『あなた』は記憶喪失になりました。そして自称恋人の五人に迫られています。誰が本当の恋人か思い出してください。 作:耳野笑
5月20日(日) 昼
「嘘……目が覚めたんですの!?」
あなたの視界に美少女が飛び込んだ。
陽射しに照らされた向日葵のような金色の髪。意思の強さを感じさせる、切れ長の鋭い目。
ツーサイドアップが可憐さではなく高貴さを感じさせる、ノーブルな雰囲気の少女だった。
「う……君は、誰だ?」
「え……?」
あなたは痛む頭を押さえながら尋ねた。
時が凍り付く。少女の顔は青ざめていた。
「ウソ……ですわよね? 私をからかっているんですのよね?」
「……」
少女の瞳が揺れる。わずかな希望に縋る、か弱い眼差しだった。
冗談だと言ってあげられれば良かったのに、とあなたは思った。
「ごめん、覚えてない。というかここはどこだ? 俺は誰なんだ? 君とどんな関係だった?」
「そんな……ことって」
少女はうつむいた。しかし突然ハッとしたように顔を上げ、あなたの傍らに座った。
「ごめんなさい。自分のことも分からない貴方の方が辛いのに」
「え……いや……」
(凄い良い娘そう? というか、すっごい可愛い……)
「貴方の名前は……ああ、口頭より紙に書いた方がいいですわね」
少女はサイドテーブルのメモ用紙に、あなたの名前を書いて見せた。
「これが、俺の名前……」
まったく記憶に引っ掛かるものはなかった。記憶喪失が重度らしいことが分かって、あなたは不安になる。
しかし、直後彼女が告げた言葉に、そんな心配は吹っ飛んだ。
「そして、私は
「はい……? はいぃい!?」
「ちょっ……ここ病室ですからお静かに」
「あっごめん。って、え? ホントに? 俺が君みたいな可愛い女の子の彼氏?」
「か、可愛いって……そういう素直なところは変わってませんわね。はい、そうですわ」
雅は照れながら頷く。赤くなった顔も可憐だった。
「俺にどんな弱みを握られてたんだ?」
「どういう意味ですか! ご自身に対して辛辣すぎません!?」
「だって信じられなくて……俺何者だったの?」
「普通の高校生ですわよ」
「普通の高校生。まあそれはなんとなく分かる」
「普通なわけないじゃないですか! 私の彼氏なんですのよ!」
「なんなの!? 君が言ったんだよ! 一字一句違わない復唱だったよ!」
理不尽に怒られた。
「まあいいですわ。どうしてご自分がここにいるか、覚えてらっしゃいます?」
「いや、全く」
「貴方は交通事故に遭ったんです。一ヶ月も意識が戻らなくて、本当に心配したんですから……」
あなたは雅の顔をじっと見る。確かに、心労から来たと思しき影があった。
「ごめん。心配掛けた」
「謝らなくていいんです……生きていてくれて本当に良かった……」
雅は遅れて付いてきた安堵から、涙をこぼした。それでも溢れだす感情をこらえ、すぐに自分で目元をぬぐった。
「ありがとう、俺のために泣いてくれて」
「泣いてません」
「泣いてるじゃん」
「泣いてませんから!」
雅はあなたに抱き付いた。胸元に押し付けられた顔がどんな表情を浮かべているかは、確かにもう見えない。
「はは……そうだな」
あなたは雅の頭を撫でた。そんな状況に、なにかが引っ掛かった。
(なんだ……この違和感)
「あ、担当医に伝えてきますわ。意識が戻ったことを早く伝えないと」
「うん。よろしく」
そう言って雅は病室を出ていった。残されたあなたは違和感の正体を探ろうとかは考えず、抱き付かれたときに感じたわずかな膨らみに想いを馳せていた。
*
記憶喪失を除けば軽傷だったこと、病院側の厚い待遇、そしてなにより雅の支えがあってあなたは快復した。
しかし、記憶は戻らなかった。
「退院、おめでとうございます」
「ありがとう、雅。君のおかげだよ」
「ま、まあ人生の伴侶ですから。妻が夫を支えるのは当然です」
自身の胸に愛おしさが灯るのを感じて、あなたは雅をぎゅっと抱き締めた。
「君がいてくれて良かった。幸せだ」
「私も、幸せです」
いつまでもそうしていたが、病室なのでそういうわけにもいかない。ほどほどに、あなたは抱擁をほどいた。
「じゃあこれからマンションに戻る」
「一人では心配なので、付いていってもいいですか?」
「もちろん良いぞ」
そうして、あなたは雅を伴ってマンションに付いた。帰ってきた。と言っても、記憶喪失のあなたにとっては初見である。
「何号室だっけ」
「七一五号室ですわ」
「ありがとう」
パスワードを入力し、マンションに立ち入る。見慣れたはずなのに未視感しかなかった。
鍵を差し込み、あなたは初めて見る自分の部屋に入る。
「ようこそ。座ってて、何か出すよ」
「ではお言葉に甘えます」
食器棚からコップを取り出す。ついでに他の棚も開けてみると、造詣が深いのかやたらコーヒーが多かった。
帰り道で適当に買ってきた麦茶を出し、雅の隣に座る。
「気になってたんだけど、前にも俺の家来たことある?」
「ありますわよ」
「へ……へぇ……。あの、どこまでした?」
ドギマギしながら尋ねるあなたに対して、雅は慈母のように余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「目、つぶってください」
「うん」
言われるがまま目をつぶる。次の瞬間、唇に柔らかい感触を感じ、あなたは驚いて身を引いた。
「えっ……」
「ここまでです」
雅の頬にも朱が差している。上目遣いもあいまって、あなたは改めて惚れ直すのを感じていた。
「あ、ありがとう」
「いえ……」
しばし無言の時間が流れる。時計の針の音が聞こえないくらい、心臓の音がうるさかった。
「そ、そうだ、自分の部屋見ていいか?」
「ご自分の部屋なのにどうして私に聞くんですの?」
「それもそうだな」
立ち上がり、自分の寝室と思しき扉の前に立つ。しかしあなたはドアノブを掴んだまま固まった。
(待てよ……! エロ本とか起きっぱなしだったらどうしよう……!)
記憶がないから部屋の状態が分からない。そして、思春期男子の部屋は危険極まるブラックボックスである。
「散らかってたら恥ずかしいので待っていていただけないでしょうか?」
「別に気にしません」
「お願いします健全な男子高校生の部屋にはいっぱい危険があるんです」
「気にしないというより気になるんです。お邪魔しますね」
「ノオオオオッ!」
慈悲はなかった。雅は邪悪な笑いを浮かべながら本人より先に突入する。あなたもおそるおそる続いた。
(机の上、教科書しかないセーフ! ベッド、何もないセーフ! テーブル、もマンガがあるだけセーフ!)
「ふぅ……助かった」
「どうしてそんなに焦ってるんですの?」
「いろいろあるんだ……いろいろ」
安堵しながらあなたは引き出しを開ける。
「日記とか写真があれば、記憶を戻す助けになるかもしれない」
「そうですわね。私も探していいですか?」
「座っててください!」
あなたは健全な男子高校生である。Hな本やビデオのひとつやふたつあってもおかしくない。
そんな爆弾がどこにあるのか把握しないまま、彼女と一緒に探し物をするのは、あまりにも恐ろしいチキンレースだった。
「ときに、男性の秘密はベッドの下にあるものとうちのメイドが言っていました」
「流石にそんなベタな場所に隠さないって」
「あ、何かありましたわね」
「うそぉ!」
グルンと首がねじ曲がる勢いであなたは振り向く。
雅が手にした本の表紙には、『陸上部の巨乳女子と体育倉庫に閉じ込められてムフフなことに!?』と書かれていた。
(あ、終わった……)
「な、な、な……なんですのこれ! 女性がこんなはしたない格好で……不潔! 汚らわしい!」
「いや、その、すいませんでした」
「座ってください、正座で」
「はい……」
言われるがままあなたは正座する。
「なんですか、これ」
「記憶がないので分からない……です」
「貴方のものですよね?」
「……そうだと思われます」
「変態」
「いやいや、年頃の男の子なら誰でもこういうことに興味があるんです。どうか理解を示していただければ「処分しますね」
「慈悲がない……ッ!」
もしかしたら自分の宝物だったかもしれないものの焼却処分があっさりと決定される。
「他には隠していませんか?」
「ないと思うぞ……」
「ん? ベッドのクッションと枠組みの中に何か……あ」
「あ」
『両腕を骨折してHなナースに誘惑された男の末路』だった。
「座ってください、土下座で」
「はい……」
*
あなたは自分の記憶に繋がりそうな物を探しながら、あることに気が付いた。
「雅、俺ってもしかしてモテるのか?」
「はい? いきなりどうしたんですか」
「ちょっと……ね」
引き出しの底には百枚を超えるラブレター。クローゼットには第二ボタンどころか予備ボタンまですべて引きちぎられた中学の制服。どうみても超高校級のイケメンにしかありえないラインナップだった。
これらは焼却処分してほしくないのでそれとなく隠した。
「多くの女性から好意を寄せられていたのは事実ですわね。貴方がフった女性を集めれば、組体操のピラミッド十五段くらいは組めるのではないでしょうか」
「想像しただけで地獄だな」
フられた怨念を宿した大量の瞳に睨まれる景色。あなたは思い浮かべてしまった嫌な光景をすぐに振り払った。
「すっかり本来の目的を忘れていましたね。ありましたか? 日記や写真」
「なかった。日記は付けてないからだろうけど、写真もだ。スマホも事故のとき壊れたらしいし、ホントに手掛かりないな」
「そうですか……」
「……あのさ、ずっと気になってたことがあるんだ」
「なんですか?」
あなたは入院生活の初めから今まで、ずっと疑問に思いつつも聞けなかったことを尋ねる。
「軽傷だったけど、命に関わる事故なのに誰もお見舞いに来なかった。俺が入院中会ったのは、雅と俺の家族だけだ」
「……」
雅の顔が強張る。禁断の書を発見したときより冷ややかな眼差しになる。
「こんなの、おかしいよな? なんでなんだ?」
「面会謝絶の状態だったからです。あの病院、神奈木家の縁者が院長を勤めていて、私が無理を言って会わせてもらっていたんです」
「だとしても、退院祝いに来ないのは変だろ」
「そればかりは……ご友人の都合が合わなかったとしか言えません」
「……全員の予定が合わなかったなんて「ねえ」
あなたの言葉は、雅の冷たい声に遮られた。その声には、黒鉄のような有無を言わせない重さが宿っていた。
「貴方には私がいます。それで良いじゃありませんか」
「……」
あなたは気圧された。雅の瞳には光がなかった。深淵を覗き込むようなどす黒さだった。
「ひっ……」
入院生活では見せたことのない、なにか違う一面だった。
雅はあなたの背に腕を回した。密着し、強く体を抱き締める。強く、強く、逃がさないと主張するように。
「貴方は私のものです。私は貴方のものです。忘れないでくださいね?」
「……雅? ちょっと怖い」
「なにが怖いのですか? どうして震えているのですか? 私の愛を拒絶するのですか?」
「いや……その目やめて。なんか刺されそうなんだけど」
「心外です。貴方にそんなことするわけないじゃありませんの。浮気さえしなければ」
「はは……こんな可愛い恋人がいるのにするわけないだろ」
「もう……素直ですね。そういうところ、大好きですよ」
あなたはまだ、雅が少し一途で重いだけなのだと、そう思っていた。
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