シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

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只野が目を付けていた物件は、以前響達と未来達を合流させる場合にと探していた物件の一つです。
そして、アナザーで彼が引っ越したものでもあります。

あちらでは平和な場所でしたが、こちらでは……。


かばんの隠し事

 部屋へ戻ってくるなり、俺は布団へと大の字で寝転がった。

 足の痛みが地味に戻ってきていたし、何よりも気怠さが凄い。

 

「これが戦うって事か……」

 

 奏が働き始めた辺りで軽く体力作りを始めていたのに、そんなものは意味がないとばかりの疲労っぷりである。

 やっぱり俺がみんなと一緒に戦うなんて無理なんだろうか?

 

「ししょ~っ!」

「へっ? っぷ!?」

 

 天井を眺めながら呟いていたら、いきなり切歌がのしかかってきた。

 暑い柔らかいちょっと重いけどいい匂い。

 

「切ちゃん、そのままだと師匠が息出来ないよ?」

「はっ!?」

 

 バッて感じで飛びのく切歌だけど、俺としては実にらしいと思えて安心出来た。

 視界の中には申し訳なさそうな切歌の顔がある。

 

「し、ししょー、ごめんなさいデス」

「いいよ。おかげで切歌が本当に戻ってきたって思えた」

「だって。良かったね切ちゃん」

「ししょ~……」

 

 上半身を起こして切歌の頭を撫でてやると、その瞳がジワッと潤んだ。

 だから余計に労うように優しく撫でる。

 こんな年齢で並の大人でさえも音を上げる事をやってきた少女の癒しになればと、そう思って。

 

「それにしても、マリアは残念でした」

「そうだね。もしかしてマリアさんは悪意が未来よりも強く根付いてる?」

「可能性はある。思い返してみれば、マリアが悪意に最初に乗っ取られた。そして旅行先のホテルでもイグナイトギア状態にされた。悪意が根付き易い状態なのかもしれない」

「だとしても……」

「今度は絶対元に戻してみせるデスよ」

 

 翼の推測に調と切歌が決意を新たにしたところで可愛らしい音が鳴る。

 出所は俺の目の前の少女からだった。

 

「あ、あはは……お恥ずかしいデス」

「そっか。切ちゃん、あれから何も食べてないもんね」

「デスよぉ。ししょー、何か食べ物くださいデース」

「はいはい。えっと、じゃあお金を渡すから自分で好きな物買っておいで」

「いいんデスかっ!?」

 

 今日一番の食いつきだ。

 

「いいよ。調、君も一緒に行くといい」

「私も?」

「ああ。たった少しかもしれないけど、それでも無理矢理引き裂かれたのは間違いないんだ。その分、平和な中で埋め合わせておいで」

 

 そう言って俺は財布から千円札を一枚取り出した。

 多分調はそんなに食べないだろうから、これで十分足りるだろう。

 

「はい、これ。おつりは返してくれると嬉しい」

「うん、分かった。師匠の気持ち、ありがたく受け取る」

「ししょー、ありがとデス」

 

 嬉しそうに笑顔で部屋を出て行く二人を見送り、俺は息を一つ吐くと顔をエルへ向けた。

 響へ持たれるようにして休んでいる様はどこか癒しでもある。

 

「エル、体の方はどうだい?」

「大分楽になりました」

「それなら良かったよ。まさかエルがダウルダブラを纏うなんて想像もしてなかったから」

 

 あれには本当に驚いた。一瞬キャロルが目覚めたのかと思ったぐらいに。

 ただ、あの場合は何て言うんだろうか?

 キャロルナインと呼ばれたのが、エルの体の大きさでキャロルの状態なら、エルのままでダウルダブラは……エルフロル?

 

「うん、話を聞いた時はホントにビックリしたよ」

「エルちゃん、キャロルは寝てるの?」

「え、えっと、多分ですがまだ以前のように体を制御出来る程の状態ではないんだと」

「きっとあれだ。意識だけは目覚めてるってやつだろう」

 

 ヴェイグの言葉にエルが頷いたので、どうやらそういう事らしい。

 それにしても、キャロルの意識が目覚めた、かぁ。これはもしかするともしかするかもしれない。

 

「埒外物理を超える七つの旋律。それを上回る十の旋律が可能かもしれないのか」

「そっか! 今の私達は奏さんとセレナちゃんも加えられるんだっ!」

「そこにキャロルが入れば、十人による音色で歌を奏でる事が可能か。もしや、それが悪意を倒すための必要条件?」

「かもしれないな。でも、俺はやっぱり愛だと思うよ」

 

 幾多ものヒーロー物でも、最後の決め手が人の強い想い、要は心の光だった事は多い。

 悪意が人の心の闇の集合体なら、確実にその弱点は愛や希望などの光のはずだ。

 

「愛、かぁ」

「そういう事なら、立花が小日向を元に戻したのもそうと言えるな」

「ですね。翼さんもそうですもんね?」

「っ?! い、いや、その、私は……」

 

 してやったり顔の未来と狼狽える翼に俺は笑みが浮かぶ。

 愛の力、か。俺の気持ちが翼や未来を戻した一助になれたのならこんなに嬉しい事はない。

 

「兄様、兄様の方こそ体は大丈夫ですか? 見たところかなりお疲れのようですけど」

「やっぱりそう見える?」

「「はい(ああ)」」

 

 エルだけでなくヴェイグまで頷いてきたので、俺は苦笑しながら布団へ横になった。

 

「じゃ、やっぱり寝かせてもらうよ。エル、良かったら一緒に寝るか?」

「はいっ!」

「ん。じゃ、悪いけど休ませてもらうな」

「はい、えっと、いつ起こせばいいですか?」

「一時を過ぎても寝てたら起こしてくれ」

 

 さすがに昼飯を食べない訳にはいかない。

 それに今日は車がない。まぁ、あったところでさすがにこの人数が乗れる程大きな車じゃないけど。

 

 俺の言葉に小さく笑って頷いてくれた響達に感謝し、俺はエルとヴェイグも一緒に布団へ横になって目を閉じる。

 

 すると疲れてたからかあっさりと意識が遠のいていく。

 

――辞める?

――はい……。

 

 もう思い出したくない夢を見た。

 少し薄暗い倉庫として使われている場所。

 そこにいる白い作業着を羽織った俺と、茶色や紫を使った女性用の店舗制服を着た女の子。

 

 忘れたい、俺の一番の後悔の記憶だ。

 

――そっか……。その、何て言えばいいか……。

 

 原因は、明らかに俺がした事だと分かった。

 俺が店長へ口出した事で彼女へも迷惑がかかっているのは、何となく感じ取っていたから。

 

――ホントです。ここ、時給も良くて気に入ってたのに……。

――っ……。

 

 明らかに不満を露わにしての呟きは、思った以上に俺の心を抉った。

 まるで俺だけが悪いと言われたような気がして、その怒りのようなものを顔には出さないように拳をキツク握って抑えた。

 

――……なら、何も辞めなくても。

――只野さんが余計な事言ったせいですっ! そのせいで私、ここを辞めないといけなくなったんですからねっ! 泣いてたからって勝手な正義感を出されるの迷惑なんですよっ! おかげで只野さんとデキてるんじゃないかとか言われるし……。

 

 そこは女性が多い職場だった。そのためか、どうしてもその手の話題が盛り上がるらしかった。

 しかも、幸か不幸か彼女はそれなりに容姿も整っていた。

 付き合ってるとあの時の彼女は言ったが、おそらく本当は俺が気があるからいいとこ見せようとしたとか、そんな辺りだったはずだ。

 

――……申し訳ない。

 

 そう返すのが精一杯だった。彼女は頭を下げる俺に何か言う事もなく、着替えるためにその場を無言で去った。

 

 残された形となった俺はしばらくその場に力なく座り込んだ。

 良かれと思ってやった事だった。たしかにやり方は不味かったと思った。

 けれど、まさか助けようと思った相手にお前が悪いと言い切られた事は、全身から力が抜ける程堪えたから。

 

 その後、どうしたのかよく覚えていない。

 気付いたら部屋に戻っていて、倒れるように玄関先に寝転んだ事だけ覚えている。

 

 そして派遣会社の担当の人へ、来月いっぱいで派遣先を辞めさせてくださいと連絡した。

 そうしたら、まぁ当然かもしれないが昼休憩の時に職場の店長に喫茶店へ連れて行かれ……

 

――困るよ只野君。その、商品補充のシフトは人数に余裕がないのを知ってるだろ?

 

 よりにもよって、あの店長がそんな事を言って慰留しようとしてきたのだ。

 許されるのなら、あの時俺はグラスの水をかけてやりたかった。

 

――代わりならいくらでもいるって言ったのは誰だっ!

 

 彼女だって商品補充の裏方だ。それを厄介な客一人のために心を傷付けたのは誰だと。

 

 だけど、それを言ったところで何も変わらないと分かっていた。

 だから俺はただ淡々と……

 

――もうここで働く事は出来ません。可能なら今日限りで辞めたいぐらいです。

 

 と、そう返して残るつもりはないと告げるだけに留めた。

 本当は、あんたの下ではと付けてやりたかったけど。

 

――本当にいいの? 言っとくけど、君が辞めるって事は君の派遣会社からこっちが人を雇う事を止めるかもしれないんだけど。

――ご勝手にどうぞ。

――あの場所の他の店で働く事、出来ないけど?

――構いません。

 

 あの頃は分からなかったが、今にして思えばあれはパワハラだろう。

 本当に俺は無力で考えが足りなかったな。あれ、録音しておけば訴えられただろうに。

 

 ああ、本当に苛立ちと憎しみが湧いてくる。

 思えば勤務を始めた当初に客の動きが悪く補充などのやる事がなくなった時、店長へ出来る事がないんですと言った時に……

 

――仕事はいくらでもある。

 

 とだけ言われて何も具体的な指示も出さなかった時から、ちょっとどうかと思ってたんだよ。

 今にして思えば、やっぱりそういう人だったんだと思う。

 そんな奴が店の長という事がある意味不幸だったんだろう。

 

「……さんっ! 仁志さんっ!」

「っ!?」

 

 体を揺すられた上に聞こえた声に目を開ける。

 汗が噴き出したかのように流れていて、寝たはずなのにむしろ疲れた感じさえある。

 

「良かったぁ。仁志さん、うなされてたんですよ」

「……そっか」

 

 響の言葉に納得するように返して上半身を起こす。

 エルは……まだ寝てるか。

 

「えっと、今何時?」

「正午を少し過ぎたぐらいです」

 

 スマホを手に未来がこっちへ画面を見せてくれた。

 そこには12:04と表示されている。

 大体三時間ぐらいは寝たか。なのに全然疲労感が抜けてない。

 

「ししょー、何だか寝る前よりも顔が疲れてるデスよ?」

「うん、悪い夢を見てたの?」

「あー、うん」

 

 正確には夢じゃなくて記憶、だけど。

 何であんな事を思い出したんだ? もしかして、これも悪意の影響か?

 

 ……あり得る。俺の人生で一番心に闇を抱えていた頃があの時だ。

 そして一番荒んだのがその後だ。

 陽子さんへここでバイトをさせてくれと、そう言い出すまでになるには割と色々あった。

 主に心の問題だけど、この部屋で自分の人生について考えた日々を過ごしたし。

 

「あの、仁志さん。もう少し寝てた方がいいんじゃないですか?」

「私も響の意見に賛成です。只野さん、本当に疲れた顔してますよ?」

 

 心配そうにこっちを見つめてくる響と未来。

 翼達も声には出さないけど同じ気持ちらしい。表情が二人と一緒だ。

 

 ただ、何となく今寝てもうなされそうなんだよなぁ。

 

 その不安を告げると、響達五人が揃って考え込んでくれた。

 その間、俺は眠ってるエルやヴェイグを眺めて心を癒していた。

 優しくて可愛い寝顔を見てると、これを何としても守りたいって気持ちになる。

 

「じゃ、じゃあ、膝枕、しましょうか?」

 

 そこへ聞こえてきた未来の言葉に俺は思わず顔を上げた。

 

「ど、どうですか?」

「それは……嬉しいけど……」

 

 少し照れている未来の可愛さにどう返したものかと考えていると、その隣に座ってる響が勢い良く手を挙げた。

 

「わ、私もやりますっ!」

「ま、マジで?」

 

 ブンブンと音が聞こえそうな感じで首を縦に振る響に俺はどうしようと考える。

 いや、未来や響の膝枕なんて拒否する理由がない。けど、こうなると流れ的に……

 

「じゃ、アタシもやるデス」

「私もやる」

 

 やっぱりザババコンビも手を挙げた。さて、こうなるとオチは一つしかない。

 そこで俺は翼を見つめた。すると響達四人も翼を見つめてくれたのだ。

 

「え? え?」

 

 突然注目された事に戸惑う翼だが、さすがに俺達が見つめ続けた事で何か察したのだろう。

 少しだけ恥ずかしそうに小さく手を挙げて……

 

「な、ならば私もやろう」

「「「「どうぞどうぞ」」」」

 

 見事オチた。というか、このネタって響達も知ってるんだな。

 で、ならと俺は翼の膝枕を堪能する事に。

 

「重たくない?」

「それは大丈夫。その、硬くない?」

「うん、女性らしい柔らかさだと思うよ」

 

 翼に自分の布団の上に座ってもらって、俺はその膝を枕代わりにして横になる。

 そんな俺達を響達がどこか微笑みながら眺めてくるのが少しだけ恥ずかしくはあるけど、それよりも翼に膝枕してもらえている事の喜びが勝っているのでへいき、へっちゃら。

 

「仁志さん、嬉しそうですね」

「うん。でも、これは誰にしてもらえても同じ反応だと思うよ」

「じゃあ次は私がしてあげますね」

「あっ、未来の次は私ですよ」

「じゃあじゃあアタシはその次デス」

「最後は私だね」

「ふふっ、だって?」

「そりゃ嬉しいや。幸せ過ぎてどうにかなりそうだ」

 

 目を閉じて少しでも体と意識を休めようとすると、微かにいい匂いがする。

 それが翼のものだと理解して興奮ではなく安堵するのは、やっぱりそれだけ疲れているって事なんだろうと思った。

 

「寝てもいいよ仁志さん。今は、仁志さんが一番休んでくれないと困るから」

「ありがとな……つばさ……」

 

 そっと俺の鼓膜を揺らす優しい声に脱力して、俺は再度意識を手放した。

 今度は夢を見る事もなく起きる事が出来たので、やっぱり膝枕って効果あるんだなと実感出来た。

 

 翼の膝枕で目覚めた後は未来達にもそれをしてもらって、何だか軽くイチャイチャしたような感じになったけど、おかげでかなり体も心も軽くなった感じになれたので良しとする。

 昼飯は未来と調が作ったラーメンになった。即席の物に野菜やソーセージをいれたものだけど、空腹には十分過ぎる御馳走だった。

 

「じゃ、ちょっと行ってくる」

「「「「「行ってらっしゃい(デス)」」」」」

「「気を付けて(な)」」

 

 で、食べ終わった俺は駅前の不動産屋へ例の借家について話を聞こうと思って向かう事に。

 装者五人とエルやヴェイグに送り出されて、俺は足取りも軽く少し肌寒くなり始めた秋空の下を歩く。

 

「非常事態かもしれないけど、少しぐらいは幸せになってもいいよな?」

 

 誰にでもなく呟いて俺は駅前を目指す。

 あの借家、まだ空いてるのなら内見させてもらって、余程じゃなけりゃ即決しようと心に決めて……。

 

 

 

 帰宅した仁志さんはニコニコ顔だった。

 

「これ、決めてきた家の間取りだよ」

 

 そう言って見せてくれたお家の間取り図は、二階建てのそれなりに広い感じのする家だった。

 二階に部屋が三つあって、一階にリビングとダイニングキッチン、お風呂やトイレがある作りだ。

 

「決めてきたんですか?」

「ああ。ここなら最悪全員集まっても何とかなるだろ?」

「ししょー、相変わらず決断力が凄いデスよ……」

「うん、凄い」

「で、さっさと契約してきたから引っ越し開始だ。とりあえず布団かな。で、エル達はどうする?」

 

 そこで私とエルちゃんは話し合いを開始。

 

「エルちゃんはどうしたい?」

「僕は……もう少しおばあちゃんとおじいちゃんの傍にいようと思います」

「そっか。じゃ、私ももうちょっとおばさんとおじさんのお世話になろうかな」

 

 でもあっさり仁志さんの実家にそのままお世話になる事に決定。

 ヴェイグさんはエルちゃんが行くところへ一緒に行く事にしてたらしく、特に言う事はないらしい。

 

「仁志さーん、私も手伝っていいですか~?」

 

 気付けば翼さん達はそれぞれの布団を圧縮袋へ詰めていて、切歌ちゃんと調ちゃんが枕を二つずつ持っていた。

 なので私も何か手伝おうと思ったんだけど、仁志さんは私の言葉に苦笑して首を横に振った。

 

「気持ちは嬉しいけど、特にしてもらう事はないよ。あるとしたら、エルの布団を一応移動させるぐらいかな?」

 

 そっか。私の布団はもう仁志さん家の部屋に移動させたっけ。

 

「エルちゃん、どうする?」

「そうですね……」

「むしろエルの布団はここに残すべきだと思うぞ立花」

 

 聞こえた言葉に私とエルちゃんが顔を動かす。

 翼さんはこっちを見ながら笑ってた。

 

「全てを終えたとしても、私達はまたここへ来る事もあるだろう。その時に寝具がないのは困るだろう。特にエルはここへ必ず来なければいけないからな」

「……そうですね!」

 

 うん、そうだ。エルちゃんは依り代を返しにここへ絶対来るんだ。

 

「でも、一度見てみたいよね?」

「はいっ!」

「仁志さ~ん!」

「はいはい、聞こえてたよ。じゃあ、一先ず全員で行こうか」

 

 仁志さんが苦笑してそう言うと未来達も同じような顔をした。

 でも、何となく前みたいな感じがしてきて、私は少しだけだけど嬉しかった。

 早くここにクリスちゃん達も取り戻したい。またみんなで笑い合いたいな。

 

 布団を入れた圧縮袋を翼さんと未来、それに私も持って歩く後ろを枕を持った切歌ちゃんと調ちゃんが歩く。

 一番先頭を仁志さんと手を繋いだエルちゃんが歩いてるのが、本当に親子みたいに見えて微笑ましい。

 

「古いって言ってたけど、どんな感じかな?」

 

 歩きながら未来がそう話題を振った。仁志さんの言い方だと築30年ぐらいは経ってると思うなぁ。

 

「さあな。だが、あのアパートよりは新しいらしいから、あの平屋といい勝負なのではないか?」

「でも、ちょっとだけ楽しみですね」

 

 私がそう言うと未来と翼さんが小さく笑って頷いてくれた。

 仁志さんのアパートから歩く事大体八分ぐらいかな。それで見えてきたのは、やっぱり古そうな二階建てのお家。

 

「兄様、ここですか?」

「そう。見た目よりは新しい感じの作りだよ」

 

 言いながら仁志さんが鍵を開けて玄関のドアを開ける。

 思えばマリアさん達の家はドアじゃなくて引き戸だったっけ。

 

「まず暁達を先に入れるぞ」

「あ、はい」

「そうですね」

 

 私達は視界が悪いし時間がかかる。なので身軽な二人を先にするのは分からないでもない。

 

「暁、月読、先に中へ入ってくれ」

「了解デスよ」

「分かりました」

 

 仁志さんとエルちゃんに続いて切歌ちゃんと調ちゃんが家の中へ入ってく。

 で、その後は未来、私、最後が翼さんだった。

 まず布団を二階へ運んだ。階段上がってすぐの部屋を仁志さん曰く寝室にするみたい。

 

「結構広いですね」

「だろ? ここなら物がない今は五人ぐらい余裕で寝れる」

「残りの二部屋も……物がない今なら三人は余裕で寝れますね」

 

 翼さんの言う通り、他の部屋もそれなりの広さがある。

 ここだけでエルちゃんを入れた全員で寝れるね。

 

「ああ。生活空間は下のリビングやダイニングで十分だろ?」

「兄様、どうしてここを最初から選ばなかったんですか?」

「空いてなかった?」

「もしくは家賃が問題デスか?」

 

 エルちゃん達三人の問いかけに仁志さんは苦い顔で話してくれた。

 何でもここを見つけたのは夏も終わりになった頃だったらしい。

 私とクリスちゃん、それに翼さん達三人を合流させようと思った時、部屋を探して偶然見つかったんだって。

 

「でも、思ったよりも早くクリスまで辞める算段がついて、合流させる必要性がなくなったから」

「それでここを借りる事はなかった、と?」

「そういう事。まぁ、もしこうならなかったら俺がここへ引っ越そうかなって思ってたんだけどね」

「そうなんですか?」

 

 だって、ここの家賃だと仁志さんのお給料の半分近くがなくなっちゃう。

 それなのに住むなんて理由が分からない。

 

「ほら、奏が別れ際に言ったじゃないか。再会したらあの部屋よりも少しは良い場所に暮らしててさって」

「「「「「「あ~……」」」」」」

 

 まさかのヴェイグさんまで同意するように声を出した。

 

「で、収入もシフトを若干残業して九時まで働けば割と増えるし。それなら家賃払っても何とかなるかなぁって」

「行き当たりばったりデス!?」

「師匠らしいと言えばらしいけど……」

「兄様、そんな事をしたらきっと体調を崩します!」

 

 エルちゃんの言う通りだと私も思う。

 実際前は週4のシフトでさえ辛そうにしてた。

 今でこそ週5でも平気な顔をしてられるのは、マリアさんや調ちゃんが毎日ごはんをちゃんと作って食べさせてたからだ。

 

 それだけじゃない。きっとエルちゃん達や私達との関わりも癒しになってたはず。

 

「そ、そうかな?」

「タダノ、今までと違ってマリアや調が食事を作って待っててくれないんだ。それでどうやって栄養を取る?」

「それは……えっと……野菜ジュースとかで?」

「「「「「「やっぱり(デス)……」」」」」」

 

 さっきからみんなの意見が一致し過ぎてて若干面白い。

 仁志さんも、みんなも笑ってるのはそういう事だよね。

 

「っと、いかんいかん。このままじゃ話してるだけで時間が過ぎてく」

 

 そう言って仁志さんはゆっくり立ち上がって、少しだけ左足の具合を確かめるように動かした。

 うん、どうやら左足はもう大丈夫みたい。仁志さんだけじゃなくみんなもどこか安心するみたいな顔をって、切歌ちゃんだけが首を傾げてる。

 

「ししょー、左足怪我したデスか?」

「ああ、うん。悪意にちょっと攻撃されて」

「なななっ! 何デスと!?」

「そっか。切ちゃんは知らないんだっけ」

 

 私も忘れてた。切歌ちゃんは未来や翼さんを元に戻した時の話、知らないもんね。

 なのでそこで簡単に事情を説明。私とエルちゃん、時々仁志さんで話すと理解してくれたみたいでふんふんって頷いてくれた。

 

 三人で徹底したのは、未来と言わずに悪意って呼び続けた事。

 でも実際そうだ。あれは未来じゃない。未来の振りをした悪意だった。

 

「でも、良かったデスね。ししょーのママが看護師さんで」

「仕事モードじゃないと優しさの欠片もないけどな」

「私は逆にだからこそ優しいって感じましたよ。ああ、お母さんって感じだなぁって」

 

 実際、おばさんは仁志さんだから遠慮がない感じがした。

 家族だからこそ、変に笑顔を浮かべる事もなく自然体で接してたと思うから。

 

「まぁ母さんらしいとは思ったけどな」

「う~っ、ししょー、アタシもししょーのパパとママに会いたいデス」

「別にいいけど、俺は一緒に行かないからな?」

「「「「「えっ?」」」」」

「どうしてだ?」

 

 私達の疑問へ仁志さんは苦い顔で左足を指さした。

 

「この怪我があるから俺は今日は実家へ帰らないで、大人しく部屋で休んでいようと思うんだよ」

「じゃ、じゃあ……」

「晩飯は……悪いけど響、今から陽子さんの店で買ってきてくれないか? 夜用にさ」

「それはいいですけど……」

 

 折角仁志さんと一緒に毎日ご飯食べてたのに、よりにもよって一人でご飯食べさせるなんて、何かやだなぁ。

 

「響さん、大丈夫です。僕からおじいちゃんにお願いします。兄様を迎えに行ってくださいって」

「え、エル?」

「兄様、夜もみんなで食べましょう」

「でもなぁ……」

「兄様が怪我を理由に一人でご飯なんて、おばあちゃんが知ったらきっと悲しみますっ! おじいちゃんも怒りますっ! 家族は同じ物を一緒に食べるから家族なんですっ! そう僕らに教えてくれたのは兄様なんですっ!」

「「「「「エル(ちゃん)……」」」」」

 

 力説するエルちゃんに私達は言葉がなかった。

 特に私はあの日、おじさんとおばさんから同じ事を聞いてる。

 

 頼れる人が仁志さんしかいなかった私達を、何とかして繋ぎ止めようとしてただろう仁志さん。

 だからか、仁志さんがやってくれたのがみんなで出来るだけ一緒にご飯を食べる事だった。

 

 私とクリスちゃんの時も、翼さんが来た時も、奏さんが来た時もそうだった。

 マリアさん達が来た後はバラバラになったけど、それでも複数でご飯を食べてた。

 それがあったから、私達は孤独感を感じる事もなく、支え合っていけたんだと思う。

 

「タダノ、俺もエルの意見に賛成だ。ぱぱさんもままさんもきっとタダノがいないと気にするぞ」

「それは……」

「ししょー、さすがのアタシも紹介なしで人様のお家に上がるのは抵抗あるデスよ」

「師匠、私も師匠がいないのにおじさんやおばさんにご飯を御馳走になるのは、ちょっと嫌」

「うっ……」

 

 切歌ちゃんと調ちゃんの言葉に仁志さんが若干たじろく。

 

「只野さん、ここはエルちゃんの言う通りにしたらいいと思いますよ?」

「だな。仁志さん、ご両親もきっと仁志さんがいてくれた方が嬉しいはずだよ?」

「そ、そうかな?」

 

 未来と翼さんの言葉で仁志さんが気弱になった。ここが決め所だねっ!

 

「はいっ! それは間違いありませんっ!」

「力強い断言だなぁ……」

 

 観念するように苦笑して、仁志さんは息を吐くとスマホを取り出した。

 そして多分だけどメールを打ち始めた。

 きっと宛先は、おばさん、かな?

 

 しばらく私達は仁志さんの行動が終わるのを待った。

 

「…………これでよし。響、エル、ヴェイグと一緒に先に家へ行っててくれ。で、調も一緒についていってくれるか?」

「いいけどどうして?」

「買い物を頼みたいんだ。響、最寄駅から実家までの道分かるよな?」

「はい」

 

 今朝もそこから電車に乗ってこっちまで来たからもうバッチリだ。

 

「じゃ、駅から歩いて最初の信号のある交差点分かるよな?」

「あ、はい。分かりますけど?」

「家からならそのまま直進。駅からなら向かって右手へ進むと、すぐにスーパーが見えてくるんだ」

「そうなんですか」

 

 知らなかった。でも、たしかにぼんやりとそれらしい看板や建物を見た気がする。

 

「そこへ調と一緒に行って買い物してくれないか? 母さんに今夜は調達が腕を振るってくれるって送ったんだ」

「師匠、せめて相談して欲しかった」

「ご、ごめん。でも、それなら家人が誰もいない人の家に入っても平気かなってさ」

 

 仁志さんの申し訳なさそうな表情と声に調ちゃんも仕方ないって感じでため息を吐いた。

 気持ちは分かるよ調ちゃん。たま~に仁志さんってこういうとこあるよね。

 

「只野さん、それなら私も一緒に行った方が良くないですか?」

「え? いいの?」

「むしろ響よりも私の方が調ちゃんの役に立てますし」

「み~く~ぅ。そうだろうけど言い方ぁ」

 

 何て言うか、元に戻してから未来がちょっとだけ厳しいというかキツイ気がする。

 今までは言わなかった事も言ってくれるようになったのは嬉しいけど、これって前以上に遠慮がなくなったって事?

 

「ふふっ、じゃあ頑張ってお料理やろ?」

「うん、いいよ。おばさんが言ってたしね。要は慣れって」

 

 おばさんだって結婚するまではほとんど料理をしてなかったって言ってた。

 なら、私だって今から頑張れば、二十歳までには一人前になれるはず!

 

「なら私と暁はここでしばらく待機?」

「そうだなぁ……」

「アタシ、出来ればもう少し何か食べたいデス。ハンバーガーとラーメンだけじゃ足りないデスよぉ」

 

 その切歌ちゃんの言葉に一瞬の間があってからみんなが同時に笑った。

 なので私達は仁志さんのお家へ向かう事にして、切歌ちゃんは仁志さんからお金をもらいお弁当を買いに陽子さんのお店へ。

 翼さんは仁志さんと一緒に一度仁志さんの部屋へ戻って、そこで迎えが来るまで待つ事になった。

 

 ちなみに切歌ちゃんは陽子さんのお店を知ってるらしい。

 マリアさんが働いてるところを一度見たくて、みんなでこっそり見に行った事があるんだって。

 

「じゃ、仁志さん。また夜に」

「ああ。色々面倒だと思うけどごめんな。エル、父さんへのお願い、よろしく」

「はい。おじいちゃんならきっといいよって言ってくれます」

「うん、まぁエルが頼めば俺達の誰でも頷いちゃうよ」

 

 仁志さんのその言葉にエルちゃん以外が頷いた。

 今のエルちゃん、本当に前よりも可愛いし守ってあげたくなるんだよね。

 

 こうして私達は駅へと向かった。

 見慣れない道を歩くのって、若干不安だけどどこかワクワクする。

 この街で暮らして半年は経ったけど、まだまだ知らない場所や知らない道があるんだなって、そんな当然の事を思いながら駅前へと到着。

 

「じゃ、切符買ってくるね」

「うん、お願い」

 

 お金を預かってる未来が窓口へ向かうのを見送って、私はエルちゃんと調ちゃんへ顔を向ける。

 

「切ちゃんも戻ってきたし、きっとご飯が五合じゃ足りない」

「はい。どうしますか?」

「……ご飯の量を増やせるやり方をするしかないかな? 混ぜご飯とかいいかも。あるいはおばさんがやったみたいに、おにぎりにして数を多くする」

「いっそ兄様の部屋にある炊飯器を持っていくのはどうでしょう?」

「そっか。師匠の部屋にもあるね」

「あっ、じゃあ私が仁志さんに言って借りてくるよ」

 

 二人の会話を聞いて、ならとばかりに手を挙げる。

 だってエルちゃんにそんな事はさせられないし、調ちゃんはエルちゃんの傍に居て欲しいし、未来にはお買い物をしてもらわないといけない。

 

「はい、切符買ってきたよ」

「未来、ごめん。私、ちょっと戻らないといけなくなった」

「へ?」

「その、このままだと今夜のご飯、足りないのが確定なんです」

「兄様のお家の炊飯器は五合までしか炊けないので」

「……ああ、そういう事か。只野さんの部屋のを借りるって事?」

「さっすが未来! 理解が早いっ!」

 

 未来から切符だけ受け取って、私は仁志さんのアパートへ向かった。

 すると、アパートまで後少しってとこで切歌ちゃんの後ろ姿を発見。

 

「切歌ちゃーん!」

「ほえ? 響さん? どうしたデスか?」

 

 お弁当の入った袋を下げてこっちへ振り向いた切歌ちゃんへ事情説明。

 

「あー、それはそうデスね。アタシ達はししょー分を入れて七合炊いてギリギリでした」

「そういえばみんなでご飯食べる時はどうしてたの?」

「アタシ達の家の炊飯器は十合まで大丈夫でしたから、それとししょーのとこの炊飯器で合計十五合炊いてたみたいデスよ」

「成程」

 

 そういえばマリアさん達の使ってた炊飯器、ちょっと大きかったもんなぁ。

 そんな事を話しながら歩いているとアパートに到着。

 

「ただいまデース」

「お邪魔しまーす」

「あれ? 響?」

「立花、どうした? 何か忘れ物でもあったか?」

 

 部屋の中では仁志さんが翼さんに膝枕してもらってた。

 ちょっとだけ羨ましいと思うけど、仁志さんのうなされ方を見ると仕方ないって思うので受け止める。

 

「実は……」

 

 調ちゃんとエルちゃんの会話内容を話すと仁志さんは納得してくれた。

 で、私は仁志さんの部屋にあったクリスちゃんがもってきた炊飯器を借りる事に。

 

「二度手間でごめんな。俺も配慮が足りなかった」

「いえいえ。あっ、そうだ。仁志さん? あまり翼さんとイチャイチャしないでくださいよ?」

「あー、少しだけ大目に見てくれ。正直これもイチャイチャというよりは癒しに近いんだ」

「むぅ」

 

 言ってる事は、分かる。けど、やっぱりちょっと嫉妬しちゃう。

 

「立花、気持ちは分かる。私とて、その、逆の立場なら心を穏やかには出来ないかもしれない。ただ、私にも邪心はない。仁志さんはギアもなければ錬金術の加護もない。あの悪意に満ちたゲートの影響を受け、平気とは思えないのだ」

「デスね。ししょー、翼さんの次はアタシが変わるデスよ」

「ありがとう切歌。その、響。ごめんな。俺がもう少し強ければ……」

 

 仁志さんの顔が曇るのを見て私は慌てて首を横に振った。

 

「いえいえっ! むしろそれは私達の方です! と、とにかく、これ、借ります」

「……ああ。気を付けてな」

「はい」

 

 炊飯器が入ったバッグを手に私は仁志さんの部屋を後にする。

 もう見慣れた道を歩き出して、ふと思った。

 仁志さんがあんなに弱気になってるの、初めて見たかもしれないって。

 

「弱い所を私達に見せてもいいって、そう思ってくれたって事かな?」

 

 強い自分だけじゃなく、弱い自分もさらけ出せる。

 そう考えてくれたのなら、思ってくれたのなら、私は嬉しい。

 

「情けないとこも見せられるって、一種の信頼だもんね」

 

 そう呟いて私は駅へと向かう。

 

 おじさんとおばさんから仁志さんの小さい頃の話とか、教えてもらおうかな。

 アルバムだけじゃない。まだみんなが知らない仁志さんの思い出を、私は知りたいから。

 

 ……それぐらいはいいよね?

 

 

 

「眠ったデスか?」

「ああ」

 

 翼さんの膝を枕にししょーは目を閉じて寝息を立ててるデス。

 その寝顔は、アタシも時々見た事のある穏やかなものデス。

 だけど、アタシが調と一緒にここへ帰ってきた時のししょーは、とっても怖い顔でした。

 うんうん唸ってたデスし、何より、その、初めて見るぐらいの嫌な顔をしてたデス。

 

「翼さん、ししょー、やっぱり悪意の影響受けてるデスかね?」

「……分からない。だが、ないとは言い切れないな。ヴェイグの嗅覚をダメにし、守りに秀でた小日向がアイギスの力を併用しても防ぎきれないものだ。正直エルにも悪影響が出ていないと限らない」

「エルにも、デスか?」

 

 それは困るデス! 今じゃエルはアタシ達の妹みたいなものデスっ!

 セレナがいない今、アタシと調でしっかり守ってあげないとダメなんデスよ。

 

「そうだ。ただ、エルの方はおそらくそこまで心配しなくてもいいと思っている」

「な、なんでデスか?」

「以前、悪意が手を出し易くなるには依り代の力が増して、この上位世界で実在性とも言うべき要素を強く得る事だと話したのは覚えているか?」

 

 言われて思い出します。

 えっと、えっと、たしかプールとかに行った後にそういう話をした気がします。

 

「ふふっ、暁? 素直にはっきりと思い出せないと言ってくれ。別に怒りはしないぞ」

「ご、ごめんなさいデス。プールに行った後デスか?」

「そこまでは覚えているか。ああ、そうだ。マリアが二度も悪意に操られ、初めて乗っ取られた翌日だ」

「ああっ!」

 

 思い出しました! たしかにそんな話をしたデスよっ!

 

「エルは、依り代を持っていない。なら、悪意がエルに手を出すのは出来ないと思うのだ。そしてヴェイグも同様に。ただ、仁志さんは別だ」

「え? どうしてデスか?」

 

 ししょーはこの世界の人間デス。依り代があってもなくても悪意が手を出せないはずデス。

 

「忘れたか? 悪意は私達を利用し仁志さんへ手を出してきた。幸い、これまではそれを寸前で阻止出来ていたが、唯一阻止出来なかった可能性がある瞬間が存在する」

「えっ!?」

 

 い、一体いつデスか? そうアタシが言おうとした時デス。翼さんは辛そうに師匠の顔を見つめて呟きました。

 

――あの別れ際、雪音がキスをしただろう。あるとすればそこだ。

 

 思わず息を呑みました。言われてみれば、たしかにあの時、クリス先輩はししょーへキスをしました。

 しかも、自分からデス。つまり、あのキスの時にししょーは悪意に?

 

「まだたしかではない。だが、あの悪意に飲まれた中で雪音だけが私と立花と共に来た。そして、悪意は雪音を騙り、こう囁いたのだ。今なら自分達だけでここへ来れるぞ」

「そ、それってつまり……」

「これは私の勘だが、あの四人の中で雪音がもっとも悪意に侵食されている気がする。そう考えれば、だ。あの別れの際、雪音が真っ先に動いた事も納得出来るのだ」

「あ、あの時からもうクリス先輩は悪意に操られてた、デスか?」

「あるいは、その意に沿うように仕向けられていたかもしれん」

 

 アタシは言葉がありませんでした。

 まさか、ししょーに悪意が入り込んでるかもしれないなんて。

 

「暁、これはまだ確定ではない。それに、悪意がはっきりと動き出していたならあの時に依り代が反応していたか、ヴェイグが感じ取っていたはずだ」

「で、デスよね」

「ああ。聞けば仁志さんが異常を訴えたのは立花達とゲートをくぐった後だそうだ。なら、本当にあのゲートの影響だけかもしれない」

 

 そう言って翼さんはアタシの方へ顔を向けました。

 

「暁、この事は今夜にでも全員で話そう。仁志さんが自分で言い出すのを待っていたが、きっとこの人は余計な心配をさせまいとして黙ってしまう気がしてきた」

「デスね。ししょーならそうする気がします」

 

 誰よりもみんなに笑って欲しいって思ってるデスからね、ししょーは。

 それにしても、ししょーに悪意が手を出してるかもしれない、デスか。

 だとしたら、巫女ギアや神獣鏡でししょーの事を助けてあげないといけないデスね。

 

 そんな事を思いながらアタシは翼さんと一緒に眠るししょーを見つめました。

 静かに眠るししょーのちょっと伸びた髪の毛を、翼さんが優しい笑顔で撫でていきます。

 すると、ししょーが少しだけ笑いました。思わず驚いて翼さんの顔を見ると、翼さんも小さく驚いたみたいに目を見開いてたデス。

 

「笑った、な」

「デス」

「……暁も、やってみるか?」

「……はいデス」

 

 翼さんがやったみたいにアタシがししょーの髪を撫でると、またししょーが小さく笑ってくれました。

 な、何だか嬉しいデスね。ちょっとだけ胸がときめくデスよ。

 

「クスッ、また笑ったな」

「デスデス。ししょー、アタシ達が撫でてるって分かるんデスかね?」

「さてな。だが、こうして反応があると嬉しくなるものだ。今の私達に出来る事は、これぐらいだしな」

「……そうデスね」

 

 今のアタシ達はもうバイトとか出来ないデス。

 悪意との戦いは、正直今までで一番キツイかもしれません。

 相手がクリス先輩やマリア、奏さんデスから。

 

 それからしばらくアタシと翼さんはししょーの事を時々撫でる事になりました。

 時々ししょーがうなされるので、アタシや翼さんで大丈夫デスよって感じで撫でてあげると、少しするだけで笑ってくれるからデス。

 

「何だかおっきな子供みたいデスね」

「ふふっ、そうだな。仁志さんが聞いたら怒るだろうか?」

「意外と苦笑して認めるかもしれないデス」

「……あり得る、か」

 

 そこで二人で小さく笑いました。

 翼さん、やっぱり笑顔増えたデスね。しかも、柔らかい感じデスし、とっても優しい顔デス。

 ここに来てからの翼さんは、本当に頼れるお姉さんって感じデス。アタシや調に対しても、呼び方は前と一緒デスけど、その声は柔らかい感じになりました。

 

「翼さん翼さん、ししょーのパパとママってどんな人デス?」

「仁志さんのご両親、か。そうだな……」

 

 翼さんが少し笑いながら話してくれたのは、ししょーのパパとママのやり取りでした。

 その内容にアタシは驚きしかないデス。ケンカみたいなやり取りを普段からしてるとか、考えられないデスし。

 

 でも、それだからこそいいのかもしれないって、そう翼さんは言いました。

 

「ケンカしてるようなやり取りが、デス?」

「ああ。仁志さんのご両親は要するに相手を信頼しているからこそ本音を言い合うんだろう。これでダメになるような相手との絆じゃないと」

「お~……」

 

 そう言われるとそんな気がします。

 

「私も、一度くだらない事で奏と口喧嘩をした事があるから分かる。喧嘩出来るというのは一種の甘えだ。相手との関係が切れてもいいと思っている時もあるのかもしれないが、相手を信頼しているから出来ると言えなくもない」

「ナルホド」

 

 言われてみるとアタシと調はあまり口喧嘩とかしないデス。

 それはそういう必要がないからデスけど、どこかでこの関係を壊したくないって思ってるからかもしれません。

 

「暁、その、こういうのは何だが、たまの喧嘩は互いのためにもいいかもしれないぞ」

「ふぇ?」

 

 どういう意味デスかね?

 

「私と奏が口喧嘩した日、私は仁志さんと偶然出会ってな。そこで仲直りすればいいと言われて、一緒にスーパーでアイスを買って、私はそれを手土産に奏へ謝り、前よりも仲が深まったのだ」

「アイス、デスか?」

「ん? ああ、説明が足りなかったな。私と奏が口喧嘩したのは、私の買ったアイスを奏が無断で食べた事が切っ掛けだったのだ」

 

 な、何て言うか、翼さんのイメージからは想像出来ない切っ掛けデス。

 というか、翼さんもそういうので怒るんデスね。何だかすっごく親しみがわいたデスよ。

 

「奏も私の言葉と渡した物に苦い顔をしてくれてな。こっちこそ悪かったと謝ってくれた。許し合える関係というのは、やはりいいものだとそこで感じた」

「ほうほう」

「暁、お前もそうだったのではないか? 月読とぶつかり合い、そこで互いの気持ちや考えを知った事でより強く絆を結んだ事はないか?」

「調と……」

 

 言われて思い出せば、あのフロンティアでの衝突も、ミカを前にした時の事も、あの不和のりんごの時も、調と激しくぶつかってケンカして、そのおかげでもっと調と仲良くなれました。

 そっか。ケンカ出来て仲直り出来るのって、やっぱり凄い事なんデスね。

 未来さんが言ってた、誤魔化さないと壊れる絆かどうかはそこで分かる気がします。

 

「ううっ……」

 

 そんな時、ししょーが苦しそうな声を出してアタシと翼さんの目が動きました。

 

「ししょー、苦しそうデス……」

「ああ」

 

 そっと翼さんがししょーの髪を撫でると、その苦しさが和らいだみたいな顔へ変わりました。

 なのでアタシもししょーの髪を撫でました。それだけでししょーの表情から苦しさがなくなっていくのが、とっても嬉しいデスよ。

 

「ししょー、やっぱり悪意のせいで嫌な夢見てるデスかね?」

「……かもしれない。仁志さんの睡眠を妨げ、その心を弱らせようとしているのか?」

「そ、それだったら不味いデスよ。ししょー、基本一人で眠るんデスし」

「だからかもしれない。悪意はこちらで私達の事を監視していたはずだ。となれば、仁志さんが就寝時一人である事を知っている」

「ししょーが一人で寝るから、悪夢を見せれば弱ってく、デスか?」

 

 アタシの質問に翼さんは真剣な表情で頷いてししょーを見つめました。

 もしこのままししょーが弱っていったらバイトでクタクタになっちゃって、生活するのが難しくなっちゃうデスよ。

 

 でも、今のアタシ達じゃバイトして支える事は出来ません。

 

「つ、翼さん、どうしたらいいデスか? ししょーは今、たった一人でアタシ達を支える事になってます。しかも、もうアタシ達はバイトなんて出来ないデスよ」

「……こうなれば仁志さんにもあの家で暮らしてもらうしかない。それなら、何か起きても私達の誰かが対応出来る」

 

 アタシはその意見に賛成したかったデスけど、多分ししょーは受け入れてくれない気がして悩みました。

 だけど、今はどんな小さな事でも不安要素は無くすべきデス。悪意がししょーに影響してるのは多分間違いないですから、アタシ達でせめて助けてあげたいデスし。

 

「そうデスね。ししょーが起きる前に調や未来さんへ相談デスかね?」

「それがいいだろう。まぁ二人も嫌がる事はないと思う。一番難色を示すのはきっと仁志さん本人だろうからな」

 

 ちょっとだけ苦笑する翼さんにアタシも同じような顔を返しました。

 でも、ししょーがこんなにうなされるなんて絶対おかしいデス。

 今のこの世界に悪意はいなくなったのに、それで苦しむなんて何かあるに決まってます。

 

「んっ……」

 

 そう思ってたらししょーがゆっくりと目を開けてアタシと翼さんの顔を見てから、どこか安心するみたいに笑顔を浮かべてくれました。

 

「ししょー、相談したい事があるんデスけど……」

「そうだん?」

「うん。仁志さんに大きく関わるだろう事だよ」

「おれに?」

 

 どこか寝惚けた声で起き上がりながらししょーは目を擦ってました。

 それが何となく寝起きのお父さんみたいで笑えてきちゃうデス。

 ししょーはフラフラと流しへ行って、そこで顔を洗ってからタオルで顔を拭きつつ布団の上へ戻ってきました。

 

「はぁ~……それで、俺に関わる相談って?」

 

 そこで翼さんがさっきの話をししょーへも聞かせました。

 ゲートを完全に自分の影響下にした悪意のせいで、ししょーの体に異変が起きてる事。

 クリス先輩が一番悪意に操られてるかもしれない事。

 そして、だからこそあのお別れの時にキスしてきたかもしれない事を。

 

「……否定は出来ない。たしかに恥ずかしがり屋のクリスにしては、あの時の行動は若干らしくなかったかもしれない」

「ええ。雪音ならば、自分からするとしても周囲がそういう風になって仕方なくの方がらしいかと」

「うん、その通りだ。となると、俺に悪意が何かしたかもしれないのも十分あり得る」

「だからししょー、アタシ達と一緒にあの家で生活してくださいデス。さっきなんて、翼さんに膝枕されてたのにうなされたんデス」

「でもな……」

「仁志さん、私からもお願い。こんな事を言っても分からないかもしれないけど、今まで仁志さんが寝ててうなされた事なんてなかったと思うよ」

「デスデス。アタシが知る限りでもないデス」

 

 あの家でししょーが寝てる時、うなされてた事なんて一度もなかったデス。

 

「……だけど」

「ししょー、深夜のバイトは疲れるデスよね? それなのにちゃんと寝れないなんてダメになるに決まってます」

「暁の言う通りだよ。仁志さん、今日はいいけど明日からどうするの? 今日の仮眠の状態が常になったら、疲れ取れる?」

「うっ……」

 

 ししょーが言葉につまりました。ここが決め所デス!

 

「ししょーに何かあったら、マリア達を元に戻す事が出来ないんデス。お願いデスからもっと体を大事にして欲しいデス」

 

 調や未来さんがいたら、マリア達がいたらきっとこう言ってます。

 それに、ししょーがもし倒れでもしたらエルが泣いちゃうデス。

 

「……分かった。本当に悪意を倒せる時まではあの家で俺も暮らすよ。ただし、俺はリビングに布団を敷いて寝る。それなら二階で寝てる翼達へ変な事を簡単に出来ないしな」

 

 大きくため息を吐いてから、ししょーはどこか諦めるようにそう言ってくれました。

 でも、変な事ってなんデスかね? え、エッチな事デス?

 

「仁志さん? それじゃ意味がないんだけど?」

「で、でもな? さすがに今の俺は翼達四人と一緒に寝て理性を保てる自信がないよ」

「じゃあ、ししょーがお家に戻って、代わりに響さんにこっちへ来てもらうデスよ」

 

 我ながら名案デス。エルと一緒ならししょーも大丈夫デス。

 

「えっと、翼? 今の切歌の意見をどう思う?」

「正直不安が拭えないかな。エルだけじゃ仁志さんの苦しみを緩和出来ない気がする」

 

 およ?

 

「だよなぁ。実際俺がうなされた時ってエルと一緒に寝てた時だし」

 

 あっ、そうでした。

 

「じゃあじゃあ、アタシと調が両側で腕を押さえるように寝るってのはどうデスかね?」

「「もっと問題」」

 

 まさかの二人から同じ事を言われるとは……。

 でもでも、ししょーのうなされ方はちょっと変デス。おかしいデス。

 あれをどうにかするにはアタシ達が一緒にいてあげるべきだと思うデスよ。

 

 そうして話し合った結果、ししょーはアタシ達と同じ部屋で普通に寝る事で様子をみる事になりました。

 でも、最初の頃は響さん達三人と一緒に寝てたデスのに、どうして今はダメって言ったんデスかね?

 そこの理由については、ししょーは絶対に言えないって教えてくれませんでした。

 

 ただ、これでししょーの役に立てます。

 今のアタシ達は戦う事しか出来ないデスからししょーの生活の役に立てないって思ってたデスが、やっとそうじゃないって思えるデスよ。

 

「ししょーのお布団も移動させないといけないデスね」

「そうだなぁ。でも、もう圧縮袋がないから買ってこないと」

「なら私が行ってくる。百円均一に売ってるんだよね?」

「ああ。じゃ、資金を渡しておく。頼むな翼」

「うん」

 

 お金を受け取って翼さんが部屋を出てくと、ししょーはまた布団へ横になりました。

 

「ししょー、もしかしてまだ疲れてる感じデス?」

「……みたいだ。足の痛みは消えたけど、全体的な気怠さが残ってる感じ」

 

 これはいけないデス。じゃ、アタシが今度は膝枕してあげる番デスね。

 

「ししょー、じゃあアタシが」

「いや、膝枕はいいよ。嬉しいけどな」

「で、でも……」

 

 そうしないとししょーがうなされちゃうデス。

 それは絶対阻止したいデスし、どうすればいいデスかね?

 

「だからさ、手を握ってくれないか?」

「手?」

「そう。その、二人が撫でてくれたら俺の表情が和らいだんだろ? なら、大事なのは手を当てる事なんじゃないかって思うんだ」

「ナルホド。じゃ、やってみるデスね」

「お願いするよ。もしこれでうなされないなら今後はこれで凌げるし」

 

 こうしてアタシはししょーと手を繋ぐ形で翼さんの帰りを待つ事になりました。

 ちょっとドキドキしたデスが、これはこれで嬉しくてあったかいデス。

 すると不思議な事にししょーが一度もうなされる事なく眠ってくれました。

 翼さんが帰ってきても眠り続けてくれたデスから、二人で夕方まで寝かせようって話したぐらいデス。

 

 ……アタシのゆっくり寝て欲しいって気持ちが伝わったデスかね?

 

「こうして手を繋いでいると、不思議な気分になってくるな」

「不思議、デスか?」

「ああ。思い出さないか? あの初めて六人で手を取り合った時を」

「……ああ」

 

 アタシ達が響さん達と手を取り合った時デスね。

 ネフィリムと戦ったあの戦いで、アタシ達は初めてエクスドライブになれました。

 

「意外と仁志さんもそれを意識してくれたのかもしれない。誰かと手を取り合う事で人は心強くなれるからと」

「かもしれないデスね」

 

 結局ししょーが起きたのは、スマホへエルから連絡が入った後でした。

 アタシと翼さんで呼びかけて、ししょーが顔を洗ったりしてる間に二人でお布団を圧縮して、真っ暗になる前にお引越しさせて、それが終わって戻ってきたところでししょーのパパが運転する車が到着デス。

 

「は、はじめましてデス。暁切歌デス」

「暁さん、か。エル達から話は聞いてるよ。とりあえず、まずは乗りなさい」

「はいデス」

 

 ししょーのパパはどこかししょーに似てる気がしました。

 翼さんにこそっとそう言うと翼さんもそう思うって言ってくれたデス。

 

「それで、足の方はどうだ?」

「もう大丈夫だって。えっと、心配かけて悪い」

「別にいい。お母さんもそこまで気にしてなかったしな」

「いや、そこは少しは気にしろっての」

「私に言うな。それでも色々と薬だのを買ってきてたから心配はしてるんだろう。後で見せておけ」

「……そうする」

 

 アタシはその会話に驚きました。ししょーが子供に見えたからデス。

 

「やっぱりししょーもパパの前では子供なんデスねぇ」

「ああ、そうだ。暁、おばさまはもっと私達の知らない仁志さんを見せてくれるぞ」

「知らない、デスか。楽しみデス」

 

 でも、こうして誰かのパパとママに会うのは初めてデスね。

 やっぱり、家族ってあったかいんだって、そう感じます。

 ししょーはこのあったかさを知ってるから、それをエルやセレナ、アタシや調に与えてくれたんデス。

 じゃあ、ししょーのパパにもお礼を言わないとデスね。ししょーのお家についたら言っておくデス!

 

 

 

「切歌ちゃんも可愛いわねぇ」

「あ、ありがとうございますデス」

 

 仁志の母に褒められ、切歌は照れくさそうに頬を掻いた。

 未来と響を中心に用意されたビーフストロガノフを食べ終わり、何もしなかった翼と切歌が後片付けを引き受けたのだが、仁志の母はそんな二人を眺めて嬉しそうに笑みを浮かべていたのだ。

 

「翼ちゃんは綺麗だし」

「そ、そうですか?」

「仁志、あんた本当に幸せ者よ。こんなに綺麗で可愛い子達に頼られて」

「言われないでも分かってるよ。きっと俺の人生の運は今回でほとんど使い切ったと思うぐらいだっての」

 

 やや疲れた顔でソファに座ったまま仁志はそう返してため息を吐いた。

 その横には彼の父が座っているのだが、その膝上にはエルフナインがヴェイグを抱えて座っている。

 それもニコニコと笑って、仁志の父の話す鉄道絡みの話を嬉しそうに聞いていたのだ。

 

「ダイヤグラムという呼び名はそういう意味だったんですか!」

「ああ。今でこそ過密なダイヤになったが、昔は本当に綺麗なもんだったんだ。この時刻表を見てるだけで、色々と楽しかったもんだ」

「どう楽しいんだ?」

「ん? 例えばな……」

 

 時刻表トリックで有名な作家が大好きな仁志の父は、嬉々としてその事を話に絡めながら二人へ時刻表を眺める楽しさを説いていく。

 それを聞きながら仁志はまるで自分の将来の姿を見てるかのように苦い顔をした。

 ちなみに仁志の父の横には響が座っていて、その様子を見て小さく苦笑していた。

 

(やっぱりおじさん、仁志さんのお父さんだなぁ)

 

 自分の好きな事を話している横顔が仁志そっくりだと感じ、響はそれが仁志の歳を重ねた姿に思えて仕方なかった。

 

「あの、ママさん。師匠の怪我、どうなんですか?」

「もう痛みはなくなったって言ってるんですけど」

 

 テーブルの椅子に座っているのは調と未来である。

 仁志の実家のソファは精々が四人掛けなので、二人は仁志の母のために空いている椅子へと座っていたのだ。

 

「それが不思議なんだけど、あの深さの割に結構治ってきてるのよ。まだ若いって事かしらね?」

 

 仁志の左足の怪我は、看護師である彼の母から見ても奇妙だった。

 普通なら年齢を考えれば一日程度ではそこまで治らないはずなのだが、もう傷口が塞がってきていて、明日には完治していてもおかしくないと思われたのである。

 

「それにしても心配ね。まだ全員じゃないんでしょ?」

「はいデス。マリアにセレナ、奏さんにクリス先輩。四人も助けないといけません」

「大変よね。その、何とかなりそうなの?」

「大丈夫デスよママさん。ししょーと協力すればマリア達を助ける事は出来ますデスっ!」

 

 皿洗いを終えて切歌はハンドタオルで手を拭きながら笑顔を見せる。

 ただ、仁志の母はその言葉に複雑そうな顔を返した。

 やはりまだ自分の子供が戦いという物へ関わっているという事が受け止め切れていないのだ。

 

「おばさま、お気持ちは分かるつもりです。安心してください、とは言い切れませんが、私達が可能な限り仁志さんやエルへ危険が及ばないように全力を尽くしますので」

「ええ、分かってるの。翼ちゃん達が極力危なくならないようにしてくれてるのは。だけどね、やっぱり想像出来ないのよ。あの子が小さい頃見てたヒーロー達みたいに変身出来たりすれば少しはいいんだけど……」

「只野さんが、変身?」

「ギアみたいな物を展開? 依り代、そういう事してくれないかな?」

「無理だと思うぞ。というか母さん、俺が変身なんて出来るようになったら絶対見せてるって分かってるだろ」

「でしょうねぇ」

 

 その最後のやり取りに切歌達だけでなくエルフナイン達も笑みを浮かべた。

 何せ二人して呆れ声だったのだ。共に相手の言葉や考えに呆れているのである。

 

 そこから話題は仁志の母による仁志の昔話となった。

 物心ついた頃からヒーローに憧れ、変身ポーズを練習したり、必殺技の名前を覚えては父親相手にごっこ遊びをしていた事など仁志からすれば恥ずかしい思い出だが、響達にとっては彼らしさに溢れ、そして同時に心をあったかくするものだった。

 

 仁志の母だけでなく父までも参加してのそれは、仁志からすれば時折覚えていない事もあり、それだけ親というものが子供へどう愛情を注いでいたのかを思い知る事にもなった。

 

(そっか。俺だって、自分の事よりもエル達と関わってる事の方が強く覚えてるもんなぁ)

 

 些細な事でも思い出そうとすれば思い出せる。自分とエルフナインでさえそうなら、血の繋がりもあって生まれた時から一緒にいる親ならもっとそうなってもおかしくない。

 そう思った仁志は、恥ずかしさや照れくささなどを感じつつも両親の思い出話を止める事はしなかった。

 その話を聞いていると体の気怠さも若干薄れていくような気がしたのも大きい。

 

「っと、こんな時間か。悪いけど俺達はそろそろ戻るよ」

 

 気付けば時刻は午後九時を過ぎていた。仁志の思い出話は時折脱線や補足などもあって思いの外時間を食ったのである。

 

「あらホント。じゃエルちゃん達、汗流してきなさい」

「はい、分かりました」

「分かった」

 

 仁志の母の言葉にエルフナインとヴェイグが返事をしその場から動き出す。

 仁志の父は膝上からいなくなった二人を見送り、少しだけ微笑みを見せる。

 その顔を見た誰もが思ったのだ。仁志に似ていると。

 何せ仁志本人さえもそう感じたぐらいだ。やはり蛙の子は蛙なのである。

 

「エル、ヴェイグ、また明日。おやすみ」

「「おやすみ(なさい)」」

 

 着替えとタオルを手にしているエルフナインとヴェイグへ声をかける仁志。

 翼達も二人へ声をかけ、最後に仁志の両親へも挨拶し玄関へと向かう。

 

「では立花、エルとヴェイグの事を頼む」

「はい」

「じゃあね響。おやすみ」

「おやすみ未来」

「響さん、エル達の事お願いします」

「しますデス」

「うん、任せて」

「じゃ響、また明日な。おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 

 静かに閉まるドアを見つめ、響は若干の寂しさを覚えた。

 

(分かってはいる。ここにエルちゃんとヴェイグさんだけを残すのはちょっと不味いって。でも、折角未来達を助けたのに、私一人みたいで辛いなぁ)

 

 しかも仁志が自分以外の装者を連れて帰るのだ。まるで自分だけが選ばれなかったようにも思え、それが響の心を悲しみへ包む。

 

「響ちゃん、ちょっといい?」

「あっ、はい」

 

 そんなところへ仁志の母が声をかける。

 何だろうと思って響が少し急いでリビングへと戻ると、仁志の両親が彼女を見つめてきた。

 

「あの、何か?」

「立花さん、率直に教えてくれないか? どうして仁志は君とエルにべーだけをここに置いていく?」

 

 思わぬ質問に響は一瞬返事が出来なかった。

 

「え、えっと、それは……」

 

 エルフナインの事を孫のように可愛がっている只野夫妻のためと、そう言っていいものかと響は考え、言葉に詰まる。

 それだけで二人は何かを察したようにため息を吐いて同時に呟いた。

 

「「あのバカ息子……」」

 

 自分達の事を考え、妙な気遣いでエルフナインとヴェイグを実家に置いているのだと理解したのである。

 

「響ちゃん、あの子に言ってやっていいわ。妙な気遣いするぐらいなら本当の孫を見せろって」

「そ、それは……」

「あるいはこう言ってくれてもいい。自分の両親の気持ちは気遣って、何故私達の気持ちは気遣えないのかと」

「本当よ。あの子、やっぱりまだまだ子供だわ。エルちゃんの親代わりをやってたのなら、優先するべきはそっちでしょうに」

 

 響もここまでくれば分かっていた。只野夫妻が何を考え、何を思っているかを。

 

「たった三日だったが、君達がいてくれた日々は楽しく幸せだった。孫や娘が出来た気持ちを、味わえた」

「そうね。でも、だからってそれを押し付けるつもりはないの。響ちゃんもエルちゃんもベー君も、本当は仁志達といたいのでしょ?」

「それは……」

 

 そうだとは言えない。だが、そうじゃないとも言い切れない。それが響の本音だった。

 何故なら響もエルもヴェイグも只野夫妻と過ごす時間はあったかいと思っていたからだ。

 響にとっては忘れかけていた温もりを、エルフナインとヴェイグにとっては知らない温もりを与えてくれた時間だったのだから。

 

「あいつが借りた家なら、今の君達も共に暮らせるだろう。なら、本音を言ってやればいい」

「勿論本当に響ちゃん達がここにいたいって言ってくれるなら、私達は喜んで受け入れるから」

「おじさん……おばさん……」

「私達には、君達のやらなければならない事の手助けは何も出来ない。だが、だからといって何もしないつもりはない」

「こうして知り合ったんだもの。あの子にも言ったけど、困った時は遠慮なく頼ってくれていいから」

「でも、私はおじさん達の子供じゃ……」

「いいのよ。もう響ちゃんは半分娘みたいなものだし」

「ああ。何なら仁志の代わりに子供にしたいぐらいだ」

 

 揃って笑みを浮かべて告げる只野夫妻の言葉に響はそっと胸を押さえた。

 その温かさは、仁志から感じたものと同じだと気付いて。その優しさは、仁志に宿っているものと同じだと気付いて。

 

「……分かりました。エルちゃんやヴェイグさんと今夜相談して決めます」

「そうしてちょうだい。あっ、もし他の子で家に来たい子がいるなら教えてね。切歌ちゃんとか調ちゃんとかなら嬉しいわぁ」

「え?」

 

 まさかのその発言に響は目を丸くした。

 

「また貴方はそういう事を……」

「いいじゃない。調ちゃんと切歌ちゃん、すっごく仲良しなのよ。いっそ揃って養子に欲しいわ。調ちゃんなんて私よりも家事が出来そうだし、切歌ちゃんは響ちゃんみたいに明るいし」

「あのなぁ」

「貴方だってあの二人の事気に入ってるでしょ? パパさんって呼ばれてデレデレしてたじゃない」

「いや、あれは……」

「翼ちゃんからはおじさまなんて言われて照れてたし、未来ちゃんからおじさんって呼ばれて嬉しそうだったし、本当に娘が欲しかったんだって分かったわ」

「別にそれであの子達の面倒を見るつもりになった訳じゃない」

「どーだか? ならどうして今更になって持ち家の方が良かったかもなんて言い出してるのよ。しかも割と広い物件で考えちゃって」

 

 目の前で繰り広げられる夫妻のやり取り。それが仁志との未来図にも一瞬思え、響は小さく微笑んだ。

 

(うん、やっぱり仁志さんはおじさん達の子供だ。そして、きっとおじさんみたいに仁志さんもなるんだろうなぁ)

 

 いざとなれば妻を御し、一家をまとめられる存在。だけど、普段はどこか妻に押され気味な旦那。

 それが仁志の未来予想図にも見え、響は無意識に笑みを浮かべていた。

 

 結局その口論が激化する前にシャワーから二人が上がった事で中断となり、湯上りのエルフナインを夫妻が可愛がる事で幕となった。

 

 それを眺めヴェイグは響へこう尋ねたのだ。

 

「なぁ響、ぱぱさんとままさんは何かあったのか?」

「え? 何で?」

「いや、どことなく二人が寂しそうだからな」

「……そっか」

 

 響からは昨日と変わりなくエルフナインへ話しかける夫妻にしか見えない。

 しかし、そこにはたしかに昨日とは違う気持ちがある事を知った今、ヴェイグの気付きは正しいかもしれないと思って響は一瞬だけ悲しみを抱く。

 

「ヴェイグさん、寝る前にエルちゃんも入れて話したい事があるんだ。だから」

「分かった。それが終わるまでは寝ないでおく」

「お願いするね」

 

 それだけ告げて響もタオルなどを手にシャワーへと向かう。

 その熱い湯を浴びながら響は思うのだ。早くこの事件を解決しようと。

 

――お母さん達に会いたい。会って久しぶりに声を聞きたい。

 

 久しぶりに触れた親の温もり。それを実の両親からも感じたいと、そう思って……。

 

 

 

「それじゃあ……」

「お先にお風呂いただくデス」

「うん、ごゆっくり」

「寝ないようにな」

「そうだぞ。特に切歌は気を付けろ」

「分かってますデスよししょー」

 

 お風呂場へと向かう切歌ちゃんと調ちゃんを見送り、私と翼さんは只野さんへ顔を向ける。

 まさかあの後もうなされてたとは思わなかった。だけど、その理由を聞いたら納得しかない。

 クリスがあの別れだと思った時に真っ先にキスした理由。それが悪意に誘導されたものだとしたらって。

 

「それで、体の調子はどうですか?」

「うん、気怠さが抜けない感じだ。それでも戻ってきた時よりはかなりマシだけど」

「こうなると、今後は仁志さんがお休みの時しか悪意と対峙する事は出来ないね」

「それはダメだ。手遅れになる可能性がある」

「だけど私も翼さんの意見に賛成です。今のままじゃ、只野さんが倒れちゃう」

 

 実際私を元に戻してくれた時には怪我までした。

 そのせいで二日休まないといけない事になった。

 明日は勤務がある以上、只野さんを連れていくのは無理だ。

 もし何かあったら私達の世界やこの世界を守れても、只野さんの生活を守れない。

 

「それは……否定し切れないけど……」

 

 苦い顔をする只野さんだけど、その声はどこか弱い。

 

「仁志さん、私達はたしかに一刻も早く悪意を打ち倒し、奏達を元に戻さないといけません。ですが、そのために仁志さんを犠牲にしたくはないんです」

「翼……」

 

 普段の砕けた口調じゃない事で翼さんがどういう気持ちかを只野さんが察したみたいに目を見開いた。

 多分、今の翼さんは装者としての言葉を言ってる。普段の風鳴翼としての言葉じゃないんだ。

 

「それに暁や月読も疲弊していると思います。エルやヴェイグもでしょう。なので、最低でも明日は丸一日休養にあてるべきかと思います」

「……分かった。そうしよう。ピンチの時程、ふてぶてしくいようじゃないか」

「はい、そういう事です」

 

 そこで二人は同じように小さく笑った。何だか、ちょっといい雰囲気で複雑。

 

「っと、電話だ」

 

 只野さんがスマホを取り出すと少しだけ首を傾げた。多分だけど響かエルちゃんからなんだろうな。

 で、仁志さんはスピーカーモードにしたみたいで、スマホを床の上へ静かに置いた。

 

「もしもし? どうかした?」

『あっ、その、実は仁志さんにお願いがあるんです』

「お願い?」

『はい。えっと、私達もそっちで一緒に暮らしたいんです』

 

 その言葉に私はやっぱりと納得。だって、響達が只野さんの実家で暮らしてた理由は、只野さんの部屋がシャワーもない場所だってのが大きい。

 それが解消された以上、あの家で暮らす理由はないって言えなくもないから。

 きっとエルちゃんは、お姉ちゃんって扱ってる切歌ちゃんや調ちゃんと一緒にいたいって思ってるはずだし。

 

「それは……」

『あの、おじさんやおばさんが言ってくれたんです。こっちを気遣うぐらいならエルちゃんの気持ちを気遣いなさいと仁志さんへ言ってくれって」

「…………そっか」

 

 噛み締めるようにそう言って只野さんは天井を仰いだ。

 

『それで、エルちゃんにヴェイグさんと話し合ったんです。で、エルちゃんはやっぱり切歌ちゃんや調ちゃんと一緒にいたいって』

「ああ、うん。分かったよ。じゃあ、明日の朝に迎えに行く。悪いけど荷物をまとめておいてくれ」

『分かりました。っと、ちょっと代わります』

『あのっ、兄様!』

「エルか。ごめんな、俺のワガママで」

『僕っ、出来ればこっちで兄様達と暮らしたいですっ。でも、それは無理ですから……』

「そうだな……」

『おじいちゃんもおばあちゃんも大好きです。でも、やっぱり僕はお姉ちゃん達と一緒に』

「うん、分かったよエル。ありがとう。それとごめんな」

『いえ、僕も本当に悩みました。だけど、おばあちゃん達が家族の傍にいなさいって言ってくれたんです』

 

 その言葉で只野さんが言葉を失ってた。

 多分だけどエルちゃんが告げた“家族”に自分も含まれてるって気付いたんだ。

 きっとそうだ。エルちゃんにとって、こっちでの只野さんはお兄ちゃんでありながらお父さんでもあるだろうから。

 

「エル、そちらの気持ちはしっかり仁志さんに伝わった。だから立花に代わってもらえるか?」

『あっ、はい』

 

 只野さんが何も言えなくなったのを見て、翼さんが小さく微笑んで会話を引き継いだ。

 チラッと見れば只野さんは顔を上へ向けてた。

 もしかしたら、ちょっと泣きそうになってるのかもしれない。

 

『翼さん、代わりました』

「立花、明日は一日休養日に当てるからそのつもりでいてくれ」

『休養日? お休み、ですか?』

 

 響の口調からは若干の疑問が感じられる。

 無理もないよね。今日の事を考えると、早くマリアさんを元に戻すべきだって思うもの。

 

「ああ。仁志さんは仕事がある。その休み以外は基本悪意と事を構えない方がいいと思ってな」

『……そうですね。でも、セレナちゃんが心配です』

「それは分かる。だが、今の悪意と戦うには仁志さんの存在が必須だ。そして、悪意に飲み込まれてしまったマリア達との戦いは私達でさえ疲弊度合が強い。それへ一般人の仁志さんを巻き込むのだ。せめてそれだけで一日を終わらせる事が可能な時にするべきだ」

『そう、ですね。分かりました』

「ではまた明日会おう。いい夢をな」

『はい、おやすみなさい』

 

 そこで通話は終わった。翼さんはスマホを手に取ると只野さんへ顔を向ける。

 でも、まだ只野さんは天井を見上げてた。

 

「えっと、仁志さん? 通話が終わったけど……」

「……ああ、うん。ありがとう」

 

 そこで私と翼さんは気付いた。只野さんの声が若干涙声になってる事に。

 思わず私は翼さんと顔を見合わせた。無言のままでどうしましょうって感じで見つめてると、翼さんが少し困った顔をしてから、何かを思い出したみたいに視線を私から只野さんの手へと向けた。

 

 そして翼さんは手を握った。

 

「翼……?」

 

 それに只野さんが顔をこっちへ向けた。その目は潤んでていて、顔は軽い驚きに包まれてた。

 

「仁志さん、私は今、嬉しいんだ。やっと、やっと仁志さんが精神的に私を頼ってくれたから」

「ぁ……」

 

 その言葉で私も気付いた。今の只野さんは、私達に弱いところを見せてくれてるんだって。

 だから私も只野さんの手を握った。

 

「未来……」

「只野さん、泣いてもいいですから。私達だって只野さんへ涙を見せたんですし」

 

 あの別れの時、みんながこれでお別れだってどこかで思って泣いてた。

 だけど只野さんだけが頑張って泣かないようにしてたのを覚えてる。

 それが、今は涙を見せてくれた。だから私も翼さんの気持ちは分かる。

 

「強くありたいのかもしれないけど、常にそうであろうとすると気疲れしてしまうから。仁志さんも私達だけの時ぐらい弱くなって欲しい。ここは気を張らないでもいい場所にして」

「翼……」

「そうですね。この家や私達の前ぐらいは、弱い只野さんでもいいですよ」

「未来……」

 

 そこで只野さんは服の袖で目元を拭おうとして、私達が手を握ってる事を思い出して小さく苦笑した。

 

「その、少しだけ離してくれないか? ほんの少しでいい」

 

 合図した訳じゃないけど、私と翼さんは同時に手を離した。

 手が自由になった只野さんは袖で目元を拭うと……

 

「二人共、ありがとう……」

「「っ……」」

 

 そう言って微笑んでくれた。

 その時の只野さんは、初めてみるぐらい素敵な笑顔だった。

 翼さんと二人で思わず魅入ってしまうぐらい、胸がいっぱいになるような、そんな笑顔だった……。

 

 

 

 仁志が新しく借りた戸建の二階にある一番大きな部屋。

 そこに五組の布団が敷かれ、誰もが眠りに就いていた。

 階段に一番近い場所に翼、その横に調、仁志、切歌、未来となっている。

 安らかな寝顔を見せる女性達の静かな寝息の中、仁志だけが苦しそうな表情でうなされていた。

 

「ううっ……ぐっ……」

 

 彼がうなされているのはその夢が原因。

 仁志が一番絶望していた頃やその理由となった記憶。仁志が忘れていたい、思い出したくない記憶を引っ張り出されていたのである。

 

 クリスを始めとする悪意に魅入られていた四人からの別れのキス。

 そこで送り込まれた闇の種の欠片達があのゲートを通った事で急激に活性化し、結果仁志の精神を苛む事となっていたのだ。

 

 それはかつて響が味わった出来事と同じと言えた。

 マリスシードと呼ばれた、悪意の種。それによってあの響でさえ心を弱らせ、それに伴い体までも衰弱させてしまった一件だ。

 

 今、それと似た事が仁志を襲っていたのである。

 

「んっ……ししょう?」

 

 隣から聞こえるうめき声のようなものに目を擦りながら調が起き出す。

 隣に眠る仁志が明らかに苦しんでいるのが分かり、調は仁志の手をそっと握り締めた。

 

(ししょうがたのしいゆめをみれますように……)

 

 純粋な想いがギアペンダントに埋め込まれた依り代を通じて仁志へ流れ込み、その表情を和らげていく。

 無心な願い。無垢な気持ち。その愛が力となって注がれた結果だった。

 

「……よかった」

 

 自分の手の温もりが仁志の体へ伝わったかのようにその眠りをゆっくり落ち着けていくのを見つめ、調は嬉しそうに笑みを浮かべて布団へ横になった。

 

 そして再び室内に静けさが訪れるも、その静寂の中、どこかで声ならぬ声が響く。

 

――……たじゃ…………は……った……。

 

 だがしかし、それは今までと違い、言葉がかすれ気味な上にどこにも姿らしきものが見えない。

 けれど、たしかにそこにいるのだ。邪悪な息吹は、今もまだ仁志達を狙っているのだから……。




遂に只野、装者達と同居する事に。
ただ、その理由はあまり歓迎出来ない事情によるものです。
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