。だから今もたまに使ってるんだ」
あたしらが話してると注文が終わったあいつが話に入ってきた。
「たまに、何ですか? その割に凄く親しげでしたけど……」
「コンビニの前はここで働いてたんだよ」
「そうなのか。何で辞めたんだよ?」
「まぁ、悲しい話さ。年齢のせいかここでの週五勤務がきつくなって、シフトを減らして続けてたけど今度は当然収入が苦しくなった。で、同じ日数で収入が上がるところへ行った。食事に関してはコンビニよりも良かったんだけど、掛け持ちは無理だったしな」
複雑な顔をするのを見て、多分ここを辞めたくなかったのは分かった。だからこそおばさんも笑顔なんだろうな。
で、そこで三人で会話しながら待つ事に。ここのオススメはあいつ曰く生姜焼き弁当らしい。でも一番人気は唐揚げで、二位がのり弁。三位がしゃけ弁だそうだ。
「あの、一体何を注文したんですか?」
「それは帰ってからのお楽しみ。ただ、ヒントを出すなら値段は五百円」
「「五百円……」」
結構な値段な気がするのがすげぇな。普通に考えりゃそこまで高いってはずじゃないんだが、他の弁当の値段見てるとそう思うんだよなぁ。
あと、あたしらの時給の半分以上が飛ぶって考えるとやっぱたけぇ。なんつーか、今までは装者としての給料だったからそこまで稼ぐのが辛いとは思わなかったけど、ああして普通の働きで稼ごうとすると辛いってよく分かる。
ギアが使えない世界じゃ、あたしらはただの小娘だもんな。
「はいよ、いつもの」
「ありがとうございます」
「お嬢ちゃん達、仁志くんと仲良くしてやってね。この子、真面目で良い子だから彼氏には向いてるわよ」
「や、止めてくださいよ。この子達はまだ高校生なんですからね? 俺みたいなおっさんと付き合うなんて罰ゲームです」
「だから彼氏にはって言ったのよ。旦那には、ねぇ」
「あの、悲しくなるんで止めてください。ほら、千五百円置いておきますから」
「そんな事言ってるといつまでも一人になっちゃうよ? 十歳ぐらいの年齢差なら最近じゃ珍しくないし」
「俺が良くてもこの子らには選ぶ権利ともっといい相手と出会う可能性がありますから。じゃ、これで失礼します」
「あっ、待ってくださいよ只野さんっ!」
逃げるように歩き出すあいつをバカが追い駆ける。あたしも追い駆けようとして……
「お嬢ちゃん」
「え?」
「仁志くんなら大丈夫だと思うけど、それでも注意はするんだよ? 家とか簡単に入らないようにね。思春期迎えたら男はみんな狼を飼ってるからさ」
何とも言えず、とりあえず頷いてあたしも二人を追い駆ける。
あのおばさん、あたしとバカがあいつの部屋で寝泊まりするって聞いたらどんな顔すんだろうな。
てか、よく考えたら着替えとかどうすんだ? あそこじゃ仕切りもないから無理だろ。ホント、あたしも考えが足りてねぇけど、あいつも大概だな。
「……ま、そりゃそうか」
しっかりしてるように見えても、あいつは自分で言ってた通り一般人だ。今までのような抜かりない考えとか手回しとか出来ない方が普通なんだよ。
ホント、駄目だなあたしも。どっかで今までみたいに考えてやがる。やっぱ、このままじゃ駄目だ。
でも……
「クリスちゃーん、早く早く!」
「弁当が冷める前に食べよう!」
こっちへ手を大きく振るバカと弁当の入った袋を見せるように持ち上げるあいつを見て、あたしは息を吐いてちょっとだけ速度を上げて走る。
「分かってるってのっ!」
今はこの何でもない時間を楽しんで過ごすとすっか。
仁志の買った弁当は、簡単に言えばミックス弁当だった。唐揚げが二つに生姜焼きもあり、昆布の佃煮がのりの下に敷かれたご飯の上にちくわの磯部揚げと白身フライが乗っているというものだ。
しかもクリスのは普通盛りで、響の分は大盛りになっているという配慮がされていた。
「「おお~……」」
「美味そうだろ? これ、俺だけの特別弁当なんだ」
「元従業員ならではってやつですね!」
「すげぇボリュームだな。でも、美味そうな匂いだ」
慣れない仕事をしたためか、二人は午後十時半近くという本来であれば食事をするはずのない時間にも関わらず強い空腹感を感じていた。
そこへ食欲を刺激する香りと見た目である。油ものをこんな時間に、それも寝る前に食べては太ると二人もどこかで分かっている。それでも目の前の食事を前にして箸を手にしないという選択肢はなかった。
六畳間の狭い部屋。そこにある折り畳み式のテーブルへ三つの弁当と三つのコップが並ぶ。
響が黄、クリスが赤、仁志が黒という配色のコップには緑茶が注がれている。更に二人の少女はそれぞれ座布団を敷いており、それらは全て前日の買い物で手に入れた物である。
そして仁志の使い古していた布団の傍には真新しい布団が一組あり、その上に枕が二つ置かれていた。響とクリスが一緒に寝るための寝具である。
「じゃ、食べようか」
「はい!」
「おう」
三人揃って手に箸を持った。それらも百均で購入したものだ。
「「「いただきます」」」
まず仁志はご飯を、響は唐揚げを、クリスは生姜焼きをそれぞれ口に入れる。
「「「ん~……」」」
幸せそうな顔をする三人。空腹で食べる温かく美味い食事というものはやはり幸せになってしまうものなのだ。
「只野さんっ! これ、すっごく美味しいです! 下味が付いてるんですよね、これ」
「そうだよ。あの店特製のタレがあるんだけど、それに一晩漬け込んでおくんだ」
「この生姜焼きもすげぇぞ。お前がオススメって言うだけあるぜ」
「だろ? 特にそのタレが絡んだ玉ねぎがいいんだよ。店で白飯の廃棄が出た時は、生姜焼きのおかずだけ頼んで生姜焼き丼にして食べる時もあるんだ」
「そんなに美味しいんだ。じゃ、次は生姜焼きを食べよう」
「あたしは唐揚げにいくか」
こうして二人の少女は夜遅い時刻に食べる高カロリーという禁断の味に舌鼓を打ち、食後のお茶を飲んで一息つく。そこへ仁志は更なる悪魔の味を二人へ差し出すのだ。
「で、これは俺からのバイト初日お疲れさまってやつ。あのチョコを食べたらきっと欲しくなるかなって思ってさ」
そう言って彼がテーブルの上に置いたのはコンビニのプリンだった。
「これって……」
「買ったのかよ?」
「当然。まぁ深夜なら廃棄で一つは出たかもしれないけど、あの時間じゃまだ早いから」
「い、いいんですか?」
「むしろ俺の台詞だよ、それは。今後こっちでバイトしてもらうんだ。これで向こうに戻った時に経過時間が同じか下手して加速してたら申し訳ないじゃ済まないから」
その言葉に響とクリスは思わずプリンへ向けていた視線を上げて仁志の顔を見た。彼は真剣な表情をしていたのだ。
「その、今回の事はお互いに予想出来ない事だらけだ。俺が知ってる知識は結局そっちとそこまで変わらないけど、それでもこれだけは言える。平行世界じゃないところと繋がったっていうのは、どう考えても悪い事しかない」
「だな。これまではあたしらのいた世界と同じか似たものが多数あった。でも、ここはそれがまったくない」
「そう。で、極めつけに時間の流れ方が明らかに狂ってる。これ、もしかすると今回の事件に関係してる可能性が高いと思う」
「かもしれねぇ。こうなるとやっぱり調査専門の人間を」
「で、でも、スマホがないと動けないんじゃ調査出来ないよクリスちゃん」
響の言葉に仁志とクリスが同時に同じ表情を浮かべた。失念していたとそういう顔である。と、そこでクリスは何かを思い付いて仁志を見た。
「なぁ、そのスマホ、今度あたしらが戻る時に借りてもいいか?」
「……調べてもらうんだな?」
「ああ。エルフナインなら何か分かるかもしれねーからな」
「分かった。じゃあ、その時に」
そこで難しい話は終わり、二人は食後のデザートを堪能する。が、その後で問題が一つ。
「あ、あの、只野さん。そういえばシャワーとかって……」
「……申し訳ないけどない」
実は初日は二人も慣れない場所などで疲れたのか仁志がバイトへ向かう前に眠ってしまい、汗を流す事を意識せずに過ごした。
翌朝はクリスが起きた時には仁志が眠っており、また聞けずじまい。さすがに今夜は汗を流したいと思っても普通である。
それに対する答えがそれだった。そもそも部屋の作りからしてそんな場所がない事は二人も薄々は覚悟していた。
もし仁志が風呂なしトイレ共同の場所で暮らしていれば、きっと彼は共同生活を持ちかける事もしなかっただろう。
だが、やはり風呂は無理でもシャワーぐらいは欲しいのが女性と言うものである。そういう意味では響はしっかりと乙女であった。
「マジか。お前、今までどうしてたんだ?」
「たまに歩いて十分ぐらいのとこにあるスーパー銭湯。それ以外は二日か三日に一回ネカフェでシャワーだけ借りてた」
「い、いくらですか?」
「俺が行ってるとこは三十分利用で三百円」
「ぐっ、あたしらの時給の三分の一強ぐらいか」
「そ、そう考えると高いような気がする……」
寝間着へ着替えるかどうかとなったところで女性ならではの問題発生。汗を流すという事だ。
男性で一人暮らしが長かった仁志は気にしないでも、年頃の響とクリスはそうはいかない。
そしてそうなれば仁志の行動は一つだった。彼は立ち上がると上着を手に取り、財布とスマホをポケットへ突っ込んだ。
「スーパー銭湯はちょっと無理だけどネカフェへ案内するよ。申し訳ないけどしばらくはそれで我慢してもらえるか?」
「ほ、ホントにいいんですか?」
「男の俺と同じようにしろなんて女の子二人には言えないよ。身綺麗にしていたいのが女性だし」
「その、わりぃ。あまり金の余裕がないってのに」
「いいんだ。それに俺にもメリットはあるよ。こんな可愛い女の子二人を連れて夜道を歩いてネカフェへ行って、その後は湯上りの姿を見せてもらえるんだしさ」
二人が気にしないように笑みを見せて仁志は玄関へと向かう。響とクリスもそれに続こうとして、はたと動きを止める。
――く、クリスちゃん、着替えはどうする?
――さ、さすがにパジャマに着替えてここまで歩いてくるのは恥ずかしいな……。
――そ、それだけじゃなくてさ。し、下着は?
――……あいつはきっとそこまで気付いてないと思う。なら、服はこのままで帰ってきて、あいつに少し外で待ってもらってパジャマに着替える。これでどうだ?
――の、ノーブラノーパンで帰ってくるのっ!?
――ブラは着けても平気だろ。
――じゃ、じゃあ……。
――……下は仕方ねーだろ。お前、一度脱いだやつ、履くか? もしくは帰りだけのために新しい下着持ってくか?!
――そ、それはたしかに考えるとこだけど……。
――だろ? だからここはどうせ寝る前には脱ぐって思ってだな……。
話題が話題故に小声でもテンションが上がる二人。だが、結局狭く静かな六畳間である。それが聞こえた仁志は頭を抱えた。
(こ、これは聞かなかった事にしておこう。てか、ホント配慮足らないなぁ、俺)
男一人の気ままな暮らしとはいかないのだ。そう改めて思い直し、仁志は天井を見上げた。
「……マジで引っ越し、考えようかな」
四畳半になってもいいからシャワーがある部屋を。そう考えて明日にでも住宅情報誌を立ち読みに行こうと決意して。
その決意の呟きを他所に少女二人の話し合いは続く。その結果、いつしか仁志が耳を塞いだ事は言うまでもない。
昭和な住まいでも只野一人は平気。ただし、そこは独身男だから平気な部屋です。
神田川な環境では現代っ子な二人の少女はやはり辛いと思うのでしょう。