本日3月21日は、小野寺春さんのお誕生日ですね。
それでは。
夕暮れを感じさせるほど暗闇が徐々に周りを包み込み始めていく中、オレは遊び疲れて眠ってしまった明日花をおんぶしながら、小野寺姉妹と帰り道を歩いている。
家で皆が解散した後、帰る方向によって二手に分かれ、先程までは宮本さんや風ちゃんもこの中にいたのだが、既に別れていった。
小咲と春が前を二人隣進み、オレがその後ろをついていくのだが、珍しく二人が中々お互いで喋りだすことがないので、何かあったのだろうかと勘ぐってしまう。
「そういえば、樹君」
そうしていると、小咲がこちらに目線を送ってくる。
「どうした」
「いつも、土曜日はこうして明日花ちゃんの面倒を見てるの?ほら、この前のプール掃除の時も、お昼すぎに途中で帰っちゃったし」
「そうだな。この子、今はお祖母さんと二人暮らしをしていて、土日は基本特に予定が入らなければ、向こうに行って相手してるよ」
「そうなんだ……」
オレは背中で気持ちよさそうに眠ってしまっている明日花を少し見遣りながら、いつもよりも若干鋭い小咲にそう応じると、小咲はどこか納得したような様子になる。
「それにしても、おばあちゃんと二人で暮らしてるんですね……。明日花ちゃんのご両親は何をなされている方々なんですか?」
小咲と会話が始まってから、こちらを興味津々に見ていた春が会話に入り込んでくる。
「明日花の親御さんは……。残念なことにもういないんだ」
「っ?!す、すいません!こんなこと聞いて……」
「いや、仕方ないよ。気にすんな」
言葉通り明日花のご両親はもうこの世にはいない。
行方をくらました父親の方は探せば見つかるかもしれないが、探す気も価値もないし、それにあの人は確実に戻ってこない。
申し訳なさそうに俯く春を、オレはどうにか宥めようとする。
「樹君のご両親は、どうしているの?」
どうしても気になってしまったのか、小咲が心配そうな表情を浮かべて尋ねてくる。
「いや、オレの両親は、元気に海外で働きまわってるし、夫婦仲も親子仲も良好だから安心してくれ、二人とも」
「そっか……良かった」
「そうなんですね……」
オレの言葉に二人は安堵した様子になるも、その表情にはまだ少し陰りが見える。
「けど……、明日花ちゃんがほんと気の毒ですよね、こんなにいい子なのに……」
春はまだ先程の発言を気にしてるのか、心配の色が消えない。
「大丈夫だよ、春」
小咲も含めて二人の沈んだ様子を見ているのが、そろそろ歯がゆくなってきたオレは、どうにか明るい方向へ話を持っていこうとする。
「明日花には、お祖母さんがついてるし、それにオレだっている。オレの両親だって、このことは分かってるし、いざとなれば力になってくれるさ。それに、この子自体がとても素敵な子なんだ。ちゃんと守るよ」
自分にも言い聞かせるように、オレはいつもよりも真剣に伝える。
「だからさ、この子と会ったときは、仲良くしてくれるだけでもありがたいんだ。これからも、その時はよろしく頼む」
明日花のことを思うと熱さを抑えきることが出来ずじまいとなり、最後は懇願のような形になってしまうが仕方ない。
「うん、もちろんだよ、樹君」
「当然ですよ!任せてください、樹先輩!」
小咲も春もそんなオレの言葉を受けてか、決意のこもった視線を送ってくれる。
「ありがとう、二人とも」
気づけば、二人の家である和菓子屋『おのでら』に辿り着いていた。
「それじゃあ、また今度な。今日はお疲れ」
「うん、テスト頑張ろうね。またね、樹君」
「明日花ちゃんにもよろしくです、樹先輩!」
二人はオレへとささやかに手を振り、オレも明日花を落とさないよう片手を振り返す。
やがて二人の姿も背後へ遠くに追いやり、明日花とそのお祖母さんである
「あれ、お姉ちゃん達は?」
「お姉ちゃん達なら、もうそれぞれのお家に帰ったよ。明日花」
「そっかあ……」
明日花は眠気眼をこすりながら、寂しそうにポツリと呟く。
「ねえ。樹お兄さん……」
「ん?」
「今日ね、お兄さんだけじゃなくて、お姉ちゃん達とも沢山知り合って、遊べて、とっても、とっても楽しかった」
「そうか、良かったな」
「……また、お姉ちゃん達とも遊べるかな?」
「ああ、もちろんだ」
「ふふっ、楽しみだなぁ……」
明日花はそれだけ言うと、また眠ってしまったのだろうか。オレにさらにもたれかかり、スヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てている。
ふと離してしまえばどこかへと流されてしまいそうなくらい、所在なさげで心許ない明日花の重さを、かかる背中や持つ手で離すまいと必死に手繰り寄せながら、オレは明日花への決意をますます強くしていく。
この子はちゃんと側で見守りますよ。
だって、大切なあなたとの、大事な約束なんですから。
夕陽も空の彼方へと沈み込み、辺りは夜の気配に包まれていった。
夜ご飯も食べ終え、今はリビングでチャンネルを切り替えながら、私はぼんやりと今日の出来事を頭の中で思い浮かべる。
初めて樹先輩のお家にお訪ねできたこと。
樹先輩のはとこである明日花ちゃんと出会ったこと。
樹先輩に何度も分からないところを聞きに行ったこと。
勉強の後は皆で遊んだこと。
帰り道で樹先輩と明日花ちゃんの事情を聞いてしまったこと……。
樹先輩や皆と過ごした時間はとても楽しかったし、樹先輩の新しいことをいくつも知れて嬉しかったし、樹先輩に勉強を教えてもらうときはあんなに心がポカポカとしたし。
それなのに、どうしてだろう。
今日という日を振り返ると、なんだか晴れないような、どこかモヤモヤとした気持ちとなってしまう。
樹先輩と明日花ちゃんの事情を聞いてからは、明日花ちゃんに慈しむような眼差しを向けていた樹先輩と、それに明るく快活な笑顔で応えていた明日花ちゃんの様子を見て、羨ましいなと思っていた自分が途端に卑しく感じてしまう。
ああ、そうだ。忘れてしまいたい大事なことがもう一つ。
お姉ちゃんの想いに気づいてしまったと同時に、恐らくお姉ちゃんに私の想いが気づかれてしまったこと……。
疑いのまま、勘違いのままいてほしかったものが確信へと変わった瞬間、やっぱりそうかという納得の気持ちと、これからどうすればいいのかという不安でたまらない気持ちとが混ざり合って、その場では言葉が出なくなってしまった。
お姉ちゃんのことは大好きのはずなのに、お姉ちゃんとどう接すればいいのか分からないし、もしこの状態がこのまま続いてしまったらどうしよう……。
そんな泣き出したくなるような気持ちを抑え込もうとして、ソファの上で体操座りになって顔をうずめていると、背後から足音が近づいてくる。
「春、お母さんからお風呂入りなよ、って……」
お姉ちゃんは若干気まずそうな表情とどこか消え入りそうな声で尋ねてくる。
私は返事をする気が起こらず、空返事だけでも返そうとようやく顔を上げる。
先程までの寄る辺のなさそうな雰囲気は何処へやら、何かを決意したようなお姉ちゃんの意志のこもった表情、目が私の前に立ちはだかった。
「……今日、一緒にお風呂入ろ。春」
「え、いや、でも……、そんな……」
今はお姉ちゃんとなるべく一緒の空間にいたくないという逃げ腰の自分と、ここで逃げたらお姉ちゃんにも私自身にも失礼だと訴えてくる自分の間に板挟みになり、私の応答はしどろもどろなものになってしまう。
「どうしても話したいことがあるの。一緒に入ろ?」
揺らぐことのない、お姉ちゃんの熱のこもったその瞳に、私は完全に気圧されてしまった。
「う、うん……。入ろっか……」
いつもであったら、大好きなお姉ちゃんと一緒にお風呂に入るなんて、楽しみでしょうがなく、二人きりでいられる時間は心地よくて幸せの伴うものなのに。
今日ばかりはとてもじゃないが気が進まなくて、重苦しいものに感じてしまう。
お姉ちゃんも同じ気持ちなのかな……。
淡々と脱いだ服を洗濯籠に入れ、タオル一枚だけ持ってお風呂へと入り込んでいったお姉ちゃんを眺めて服を脱ぎながら、私も後を追うように駆け込んでいく。
それぞれ体を洗い流し終えるまで一言も口を利かないまま、やがて浴槽で二人向き合う時間がきてしまった。
私はお姉ちゃんに顔を合わせづらくて、目線を斜め下に傾けながら鼻の下までお湯につかっている。今日の入浴剤は、摘みたてのようなミントの香りがする。
触れようとしても手が伸びないような、口に出そうにも喉でつっかえてしまうような空気に包まれた中で、お姉ちゃんが口火を切った。
「……今日、楽しかったね。皆でお勉強できて」
「そう……だね」
お湯の中を見つめるように少し下を見ながら話すお姉ちゃんに、私は口の下くらいまではお湯から顔を上げて、目線はそのままずらしながら応じる。
「それに明日花ちゃんにも会えたしね。また近いうちに遊んだりできるといいよね」
「うん、そうだね……」
明日花ちゃん、と言われると、その特徴的なルビーのような赤い瞳と快活な表情が思い浮かぶ。
一方で、彼女を温かく見守っていたあの人のことが離しきれず現れてきて、私をさらに複雑な心情へと追い込んでくる。
「けど、春。明日花ちゃんにお姉ちゃんって言われて、凄く嬉しかったでしょ?」
「そ、そんなこと、ないよ……!」
「ウソ。あの時の春、うっとりしてたもん」
「そ、そうかなぁ?」
「そうだよ」
確かに明日花ちゃんから春お姉ちゃんと呼ばれたときは嬉しくないわけがなかったが、それをまたいで行ってしまうくらい私はビクビクと次に目を向けている。
「春はさ」
「うん」
「試験の勉強、結構進んだ?」
「そう、だね。数学と英語は特に」
「そっか。暗記が必要な科目は後回しでいいもんね」
「うん」
「私も、今日は数学と英語、頑張ったかな」
「そうなんだ。どれくらい進んだの?」
「私はそれほどかな……、二年生になると難しくなるし」
「だよね。私も少し見たけど、さっぱりだったもん」
「あはは、そうだよね」
「先輩達もちょっと難しそうにしてたし」
「う~んそうかな?皆、勉強できるしなあ」
「桐崎先輩とか鶫先輩とか、ずっと教える側だった気がする」
「あの二人はものすごく勉強できるから」
まるで爆弾ゲームみたいに、私達は本当に触れないといけないところを触れることができず、それは相手から言ってほしくて押し付けあうようなまま、時間ばかり徒に過ぎてゆくので、怖いのにイライラして歯痒い気持ちになっていく。
「……そう思うと、樹先輩もすごく勉強できるよね」
「……うん、この前の中間は確か樹君が皆の中で一番だったよ」
「樹先輩、勉強もできるなんてスゴイ」
「ね。……春。今日、樹君にたくさん教えてもらってたよね」
「……そうかもね。お姉ちゃんもでしょ?」
「私も樹君に何回か聞きに行ったけど、春ほどじゃないよ」
「そうだっけ」
「そうだよ、千棘ちゃん達にも教えてもらえば良かったのに」
「だって、樹先輩の説明分かりやすいもん」
「本当にそれだけ?」
「え?」
「樹君に教えてもらってる時の春、本当に楽しそうだったよ」
「……それを言うなら、お姉ちゃんだって」
「……そう見えた?」
「見えたよ」
「そんなに?」
「うん、とっても」
「そっか……」
「…………」
「ねえ、春」
「うん」
「私、樹君のことが好きなの」
「うん、今日知った」
湯気で上気した頬の赤らみ。
濡れた艶やかな髪の黒。
熱のこもった瞳の胡桃色。
真っ直ぐに私を見つめるお姉ちゃんは、これまでになく美しく私の目には映る。
やっぱり私ではお姉ちゃんに敵いっこない気がしてきた。
「けど、春も樹君のことが好きなんだよね?」
「……先輩としてね」
「ウソ。ダメだよ、春」
「ほんとだって!私は後輩として先輩のことが…」
「……はぐらかすのはやめて、春。本当のことを言って」
「だから!!本当のことだって……!」
「いいかげんにして!!」
ここまでお姉ちゃんが感情を露わにして怒号をあげるんて初めてだったので、私は思わずビクリと驚いてしまう。
「……春が樹君に恋してるなんて、私も気づいてるんだよ。隠そうとしたって無理なんだから」
お姉ちゃんはこちらを正面に捉えながらも、その表情は怒りから悲しさへと移り変わってゆく。
自分とお姉ちゃんが同じ人を好きになることで、お姉ちゃんと樹先輩という大好きな二人との関係を壊してしまうかもしれないのが怖くて、自分の気持ちを押し殺すつもりでいた私の中の抱えてる思いも、滲んできてしまって決壊しそうだ。
「……私、お姉ちゃんのことが大好きなんだよ。樹先輩のことだって……。そんな大好きな二人だから幸せでいてほしい。お姉ちゃんと樹先輩ならきっと……」
そこから先のことが言いきれず、視界はぼやけてしまい、溢れていたものが流れ出してきて私の頬を伝う。
お姉ちゃんはそんな私の両頬を包み込むようにそっと触れる。
「私も春のことが大好きだよ。けどね、樹君のことも大好きなの。……もしね、私たちが同じ人を好きになって、その時に私が何も言わず、春のことを応援しようとしたら、春はどう思う?」
「そんな……、嫌だよ。お姉ちゃんもその人のことが好きなのに、それを見て見ぬふりするようなことなんて……」
「そう。そしたら、立場が逆でも一緒のことが言えるよね」
お姉ちゃんはにっこりと微笑み、伝う滴を拭う。
「……同じ人を好きになるって、誰も傷つかないなんてことはないだろうけど、どうせ傷つくなら一緒に傷つきたいな。それに、私たち姉妹なんだから、片方だけが一人傷ついて苦しんでいる姿なんて、ほっとけないでしょ?」
私から流れ出すものはさらに勢いを加速させて、せき止めることができなくなってしまう。
「だからね、良いんだよ春。樹君のことが好きって言って、良いんだよ」
「お、お姉、ちゃん……!」
漏れ出る声は嗚咽となってぐちゃぐちゃになっている私を、お姉ちゃんは何も言わずにただ抱きしめてくれた。
あれから私が泣き止んで落ち着いてからお風呂を出て、今はお姉ちゃんの部屋のベッドに二人向かい合って寝転んで、今日のことやこれまでのことについてお互いに会話を弾ませている。
お姉ちゃんとこうして一緒に寝るなんて、いつ以来だろう。
「樹君に初日から困ってるところを助けてもらったって言ってたもんね、春。もうそんなときから、樹君のことが好きだったんだ」
「その日からというか、一目ぼれというか……」
「ふふふ。だって、その時から樹君は春の王子様なんだもんね」
「そ、そうだけど……」
今は、私が樹先輩をいつから好きになったのか、ということをニンマリとした表情のお姉ちゃんから問い詰められている。
私は恥ずかしくなって赤面しながらもそれに答えている。
「私ばっかりずるいよ……。そういうお姉ちゃんはどうなのさ?」
「わ、私!?」
私からの返し刀に、お姉ちゃんは分かりやすく動揺した様子だ。可愛い。
「前まで一条先輩のこと好きだって思ってたんだけど、いつから樹先輩に?」
「……つい最近のことだよ。一条くんのことはもちろん好きではあったんだけど、樹君と再会してからは、小学生の時の気持ちが甦ってきてね」
お姉ちゃんが小学生の頃に樹先輩のことを好きでいた、というのは私にとって既知の情報だ。
「それに、今の樹君、随分とカ、カッコよくなって大人っぽくもなったのに、昔と変わらないところとか、私との取るに足らないことも覚えててくれて……。この前だって、私がつまらないことで悩んでたのを、いとも簡単に解決しちゃってね。その時からかな、今は一条くんよりも樹君に惹かれているんだって」
「そうなんだ……」
照れてるようにしつつ慈しむような表情を浮かべて話すお姉ちゃんは、私には惚れ惚れするくらい輝いて見えてしまう。
「春、今度さ」
「うん」
「樹君と明日花ちゃんのところに二人で遊びに行こうよ」
「そうだね、私も行きたい」
「うん、きっと樹君も喜んでくれると思う」
今日の帰り道の樹先輩の姿が思い出される。
安らかな寝息を立て幸せそうに目を瞑る明日花ちゃんを背に抱えながら、凛々しくて真剣な眼差しで私達を捉えた樹先輩に、私は少しでも力になりたい。
「じゃあ、そろそろ寝よっか」
枕もとの照明のスイッチに手を伸ばすと、明かりは消え、暗がりに包まれる。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何?」
暗くて表情は読み取れないけど、私はお姉ちゃんに向かい合ったまま、囁くように呟く。
「樹先輩のこと、頑張ろうね、お互い」
「うん、負けないよ」
「私だって、負けないもん」
「ふふふ、おやすみ、春」
「うん、おやすみ、お姉ちゃん」
お互いどんな表情をしていたんだろうか。
けれど、私の心の中はすっかり憑き物が落ちたように晴れ渡っている。
お姉ちゃんも同じ気持ちなのかな。
私は目を閉じて、大好きなお姉ちゃんと樹先輩のことを頭にぼんやりと思い浮かべながら、夢の世界へと旅経っていった。
第十二話『オフロデ』をご一読下さり、ありがとうございました。
いかがだったでしょうか?
さて、お互いの恋心を認識しあった二人は、樹にどうアプローチをかけてゆくでしょうか。
次回も一週間後に投稿予定です。
それでは、また次のお話で。