グラ・バルカス帝国 情報局
例に寄って例の如く、意味不明に並んだ通信機らしき機械からピコピコピーとかいう音が絶え間なく鳴り響いていた。もしかしてこの騒音には何の意味も無かったりしてな。雰囲気を出すためだけに適当な音を鳴らしてたらびっくりだぞ。馬鹿げた想像をした黒い制服の男は吹き出しそうになったが空気を読んで我慢する。
「閣下、大ニュースですよ、大ニュース。ムーに関する最新情報が届きました」
「どしたん? 猫が卵でも産んだのか?」
「いやいや、話の腰を折らんで下さいな。ムーの最新鋭戦闘機ハイパーマリンが音速を突破したんだそうですよ。スーパーマリンの時速千キロ突破からたったの三ヶ月で大したもんですよねえ」
「マジかよ! いやいや、音速だったら半年ほど前に突破していなかったっけ? 突破したような気がしたような、しなかったような……」
今ひとつ自信が持てないなあ。もし勘違いだったら格好が悪いし。
仮に間違っていても冗談だったと言い逃れ出来るように。そう考えた情報局長は曖昧な笑みを浮かべながら言葉尻を濁らせる。
それを察した情報技官ナグアノはさり気なく助け舟を出した。
「ああ、アレですか。アレは急降下…… っていうか、垂直降下しながらの記録なんですよ。あんな物、機体強度があって空気抵抗が少なければ誰にだって出せるんです。ですけど今回の記録は水平飛行中なんですよ。だから正真正銘の超音速飛行なんです。凄い快挙だと思いませんか? 思いますよね? ね? ね? ね?」
「お、おう…… とは言え、俄には信じ難い話だなあ。客観的な証拠というか根拠というか…… 何でも良いから証明する物的な資料はないもんじゃろか?」
「十一キロも上空を飛んでいるとは思えないほどの大きな音が地上にまで届いたそうです。まるで大砲かと思うくらい凄く大きな。これは絶対に衝撃波の音に違いありません」
「だからそれを証明する物はあるのかって聞いてるんだよ! 動画でも見せてもらえたら信じないこともないんだけどなあ……」
「だったら…… だったらこのmicroSDカードを見て下さいな。動画や飛行データが詳細に記録されてるって言ってましたよ。四井の梅田っていう男の話だと機体やエンジンに関する資料も入れてくれてるはずです。これの中身を解析して技術を取り入れることが出来れば我がグラ・バルカスの航空機の性能は画期的に向上するはずです。microSDカードという名前からしてマイクロフィルムの一種に違いありません」
「よろしい、すぐに解析に回せ。期待しているぞ」
microSDカードは直ちに先端科学研究所に持ち込まれる。だが、グラ・バルカス最高レベルの光学顕微鏡を持ってしても何一つとして役に立つ情報は得られなかった。
神聖ミリシアル帝国 帝都ルーンポリス
情報局長アルネウスは部下から受け取った報告書に目を通していた。
「それで? これがその梅田とか言う男からもらったパンフレットなんだな?」
「いいえ、違います。アルネウス局長。これは一枚の紙を折り畳んで作られていますのでリーフレットと言うそうですよ。パンフレットというのは二枚以上の紙を綴じた物だそうな」
気になるのはそこかよ~! アルネウスは心の中で絶叫するが決して顔には出さない。
「んで? このリーフレットに載っている航空機械は例に寄って日本の四井が絡んでるんだな? 真偽の程はどうなんだ? 音速を超えたって話は信用出来る話なのか?」
「間違いありません。ただ……」
「ただ? ただ何だよ? 言いたい事があるんなら早く言えよ。勿体ぶるな!」
情報局員ライドルカはすぅ~っと息を吸い込むと限界ギリギリの超スピードで話し出した。
「別に遠慮なんてしていませんから。そのそも砲弾や銃弾など音速を超えて飛ぶ物体は存在するんです。だから飛行機械が音速を超えたからって何の不思議もありません。そもそも……」
「ストップ、ストップ、ストォ~ップ! 速くじゃないよ、早くって言ったんだ。もうちょっとゆっくり喋ってくれるかな?」
血相を変えた情報局長アルネウスは腕を振り回して制止した。
話の腰を折られたライドルカはちょっとイラっとしたが必死になって平静さを装う。
上目遣いで顔色を伺うと不敵な笑みを浮かべた。
「そ、そうですか。ではゆっくり喋りますね。これくらいで良いですか? 四井の梅田という男の話によれば音速を突破すること自体はいとも容易いそうなんですよ。たとえば気球で三万九千メートルまで上がってから飛び降りた男が音速の1.24倍を記録したんだとか。笑っちゃいますよね? ただ普通に飛び降りただけで超音速だなんて。あはははは……」
「そうか、気球か! よし、直ちに気球の開発に着手するよう軍に進言するぞ。この分野でムーや日本とやらに遅れを取るわけには行かん。我々ミリシアル帝国は世界一ィィィィィ! 出来んことは無ィィィィィ! 気球競争においても常に優位に立たねばならんのだ!」
拳を振り回しながら情報局長アルネウスは声を荒げる。こんな風に意味も無く怒鳴り散らすとストレス解消になるなあ。
周りの者は堪ったもんじゃないんですけどね。情報局員ライドルカは心の中で苦虫を噛み潰した。
翌朝、オタハイト新報に目を通したマイラスは愕然としていた。
目を皿のようにして地方欄の隅々までチェックしたというのに三面記事どころかベタ記事にすら載っていないとは。
「私の…… 私たちのハイパーマリンが新聞にこれっぽっちも載っていないんですけど……」
「ですよねぇ~! やっぱ軍事機密って奴ですか? まあ、日本では超大々的に報道さているはずですよ。だから私は別にどうでも良いんですけどね」
「そ、そう言われたらそうですね。私だって別に困るわけじゃないし。とは言え、この数ヶ月の努力が報われないって言うのはつまんないなあ。何とかなりませんか、梅田さん?」
「よくぞ聞いてくれました! 実は四号機の当てがあるんですよ。ご興味はお有りですかな?」
やっぱり出たよぉ~! 予想していたとは言え、マイラスは驚きを禁じ得ない。
ちょっとばかり、って言うか何だか急にムカついて来たぞ。だけども、今は好奇心が先走って興奮を抑えることが出来ない。
「四号機、ウルトラマリンはマッハ二を目指します。参号機では超音速と亜音速でプロペラを使い分けてましたよね? でも四号機では超音速専用のプロペラを装備します。それに水平尾翼も全動式にしちゃいま……」
「ちょっと待って下さいな、梅田さん。ウルトラっていうのはスーパーより上、ハイパーより下じゃなかったでしたっけ?」
気になるのはそこかよぉ~! 梅田は心の中で絶叫するが決して顔には出さない。出さなかったつもりだったのだが…… マイラスの人を小馬鹿にした様な薄ら笑いを見ると思わずイラっと来てしまった。
「いやいや、スーパーもハイパーも元々は同じ単語が起源だったそうですよ。辞書的には『above』ってことだから本来の意味は同じなんです。まあ、実際の使われ方は明らかにスーパー<ハイパーなんですけどね。んで、ウルトラは何だって言うと辞書的には『beyond』ってことらしいんです。aboveは『上にある』くらいの意味ですけどbeyondは『境界線の遥か向こう側』みたいな意味だから凄いのレベルが全く違うんですよ。これはもう別次元。スーパーやハイパーが高校野球内の優劣の話だとするとウルトラっていうのは高校野球と大リーグを比べるくらいの差? みたいな感じですかな」
「そ、そうですか。ならウルトラマリンでも良い…… ちょっと待ったぁ! ウルトラマリンって言うのはラピスラズリを磨り潰した無機顔料じゃないですか? そんな名前の戦闘機は如何な物でしょうかな?」
マイラスは心底から忌々しそうに顔を歪める。ギョロっとした目で睨み付けられた梅田は反射的に愛想笑いを浮かべた。
「き、気になるのはそこですか? じゃ、じゃあ…… この際、アルティメットマリンとでもしておきましょうか? そんなことよりマイラスさん。マッハ二なんて出るわけがない。そんな風に思ってはいませんか? 普通はそう思いますよねえ? でしょでしょ? 思うって言って下さいな。ね? ね? ね?」
「そ、そこまで言うんなら思うかも知れませんね。んで? 出せるんですか? マッハ二が? これで出ないなんて言ったら流石の私もズッコケますからね」
「さあ、どうでしょうねえ? ところで、音の壁の正体はご存知ですよね? その正体は遷音速で飛行する機体の一部で発生した超音速の気流が亜音速に減速する際の衝撃波なんです」
「それを造波抵抗って呼んでるわけですよね? それと、衝撃波の後には正の圧力勾配が発生するから境界層が剥離するとか何とか」
言葉の意味は良く分からんがマイラスも適当な相槌を打った。だって馬鹿だと思われたくはないんだもん。とにもかくにも知っている単語を総動員して精一杯の見栄を張る。
「では、そのまま速度を上げて行くと衝撃波はどうなると思いますか? 実は不思議なことに衝撃波の造波抗力は遷音速域が最も大きくなるんですよ。その抗力係数は遷音速域の直前と比べて三倍にもなるんだそうな。ですが超音速域に入ると抗力係数は急速に減じてマッハ二を超えると高亜音速と然程は変わらないんだとか」
「それってどういうことでしょう? 音速で飛ぶより音速の二倍で飛ぶ方が抵抗が少ないってことですか? そんな馬鹿な!」
「まあ、亜音速用に設計された翼平面形や翼型で超音速を出すと揚力は極端に小さくなるし、抗力も激増しますけどね。無理にマッハ二を出すと衝撃波の影響とかで揚力は半分くらいになっちまうんだそうな。だから揚抗比だけ見た場合、超音速飛行しても燃費は変わらないんですね。だからと言って、超音速巡航の効率だけを追い求めると離着陸が死ぬほど難しくなっちまう。そこで我々レシプロ機保存会は高い金を払ってスパコンをレンタル、
この辺りでマイラスの集中力が途切れた。馬の耳に念仏。馬耳東風。
気が付くと梅田の姿は見えなくなっている。そう言えば去り際に何か大事なことを言っていた様な、いなかった様な。さぱ~り重い打線! どうすれバインダ~! マイラスは考えるのを止めた。
一ヶ月後、四号機ことアルティメットマリンがムー南部の高原に搬入された。
もはやマイラスは毒を食らわば皿までといった気分だ。『一人殺すも二人殺すも同じだ』とか言う殺人犯もこんな気持ちなんだろうか。
そう言えば、一人の死は悲劇だが百万人の死は統計上の数字に過ぎないんだっけ。
どうせ四号機ことアルティメットマリンの次には伍号機ことインフィニットマリンだか何だかが控えているに違いない。
そのうちマッハ十五を目指すスーパーウルトラハイパーミラクルエキセントリックワンダーマイティーアルティメットマリンとか出て来るんだろうか。出て来るんだろうなあ。
そんな取り留めのない事を考えているうちにも四号機は高度一万二千メートルにおいてマッハ二をあっさり記録していた。
不思議なことにマイラスの心には何の感慨も沸いて来ない。むしろ失敗すれば面白いのにと思っていたほどだった。
その後もマリンシリーズは折に触れては作られ続けた。
正月には『おせちマリン』が。節分には『恵方巻きマリン』が恵方に向かって飛ぶ。三月には『お雛様マリン』が登場するといった塩梅だ。
土用のマリン、残暑見舞いマリン、お月見マリン、ハロウィンマリン、サンタクロースの格好をしたクリスマス限定マリン、エトセトラエトセトラ……
流石に作りすぎてしまったんだろうか。ピークが早ければ飽きられるのも早い。
マッハ十五で大気圏突破を目指す二十八号機こと、スーパーウルトラハイパーミラクルエキセントリックワンダーマイティーアルティメットマリンが作られる頃には売上はピーク時の十分の一を割っていた。
いやいや、売上ってなんだよ? マイラスは心の中でノリ突っ込みをかました。
ちょっと疲れた顔で現れた梅田は寂しげな笑みを浮かべると震える声で告げた。
「マイラスさん。残念ながら先ほどの会議でマリンシリーズの打ち切りが決まりましたよ」
「やはりそうですか。まあ、覚悟はしていましたけどね。どんな物にも始まりがあれば終わりがある。今はただ、憂愁の美を飾りましょう」
「そうですね。人々の記憶にマリンシリーズの恐怖を永遠に刻み付けてやりましょう。そうだ! ラストフライトは私とマイラスさんが乗りませんか? せっかくの複座型なんだし。それがいい、それがいい!」
「わ、私と梅田さんが乗るですって? だけど私も梅田さんも航空機の操縦なんて出来ませんよね?」
「大丈夫、大丈夫。優秀な自動操縦装置を信用して下さいな。そもそも有人機だっていうアリバイ作りのためだけに人を乗せてたんですから。操縦席に座ってるのがチンパンジーだろうがライカ犬だろうが無問題ですよ」
「そ、そうですか……」
馬鹿にされている様な気がしないでもない。だが、最後くらいは自分たちで乗ってみるのも良いかも知れんな。マイラスはスーパーウルトラハイパーミラクルエキセントリックワンダーマイティーアルティメットマリンへの搭乗を決意した。
左右に結合したレシプロエンジンブースターのパワーを借りて二十八号機こと、スーパーウルトラハイパーミラクルエキセントリックワンダーマイティーアルティメットマリンは離陸する。
高度二万メートルまで上昇した所でブースターを分離した。そこでメインエンジンに点火だ。
普通のスクラムジェットエンジンは水素を燃料としている。だが、この二十八号機ではエンジン熱でもって燃料のケロシンを改質。生成したメタンを極超音速の空気と混合燃焼させている。その際、エンジンの冷却も同時に行ってしまうお得な設計なのだ。
ちなみにこのエンジンの吸気制御の一部に取り付けられた可動部品が目にも止まらぬ速さで往復運動を行っているらしい。
レシプロという言葉はレシプロケーティングの略称だそうな。エンジンの一部にでも往復運動する部分があればレシプロだと言い張れんことはないだろう。そんなアリバイ作りのためだけに組み込まれた部品なのだ。
そんなこんなでレシプロエンジン複葉機の二十八号機、ことスーパーウルトラハイパーミラクルエキセントリックワンダーマイティーアルティメットマリンはマッハ十五まで一気に加速すると高度百キロを越えて宇宙空間へ飛び出した。
だが、燃料を使い果たした二十八号機こと、スーパーウルトラ…… 以下略に大気圏を突破する能力は無かった。って、そんな馬鹿な話があるか!
「マイラスさん。あなただけでも脱出して下さい」
「いやいや、どこにどう脱出しろっていうんですか?」
「ですよねぇ~!」
そのふざけた顔をふっ飛ばしてやろうか? マイラスはムカついてしょうがない。
だが、このタイミングにもってこいの名セリフがあるぞ。
「梅田さん、君はどこに落ちたい?」
「……」
この男、とことん骨の髄までオタク根性に染まってやがるな。梅田は心の中で苦虫を噛み潰した。
ムーのどこかの片田舎。二階建て民家の物干し台で姉弟が夜空を見上げている。
まだ幼さを残した男の子が一点を指差しながら叫び声を上げた。
「アッ~! ながれ星!」
「何をお願いしたの?」
「射程距離四百のプラズマライフルだ」
「まあ、呆れた」
「じゃあお姉ちゃんは?」
「世界に戦争がなくなりますように…… 世界中の人が平和で仲良く暮らせますようにって祈ったわ」
完
「って、何でやねん!」
マイラスが目を覚ますと窓の外は既に明るくなっていた。
「よ、よりにもよって夢オチかよ…… ラノベで夢オチはタブーじゃなかったっけかな? マンガの神様、手塚治虫が『マンガの描き方』でそんな事を書いてたような気が……」
「いやいや、マイラスさん。手塚治虫はそんな事は言ってませんよ。何でもかんでも夢オチにしちゃ駄目だって言ってるだけですよ。別に夢オチその物を否定していたりはしませんから。自信を持って夢オチを使って良いんですよ」
「そ、そうですか。それを聞いて安心しましたよ」
「それじゃあ行きましょうか。五十八号機こと、スーパーウルトラハイパーミラクルファンタスティックロマンチックエキセントリックアルティメットインフィニット……」
「え、えぇ~っ!」
それほど広くもない部屋の中にマイラスの絶叫が響き渡った。