シンフォギアの消えた世界で   作:現実の夢想者

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ベアトリーチェは面白くなる事を考えて動く傾向がありましたが、悪意はどちらかと言えば結果を重視する傾向です。
何が言いたいかと言えば、遅効性ではなく即効性を求めます。


ORBITAL BEAT

 雪音さんの様子が変だなと感じたのは帰ってきた時にこっちを見た時からだ。

 翼や響と次の動画配信はどうしようと話し合っていた時に雪音さんは帰宅したんだけど……

 

――おかえり雪音さん。

 

 そう俺が言った瞬間、何故かこっちへ顔を向ける事もせず「おう」ってだけ返して来た。それがどうにも気になった。

 雪音さんは言葉遣いこそ乱暴だけど礼儀はしっかりしている子だ、挨拶する時は基本こっちを見てしてくれるのに、何故かそれをしなかった。

 

 まぁその時はそんな時もあるだろうと思ったんだけど、買ってきた物を冷蔵庫へ入れるのを響が手伝おうとした時、雪音さんがやや冷たい声で「一人でいいからお前はあっちで喋ってろ」と返した瞬間、やっぱりおかしいと確信出来た。

 

「クリスちゃん、どうしたんだろ? 機嫌悪いのかな?」

「そうかもしれないな。何か出先であったのかもしれない」

 

 若干辛そうな響を見て翼が複雑そうな表情をしていた。

 俺はそんな二人を見てから雪音さんへ視線を戻す。彼女は冷蔵庫の戸を閉めるとチラリとこちらへ目を向けた。

 

「雪音さん、どうかしたの?」

「……別に何でもねぇ」

「そうは見えないぞ雪音。何かあったのだろう? 私達に話せない事か?」

「クリスちゃん、今朝助け合おうって言ってくれたじゃん。何でもいいから私達へ話してくれないかな?」

「……ホントに、何でもないんだって」

「雪音さん、正直そうは見えないよ。翼も響も心配なんだよ」

「っ……何でもねぇって言ってんだろ!」

 

 その怒鳴り声に響だけでなく翼さえも小さく驚きを見せた。勿論俺もだ。

 俺達の反応を見てクリスが大きく驚きを見せた。まるでこんな事を言うつもりはなかったとばかりに。

 

「そ、その……ちょっと外の空気吸ってくるっ!」

「あっ! クリスちゃんっ!」

 

 弾かれるように部屋を出ていく雪音さんの背中を俺はやや呆然と見送るしか出来なかった。

 響は追い駆けようとしたけどそれを翼が腕を掴んで止めていたのだ。

 

「翼さん、どうして……」

「明らかに雪音の様子が普段と違う。しかも出かける時は何のおかしさもなかった。ならば出先か戻ってくるまでに何かあったと思うのが妥当だろう。だが、私達に言えない事なら追い駆けても事態を悪化させるだけだ」

「でも……」

 

 翼の意見も理解出来るけど心情的には雪音さんを追い駆けたいのだろう。響は顔を玄関へと向けていた。

 ただ、俺も追い駆けるべきな気がする。最後にこちらへ見せた表情はバイトでミスをした時の雪音さんによく似ていたから。

 

「……言えないって事はどっちかだと思うよ。本当に言えないか、言えなくはないけど言いたくないか」

 

 そして俺は何となく雰囲気的に後者な気がする。

 

「言えなくはないけど言えない……」

「雪音の性格上そちらの可能性が高そうだな」

 

 そして俺が思う事は付き合いの長い二人が思わないはずはないワケダ。

 なんてプレラーティの口調になってしまうぐらいには俺も動揺してるらしい。

 それにしても、だ。一体何があったんだろうか?

 言えなくはないけど言えないとなると、雪音クリスという少女の性格上自分自身の何かの場合が多いはずだ。

 

 例えばもし雪音さんが響や翼へ悪い事をしてしまったのなら言える子だ。

 だがこれが自分にしか関係ないか、あるいは言い出す事で周囲へ迷惑をかけたりするとなると途端に言い出せず自分で何とかしようとする。

 

「……俺がちょっと探ってみるよ。それで言えないって言われたら翼、行ってもらえるか?」

「……分かりました。それでも駄目なら立花ですね?」

「え? 私?」

「そうだな。で、そこでも駄目となったら雪音さん自身でしか何とも出来ない事が確定だ」

「あっ、そういう事か! 要は誰が原因か、誰が理由かを確かめるんですね?」

「正解。で、まずは関係性が浅い俺が行くんだ。もし二人に関連するならそこで終わるし、俺が原因ならそれらしい事を言われるはずだしさ」

 

 言いながら靴を履く。さて、問題はどこへ行ったかだ。こうなると行きそうな場所は……。

 

「雪音さんが行きそうな場所に心当たりある?」

「雪音の……」

「行きそうな場所、ですか……」

 

 二人して腕を組んで考え込むのを見ると急に姉妹感が凄い。

 でも、ここで真っ先に浮かぶのはおそらく……

 

「コンビニかあのアパートだと思います」

「だよなぁ」

「あるいは近くの公園です。正直こちらではそれぐらいしか」

「公園、か。うん、分かった。とりあえずその三か所探して見つからなかったら戻ってくる」

 

 そう言って俺は部屋を出て、まずは遠い場所から見て回る事に。

 コンビニは正直ないと思うけど立ち寄った可能性はないとも限らない。で、その後に部屋を見て最後にこの近くの公園へ行ってみよう。

 

 軽く走りながら念のために周囲を探しながら移動する。

 そうやっていると思った以上の早さでコンビニへ到着。中へ入ると丁度良くオーナーがいた。

 

「あれ? 只野君? 珍しいね、こんな時間に」

「まぁちょっと運動不足なので軽く運動してたんです」

「ああ、それはいいね。もうすぐ三十だっけ。そろそろくるよぉ。お腹とかさ」

「やめてくださいよ」

 

 雪音さんが来てないかを聞くとしても直接聞くのはやや不味い。何せ俺と彼女の関係は表向きは高校が同じだけの他人なのだ。

 でも、この感じだとここに来てはいないらしい。もし来ていたらオーナーが最初に俺へそれらしい事を言うはずだ。

 まぁ、一応確認しておこう。オーナーと話しながらあんぱんと紙パックの牛乳を一つ手に取りレジへ。

 オーナーがそのままレジをしてくれるのでそこへ探りを。

 

「そういえば、さっき雪音さんらしい人を見ましたけど店に来てたんですか?」

「え? いや、来てないよ。人違いじゃないかな? はい、二百十六円ね」

「マジですか。うーん、だとしたら視力ヤバいかな?」

「おーおー、これは一気に老け込む前兆かな? っと、八十四円のお返し」

「どうも。あと、それなら白髪が増える方がマシですね。じゃ、また夜に」

 

 店を出てアパートへ向かう。店に立ち寄ってないなら今後も寄らないだろうし、多分もう大丈夫だ。

 さて、部屋の前にでもいてくれたらいいんだけど……。

 

「……いる訳ないよなぁ」

 

 一期の時を意識してあんぱんとパックの牛乳を選んだんだけど、さすがに居場所までそれらしくはなってくれないよな。

 こうなると残りはあの新居近くの公園か。そこが駄目だったら……気が重いな。その場合は三人で手分けして探す事になるぞ。

 

 そんな不安を抱きながら俺はまた軽く走って移動する。それだけで息が上がってくるのが悲しい。

 割と本気でオーナーの言葉が頭をよぎる。体力作り、するべきか? いや、運動をする必要があるかも。

 筋トレか軽い散歩かな。いっそバイト帰りにアパートへ直帰するんじゃなくて引っ越し先へ行って、起きてるだろう翼へ廃棄のシュークリームとか渡して帰るって事でもするか?

 

「……ここか」

 

 公園に到着するもパッと見た感じいない。若干焦りも生まれてくるけど、不幸中の幸いはゲートは響や翼がいる部屋にあるって事だ。

 だから絶対この世界に雪音さんは残ってる。とりあえずここを探して見つからなければ一度部屋へ戻ろう。

 

 そう思って公園の中を歩く。

 平日の昼間だけどそこまで人がいないのは遊具がないに等しいからだろうか。

 それともまだ別の場所に公園があるんだろうか。俺もあまりこの辺の事に詳しくないからその辺りがあやふやだ。

 住んで十年近くになるってのにこれだ。まぁ、子供の頃と違って探索とかしないからなぁ。

 

「……いない、か」

 

 公園の中を探すも雪音さんは見つからなかった。

 と、そこでふと思う。雪音さんは俺達に見つかりたいと思っているかと。

 もし見つかりたくないと思えば心当たりない場所へ行く。だがあまり遠くへ行くと心配させ過ぎて大事になる。

 読むんだ。雪音クリスの思考を。こういう場合の彼女がどう考えそうか。

 

「…………俺達の思いつきそうな場所を敢えて避けるぐらいが精一杯だなぁ」

 

 所詮俺の頭などそんなものだ。仕方ない。一旦二人の待つ部屋へ戻ろう。

 そう思って公園を後にしてトボトボと歩く。二人には残念なお知らせを持って帰る事になるな。

 

「待てよ」

「え?」

 

 不意に背後から聞こえてきた声に振り向けばそこには雪音さんの姿。

 ただ、俯いていて顔が見えない。

 

「あたしを……探してたんだろ?」

「あ、ああ……」

「そうかよ。で、何の用だ?」

「えっと……さっき何も俺達に言ってくれなかったけど、それは俺がいたから?」

 

 どこか妙な雰囲気を漂わせる雪音さんに内心疑問符を浮かべつつ、俺は確かめたい事を尋ねる事に。

 すると雪音さんは小さく震えてしばらく黙り込んだ。俯いたまま微動だにしない雪音さんを俺はただただ黙って見つめる。

 

「……お前に、聞きたい事がある」

「俺に?」

「ああ。ここじゃなんだ。場所、変えようぜ」

 

 そう言って雪音さんは歩き出した。俺の横を通り過ぎ、雪音さんはそのまま二人が待つ部屋とは反対の方向へと向かう。

 多分だがあの部屋へ行くつもりなのだ。そこまであの二人には聞かれたくない事なんだろう。となると今はついて行くしかないか。

 

 そこから雪音さんはまた黙り込んだ。今は何も聞くなって空気を出して歩く雪音さんを見て、俺は何となく響と手を繋ぐ前の状態を思い出していた。

 でも、何故そうなっているのかは分からない。どことなく部屋を飛び出す前よりも雰囲気が良くない気もする。

 

 色々と考えている間に気付けばアパートへ辿り着いていた。雪音さんは無言で部屋のドアの前へ移動する。

 

「……開けてくれよ」

「あ、ああ……」

 

 今はとにかく話を聞く方が大事だ。そう思って鍵を開けてドアを開けると雪音さんが玄関へ入って靴を脱いだ。

 俺もドアを閉めて念のため鍵を閉める。これで雪音さんがここを飛び出そうにも若干まごつくはずだ。

 

「それで、聞きたい事って?」

 

 今や座布団さえないので雪音さんは俺の布団を敷いて腰掛けていた。それでも顔は俯いたままだけど。

 

「……何で、先輩を名前で呼んでんだ?」

 

 その問いかけに俺は響の事を思い出した。彼女もまったく同じ事を聞いてきたのだ。

 

――な、何で翼さんを名前で呼んでるんですかっ!?

 

 動揺を顔に丸出しにして俺へ迫ってきた彼女へ、簡単に名前で呼んで欲しいと言われたからと返すと、何故か響は一瞬だけ翼を見てから複雑な表情をした。でもすぐに俺の耳元へ顔を近付けてこう尋ねてきた。

 

――れ、練習ですよね?

 

 まぁ俺の気持ち的にはそうなので迷う事無く頷いた。それで響は納得してくれたらしく、それならいいですと安心するように笑っていたのが印象的だ。

 その間、翼は何の話をしているんだろうと不思議そうに首を傾げていたが。

 

「えっと、単純に言うのなら翼の方から名前で呼んで欲しいって言われたんだ」

「先輩から……」

「そう。どうやら俺の事を信頼したというか、距離感を変えたいって思ってくれたみたいなんだ。響の事も名前で呼んでいるだろうって言われたしね」

「……そうかよ」

 

 そこでやっと雪音さんが顔を上げた。その表情は俺が初めて見るぐらい怖いものだった。

 

「じゃあ何か? お前は呼び方を変えないと信頼してないって言うつもりか? あたしら三人いて一人だけ苗字にさん付けになったらそいつがどう思うかとか考えねぇのか!?」

「ゆ、雪音さん?」

「っ!? それだっ! 何だよあたしだけ雪音さんって! あのバカと先輩は名前で親しげに呼んで、あたしだけ仲間外れか! あいつもっ! 先輩もっ! あたしを除け者にして楽しそうに笑ってやがるっ! あたしだけっ! あたしだけ置いてっ!」

 

 憤怒、って言えばいいんだろうか。雪音さんの怒りがまるで灼熱のマグマのように言葉となって噴き出した。

 俺の配慮が足りなかったせいで彼女は寂しさと怒りを覚えたんだ。響と同じだからと安易に翼と呼んだ事で。

 まずその説明を雪音さんへするべきだったのかもしれない。あるいは俺から雪音さんへも尋ねてみるべきだったのかもしれない。名前で呼んでもいいかって。

 

 そんな事を考えていると雪音さんはその恐ろしい表情のまま俺へ掴みかかってきた。

 

「あたしはなっ! お前よりも先にあの二人に会ってんだっ! あのバカに手を繋いでもらって! 先輩にあたしのバカを止めてもらって! あたしは! あたしはやっとあったけぇ場所に、人達に、出会えたってのに……」

 

 じわりと表情が変わる。怒りから悔しさか悲しみへと。

 

「あたし、こんな気持ち嫌だ……。あの二人を恨みたくない……憎みたくない。お前の事だって……」

「雪音さん……」

「なのに、何でかさっきからどんどん嫌な気持ちが湧いてくるんだ。あたしを除け者にするような奴らを許すなって。あたしに寂しさを、辛さを与えるような相手へ仕返ししちまえって」

 

 俺へ掴みかかったままだけど、その掴む手の力はまだ抜けていない。だけど表情は先程までの怖さは薄れ始めている。

 何となくだけど自分で自分の感情が制御出来ないんだろう。きっと大切な仲間の二人が俺と距離感を縮めていて、なのに自分だけがそう出来ないししてもらえないのが嫌なのだ。

 だけど素直になれない性格もあって、それがグチャグチャになって今のような状態になってるんだろうな。

 

 やや言動が物騒なのは雪音さんらしいと言えるし。

 

「そっか。なら、今更だけど少しいいかな?」

「んだよぉ……」

「クリスって、そう呼ばせて欲しい」

 

 そう言った瞬間、雪音さんの顔が驚きに染まった。目を見開いて俺の事を見つめてきたのだ。

 何を言ってるんだと、そんな感じにも見えたのでもう一度駄目押しをしておく事にしよう。

 

「俺は、君も、クリスと呼べるなら呼びたい」

「……それはあのバカや先輩を呼んでるからか?」

「呼んでもいいなら呼んでたよ。いや、ある意味一期のアニメを見た頃からクリスちゃんって呼んでたんだよ、本来は」

「く、クリスちゃん?」

 

 他ならぬ本人の口から出た貴重な発言に俺は自分の中の何かが切れたような気がした。

 

「そうだよ。響の事はビッキーって呼んでた事もあるし、翼の事は翼さんって呼び方で一人で脳内で呼んでたっての」

「は?」

「それに、こっちは君が未来の体操服を着てた事とかを知ってるんだ。いつだってパパとママの目指した夢のためにその小さな体で頑張っている事だってそうだ。歌う事は嫌いだったのが、周囲の人達との触れ合いを通じて本当は好きだった事を思い出しながら歌った事も。初めて明確な後輩が出来て、先輩として頑張ろうと空回った事も俺は知ってる。そんな俺が君を名前で呼びたくない訳ないだろ」

 

 俺の気持ち悪い告白に雪音さんは完全に飲まれていた。ただただ目を見開いたままで俺の事を見ている。

 もう、掴んでいた手から力は抜けていた。それと同時に表情から怖さも消えていた。

 

「……でも、それは君達を架空の存在として捉えていたからだ。こうして直接会って、過ごして、それでも遠慮なく名前で呼ぶ事なんて出来ないよ、俺みたいなヘタレにはさ」

「お前……」

「響も翼も向こうから名前で呼んでいいと言われて、それでやっと呼べるようになるおっさんだよ、俺は。だからこそ、君の気持ちへ思い至らなかった。たかが呼び方だと、どこかで思っていたのかもしれない。本当に申し訳ない」

 

 頭を下げる。体勢的に若干締まらないが仕方ない。

 そのまま俺は待った。雪音さんが言葉を発するのを。

 許すか許さないかを決めるまで、ただ静かに頭を下げ続けて待った。

 どれぐらいそうしていただろう。何となくその場に流れる空気が変わった気がした。

 それまでのどこか重たさがあるものが軽くなるような感覚を覚えたのだ。

 

「……頭、上げろよ」

 

 そんな時聞こえた言葉にゆっくりと頭を上げる。そこにはこちらからは顔を背ける雪音さんがいた。

 

「その、何だ。今のであたしの気持ちも何だか静まった。でも何て言うか、複雑な心境ってやつだ」

「そうか……」

 

 また沈黙が訪れる。俺も自分の言った事の気持ち悪さに内心で転げ回りたかった。

 よりにもよってとんでもない事口走ったと思う。三十間近のおっさんが十代の少女へ何て事カミングアウトしてんだよ、ホントに。

 

 あ~っ! 出来る事なら大声で叫び回って転がりたいっ! 意味もなく奇声を発してしまいたいっ!

 イイ歳したおっさんがクリスちゃんとか何言ってんだ! 親戚の子とかでもない限り十代後半にそんな呼び方しないぞ!

 せめて俺が四十代とか五十代ならまだしも、三十もいってないのにちゃん付け呼びはないだろうっ!

 

「……呼べよ」

 

 俺が声にならない声で心の中で叫びながら転がっていると、そんな言葉が聞こえてきた。

 聞き間違えかと思って雪音さんの事を見つめていると、その頬がゆっくりと赤くなっていく。

 

「呼べって……何を?」

「っ……だから呼べって言ってんだろ」

「えっと……?」

「~~~~~っ! 名前で呼べっつってんだろ!」

 

 真っ赤な顔で怒鳴られてやっと理解出来た。どうやらクリスと呼んでよしという事らしい。

 

「い、いいのか?」

「あ、あたし様がいいって言ったんだ。それをひっくり返すつもりはねぇ」

「あんな気持ち悪い事や触れられたくない事を言ったのに?」

「……でもそれをあんたは今まで黙ってただろ。あたしがそういうの誰にも言われたくないのを知ってるんだから、それをネタにからかったり出来たのに」

 

 その言葉の後に何か小さく呟いたみたいだけど、俺には残念ながら聞こえなかった。

 ただ、雰囲気からきっと悪い事ではないらしい。それだけは伝わった。

 と、そこでクリスの目が俺の顔から手元へ移った。

 

「そういや、ずっと気になってたけどそれ何だよ?」

「ん? ああ、忘れてた」

 

 クリスの指摘で俺は持っていた袋を思い出した。中身を取り出そうとして、俺はちょっとだけある大人を意識してみる事に。

 

「クリス、腹減ってるだろ? これでも食べろ。毒は入ってない」

「は? あんぱんと……牛乳……」

 

 俺の手にある物を見てクリスの表情が訝しむものから何かを思い出したような顔へ変わる。

 それに小さく笑みを浮かべて俺は持っていた物をその手へ渡した。

 

「最初に店へ行ったんだ。立ち寄った可能性があるかもって」

「……そうかよ」

 

 小さく笑みを浮かべながらクリスはあんぱんの包みを開けた。その表情は懐かしんでるようにも見え、嬉しそうにも見えた。

 と、何故か彼女はあんぱんを半分に割ってこちらへ一つ差し出したのだ。

 

「これは?」

「毒が入ってないってんなら目の前で食えよ。おっさんはそうしたぞ」

 

 ニヤリと笑って告げられたのは詰めが甘いぞという暗黙の指摘だった。

 やはり俺なんかが真似出来るような大人の男ではないようだ。そう思って俺は両手を軽く上げてからあんぱんを受け取る。

 

 しばらく静けさが室内を包んだ。隣り合って布団に座りながら半分に割ったあんぱんを食べる。

 牛乳はさすがにクリスだけに飲んでもらおう。俺は後で水でも飲もうと、そう思っていた時だった。

 隣でストローで牛乳を飲んでいたクリスがチラリとこちらを見たかと思うと、少しだけ照れくさそうに牛乳パックを差し出してきたのだ。

 

「ほら、あんたも飲めよ」

「え? いや、俺は水で」

「いいから飲めよ。あんたの金で買ったもんだろ? ならこれも半分はあんたのもんだし、あたしがそうしたいんだ」

 

 こう言われてしまっては断るのもどうかと思う。なので遠慮なく受け取り、ストローの先端を触らぬようにして抜くと、若干パックを口から離して上へ持ち上げる。

 

「……マジかよ」

 

 飲み辛いけどこれなら間接キスを阻止出来る。少しだけもらい、パックの向きを戻すと再びストローを飲み口へ差し込んだ。

 

「ありがとう」

「……いらねぇ気を回すんじゃねーっての。あたしは気にしない……って事もねーけど煩くは言わねぇぞ?」

「俺が狼狽えるんだって。実際以前響へ弁当を少し食べさせた時、何も考えず俺の使ってた割り箸で食べさせた事があって……」

 

 食べさせた後に気付いたんだよなぁ、あの時は。おかげで何というか複雑な心境で弁当を食べたもんだ。

 

「はぁっ!? じゃ、何か? あんたはあのバカとは間接キスしても良くて、あたしとは嫌だってか?」

「えぇ……どうしてそうなるのさ……」

「だ、大体直接キスする訳じゃないならどうだっていいだろ! 男ならな、んな事気にせず過ごしやがれってんだ!」

「俺は良くてもクリスが気にするだろ?」

「っ!? う、煩く言わないって言っただろ」

「いやいや、気にはするって」

「男の癖に細けぇ事言うなっ!」

 

 近未来から来た割に中々差別的な物言いをするなぁ。ま、いいけど。実際俺もそうかもと思い出してたし。

 

「分かった。じゃ、もう一度飲ませてくれ」

「へっ? お、おう」

 

 クリスの手からパックを受け取り、今度はストローを使って飲む。

 その瞬間クリスが息を呑んだ気がした。

 

「……ふぅ、旨い。ありがとさん」

「あ、ああ……」

 

 若干呆気に取られたようなクリスへ俺はしたり顔を向けた。

 

「俺だって男だからな? クリスみたいな可愛い女と間接キスってなれば喜ぶ以外の選択肢はないんだぞ?」

「なっ!?」

「ま、これに懲りて男を変に煽る様な事は」

 

 控えるようにと、そう言おうとした時だった。

 

「そ、そうだよな。あんたも男、なんだもんな」

 

 隣から神妙な声が聞こえてくるではないか。どうしたのだろうと顔を向ければ、そこには真っ赤な顔をして牛乳パックを見つめるクリス。

 

「クリス……?」

「……な、なぁ、その、あたしと話す時絶対目を見てくるのは、胸を見ないようにって事、なんだよな?」

 

 心臓を掴まれたような気分になった。いや、実際その通りなので何も言えないのだが、まさかこんな状況で聞かれるとは思わなかった。

 クリスの性格上こんな事は察しても問い質す事はないだろうと思っていたからだ。

 

「正直さ、バイトの時には薄々気付いてた。あんたはあたしが、いや女が嫌がる事を知ってて行動してんだろうなって」

「そ、そうか」

「ああ。あのスケベ野郎がいたおかげでよく分かった。あんたはあたしの胸を絶対見ない。いつも目を見て話す。その理由があのスケベとは真逆だってな」

 

 少しだけ嬉しそうに言ってクリスが笑う。

 

「ホントは見たかったんだろ?」

「…………まぁ。でも、アニメとかで十分見たし」

「現実に見れるってなってもどうでもいいって?」

 

 ニヤニヤした声でそう問いかけるクリスは完全小悪魔だ。

 なので俺は抵抗せず両手を上げる。

 

「ははっ、そうそう。人間素直が一番だ。やっとあんたから一本取れた気がするぜ」

「そうでもないだろ?」

 

 実際これまでの生活で何度も俺はクリスに注意や助言を受けている。

 

「はぁ~……ほん……っとうに鈍いな、あんたは」

 

 呆れたようにそう言ってからクリスは苦笑する。その顔はとても可愛い。

 

「ま、いいさ。そうそう、これだけは言っておく。こ、これからはあんたならスケベな目であたしを見ても許してやるよ」

「へ?」

「だ、だから、もう変な動画とか見るんじゃねぇ。そういうのも金かかったりすんだろ? む、無駄な金使うなよ……」

「え~っと……」

 

 これは、あれか? 自分がそういう事の材料になってもいいからエロ動画を買うなって、そういう事?

 

 でも、それって彼女とかの考えや意見で……と言うかちょっと待てっ!?

 

「く、クリスっ!? じ、自分の言っている事分かってるのか!? てか、どうしてエロ動画の事を!?」

「はっ! あたし様はこう見えても大人の汚ぇとこを見てきてんだ。あんたぐらいの歳の男の考える事なんざぁお見通しだっての」

 

 真っ赤な顔で強がるクリスだけど、もう何となく読めた。きっと翼が漏らしたんだ。

 って事は、多分響にも知られてる。あ~っ、死にたい。死んでしまいたい。

 

「だから……って、おい。そ、そんな沈んだ顔すんなって」

「無理……。これ、そっちで例えるなら、本当は名前で呼びたいって練習してるとこを響や小日向さんに見られたようなもんだ」

「ぐっ!?」

 

 少しは俺の気まずさや心境を分かってもらえただろうか。クリス、男ってな、意外とこういうとこは繊細だったりするんだ。覚えておいてくれ。

 

「と、とにかく元気だせっての。その、あたしじゃ、不満か?」

 

 ……ズルいよなぁ。気弱そうな声でそんな台詞男に吐いたら押し倒されても文句言えないっての。

 だからこそちゃんと注意をしておく。

 

「クリス、今のは絶対好きな相手にしか言わないように。じゃないと」

「わ、分かってるっての。でもさ、あんたはこう言ってもスケベ全開にはならねーでくれる、だろ?」

 

 信頼が嬉しくもあり辛くもある。俺だって色々忘れて欲望に忠実に動きたいって思わないでもないんだぞ?

 その気持ちを視線に込めてクリスへ向ける。と、何故か彼女は赤面して視線を上へ向けた。

 

「そ、そんなに熱っぽく見つめんな」

「……うん、今のは俺が悪かった。信頼には可能な限り応えるけど俺は君が特別視してる人のような男じゃないって分かって欲しい」

「は? あたしが特別視している男……?」

 

 俺の言葉に怪訝そうな顔を見せるクリスだけど、それがある瞬間真っ赤に変わった。

 

「な、何言ってんだっ! あたしは別におっさんの事を」

 

 語るに落ちるとはまさにこれ。自白と言うか自供と言うか、とにかくクリスは意外とこの手の方面は弱いらしい。

 

「俺、何も司令さんって言ってないけど?」

「っ?!」

 

 絶句。そして俯いて沈黙。いかん、ちょっと追い詰め過ぎたか。

 

「えっと、クリス? 今の俺もちょっと調子に乗り過ぎた。その、だから……」

 

 人の恋心へ踏み込み過ぎたと気付き、俺は血の気が引くような気持ちでクリスへどう謝ろうとかと言葉に困った。

 すると、そんな俺へクリスはゆっくりと顔を上げて目を合わせてきた。

 

「……勘違いすんなよ? あたしはたしかにおっさんの事を他の奴らとは違う扱いしてる。でもな、それは色恋とかじゃねぇ」

 

 その声は自棄になったとか観念してとかのものじゃない。噛み締めるような、そんな声だった。

 

「まぁ、少しはあんたの予想通りそういうのもあったかもしれない。でも、今のあたしはこう言える。それは、淡い想いってやつだって」

「淡い?」

「ん。何て言えばいいんだ? おっさんは気になるってか、頼りになる大人って感じだ。これは、多分父親とかに思うやつに近いんじゃないかって、思う……」

「成程……」

 

 逞しく父性に溢れる弦十郎さんに父を見た、か。納得出来てしまう。クリスは確実に父性や母性に、もっと言えば家族に飢えてるだろうから。

 

「でも、これまでのあたしはこれに気付かなかった。いや、違うな。女が男に惚れるってやつをちゃんと分かったからだ」

「そうなんだ。それはやっぱりここでの時間で?」

「以外にあるか?」

 

 そう言ってクリスはこっちへ笑みを見せた。とっても可愛くて守りたくなるような、そんな笑顔を。

 

「……もしそうならこの状況も少しは君達へ良い事があったんだと嬉しく思うよ」

「まったくだ。アルカ・ノイズも錬金術師もいねぇ。訓練もなけりゃ呼び出しもない。まぁ紛争は絶えないみたいだが、それは完全人間だけで何とか出来るもんだ。錬金術師もアルカ・ノイズも関わらないなら、な」

 

 そこでクリスは立ち上がった。

 

「ここはあたしらの一種理想の世界だ。だからこそ、あたしはここを守りたい。悪意だか何だか知らねーが、ここに特異災害なんて言葉を生み出させてなるかってんだ」

「クリス……」

 

 まるでそれは誓いに聞こえた。それも俺に対しての。

 

「さてと、帰ろうぜ。今のあたしらの家に」

 

 そう言ってこっちへ振り返ったクリスの顔は、とても晴れやかなものだった。力強くて凛々しくて、でもどこか愛らしい、そんな笑顔だった……。

 

 

 

 アパートを後にして隣り合って歩く仁志とクリス。来る時とは真逆の雰囲気で歩くその姿は、さながら仲の良い兄妹か、あるいは歳の差カップルか。

 それでも少しだけ仁志がクリスの後ろを歩いている。それがどういう考えからかを察し、クリスは小さく苦笑していた。

 

(ったく、男らしいかと思えば普段はそうじゃねぇ。ま、いいさ。決めなきゃいけない時だけでも男らしくなれるなら)

 

 仁志はお世辞にも逞しくなどない。頼りがいもないと言える。それはクリスが父性を感じた男性と大きく異なっていた。

 だからこそ、クリスは分かったのだ。自分が何故響や翼へ嫉妬にも似た感情を抱いたのか。何故仁志へ恨みのような感情を抱いたのか。

 

 弦十郎は意識せず父性を出せる。対して仁志は意識して何とか父性を出せる。つまり仁志はクリスから見ればやはり異性の男なのだ。

 独り身の男が何とか年下の少女達の保護者であろうと奮闘しているとしかクリスには見えない。それ故、彼女はそんな男の姿に好感を抱き、好意を抱き、不意に見せる男らしさに心をときめかせるようになった。

 

(多分、今のあたしは恋、してんだ。おっさんと生活するなんて考えた事ねーけど……)

 

 そっと後ろを振り返るクリス。そこには自分を優しく見つめる仁志がいる。

 

「ん? どうかした?」

「……何でもねぇ」

 

 顔を赤めるも少しだけ笑みを浮かべてクリスは顔を前へ戻す。

 

(こいつとは考えられちまうんだよな。きっとこれが、恋ってやつなんだ……)

 

 共同生活をした事もあり、クリスの中には仁志との生活が容易に思い浮かぶのだ。

 ただ、それは今のような部屋ではなく彼女が本来の世界で暮らす部屋。

 そこでS.O.N.Gの仕事を終えて帰ってくる自分を仁志が出迎えてくれる光景。それを思い浮かべてクリスは息を吐いた。

 

「……バイトぐらいしてもらわねーとな」

「何か言った?」

「何でもないっての」

 

 今度は振り向く事なく告げ、クリスは笑みを浮かべた。そんな彼女の後ろ姿を見つめて首を捻る仁志であったが、感じられる雰囲気が明るくなっている事に笑みを浮かべる。

 

 そうして部屋へと戻った二人だったが、そこには予想もしていない存在が待ち構えていた。

 

「よっ。何だかとんでもない事になってるって?」

 

 二人を出迎えたのは困惑している響に翼、そしてどこか楽しげに笑う赤髪の女性だった。

 

「な、何でここに……」

「あ、天羽奏さん?」

 

 そこにいたのは仁志さえも会う事はないだろうと思い込んでいた天羽奏。

 その彼女は仁志の問いかけに笑顔のまま頷く。

 

(まさかの人が来たよ……。でも、これって不味い事になってるって事じゃないか? 平行世界の装者だぞ?)

 

 その仁志の考えを肯定するかのように彼らのいる部屋の上で黒いもやのようなものが蠢く。

 

――失敗、か。やっぱあれぐらいじゃ無理みたいね。もう少し様子を見る事にしましょ。




という訳で四人目は奏です。
そして心の闇を利用した悪意の最初の目論見は失敗に終わりました。

やはり一気に闇堕ちさせられる程クリスの優しさは甘くはないのです。
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