それでは。
盛夏を思わせる日差しが地面を強く照らし続けており、外はうだるような暑さだ。
クルクマや秋海棠が花を咲かせ始める八月になった。
お姉ちゃんや樹先輩達と花火大会に行ったのも、随分と遠くに感じてしまう。
あの時、明日花ちゃんの気がかりそうな呼びかけで樹先輩の方に目を移した時、泣きそぼつ樹先輩の姿がそこにはいて、私は不意を打たれて狼狽えてしまった。
触れてほしくないように、何でもないようにとぼける先輩を見て、私は理由を問いただせずに何も言うことができなかった。
だって、あの時の先輩は、それ以上口を出せば、触れてしまえば、そのまま音を立てて崩れていってしまいそうなくらい、悲しそうで辛そうな表情をしていたから。
楽しかったはずの花火大会での記憶は、嘘みたいにそのことで埋め尽くされてしまった。
私もお姉ちゃんも、花火大会の後の数日は、樹先輩のことが心配で、どうして涙していたのかを考えてばかりで、浮かない表情をしていた気がする。
自分達だけではどうにもこうにも頭を抱えてばかりだったので、風ちゃんやるりさん、お母さんにも相談してみた。
「今は……、あまり気にしないであげたほうがいいんじゃない?」
風ちゃんは、まじまじと手元にあるチェキの画像を覗いている。
「そっとしといてあげるのが一番じゃないかしら」
るりさんは、暑さに唸りながらバニラのアイスクリームを口にする。
「そういうのは待ってあげなさい。樹君ならその内話してくれるんじゃない?」
お母さんは、台所で洗い物をしながら、いつもよりも穏やかな口調で言う。
三人とも結論としては同じようなので、それらを踏まえて私とお姉ちゃんは改めて二人で話し合った。
結局のところ、樹先輩とはいつも通りに接したり、こちらから遊びに誘ったりしていくことに落ち着くことになった。
例えば、樹先輩を水族館に誘ってみた。
チケットは四枚あり、もう一人に一条先輩が連れて来られたけど、大事なのは樹先輩が私達の誘いに乗って来てくれたことだ。
その日は、入口付近のパネルで記念撮影をしたり、館内の綺麗な水槽に収められた生物達をたくさん眺めたり、賑やかなイルカショーを見に行ったりして、とにかく楽しんだ。
帰り際に樹先輩から貰ったお土産のストラップは、私の通学鞄に取り付けられている。
また、明日花ちゃんとも一緒に、先輩たちも含めて、樹先輩のお家へ遊びに行った。
事前に了承は得ていたので、押しかけて来た私達を、樹先輩はいつもと変わらない穏やかな表情で迎え入れてくれた。
皆でたくさんボードゲームやテレビゲームをしたり、勉強を進めたりしたっけ。
この前なんかも、図書館で夏休みの宿題を終わらせようとしてたはずなのに、桐崎先輩と橘先輩の料理対決に巻き込まれたことがあった。
桐崎先輩の持ってくる奇天烈な料理や、それを食べて吹っ飛んだりする一条先輩を、呆れたような笑みで眺める先輩の姿が見れるだけで、私は胸を撫で下ろしていた。
近々では皆で海に行く予定もあったのだが、一条先輩が盲腸になって入院することになってしまった。
なので、その予定は中止になり、今日は一条先輩へのお見舞いに、お姉ちゃんと一緒に向かっている。
図書館以来、樹先輩とは会えていない。
海に行く予定も、話が出た時点で先輩は断っていたそうだ。
花火大会以来、振り返った通り先輩とは会っていたけど、私やお姉ちゃんは先輩から避けられているような気がする。
花火大会の件で、私やお姉ちゃんに対して気まずく感じてしまっているのかな。
それとも、私達の想いがあなたに伝わってしまったのかな。
あなたとの距離を詰めたいのに。あなたにもっと近づきたいのに。
夏休みもあと少しで終わっちゃいますよ、先輩。
私は心の内で樹先輩に呼びかけるようにして、辿り着いた病院の屋内へと入った。
「じゃーね、一条君。また来るからお大事にね」
「サンキューな、小野寺。それに春ちゃん」
「安静にしてくださいよね。それではまた」
春と一緒に一条君のお見舞いを終えた私は、扉を閉めてナースさんがまばらに行き交う廊下を歩き出す。
海に行く予定が中止になっちゃったのは残念だけど、一条君が大変そうで心配だったし、今日元気そうなのも確認できて良かった。
一条君のことはこれでひとまず安心なのだけれど、問題なのは樹君の方だ。
花火大会のあの日以来、樹君は私や春と一緒にいるのを避けがちになっているような気がする。
もう少ししたら夏休みも終わって二学期が始まるというのに、樹君のことでモヤモヤが晴れないままなのはよろしくないように感じる。
それにあの日以来、樹君の表情はいつものように澄ましているのに、どこかそこには憂いがあるようで、何か悩んでいそうに見えた。
一体樹君は何に悩んでいるのだろう。
その悩みらしきものがきっと、幼い頃でも見たことがなかった、あの日の樹君の涙に繋がっているはずだ。
夏休みが終わる前に一度でもいいから、樹君と会って話がしたい。
その時に樹君から聞き出せるなら聞き出して、少しでも樹君の力になれたら……。
「ね、ねぇお姉ちゃん」
私がつい考えを巡らしていると、春がある病室の前で立ち止まり、驚いたようにして病室前の名札を指差している。
名札には『二階堂知佳』と記されている。
「え……、まさか知佳さんの事じゃないよね?」
「わ、分かんないよ……」
寝耳に水のことで、私も立ち止まって呆然としてしまう。
もし知佳さん本人だったら、樹君は、明日花ちゃんはどうしてるのか。
「あら、あなた達。これから二階堂さんのお見舞いかしら?」
「え、いや、その……」
黒髪ロングなナースのお姉さんが声をかけてくれるが、私達はどう返答すればよいか分からずまごついてしまう。
「二階堂さん!可愛らしいお嬢さん方がお見舞いに来てくださいましたよ!」
そんな私達の様子は露知らず、ナースのお姉さんは扉を開けてしまう。
なので、私も春も恐る恐病室の中へと顔を覗かせる。
「あら、ほんとに可愛らしいお客さんだこと。いらっしゃい、小咲さん、春さん」
そこには、本を片手にこちらへとにこやかな笑みを浮かべる知佳さんの姿があった。
私達は招かれるがままに、知佳さんの元まで駆け寄る。
「ち、知佳さん!一体どうされたんですか!?」
「そうですよ!どうしてここに……!」
「ちょっと貧血で倒れたようでね。私も年よね」
慌てた様子で迫る私達に、知佳さんは本を枕元に置きながら、平然と話す。
「そんな心配なさらくても大丈夫よ、お二人さん。あと二、三日もすれば退院できると言われてるわ」
「け、けど、いつから……」
「いつからと言われたら、一週間くらい前かしら。樹が一緒にいたから助かったわ」
「そ、そうなんですか……」
一週間前……。図書館で皆と夏休みの宿題を終わらせた次の日くらい?
樹君の姿を最後に見た日だ。
「い、樹先輩や、明日花ちゃんはどうしてるんですか?」
「あの二人なら元気にしてるわ。樹には、明日花のことでも、他のことでも色々と面倒かけてしまったけどね……」
知佳さんはそれだけ言うと、少しばかり表情を曇らせる。
「実はね……、昨日は明香里の一周忌だったのよ。本来は私がやらなきゃいけないことを、あの子に任せきりにしちゃって。幸い、自宅であの子達だけだし、僧侶の方の相手などをするだけで済んだけどね」
「そう、だったんですね」
昨日は明香里さんの命日だったようで、尚更私は、樹君に対する不安と心配の気持ちが加速度的に高まってくるのを感じる。
「樹の事が心配かい?」
そんな私の感情を読み取ったのか、知佳さんはそっと尋ねてくれる。
「も、勿論、心配です!最近会えてなかったですし、それに……」
「それに?」
「何だか、私も春も、樹君から避けられているようで……」
「へぇ……、全くあの子は」
やっぱりまだまだ子供ね、と知佳さんは溜息をついてから、手元を見つめて口元を緩める。
「こんな可愛らしい御姉妹をこれだけ心配させるなんて、退院したら樹には説教が必要ね」
「いや、でも樹先輩にも、先輩なりの事情とかあるでしょうし……」
「駄目よ、春さん。お二人がどれだけ不安に思ってたか、どれだけ心配してたか、あの子に直接会って伝えなさい。お二人とも、本日のご予定は?」
「私もお姉ちゃんも、今日はもう予定ないですけど……」
「あら、それなら」
それだけ言うと、知佳さんは机の上から自分のスマホを持ってくるように春に伝えるので、春が言いつけ通りに知佳さんの元までスマホを持っていく。
すると、知佳さんは電話帳を開くと、通話ボタンを押し、スピーカーをオンにして、口元に人差し指を添え、静かにするようにとジェスチャーを送る。
「はい、もしもし。知佳さん?」
「あ、もしもし、樹かい?」
何コール目かした内に、樹君の落ち着いた声が聞こえてきた。
まさか、とは思ったけど、本当に樹君に直電するなんて……。
「どうしたの、いきなり電話を寄こすなんて。何かあった?」
「いや、もう昼過ぎでしょ。お昼どうしてるかしらと思って」
「昼なら、簡単にサンドイッチ作って明日花と食べたけど」
「ならいいわ」
「何それ」
知佳さんと話す樹君の声は、なんだか気を軽くしてるようで、私には微笑ましく聞こえてくる。
「改めて、昨日はお疲れ様。少しばかり大変だったでしょ」
「ああ、誰かさんが先週貧血でぶっ倒れたせいだけど」
「あらあら、それはご苦労様なことです」
「全く、この人は……」
知佳さんにひらりと躱されて、樹君の呆れるような声が届く。
「話を変えるけれど、昨日見舞いに来たあなたは、随分と久しぶりに晴れやかだったわね。お悩みも、だいぶ良い方向に進んだかしら?」
「そう、だね。自分の中でようやく整理できつつあるかな」
「良かったわね、声色も明るくなったわ」
「そう?そんな気はあまりしないけど。それに、やらなければならないこともあるし」
「小咲さんと春さんのことかしら?」
「ああ、明香里のことも自分の中で落ち着き始めた今、あの二人とはどうしても話をする必要がある」
言われる通り、確かに樹君の声はこの前と比べたら、明るくなった感じはしていた。
けれど、知佳さんから私と春の名前が出され、樹君からも話をする必要があるなんて真剣なトーンで言われてしまえば、私達はドキリとして思わず声が出てしまいそうになる。
「ええ、そうね。ところで、お二人とは、いつお話するつもりなのかしら?」
「近いうちに必ずするよ。これ以上引き延ばしても良くないし」
「だそうよ、お二人さん」
「「え」」
「ちょ、え……だそうよって。それに、二人の声も……え?」
知佳さんにいきなり振られるので、私達も思わず声が出てしまった。
私達の存在を通話越しに今知った樹君が一番驚いているのだろうけど。
「ま、待って。知佳さん、病室にいるはずだよな?それが、一体全体、どうして、小咲と春と一緒にいるんだ?」
「あらあら、樹にしては随分な慌てようね」
私達もこれほどあたふたする樹君の声を聴いたのは初めてかもしれない。
にやにやと笑みを浮かべる知佳さんにつられて、私もにやけずにいられなくなる。
「樹先輩、今日は一条君のお見舞いに来てて、その帰りに偶々知佳さんの病室を見つけてしまいまして……」
「ああ、な、なるほど。そういうことか……」
笑みを隠し切れない春が事情を伝えると、樹君は一つ溜息をつきながら納得したように言う。
「まあまあ、樹。家にいるんでしょ?これからお二人をそちらに寄越すから、あとは若い者同士でお話なさい」
「え」
「「ち、知佳さん!!」」
今日の予定を聞かれた時点で嫌な予感はしていたけど、まさか本当に知佳さんがそんなことを言いだすとは思ってもみなかったので、私も春も顔を真っ赤にして知佳さんに詰め寄る。
「お二人も、樹も。早く会ってお話がしたいんでしょう?だったら、今日この後がいいんじゃないかしら」
あっけからんとして、知佳さんは悪戯な笑みを浮かべている。
「……小咲に春。本当に家に来るのか?」
そこへ恐る恐るといった感じで、樹君が尋ねてくる。
「うん……行くよ。私も樹君とお話がしたい」
「私もです。先輩とお話がしたいです」
「そうか……。知佳さんの家で待ってる。着いたら教えて」
その言葉を最後に、樹君との通話は途切れてしまう。
私達は急いで自分たちの荷物を手に取り、知佳さんへと深々とお辞儀を返し終えてから、駆け出すように病室を飛び出した。
時刻は既に21時を回ったところである。
遊び疲れた様子の明日花を部屋のベットまで運び終えたオレは、階段を下りた先のリビングに向かう。
そこには、いつもであればいるはずのない、パジャマ姿の姉妹が吞気にお茶を楽しむ様子があるので、今日何度目か分からないくらい信じられない気持ちになる。
「樹君、お疲れ」
「……まさか、今日こんなことになるなんてな」
「それは私達も同じ気持ちですよ、樹先輩」
小咲も春も絨毯の上に腰を落ち着けているので、いつものようにソファに腰掛けるのは忍びなく感じ、オレも二人の顔がちゃんと見えるよう絨毯の上に座る。
知佳さんとの通話のおかげで、今日小咲と春を家に招いて話をすることに決まってから、どうして今日二人がこの家に泊まることになったのか。
どうにも、小咲達がこちらに向かう途中に菜々子さんへ連絡をしたら、そのまま今日は泊っていけ、といったニュアンスのことを言われたらしい。
その勢いに押されて、二人が用意を持ってこの家に来てしまったので、オレは断るにも断れなくなってしまった。
小咲も春もなんだかとても楽しそうにウキウキとした様子あったし、オレには彼女達に不安や心配をかけていたことが電話でも伝わってきてしまったし、今日ばかりは仕方ないだろう。
明日花も含めて四人で、夕飯の食材の買い物に行ったり、ボードゲームなどで遊んだり、夕飯を一緒に作ったりと、盛りだくさんな午後を過ごした。
元気よく遊びに誘ってくる明日花と、何かと一緒にいたがる小咲と春のせいで、普段より多少は疲れたが、こんな賑やかな日もあって良いじゃないか、と開き直った。
何より、明日花も楽しそうだったし、小咲と春も実に嬉しそうな様子を見せてくれたから、何でもよくなってしまった。
しかし、本題を忘れたままではいられない。
明日花もこの場からいなくなった今、二人と話をするのはこのタイミングだろう。
オレは姿勢を正して、二人の方へと向き直る。
「さて、そろそろ二人に話したいことがあるんだけど」
「う、うん」
「は、はい」
小咲も春も、心構えはしていたみたいだが、いざ口に出されるとドキリとしたような反応をする。どこまでも姉妹である。
「話す前に、確認したいことが一つあるんだ」
「確認したいこと?」
「何ですか、樹先輩?」
「二人は、オレの事、どう思ってるの?」
「「え、ええええ!??」」
オレの言葉を聞いた途端に、二人揃って面白いくらい、リンゴのように赤面してしまう。
「悪い、こういうのは先に相手に聞くより、自分から言うべきだよな」
オレが大げさに両の手を広げて言うと、いよいよ二人は身を固くしてしまう。
「じゃあ、小咲からな」
「う、うん」
膝の上で拳をぎゅっと握る小咲に、オレは視線を寄こす。
「小咲は、小学生の頃から、お人好しかってくらい優しいし、よく話を聞いてくれるよね。おっちょこちょいなところもあるけれど、誰に対しても分け隔てなく接することができるし、おっとりとして穏やかな雰囲気もあって、一緒にいて心地いい。オレは、そんな小咲と一緒にいる時間をとても気に入ってるよ」
オレの言葉を、小咲は頬を赤らめながら、真剣に目を合わせて聞いてくれる。
「次に、春」
「え、あ、はい!」
呼ばれて背筋をピンと伸ばす春が微笑ましく思える。
「春は、結構オレを慕ってくれるよね。色々頼ってもらえて、先輩冥利に尽きるのだけども。君は活発で、いつも感情がコロコロと表情や仕草に現れるから、近くにいてその様子を見てると、とても楽しいし、心が安らぐような気もするんだ。こう見えて、春からはたくさん元気を貰ってるかな」
「そ、そんな、ありがとう、ございます……!」
春は俯きながらも、けどどこか口元を緩めて嬉しそうに言う。
オレも二人の姿を捉えて、きっと笑みを浮かべていただろう。
しかし、オレはその表情を少しづつ真剣なものへと変えていく。
「それでね、そんな素敵な二人と過ごしている内に、オレの中でも、二人の存在がだいぶ大きくなってきてさ。明日花の事や、お昼の弁当も頼んじゃったり……。小咲の事は幼馴染で、春の事は後輩、としか見ていなかったんだけれど、最近になって、それだけでは収まらないような気がしてきたんだ」
オレは二人の事をしっかりと捉えながら、言葉を紡いでいく。
小咲と春は、頬の色をそのままに、静かに真剣にオレを見つめてきている。
「だから、そのこともあって、二人との距離感を測り損ねてた。二人のことをちゃんと考える期間が欲しかった。避けがちだった理由にも当たる。心配かけさせてごめんね」
二人は申し訳なさそうにするオレを見てか、黙って首を横に振る。
「樹先輩が…、そんなに私達の事を考えてくれてたのなんて、今初めて知りました……」
「そうだね……、私達はてっきり、なんで花火大会の時に泣いてたんだろうって考えてたから、そのことで……」
「ああ、だから、今日は話したいんだ。……小咲と春は、オレの中では特別な存在になりつつある。そんな二人だから、オレのことで随分と心配して、オレのことを少なからず想ってくれている二人だから、ちゃんとオレのことを話しておきたいんだ」
「うん、聞かせてほしい」
「聞かせて下さい、先輩」
真っ直ぐと意志を持った瞳を浮かび上がらせ、オレと目を合わせてくる二人を見て、オレは軽く息をつき、心を落ち着かせる。
「今から話すのは、オレについてはもちろん、これまでずっとオレが心を砕いてきた人についてだ」
それだけ言うと、頭の中で堆積してきた明香里との記憶を掘り出して、オレはその記憶の数々を巡る旅へと向かっていった。
第十八話『ハナシテ』をご一読下さり、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
次回は過去編です。
それでは、また次のお話で。