学校がないと家ばかりにいて、思ってる以上にだらけてしまいがちになるので、時折自分なりに気を引き締めておくのも肝要ですよね。
それでは。
知佳さんと樹君が作ってくれた夕食も食べ終え、私は春と一緒に、夕焼けの空の下に映る庭の様子を縁側で眺めながら、知佳さんの淹れてくれたお茶を嗜んでいる。
夕食は和風ハンバーグだった。
外はこんがり、中はジューシーで、ほんのりと甘さを残しつつ肉汁が香ばしく口の中に広がり、何より温かく優しさのこもった味がして大変美味しかった。
―――この料理、樹が得意らしいのよ。
口元へ上品に手を当てながら言った知佳さんの言葉が思い出される。
作った理由は、せっかくの夕食だから、ある程度自信のある料理しか作りたくなかったからだそうだ。
悪戯に笑う知佳さんに、そう暴露された時の樹君の、澄ましながらもキリッとした眉が下がり、耳を若干赤らめている、あの姿が愛おしく脳裏に映し出される。
今さっきだって、あの時の樹君の、普段は全く見られない可愛げのある姿は、春とも話題に上ったところだ。
当の樹君は、明日花ちゃんのお部屋で、一条君も含めて三人でテレビゲームか何かで遊んでいるようだ。
明日花ちゃんや一条君の賑やかな声が階上から私達の元まで届いてきている。
「お二人さん、お茶の方はどうかしら?」
「あ、はい!とっても美味しいです!」
「よかった」
意識外からの知佳さんの登場に、春は声を上ずらせながら返事する。
知佳さんは穏やかな表情を崩さずに、温かな笑みを浮かべたまま、今度は私の方へ視線を寄こす。
「小咲さんの方も、お口に合ったかしら?」
「はい、和菓子とも相性がとても合いそうなくらい、香ばしくて美味しいです」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。流石、和菓子屋の娘さん達ね」
そう言うと知佳さんは、縁側で隣並んで座る私達と同じように、春を私と挟み込むようにして腰かけた。
私の方へ少し悔しそうな視線を向けていた春は、隣に知佳さんが腰かけたのを見るや否や、目をパチクリさせながら肩に力を張るようにする様子である。
その姿が私の目には可愛らしく微笑ましく映る。
「春さん、そんな畏まらなくったっていいのよ」
「あ、す、すみません!」
「ふふ、もっと気楽でいいんだから」
「は、はい……」
慌てふためく春とは対照的に、知佳さんはまるで小動物を愛でるかのように、柔らかな表情を浮かべている。
「お二人さん、今日は明日花のワガママに付き合ってくれてありがとう。明日花、いつにも増してすごく楽しそうにしてたわ」
知佳さんはそのままの表情で、私達へと目線を合わせる。
「そんな、とんでもない!こちらこそ、いきなりお家の方に上げて下さり、こんな美味しいお茶やお夕食を頂けたりして……。ありがとうございます、知佳さん」
「春の言う通りです。お礼を言うのはむしろ私達の方ですよ」
春も私も思いが伝わるようにと、しっかり知佳さんの目を見つめ返す。
「いいのよ。あなた達には明日花のことは勿論、特に樹のことでお世話になってるからね」
「いえ、こちらもと言ってはなんですが、私達の方が樹君にお世話になっております。最近だって、お店のことで樹君のこと巻き込んで、色々してもらいましたし……」
「そうなんです。樹先輩にはこれまで何度迷惑かけたことか……」
樹君の方へ話題が流れると、私達は姉妹揃って、尻込みするような調子になってしまう。
「ふふ、二人ともいい子ね。樹からも色々聞かされるわ。学校の人間関係に関しては、あなた達のことが一番かもしれないわね」
「へぇ、一番ですか……、えへへ」
知佳さんからの言葉に、春は喜びが隠し切れないようで、嬉しさが表情にも言動にも出てしまっているが、私も口元が緩むのを我慢しきれていない。
すると、知佳さんが足の上に重ねていた手を解いたと思えば、右手の袖を口元に当てて、こちらを覗き込むように小首を傾げる。
「ところでお二人さん、樹のことがお好きなんでしょう?」
「「え、えええ!!?」」
「あらあら、図星かしら」
あまりの直球が知佳さんから投げられるものだから、私と春は驚きすぎて口をあんぐりと開けながら、苺のように顔を真っ赤にしていく。
「ど、ど、どうしてですか?!」
「今日のお二人の様子を見るだけでも充分明白よ。それに、二、三週間ほどとはいえ、樹にお弁当持って行ってたそうじゃない。よほど好感度がない限り、異性にそんなことをするとは考えられないわ」
知佳さんからの説明に、私達は既に赤くなったその顔を益々火照らせていく。
「私の親族は何故か皆ね、こんなことやあんなことに目敏くなる傾向にあるのよ。言い当てたようでごめんなさい。けれど、ここでの話は女の子同士ということで収めておくから」
確かに、私達の樹君への好意の表れをズバリ見抜いた知佳さんの話す姿は、まるでちょっとしたことですぐに気づいて理路整然と話す樹君のように私は感じた。
待って。ともすれば、今日会ったばかりの知佳さんでさえ気づくのだから、ましてや当の樹君には、私達のこの想いの片隅でも既に見抜かれてしまっているのだろうか。
「全く、こんなに可愛らしい御姉妹に想われるなんて、樹も中々やるわね」
私の懸念を他所に、知佳さんをどこか感心したように言う。
すると、顔を俯かせて悶えていた春が顔を上げて、知佳さんの方へ再び顔を合わせる。
「あのっ、知佳さん」
「はい」
「確かに私は、こうして言われただけでこんな反応をしてしまうほど、樹先輩のことがす、好きです……。けど、だからこそ、気になることがあって…」
「何かしら?」
「樹先輩と、その、明香里さんって、一体どんな関係だったんでしょうか?」
春は胸に手をぎゅっとやりながら、決意のこもったように知佳さんへと投げかけた。
いつの間に春は、こんな思いきりのあることが出来るようになったのか。
私が春に目を細める一方で、私自身もあの部屋での樹君の様子から、ずっと気にはなっていた問いが明かされるのを期待して、知佳さんへと熱い視線を送る。
私達が迫ってくるのを見て、知佳さんは先程までの様子とは変わり、どこか真剣な面持ちで、庭に生えている植物を見やる。
「そうねぇ……、あの二人に関しては、何というか一言じゃ上手くまとまらないわね。それこそ樹が物心ついたときから、姉弟みたいで、友人のようで、師弟を思わせて、あるいは……」
そこまで言うと知佳さんは、それ以上深く掘り下げるのを避けるように言い淀む。
「とにかく、一言では表せない関係だわ。けれど、樹にとって、明香里は今でも忘れることのできない存在であることは確かね」
「そうですか……」
忘れることのできない存在……。
樹君にとって、明香里さんが切っても切れないほど重要な人物であるというのは分かったけれど、一体樹君は明香里さんに今どんな気持ちを抱いているのだろう。
きっとこのとてもとても気になる問いを解き明かさない限りは、樹君とさらに深い関係になるのは不可能に近いことだろうと、直感が私に働きかけてくる。
春もきっと同じように考えているのだろう。
胸に当てていた手を降ろして、膝の上で固くぎゅっと握り締めている。
「樹は、学校ではどんな感じかしら?」
私と春が言葉を発せずにいると、今度は知佳さんから私達に尋ねてくる。
「樹君はクラスの委員長で、皆のことを気にかけてくれて、誰に対しても気配りができて、先生からも頼りにされてます。誠実で大人っぽくて、誰とでも仲良くできるから、クラスでも学年でも大人気です」
「そうなの、随分としっかりしてるのねあの子」
「はい!いつもカッコよくて、頼りになりますし、尊敬してます!」
「あらあら、お熱いわね」
「え、そ、そんな……」
夕食の時の樹君に対してしたように、悪戯に微笑む知佳さんに弄ばれて、春はまた顔を赤らめていく。
そんな知佳さんは表情を崩さないまま、視線を膝の上へ落とす。
「あの子、少し背伸びしてるのよ。早く大人になりたがって、色んな事をこなそうと、気ばかり張っちゃって。本人は上手く隠してるつもりでも、私には分かるわ。そんな風にさせたあの子の両親や私、それに明香里が悪いのだけれど。あのままだと多分どこかで疲れきってしまうわ」
気遣わしげに語る知佳さんを見つめながら、私には普段の樹君の姿が思い浮かぶ。
大人びていて頼もしい印象が、誰の目にも自然に定着しているように見える樹君が、実は多少気を張っているようなのは、薄々だけど感じてはいた。
だって、私の手を引いて連れ出してくれたあの頃のあなたは、感情こそ今のようにあまり表情などに出なかったけれど、もっとありのままでいてくれたような気がするから。
「だからね、樹と親しいお二人だから、お願いと言ってはなんだけれど、少しでも樹の気を楽にさせてあげて。いつもだとかずっとだとかは言わないわ。ただ、ふとした時に気にかけて、寄り添ってくれるだけでいいから」
真っ直ぐにこちらを捉えながら、知佳さんは不安なようで、けれど優し気な口調で私達に投げかけてくる。
「はい、任せてください」
「もちろんです、知佳さん」
即座に伝えた春に続くように、私も間をほとんどおかずに返答する。
あの勉強会の日から、私達の樹君への想いとその働きかけは決まっている。
「本当にいい子達ね。お二人なら、きっと樹だって……」
知佳さんが言葉の続きを紡ごうとした瞬間、上からドタドタと音がしたと思えば、その音は階段の方へと向かってきている。
きっと明日花ちゃんの足音に違いない。
「……今日はここまでかしらね」
スッと知佳さんは立ち上がり、リビングへと足を向けようとする。
気づけば太陽は地平線で見え隠れしていて、辺りは段々と薄暗くなってきていた。
「お二人さん」
リビングへ動き出す前に、知佳さんは柔らかな笑みをたたえて私達の方へ向き直る。
「樹のこと、これからもよろしくお願いします」
知佳さんが腰を折り曲げて、綺麗なお辞儀を突然にするものだから、私と春も慌てて立ち上がり、不格好なお辞儀を返す。
「お姉ちゃん達!一緒にこれやろ~!!」
階段から降りてきた明日花ちゃんは、両手にボードゲームの箱を抱えながら、元気一杯の様子で尋ねてきた。
後からやってきた樹君は半ば呆れたように、一条君も苦笑いを浮かべている。
「明日花、もうそろそろお時間よ」
「そうだぞ、お姉ちゃん達もお家に帰らないといけないから」
「え~~もっと一緒に遊びたい~!!」
知佳さんと樹君に諭されながらも、明日花ちゃんはさらに駄々をこねる。
私もまだまだここにいたい気持ちは山々だけれど、外も間もなく暗闇に包まれてしまう。
そこで、私は春と顔を見合わせ、妙案を思いついたので、明日花ちゃんの方へと二人で歩み寄る。
「明日花ちゃん、今日のところは私達も帰らないといけないけど、今度ね、近くで花火大会があるの」
「花火、大会……?」
「うん、良かったら、お姉ちゃん達と一緒に行かない?先輩達とも一緒にね」
「行きたい!!皆さんと一緒に回れるの!?」
「そうだよ、樹君たちもいいよね?」
「ああ」
「いいぜ、千棘たちもきっと喜ぶと思う」
二人からも了承の返事を得て、明日花ちゃんはそのルビーの瞳を一際煌めかせながら、とっても楽しみで仕方ないといった様子で小躍りしている。
私は、そんな明日花ちゃんの様子を、困ったようにしながら笑みを浮かべて見つめる樹君の姿を、バレないように目でちゃっかりと追う。
よかった。これなら明日花ちゃんも喜んでくれるし、何より樹君を自然に花火大会に誘うことができた。
目を合わせただけでお互いの企みが分かっちゃうなんて、やっぱり私達姉妹だね。
同じように樹君を眺める春と再び顔を合わせ、私達は微笑みあった。
時計の針は21時を過ぎた頃だろうか。
春達は既に家に送り届け、彼女達が帰宅した後もまだまだ元気の余っていた明日花と少し遊んだ。
そしてつい先程、とうとう遊び疲れた明日花が寝静まったところだ。
和風とモダンが噛み合ったリビングには、テレビから本日のニュースを読み上げるアナウンサーのハキハキとした声と、ブラウンの絨毯の上に整然と正座を組んでいる知佳さんがお茶を点てる音だけが聞こえてくる。
オレはソファに腰かけ、ニュースを小耳にはさみながら、手元に置いてあったレモンスカッシュのペットボトルの蓋をプシュリと開ける。
「またそんなもの飲んで。体に悪いわよ」
「飲みたいから飲むんです」
「明香里みたいなこと言わないで頂戴」
明香里の名前を出しながら、知佳さんは口を尖らせる。
そういえば、明香里と一緒にいた頃は、半ば強引に飲みに付き合わされたっけ。
あの人、すぐに酔うタイプだったから、一杯付き合うだけで済んだのだが。
「まだまだレモン系の飲み物しか味がしなくって」
「ずっと飲んでるわよね。お茶もまだ?」
「そう、だね。まだ」
レモン系の飲み物は明香里の大好物だった。
いつも飲み物を欲しい時に何か頼めば、そういうものばかり渡された。
何回か直接尋ねたこともあったが、返ってくるのはいつも、まるでRPGのキャラクターのセリフみたいに、決まりきった言葉だった。
―――好きの押し売りよ。
全く、とんだ迷惑である。
今でもオレはそれらを手に取り続け、手放せないでいるのだから。
「今日、明香里とは何か話した?」
お茶を点て終えた知佳さんは、出来上がったお茶の様子をまじまじと見つめている。
「この家には珍しく、若いお客様が三名いらしたよって。改めて、簡単な他己紹介したかな」
「そう」
それだけ言って、知佳さんは音を立てずにお茶を啜る。
そして、知佳さんは茶碗を机に置き直すと、こちらに視線を寄こす。
「今日いらして来た子達は、あなたに聞いていた通り、皆とてもいい子だったわ。一条君は好青年だったし、小野寺御姉妹は、小咲さんの方はお淑やかで、春さんは素直な子で、お二人とも可愛らしかったわ。素敵な人達に囲まれてるわね」
「ああ。何とも幸運だよ」
知佳さんは、オレと目を合わせるというより、オレの首元辺りを見ているようであるが、次の瞬間その視線を引き上げて、オレの目をじろりと見つめる。
「樹、小咲さんや春さんのことをどう思ってる?」
「……どうしてまたそんなこと」
炭酸の抜けるように、オレは気でも抜いてたのか、返答を間違えた。
捕まえたとでも言いたげに、知佳さんはオレから目線を外さずにロックしてくるので、オレも目を背けずに身動きが取れなくなる。
「あら、気づいてないとでも思った?それとも、樹の方がまだ気づいてなかった?」
「さあ、どうかな。一体知佳さんは何のことに気づいたのやら」
「勘違いならごめんなさい。あなた、小咲さんや春さんと、なるべく二人もしくは三人でいること避けてなかったかしら?」
「……降参。相変わらずあなた方の観察と洞察には恐れ入る」
「正直なところがあなたの良いところよ」
抵抗を試みはしたが、やはりこの家の人にはすぐに分かられてしまったようだ。
わざとらしく両手を挙げるオレに、知佳さんはふっと微笑みをたたえる。
「それで、お二人のことはどう思ってるのよ?」
知佳さんは目線はそのままに、小首を傾げて興味ありそうに眼をしばたたく。
「……二人とも、それこそ知佳さんの言葉を借りるなら、とてもいい子だよ。小咲は、小さい時からだが、おっちょこちょいでぼんやりとしてることが多いけど、穏やかで一緒にいれば気兼ねなく接することができて落ち着く。春は、高校の初日から知り合ったけど、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい素直だし、礼儀正しい。それに、感情が豊かで表情をコロコロ変えるものだから、一緒にいて飽きない。それと、二人とも他人を気遣う優しさを持ってる。たまにそれが行き過ぎてて心配になることもあるけど」
「あらあら、樹にしては、随分と語るわね」
「正直なので。聞いたの知佳さんだろ」
口元に袖を当てて目を丸くする知佳さんに、オレはいたたまれない気持ちを視線で送る。
確かに少し言い過ぎたのは、自分であるんだけれど。
「そうね。けれど、樹にとってはいいことよ」
袖を振り払いながら、知佳さんはオレから目線をずらし、今度はテレビ画面の方を何となくといった感じで見やる。
「また一つ聞くわ、樹。お二人とはこれからどうしていきたい?」
「どうしていきたい、か……」
それだけ言うにとどまり、オレは二の句が継げなくなってしまう。
二人と、小咲と春と、どうしていきたいかなんて、今のオレには……。
「大人の殿方なら、女の子をあんまりに待たせるのは感心しないわよ」
「分かってる」
あの二人それぞれへの明確な感情を、自分自身が納得できる答えを、今持ち合わせている訳ではない。
しかし、このままの関係を引き延ばしたままなのは、オレにとっても、あの二人にとっても、良いことではないということは感じている。
ただ、どうしてか。まだ踏み切るべきではない、踏み切ってはならないと、アクセルを入れようとする足を絡めとるように、ブレーキの手がいくつも伸びてくる。
それに、あの人のことだってまだ……。
「樹、明香里のことが忘れられない?」
知佳さんからのそっと触れるような言葉に、オレはハッと息を呑み顔を上げる。
はたから見ると、前屈みになって床ばかり見ていたことに、今更ながら気づいた。
「明香里のことは忘れなくていいのよ。いや、忘れてはならないわ。死んだ者は二度とこちらに戻ってはこないけれど、生きる私達の記憶の中で生き続けることができるのよ」
知佳さんは、テレビ画面から目線を天井の方へ逸らし、目を閉じて、オレだけでなく、自分にも沁み込ませるように語りかける。
「しかしね、樹。それに縛られたり、囚われたりしていてはいけないわよ。これは、明香里が亡くなってすぐ後に、向こうで私があなたに伝えたわよね。覚えているかしら?」
「ああ、覚えてる。覚えてはいるけど……」
忘れもしない。あの夏の終わりが近い頃の、こっちの夏と比べたらずっと涼しくて、曇天が空を覆いつくしていたあの日。
連絡を受けて飛行機で飛んできた知佳さんが明日花とともに駆けつけてきて、忙しいはずだが居合わせてくれたオレの両親と、諸々の手続きを済まし終えた後、オレ達の家で日中わんわんと泣いていた明日花が寝静まってから、二人きりになった時に伝えられた言葉だ。
「ええ、実際にそれができるようになるのは時間が必要よ。特にあの頃のあなたにとって、明香里という存在が一番近しい存在だった。ひどく難しいことだと思う」
知佳さんは目をゆっくりと開けながら、天井をじっと眺めている。
「けれど、もう一つ必要なことがある。それは、この悲しみや痛みを少しでも共有してくれる人よ。一人では抱えきれずに押しつぶされてしまいそうになる。私やあなたのご両親、明日花だって、あなたにはいつでも手を差し伸べるわ。それでもね、小咲さんや春さんこそが、一番あなたにとっては力になるはずだと私は思うの。それが例え、あなたの選んだ方でも、どちらであってもよ」
天井を眺めたまま、知佳さんは目の周りのしわをくっきりとさせながら、顔全体から力を緩めて柔らかい表情を作り出す。
「だからね、樹。今あなたの前にいる小咲さんと春さんのことに、しっかり向き合いなさい。あなたがそうある限り、あのお二人なら受け止めてくれるわ」
そこまで言うと、知佳さんは茶碗を手に取り、茶の残りを全部飲み干すと、テキパキと机の上を片付けて、自分の寝室の方へと歩いて行く。
そして去り際に、相談にはいつでも乗るから、とだけ言い残して、そのまま扉を閉めて行ってしまった。
いまだ流れてくるニュース番組の、週間の天気予報を伝えるキャスターの声だけが響くリビングに、一人ぽつりとソファに取り残されたオレは、手元に置いていたペットボトルを再び手に取り、まだ半分残ってる中身を恨めし気に眺める。
それが自分の中に今なお在る想い出の残滓にも、抱えている焦燥や苛立ち、不快感、悲しさや愛しさといった感情の数々がごちゃ混ぜになったようなものにも見える。
オレは蓋を開けて、それらを無理矢理に、喉の奥へ奥へと流し込む。
忽ちやってきたレモン特有の酸味と苦味といった炭酸の刺激に、オレは思わず顔をしかめながら、瞼を強く閉ざした。
第十六話『カンケイ』をご一読下さり、ありがとうございました。
いかがだったでしょうか?
迫る小野寺姉妹、悩む樹。
それでは、また次のお話で。