シンフォギアの消えた世界で 作:現実の夢想者
勤務も終わり、俺は実家へと車を走らせながらずっとある事について考えていた。
「どういう事なんだ? クリスと茂部君が……付き合ってる?」
正確には付き合っていた、になるんだろうか。
何せ今のクリスは悪意に動かされる状態だし、この世界にはいない。
ただ、茂部君が付き合っていると言っていたとオーナーは教えてくれた。
正直茂部君はクリスが嫌うタイプの筆頭のような相手だし、仲良くしているところを見た事がない。
オーナーも俺と同じだったらしくそれとなく同じ夕勤の女性陣へ聞いたが、たしかに茂部君本人がそう言ってるのを聞いた事はあってもクリス本人からは一切そういう情報は出た事はなかったらしい
だからそこが気になっている。全て茂部君発信なのだ。
しかもオーナーへは昨日から言い出したそうで、クリス自身からの発信は当然ながらこれまでなかったらしい。
そもそも、彼女は俺へ好意を寄せてくれていた。その裏側で茂部君と関係を持つとは考えにくい。
「…………待てよ?」
はたと気付く。クリスは、おそらくみんなの中で一番悪意に毒されている。
それはつまり、真っ先に悪意をその身に宿してしまったとも言えるはずだ。
そして、当然だがクリスは茂部君と二人で夕方働く事もあった。
もし、もしも悪意がクリスをあの日以前から操っていたとしたら、茂部君を仕事終わりに誘い……
「キス、させて自分の分身を宿した、可能性がある……」
今の俺とは別で、おそらく悪意から見ても分かり易い欲望の塊の存在。
その内部へ入り込み、言うなれば神の邪心を吸収して力を増した?
あるいは、俺と違ってあらゆる欲求を抱えて抑える事をしない彼やその仲間達から負の念を取り込んでいた?
その結果があの時の状態であり、現状の強さかもしれない。
そして、そう考えればあの時に何故茂部君があそこにいたのかも納得出来る。
視線の先に赤信号が見えたのでゆっくり減速させて車を停止させる。
アイドリング状態特有の音が車内に響く中、俺はハンドルを握り締めて呟いた。
「揺さぶりにきたのか。あるいは、俺の心を乱しに来たんだ」
その瞬間信号が青へ変わったので車をゆっくりと発進させて加速させる。
俺を通じてどう動くかを把握したから茂部君をあそこへ行かせたとすれば、どうして勤務時間の数時間前に彼がいたのかが理解出来る。
それと、悪夢の内容が変わった事もだ。俺の過去を繰り返しても今があるためにもう効果が出せないと気付いたんだ。
だから今を壊す方向へ切り替えた。
ただそれもいきなりじゃ効果が薄いと考えて、そうなりえそうな要素を作ったんだろう。
「まぁ、そのために結果手の内を明かす事になった訳だけど」
逆に言えばそれぐらい悪意も追い詰められてるんだろう。
残るは奏とクリス。その二人を取り戻してしまえば、残るは俺の中にいるだろう悪意のみ。
だけどその除去方法もぼんやりとではあるが浮かんできている以上、悪意としてはなりふり構っていられないんだ。
実際、今の俺は以前よりはかなり体調が良くなってきている。
これは、やっぱりみんなからの想いの力が作用しているんだと思う。
「愛はミラクルってか」
愛の心にて悪しき空間を断てるんだろうか、今の俺達は。
いや、きっとそういう事なんだ。悪意を唯一断ち斬れるのは愛なんだろう。
やがて車は見覚えのあるアパート横の駐車場へと到着。
所定の位置へ駐車し、俺はアパートの入口へと向かった。
階段を上り、最上階である三階まで到着すると向かって右側のドアへと近付く。
静かに鍵を開けてそっとドアを開けて中へと入る。
「ただいま」
まだ誰も起きてないかもと思いながら靴を脱いでリビングへと向かう。
母さんの部屋の戸は閉まってるのでまだ寝てるらしい。
なので静かにリビングへのドアを開けるとソファに父さんが座ってた。
「ただいま。それとおはよう」
「ああ、おはよう。風鳴さんとイブさんが散歩に行ってる。あとは誰も起きてきてないぞ」
「母さんはやっぱり?」
「まだ寝てる。ただ、今日は日勤だからそろそろ起きるとは思うが……」
「そっか」
一度だけこっちを見た後はテレビへと視線を戻してずっとニュースを見つめる父さんは、俺がよく知る父さんだ。
あとは新聞があれば完璧だが、おそらくまだ回収してないんだろう。
ドアのところにある郵便受け、開け閉めするとちょっとうるさいからな。
母さんの部屋に聞こえるかもしれないと気を遣ってるんだ。
ここもきっと、俺が知らなかっただけで変わらないところなんだろう。
そう思って父さんを見てるとこっちへ父さんが顔を向けた。
「何だ?」
「ん? いや、何でもないよ」
母さんが父さんと上手くいってる理由の一端を見た気がして、俺は軽く笑みを浮かべながら洗面所へと向かう。
手を洗って、ついでに顔も洗って、タオルで拭いたら自分の部屋だった場所の中へと入る。
俺は大きくため息を吐いてからそこにある一枚のドアを見つめた。
「……やっぱりドアの色が違うなぁ」
あの時見たドアは黒い物になってたけど今は茶色のドアだ。
やっぱりあのドアそのものが悪意の欠片というかエネルギーで塗られていたんだろう。
さて着替えようと部屋に置いた荷物から寝間着を取り出したところではたと気付く。
これ、誰かが起きてきたら不味い。別に俺は見られてもいいが、向こうは年頃の少女達だしな。
こうなると誰か出てくるまで待つべきか。うん、安全策ならそれがいい。
なので計画変更し俺はリビングへと逆戻り。
父さんの不思議そうな視線を浴びながらその隣へと座る。
「どうした?」
「いや、中で着替えてる時に誰か出て来たらどうしようかと」
「…………ああ、そういう事か」
そこで父さんから聞かされたのは、何と父さんと母さんも一度パズルの中へ入ってみたとの事。
明らかに俺の部屋よりも広い草原に二人は感心したそうで、ヴェイグから簡単な説明を受けたらしい。
「何せ広い草原があったからな。どういう事だと思った」
「まぁそうだろうな」
「ベーは凄いな。ミレニアムパズル、だったか。せいいぶつの力でやっていると言っていたが……」
「そうそう。完全聖遺物っていう、まぁとんでもアイテムだ。ヴェイグの一族はそれを創り出せる力を持ってたんだよ」
「……それで今ベーは一人なのか」
さすがに鋭いな。いや、もしかすると軽くヴェイグも話したのかもしれない。
何せ実の息子を差し置いて寝台特急での旅行を持ちかけられる程だし、職人気質の父さんに仲間の誰かでも重ねた可能性もある。
「その力に目を着けた人間がヴェイグ達を戦争に巻き込んだんだ。で、当時未熟だったヴェイグは仲間達を守る事も出来ず、ただ一人で自分に、ヴェイグという存在に会いに来る相手を待ち続けた」
「……あのドアが誰でも開けられる訳じゃないのはそういう事か」
「開けようとしたのか?」
「いや、ベーが私やお母さんなら開けられるだろうが他の人間じゃ開けられないと言ってたんだ。だからもし泥棒などが入っても大丈夫だと」
そうして話してると父さんが何かに気付いた顔をしたので俺も振り返ると、そこには寝間着姿の未来がいた。
「おはようございます、おじさん」
「おはよう小日向さん」
「おはよう未来。ただいま」
「おかえりなさい只野さん。お疲れ様です」
何だか未来が嫁さんみたいな雰囲気になったな。
心なしか父さんが嬉しそうなのはそういう事なんだろうか?
「未来、他に誰か起きてる?」
「いえ、みんな寝てますよ」
「なら今なら着替えられるか。俺も着替えたら仮眠取るよ。父さん、部屋と布団貸してもらっていいか? 夕方までには俺達戻るから」
「そうか。好きに使え」
「ありがと。じゃ、未来、そういう事だから朝飯はいいってマリアや調に伝えておいてくれ」
「分かりました」
さくっと着替えてから父さんの部屋に入ると、そこは出て行く前と何も変わってないなって印象だった。
置いてある物も匂いも、何もかもが俺が出て行く前と同じだった。
その懐かしささえ感じる部屋で、俺は畳まれてる布団を敷いて横になった。
「……父さんの匂いがするな」
加齢臭なんだろうとは思うけど、俺にとっては父さんの匂いだ。
小さい頃、休みの日の父さんとたまに一緒に寝た事を思い出す。
そうそう、それとは別に父さんの布団で寝る事もあったなぁ。
俺が小さい頃は我が家は万年床に近くて、常に布団が敷かれてたっけ。
で、時々学校から帰ってきた俺は何となしに父さんの布団に入って、そのまま寝てしまう事もあったんだ。
そんな事を思い出しながら俺は目を閉じて眠りへと就いた。
で、起きたのは昼過ぎだった。
久しぶりとなるぐらいの、夢を見ないで眠れた時間だった。
何せそこで思い出したぐらいだ。今の俺はみんなが傍にいてくれないとちゃんと寝れないって。
「……理由は父さんの匂い、だろうか?」
ぼんやりとある作品の一場面を思い出す。
それは、現在を忘れて過去に戻ってしまった父を息子が元に戻すシーンだ。
何と、あろう事かその息子は父親の靴の匂いを嗅がせる事で子供に戻っていた父親の記憶を大人の、親の記憶へと時間経過させるんだ。
「匂い、か。そういえば、嗅覚と味覚は記憶へ直結するってよく言うなぁ」
父さんの匂いが染み付いた布団だから、俺はある意味安心して眠れたのだろうか?
あるいは、父親の匂いに包まれる事で子供として守られてるような気持ちになれたのだろうか?
答えは分からないが、これまでの事から考えるに愛ってものを俺がこの布団から感じたのかもしれない。
「……親の愛、か。一種無償の愛だよな」
悪意の弱点が愛なら、きっとそういう事なんだろう。
ただ、これはみんなの内の誰かじゃ無理なんだ。それじゃ、俺が強い愛を感じられない。
父さんや母さんみたいにこれまでの、小さい頃からの記憶と紐付いてないからな。
まだ若干寝惚けてる頭をガシガシと掻いて布団から出る。
微かに声がするのでみんな起きてるんだろうな、やっぱり。
なので布団を畳んで、寝る前の状態へ戻して部屋の外へ。
「あら? 起きたのね」
出てすぐにダイニングテーブルに着いていたマリアと顔を合わせる。
そこには翼と未来にセレナの姿もあった。
「おはよう。昼は食べた?」
「ううん、まだだよお兄ちゃん」
「只野さん、朝を食べずに寝たからきっとお腹空かせてるだろうし、お昼ご飯になったら起こしましょうかって話してたんです」
「成程」
「仁志さん、よく寝れたみたいだね」
「ああ、うん。父さんの匂いのおかげかも」
「「「「匂い?」」」」
「そう」
と、そこで気付いた。父さんがいない事に。
それとエルやヴェイグ、響とザババコンビもだ。
「父さん達は?」
「おじさま達なら車で買い物へ行ってる。昨日とは違う……アピタへ行くとか」
「ああ、成程ね」
助手席に響、後部座席にザババコンビとエルにヴェイグなら余裕だろう。
じゃ、マリア達は留守番か。それも、何となくだけど俺のために残ってくれた気がする。
「でも良かったぁ。お兄ちゃんがうなされてないかみんなで時々チェックしてたんだよ」
「そっか」
「おじさまへ理由を話したら驚かれました。そんな事までしてくるのかと」
「でも安心して。手を握ったりとかの触れ合う事で鎮静するって言っておいたから」
さすがマリア、嘘は言ってないな。
何せ頬とは言え、可愛く綺麗な女の子達にキスされないとうなされる、なんて聞いたら大抵の人間がふざけてるのかと思うだろうし。
父さんなら“まんじゅうこわい”かって言いそうだ。
「にしても、父さんは本気でエルとヴェイグ気に入り過ぎだろ」
「おじさん、ヴェイグさんの事をもう一人の息子みたいに思ってるって言ってた。お兄ちゃんに弟か妹をつくってあげたかったけど、お金の事で大変で諦めたからって」
「おじさまは姉弟が多かったと聞いたから、余計そう思ったのかもしれないね」
「そうだなぁ。しかも長男だったからな、父さん」
その辺りの話はちょこちょこ聞いた事がある。
特に食事は戦争だったと笑い混じりに教えてくれた。
だから父さんは右でも左でも箸が使えるようになったとも。
実際見せてもらったけど、見事なもんだったなぁ。
なんて話をマリア達へもするとやっぱり軽く驚かれた。
「右でも左でも箸を、ね」
「凄いなぁ。でも、それぐらいしないとおかずが食べられないぐらいだったんだ……」
「何せ四人も育ち盛りがいるんだ。父さんが言うには好き嫌いもしてられないぐらいだったらしい」
「そうなんだ……。じゃあ、好き嫌いが出来るってある意味幸せな事なんだね」
「そうなるな。そんなおじさまの好物は何?」
「父さんの? 筆頭は牡蠣、かな。貝の方だ。あとはレバー。味噌カツや味噌煮込みうどんとかの、八丁味噌を使った料理全般もか」
そう言うとマリア達が思い出したかのような顔をした。
「ああ、あの甘辛い味付けね」
「あれ切歌さんやエルが大好きだね」
「おじさん、ああいうのが好きなんですか?」
「そうなんだよ。というか、結構地元の名物は好きじゃないかな、父さん。きしめんも天むすも俺は父さんから知ったから」
クウガの鑑賞会を兼ねたこの地域の名物試食会を思い出す。
まだみんな揃っていて、こんな事になるなんて欠片も思っていなかった頃を。
「天むす美味しいですもんね」
「うん、私も好き。小エビの天ぷらとご飯だけなのにとっても美味しい」
「あっ、そうそう。どて煮が特に好きなんだよ。要するにモツが好きなんだ」
どて煮はみんなには受けが悪かったのを記憶している。
味付けではなくモツが敬遠されたのだと分かっているので、どこか嫌な顔をされるかと思ったのだが……
「「「「あ~……」」」」
まさかの納得でした。
理由を聞くと、例の試食会の時、俺がどて煮を飯にかけたどて丼を美味そうに食べてたからだそう。
……まぁたしかに俺も嫌いじゃないけど、父さん程好きとは思ってないんだけどなぁ。
「「「「「「ただいま(デス)」」」」」」
そこへ聞こえてくるエル達の声。
それだけで笑みが浮かぶなのは何でなんだろうな。
とりあえず、今は父さん達を出迎えるとしよう。
そして、昼飯を食べたらあの街に、あの家に戻るんだ。
……クリスの件は、今はまだ黙っておこう。
おじいちゃんに家の近くの百均まで送ってもらって、そこで少し買い物をしてから僕は兄様と姉様、そして姉さんの四人で今の家に帰ってきました。
リビングに到着するとヴェイグさん達もパズルから出てきて一気に賑やかになります。
少しみんなで休憩した後はパズルの中へ入って特訓開始です。
「じゃ、あとはエル、頼んだぞ」
「はい」
姉様達全員をツインドライブにして、兄様は目隠しと耳栓――ではなくイヤホンを着けました。
百均で購入したもので、スマホから音楽を聞くそうです。
耳栓では多少でも聞こえてしまうのでそれを防ぎつつ、好きな音楽を聞く事で自分の中の悪意と戦うためと兄様は言ってました。
「では、まずは何から試しますか?」
「エル、私と切ちゃんはメカニカルギアをお願い」
「デスね。新しい力過ぎて試してないデスし」
「分かりました」
言われた通り、兄様の手を動かしてお姉ちゃん達のギアを変えます。
「ドライブチェンジ!」
調お姉ちゃんが光竜のギアへ、切歌お姉ちゃんが闇竜のギアへ変化したのを確認して安堵します。
兄様の手なら作動させられるようです。姿の変わった二人を見て姉様と姉さんが驚きの表情を見せます。
「貴方達、その姿って……」
「光竜と闇竜ですね!」
「そう。これが私達のメカニカルギアツインドライブ」
「しかも、この奥の手は天竜神なんデスよっ!」
「うん。でも、今は使えそうにないかな。切ちゃんの心の声、聞こえないし」
「デスね。やっぱりあれはシンパレートを上げないとダメみたいデス」
そんな会話を聞きながら僕は視線を翼さんへ向けました。
「翼さんはどうしますか?」
「そうだな……。なら、ライダーギアを頼む。徒手空拳でも戦えるのか試したい」
「分かりました。えっと……ドライブチェンジっ!」
兄様のように声に出す事で僕も少しでも気持ちを戦っている風にしようとそう思ってやっているんですが、何故か皆さんの反応は苦笑ばかりです。
「よし、これでいい。立花、出来れば相手をしてもらえるか?」
「分かりました。っと、エルちゃん、私は……水着ギアにしてもらえる?」
「え? は、はい。ドライブチェンジ!」
まさかの選択に少し戸惑ってしまった。
けど、そこで僕は思い出す。水着ギアのツインドライブは試した事なかったって。
「……こうなるんだ」
響さんの水着ギアツインドライブは、通常の状態と違ってどこかあのプールの時に来ていた水着に近くなっていた。
「戦闘力は上がっているんだろうか?」
「見た目では分からないわ。だけど、身軽な分素早そうではあるわね」
「エルちゃん、私もいいかな?」
「あ、はい。未来さんはどうしますか?」
「私はジュエルギアでお願い」
「了解です。ドライブチェンジ!」
基本的に悪意との戦いは兄様が依り代を使って悪意の支配を弱めてからが本番と言える。
だけど、まずそこまでするのに皆さんが悪意をある程度弱らせないといけない。
あのクリスさんの動きは尋常じゃなかった。あれに対抗するには純粋な速度で勝負するか、あるいはそれを封じられる何かで戦うしかない。
それを見出すための時間が今だ。だから兄様は自分の目と耳を塞いで僕らに託してくれている。
悪意にそれを知られないために。
姉様と姉さんはレゾナンスギアへ変わったところで特訓開始。
お姉ちゃん達二人と姉様と姉さんがコンビでの模擬戦開始。
翼さんと響さんに未来さんで三つ巴の模擬戦開始。
僕はヴェイグさんと一緒に兄様の隣でそれを観戦する形だ。
「翼のジャンプ力は凄いな……」
「はい。本当にライダーみたいです」
今まではバイクを使っていたから分からなかったけど、ライダーギアツインドライブはその身体能力そのものを仮面ライダーと同じにしてるみたいだ。
あの翼さんが肉弾戦で響さんと渡り合い、時には優勢を作り出してる。
対する水着ギアツインドライブは、特に目立ったものはないようだ。
響さんも微妙な表情で戦っているのがその証拠。
ただ、未来さんは凄かった。
そのギアで覆われた部分全てから凶祓いの光を放ったのだ。いや、放ったと言うよりは出現させた、だろう。
まるで光の棘のようなそれは未来さんの周囲全てを同時に攻撃出来る。
おそらくだけどあのクリスさんでも回避は至難の業だと思う。
実際翼さんと響さんはそれぞれ回避出来ないと思ったのだろう。ギアを解除してペンダントを自分の手で守ってた。
「こ、小日向、それは凄いな……」
「うん! 凄いよ未来!」
「あ、ありがとう。ただ、これはあまり使えないかも……」
「周囲への被害か?」
「それもありますけど、疲れ方が酷いんです。正直今にも休みたいぐらい」
先程の攻撃は、自分の周囲全てを凶祓いの光で攻撃すると言うよりは守るような出現の仕方だった。
そう考えると、光を光線として放出させるよりも棘にして維持する方が疲労するのは当然だ。
「未来さん、少し休んでください。今の攻撃はある意味で最後の手段に近いものですし」
「そうする。すみません翼さん」
「いやいい。それと立花、おそらくだがあの水着ギアツインドライブは局地戦特化に磨きがかかった物だと思う」
「です、よね。水辺とかなら凄く強い気がします」
「ああ。ただ、おそらくあの悪意が待っている場所は……」
「はい、あのライブ会場のはずですよね。なら、水着ギアは止めておきます」
「その方がいい。それにしても、何故水着ギアを?」
その疑問は僕も抱いたものだ。
響さんがどう答えるんだろうと思ってその言葉を待ってると、響さんは後ろ手で頭を掻いた。
「いやぁ、何か特殊能力とか発動しないかなぁって」
「くくっ、そういう事か」
「もうっ、響ったら」
苦笑する翼さんと未来さんと一緒に僕も実に響さんらしいと思って苦笑する。
だけどこの目的からすれば響さんのそういうのは間違ってない。
「発想自体は正しいです。今回の目的は様々なツインドライブの性能や能力を把握する事ですし」
「そうだな。では立花、次はどうする?」
「じゃあ……ソルブライトにします。やっぱりあれが一番悪意に効いたイメージがあるんで」
「よし、エル、私はさっきと同じでいい。ライダーギアが格闘戦も出来ると分かった以上、雪音や奏の記憶を利用する悪意には効果的かもしれない」
「分かりました」
そうして翼さんと響さんが再び模擬戦を始める中、姉様達はと言えば……
「くっ! まさかこんな事が出来るなんて……っ!」
「大きさこそ本物より小さいけど、それでも天竜神だけあって強いっ!」
「とか言いながらしっかり天竜神の攻撃をバリアで受け止めてるじゃないデスかっ!」
「本当にそのバリアは凄い……でもっ!」
「「勇気の力は無限大(デス)っ!」」
まるでガガガだって、そう思いながら僕は姉様達の戦いを見つめた。
「エル、見ろっ! 翼がっ!」
「えっ?」
ヴェイグさんの声で僕は顔を姉様達から翼さん達へ向ける。
そこでは翼さんが空高く跳び上がっていた。しかも、そのまま回転しながら蹴りの体勢へ移行しようとしている。
「あれは……まさかっ!?」
「ライダーキックだっ!」
「響っ!」
「そっちがそう来るなら……っ!」
響さんが拳を握り締めるとそこへ光が集束していく。
あれは、以前翼さんを攻撃しようとした時にやった事と同じだ。
「いざっ! 参るっ!」
「負けるかぁぁぁぁっ!」
まるでライダーキック対ライダーパンチだ。
だけど見た目は全然違う! 翼さんの周囲には風が刃のような形を作っているし、響さんの拳には小さな太陽が出来上がっていたっ!
風刃の脚と太陽の拳。その激突は凄まじい熱風を巻き起こした。
僕とヴェイグさんは咄嗟に兄様へしがみついて、そんな僕らを守るように未来さんがバリアのような物を展開してくれた。
その瞬間熱風による熱さを一切感じなくなった。
まるで未来さんの優しさに体が包まれてるみたいで安心感さえある。
「す、凄いな……」
「はい。翼さんを戻そうとした時よりも威力が出てると思います」
「……あの時はやっぱり加減してたのか?」
「おそらく無意識にしてたんだと」
拮抗するお二人を見ながらヴェイグさんと言葉を交わす。
それにしても、こんな力の激突を受けてヴェイグさんは平気なんだろうか?
「ヴェイグさん、パズルの維持は大丈夫ですか?」
「ああ、まだ平気だ。もし難しくなったら力を貸してくれ」
「はいっ!」
言葉を交わしながらも視線はお二人から離さない。
「「おおおおおおおっ!」」
お二人の声が重なる。その時、一瞬だけどマイクユニットの部分が光った気がした。
「「ああっ!?」」
そしてそれと同時にお二人が弾き飛ばされた。きっと互いの攻撃の威力が相殺し合った結果、衝撃波となって弾けたんだ。
「す、凄い衝撃っ! エルちゃんっ! ヴェイグっ! 大丈夫っ!」
「ぼ、僕達は平気です!」
「ああ。未来こそ大丈夫か?」
「うん、私は大丈夫。けど……」
未来さんの見つめる先には床へ倒れる響さんの姿があった。
反対側を見れば同じように倒れる翼さんの姿がある。
おそらくだけど、本来なら土煙が起こったり、地面が大きく砕けたり抉れたりしていたはずだ。
パズルの中でやっていて良かった。そう心から思いながら前を見つめているとそっと手に触れる物があった。
「えっと、多分エル、だよな? 一体何があったか知らないけど、大丈夫か? 一瞬すっごい熱風が押し寄せたんだが……」
目隠ししたままの兄様が、探り探りの手付きで僕の事を気遣ってくれていた。
多分だけど、本当なら頭を撫でたいのかもしれないって思って、僕は兄様の手を取って自分の頭へ置いてみた。
「ぁ……」
すると優しく兄様が撫でてくれた。
見えてなくても聞こえてなくても兄様は兄様です。
ちなみに響さんも翼さんもすぐに起き上がりました。
お二人共に自分のギアに秘められた力の一端を感じ取ってはいましたが、あのクリスさんを操る悪意に通用するかは疑問のようでした。
一方の姉様達は揃って単身では本領を発揮出来ないギアのため、分断されたら全力を出せないという難点が。
そこで一旦休憩にして、何をしていたかはある程度伏せて兄様の意見を聞いてみる事に。
「あー、そっか。メカニカルもレゾナンスも二人揃ってこその力だもんなぁ」
「はい。なので何か打開策はないかなと」
そう僕が問いかけると兄様は未来さんと姉さんに視線を向けました。
「えっと……何か?」
「お兄ちゃん、私と未来さんに何かあるの?」
「……翼、マリア、二人に聞きたいんだけど、かつてやったユニゾン訓練でどういう事をしてたか覚えてるかい?」
たったそれだけで僕は、それに姉さんとヴェイグさんを除いた全員が兄様の言おうとしてる事を理解しました。
「まさか、セレナと未来を入れてユニゾン訓練を?」
「たしか今のみんなは依り代で共鳴し合ってるんだろ? なら、出来ると思うんだ。全員共通のリビルドギアツインドライブ。その輝きを共鳴させて、可能ならツインだけじゃなくてトリプル以上にもなれるように」
「さ、三人以上でのユニゾンですか!?」
まさかの考えに響さんが大きな声を出した。
だけど、兄様は真面目な顔をしてた。
「可能だと思うよ。根拠はドライディーヴァだ。三人で共鳴し合って唄った歌がある。あれは一種のユニゾンだ。悪意もクリスの記憶からユニゾン自体は調べられるだろうけど、三人でのユニゾンなんてクリスさえも知らない。俺も知らない。だからこそ、悪意の想定の上を行くにはもってこいだ」
そう言って兄様はスマホの時計を見ました。
「……晩飯の事もあるし、午後7時には終了にしよう。で、明日からは昼間から夜までは毎日リビルドギアでユニゾン訓練をしてくれるか? それなら」
「あのっ!」
兄様の言葉を遮るように響さんが手を挙げた。
誰もが響さんを見つめると、響さんはこう告げた。
それは、リビルドギアじゃなくて水着ギアでやらせて欲しいというものだった。
水着ギアも全員共通だし、何より下着代わりに出来るため日常生活にも支障はないからという理由で。
それならばと兄様も納得し、目隠しをした状態の兄様の手を使って僕が皆さんを水着ギアへと変える事になった。
何故なら皆さんは一旦服を脱がないといけないからだ。下着代わりにすると言う事は下着も脱がないといけないために。
「な、何だかドキドキしますね……」
「あ、ああ。目隠しをして音楽を聞いているのにな……」
「し、視界に只野さんがいるって事が大きいんだと思います……」
「ないとは思うけど、仁志が少しでも目隠しを動かしたら……」
「や、止めて姉さん。想像すると動けなくなりそう……」
「し、ししょーはそんなスケベな事しないデス! それにアタシはししょーなら見られたって平気デス!」
「……切ちゃん、師匠がこっち見てる」
「っ!?」
切歌お姉ちゃんが体を隠すように腕を動かしました。
ただ、当然兄様は目隠しをしたままです。
それに切歌お姉ちゃんも気付いて小首を傾げました。
「冗談」
「し~ら~べ~」
どこか楽しげな感じもする姉様達だけど、ただやはりヴェイグさんと僕にはまだ理解出来ない世界だと思う。
特に僕はまだブラジャーを必要としてない。可愛い下着に姉様達は喜んだりするみたいだけど、僕にはそれが理解出来ないから。
「なぁエル」
「はい」
「下着と水着の違いは一体なんだ?」
「え、えっと……水に濡れてもいいように出来てるかいないかでしょうか?」
「成程な」
「なぁ、まだか? もしOKなら目隠し取ってくれよ?」
兄様のその言葉を聞いて僕はヴェイグさんと顔を見合わせる。
「どうしましょうか?」
「聞いてみればいいんじゃないか?」
「じゃあ同時に聞きましょう」
「分かった。せ~のっ」
「「目隠し取ってもいい(です)か~?」」
「「「「「「「ダメっ!」」」」」」」
それまで軽く騒いでた切歌お姉ちゃんと調お姉ちゃんも、それを見て苦笑してた響さん達も、呆れていた姉様さえも声を揃えたのに驚いた。
「……息ピッタリだな」
「ですね……」
その後姉様達がギアを展開したのを確認して兄様の目隠しを取った。
目隠しを取られた兄様は何度か瞬きした後で姉様達全員を水着ギアツインドライブへと変えていった。
ただ、その姿が全員あのプールへ行くために買った物そっくりになった事に気付いて兄様が驚いていたけど。
「こうなるとやっぱり俺とみんなのイメージが影響するんだろうなぁ」
「ツインドライブ、ですか?」
「うん。もしかすると、それも悪意への対抗策になるかもしれない」
「どういう意味だ?」
「もしも、もしもツインドライブが俺とみんなのイメージに左右されるのなら、俺は無理でもみんなのイメージを変えればツインドライブ状態が変化する可能性がある。それこそ、心象変化だ」
「えっと……?」
「ライダーギアが一番分かり易いと思うから言うよ。今、翼と調とマリアがなれるそれは、ツインドライブが一号、二号、V3だ。でも、例えばライダーってもので三人がイメージするものが変われば、もしかすればギア形状が変わるかもしれない」
驚きの発想だった。
でも、言われてみればそもそも水着ギアなどは皆さんの心象変化で起きた現象だ。
なら、ツインドライブが変化する事も十分あり得る。
「海賊ギアがツインドライブだとゴーカイジャーになったのは、明らかにみんながゴーカイジャーを知ったからだろ? なら、試してみる価値はあるよ。っと、それと成功しても失敗しても俺には教えないでくれ。悪意への懸念材料にしてやるよ。何せあっちは俺からライダーの知識を知ってる。もし他のライダーになれるとしたら、なんて考えると結構不安だよ? クウガなんて多彩なフォームチェンジが出来る。そうなったら一人で複数の能力持ちだ」
「成程。仁志さんから情報を得ている事を逆手に取るんだ?」
「さっすがししょーデス。転んでもただじゃ起きないデスね」
切歌お姉ちゃんの言葉で兄様が笑みを浮かべて頷いた。
そしてそこからはまた兄様は目隠しとイヤホンをして情報を遮断し、僕が兄様の手を使って翼さん、調お姉ちゃん、姉様のライダーギアツインドライブを試してみる事に。
結果は、変化せず。残念ながらそう上手くはいかないようです。
ただ、翼さんの事で分かったようにライダーギアツインドライブは格闘戦が可能。
調お姉ちゃんや姉様は翼さんよりも技が多彩に出せる事に気付き、三人でのトリプルキックは未来さんが全力で防御しても防げない程の威力を見せました。
おそらくだけど、あの攻撃は三人での絶唱以上だ。きっとあれも一時的なユニゾンに近いと思う。
「未来、大丈夫?」
「う、うん。でも、あの攻撃は凄いと思う。アイギスにジュエルの力でもあっさり貫かれたから」
未来さんの手を響さんが掴んで起き上がらせるのを見てから僕は姉様達へ顔を向けた。
「姉様、どうですか?」
「そうね。威力だけならあの悪意にも通用すると思う。ただ……」
「当てられるか、だな」
「あの速度だと、直撃させるのは難しい……」
「でもでも、格闘戦が出来るのはかなりのプラスデスよ。アームドギアなしでも十分過ぎる程デスし」
「そうだな。そこはたしかに収穫だ。むしろそういう意味では、ライダーギアツインドライブは全身がアームドギアかもしれない」
「……元々のライダーを考えればそうでしょうね」
「うん、戦うためだけの生物兵器だった怪人、だもんね。だからこそ、私達もライダー達と同じようにこの力をみんなの笑顔のために使いたい」
「そうデス! 人類の自由のために戦うデスよっ!」
切歌お姉ちゃんの言葉に姉様達が頷いた。
そう、人類の自由のために戦う。兄様は教えてくれた。何故ライダーは正義のために戦わないのかを。
――正義は、その時その時で変わる。だからライダーは正義ではなく自由のために悪と戦うんだよ。
正義とは、その時の情勢や世相で変わる事がある。戦争を経験した原作者だからこそ、それを痛感したらしい。
そう考えれば悪意は人々の自由を脅かす存在だ。自らの意思で悪へ転がるのならばいいが、悪意はそれを助長するように干渉する。
きっとライダーがいれば悪意へ立ち向かったはずだ。例え倒す術がないとしても、それでもと。
皆さんもそういう意味ではヒーローだ。正義じゃなく平和を守ろうとしているから。
その後は皆さんはリビルドギアでユニゾン訓練を始めた。
姉さんと未来さんは初めての事に戸惑い苦労していたけど、それでも当然のように姉さんは姉様と、未来さんは響さんとユニゾンする事は早かった。
依り代の手助けもあるんだとは思うけど、今の皆さんは奏さんとクリスさんを助け出したいって想いが共通している事も大きい気がする。
それと、やはり一度やっていたのが大きいのか、姉様達はそれぞれの組み合わせでのユニゾンをすぐに取り戻してみせた。
終わってみれば収穫が多い結果となり、あの悪意へ対抗できる可能性を見出せたとも言える雰囲気になった。
兄様は何も聞かずとも姉様達の様子だけで嬉しそうに笑みを浮かべていた。
みんなが明るくいてくれる事。それが悪意への一番の攻撃だってそう言って。
「俺は信じてるよ。みんななら必ず悪意に打ち勝ってくれるって。奏もクリスも元に戻して、今度こそ悪意に完全勝利してみせようっ!」
好きな曲を聞き続けていたおかげか兄様は明らかに元気だった。
その明るさに僕らも笑顔を返して晩ご飯の支度を始める事となる。
姉様と調お姉ちゃんが中心となる中、兄様は翼さんに何かを頼んでいるようだったのが気になった。
晩ご飯は千切り野菜の豚しゃぶ鍋でした。
人参やキャベツ、玉ねぎなどをお出汁の中で煮た後、その出汁で豚肉をしゃぶしゃぶして食べるんです。
お姉ちゃん達や姉さんはお肉ばかり食べて怒られてましたし、ヴェイグさんは逆にバランスよく食べてて褒められてました。
僕は……何とか怒られる事は避けられました。兄様が野菜を巻いて食べた方が美味しいと教えてくれたからです。
「あ~、お腹いっぱいデ~ス」
「肉も野菜もご飯もあれだけ食べればそうもなるよ」
「切歌ちゃん、一番食べてたもんね」
「次点は響だけどな」
「いやぁ、大勢で食べるご飯って何でこんなに美味しいんですかね?」
「本当にそれデス! 早くここにクリス先輩と奏さんも加えたいデスよ」
「なら、今週の金曜に行こう。そこまでにユニゾンを形にしておいてほしい。セレナや未来とも組めるように」
切歌お姉ちゃんの言葉に兄様が即座にそう告げた。
まるで僕らが沈む間を与えないように。
「一週間もないけど、何とか出来ないかな? あまり時間を空けすぎるのも怖いんだ」
「分かってるわ。何とか間に合わせてみせる。ね、みんな」
姉様の確認に響さん達が頷いた。僕とヴェイグさんも頷いた。
だって姉様が僕らの事も見てくれたからだ。
この後は響さんと翼さんに切歌お姉ちゃんが後片付けを始めた。
姉様達晩ご飯を作った人達はリビングでのんびり休憩です。
僕とヴェイグさんはお風呂の準備へ取り掛かります。
「それじゃあ、ヴェイグさん、頑張りましょう」
「ああ」
あのお家でもやってた事ですが、お風呂掃除は僕が基本受け持ってたお手伝いでした。
ヴェイグさんはそれを時々手伝ってくれてたので、ここでも手伝ってくれるみたいです。
「よいしょっと……」
「よし、離していいぞ」
「は、はい……」
「っと」
ヴェイグさんを湯船の中へ送り込みました。
このお家のお風呂はあの家よりも深くて少し大変です。
「エル、スポンジをくれ」
「ちょっと待ってください」
スポンジへ洗剤を吹き付けてからヴェイグさんへと差し出す。
「どうぞ」
「……よし、まずは俺からだな」
スポンジを手に持ってヴェイグさんが湯船の下の方を磨き始める。
「ごしごしっ!」
声を出すのは僕が教えた事が切っ掛け。
そうすると力が入り易いと教えたら、ヴェイグさんが何て言えばいいかって聞いてきて、ごしごしはどうでしょうって言ったらそれ以来こうしてる。
僕は湯船の下の方を懸命に磨くヴェイグさんを見ながら考える。
キャロルが僕と一緒にまた戦ってくれるかもしれないなら、僕はどうすればいいんだろう。
この体は元々キャロルのものだ。僕は、それを使わせてもらっているに過ぎない。
――そんな事を考えるよりも相手の思惑などについて考えろ。
……聞こえてきた声に僕は思わず苦笑する。
キャロル、君はもしかして僕だけじゃなく兄様達の事も心配してくれてるんだろうか。
だとしたら、こんなに嬉しい事はないよ。
「ヴェイグさん」
「ごしご、どうした?」
僕の声にヴェイグさんが手を止めて振り返った。
「悪意は、兄様を最終的にどうしたいのでしょうか?」
「…………分からない。だけど、きっとろくでもない事だ」
「ですね。でも、僕は一つ気になってる事があるんです」
「気になってる事?」
そう、気になる事。それはあの皆さんとの決戦前に悪意がこの上位世界で何かしていたという、そんな兄様の予想から考えた事。
「兄様は悪意に苦しんでいますが、それは兄様が自分の欲望に従うのを良しとしないからだとあの時奏さんは言いました」
「……嘘を吐いてると言ってたあれか」
「はい。つまり、逆を言えば自分の欲求へ素直な人なら悪意はあっさりとその人間を支配下に置けるはずです」
「それがどうした?」
兄様は心を強く持てば悪意の支配に打ち勝てるかもしれないと言っていた。
それを悪意も分かっていたからこそ、兄様へは瘴気を吸わせたりして無理矢理心を弱らせようとしてるんだ。
そうなると問題は、この上位世界の人間でも自分の欲望に素直なら悪意は容易に根付ける事かもしれない。
「兄様が言っていた悪意の強化法とは、この世界で自分の欲望へ素直な相手へ根付いた事ではないでしょうか?」
「エル、それには」
「分かっています。まず悪意がどうやって入り込むか、ですよね。そこについては兄様と同じ可能性が高いと思います」
「……キス、という行為か」
「だと思います。悪意がクリスさんを操って、兄様の前に同じような事をやっていた可能性は十分に考えられます」
もしそうだとすれば、狙われたのはあのお店の人間だ。
そしてクリスさんなら容易に粘膜接触出来る相手となると、男性、しかも年齢が兄様と同じかそれ以下のはず。
おそらくだが、立場や家庭などがある人は簡単にクリスさんとキスなんか出来ないはずだ。
だから必然的に……っ!?
「ど、どうしたエル? 急に目を見開いたりして」
「分かったんです! 兄様以外にこの世界の人間で悪意に入り込まれてる相手が!」
「何だって!?」
「ヴェイグさんっ! すみませんが」
「ああっ、掃除は後だ。すぐにヒトシ達と話そう」
ヴェイグさんが僕の中へ消えると同時に急いでお風呂場の戸を開けた。
そのまま脱衣所を抜けてキッチンへ向かうと、そこには洗い物をしている響さん達がいた。
「あれ? エルちゃん、どうしたの?」
「あのっ、凄い事が分かったんです! 兄様以外に悪意が入り込んでいる人物が!」
「なんデスとぉ!?」
「落ち着け暁。エル、それは本当か?」
「はい、かなり確実に近いと思います」
「分かった。立花、暁、洗い物は一旦中断だ」
「「はい(デス)」」
こうして翼さん達と一緒にリビングへ戻って、僕は兄様達へさっきの仮説を話した。
そして当然その人物は誰だとなる。ただ、もうそこまでくれば候補に挙がるのは多くはない。
「茂部君、か……」
「はい。兄様達の買い物後に現れて悪夢の変化を引き起こしましたし、僕はその人が悪意に利用されてると思います」
きっとこれは間違いない。その僕の予想は間違ってなかったとこの後兄様から確信する事となる……。
仁志はエルフナインの推測を聞いて大きく息を吐いた。
(エルの意見は俺のそれに近い。じゃあ、やっぱりそういう事なんだろう……)
茂部が悪意に操られている、もしくは思考を誘導されている。
それが仁志の中で確定し、その流れさえも確定した瞬間であった。
「聞いて欲しい事がある」
そう切り出して仁志は例の茂部がクリスと付き合ってると言っている事を打ち明けた。
それは響達に少なからず動揺を与え、且つエルフナインとヴェイグ以外には怒りを抱かせるに十分な話だった。
何故ならそれは、好きでもないどころか嫌っている相手へキスをさせたという事に他ならないのだから。
「もしかして仁志さん、夕食後に私へ散歩について来て欲しいと頼んできたのは……」
「ああ、十時ちょい前に店へ行くつもりだった。茂部君は今日勤務だから」
「クリスちゃんとの事を問い詰めに、ですか?」
「いや、もう俺も茂部君が悪意に操られてると踏んでたから依り代を押し付けてみようと思ってた」
「それで翼なのね。いざと言う時に対応出来る相手として選んだ?」
「それもあるけど、このメンバーの中なら一番翼が荒事に向いてると思ったんだ。いざとなれば影縫いも使えるし」
そんな仁志の意見を聞いてマリアが疑問符を浮かべた。
「ちょっと待って。仁志、影縫いって光源がないと使えないし、そもそも往来で使っていいものじゃないわ。あと、周囲に見られたら不味いんだからセレナかヴェイグを連れていくべきでしょ?」
「……そう、だな」
どうしてそんな当たり前の事を忘れていたのかと、そんな顔をした仁志に翼が息を呑んだ。
「まさか、仁志さんの思考を悪意が誘導していた?」
「有り得るわね。仁志から私達の情報を得るのがいまひとつ上手くいかないから、もう一つの分身を使って一気に……って考えかしら」
「お兄ちゃん、それならヴェイグさんも連れていった方がいいよ」
「そうデスよししょー。ヴェイグにミレニアムパズルを展開してもらうべきデス」
「今の師匠、悪意に知らない内に操られてるかも。ねぇ師匠、他に何か聞いた事や見た事で気付いた事はない? 喋ってない事、ない?」
「それは……」
仁志の中に浮かんできたのは響と出会って間もない頃に心に決めた事。
それは、この世界に元々あった所謂男性向け同人誌などの事だった。
彼女達を題材に使った“エロ系”の物があった事と、自分もそういう物を読んだり見たりしていた事だ。
(どうする……? 俺の記憶を悪意が読んでいるのなら、この事もきっと知ってるだろう。それを明かされたら絶対みんな少なからず意識を乱す。もし悪意との戦いでそうなったら……)
どうせ知られて幻滅されるのなら早い方がいい。
今の仁志は自分の評価よりも響達の方が大事だった。
あの頃もそうでなかった訳ではないが、あの頃よりも一層その想いは強くなっていたのだ。
それでも話すには勇気がいる。
だからか仁志はゆっくりと深呼吸をした。
顔を響達から隠すように下げて、一度だけ目を閉じてから意を決したように瞼を開いて顔を上げた。
「実は……」
語られた失われた事実に、響達は少なからず顔を赤くした。
マリアや翼はそういう事もあるだろうと予想していたのかまだ何とか受け止められていたが、セレナは完全に絶句していた。
切歌と調も顔を真っ赤にしたまま黙り込んでいたし、響と未来に関しては赤い顔ではなく嫌悪感を覚えている表情をしていた。
そしてエルフナインでさえ頬を赤らめていた。
「今までそれを黙っていたのはどうしてだ?」
「ヴェイグ、男だって自分を使ってエロい物を書かれていたなんて聞いて嬉しくはならないんだよ。なら年頃の女性がどう思うかは言うまでもない。俺だって悪意の事がなければ墓まで持って行った話だよ」
どこか達観したような声でそう告げると、仁志は響達へ深々と頭を下げた。
その行動の意図を誰もが理解出来ないのか若干の間が空く。
「すまない。きっと気持ち悪いとは思う。何せただでさえ自分を勝手に使われてるのに、その内容がいかがわしいものだ。嫌悪なんて言葉で済まされる内容じゃないと思う」
「え、えっと、でも、それを今聞いてなかったら……」
「ああ、きっと私達は集中力を乱していただろうな」
「それこそ悪意が狙いそうな事よ。ええ、仁志の懸念はきっと正解」
「です、ね。只野さんの心配はきっと当たってます」
マリア達年上四人は仁志の予想した悪意の手段へ理解を示し、何とか飲み込んでみせた。
それに仁志が安堵するように息を吐く。
「……ししょーは、アタシ達のそーゆーの、えっと、持ってたデスか?」
「あったよ。多くはなかったけどね」
「そ、そうデスか……ぁぅ」
「お、お兄ちゃん、私のもあったの?」
「セレナのは…………絵はあったかな。少なくても俺はそれしか知らない」
「絵なんだ……。ど、どういうのなんだろう……?」
「師匠、その、ありがとう。私は師匠の事、軽蔑しないから。だって、あの時師匠は言ったから。自分だって男だって。エッチな事を考えるんだって」
「そ、そうです。むしろ健全な男性らしいと思います」
年少組の反応はやはり具体的に想像出来ないからか、どこか可愛らしいものだった。
かと言って、さすがに仁志も彼女達へ詳しい話をするつもりはなかった。
ただ、今は疲れ切った心のままその場で後ろへと倒れるだけである。
「俺の事は正直どうでもいいよ。みんながこの事を知って、悪意の揺さぶりにやられる事がなくなってくれればそれでいいんだから」
紛れもない本音を告げ、仁志は天井を見上げた。
正直に言えば、この事を言えて胸のつかえが取れたような気がしていたのである。
自分は立派な男ではない。どこにでもいる特別でもなんでもない存在なのだと、そう言えたような気もして仁志は微かに笑った。
(俺の事をみんなに教えて幻滅されても構わない、か。そう思えるのも、一種の強さかね?)
そう思って仁志はふとある事を思い出して表情を凛々しくした。
(そうだ……そうだよ。あの時俺はみんなに気付かせてもらったじゃないか。俺が俺を見限るのはみんなに愛想を尽かされた後だって。なら、幻滅されたっていいじゃないか。飾ったところで仕方ない。俺の本当を見せないでどう信頼してもらうんだ? どれだけ頑張ったって、俺は風鳴弦十郎にも緒川慎次にもなれないんだから)
開き直りにも近い気持ちを思い出したおかげか、仁志は状態を起こすと翼とセレナとマリアの三人を見つめた。
「力を貸して欲しい。俺一人じゃ悪意に出し抜かれるかもしれないんだ」
「良かった。やっとお兄ちゃんらしくなった」
「そうだな。マリア、私は念のため店内へ仁志さんよりも先に入っておく」
「了解。じゃあ私とセレナは仁志より店へ行くのを少し遅らせるわ」
その会話を聞き仁志は視線をヴェイグへと向ける。
「ヴェイグも来てくれ。セレナの中で茂部君から嫌な匂いが感じられるかどうかを確かめて欲しい」
「分かった」
しっかり頷くヴェイグに感謝するように仁志は頷き返すと、最後に響達へ顔を向けた。
「残りのみんなは一応待機しておいてくれ。ないと思うけど、万一呼び出した場合は頼むな」
「「「「「はい(デス)」」」」」
「さて、先程の続きをやるか。立花、暁、行こう」
「はい!」
「了解デス!」
「ヴェイグさん、僕らも戻りましょう」
「ああ」
キッチンや風呂場へと向かう背中を見送り、仁志はふとある事を思い出してマリア達へと視線を移した。
「少しいいか?」
「何よ?」
「あの時、クリスのギアにマイクユニットってあったか?」
その問いかけにマリア達四人は虚を突かれたような顔をしてから一斉に考え込んだ。
記憶を辿って思い出そうとしているのである。
ただ、どうしても覚えているのは全体的なものばかりであり、あるいは覚えていたとしても女性として絶対人前では着れないインナーなどへ目がいっていたのだ。
結局四人が出した答えはよく覚えていないと言うもの。
ならばと仁志は戻ってきた翼達へも同様の質問を行った。
だがしかし、やはり翼や響、切歌にエルフナインさえも明確に覚えている者はおらず、直接相対するまで確認は出来ないかと思われたその時だった。
「みんなのギアの首元にある飾りのような物なら、あのクリスにもあったぞ」
「っ!? ほ、ホントかヴェイグ」
ヴェイグがあっさりと断言したのである。
確認する仁志へ彼は頷きながら、再度たしかにクリスのギアにマイクユニットはあったと言い切った。
それは、ヴェイグがあの中で一番まっさらな状態の意識でクリスを見ていたからだ。
際どいインナーやギアへ意識を奪われる事無く、ヴェイグだけが全身を見つめていた。
それはまさしく種族も性別も異なるからこその視点と思考だったと言える。
「だがそれが何かあるのか?」
「以前切歌と調が悪意に飲まれた時、二人はマイクユニットが存在していた。俺はそれを利用して二人の歌を流したんだ」
「うん、そうだった。切ちゃんと唄った歌を師匠が流してくれて、私はそれに合わせて唄った」
「はっきりと覚えてるデス。その歌を聞いて、アタシは調の言葉がどんどん心へ届くようになったんデスよ」
思い出しているのか若干微笑む調と切歌。
そんな二人に響達が微かに笑みを見せる。
「でもお兄ちゃん。それとクリスさんが関係するの?」
「正直半信半疑ではあるけどね。今からゲームを起動してクリスの歌を流す」
「「「「「「「「え?」」」」」」」」
マリアと翼を除いた全員が疑問符を浮かべるも、年長二人は仁志のやろうとしている事の意図を察して笑みを浮かべていた。
「成程ね……クリス自身の歌を流す事で悪意へ少しでも対抗しようって事か」
「ああ、おそらくそういう事だろう。仁志さん、そうだよね?」
「正直効果があるとは思えないが、少しでもやれるだけの事はやっておこうと思うんだ。と言う訳で……」
早速とばかりに仁志はゲームを起動させるとミュージックボックスを選択した。
ソート機能を使いクリスの楽曲だけを表示させ、その中から仁志が選んだのは“放課後モノクローム”だった。
静かな室内にクリスの楽しげな歌声が流れる。
それが秋桜祭で彼女が唄ったものだと気付いた響達は、過ぎし日の事を思い出して神妙な顔をし、マリアやセレナなどその事を知らない者達は、奪われてしまったその優しげな歌声に神妙な顔をした。
「……悪意の巫女とクリスは言ったけど、俺はそんなものはないと考えてる」
優しい歌声が響く中で仁志はそう告げて響達を見つめる。
「フィーネの巫女や世界蛇の巫女なんて言葉はあったけど、あれだって別に元々あった言葉じゃなく自称に近いものだ。それに、俺は悪意がゲート前でクリスを装ったという話を忘れてない。つまり、今のクリスは悪意と完全同調した状態って事じゃないだろうか? 要は切歌や調、セレナがされた事の完成系だと思うんだよ」
「悪意と完全に同調した結果、か……」
「そう思う方がいいかもしれないな。ただ、雪音の何を刺激して悪意はそこまで入り込めたのだろうか……」
「多分、クリスちゃんの場合は寂しさだと思います」
そう告げた響へ全員の視線が集まる。
彼女は悲しげな表情で依り代を見つめていた。
「クリスちゃん、留学する事になってるじゃないですか。なのに、ここで仁志さんと出会って、私達と前よりも仲良くなりました。なのに、悪意を倒したらもう仁志さんに会えないかもしれない。そうじゃなくても留学する以上、当分私達とも会えない。そんなクリスちゃんの寂しい気持ちを利用した気がします」
「響……」
誰よりもクリスと共に過ごした響だからこその言葉だった。
互いに寂しがり屋であり、最初に支え合った響とクリス。
だからこそ揃って悪意に飲み込まれそうになった事もある。
「孤独感、ってとこか。有り得るな。俺へ見せてきた悪夢もそういう方向だったし、人は孤独に弱いものだから……」
「特にクリス先輩、寂しいの嫌いです」
「デスね。夏休みにアタシ達の部屋へよく来てたの、そーゆー事デスし」
「そうかっ! だからクリスさんは兄様を狙ったんです。自分と同じにしようと思ったんでしょう」
「誰よりもヒトシに傍に居て欲しいんだな。奏も言っていたが、クリスも特別になりたかったのか……」
ヴェイグのその言葉に全員が押し黙った。
繰り返し流れ続ける放課後モノクロームがその場の空気を少しだけ和らげる。
まるでクリスが照れ隠しをするように唄っているようにも聞こえ、仁志は息を吐くと上を見上げた。
「誰だって、好きな相手が出来ればその人の特別になりたいって思うものさ。俺だって学生の頃はそう思って動いた事があるよ」
「がくせい?」
「中学と高校の頃だな。中学の頃は告白して呆気なく振られ、高校の時は好きになった相手に告白出来ないまま終わった」
「どうしてだ?」
その問いかけに仁志は思い出すように微かに笑う。
「相手に彼氏がいたのさ。幸せそうに笑ってたんだよ。俺じゃ、彼女をそんな笑顔には出来ないって思った。で、俺の好きな歌の歌詞をそこで思い出して自分へ言い聞かせた。男と女が心に描いてる幸せの形は同じじゃないって」
「っ」
仁志の言葉にマリアだけが微かに反応した。
以前陽子に聞いた話を思い出したのである。
(あの言葉はそういう中で抱いたものだったのね。しかも、歌の歌詞なんて……仁志らしいわ)
一人密かに苦笑するマリアだが、どこかでこうも思っていた。
(それにしても、高校生の時に思った事を陽子さんのお店で働くようになっても言っていたって事は、もう仁志の中ではそういう信念に変わっていたのね)
始まりは一種の自己暗示。それがもうそれで自分はいいという考えへと変わった事。
そこに仁志らしさを感じ取り、マリアは好ましさを覚えていた。
そこから話は仁志の恋愛話へと変わっていった。
意図的に仁志が話し出したのもあるが、やはり響達も女性故にそういう話が嫌いではなかったのだ。
モテモテだったと仁志自身が確信出来る保育園から始まり、六年間同じ女子に恋していた小学校の話には全員が彼の一途さにらしさを見て微笑み、中学で卒業式の日に告白してあっさり振られて涙は出なかったがしばらく無気力になった事には思わず励ましたりと、気付けばその場の雰囲気は普段のものへと戻っていた。
それに伴い話題も別のものへと変わっていく。
仁志はこれまでしてこなかった幼少期の話をしたのだ。
父や母との思い出。それが普通の家庭環境になかった事がほとんどの装者達にどう刺さるかを知っていた仁志が避けてきた話題を。
案の定切歌や調、セレナといった年少組は笑顔ではなく寂しそうな顔をしていく。
だが……
「もし、俺の話を聞いて羨ましいと思ってくれるのなら、近い事を俺がみんなにするよ。セレナ、切歌、調、甘えたいのなら甘えてくれ。ワガママを言いたいのなら言ってくれていい。全部応えられるとは思わないし思えないけど、俺だってそうだったんだ。父さんや母さんだって全部受け止めて叶えてくれた訳じゃない。それでも、出来る限りの愛情を注いでくれたと思う。それを、俺でよければさせてくれ」
「「「ししょー(師匠)(お兄ちゃん)……」」」
「翼やマリアもいいよ。勿論響や未来だって、エルとヴェイグもそれでいい。俺がみんなに支えられているように、俺も可能な範囲でみんなの支えになりたいんだ」
「兄様……」
「ヒトシらしいな」
そう、それは悪意に入り込まれる前の仁志らしさだった。
皮肉にも悪意の巫女とクリスが名乗り、凄まじい力を見せた事で仁志の心は強くあらねばと思うようになったためである。
悪意と直接戦う事が出来ぬからこそ、自分は心だけでも負けてなるものかと思ったからの結果であった。
空元気でも元気とばかりに仁志は明るく振舞った。
これまで沈んでいた分を取り戻すかのように。
響達もそれが分かっていた。だからこそ今は暗い事を考えるのを止めた。
そしてこれだけを考え始めたのだ。何があっても奏とクリスを元に戻すのだと。
(みんなの優しい匂いが強くなった。ヒトシはやっぱりみんなに大きな影響を与えるんだな)
そうしてエルフナインが響と共に風呂へと向かうのを合図に、仁志は依り代のバッテリーを確認した。
「……よし」
しっかりと充電されている事を確認すると、仁志はマリアと翼へ顔を向けた。
「今回の事は正直不安が強い。悪意は事前に手を打てるかもしれないからだ。しかも、依り代で追い出せなかった場合、打つ手がない」
「ヒトシ、そこはエルの言ってた事を応用したらどうだ?」
そのヴェイグの言葉に翼とマリアが疑問符を浮かべる中、仁志だけが息を呑んだ。
「そうかっ! その手がある! 未来っ!」
「は、はい?」
「君も来てくれ! 茂部君には、神獣鏡での凶祓いが通用するんだ!」
「わ、分かりました」
エルフナインの立てた推測である“概念を変える事で上位世界の人間も平行世界の人間と同じに出来る”という事を思い出した仁志は、かつて響達三人へ告げたベアトリーチェに関する言葉を思い出していたのだ。
(みんなは俺が断定で言った事を事実だと信じてくれる。それがこの場合、哲学兵装と似た効果を発揮してくれるはずだ!)
そう強く思い込んで仁志はその場にいる全員へ再度言葉をかけた。
「彼には依り代がない。つまり本当にどこにでもいる一般人だ。なら、悪意が宿っていてもギアペンダントのない君達と同じだ」
「ナルホド。ししょーに神獣鏡の光が効かないのは、依り代があるからデスか」
「有り得るかも。だって、今までもみんなから悪意を引き剥がしたのは依り代だから」
「じゃあ、お兄ちゃんも依り代を手放したら効果がある?」
「いや、俺は多分依り代に選ばれてるみたいだから効果がないんだと思う」
「「「そっか」」」
揃って納得する年少組に仁志だけでなく翼達も小さく笑みを浮かべた。
その頃風呂場では響がエルフナインに背中を洗ってもらっていた。
「どうですか?」
「うん、丁度いいよ。ありがとエルちゃん」
「いえ、僕も嬉しいんです。こっちに来てから一人でいる事がなくなりましたし」
「そうなんだ」
「はい。前の家では必ずヴェイグさんや姉さんにお姉ちゃん達がいましたし、兄様の実家では響さんやヴェイグさん、今の家だと皆さんがいてくれますから」
弾けるような笑顔でそう告げるエルフナインを見て、響も嬉しそうに笑顔を返した。
「そっか。じゃあ、向こうに戻ったらどうするの?」
「戻ったら……そうですね……」
手を止めてエルフナインは考え込み始め、そこで気付いたのだ。
(そうだ。僕、元の世界へ戻った時の事、何も考えてなかった)
本来は研究室兼自室で一人きりで生活するエルフナイン。
本部内であるため厳密には孤独ではないかもしれないが、上位世界での暮らしに慣れてしまった今のエルフナインではそれを思い出すと寂しさに襲われたのだ。
「……エルちゃん?」
「あ、あの、どうすればどなたかと暮らせますか?」
押し寄せた思いがけない寂しさにエルフナインの表情が悲しみに歪む。
それを見て響は微笑みを浮かべて彼女を優しく抱き締めた。
「そっか。やっぱり寂しいよね」
「……はい。想像したら、急に辛くなりました」
「じゃあ……私が卒業したら一緒に暮らそうか?」
「え? いいんですか?」
響の申し出にエルフナインが目を丸くする。てっきり未来と暮らし続けると思っていたからだ。
だが、卒業して二十歳までは別々に暮らしてみようと話し合った響からすれば何の問題もないものだった。
更に、学院生活を未来と共に過ごしていた響からすれば、エルフナインの気持ちはある意味で痛い程分かるものだったのだ。
「うん、いいよ。ただ、一応二年間って事でいいかな?」
「二年間?」
「そう。卒業して二十歳までは別々に暮らそうって未来と約束してるんだ。で、二十歳になったらもう一度二人で暮らすか話し合おうって」
「そういう事ですか。分かりました。なら、その二年の間に僕は何とか兄様達と暮らせるようにしてみせます」
「おおっ! エルちゃんならきっと出来るよ!」
「はい! 絶対実現してみせます!」
笑い合いながらエルフナインは響の背中を再び洗い始め、少ししてその役割を交換する。
それをセレナや切歌が見れば少し嫉妬するだろう程の仲良し姉妹の様相を呈しながら、二人は笑みを見せ合う。
それは湯に浸かってからも変わる事無く、二人で暮らす事になった場合のあれこれを話し合って盛り上がっていく。
結局その話し合いは二人が風呂を出ても続き、仁志達が動き出した後も終わらないままだった。
切歌と調が入浴している間、響はエルフナインとの生活を想像して笑みを浮かべて続けた。
――じゃあ、エルちゃんはお掃除とお洗濯をお願いするね。
――はい。響さんは買い物とお料理ですか?
――あー、でも本部内だと食堂使えるよね。
――じゃあ、たまに何か二人で作りましょう。
――なら甘い物にしようよ。ホットケーキとか簡単だし。
二人きりとなったリビングに響とエルフナインの楽しげな声が響く。
必ず明るい未来はやってくる。自分達で掴んでみせる。
そんな雰囲気を漂わせるように二人は笑顔を浮かべ続けたのだった。
夜のコンビニ店内へ来るのは久しぶりだった。
とはいえ、最後に来たのはセレナとヴェイグを連れて来た時なので当然なのだが。
客数はまばらで、チラとレジへ目をやればやる気があまり感じられない男性と笑顔で対応する女性の二人だけで、おそらくオーナーと呼ばれる男性はカウンターの奥にいるのだろう。
「……あの男性が茂部、か」
飲み物を選んでいるような振りをしつつ観察する。
見ている感じは特におかしなところはない。無気力に見える以外は至って一般人の範疇だ。
時刻は午後10時近く。そろそろシフト交代の時間だ。
見ていると見知らぬ男性が現れ、茂部という男性が何か話し始めた。
見た目や雰囲気からしてオーナーとはあの人だろう。
そして女性の方にも見知らぬ男性が近付き、そちらは何やら打ち合わせ、だろうか。
いやノートを手にしているので、あれは申し送りというものだろう。
奏からも小日向からも聞いた事がある。
やがて茂部と女性はカウンター奥へと消えていく。
そこで私の持っているスマホが震えた。
「……いよいよ、か」
発信者は仁志さん。つまりマリア達も店の外に到着したと言う事だ。
「出て来たな」
そのまま少し待っていると、先に先程の女性が店内に現れて店の外へ出て行き、あの男性がその後に店内へ現れて店の外へと出て行く。
それを見届け、私も店の外へと出た。
駐車場へと向かうと、その奥の辺りに男性と仁志さんの姿があった。
気配を殺して耳をそばだてると二人の声が聞こえてきた。
「それで何ですか? 俺に話って」
「ああ、手短に聞く。雪音さんと付き合ってるそうだけど」
「なんだ、その事ですか。やっぱ店長も狙ってたんですか? クリスの事」
馴れ馴れしい口調で雪音を呼び捨てる男性に仁志さんが軽く拳を握ったのが見えた。
何しろ相手の表情は勝ち誇っているかのようなものだったからだ。
「狙ってた訳じゃない。彼女は君の事を嫌っていたようだからおかしいと」
「そうなんですよねぇ。俺もそう思ってたんです。でも、ある時急にバイト終わりに話があるって言われて」
そこで男性は自分のいる場所を軽く足踏みした。
「丁度この辺りでいきなりキスされたんですよ。で、付き合って欲しいって言われて」
「っ!?」
分かってはいたが、やはり悪意は雪音を利用し彼の中へ入り込んでいたのか。
「いや、マジ女って分からないもんですね。その日からちょくちょくエロい事させてくれるようになりましたよ。ただバイト終わりじゃないとダメだって言われて、しかも泊まりや長時間は無理って事で精々キスや胸を揉むのが精一杯でしたけど」
……今日という今日は悪意への怒りを禁じえない。
雪音の意識を奪い、よりにもよって嫌悪しているような相手にその身を委ねさせるとはっ!
ここからでは分からないが、おそらくマリア達も同じ気持ちでいる事だろう。
何しろこれだけのやり取りでも、あの茂部という男性は雪音が心惹かれるような男性ではないと分かるのだ。
「俺はてっきりあいつも店長が好きなんだと思ってましたけど」
「あいつも?」
「気付いてなかったとは言わせませんよ? 響ちゃん、完全に店長へ女の顔してたじゃないですか」
「彼女は基本人懐っこいだけで」
「の癖に、俺は苦手だって言ってほんの数回組んだらもう会う事もなくなりましたけどね」
「それは君が」
「まぁもういいんですよそんな事は。で、話ってあいつの事ですか? ならこう言わせてもらいます。もうクリスは俺の女なんで、下手に関わらないでください」
そう告げて仁志さんへ背を向けた男性だったが、そこで何故か振り返った。
「最高だったぜ。あいつの胸」
最低な捨て台詞に私は思わず飛び出しそうになった。
だが、仁志さんは大きく息を吐いてその手に依り代を取り出していた。
「やっぱりか。これで安心出来る」
「は?」
その次の瞬間仁志さんが依り代を持って男性へ押し付けた。
「「があああああっ!」」
そして仁志さんと男性が同時に叫んだ瞬間には周囲の景色が変わっていた。
見ればマリア達と目が合った。
「翼っ!」
「分かっている!」
手にアームドギアを出現させる。
今の私達は全員水着ギアを着込んでいる。手にした刃を男性の影へと突き刺して、私は視線を仁志さんへと向けた。
「仁志さん、動きを封じたから一旦離れて!」
「わ、分かったっ!」
転がるように男性から仁志さんが離れた瞬間、眩い閃光が走った。
「悪意を祓ってっ!」
小日向の放った光が男性を貫く。
光が通り抜けた後、私はそこの光景に安堵した。
「……効果があった、か」
「みたいね」
そこには茂部という男性が気を失って倒れていたのだ。
「いや、確認はしておくよ。マリア、君の短剣を翼へ貸してやってくれ」
「再度影縫いをさせるの?」
「こういう時に油断しちゃダメだ。死んだふりの可能性だってある」
「姉さん、ヴェイグさんも悪意のしぶとさを忘れるなって」
「そうね。翼っ!」
「ああっ! はっ!」
こちらへ向かって投げられた刃を受け取り、私は倒れている男性の影へマリアのアームドギアを突き立てる。
「ヴェイグ、ブロックで両手両足を動かせないようにしてくれ」
「て、徹底してる……」
「ああ。だが、仁志さんの慎重さは間違っていない」
小日向の言葉に私は頷いてそう告げる。
これまでの事を考えれば悪意はしぶとさが異常だ。
ブロックによって両手両足を拘束されたような男性へ仁志さんは依り代を再度押し付けた。
だが、もう何も起きなかった。これで男性の悪意は祓えたと思っていいのか分からないが、今はそう思うしかないだろう。
「とりあえずこれで作戦終了、ってところかしら」
「そうだな」
「お、お兄ちゃん? 何してるの?」
セレナの言葉で顔を動かすと、仁志さんが男性のボディチェックをしていた。
「スマホを探してるんだ。クリスとの写真とかあるかもしれない」
「そっか。それがあったら面倒ですもんね」
「きっと悪意が入り込んでからの記憶はあやふやになってるはずなんだ。だから確信出来るようなものがあると……あった」
仁志さんの手には見た事のないスマホがある。
「ロックとか……ないのか。助かったけど、落としたら大変だぞ茂部君」
言いながら操作を始める仁志さん。
そして目的の物を見つけたのだろう。表情は歪むのが見えた。
「……やっぱりあったか。これも下手をしたらこちらを動揺させる手段にするつもりだったのかもしれない。っと、一応動画も確認しておこう」
「そうね。徹底的にやるべきよ」
「そ~ゆ~事っと……」
そこからしばらく仁志さんは男性のスマホをチェックし、全てが終わった後でそれを服の裾で拭ってから元あったズボンのポケットへと戻した。
「よし、もういいよ」
周囲の光景が元に戻ったのと同時に仁志さんが私達へ顔を向けた。
「翼達は一旦離れてくれ。何もないと思うけど、もしもの時はまた頼む」
それに頷きを返して私達は一旦距離を取ると、仁志さんが男性の頬を叩いた。
「ん……?」
「ああ、良かった。茂部君、こんなところで寝ると風邪引くぞ」
「……店長?」
「年末のシフトの事を相談しようと思ったら、急に倒れたからビックリしたよ。連日のバイトで疲れたのか? 言ってくれればシフト組む時に配慮するけど」
「いや、そういうのじゃないっすけど……っかしいなぁ」
納得出来ないように首を傾げて立ち上がる男性を仁志さんは安堵するように見つめていた。
「そういえば茂部君、最近雪音さんと会った?」
「は? いやいや俺がどうして会えると思います? 連絡先も知らないのに」
「そうなんだ。それはすまない。いや、実はこの前、名駅で雪音さんに似た後ろ姿を見てね。隣にいたのが茂部君に似てたもんだから」
「マジですか? うわぁ、じゃあきっとそいつはあのおっぱいに目がいかない奴ですよ」
……どうやら悪意が宿っていなくてもいても大きく変わらないらしい。
ただ、今の方が若干ではあるが愛嬌のようなものは感じられるかもしれない。
「茂部君、今のような事、あまり言わない方がいいぞ」
「分かってますって。こんな事店長相手にしか言いませんよ」
「出来れば俺相手にも止めて欲しいんだけどね。とにかく仕事終わりに引き留めて悪かった。お疲れ様」
「いえ、こっちこそ心配させてすいません。お疲れさまっす」
そのまま駐車場を去っていく背中を見送り、仁志さんは大きく息を吐いた。
私もやっと安堵出来た。どうやら本当に悪意を祓う事は出来たようだ。
「どうやら悪意に完全支配されてたみたいだ。多分だけどクリスと接触してた時は悪意の制御下に置かれてたんだろう。だから記憶がそこだけ抜けてるんだ」
「誤魔化してるって可能性は?」
「ないとは言い切れないけど、多分大丈夫だ。もし悪意が残ってるなら俺の作り話にあそこまで下世話な返しは出来ないよ。あれは間違いなく茂部君だ」
何とも言えない判断基準に私達は苦笑するしかない。
と、そこで夜風が吹いて私達の体を強く冷やした。
「寒い……」
「そうだな。今はとりあえず帰ろう。ただ、俺はちょっとオーナーと話をしてくるからそっちだけで先に向かってくれ」
「分かりました」
こうして私達は仁志さんと別れて帰る事になった。
夜道をマリアとセレナが歩き、私は小日向とその後ろを歩いていた。
「寒くなってきましたね」
「そうだな。何せ暦の上ではもうじき冬だ」
けれど、元の世界ではまだ春を迎えようとしている頃だと思い出し、何とも言えない気持ちになる。
正しく時が動き出した時、私達はどう思うのだろうか?
いっそこちらで冬を越して春になる辺りで戻りたいと、そう思うのはいけない事、なのだろうな。
「それにしても良かったです。神獣鏡の光が茂部さんには効果があって。只野さんには効果がなかったから」
「ああ。やはり依り代に選ばれた仁志さんは特別な立場なのかもしれない」
この事態になってから時々思う事ではあるが、もしも立花が出会った相手が仁志さんでなかったらどうなっていたのだろうか。
依り代は与えられたのか。そもそもゲートはどこになったのか。色々と思う事は多い。
だが、同時にこうも思うのだ。仁志さんだから選ばれたのではないのかと。
しかしそれを裏付けるものは何もない。
何せ仁志さんと同様にPCとスマホで我々のゲームをやっていた人間は他にもいたはずだからだ。
偶然なのか必然なのかは今もって不明だが、少なくても仁志さんで良かったと思う事は多い。
もしも金銭面で余裕がある人間であれば、私達は精々家事をやるぐらいしか働く事が出来ず精神面で負い目を感じる事となっただろうし、居住面で余裕がある人間であれば、私達はあのいくつかの住まいで支え合う事はなかっただろう。
今の私達があるのはどちらにも恵まれておらず、けれどそれを何とかしようと懸命になってくれた仁志さんだからこそだ。
「小日向、雪音と奏を取り戻すとして、悪意はその後どうすると思う?」
「え?」
「仁志さんは自身の中の悪意がバックアップになるだろうと予想していたが、私はそれだけとは思えない。いや、下手をすればそれとは異なる方法を使ってくる事も考えられると思うんだが、どうだ?」
私がそう話を振ると小日向は真剣な表情で考え込んだ。
もし仁志さんの言う通りだとしても、だ。あの悪意がその事を知ってそのままでいるだろうか?
かつて仁志さんは悪意をこう評した。ベアトリーチェの時は面白さを求めていたのが、悪意になってからは復讐を果たす事しか考えていないと。
つまり、悪意は復讐を最高の状況で果たそうとしているはずだ。
私達世界蛇を倒した者達へ、苦しみや悲しみを味わわせるために。
「翼さん」
そう考えていると隣の小日向から声をかけられた。
顔を向ければそこには凛々しい表情の小日向がいた。
「今、悪意は只野さんの考えを読んでます。なら、きっと只野さんの予想のままではいない気がします」
「そう思うか?」
「はい。だから奏さんとクリスを元に戻す前に、只野さんをどうにかするべきじゃないですか?」
「……悪意の除去、だな?」
私の言葉に小日向が静かに頷いた。
愛の力を仁志さんに注いで体内の悪意を倒す。それがきっと唯一の悪意を完全に倒す方法だ。
仁志さんは自分から私達へ悪意が入り込むのを恐れていたが、最悪のシナリオを考えれば一か八か賭けに出るしかない。
「不意打ちでやろう。雪音を操った悪意がやったように、事前準備をさせない事が大事かもしれない」
「そうですね。なら、畳みかけるのはどうですか?」
「……悪意がやったように、か。いいだろう。向こうのやった事でその企みを潰すのは意趣返しとしても最高だ」
「じゃあ、帰って響達と相談ですね」
仁志さんから悪意を排除したい。その想いは全員共通だ。
その想いと仁志さんへの感謝を込めて口付けに乗せよう。
奇襲は相手の意表を突ければ突ける程いい。
ならば、早く帰宅するとしよう。
「マリア、セレナ、すまないが走って帰ろう。相談したい事が出来た。仁志さんには内緒で、だ」
「相談?」
「走るんですか?」
「そうだよ。悪意に聞かれないようにね」
「そういう事。分かったわ。セレナ、急ぐわよ」
「うんっ!」
ギアを展開している今の私達なら普段以上の速さで走れる。
怪しまれない程度に急ぐとしよう。
あー、意外と話し込んでしまった。ほんの10分程度で帰るつもりが気付けば20分以上話してたとかなぁ。
こうなるとおでんを買ったのも不味かったかもしれない。
売り上げに貢献してよってオーナーに冗談半分で言われたし、エル達も興味があるだろうと思ったし、気付けば廃棄になりそうな物からついついあれこれと……。
きっとこの時間に食べさせるのはマリアが難色を示すだろうなぁ。
その場合は……何とか折れてもらおう。
毎日そういう事をさせる訳じゃないならって感じで。
「ただいまぁ」
少々心苦しさを覚えながらドアを開けて鍵を閉める。
靴を脱いでリビングへ入れば予想に反して全員勢揃い。
「「「「「「「「「おかえり(なさい)(デス)」」」」」」」」」
「うん、ただいま。これ、お土産のおでん」
そう言って手にした袋を軽く持ち上げた瞬間、一部が満面の笑顔。
言うまでもなく響と切歌にエルである。
「仁志? この時間に食べるのは」
「分かってるって。でもさ、エルやセレナにヴェイグはおでんを知らないんだ。俺も店の売り上げになるしと思ってね。今日だけだからさ。いいだろ?」
「はぁ……仕方ないわね」
母親モードのマリアを何とかやり過ごし、俺は持っていた袋を響へ渡す。
「これ、テーブルに置いてくれる?」
「は~い」
嬉しそうに袋を運ぶ響を見送り、俺は疑問に思っていた事を尋ねる事に。
「で、どうしてマリア達の誰も風呂入ってないんだ? 見た感じ切歌と調は入ったんだろ?」
「ちょっと全員で相談する事があってね」
「相談?」
「うん、でもそれも終わったからセレナとマリアが次に入浴する事になってる」
「そっか」
じゃあ俺はそれまでおでんを食べるエル達でも眺めさせてもらおうと、そう思って座った瞬間だった。
「仁志、こっち向いて」
「へ? んっ!?」
声がした方へ振り向くやいきなりマリアにキスされた。
心なしか胸の奥があったかくなるようなキスを。
「ま、マリア?」
「ふふっ」
悪戯を成功させたように微笑むも、その頬が若干赤いので照れてはいるんだと思う。
と、そこで顔を強制的に逆側へ向けられた。そこにはセレナがいた。
「っ!?」
軽く触れるだけのキスだけど、また胸の奥があったかくなった。
何だろうか、これ。
「セレナ……どうして……」
「え、えっと……したかったから?」
恥ずかしそうに顔を赤めながらそう言ってセレナはそそくさとその場から離れる。
「只野さん」
「え? んっ」
未来の声が聞こえたと思って振り向けばキスされていた。
ああ、また胸の奥があったかくなる。幸福感って、こういうのかもしれない。
「未来……もしかして」
俺の言葉に応えず、照れ笑いを見せながら未来も視界からいなくなる。
「師匠、まだ終わってない」
代わりに視界の中へ現れたのは調。
勿論彼女も当然とばかりにキスをしてくれた。
あぁ、胸の奥があったかくなって、何だか体の中から力が湧いてくるような気がする。
「えっと、調も教えてはくれないんだよ、な?」
「デスよ。ししょー、今は大人しくアタシ達の気持ちを受け取ってくださいデス」
「んっ!?」
抱き着くようにキスしてきたのは切歌。
な、何だ? 胸の奥があったかくじゃなく熱くなったぞ?
本当に太陽のような子だな、切歌は。
「き、切歌? ちょっとびっくりしたぞ?」
「えへへ、アタシのししょーへの気持ちが暴走したデス」
そんな事を言いながら切歌も照れくさそうな笑みを残して離れていく。
「仁志さん、まだだよ」
「へ? っ!?」
後ろから声が聞こえたかと思ったら、視界に現れたのは翼。
で、そのままキスされると、あったかい気持ちになってきた。
ずっと体中を覆ってた倦怠感が薄れてきた感じさえある。
ゆっくりと離れて行く翼の顔を見つめていると、彼女は柔らかく笑みを浮かべてくれた。
「仁志さん」
そして、こうなると残るは当然彼女しかない。
顔を向けた先ではお日様のような少女がはにかんでいた。
「響……」
「えっと……体の方はどうですか?」
「え? あ、ああ……それが不思議なんだけど気怠さや疲労感が抜けてっ!?」
完全に、不意を突かれた。
来るのかもって思っていたけど、喋ってる途中はないだろうと油断してた。
しかも舌を入れてきたから余計驚いた。
だけど、それが愛しくてそっと響の体を抱き締める。
それと同時に依り代から音が聞こえた。
「……今のって」
「依り代、からだな」
キスを終えてやや赤い顔をしている響とそうやって会話して、俺は依り代を取り出してゲームを起動させる。
するとステータスが更新されたとの表示。
すぐに確認をと思ったが、俺はある事を思い出して手を止めた。
「仁志さん?」
「……ステータスが更新されたみたいだ。多分だけど、響に新しいギアが追加されたんだと思う」
「じゃあ、確認しましょう兄様」
「いや、止めておこう。これは、ある意味切り札だ」
今のみんなからのキスで俺の体は楽になったけど、悪意がいなくなった保障はどこにもない。
せめて奏やクリスへ依り代を押し付けた時に痛みがなくなっていれば、そう考えてもいいかもしれないけどな。
「まだ悪意が俺の中にいるかもしれない以上、確認はしない方がいいと思うんだ。だから響、土壇場になるかもしれないけど」
「構いません。きっと、きっとそれがクリスちゃんと奏さんを助け出す力になってくれるはずです」
そう言い切ってくれた響からは、強い信念のようなものを感じる。
そうだな、きっとそうなってくれるはずだ。
開けてビックリ玉手箱じゃないけど、悪意さえも予想出来ない力が、強さが、今の響には出来たんだから。
「それにしても、本当にビックリしたよ。えっと、悪意対策?」
「ええ。翼の提案にエルの意見を加えた結果、成功率の高い方法だとみんなで思って実行したの」
「兄様へ悪意が入り込んだ時、真っ先に動いたのはクリスさんでした。あれは、兄様の想いが定まっていない、心の無防備な状態を狙ったんだと思います」
「だから、私達もそうしようと思って奇襲をかけたんだ」
成程とばかりに細かに頷く。
実際俺は何の心構えも出来ず、みんなにされるがままになった。
それはあの別れの際に近いと言える。
「でも、ただそれだけじゃいけない。みんなで只野さんへの気持ちを込めないとって」
「俺への気持ち?」
「デス。ししょーへの感謝と悪意なんかに負けないでって気持ちデス」
「正直師匠が悪意のせいで弱っていくのが辛かった。それでも私達と一緒に戦ってくれる師匠に、私達もお返しがしたかった」
「お兄ちゃんを苦しめる悪意に私達の心の光をぶつけてキレイにしてあげる事。それが一番のお返しじゃないかなって」
「それで不意打ちのキス、か……」
俺から悪意が入り込むとすれば、それは悪意もそういう風に準備している時だ。
なら、その準備をさせなければいい。つまり、俺にも知られないように、気付かれないように動く事か。
「それで、最後はちょっとだけ意表を突くために話しかけて、その途中でって」
「うん、よく分かった。敵を欺くにはまず味方からって奴だな」
「そういう事。でも、まだ分からないのは事実だし、後は寝てみてだね」
「そこでヒトシがうなされなかったら大丈夫だな」
「だな」
ヴェイグの言葉にそう返して、俺はマリアとセレナへ視線を向ける。
「とりあえず二人はお風呂へ入ってくるといい。この時期だと湯が冷めてくるから沸かし直してくれよ?」
「うん、分かった」
「じゃあ、お先にお湯、いただくわね」
イヴ姉妹が揃って立ち上がるのと同時に俺はエルへ視線を向けた。
「さてと、ならおでんと対面しようか」
「はい!」
「ヴェイグもな」
「ああ。楽しみだな。さっきから良い匂いがしてるんだ」
ワクワクしながらテーブルへと向かうエルとヴェイグ。
さて、ならあとは……
「切歌、あまり食べ過ぎないように必ず誰かと分け合うんだぞ?」
「デッ!? わ、分け合うデスか?」
「色々買ったけど同じ物を複数は買ってないからな。エルかヴェイグと分け合いなさい」
「りょーかいデ~ス……」
「響もな」
「分かってますよ。それに、この時間にしっかり食べると太るかもしれないんで」
「かもじゃなくて絶対、だからね」
未来の言葉にたははと苦笑する響を見て俺も若干苦笑する。
視線を動かせばおでんの容器の蓋を取って表情を輝かせるエル達がいた。
調は切歌に呆れ顔で、未来はそんな調に苦笑している。
で、翼はその光景に笑みを浮かべていた。
何となくだけど、少しだけあの頃が戻ってきた気がした。
まだここに居て欲しい人達が足りないけど、それもすぐに取り戻してみせる。
奏、クリス、待っててくれ。必ず俺達みんなで助け出してみせるから。
「っと、しまった。今食べるとしばらく風呂入れなくなるぞ」
「でもお風呂入ってないの、この中だと未来と翼さんだけだし……」
「響? つまり私と翼さんに見せつけるように食べるのかな?」
未来がジト目と共に放った言葉に響が無言で首を大きく横へ振った。
翼はそんな二人に苦笑しているものの、別に構わないと言わないところを見るに食べたいらしい。
「じゃあ、みんなが風呂入り終るまでお預け、かな」
「それがいいと思います。だから切ちゃん、エル、ヴェイグ、今は見るだけ」
「「「そんなぁ……」」」
揃って肩を落とす三人に自然と笑いが出た。
久々だと自分でも分かるぐらい、心から笑えた。
そうやって笑ってたら、いつの間にかみんなも笑ってた。
そしたらマリアとセレナが風呂から戻ってきて、笑う俺達に近所迷惑だからそれぐらいにして揃って注意してきたのでみんなで同時に黙った。
だけど、今度はそれがおかしく思えてまた笑った。
そんな俺達を見て、マリアとセレナが呆れた顔をしたのも束の間、同じように笑い出した事で余計笑えた。
ちなみにマリア達は服を脱ぐ前に風呂の温度を確かめ、若干ぬるくなっていたので沸かし直しをしようとしていたら俺達の笑い声が聞こえたために注意をしに戻ってきたらしい。
その後、イヴ姉妹が風呂に入り、翼と未来が入って、俺が入った――ところでおでんは食べ始められていたようで、俺が上がった時には出汁さえも残ってない空の容器と割り箸だけがテーブルの上に残っていたのだった。
……道理で俺が寝間着に着替えてキッチンに出た瞬間、エル達が歯磨きを始めた訳だよちくしょう。
響、ここにきて新しい力を獲得?
それが果たして何なのか分からぬまま、クリスと奏との戦いは迫ります。
それと茂部君は本当に浄化されたのでご安心を。