シンフォギアの消えた世界で 作:現実の夢想者
主人公である仁志へ試練が続きます。
反フラッシュ現象と言う単語が通じる方は、果たしてどれだけいらっしゃるんでしょうかね?(汗
「じゃ、行こうか」
俺の言葉にリビルドギアツインドライブ状態の響達が頷く。
やっと俺の休みの日になったのだが、当然と言うか明けだったため現在時刻は既に昼を過ぎて二時が見えてきている。
あれ以来俺は寝る時に響達装者の誰かと手を繋いだり、あるいは下手をするとキスやハグをしてもらわないとうなされるようになっていた。
原因は間違いなく悪意だと思う。ただ、それをどうやって排除すればいいのかが俺達には分からない。
依り代を常に所持している俺の中に存在する悪意を追い出す術がないに等しいからだ。
「ゲートを開放します」
「ああ、頼む」
エルが閉められたノートPCを開けると同時に響達がゲートの中へと飛び込んでいく。
俺はエルを抱えてその中へと入った。
「相変わらず嫌な感じデス……」
「うん、気分が悪くなりそう」
ザババコンビの意見に俺も同意するように頷く。
未来の力で俺とエル、そしてヴェイグはある程度守られているが、それでもこの瘴気は完全には遮断出来ていないのだから。
「セレナちゃんはどこにいるんだろう?」
「私のように関わりがありそうな場所を探すのがいいだろうな」
「そうなると……セレナちゃんの世界、ですね」
「僕はそこを最初に探す事を提案します。姉さんはきっと僕らがすぐ見つけられるように動いたはずです」
「だな。何せセレナにはミレニアムパズルっていう手段がある。なら、悪意を寄せ付けず身を守る事が出来るからな」
エルの意見を後押しするように俺も意見を述べて響達を見た。
こちらを見つめるみんなは、凛とした表情をしている。
どうやら全員の意見は一致しているようだ。
「じゃあ、セレナの世界へ行こう。先頭は切歌と調、頼めるか?」
「「うん(はいデス)」」
「最後方は響にお願いしたい」
「私、ですか?」
「ああ。怪盗ギアツインドライブへ変える。それなら通常よりも聴覚とか鋭くなると思うんだ」
「分かりました」
こうして俺は響のギアを怪盗ギアへドライブチェンジさせ、エルと共に未来の守護を受けながらゲート内を進む事になった。
そこまで心配していなかったが道中は何事もなくセレナがいるであろう平行世界のゲートへ到着。
時間の停止したそこを進みながら、俺は妙な気怠さを感じていた。
何というか、歩くのも地味に辛いと感じるような疲労感だ。
これ、もしかするとゲートを通過したせい?
「兄様、どうかしましたか?」
「え? ああ、うん。まさかこんな形でナスターシャさんのいる世界へ来るなんてなぁって」
「マムもきっと動けなくなってるはずデス」
「セレナ、どこにいるんだろう?」
先頭を歩くザババコンビの声はどこか不安な感じがする。
きっとセレナを心配してるんだろう。
ただ、セレナも何も考えなくミレニアムパズルを展開してるなんて事はないはずだ。
「何か思い当たる事はないか? セレナが考えなくパズルを展開するとは思えないからさ」
「姉さんはここが生まれ育った世界です。なら、きっと所縁のある場所に身を隠しているはずです」
「じゃ、セレナの部屋とかデスかね?」
「あるいはマムのいる場所?」
「となると施設内か。おそらくセレナも私達がそこを探すだろうと考えたはずだ。行ってみる価値はあるな」
「じゃ、急ぎましょう。悪意がやってこないとも限りません」
「もしくは、もう待ち伏せてるかもしれないね。気を付けて行こう」
未来の言葉に頷いて俺達はセレナが生活していた場所を目指す。
ただ、やっぱ体が怠い。歩くだけでもしんどいと思うなんていくら何でもおかしい。
ここまで分かり易い変化を起こすなんて、悪意はそこまで俺を、依り代を恐れてるって事か。
「はぁ……はぁ……」
歩いてるだけなのに息が上がってくる。
これ、不味いな。体力が落ちてるってレベルじゃない。
ただ歩いてるだけで体力を奪われてる感じさえあるぞ。
「兄様、やっぱり疲れが残ってるんですね」
「い、いや、これは多分だけど俺の中にいる悪意のせいだ。ゲートを通った事でまた少し強くなったんじゃないかって思う」
もう隠しても意味がないだろうと判断して考えている事を明かす。
すると全員の足が止まった。
「ひ、仁志さん、それホントですか?」
「多分、ね」
「未来さんが守ってもダメデスか……」
「師匠、このままじゃ悪意に乗っ取られるの?」
「どうだろう、な。その可能性もあると思うけど……」
正直そんな簡単な事じゃない気もする。
何故なら乗っ取ったところでみんなを倒す事は出来ないからだ。まぁ依り代を封じられるのは大きいかもしれないが、どことなくそうなったらみんなはエクスドライブを発現させてくれそうだし。
第一俺自身に強い力はないし、精々が俺へ危害を加える事を躊躇うぐらいしかみんなへの有利な点が存在しないからな。
「こうなってくるとやはり悪意の狙いは私達の同士討ち。それと同時に仁志さんの体の中にいるだろう自身の分身を育てる事かもしれない。出来るだけゲートを通過する回数を減らしたいものだが……」
「今回でセレナと合流出来たとしても、きっとクリス達全員を元に戻すのは無理だろうな。特にマリアと奏は一緒に出てこないはずだし」
「そっか。悪意に操られる前からマリアと奏さん、雰囲気良くなかった」
「デスね。でもクリス先輩も来なかったデスよ?」
「クリスはおそらく悪意の本体が宿ってるんだと思う。だから前線に出てこないんじゃないかと思うよ。じゃないと前回の戦闘で援軍に来なかった理由が分からない」
と言いつつ俺には一つだけ嫌な理由が浮かんでる。
それは、悪意が敢えてみんなを解放しているんじゃないかと言う事。
その狙いは分からない。最初は未来や翼の中に潜伏してるんじゃないかと思ったけど、切歌と調の一件でそれも可能性が薄いと感じた。
悪意はやはり様々な形でみんなを制御下に置こうと試してる感じがしたんだ。
特に依り代で翼と未来を取り戻された事を受けて、切歌でそれを回避するような手を打ってきた事がそれを裏付けてる。
あの決戦の際もカルマ・ノイズを使ってツインドライブのデータを得たりしていたし、悪意なりに経験を基に対応してきてるのは間違いない。
ただ、みんなを解放しているというよりはそうなっても構わないって感じがある。
実際、あの決戦もそうだった。悪意はあの敗戦さえもおそらく想定内の事だったはずだ。
つまり、リビルドギアツインドライブはもう悪意が学習済みのはず。
それと同じく未来や切歌の解放も想定内なんだろう。そうなると、クリス達もその可能性が高い。
もし仮にそうだとすれば、悪意は最後どんな手を使うつもりなんだ?
俺を使うとして、どうするって言うんだ?
「とりあえず今はセレナちゃんを探しましょう。只野さん、歩けますか?」
「ああ、それは大丈夫だよ」
「ううん、今は少しでも体力を温存して。立花、仁志さんを抱えて移動してくれ。小日向はエルを頼む」
「「分かりました」」
こうして俺は響に抱き抱えられるようにして移動する事に。
男としての尊厳とか誇りとかあってないようなもんだけど、情けないとは思う。
「ごめんな響」
「いえいえ、これぐらい気にしないでください。仁志さんはいつも私達のために頑張ってくれてますし」
ニッコリと笑ってくれる響だが、何故か心は沈む一方だ。
これが悪意のせいなのか俺自身の本当の気持ちなのかも分からない。
一番有力なのは俺の情けないって気持ちを悪意が増幅してる、だろうか。
このままじゃ不味いと思いつつも、どうしようも出来ない気がしてくる。
「ひ~とのひ~とみが背中~に」
「ひ、仁志さん?」
気分が滅入らないようにと前向きな歌を唄い出すと当然のように響が軽い驚きを見せた。
それだけじゃなく、他のみんなもこっちを見てくる。
「気分が妙に落ち込みそうなんだよ。だから悪い。明るい歌を唄わせてくれ」
「そ、そういう事ですか。えっと、そういう事みたいです」
「本来であれば止めるところだが、状況が状況だ。仁志さんがそうしないと不味いと感じたなら好きにして」
「ありがとな。じゃ、続きを……」
そのまま俺は“新世紀GPサイバーフォーミュラ”のEDの“Winners”を歌い続けた。
前向きで明るく希望が溢れる歌詞だったからかみんなも気に入ってくれたらしく、特に響と切歌はサビの歌詞が気に入ったようだ。
「愛で結ばれる、かぁ」
「えっと、この場合のあいは愛情とかじゃなくて信頼って書いてあいって読ませるんだよ」
「信頼で結ばれる、デスか。余計いいデス」
「私はスピードは空がくれた最後の魔法と言う歌詞が好きだな」
「実はそこもそらが青空の方じゃなくて奏の苗字の方なんだ」
「そうなんだ。奏にも聞かせてあげたいな」
思いがけない効果だが、俺だけじゃなくみんなの気分を明るい方向へ変える事が出来たようだ。
なので気を良くして俺は次の歌を唄う事に。
「君の、涙、最後にするわけは」
“魔神英雄伝ワタル”のOPの“STEP”を歌っている途中で俺の視界に見た事があるような建物が見えてきた。
「あれが……セレナが本来生活している場所か……」
あのイノセントシスターで見た通りの建物だ。
あそこのどこかにセレナがいてくれるといいんだが……。
依り代を取り出してゲームを起動させてステータスを確認すると、セレナはまだツインドライブ状態だった。
そこでふと思った。ここでドライブチェンジさせたらセレナも俺達が来たと気付いてくれないかなと。
ただ、それをするならセレナの居る場所を見つけてからだな。
「響、ここまででいいよ。ありがとな。ここからは自分で歩くよ」
「分かりました。でも、また疲れたら言ってくださいね?」
「ああ」
歌ったおかげか少しだけ気怠さが消えたので、ここからは自分の足で歩く事にした。
それにセレナを迎えに行くなら、俺もちゃんと自分の足で立って出迎えてあげたいしな。
「翼さん、ここ開いたままです」
建物へと近付くと、入口の一部が開いたままになっていた。
そこを通ろうとしている存在はいないので、おそらくセレナが開けたはずだ。
「ああ。付近に誰もいない以上、セレナが開けたと見て間違いないだろう」
「じゃあ、姉さんはここにいるんですね」
「そのはずだよ。悪意はこの時間が停止した世界でその解除が出来ないし」
「アタシ達もここに来るのは久しぶりデスね」
「セレナちゃんがいるのはどこかな?」
そう未来が言いながら小首を傾げるとエルの腕の中へヴェイグ出現。
「っと、おそらくセレナの部屋だ。微かにだが優しい匂いがする」
「ヴェイグ、他に匂いはあるか?」
「…………いや、今のところはない」
どうやらまだ悪意は動いてないらしい。
なら、善は急げだ。セレナと早く合流しよう。
「案内頼めるか、ヴェイグ」
「任せろ」
こうして俺達はヴェイグの案内で施設内を進む。
本当に何の障害もなく俺達はセレナの部屋の前へと到着した。
ただ、そこのドアはこれまで見てきた物と雰囲気が異なっていた。
その、何というか可愛らしいのである。あと、デザインが明らかに周囲から浮いているのだ。
木製のドアでチョコレートのような色と模様があり、ノブもそれに合わせたように黒い物となっている。
まるでビターチョコだ。セレナならミルクチョコの方がイメージに合うんだけどなぁ。
そんな事を考えたからか、お菓子の家のドアってこんな感じかもしれないと思った。
そうして目の前のドアを見つめていると響が不思議そうな顔をしてそれへ顔を近付けた。
「これって……」
「ああ、ミレニアムパズルの入口だ。セレナが俺のやってた事を真似てるんだろう」
「じゃあ、このドアを開ければいいデスか?」
「ちょっと待った。その前にセレナへ俺達が来た事を教えてみるよ」
早速とばかりに切歌がノブへ手を出そうとしていたのでそう言って待ったをかける。
俺はステータス画面からセレナのギアを巫女ギアへドライブチェンジさせた。
「今セレナのギアを巫女ギアへ変えた。誰かノックしながら声をかけてくれるか?」
「じゃあ僕がやります」
エルがドアの前に立って軽く数回ノックする。
「姉さん、僕です。エルです。兄様達と迎えに来ました」
「ん? ちょっと待てエル。みんな、見てくれ。ドアに細かな傷が沢山ついてる」
「え?」
ヴェイグの言葉で俺達はドアをよく目を凝らして見つめた。
言われた通り、たしかにそこには細かな傷が沢山存在している。
つまり、誰かがここへ来たって事だ。しかも、刃物による傷だと考えると奏かマリアしかいない。
「奏かマリアのどっちだ?」
「おそらく奏の方だよ。傷跡が剣によるものにしては窪み過ぎてる。これ、刺突によるものだと思う」
「でも、ならどうしてここに誰もいないんでしょう?」
「どこかに隠れてるデスか?」
「いや、それはない。匂いを隠す事は出来ないはずだ」
ヴェイグの力強い断言に俺も頷き、ドアをノックする。
「セレナ、聞こえてるかい? 俺だ、只野だ。迎えに来たよ」
「おかしいな。セレナの匂いが変わらないぞ」
「「「「「「「変わらない(デス)?」」」」」」」
「ああ。エルが声をかけた時もタダノが声をかけた時も、セレナの優しい匂いが強くならないんだ」
不思議そうにヴェイグが首を傾げるのを見て、俺達は顔を見合わせた。
「おそらくだけど、俺達がここへ来る前に悪意がやってきてセレナの事を怯えさせたはずだ。それもあって寝てるかもしれない」
「あるいは悪意による襲撃で疲れ切ったのかも」
「今のししょーがうなされた後みたいに、デスか?」
「有り得ます。それに、もしかするとこのドアに何か細工をしていったかもしれません」
「じゃ、今のセレナちゃんにはエルちゃんや仁志さんの声が聞こえてない?」
「可能性はあるね。じゃあ、開けるのが一番早いんじゃ?」
「いや、ここでセレナのツインドライブを解除すればいいと思うよ。なら自然パズルも消えるし、セレナも俺達と会える」
「そっか」
ステータス画面からセレナのツインドライブを解除すると、俺達の目の前にアガートラームのギアを纏ったセレナが現れた。
そしてその体をブルリと一度震わせてゆっくりと瞼を開けると、こっちを見つめて静かに体を起こした。
「んっ……おにいちゃん? える?」
「姉さんっ!」
「「「「「「セレナ(ちゃん)っ!」」」」」」
どうやら本当に寝てたらしい。可愛らしく目を擦るセレナへエルが真っ先に駆け寄っていく。
その後は切歌と調が、ヴェイグはゆっくり歩いて近寄っている。
セレナはエルの事を抱き締めながら切歌や調へ笑顔を向けていた。
安堵するような微笑みからは、これまでたった一人で耐えてきた事が窺える。
「良かったぁ。セレナちゃんが無事で」
「本当だね。後はマリアさん達を元に戻すだけ」
「ああ。一先ずこの場を離れよう」
「だな。建物内じゃ戦い辛いし」
そう言いながらも、俺達は再会を喜ぶあの平屋の年少組を微笑みながら見つめていた……。
セレナと合流した仁志達は悪意の襲撃に備えて施設内から出てゲートへと向かった。
心配された襲撃はなく、それをどこか訝しみながら仁志達はゲートを目指す。
ただ、セレナが合流してからずっと体調不良を訴えていたのだ。
「姉さん、大丈夫ですか?」
「う、うん。ちょっと体が重たいだけだから」
そのやり取りは、調と切歌にどこか自分達の事を思い出させる事だった。
悪意の種を植え付けられた切歌とそれを支える様に動いていた調。
その時の姿が今のセレナとエルフナインに重なったのだ。
「切ちゃん、もしかして……」
「デス、ね。聞いてみるデス」
揃って頷き、二人はセレナへ向き直る。
「セレナ、正直に教えて」
「アタシ達と別れた後、悪意に何かされましたか?」
「え? えっと、私はあの後……」
セレナの口から語られたのは一人でギャラルホルンからゲートへ出た後の事。
一人ゲートへ出たセレナは、すぐに自分の暮らしていた世界へ向かった。
そして久しぶりとなるナスターシャと再会するもそこで涙が込み上げてきたため、泣いたら心が折れると思ってその場から急いで離れた。
その後、自分の部屋の中へ入ろうとしたところでミレニアムパズルを展開する事を思いつき、その中へ隠れたのだ。
「一度だけ奏さんの声が聞こえて、ドアを何度も何度も攻撃されたんだけど、私はお兄ちゃん達が助けに来てくれるって信じて耐えたんだ」
「姉さん……」
儚げな微笑みをエルフナインへ向けるセレナ。その笑みにエルフナインも笑顔を返す。
「じゃあ、セレナは悪意と接触してないデスね」
「うん。なら考え過ぎ?」
「切歌ちゃんみたいに何か悪意の攻撃を受けた訳じゃないなら、今までの疲れが出ただけかな?」
「かもしれない。とにかく今は」
ここを離れよう。そう響が言おうとした時だった。
ヴェイグが何かに気付いて鼻を動かした。
「っ!? 嫌な匂いがするぞ!」
「「「「「「「「っ!?」」」」」」」」
すぐさま翼と響が前衛として先頭へと移動し、仁志がエルやヴェイグと共に後ろへ下がり未来が三人を守るように位置を変え、切歌と調はセレナの事を守るように構え、周囲を警戒する。
「ヴェイグ、数と位置は分かるか?」
「……数は一つだ。ゲートがある方向から真っ直ぐこっちへ向かってきてるぞ」
「真っ直ぐ?」
「どういうつもりだ? まぁいい。皆、気を抜くな」
翼の言葉に装者達全員が頷き、エルフナインが仁志へ顔を向けた。
「兄様、一応姉さんをツインドライブへ戻すべきかと」
「そうだな。セレナの自衛のためにもリビルドギアツインドライブに戻そう」
そう言って仁志がステータス画面からセレナのギアを変化させようとヴェイグのアイコンをタップした瞬間だった。
――えっ!?
それは誰の声だったろうか。
エルフナインのだろうか。切歌や調だろうか。あるいは、セレナ自身の声だろうか。
仁志は視界の中に映る光景に言葉を失っていた。
何せセレナのギアがツインドライブへと変化した瞬間、彼女を包むようにギアから黒い物が噴出して繭を形成したのだ。
「姉さんっ!?」
「「「セレナっ!?」」」
「タダノっ! これはどういう事だ!?」
「分からないっ! 普通にツインドライブを展開させただけ……っ!?」
そこで仁志は思い出した。
セレナが言っていた中にあった“奏が一度襲撃してきた”という言葉を。
「もしかして……これを最初から想定してたのか?」
「タダノ、どうした?」
「……してやられた、可能性がある。悪意は、セレナのミレニアムパズルを利用して襲撃を計画してたのかもしれない」
「どういう事だ?」
「その、奏を操った悪意はミレニアムパズルの入口であるドアへ、多分自身の欠片か何かを仕込んだんだ。それは開けようとした相手かパズルから出て来たセレナを捕えるようになってたんじゃないかって」
その仁志の言葉にヴェイグが息を呑むのと、どこからか声が聞こえてくるのは同時だった。
――いい読みしてるじゃないか仁志先輩。
呼び方だけでその場の全員が誰か察してやはりとばかりに表情を険しくする。
木々の間からゆっくりと何者かが歩み出てくるのを見つめ、仁志はその相手をその目で確かめて悲しそうな顔をした。
「奏……」
「久しぶり、でいいのかな? 元気そうで嬉しいよ仁志先輩。翼達も相変わらずだね」
「奏を装って
「装う? ああ、そっか。未来やマリアはそうだったっけ」
「ど、どういう意味デスか!」
「あたしは、正真正銘あたし自身として喋ってるって事さ」
全員が息を呑んだ。何故なら奏はそう言って笑ったのだ。
それは仁志達がよく知る奏の笑みだった。
「そりゃ勿論悪意の影響がないとは言わないよ。でも、あたしは自分の意思で動いてる」
「あ、アタシを攻撃したのもデスか!?」
「そうさ。だって、今のあたしからすればあんた達は敵だからね。まぁ、この分だとセレナは仲間になりそうだけど」
奏の言葉に仁志とヴェイグは闇の繭となったセレナへ目を向ける。
翼の時のようなヒビはなく、まだ静かな状態のそれはかえって不気味さを放っていた。
「奏だと言うならどうして悪意に従うっ! 何故私達を攻撃するっ!」
「簡単だよ翼。あんた達を片付けて、あたしは仁志先輩の特別になりたいんだ」
「俺の……特別?」
「マリアがそうなってただろ? まっ、あいつはもう終わったけどさ」
「マリアが……終わった?」
「あいつ、あんた達に負けたからな。まぁどこかに身を隠してるらしいけど、もう無理だろうね。あたしやクリスもリンクをほぼ感じられないって事はかなり弱ってるって事だし」
放たれる言葉は色々と仁志達に衝撃を与えていた。
これまでは悪意が振りをしてると思える事や喋らせていると思える事が多かったが、奏に関してはここまで本人じゃないかと思わせる事だらけだったのだ。
「他はどう言ってたか知らないけど、あたしは仁志さえ諦めてくれるならそっちに危害は加えないよ。何ならエルもどうだい? あたしを姉か、いっそ母親でもいいさ。仁志と三人、あの世界で楽しく暮らそうよ」
「お、お断りします」
「俺もだ。奏、気持ちは嬉しいけど、俺は本当の君が好きだよ」
「本当の、ね……。ははっ、勘違いしてないか仁志先輩。あたしはね、許されるのならとっくにこうしたかったんだよ。マリアからあたしへ貴方の目を、意識を向けさせたかった。あの家でっ! あいつがっ! 貴方と家族やってるのを妬ましく思ってたんだっ!」
その最後の言葉には紛れもない憎しみが込められていた。
目付きも鋭さを持ち、体中から怒気を放って、奏は仁志を見つめていた。
「奏……君は……」
「エルやセレナを使ってっ! あいつは貴方を隣へ置いたっ! 表向きはそうじゃないと言いつつ、内心で貴方の妻を気取ってほくそ笑んでたっ! 自分は特別なんだと言うように、真っ先にゲージをMAXにしてっ!」
「奏さん……」
「奏……」
響と翼はその奏の言葉が痛い程分かった。分かってしまった。
何故ならそれは仁志へ想いを寄せるようになった自分達もどこかで感じていた事だったからだ。
あの日々でマリアが少しだけ、ほんの少しだけ仁志との関係性が異なっていたのは誰もが感じ取っていた事だった。
「だけど、それももう終わり。あいつは貴方達に負けて行方をくらました。正直元に戻っても構わなかったんだけどね。それならいっそこの手で……っ!」
「っ!? 奏、まさか君は……っ」
「あははっ! 怖い顔しないでよ仁志先輩。あたしだって殺すつもりはないさ。だけど、今まで味わった悔しさや妬みを少しぐらいぶつけるぐらいはいいだろ?」
「奏……本当に……」
「悪意に姉様への嫉妬や憎悪を増幅されています。だからお姉ちゃん達と戦っていた時も仲が良くなかったんでしょう」
奏のある種の本音に翼が悲しみを抱く中、エルフナインは辛そうな表情を見せてその変化の要因を述べる。
仁志はそれを聞きながら自分を責め始めていた。何せ、奏の告げた言葉に彼自身も思い当たる節があったのだ。
(俺がマリアと一緒に擬似夫婦をしていたのを見て、奏達がどう思うかなんて少し考えれば分かったはずだ。それなのに、俺は目先の温もりに甘えてしまった。彼女達の心へ、傷や痛みを与えてしまった……。奏や翼が注意してくれたのに、俺は……っ!)
一度翼や奏から注意さえ受けていた事まで思い出し、仁志の心は負の方向へ大きく傾いた。
「っ!?」
その瞬間、ズキリと彼の何かが痛みを上げた。声を上げる事はなかったが、許されるのなら叫びたい程の痛みが。
それはその後も仁志の体を苛み、痛めつけていく。
まるで良心の呵責が実現したかのようなそれに、仁志は思わず胸を押さえて蹲る。
「ぐっ……ううっ!」
「兄様っ!?」
「タダノっ! どうしたっ!」
突然の事に狼狽えるエルフナインとヴェイグ。
響達も何事かと仁志へ目を向ける中、奏はそれを見て悲しそうな顔をした。
「仁志先輩、受け入れた方が楽だよ。人間、みんな多かれ少なかれ醜い部分があるのさ。あたしだってそうだった。マリアや未来、クリスだってそうだ。翼も切歌も調だって一度闇に堕ちた。仁志先輩がそうなったっておかしくないさ。あたしやクリスと一緒になろうよ」
「い、嫌なこった。俺は、せめて魂ぐらいはヒーローでありたい……っ」
「へぇ、ヒーロー、ね」
そこで奏の瞳から光が失せる。
――その気持ちがあんな事を引き起こしたのに?
――っ!?
今の仁志の心を貫く一言だった。
あの忘れたい記憶。その切っ掛けは、仁志が良かれと思って動いた正義感によるものだ。
言葉などが拙かったために誰一人としていい結果にならなかった出来事。
その事が刃となって仁志の心へ突き刺さったのだ。
そんなお前にヒーローなどと言う言葉を使う資格があるのか、と。
「奏さんっ! どうしてその事を知ってるんですか!」
「むしろ何で知らないと思うのさ。そっちも気付いてるんだろ? 仁志先輩の体の中に悪意がいるって」
絶句。そうとしか表現出来ない表情を誰もが浮かべていた。
ただ一人仁志だけが苦しげな顔で奏を見つめている。
「じゃあ、やっぱり俺の変調は悪意が原因だったのかっ!」
「正確には仁志先輩が自分に嘘を吐き続けてるから、かな?」
「う、嘘?」
「そう。仁志先輩はね、本当はあたし達にエッチな事したいって思ってる。響、時々見えてたあんたの胸元を仁志先輩はしっかり記憶してるんだよ」
「えっ!?」
「っ!?」
響の表情が驚きと恥じらいに染まり、仁志の表情から血の気が引いていく。
「翼、あんたが触らせた胸の感触を覚えてるし、ザババの二人なんかも似たような事しただろ? それも仁志先輩はしっかり覚えてるんだ。未来、あんたはジョギング中だね。見てないようで結構仁志先輩も」
「ああそうだよっ! 俺だって男だっ! エロい事を、スケベな事を考えてるよっ! 覚えてるさっ! だからもう奏の口を使ってそんな事を言わせるのを止めろぉぉぉぉぉぉっ!」
怒鳴り声と呼んで差し支えない音量で仁志が叫んだ。
怒りと申し訳なさとみっともなさに心をグチャグチャにしながらも、それでも奏の事を思って仁志は己の恥部を認めて吐き出した。
全員の視線を一身に受けている事を自覚しつつ、悪意に染まった奏を怒りの形相で見据えるように。
「良い顔してるね、仁志先輩。もっと自分に素直になれば体は楽になるよ」
「ふざけるなっ! ……自分に素直になっていい時とダメな時を無くすってのは、理性を捨てて獣になるのと同じだ。それは、人間じゃない。厄介な知恵を付けた化物だっ!」
「タダノ……」
「兄様……」
仁志を見つめてヴェイグとエルフナインが小さく笑みを浮かべる。
何故なら仁志は、奏へそう言い返しながら動き出し、その体で二人の事を守る様な位置取りをしたのだ。
「こんな痛みが、苦しみがなんだっ! こんなもの、君達が味わってきた痛みや苦しみに比べれば些細なもんだっ!」
言い切る。それは仁志にとって間違いのない真実だからだ。
アニメとして、ゲームとして、彼は装者達の戦いを知っている。
そこで見た事が、一つの現実だと知っているのだから。
「命を賭けて、心を傷付け、血を流してきた君達に比べれば、こんな痛みも苦しみもちっぽけなものだ。何せ俺はまだ自分のためだけにしか、この痛みを、苦しみを感じてない。なのに、それに屈して闇に身を任せろ? そんな事出来るかっ。俺は、せめて魂だけでもみんなと同じでありたいんだよっ!」
吼えた。受け売りの言葉でも、誰かの考えた思想であっても、今、この場においては仁志のものだ。
彼自身を形成する要素としてそれらがある以上、それは借り受けたものではない。紛れもなく仁志のものであると言えた。
何故なら、それを彼は言おうとして言っているのではなく、自然と心から言い放っていたのだから。
それと同時に仁志は気付いていた。
(不思議だ……。あんなに苦しかったのが、辛かったのが、今は何も感じられない……。そうか、もしかすると俺の心が強くあろうとすれば悪意の影響を撥ね退けられるのかもしれない……)
病は気からと言う言葉があるように、人間とは思い込みの生き物でもある。
エルフナインがマリアやセレナを、切歌や調を姉と扱って妹と、子供となっていったように。
あるいは、セレナがエルフナインを妹として扱って姉として、人として成長していったように。
仁志もまた、心だけでも装者達のようにと強く思う事で少しだけ人として強くなれたのだった。
「カッコイイよ、仁志先輩。じゃあ、そのカッコよさで見事助け出してあげなよ」
その言葉と同時にピシリと、何かが軋むような音がその場に響く。
誰もがその音の出所を察して悲痛な表情を浮かべる。
ただ一人、奏だけが楽しげに嗤っていた。
「貴方が闇へ堕としちゃった、憐れな女の子を、さ」
口の端を歪めながら、心を強く持とうとした仁志へ更なる鋭い言の葉を突き刺して……。
「姉さん……」
僕の目の前には闇の繭から出て来た姉さんがいた。日焼けしたかのような肌となった、姉さんが。
純白のギアは漆黒に染まり、どこか可愛ささえ感じられるはずのインナーは、扇情的な雰囲気を放つ物へと変わっている。
「うふふ、エル、どうしたの? まるでこの世の終わりみたいな顔して」
楽しげな姉さんの声だけど、その表情は僕が今まで見た事のないものだった。
どこか人を馬鹿にしてるような印象を覚える顔だから。
「セレナ……何て嫌な匂いだ……。以前の切歌に近いなんて……」
「ヴェイグさん……」
僕の隣で辛そうに項垂れるヴェイグさん。
人間嫌いになっていたヴェイグさん。それを変える切っ掛けになったのが優しい匂いをさせる姉さんだった。
そんな相手がとても嫌な匂いを出している事。それがヴェイグさんには耐えられないんだと思う。
「セレナ、心を強く持ってっ!」
「そうデス! 悪意なんかに操られちゃダメデス!」
「ふふっ、調さんも切歌さんも何を言ってるんですか? 私、操られてなんかないですよ? あははっ、操られてないですから」
楽しげに、軽やかに笑い、姉さんはその場でくるくると回ってみせた。
まるで今の自分を周囲に見せつけるように。
「セレナ……」
そんな姉さんを見て兄様が辛そうな声を出した。
多分だけど、こうなった原因が自分にあるって思ってるんだ。
「あっ、お兄ちゃん。見て見て? 今の私、大人っぽいでしょ? これならお兄ちゃんのお嫁さんになれるかな?」
とっても可愛い笑顔でそう問いかける姿は、僕が良く知る姉さんだった。
だけど、そんな姉さんを見て兄様は表情を歪めるだけだ。
「どうしたのお兄ちゃん? 何で喜んでくれないの? もしかして……」
そこで急に姉さんの雰囲気が変わった。
少し身震いしてしまうような、そんな雰囲気へ。
「まだ私を子供扱いしてる?」
目を細めて兄様を見つめる姿は、姉さんじゃなかった。
恐ろしさや怖さを感じさせるそれは、絶対姉さんじゃない!
「セレナ、仁志先輩に見せてやんなよ。今のセレナは子供じゃないってさ」
「はい、分かりました。じゃあ……っ!」
奏さんがそう声をかけると、姉さんはその手にアームドギアを取り出して身を低くすると同時に駆け出した。
「っ!? 月読っ! 構えろっ!」
「っ!?」
狙いは調お姉ちゃん。金属同士が激しくぶつかり合う音が響いて、調お姉ちゃんが表情を歪めるのが見えた。
姉さんは僕からは背中しか見えない。でも、調お姉ちゃんが悲しそうな顔をしたからきっと笑ったんじゃないだろうか。
「エルっ! 一旦離れるぞっ!」
「は、はいっ! ヴェイグさんっ!」
「分かったっ!」
兄様に抱えられて、僕はヴェイグさんと一緒にその場から離れる。
視線の先では姉さんとお姉ちゃん達が戦い始めていて、奏さんを相手に響さん達三人が向かっていくのが見えた。
「くそっ! 結局俺はっ! こうして逃げる事しか……っ!」
兄様の悔しげな声を聞きながら僕はヴェイグさんへ声をかける事にした。
――ヴェイグさん、どうして悪意は奏さんと姉さんを支配下に置かないんでしょうか?
――奏は分からないが、セレナは簡単だ。依り代で簡単に助け出せないようにだろう。
――そうか。切歌お姉ちゃんの時と一緒ですね。
――ああ。あの時の切歌と同じじゃないからまだ隔離は出来るが、元に戻す事は多分タダノだけじゃ無理だ。
――必要なのは……姉様、でしょうか?
――あるいはエル、お前だ。セレナはエルを本当の妹みたいに大事にしてたからな。
――僕が……。
気が付いたら兄様はあの建物の前まで来ていた。
ただ、もう走ってはいなかったけど。
「こ、ここまでくればっ……とりあえずは……大丈夫、だろう……」
そう言うと兄様が僕をゆっくりと下ろしてくれた。
僕が地に足を着けると同時にヴェイグさんが姿を見せた。
「タダノ、大丈夫か?」
「あ、ああ……っ。何となくだけど、体の調子を良くする術が分かった気がするよ……」
「ほ、ホントですか?」
兄様の言葉が本当なら朗報以外の何物でもない。
だけど兄様は僕へ複雑そうな顔をした。
「でも、これは正直精神論だ。心を強く持つ事。この一点なんだよ」
その言葉には、どことなく無力感が滲んでるように僕には聞こえた。
多分兄様は悪意の影響で以前よりも精神が不安定になってるんじゃないだろうか?
しかも、おそらくそのバランスは負の方向へ偏り易いはずだ。
それを引き起こしているのは、兄様が夢と言う形で見せられてる過去の嫌な思い出や最悪の未来予想図。
健全な精神は健全な肉体に宿ると言うらしいけど、今の兄様を見てるとそれは真理なんだと分かる。
思い出してみれば、響さんと出会う前の兄様は食生活もそこまで気を配らず、運動不足だったらしい。
今はそうでもないけど、代わりに快適な睡眠を阻害されているせいで心が弱っている。
悪意は、眠りを阻害し悪夢を見せる事で兄様の体力と共に精神力まで衰えさせようとしてるんだ。
「じゃあ、今はどうなんですか?」
「正直奏と話し始めた時よりかなりマシ。ただ、それでも若干の気怠さは残る」
「神獣鏡でも祓えないのか……」
「効果はないらしい。こうなると、悪い意味で俺の存在への概念が働いてるんじゃないか?」
「っ! 神の世界の住人っ!?」
僕がそう言うと兄様は苦い顔でゆっくり頷いた。
有り得ると思う。僕らは兄様の世界を上位世界、つまり神の世界にも近いと考え、そこに住む兄様を自分達とは少し違う存在と捉えた。
実際ヴェイグさんも匂いを感じられないと言っていたし、それは今も継続中だ。
「……あれ?」
何だ? 何か引っかかる……。
「エル、どうした?」
「何か気付いたのか?」
「あ、あの、ヴェイグさん」
「何だ?」
「えっと、今も兄様の匂いは分からないんですよね?」
僕の問いかけにヴェイグさんだけじゃなく兄様も不思議そうな顔をした。
「あ、ああ。それがどうした?」
「でも、兄様の世界の匂いは分かるようになったんですよね?」
「ああ」
やっぱりっ! じゃあ、そういう事なのかもしれない!
「……エル、もしかして俺の概念を変えればヴェイグは匂いを感じられるし、神獣鏡の効果も出せるのか?」
兄様の言葉は僕の仮説と同じものだ。
そう、ヴェイグさんが上位世界の匂いを感じ取った事。
多分だけどその背景にあるのは、ヴェイグさんが上位世界を姉さんの中から見た世界と大差ないと感じ続けた事のはずだ。
なら、兄様の事を僕らと何も変わらない存在だと思えば……。
――待て。そうなると一気に悪意とやらが侵食してしまう可能性もあるぞ。
――っ!?
思わず息を呑んだ。
聞こえてきたキャロルの言葉に驚いただけじゃない。その意味する事が分かってしまったからだ。
そもそも悪意が兄様へ直接手を出せなかったのは神の世界の住人だったからだ。
その概念を崩してしまうと、キャロルが危惧してる事が起きる可能性は高い。
だけど、どうしてキャロルがまた僕へ声をかけてくれたんだろう?
――……あの男はお前にとってのもう一人のパパなんだろう? なら、あらゆる可能性を考えろ。
――キャロル……ありがとう。
そこから声は聞こえなくなった。
きっとまだキャロルは少ししか覚醒してないんだ。
それでも僕と兄様の関係を考えて意見を出してくれた。それがとても嬉しい。
「兄様、今はそれは不味い可能性があります」
「不味い?」
「その、悪意が兄様へ直接手を出せなかった理由を喪失するかもしれないんです」
「……上位世界の住人も他の平行世界の住人と変わらないってなると、悪意の影響をもっと強く受けるかもしれない?」
「はい。キャロルがその危険性を教えてくれました」
「きゃ、キャロルが!?」
驚く兄様へ僕は頷く事で返事とかえた。
僕に出来るのは考える事だ。この知識を使って兄様達を支える事だ。
今の自分に出来る事を一生懸命やる。それが成長に繋がるって僕は教えてもらったから。
「タダノ、これからどうする? セレナと奏を元に戻さないといけないが……」
「ああ、切歌と似た感じだったし、依り代だけで元に戻すのは難しいかもしれない。ただ、奏はともかくセレナはまだ染められたばかりだ。狙うならそっちだ」
「はい。僕もヴェイグさんと一緒に兄様とパズルの中へ入ります」
「ありがとなエル。それならきっとセレナを元に戻せるはずだ」
そこで一度だけ深呼吸して兄様は来た道へと向き直った。
「まずはセレナを助け出そう。それから」
「そうはさせん」
聞こえた声に僕らは思わず息を呑んだ。
だって、その声はここで聞くはずはないって思ってたものだったから。
「マリア……」
兄様の掠れた呟きの通り、僕らの前には所々傷を負った漆黒のギアを纏う姉様が立っていた。
前回見た時よりも若干威圧感が薄れた印象だけど、それでもまだ禍々しさは残る姿の姉様が……。
「まだ万全ではないが、お前達だけなら十分相手に出来る」
「どうかな? 俺達だって弱いとは限らないぞ」
そう言いながらタダノがエルの体を抱き抱える。
俺もエルの中へと入った。
マリアを操る悪意はかなり消耗してるのが俺には分かる。
匂いが薄れているんだ。前見た時よりもかなり弱い。
これなら今度こそマリアを元に戻せるはずだ。
「とりあえず……三十六計逃げるが勝ちっ!」
「なっ!?」
タダノが逃げた先はセレナ達がいる方とは逆。つまり施設内だった。
「に、兄様っ!? どうしてこっちへ!」
「喋るな! 舌をかむ! 理由は後で教えるからっ!」
タダノは必死な顔で走った。以前は入口を閉めて安全を確保したのに今回はそうじゃない。
きっと何か考えがあるんだろう。今までもタダノはそうだった。
力がないから知恵を絞り、機転を利かせ、勇気を以って色んな事を乗り越えてきたからな。
そうして進んでいくと、タダノが少しだけ速度を落とした。
「ヴェイグ、ナスターシャさんがいる司令室みたいな場所、分かるか?」
その問いかけの意図は分からないが、それが重要な事は分かった。
――エル、俺が案内する方向を口に出してくれ。
――わ、分かりました!
俺が姿を見せるとタダノの負担が増える。
なのでエルへ声をかけて俺の代わりをしてもらう事にした。
俺の指示をエルが告げてタダノが急ぐ。
やがて俺達はマムのいる場所へと到着した。
「はぁ……っはぁ……」
「だ、大丈夫ですか兄様?」
「あ、ああ……っ。エル、ヴェイグと一緒にどこかに隠れててくれ……っ。で、頃合いを見て、パズルを頼む。ふ~っ……セレナにやろうとした事をマリアへ試そう」
「ぁ……はい、分かりました」
言われてエルが手近な物陰へ隠れた。
俺は今の状態だとエルの見てる光景しか見えないが、どうやらまだ悪意は来てないな。
――ヴェイグさん、嫌な匂いはしますか?
――いや、今はしない。少し待ってろ。
今のマリアは匂いが薄くなってる。だから普段よりは察知に時間がかかる。
それでも意識を集中すれば分からないはずはない。
……微かに嫌な匂いが近付いてくる。だが、どこか優しい匂いも混ざってる気がするな。
もしかすると、前の事でマリア自身も悪意と戦い始めてるかもしれない。
――エル、ここに悪意が近付いてきてるぞ。
――分かりました。
「兄様、そろそろ来ます」
エルがタダノへ呼びかけるのを聞きながら、俺はふと考える。
俺は、ここへ来るまで人間の戦いに興味を持つ事はなかった。
セレナの戦いだって見ているだけで、一緒に戦うなんて事はしなかった。
それが、今じゃ気付けば自分から戦いへ首を突っ込んでる。
言われなくても意見を出したり、悪意の接近なんかを教えてる。
それは何故だと、そう考えると浮かんでくるのはやっぱりタダノだ。
あいつは、初めて会った時から俺を見て目を輝かせていた。
俺の名前を知っていて、最初からそれで呼んでくれた。
それだけじゃない。ここで俺はもう一度人間を見つめ直す事になった。
セレナ達が悪い奴じゃないのは知っていたが、タダノのままさんとぱぱさんと出会って余計分かった。
人間は、たしかに嫌な匂いをさせる奴らが多いし、自分達の勝手で他の存在を平気で巻き込み、利用し、踏み躙る。
だけど、そうじゃない奴だってたしかにいる。
――大切な名前だしね。ちゃんと呼んで欲しいものねぇ。
ままさんのあの言葉は、俺の中にあった人間への考えを完全に変えてくれた。
タダノは自分の事を普通だと言っていた。ぱぱさんやままさんも自分達を特別なんて思ってないだろうし言う事もなかった。
なら、きっと、きっと人間の中にはタダノ達のような奴がまだいるはずだ。
俺はそれを忘れて、目立つ奴らばかりが人間だと決めつけ、思い込んできた。
「見つけたぞ」
聞こえた声に意識を切り換える。タダノの目の前にマリアの姿をした悪意が立っていた。
タダノは依り代を片手に険しい顔で悪意を見つめている。
――ヴェイグさん、いつパズルを展開しましょう?
――……よし、今からやるぞ。
――分かりました。
俺とエルでミレニアムパズルを展開すると悪意が若干驚きを見せた。
タダノはそんな悪意を見て何か気付いたような顔をする。
何だ? 何かあったんだろうか?
「装者もいない状態で、しかもあの時とは違って私はお前を攻撃出来るのに隔離するとはな」
「どうだろうな?」
「何?」
「むしろお前が使ってる体がマリアだからこそ俺達はこうしてるんだ」
「……どういう意味だ?」
「マリアは誰よりもあの日々を、暮らしを大切にしてた。エルという娘のような存在にセレナという妹、それに切歌と調という妹分、そしてヴェイグという小さくも頼もしい相談相手。あの平屋はマリアにとって一種の理想だった。俺は、そこで光栄にも旦那役にしてもらえていた」
そうだ。あの家でタダノはマリアにとって大事な存在だった。
二人だけの時間はマリアからすれば特別なものだった。
だから俺は時々タダノと二人にしていた。その方がマリアから優しい匂いがするからな。
「姉様っ! 聞こえてますかっ! お願いです! 本当の姉様に戻ってくださいっ! 優しくて! 時々怖くてっ! だけどあったかいマリア姉様にっ!」
「無駄だっ! この装者の意識はとうに私が……っ!?」
エルの叫びへ悪意が馬鹿にするような笑みを見せていたところでその顔が急に歪んだ。
これは……匂いがより強く混じり合ってるっ!
そう思った瞬間には俺はエルの中から出ていた。
「今の悪意からは優しい匂いもするっ! マリアも戦ってるぞっ!」
「そうかっ! なら……っ!」
「くっ……同じ手をやらせるとでもっ!」
「させないっ!」
悪意の攻撃を妨害するようにエルがブロックを出現させる。
よし、なら俺もっ!
「なっ……小賢しい真似をっ!」
「エルっ! 俺は悪意の方をやる! お前はタダノの守りをっ!」
「はいっ!」
セレナ程じゃないが今のエルは強い。
前、俺と一緒になってパズルの維持を頑張った時から、その心は優しいだけじゃないものへ変わった。
強さを、得たんだと思う。
それにはキャロルという双子の姉の存在が大きく関わってるはずだ。
そう、人間は成長する。出会った時は嫌な匂いをさせても、もしかしたら最後には優しい匂いを出せるようになるかもしれないんだ。
「おおおおおっ!」
「く、来るなぁっ!」
タダノだってそうだ。初めて会った時は情けなくて頼りない感じだったのに、今じゃ本当に頼もしく思える。
ああ、そうだ。あの頃の俺と同じだったタダノは、俺と違って闇じゃなく光を見つめ続けたんだ。
だからタダノはウルトラマンになれるんだ!
「兄様っ! 姉様をお願いしますっ!」
「くそっ! また邪魔をっ!」
エルは的確に悪意の攻撃からタダノを守るようにブロックを配置してるな。
「俺も負けてられないぞっ!」
「なっ!? 足元がっ!」
悪意の足元をブロックで固めてやった。これで自由には動けない。
「マリアを返せぇぇぇぇぇっ!」
「こうなれば……っ!」
タダノが悪意へ接近していく。それを見て悪意は……構えを解いた?
「エル、念のために悪意の動きを完全に封じるぞ」
「はいっ!」
何をしようとしてるか知らないがタダノへ危害は加えさせない!
「マリアっ!」
タダノの手が依り代を掴んだまま悪意へそれを押し付けようとする。
それを見て悪意が笑った気がした。
「っ!? タダノっ! そいつ、何かしようとしてるぞっ!」
「「えっ!?」」
「もう遅いっ!」
タダノの目の前で悪意が瘴気を撒き散らした。
あの時と同じ事だが、今のタダノにあれは不味い。
「ぐあああああっ!」
「兄様っ!?」
聞こえてきたのはタダノの絶叫。
おそらくだが瘴気を大量に浴びた事で体内の悪意が暴れ始めたんだ!
あいつはこれを狙っていたんだっ! 今のタダノを苦しめられる一番の方法を最高の状況で使うために!
「エルっ! 行くなっ!」
「で、でもっ!」
タダノへ駆け寄ろうとするエルの手を掴んで俺は首を横に振る。
「行けばお前も瘴気を吸う事になる。そうなったらどうなるか分からないんだ」
「だ、だけど……だけど……っ」
辛そうにタダノの方を見るエル。俺だって出来る事なら助けに行きたい。
だが、ここからでも分かる程あれは強い嫌な匂いを放ってる。
きっと悪意も力のほとんどを使い果たすつもりでやったはずだ。
拘束されてるとはいえ、未だに何もしようとしないのはそういう事なんだろう。
「ヴェイグさん、僕はそれでも行きます! もう見てるだけは嫌なんですっ!」
「エル……」
俺へそう告げるエルの目は今まで見た事がない程強く輝いていた。
そこに決意を見て、俺はそっとエルから手を離した。
「ありがとうございますヴェイグさん。それと、ごめんなさい」
そう言ってエルはタダノへ向かって走り出す。
その背中を見つめて俺は久しぶりの無力感を感じていた。
あの頃は常だったそれを、まさか今になって感じるなんてな。
「…………俺は、強くなったつもりになってただけなのかもしれない」
力を、知恵を、強さを得たと、そう思っていた。
あの頃のような未熟な俺じゃないと、そう考えていた。
でも、現実はどうだ? 俺は何も出来ない。苦しむタダノを見つめる事しか、それを助けに行こうとするエルを見送る事しか出来ない。
あの瘴気の中へ足を踏み入れようとする事さえ出来ない。足が、動いてくれない。
――もがき足掻く事こそ生命の本質! それ無くして何の生命かっ!
ふと頭の中をそんな言葉が過ぎった。
エル達と一緒に見ていたガガガの中の台詞だ。
「もがき足掻く事こそ、生命の本質……か」
勇気という言葉が何度も出てくる物語だった。
そしてそれはどんな生き物にも存在するとガガガは言っていた。
心さえあるのなら、勇気は何にでも宿るんだと。
「……俺は、勇気を忘れてたんだな」
目の前では瘴気の中からタダノを引っ張り出そうと頑張るエルがいる。
口元を隠す事もせず、瘴気に苦しみながらも一生懸命にタダノの腕を引っ張っている。
タダノは……どうやら気を失ったらしい。
「俺も、俺も勇者になるんだっ! 最後までもがき足掻いてみせるんだっ!」
そう叫んだ瞬間、あんなに動かなかった足が動いた。
今までだったら嫌だった瘴気の中へ俺は向かって行ける。
「もう、もう……っ!」
思い出すのはあの頃の気持ち。エルの言葉で思い出した、弱かった頃の俺の想い。
「見てるだけは嫌なんだっ! 俺は仲間をっ! 友達をっ! 失いたくないっ!!」
あの頃の俺にあって今の俺になかったものがあるとすれば、それは間違いなくその気持ちだ。
「エルっ! 俺も手伝うぞっ!」
「ヴェイグさんっ!」
とても嫌な匂いだし、呼吸が出来なくなる程苦しいけど、俺はそんな事に構わずエルと一緒にタダノの腕を掴む。
「一緒に引っ張るぞっ!」
「はいっ!」
「「せーのっ!」」
少しだけタダノの体が動く。けど、まだ瘴気の中から出る事は出来ない。
それでも諦めず俺とエルは声を合わせる。想いを、心を合わせる。
「「せ、せーのっ!」」
今までタダノは俺達のために頑張ってくれた。ギアも錬金術もないのに、依り代が使えるってだけで勇気を持って悪意と戦ってきた。
だけど、決してタダノは俺やエルを半人前扱いなんてしなかった。それどころかいつも頼ってくれた。
守ってくれもするけど、同じぐらい守られもしてた。一緒に、支え合ってたんだ。
「「はぁ……はぁ……っ。せーのぉっ!」」
息が苦しい。体が辛い。気持ちが悪い。
それでも、この手は離さない。今、タダノを助けられるのは俺とエルだけなんだっ!
「ヴェ、ヴェイグさん……っ。僕……もうダメかもしれません……」
「エル、頑張れ。もう少し、もう少しだ……っ!」
俺とエルは瘴気から少しだけ体が出るようになった。
後少しでタダノも瘴気から頭が出せる。もう少し、もう少しなんだ。
なのに、どうして俺の体は動いてくれないんだ? なんで目の前がかすんでくる?
意識が、薄れていくんだ?
「兄様……っ!」
見ればエルが目を閉じて倒れた。
ダメだ。せめて、せめてエルだけでも瘴気の外へ出してやろう……っ。
「俺は……俺は……っ! もう、無力なんかじゃない……っ!」
エルの体を瘴気から完全に引っ張り出して、俺はそれを見届けてその場へ倒れた。
タダノ、すまない……。もう、おれはたすけてやれない……。
「拘束が消えた……か。ははっ! 所詮装者もいないお前達などこの程度だっ!」
あくいの、かちほこるこえがきこえる……。
くそぉ……おれに、おれにもっとちからがあったら……っ。
「だれでもいい……っ。おれのだいじななかまを、ともだちを、かぞくをたすけてくれ……っ!」
うすれゆくいしきのなかで、おれはそうつぶやくことしかできなかった。
――いいだろう。この体を助けてくれた礼だ。その願い、俺が叶えてやる。
だれかがなにかいっている……?
でも、だめだ……。
もう……ねむ……い。
悪意は言葉を失っていた。
何せ目の前には、ゆっくりと起き上がるなり自分を鋭くにらみ付けるエルフナインがいたのである。
「な、何だと? ど、どうしてまだ立てる?」
「ふんっ、むしろお前の瘴気で俺は俺として立てるんだがな。まぁ、この場合はそれが良かったんだろうが……」
動揺する悪意へエルフナインは笑みを見せる。否、今の彼女の名前はそうではない。
「覚悟しろよ? こんな風に起こされて俺は少々機嫌が悪い。手加減など期待してくれるな」
キャロルはそう言い放つと右手を前へかざす。
すると緑の光と共に魔力が放たれ風が巻き起こって瘴気を吹き飛ばしたのだ。
「こ、これは……」
「這う這うの体のお前などにファウストローブは必要ない。今の俺でも、お前程度ならあしらえる」
「まさか……お前はキャロル!?」
「這い蹲れっ!」
黄の光と共に放たれた力が悪意の足元を襲う。
「がぁっ!?」
さすがにそれは予想外だったのか、ろくな回避行動や防御も出来ずに悪意は天井へと勢い良く叩きつけられ、そのまま床へ強く落下する。
それはまさしく、キャロルが宣言した通り這い蹲るような体勢で。
「ふん、今回はこれで終わりにしてやる」
意識を手放した悪意へ吐き捨てるようにそう告げ、キャロルは視線を眠るヴェイグへ向けた。
「……家族を助けてくれと、そう言われたからな」
エルフナインの中で時折聞いていた会話ややり取り。
そこからキャロルはヴェイグの言う家族にマリアが含まれていると考えたのである。
キャロルは静かに仁志へと近付き、その頬を軽く叩いた。
「うっ……」
「起きろ。俺もそろそろ限界だ」
「……える?」
その言葉にキャロルはそっと仁志の頭から手を離す。
「お前のパパに関する情報は、有益であり害でありと複雑だった。だが、一応礼を言ってやろう。今回の事はそのおまけとやらにしてやる」
「……キャロル、なのか?」
「お前もエルフナインの父親を気取るなら、無茶な行動は控えろ。……俺のような想いは、させるな」
「分かった。無茶はするけど無理はしないよ」
「…………ふんっ」
仁志の返事に顔を背けてキャロルは体の主導権をエルフナインへと返した。
仁志の目の前でゆっくりと倒れる小さな体。それを仁志は咄嗟に受け止め、息を吐いた。
「……ヴェイグは眠ってる、のか。それに……」
周囲を見渡し現状を把握する仁志。
目を閉じて寝息を立てているヴェイグと床へ伏しているマリアの姿に、仁志はキャロルが目覚めて戦ってくれた事を察し、腕の中の少女へ小さく微笑みかけた。
「ありがとう、キャロル」
そっとエルを床へ寝かせ、仁志は手の中にある依り代を強く握り締めた。
「最後の仕上げは、俺がやらないとな」
静かにマリアへ近付き、仁志は依り代をそのギアへ押し付けた。
だがその次の瞬間っ!
「「ああああああっ!?」」
あろう事か悪意だけでなく仁志自身も苦しみ出したのである。
それはあの瘴気を吸った事で仁志の体内の悪意がその根を張る程の成長を遂げた事による拒絶反応だった。
「だ、だとしても……っ!」
理由は分からずでも原因は理解している仁志は、悪意などに屈してなるかとの気持ちで依り代を更にマリアのギアへと押し付けた。
「アアアアアアっ!?」
声の感じがマリアのものから変わった事に気付き、仁志は全身を襲う痛みと倦怠感をねじ伏せるように叫んだ。
「マリアっ! 聖詠をっ! 自分を取り戻せぇぇぇぇぇっ!」
(仁志の声……? 私を、呼んでる……っ!)
その魂の叫びに眠っていたマリアの意識が目覚めた。愛する男の必死の叫びがその魂を揺さぶり、動かしたのである。
それは前回の行動があればこそのもの。一度悪意を弱らせ、マリアの心へ強く呼びかけた事による結果であった。
――Seilien coffin airgat-lamh tron……っ!
内と外から依り代によって攻め立てられた悪意は、堪らず逃げ出すようにマリアから離れた。
その姿をイーヴィルギア姿の漆黒マリアとして、悪意はへたり込む仁志と純白のギアを纏ったマリアを見下す。
「おのれぇ……だが、今の疲弊しているお前達など敵ではないっ!」
「仁志、後は任せて。自分の闇は、自分でケリをつけるわ」
「ああ、頼むよ」
力なく笑みを返しながら仁志はマリアのギアをアマルガムギアツインドライブへと変える。
「ええ、そこで見ていて。私の心の光を」
その言葉と同時にギアから金色の輝きが放たれた。
強くも優しい光が室内を包み、悪意の視界までもその輝きの中へ収めようとする。
「ちっ! 小癪なまっ!?」
それが、悪意の最後の言葉だった。
眩しさを避けるように腕を動かしたその一瞬の隙だけで、マリアはその手にしたアームドギアで己が闇を斬り裂いてみせたのである。
「マイターン、と言うまでもなかったわね」
例えボロボロの状態であろうと、愛する家族を自分の手で苦しめ、傷付けさせた事をマリアが許せるはずがなかった。
故にその怒りと悔しさを力へ変え、ヘルメスの加速と共に解放。その爆発的な瞬発力で見事悪意をその一撃にて撃破するという快挙を成し遂げたのだから。
着地したマリアは疲れた体で仁志へと駆け寄った。
「仁志、大丈夫?」
「あ、ああ……。これぐらい平気さ……」
「無理しないで。エルやヴェイグも疲れて眠ってるみたい……。私が、貴方達をここまで苦しめてしまったのね……」
「気にするなって、言っても無駄だよな……。じゃ、一つだけ頼みを聞いてくれるか?」
「いいわ。何?」
「セレナが悪意に染められたんだ。それを元に戻す手助けを、して欲しい」
「…………二人で?」
「エルとヴェイグも一緒にだ。セレナには、その方が効果が高いと思う」
一度として逸らされる事のない二人の視線。
どちらも真剣であり、真っ直ぐなものだ。
やがてマリアの方が根負けしたように息を吐いた。
「分かったわ。でも、今すぐは無理よ。私も貴方も疲れ切ってるもの」
「だけど……」
「気持ちは分かるけど落ち着いて。翼達が戦ってるんでしょ? なら、すぐにやられる事はないわ」
「……ならせめてエルとヴェイグをベッドへ移動させてやりたい」
「……そうね。じゃあ、ここで待ってて。私が二人をセレナの部屋へ運ぶわ」
「頼む」
そうしてマリアがエルフナインとヴェイグを移動させ始めた頃、響達は奏とセレナを相手に苦戦を強いられていた。
「ほらほらどうしたのさ? 三人もいるんだからあたし一人ぐらい圧倒してごらんよっ!」
「くっ……攻撃に迷いがない上に的確に急所を狙ってくる……っ! 本気で私達を殺しても構わないと思っているのっ、奏っ!」
「歌っても出来て互角がやっとなんて……っ!」
「このままじゃ……みんなやられちゃう……っ」
悪意の影響で攻撃的になっている奏の攻勢は激しく、更に彼女の意思そのもので戦っているため動きも鋭く、響と未来どころか翼さえも互角にするのが精一杯だったのだ。
「セレナっ! もう止めてっ! 私達はセレナと戦いたくなんかないっ!」
「そうデスよっ! セレナだって戦う事は大嫌いだったはずデスっ!」
「クスクスっ、切歌さんも調さんもだらしないですよ? ユニゾンを使ってくれていいですから、もっと年上らしいところを見せてください。それを私は超えて、大人になったって証明してみせますから!」
セレナはセレナで厄介さを見せていた。
決して致命傷を与える事はしないが、それが逆にジワジワと切歌や調をいたぶる結果となり、にも関わらず自分が傷付く事を恐れないという行動を取るため、二人は下手な攻撃が出来ないでいたのだから。
そう、五人それぞれが相手をしてる者達の振る舞いは悪意による演技ではないと感じ取っていた。
だからこそ心が迷う。覚悟が、決意が鈍る。
非情になれと思う事はあれど、仁志がいない状況では悪意を完全に排除する事は出来ない。
しかも、今の二人を相手にするには響達も全力を出すしかないため、最悪二人を殺してしまうかもしれなかったのである。
「こうなったら……」
そんな状況で翼はある決断を下そうとしていた。
「施設まで撤退する! ギアの光を合わせるんだっ!」
「「「「りょ、了解(デス)っ!」」」」
このままでは最悪の状況になる。
そう判断した翼は仁志との合流を図ったのだ。
「「うっ……」」
五つの金色の輝きが奏とセレナを包み、その動きを止める。
その隙に五人はその場から離脱を開始、元来た道を戻って施設へと急いだ。
「……逃げられた、か」
「ですね。どうしますか?」
「追い駆けてもいいけど、どうせならあいつが来るのを待ちたいね」
「あいつ?」
「ああ。あんたの姉だよ。完全にリンクが切れたから仁志先輩が戻したんだろうさ」
「そうなんですね。姉さん、早く来て欲しいなぁ」
そう会話し二人はゆっくりとゲートへと歩き出した。
そこで待っていれば必ず待ち望んでいる者達は来ると確信しているからである。
こうして一旦仁志達に一時の休息が訪れる。
ただ、それは次なる激戦までの僅かな時間でしかないと、この時誰もがどこかで察していた……。
「……そう。私も未来と同じよ。本部へ戻った後は記憶が途切れ途切れだわ」
マリアさんはそう言って俯いた。
場所はセレナちゃんの部屋。そこに他の場所にあったベッドをいくつか運び込んで私達は休んでる。
エルちゃんとヴェイグさんはセレナちゃんのベッドで眠っていて、仁志さんもその近くに置かれたベッドで横になってる。
たった三人で、ううん四人で悪意と戦ってマリアさんを元に戻したから疲れ切ってるんだ。
「こうなると奏を元に戻した時に全てがハッキリするな」
「ですね。もし奏さんも未来さんやマリアみたいに途切れ途切れなら……」
「奏さんも悪意に操られてたって事デスね」
「でも、奏さんが本当に全部覚えていたら……」
「うん、奏さんが言ってた通り、自分の意思で動いてたって事になるね」
正直そうじゃない事を願うけど、半信半疑って感じだ。
たしかにあの奏さんは奏さんだった。それでも、あんな風に私達を攻撃する時に笑う奏さんは奏さんじゃないと思いたい。
「……ある意味で奏もセレナも悪意に操られてるんだよ」
疲れた声で仁志さんがそう呟いた。
その瞬間みんなの視線が仁志さんへ向く。仁志さんはベッドに横になったまま話し続けた。
仁志さんが見た事のあるヒーロー物でも似たような事はあったって。
最初から最後まで自分の意思だと思っていたけど、結局全部悪い奴の掌の上だったキャラクターがいた事を。
「じゃあ、奏の言ってる事はある意味で事実?」
「きっとね。奏は自分の意思で全部やってると思ってるけど、そもそも本当に彼女自身がやってるとすればイーヴィルギアなんて纏えるものか。悪意の干渉がなければギアをイグナイト以上の禍々しい形態にどうやって個人で変化させるんだよ?」
「そう、ね。イグナイトはそもそもが呪いの力を利用した決戦仕様。個人の心象変化で出来るぐらいなら苦労はないわ」
「そうだな……」
そこでマリアさんと翼さんが揃ってため息を吐いた。
言われてみれば当然だけど、イグナイトギアは私達だけの力で出来るものじゃなかった。
それを基本にしたイーヴィルギアは絶対個人の力で実現出来ないんだ。
なら、奏さんもセレナちゃんも自分の意思って思い込まされて悪意に操られてる。
「切歌と調の時に思ったけど、悪意は依り代対策を講じ始めてる。切歌の場合は、ギアを展開させたまま取り込んだ時に響やクリスでやったような形で自分の影響力を及ぼした。でも自分が切歌の意思を奪う事はせず、切歌の憎悪などの負の念を肥大化させて動かしたし」
「うん、私もそうだった。切ちゃんへの憎しみを煽るような事を延々繰り返し言われた」
「でも調はアタシを助けてくれました。あれはどうしてデス?」
「えっと、切ちゃんもこんな風に私の事を憎めって言われたんだって思ったら受け止めようって思った。だから切ちゃんじゃなくて自分を憎んだの。切ちゃんを悪意に染めたのは自分だって」
「自身を憎んだ、か。成程、それで悪意に染められたようになっても暁程自我を操作されなかったのか」
調ちゃんらしい考え方かも。
切歌ちゃんを憎むんじゃなくて自分を、なんて。
こうなるとセレナちゃんはどうやって悪意に操られてるんだろう?
「切歌ちゃん、調ちゃん、セレナちゃんはどういう風に操られてるのかな?」
「「セレナは……多分大人になりたいって気持ちだと思います(デス)」」
「やっぱりか……」
仁志さんが納得したみたいに呟いてゆっくりと体を起こした。
その表情は辛そうに歪んでる。きっとセレナちゃんの事を引きずってるんだ。
「セレナは、一時期大人になろうと焦ってた頃がある。もしかするとあの時に悪意が入り込んでいたのかもしれない」
「じゃ、じゃあ、ししょーと一緒にお昼寝したいって言ってたのって……」
「悪意がセレナを使って師匠の中へ入り込もうとしてた?」
思わず耳を疑った。セレナちゃんが仁志さんとお昼寝しようとした事じゃなく、やっぱり私達の知らない間に悪意が入り込んでいた事だ。
今だからそう思えるけど、その時には分からなかった事、か。それで言えば私は一度そうなっていたから分かる。
あの日、私は仁志さんとエッチしてもいいって、ううん、したいって思ってた。
あれも、今にして思えば悪意の影響だったんだね。
……い、今はとてもじゃないけどそんな事言えないし。
「あれ? そう考えるとあの飲み会って結構ヤバかったんじゃないか?」
「「ぁ……」」
そんな中で仁志さんがポツリと呟いた言葉に翼さんとマリアさんが小さく声を漏らした。
飲み会って言われて思い出した。
そういえばある時未来が言ってたっけ。翼さんと奏さんがお酒の匂いをさせて帰ってきた時があるって。
「だけど何もなかったって事は、あの時のドライディーヴァには悪意は潜んでなかったって事か? いや、あるいは酒が悪意に効いたかもしれないなぁ」
「ど、どういう事デスか?」
「ん? いや、飲んだ物の中に日本酒はなかったけど、お神酒って物があるからさ。神様へのお供えとして酒ってのは割とメジャーだから、もしかして哲学兵装みたいな効果があったのかな~ってさ」
「ない、とは言い切れないかもしれないわ。悪意を倒す事は出来なくても弱らせたり沈静化させたのかも」
「もしくは、アルコールで思考が緩くなる事で悪意も思考を制御出来なくなったのかもしれない」
もしそうだとしたら、いっそ仁志さんに寝る前にお酒を少し飲んでもらうのはどうだろう?
それでうなされる事がなくなったら嬉しいし。
「あ、あの、なら戻ったら仁志さんは寝る前に少しだけお酒飲むのはどうでしょう?」
「あ~、お神酒によく使われる日本酒とかな。寝酒に少しならいいかもしれない」
「じゃあ、私がお酌してあげますね」
未来がそう言って微笑んだ。むぅ、それなら私だってしてあげたい。
だ、だって奥さんって感じするもん、それ。
「いえアタシがするデスよ」
「ううん、私がする」
切歌ちゃんが手を挙げると調ちゃんも負けじと手を挙げた。
あれ、この流れってもしかして……
「な、ならば私がやろう」
「私がやります!」
「だめだめ。最初に言い出したの私だから私がやるよ」
未来が手を挙げてそう言うと、みんなしてマリアさんを見つめた。
「え? な、何?」
私を含め見つめてるみんなが笑ってるからマリアさんが困惑してる。
それでも、みんなして手を挙げてるから戸惑いながら手をそっと挙げて……
「わ、私がやるわ?」
「「「「「どうぞどうぞ」」」」」
そうやってみんなで言うとマリアさんが困った顔で仁志さんを見た。
「説明してもらえる?」
「あははっ……あー、うん。戻ったら教える。だけど、今のでちょっとだけ暗い気分が飛んだよ。こりゃセレナや奏も加わったバージョンで見てみたいな」
たしかに私も少しだけ暗い気持ちが薄れた。
見れば未来達も小さく笑ってる。マリアさんさえもだ。
「多分だけど奏とセレナはゲート前だ。建物内だと向こうも戦い辛いから、こっちが確実に現れて広い場所を陣取るだろうし」
「でも、ここのゲート前はそれほど開けた場所ではないわ。それでも?」
「木々が邪魔だって事だろ? でも、それなら向こうは姿を隠してこっちを待ち構えていられるんだ」
「そっか。たしかに奇襲を仕掛ける側にとっては有利だね。しかもこっちはそう分かっていても進むしかない」
「成程ね……。こうなるとどうすればいいのかしら? 不意を突かれる可能性が高いのにそれへ何も手を打たないのは……」
マリアさんの意見はもっともだ。だって絶対に二人は私達を待ち伏せてるんだから。
「ゲートが見えてきたらミレニアムパズルを展開してもらうのはどうでしょう? それなら障害物がなくせるし、もし二人がその中にいなくても不意打ちされません」
「いい案かもしれない。そうやって少しずつゲートへ近付いていけば、悪意の出鼻を挫く事が出来るはずだ」
「……そうね。今のところそれが一番いい方法かもしれないわ」
「エルとヴェイグが起きたらお願いしないとデスね」
「うん。疲れてるだろうけど、もうひと頑張りしてもらおう」
切歌ちゃんと調ちゃんはセレナちゃんのベッドへ眠る二人へ顔を向けた。
エルちゃんとヴェイグさんはお互いに寄り添うようにスヤスヤと眠ってる。
「仁志、貴方も少し寝ておいた方がいいわ。瘴気を吸いこんだのでしょ?」
「……ああ」
「「「「「えっ!?」」」」」
私達の声が重なる。そんな、今の仁志さんが瘴気を吸ったなんて……。
「ひ、仁志さんっ! 大丈夫なんですかっ!?」
「…………依り代を悪意へ押し付けると痛みが俺にも走るようになった」
誰も言葉を出せなかった。だってそれは、どう聞いても良い事じゃなかったからだ。
仁志さんの中にいる悪意がより厄介さを増したって、そう思うしかない事だった。
マリアさんは事情を知らないから驚きと同時に疑問符を浮かべてる。
「ど、どういう事よ?」
「マリア、実は……」
翼さんと私でマリアさんへあの本部へ到着してからの事を簡単に説明する。
その最中、仁志さんの手を切歌ちゃんと調ちゃんが握っていた。
未来はエルちゃん達の傍へ静かに近寄って寝顔を見つめてた。
そして私達から話を聞き終えたマリアさんは辛そうに仁志さんへ顔を向けた。
「そんな……悪意が仁志へ入り込んでるなんて……」
「マリアさん……」
「クリスだけじゃないわ。きっと私も同罪よ。思えばあの時、私は無意識に舌を絡めにいったもの」
「そうなると奏や小日向も悪意の影響下だったと見るのが正しいだろうな。最初が雪音だった事を考えると、そこで主となるものを送り込み、マリア達を使ってよりそれを強大なものへと変えていたのか?」
「あるいは、クリスが種子を、私達で肥料を、かもしれないわ。そう考えれば、変質したゲートの空気や瘴気は……水、かしら」
マリアさんの例えに息が止まるかと思った。
そう考えたら仁志さんの異変が納得出来たから。
依り代で悪意を追い出そうとすると痛みが走るっていうのは、悪意の種が仁志さんの中で根付いたからじゃないかって。
「……マリア、仁志さんは悪意を完全に倒すには愛の力が必要かもしれないと考えているんだ」
「何故そこで愛? ……いえ、何となく分かったわ。愛とはつまり人の心の光だものね」
「そういう事だ。それとは別に、私達はキャロルを含めた十もの旋律を使った歌が必要なのかもしれないと考えている」
「キャロル?」
「この前、エルちゃんにファウストローブを貸してくれたんです。どうも意識だけは目覚めてるみたいで」
「いや、今回はどうやら悪意と戦ってくれたんだ」
その言葉に私だけじゃなく未来達も驚いた顔を見せた。
「俺が瘴気を吸って意識を手放した後、エルとヴェイグも倒れたらしくてさ。だけど、俺が目を開けたらそこには目付きが少しだけ鋭いエルがいたんだよ」
「……それがキャロルちゃんだった?」
「うん、少しだけ話もした。でもダウルダブラを着てなかったからまだ本調子じゃないんだろうな」
「デスデス。いくらキャロルでも悪意相手にファウストローブを着ないなんて危ないデスし」
「全力を出したくても出せなかったんじゃないかな? エルも瘴気を吸っただろうから。それでもエルや師匠達を守るために戦ってくれたのかも」
調ちゃんの意見に賛成するように私は力強く頷いた。
「そうだよっ! シェム・ハさんの時だってそうだった。キャロルちゃんはまた私達と一緒に戦ってくれてるんだよ」
きっとそうだ! キャロルちゃんも悪意を許せないんだ。
じゃなかったらエルちゃんにファウストローブを貸したりしないはずだし。
「うっ……んぅ……? ……ここは……?」
聞こえてきた可愛らしい声に私は顔を動かした。
セレナちゃんのベッドの上でエルちゃんが起き上がってコシコシと目を擦ってる。
その可愛さにみんなが微笑んだ。心が優しくなる光景だからだろうね。
「エル、おはようデス」
「切歌お姉ちゃん?」
「エル、体は大丈夫?」
「調お姉ちゃん……はい、特に何とも」
「「良かった(デス)……」」
どうやらエルちゃんは瘴気の影響がないみたい。
安心してる二人は本当にエルちゃんのお姉ちゃんみたいだ。
「んぅ……? なんだ? やさしいにおいがする……」
「ヴェイグさん、おはようございます」
「……える?」
「はい、僕です」
「良かった……。無事だったんだな」
目を擦りながらエルちゃんに優しい声をヴェイグさんがかけた。
よく分からないけど、きっと何かあったんだろうな。
「ヴェイグ、エル、悪意が瘴気を出した後の事を教えてくれないか?」
仁志さんのその言葉でエルちゃんがヴェイグさんと顔を見合わせた。
「えっと、僕も最終的に意識を失ってしまったので……」
「エルが意識を失った後、俺も少しして意識を失ったんだ。だから、どうしてこうなってるのかが分からない」
「そっか。じゃ、ヴェイグが気を失った後でキャロルが起きてくれたんだろうな」
「キャロルがっ!?」
「そうか。エルの姉が悪意を倒してくれたのか」
「姉?」
マリアさんがヴェイグさんの言葉に疑問符を浮かべた。
エルちゃんはキャロルちゃんが助けてくれた事に驚きの顔で仁志さんを見つめてる。
もしかして、今のキャロルちゃんはエルちゃんが寝てる時や意識を失ってる時じゃないと動けないのかも。
あるいは、キャロルちゃんはあの体をもうエルちゃんのものって思ってるのかもしれない。
そんな事をエルちゃんやヴェイグさんから話を聞いているマリアさんを見つめながら思った。
「仁志さん、これからどうする? 依り代のバッテリー残量から逆算するとセレナと奏両方は元に戻せないんだよね?」
「……多分、な。ならここはセレナを元に戻すべきだと思う」
「セレナを……」
「奏さんはどうするデスか?」
「奏は次回にするって考えでいないと不味い。二兎追う者は一兎も得ずって言うしな。なら、確実性の高いセレナを優先するべきだ。エルやヴェイグだけじゃなくマリアもいるのなら、その心へ訴えられる要素が多いし」
その仁志さんの考えに誰も反対しなかった。
だって誰よりも悔しそうな顔を仁志さんがしてたから。
出来る事なら二人を助けたい。だけどそれは無理みたい。
もうマリアさんを助けたから依り代のエネルギーが減ってるからだ。ただ、いつもよりは消費が少ないって仁志さんは言ってたけど。
なら、最初から悪意に染められてる奏さんよりもセレナちゃんの方が確実に助けられるはずだ。
「でも……」
二兎追う者一兎も得ず、か。もどかしいな。
いつもならだとしてもって、そう言うところだけど依り代の事を考えるとそれは出来ないから。
「奏はマリアを除いた五人で相手してくれ。セレナは俺達とマリアで引き受ける」
「……分かった。立花、小日向、私達三人で暁と月読を援護する形で対応するぞ。ユニゾンした二人ならば奏も余裕を保つ事は難しいはずだ」
「「はいっ!」」
「暁、月読は奏を倒してしまってくれていい。そう出来れば連れて帰り、依り代を充電しながら元に戻せる」
「分かったデス!」
「はい、遠慮しないでぶつかります!」
切歌ちゃんと調ちゃんのユニゾンなら奏さんでも強気なままではいられないはずだ。
それを私達で支えてあげれば、本当に翼さんの言う通り奏さんを連れて帰れるかもしれない。
「エル、ヴェイグ、また大変な目に遭わせるかもしれないけど、一緒に戦ってくれるか?」
「はいっ!」
「当たり前だ。セレナを元に戻したいからな」
はっきり答える二人に仁志さんは優しく微笑んでその頭へそっと手を置いた。
「ありがとう、二人共。絶対セレナを助け出そう」
「「はい(ああ)っ!」」
力強く頷く二人を見つめる仁志さんはどことなくおじさんに似てて、お父さんみたいに見えた……。
ゲートへと向かって慎重に進む仁志達。
周囲の木々から奏やセレナが不意打ちをしてくる事を警戒しているのだ。
不気味な程静かな森の中を歩きながら、やがて彼らの視界にゲートが見えてくる。
「エル、頼む」
「分かりました」
――パズルを展開するぞ。
ゲート周辺を包むようにヴェイグがエルフナインと協力してミレニアムパズルを展開する。
するとそこにはイーヴィルギア姿の奏だけがいた。
「なっ!? 奏だけ!?」
「どういう事!?」
「ふふっ、仁志先輩達の考えなんてお見通しだよ」
不敵に笑う奏を見て翼は響達へ目を向けながらアームドギアを構えた。
「仁志さん、ここは私達に任せてそちらはパズルの外へ!」
「それは……いっそ奏をここで」
「仁志、今は翼の言う通りにしましょう。確実性を取るって決めたのは貴方よ?」
「っ……そう、だな。迷ったら負けるもんな。よし、エル、外へのドアを出せるか?」
「は、はい。ただ、僕とヴェイグさんはここに残ってパズルの維持に集中しないといけないので……」
奏の身を包む悪意の力は以前の切歌を上回る程であり、ヴェイグ一人では維持が難しい。
そう感じ取ったエルフナインは外へのドアを出現させると、仁志とマリアへ凛々しい表情を見せた。
「姉さんの事を頼みます、兄様、姉様」
「ええ、必ず助け出してみせるわ。ね、仁志?」
「ああ、今夜はセレナと一緒に飯を食べれるようにな」
「……はいっ!」
仁志の言葉に込められた意味に嬉しそうに笑みを返してエルフナインは頷いた。
その笑顔に送り出されるように仁志とマリアがドアからミレニアムパズルの外へ出る。
ドアを閉めると同時にそれは跡形もなく消え、二人の視界には色を失った木々だけが映った。
「セレナは、一体どこにいるんだ?」
「分からない。でも、きっとこの近くにいるはずよ。仁志、背中を合わせてお互いに周囲を警戒しましょう」
「分かった」
周囲を警戒するように二人は背中を合わせる。
時間の停止した中、風の音さえもないその場に聞こえるのは二人の息遣いだけだ。
ある意味仁志としては初めて敵の襲撃を待つ形となり、その精神的疲労が彼に汗を流させる。
いつ、どこから、どうするのか。それらが分からない中で待つという行為は仁志には強いストレスとなった。
「ねぇ仁志」
そんな中でマリアが警戒を緩める事なく声をかけた。
小声での声かけに、仁志はセレナに聞かれたくない事かと思って周囲への警戒を続けながら小声で返す事にした。
「……何だ?」
「さっき奏はこう言ったわ。こっちの考える事はお見通しと。あれをどう思う?」
マリアの問いかけの持つ意味を考え、仁志は息を呑んだ。
「まさか、俺の中の悪意が奏やセレナへこっちの作戦を?」
「……正直可能性が高いと思うわ。こうなると、今後こっちの事は全て悪意に筒抜けと思う方がいいわね」
悔しげなマリアの言葉に仁志は何も言えずに俯くしか出来なかった。
(俺の、俺のせいでみんなを窮地に追い込むかもしれないなんて……っ!)
これまでは様々な形で響達の助けとなってきた仁志。
だが、それがここにきて遂に完全な弱点となろうとしていた。
その身に潜んだ悪意を通じて、仁志達の考えや行動が伝わるようになってしまったのである。
それが悪意の一つの狙いであった。
響達の司令塔であり様々な逆転の切っ掛けとなってきた仁志。
その思考や動きを全て把握する事で心が弱り易くなっている仁志を更に追い詰めるつもりだったのだ。
「だけど、だからこそ貴方は今まで通りでいて」
「……え?」
理解出来ない。そんな気持ちで声を出す仁志へ、マリアは凛々しい表情のままで口を開いた。
「相手の考えを読んで動けるというのは、一聴すると有利に思えるわ。だけどね、それは読んでいる相手にそれを知られていない場合よ。私達は悪意がこちらの考えを読んでいると分かっている。なら、それを逆手に取る事だって出来るわ。仁志、貴方は考えや思いつきを全部私達へ教えて。悪意が貴方を通じて読めるのはあくまで私達の行動や言葉だけ。私達の心や考えを読める訳じゃないの」
「…………そういう事か」
マリアの言いたい事を理解し、仁志は嬉しさを噛み締めるように呟く。
悪意が読めるのは上辺だけ。響達の心や考えまでも読める訳ではない。
それはかつて仁志自身が調相手に言った言葉そのものだ。
心を読めはしないけど理解しようとはしてる。
なら、対悪意の時はそれを止めればいいかもしれないと、そう仁志は考えてマリアへそれを伝えた。
するとマリアは小さく苦笑したのだ。
「そこまで神経質にならなくていいわ。今の貴方は心が揺らぎ易くなってるのね。悪意を意識するのはいいけど、過剰な意識は心と頭を疲れさせるだけよ? だからっ!?」
言葉を中断させてマリアがアームドギアを鞭のようにしならせて動かす。
それが飛んできた短剣の雨を弾き飛ばした。
「っ!? セレナっ!」
「ふふっ、姉さん怖い顔してるよ? そんな顔じゃお兄ちゃんに嫌われちゃうんじゃない?」
「セレナ……」
「お兄ちゃん、どう? 今の私、大人っぽいでしょ?」
妖艶に微笑みながらその場から歩き出すセレナ。
マリアはそれを見て仁志を守る様に手にしたアームドギアを構えた。
その瞬間、セレナの歩みが止まる。
「邪魔しないで姉さん。私はこれからお兄ちゃんに大人の女性にしてもらうんだから」
「セレナ、貴方はそれがどういう事か分かってないでしょう」
「あははっ、おかしな姉さん。分からないから教えてもらうんだよ? お兄ちゃんは私の旦那さんになるんだしね」
「セレナ……。そう、貴方のそういう気持ちを悪意は利用しているのね……」
自身も悪意に操られていたからこそマリアは分かっていた。
セレナの中にある大人への憧れや仁志への想い。それらを悪意が負の方向へ転がるようにしているのだと。
「姉さんはお兄ちゃんとケンカしたら一緒にいたくなくなるかもしれないけど、私は絶対そんな事ないもん。そうだよ……姉さんじゃお兄ちゃんのお嫁さんに相応しくない。私が、私だけがお兄ちゃんのお嫁さんに相応しいんだ! お兄ちゃんがおじいちゃんになっても、私はおばさんになって隣に居続けるんだからっ!」
「セレナ……君はそこまで……」
セレナの体から瘴気が溢れるのを見つめ、仁志はその真っ直ぐな想いが闇に利用されていると痛感していた。
以前セレナとのデートで彼女の考えをやんわりと改めさせた話。それが今のセレナを動かす原因にされていると察して。
「……仁志、お願いがあるんだけど私をダブルドライブにしてもらえる?」
「……分かった。俺とマリアでセレナを取り戻そう」
「っ……ええっ!」
凛として声を放ち、マリアはアガートラームを纏ったまま目を閉じる。
――Granzizel bilfen gungnir zizzl……。
響くはガングニールの聖詠。その瞬間仁志が依り代をマリアへと押し付ける。
それを切っ掛けにマリアの体をもう一つのギアが包む。
銀と黒の色合いが混ざり合うように鎧となってマリアの力となる。
ダブルドライブギアツインドライブ。そのマリアだけがなれる強力なギアを見て、セレナは驚くでも怯えるでもなくただつまらなさそうに目を細めた。
「そのギアは今の私には通用しないよ?」
「そう……なら、試してあげるわっ!」
その手に短剣と槍を携え、マリアは神速の如き速さでセレナへと迫る。
「はっ!」
「クスッ、見えてるよ?」
「ならこれで……っ!」
「ムダだから」
マリアの繰り出す攻撃をその手から発生させる障壁で完璧に防ぐセレナ。
瞬間移動のような速度で動き続けるマリアとそれを最低限の動きで相手し続けるセレナ。
その攻防を見つめ、仁志は身動き出来なかった。自分が入り込めるようなレベルではないと痛感していたのである。
(あの戦う事が嫌いなセレナが本気のマリア相手に余裕を保ち続けてるとか……悪意による強化はどんどんその恐ろしさを増してるぞ。翼の時より切歌、切歌の時よりセレナだ。こうなってくると、真っ先に悪意に染められていたクリスがどうなってるかが不安でしかない……)
もっとも長く悪意に犯されているクリス。
その力がどうなっているのかは未だによく分かっていない。
何せ翼が相手した時はイーヴィルギアではなかったのだ。
そう、まだ誰もクリスのイーヴィルギアを見ていない上に戦った事もないのである。
「……まさかクリスをコアにカオスビーストを生み出すなんてないよな?」
悪意がマリア達と一緒に“勇者王ガオガイガー”を見ている事を知っている仁志は、そのTVシリーズの最後を思い出して呟いた。
不安げに表情を曇らせる仁志の目の前では、笑みを浮かべ続けるセレナ相手に徐々にマリアが表情を険しくしていくのだった……。
「っ!?」
闇で出来た短剣がまた私のギアを掠める。
たったそれだけなのに体の力が抜けるような感覚が生まれるのは厄介以外の何物でもないわね。
「姉さん、どうしたの? 速度、落ちてきてるけど?」
こっちを心配するように見つめるセレナだけど、その目は笑っている。
悪意が喋っているのかそうじゃないのかはもう関係ない。
あれは、私の妹じゃない。悪意そのものだと、そう思う事にした。
「悪意、私はお前を許さない。優しいセレナを利用してこんな事をさせている事を」
「何を言ってるの姉さん。私は」
「セレナ、許してとは言わない。後でいくらでも謝るわ。貴方を傷付ける事でしか止める事が出来ない私の弱さを憎んでくれていいから。だから……っ!」
短剣状のアームドギアを投げ放つと同時に残った槍状のアームドギアへ力を込めて動く。
「これぐらいじゃ驚かないよ」
造作もないとばかりに短剣のアームドギアを手から出現させた障壁で弾くのを見て、私は薄々気付いていた事が間違ってないと確信する。
あの障壁は手を使う事でしか使えない。つまり、攻撃している最中は展開出来ない。
あるいは、両手が塞がっていれば展開出来ないはずだ。
「はっ!」
横薙ぎにアームドギアを動かす。
同時に一瞬だけ視線を上へ動かした。まだ短剣状のアームドギアは上空にある。
「ムダなのに……」
私の攻撃を片手で防ぐ悪意だけど、ならばと右足で蹴りを放つ。
「くぅぅぅぅっ!」
それさえも残る片手で止められる。
「さすが姉さんだね、諦めが悪いのは。だけどここまでかな」
勝ち誇るような悪意へ私は笑みを返して見せた。
それに相手が訝しむような顔をするのを見て、こう言い放つ。
「それはどうかしらね?」
「えっ? っ?!」
その言葉とほぼ同時に悪意目掛けて閃光が放たれる。
言うまでもなくアガートラームのアームドギアから私が放たせたものだ。
それを見た瞬間、悪意が僅かに逡巡した。蹴りを防ぎ続けるか閃光を防ぐか迷ったのだろう。
たったそれだけの時間だけど、こういう状況ではそれが致命的になる。
結局悪意が選んだのは閃光を防ぐ事だった。
つまり……っ!
「はぁっ!」
今の私を阻むものは何もないっ!
障壁が消えた事で私の右足が悪意へと直撃する。
「っ! この程度でぇぇぇぇっ!」
体に感じる若干の痛みと微かな倦怠感をねじ伏せるように足を蹴り抜いた。
心が少し痛むけど、セレナが元に戻った時こちらを傷付けた事で心を痛めずに済むように、私が痛めつけた事の方を強く刻んでおく。
そうすれば、セレナは自分だけを責める事はないはずだ。
私の目の前では悪意がたたらを踏みながらこちらの攻撃を弾いていた。
やっぱり蹴りだけじゃ大したダメージにならないようね。
「……本気で覚悟を決めるしかない、か……」
傷付けても構わない、ではなく、傷付けてでも止める、にする必要がある。
嫌でも思い出すのは、あのフロンティアを巡る一件の頃に経験した生身の人間を相手にギアで戦った時の事。
あの感触は、想いは、忘れたくても忘れられない。
見も知らぬ相手でも心を軋ませたのに、平行世界の実妹を傷付け、血を流させる事を受け入れられるのかと、そう自問した時だった。
「マリアっ! 迷っちゃダメだっ!」
後ろから仁志の声が聞こえたのだ。
「正義無き力は暴力でしかないが、力無き正義は無力だ! 力だけでも想いだけでもダメなんだっ! これから君のする事は俺のする事でもあるっ! 一緒に背負うからっ! だから、君の信じる道を貫けっ!」
本当に……こんな事を言われたら余計惚れてしまうじゃない。
「仁志、貴方って人は……」
耳に聞こえてくる音に私は空いている片手を上へ上げた。
そして落下してきたアームドギアを受け止め、深呼吸を一つする。
「…………これで決めるっ!」
神速の如き速度の私を前に悪意は慌てる事もなく笑みを浮かべたままで両手を前へ突き出した。
「くっ!」
そこへ突き出した二振りの刃が悪意の展開する闇の障壁に阻まれた。
予想通り、この加速を乗せた二つのアームドギアによる攻撃でも突破は出来ないみたいね……っ!
「ね? 言ったでしょ?」
余裕の笑みを見せる悪意に表情が歪む。
ダブルドライブギアツインドライブは、おそらく出力だけならエクスドライブを超えているはず。
それを相手に余裕を崩す事なく笑みを浮かべていられる事から分かるのは、悪意の持つ力がそれと同等レベルになりつつある事を意味している。
何とか障壁を貫こうとするけど、悪意の余裕と同様少しとして崩れる事はなかった。
それでも私は諦める事無く二つのアームドギアへ力を込める。
そんな私を悪意は悲しそうに見つめていた。
「無駄なのに……。今の姉さんじゃ私には勝てないよ。私を傷付ける事が出来ない姉さんには、ね。さっきだって追撃が来なかった。その槍で私を突き刺すのが怖かったんだ」
否定はしない。たしかにそういう気持ちはあった。
だからこそ、私はもう迷わない。信ずる我が道のためなら、それを共に歩いてくれる相手がいるのならっ、灰になってもいいっ!
「っ……へぇ、本気なんだね。姉さんは、たった一人の妹をその手で貫く事になってもいいんだ?」
私が両方のアームドギアへ力を注ごうとしている事に気付いたのか、悪意がこちらの心を乱そうとしてくる。
そんな言葉へ耳を貸すものかと私は沈黙を続け、ただひたすらに目の前の障壁を突破する事だけ考えた。
「いいよ。そんな姉さんが相手でも今の私は負けない。今日ここで私は姉さんを超えるんだから」
「超える、ね……。なら、敢えてこう言ってあげるわ。忘れたのセレナ。最後に勝つのは……勇気ある者よっ!」
「っ!?」
その叫びと同時に二つのアームドギアの切っ先に閃光が生まれる。
アガートラームとガングニールによるエネルギー放射の前準備だ。
しかも本来であればチャージ時間が必要なそれも、ダブルドライブギアなら刹那の間で完了する。
「かつて私は正義のために悪を貫くと決めたっ! 故にっ、実妹を殺しかねない一撃を放つ事に躊躇いはないっ!」
キッと目の前の悪意を睨み付ける。
対する悪意は、怯えるような顔をしていた。
「ね、姉さん……怖いよ……」
今にも泣きそうなその表情に、今までの私だったら、さっきまでの私だったら揺らいでいただろう。
勇気を、手放してしまった事だろう。
「セレナ……安心して」
「姉さん……」
優しく声をかけると目の前の泣き顔が緩む。
安堵したのか。あるいは、やはりと内心でせせら笑っているのか。
どちらにしろ、私の取るべき道は一つだ。そこに、何ら変わりはないと教えてやろう。
「もしこれで貴方が死んだら、私も悪意を倒した後ですぐに追い駆けるわ」
「っ!?」
悪意の表情が驚愕へ変わる。ここからは瞬きさえもせずに全てを記憶に焼き付ける。
両手に感じる力を、目の前の最愛の存在へと放つからだ。
私の罪を、弱さを、受け止めて、忘れないために。
「セレナァァァァァッ!!」
白銀と黒鉄の閃光が障壁を撃ち砕きながらセレナごと悪意を貫く。
それを見つめ、私はありったけの力を放出し続けた。
感覚的にだけど、絶唱と同等程度の負荷を感じながら私は消えゆく光を見つめていた。
「……セレナ」
確実に10メートルは離れてるだろう位置に倒れているセレナ。
身じろぎ一つしないのを内心不安に思いながらゆっくりと近付こうとして、ガクリと体が揺れた。
歩けない程疲労しているのだとそこで気付いた。
本当に私の全力を出し切った一撃だったのだ。
「うっ……」
そこへ聞こえてくる声に顔を上げる。
見れば悪意がゆっくりと起き上がろうとしていた。
「不味い……うっ」
身構えようとするも、体に力が入らずその場へ崩れ落ちる。
ギアを展開しているのがやっとだ。それさえもいつまで持つか怪しい。
そんな私の横を何かが通り過ぎて行く。
「仁志……っ」
依り代を片手に走る仁志の背中を見つめ、私は祈る事しか出来なかった。
悪意が瘴気を出さない事を。これ以上彼を苦しめるような事にならないようにと。
「間に合えぇぇぇぇぇっ!」
起き上がろうとしていた悪意へ仁志が依り代を押し付けようと腕を伸ばす。
それは間一髪悪意が行動を起こす前にギアへと依り代を接触させた。
「があああああっ!?」
「ぐぅぅぅぅぅっ!」
仁志の苦痛に呻く声が悪意の絶叫に混じって聞こえる。
すると仁志がこちらへ顔を向けて……
「ま、マリアっ! 君の声を! セレナへ届けてくれ……っ! 今ならっ……届くっ!」
「わ、分かったわ……っ」
気怠い体へ気合を入れるように息を吐いて立ち上がる。
そして苦しんでいる悪意へ、その中で眠っているだろうセレナへ想いをぶつけようと息を吸った。
「起きなさいセレナっ! 貴方が本当に大人になったと言うのならっ、大人になりたいと思うのならっ! 悪意の囁きに身を委ねていてはいけないわっ! 優しさとは戦わない事じゃないのは、もう今の貴方は知っているはずよっ!」
「ダ、ダマレ……ッ! コノチカラニマケテ」
「しまえってんだよぉぉぉぉぉっ!」
「ギャアァァァァァッ!!」
仁志がセレナの体を抱き締めるように動いた。
多分ああする事で痛みで悪意から離れないようにしたのね。
「セレナっ! 勇気を思い出してっ! 貴方はエルを助けるために率先して戦ったんでしょう! その勇気を、強さをっ、今ここで私にも見せてっ!」
「ああっ、俺にも見せてくれ……っ! セレナの勇気の輝きを! 強さの光をっ!」
仁志の言葉に頷きながら私はその場からゆっくりと足を踏み出した。
正直倒れそうではあるけど、私もセレナの事を抱き締めてあげたいと思うから。
「ね、姉さん……っ! お兄ちゃん……っ!」
「セレナっ!?」
「わ、私……酷い事を……っ」
「いいんだよ……っ。セレナ、君の迷いや悩みを悪意が利用しただけなんだ……っ」
「そうよ。それに、それを言うなら私も同じ。貴方達を攻撃したのだから……」
「姉さん……っ!」
セレナの顔が泣きそうなものへ変わる。それを見た瞬間、不思議と力が出た。
自然と足が動いて、あの子を抱き締めてあげないとって思った。
「セレナっ!」
やっとセレナの事を抱き締められる距離にこれた。
そう思った瞬間にはあの子の小さな、だけど頼もしくなり始めている体を抱き締めていた。
「姉さん……っ! 姉さんっ!」
「せ、セレナ……っ。せ、聖詠を……っ!」
苦しそうな仁志の声で私は我に返る。そうだ、今の仁志は依り代の強い力で苦しんでしまうんだった。
「セレナ、悪意を自分の中から追い出しなさい。そして決着をつけるの」
「……うんっ!」
そう返事をする表情は、私の良く知るセレナのものだった……。
「おのれぇぇぇ……やはりその力、真っ先に潰しておくべきだったか……っ!」
私の見上げている先にいるのは、日焼けした肌の私みたいな姿の悪意。
その着ているギアはとっても怖くて、触れたら傷が出来そうな感じがする。
まるで悪意そのものみたいな印象だ。だけど負けないって思って、私は小さく息を吐いてアームドギアを構えた。
「セレナ、一撃で終わらせるわよ」
「うん、姉さんと二人ならきっと大丈夫」
そっと空いてる手を姉さんと繋ぐと、姉さんも優しく握り返してくれた。
「これは……よしっ!」
後ろから何かの音とお兄ちゃんの声が聞こえたと思ったら、次の瞬間にはギアが変化してた。
だけど、それは今まで見た事のないものだった。銀色のギアで、姉さんもまったく同じギアになってる。
ただアームドギアがない。どういう事だろう?
「「これって……」」
「分からない。ただ、それなら必ずあいつに勝てるはずだ」
「勝てるはずって……」
「お兄ちゃんらしい……」
姉さんと揃って苦笑する。
でも、本当に不思議な力が湧いてくる。まるで誰かが力を与えてくれてるみたい。
「姿を変えたとしてもぉぉぉぉっ!」
悪意が私達へ両手に集めた闇の力みたいなものを叩きつけてくる。
――守らないとっ!
咄嗟にお兄ちゃんを守ろうと腕を動かすと同時に頭の中に姉さんの声が聞こえた。
思わず顔を動かすと姉さんも同じような動きをしたまま私を見つめてた。
「す、すげぇ……ドーム状のバリアとか……」
お兄ちゃんの言葉で私と姉さんも周囲の様子に気付いた。
本当に私達を包むように銀色のバリアが展開されてる。これ、姉さんと一緒にやってるからかな?
「姉さん、さっきのって……」
「もしかするとこのギア、同一ギアとしての共鳴を増幅しているのかもしれないわね」
「共鳴を増幅……」
「名付けるならレゾナンスギア、かしら」
「いいじゃないかそれ。うん、じゃあ姉妹によるレゾナンス、見せてくれよ」
お兄ちゃんのその言葉に私は姉さんと同時に頷いた。
その間も悪意の攻撃を銀色のドームが弾き続けてた。
少しもヒビとかないのが凄い。けど、多分これ、姉さんと手を離したらなくなっちゃう気がする。
「姉さん、これでどうやって攻撃すればいいかな? アームドギアがないし、手を離しちゃいけない気がするんだ」
「そうね……」
どうも姉さんも同じ事を感じてるみたい。
少し困った顔で考え込むように黙った。
「いっそこのバリアをぶつけてみたら?」
思わず耳を疑った。お兄ちゃんは特に表情を変える事無くいつもの顔に近い感じで私達を見つめてる。
本当にお兄ちゃんの発想って時々凄い。これも沢山のヒーロー物を見てきたからかな?
「で、出来るかな?」
「やってみましょう。セレナ、意識を集中するわよ」
「うん」
目を閉じて意識を周囲のバリアへ向けると姉さんの声が聞こえてくる。
――きっとこれが私達のアームドギアなのよ。
――これって……このバリア?
――ええ。響がアームドギアを出せない代わりに凄まじい力を攻撃全てへ出せるように、私達もアームドギアがない代わりに攻撃にも防御にも使えるバリアを使えるのかもしれない。
――じゃあ……お兄ちゃんが言ってたような事、出来る?
――それを試してみるの。さぁ、やるわよっ!
――うんっ!
目を開けて繋いでない方の手を姉さんと同時に前へ突き出す。
「「はっ!」」
「なっ!?」
その瞬間バリアがドームから花みたいな形に変わって悪意へと向かっていった。
凄い……。悪意の攻撃を受け止めてる衝撃がさっきよりも伝わってくるけど、全然怖くない。
だって、繋いでる手から姉さんの温もりが伝わってくるから。
「セレナ、最後の仕上げよ」
「うん、分かった」
そう言ってから二人で頷き合って、突き出した手を繋いでる手へそっと重ねた。
「おおっ、バリアが悪意を包んでいく……」
お花みたいな形のバリアが悪意をゆっくり包んでいくのを見つめながら、私は心の中でそっと祈る。
悪意が、静かに眠れますようにって。
その気持ちが届いたのか、悪意を包み込むと同時にキラキラとした光がその中から流れてきた。
「光になったのね……」
「うん、光になれたんだと思う。だって、悪意も元々はみんなの中にいる心の欠片なんだから」
だから、浄化させてあげたいんだ。
改心するのはもう心から離れちゃった悪意には無理だけど、キレイにしてあげる事なら出来るはずだから。
「セレナ、疲れてるとこ悪いけどパズルへの入口、出してくれないか? 響達が奏を相手にまだ戦ってるんだ」
「うん、任せて」
「このギアでなら支援ぐらいは出来るわ。仁志、バッテリー残量は大丈夫?」
「……思ったよりも、セレナでの消費、抑えられたみたいだ。だから、ギリギリ……か、な……」
「「っ!? 危ないっ!」」
そこでお兄ちゃんがグラリと揺れて倒れそうになったから、慌てて姉さんと二人で体を受け止めるように動いた。
何とか受け止めるとお兄ちゃんから静かな寝息が聞こえてくる。これって……
「……寝てる?」
「みたいね。疲れすぎて意識を失ったんでしょう」
「姉さん、どうしよう?」
「……今の仁志を無防備なまま一人には出来ないわ。セレナ、このままパズルの中へ入るわよ」
寝てるお兄ちゃんを連れて戦ってる場所へ一緒に行くの?
思わずそう聞きそうになったけど、姉さんの表情がとても真剣だったからきっと理由があるんだって思って頷いた。
たしかに寝てるお兄ちゃんだけをパズルの外に置いていったら、悪意がやってきて連れていくかもしれないもんね。
「姉さん、これで中へ入れるよ」
「ありがとう。じゃあ、行くわよセレナ」
「うんっ!」
こうして私と姉さんはお兄ちゃんを抱えたままパズルの中へと入る事にした。
待っててね、エル、ヴェイグさん。このレゾナンスギアでみんなを助けてみせるから!
「くそっ! さ、さすがに分が悪いね……っ!」
響達五人を相手に何とか耐え凌いでいた奏も、新たな力である“レゾナンスギア”を得たイヴ姉妹が参戦した事で一気に敗北寸前まで追い込まれていた。
そもそもザババの刃である切歌と調のユニゾンに響と未来による見事な連携、更に奏の戦い方をある意味で一番間近で見て知っている翼がフォローに回っているため、いくら彼女達が疲弊しているとはいえ五人相手に劣勢で踏み止まっていた事が奇跡に近かったのだ。
「奏さんっ! 今度こそ悪意を祓ってあげますデスっ!」
「このギアの輝きで、心の光でっ!」
「ぐっ……必要ないってんだよっ!」
切歌と調のギアが放つ光に対抗するように奏のイーヴィルギアが闇を放ってその身を覆う。
だが、その闇の衣とも言うべき物は瞬時に浄化されるように消える。
「奏さんっ! 闇に、悪意に負けないでっ!」
「私達の光を受け取ってくださいっ!」
「ううっ……鬱陶しいんだってのっ!」
響と未来のギアの放った光が奏を照らす。その強くも温かい陽射しのような輝きが闇の衣を剥がしたのだ。
「姉さんっ!」
「ええっ!」
奏の動きが止まった事を受け、セレナとマリアが銀色のバリアを花の形へ変えて動かした。
その花弁が奏の体を包むように拘束する。
「こ、こんなものでぇぇぇぇぇっ!」
何とか脱出しようともがく奏だが、四つの光によってその力は衰え、闇による勢いは失われつつあった今、姉妹の絆による拘束から抜け出せるはずもなかった。
「奏……本当の、いつもの奏に戻って」
翼の祈るような願いを込めた光が奏へと放たれる。
その金色の輝きに奏の身を包むイーヴィルギアが悲鳴を上げるように軋み始めた。
「ああっ!? あ、あたしのギアが、力が……消える……」
「ううん、そんなものはギアでも力でもないよ。奏のギアは、力は、そんな禍々しいものじゃない」
「つ、翼……っ」
ゆっくりと奏へ近付き、翼はその前で止まると微笑みを浮かべた。
「あのアリシアとの一件で奏が私を単身助けに来てくれたように、今度は私が奏を助ける。憎しみや嫉妬に塗れた奏なんて見たくないから」
「あっ……ああっ……」
五つの金色の輝きが優しく奏を包み込む。その中でも一際強い光を放つ翼の言葉が奏の中に根付いた悪意を揺るがせ、その支配を弱体化させていく。
――エル、タダノを起こそう。今の奏は嫌な匂いが弱くなってきてる。
「わ、分かりました」
その光景を見つめていたエルフナインへヴェイグが好機を伝える。
実際エルフナインもミレニアムパズル維持の負荷が減ってきたと感じていたのだ。
エルフナインは静かに眠る仁志へ近寄ると、若干の申し訳なさを覚えながらその体を揺さぶった。
「兄様、兄様起きてください」
「んっ……える?」
「はい、僕です。兄様、依り代はまだ使えそうですか? 奏さんがかなり悪意の支配から脱してきているんです」
「奏が……?」
「ですので、もしかすれば依り代の負担を想定よりも減らせるかもしれません」
寝惚けた頭でエルフナインの話を聞いていた仁志だったが、千載一遇の機会を得た事だけは理解した。
だからだろう。手にしていた依り代へ目をやり、そのバッテリー残量を確認するや小さく頷いて立ち上がったのだ。
「分かった。やるだけやってみようか」
「お願いします」
残ったバッテリー残量は30%程度。それはこれまでの事から考えればかなりの残量である。
前回の戦いでザババの刃によりマリアを包んでいた悪意がその力をかなり削られていた事に加え、元々戦いに対して懐疑的なセレナへの悪意による支配が根強くなかった事が影響し、二人を元に戻していてもバッテリー消費量が翼と未来を戻した際よりも結果的に少なく済んでいたのだ。
(未来の時みたいになるかもしれないけど、そうなれば後はみんなの光に、想いに託そうっ!)
少しでも悪意の力を弱める事が出来ればと、そう考えて仁志は奏へと近付いていく。
そんな彼に気付いて奏が顔を動かした。
「仁志先輩……」
「奏、少しの間だけ痛いだろうけど我慢してくれ」
「仁志さん、お願い」
「ああ」
翼の言葉に頷き、仁志は手にした依り代を奏の身を包むイーヴィルギアへと押し付けた。
「「ぐぅぅぅぅぅ(ああああああ)っ!」」
二人を襲う強い痛み。だが、それでも仁志は奥歯を食いしばりながら耐え続ける。
(負けるかっ! こんな痛みに、苦しさに、負けてたまるかっ! 必ず俺達はっ! 全員でっ! お前の企みを打ち砕いてみせるっ! 覚悟してろよ悪意ぃぃぃぃっ!)
自分の考えなどを悪意が読んでいるかもしれないなら逆に宣戦布告をしてやる。
そんな風に思っての魂の叫びに依り代が呼応するように光を増した。
それがイーヴィルギアへ更なるダメージを与えていく。
「翼っ! 奏へ呼びかけをっ! 闇の中から本当の奏を引っ張り出してやってくれっ!」
「分かった。奏、聞こえるよね? 聞こえてるよね? みんな、みんな待ってるんだよ。奏がいつもの奏になって帰ってきてくれるのを待ってるんだ」
「つ、ば……さっ!」
「奏なら悪意なんかのいいようにされない。嫉妬や憎悪を掻き立てられても、信頼や優しさでねじ伏せてみせて、私達にどうだいすごいだろって、そう笑ってくれるぐらい強い人だって知ってるから」
「つ、強い……?」
「っ! そうだよ。異なる世界の私を受け入れて、一緒に飛んでくれた奏は強いよ。私は立花達と出会って関わり合って少しずつ強くなっていったけど、奏はそれよりも早く強くなった。それだけじゃない。私達の事を装者の先輩として時に励まし、時に叱咤し、支えてくれてる」
「せん……ぱい……」
「何よりも、戸惑い躊躇う私の手を掴んでステージへ連れ出してくれた。あの時の奏は、私の良く知る奏だった。天羽奏は、どこでもそうなんだって分かって嬉しかった」
そっと翼は手を伸ばして奏の手を掴んだ。
その感じる温もりに奏の目が潤み出す。その瞳に映る微笑みに奏の心が騒ぎ出す。
「あの日、奏が引っ張ってくれた手を、今度は私が引っ張るよ。だから奏、一緒に飛ぼう」
「あっ、ああっ……あああああっ!」
奏の脳裏に思い出される様々な記憶。それがとある光景で止まる。
彼女自身が笑みを浮かべて翼をステージへと連れ出そうとしている、そんな思い出のワンシーンだ。
「ヤバい……っ! そろそろ依り代の方が限界だ……っ」
「奏、聖詠を、聖詠を唱えて。一度奏は悪意を自分で追い出してみせたでしょ? それをもう一度、ここでやってみせてっ!」
「あ、悪意を……追い出す……っ!」
「そうだよっ! そしてまた一緒に飛ぼうっ! まだ私達は、風を奏で天へ鳴る羽で出来た翼なんだからっ!」
「っ!?」
翼の告げた言葉に奏の目が見開く。それは、上位世界で彼女達の事を意味する言葉だったのだ。
双翼でツヴァイウイングはなく
それを奏が思い出した瞬間だった。
「あああああっ!?」
――あああああっ!?
エルフナインの悲鳴と共に周囲の景色が一瞬にして色の抜けたものへと変わったのは。
「「「「「「「「エル(ちゃん)っ!?」」」」」」」」
全員の意識がエルフナインへ向き、弾かれるようにマリアとセレナがエルフナインへと駆け寄る中、漆黒の弾丸がその場へ雨のように降り注いだ。
「不味いっ! 全員守りに徹しろっ!」
言いながら翼はその手に二振りの刃を出現させるや、それを接続させてプロペラのように回転させ始めて仁志と奏を守るように動かす。
マリアとセレナはエルフナインを守るようにバリアを展開し、響達もそれぞれの方法で襲い来る銃弾の雨へ対処していた。
その光景をスコープから見つめた襲撃者は、微かに不敵な笑みを零すとその視線を仁志と奏へと向けた。
奏への拘束は消失していたが、彼女は毒気が抜かれたかのようにその場で座り込むのみであり、それを見た襲撃者は興味を無くしたように意識を仁志へと移した。
仁志は自分達を守るように刃を動かす翼へ無力感を滲ませたような表情を向けていた。
それにどことなく嬉しそうな笑みを浮かべると、襲撃者はポツリと呟く。
――さて、気付くか? まっ、気付かねーならそこまでだけどな。
小さくそう呟いて襲撃者は仁志の首元へとレーザーポインターを照射する。
「っ!? 仁志危ないっ!」
「えっ?」
それに気付いたのは奏だけだった。
放たれた漆黒の弾丸は、仁志の首へ命中する事なく奏の体へ命中する。
「うわあああああっ!!」
「奏ぇぇぇぇっ!」
漆黒の弾丸が命中した瞬間、奏の体を闇が包み込みそのまま宙へと浮かび上がらせたのだ。
それと同時に雨のような攻撃が止み、装者達の目が上へ向いた。
「奏さんっ!?」
「な、何という禍々しさだ……っ」
「アタシにも分かるぐらいヤバい感じデスよ……っ!」
「さっきの攻撃、どう考えてもそういう事だよ切ちゃん」
「それだけじゃないわ。ミレニアムパズルを内側からじゃなく外側から崩すなんて、普通不可能よ」
「じゃあ、やっぱりここにいるんですね、あの子が」
「で、でも一体どこに……」
「奏に当たった攻撃は、水平じゃなく斜めから飛んできてたっ! だからきっと高所からの狙撃のはずだっ!」
仁志はそう言って視線を浮遊する闇の繭よりも上へ動かした。
「クリスっ! そこにいるんだろっ!」
それに合わせて響達も視線を上へと向ける。
そして、見たのだ。漆黒のギアを纏い、自分達を見下ろして笑う色黒となった銀髪の少女を。
「まさか身内に邪魔されるとはなぁ。とんだ役立たずだぜ、おい」
聞こえてきた声は、紛れもなく雪音クリスのものだった。
しかしゆっくりと降下して見えてきた姿は、本来の雪音クリスとは似ても似つかぬ姿であった。
ギアはまるで下着のような形状となっていて最低限の部分しか覆っておらず、インナーに至っては所謂スリングショットのような形状となっており、ギアの方がインナーよりも覆っている面積が多い状態となっていたのだ。
イーヴィルギアは禍々しさこそあるが、それまでの凶悪な装飾などはなく、むしろ色合いや雰囲気以外はクリスのイチイバルに良く似ていた。
「クリス……なんて姿に……」
「へへっ、エロいだろ? 仁志が見てみたい格好にしてみたんだぜ?」
その言葉に誰もが言葉を失う。誰よりも仁志が絶句していた。
奏の言った事など可愛いものとなるような、そんな爆弾発言だったのだから。
「まぁ、あたしも銃使いだ。装甲を厚くしてゴテゴテするのは好きじゃねーし、こっちの方が都合がいいからな。で、どうだ? おっ立つかよ?」
「っ!? く、クリスのフリをするなっ! もうお前の事は響と翼から聞いてるんだっ!」
狼狽えながらも一度別れた際にクリスといた二人の話を思い出して仁志はそう叫ぶ。
だが……
「フリ? ああ、そうだったな。悪意があたし様を制御したってそう思って色々やった事だろ? それならもう過去の話だ」
そんな仁志の言葉にクリスは小さく笑うと、何かを思い出すかのような表情で納得しながら言葉を紡ぐ。
まるでそんな事もあったなと、そう笑い話をするかのように。
「どういう意味だっ!」
「簡単に言えば、今のあたしは悪意の巫女ってとこだ」
間違いなく、その場の空気が凍った。
悪意が言わせてる事だろうと、クリス自身が言っている事だろうと、その言葉の持つ意味の重さは変わらなかったためである。
言葉が出てこない仁志達を見つめ、クリスは闇の繭となった奏へ近寄ると笑みを見せながらこう告げた。
――詳しい話はまた今度だ。あたしはこの片翼の先輩と、その世界で待っててやるよ。そこでの決戦の場所で、な。
その言葉を残してクリスは闇の繭を抱えたまま一瞬にしてゲートへと移動して消えた。
まるで最初から何もいなかったかのように、一切の痕跡を残さず、消えたのだ。
仁志だけでなく響達もその場から視線さえも動かす事が出来なかった。
誰もがみな、何もいない虚空を見つめて固まっていたのである。
「……見え、ました?」
「……いや、動いた事さえ……分からなかった……」
呆然と問いかけるような響の呟きに、翼は力なくそう返す事しか出来なかった。
他の誰も、そこからしばらく何も言わなかった。
その事こそが何よりの同意であると感じ、響はその場へ崩れ落ちた。
(戦える、のかな……? あのクリスちゃんを相手に……)
悪意の巫女という言葉と底知れぬ力の一端を見せ、クリスは響達の前から去った。
重苦しい空気が流れる中、仁志は立ち上がると周囲へ聞こえるように告げた。
「今は、帰ろう。そして喜ぼうじゃないか。セレナとマリアを元に戻せた事と、こうしてちゃんと生きてる事を、さ」
そして仁志は沈んだ顔をしている響達一人一人の手を取り、その足で立ち上がらせていく。
最後にエルフナインを抱えて、彼は疲れた顔で微笑んでみせたのだ。
「明日の事は明日考えよう。それに腹が減ってちゃ、暗い事ばかり考えるしさ」
「……はい、そうですね」
その笑顔で響がやっと笑みを浮かべる事が出来た。
それだけではない。それを皮切りに未来が、翼が、マリアが、セレナが、切歌が、調が、それぞれに笑みを見せていった。
帰り道では、未来に加えてマリアとセレナが周囲へバリアを展開する事で完全に瘴気を遮断する事に成功。
一先ず仁志の状態がゲートの行き来で悪化する事は避けられた事に小さな喜びを見出し、彼らは上位世界へと帰還する。
その頃、クリスは闇の繭と共に奏の世界にあるライブ会場を訪れていた。
「さてと、次に仁志達が来るのはいつになるんだろうな? なっ、片翼の先・輩? ははっ! はははははっ!」
どこか楽しげに呟いてクリスは笑う。
その笑い声が時間の停止した世界に響き渡るかのようにこだまする中、クリスは来たる日を待ちわびるかのように笑顔を浮かべ続けるのだった……。
次回はまた上位世界話。そして、いよいよあの謎が明らかになります。