それでは。
初めて明香里と出会ったのは、物心ついて間もない頃だった気がする。
「わーー!!なんと可愛らしい!!あなたが樹ね!」
確か、あの時は父の仕事でニューヨークにいて、他の同年代の子供と比べると感情表現が乏しかったはずの幼子のオレは、留学しに来たという大学生のあなたを、妙に目に焼き付けてしまった。
ウェーブをかけたセミロングの黒髪も、スラリとした脚を露わにする丈の短いスカートも、紅々として健康的な唇も思い出せるのだが、特に印象的だったのは、ルビーのようにキラキラと光り輝く瞳だ。
「目、キレイ」
オレが明香里に最初に発した言葉は、ポツリと呟くような一言だった。
「ふふっ、ありがと!」
明香里はそんな小さなオレと目を合わせて、そのままオレを抱き上げた。
レモンのような、すっきりとして甘酸っぱさのある香りに忽ち包まれる。
そして、オレが再び明香里と顔を合わせると、明香里はルビーの瞳を煌めかせながら、太陽のような笑顔を振り向けてくれた。
思えばこの時からだ。あなたを頭の片隅で考えずにはいられなくなったのは。
父のニューヨークでの仕事も終わり、オレは両親の生まれ故郷でもある凡矢理の町で小学生時代を過ごし始めた。
外資系に勤める父、一方で世界各国を飛び回る人気歌手の母親という、忙しい両親とは会えないことも多く、幼い頃から寂しいとばかり思っていた。
学校から家に帰ってきても一人だったので、わざわざ歩いて知佳さんのお家に行くこともしばしば。
でも、両親のことは嫌いというわけではなかった。
父も母も一緒にいられる時間は、オレとなるべく多くの時間を過ごそうと尽力していたように思えたし、誠実な父は温厚で、クールな母は優しい。
ただ、その二人から時間を奪う、仕事というのが恨めしかった。
それに、明香里との時間が恋しかった。
明香里の留学は一年間だったけれど、あなたはまだ幼いをオレの世話をしてくれて、色んな所へ連れて行ってくれた。
オレはその当時のあなたに言われて、明香里お姉さん、と呼んでいたっけ。
天真爛漫、自由闊達なあなたに手を引かれて歩く時間は、両親と一緒にいる時とは違って、なんだか雲の上を歩くような浮遊感や、何とも離しがたいような感覚を覚えさせてくるものだった。
留学が終わって以来、あなたとはめったに出会えなくなってしまった。
オレが六歳になった頃、あなたは同じ大学の男性と学生結婚をし、その二年後には明日花を産んで、職場先のイギリスのロンドンで暮らし始めてしまったそうだから。
向こうでの写真を知佳さんの家で見せてもらっても、その度にオレは、あなたがどんどんと物理的にも精神的にも離れていってしまうようで、苛立ちや嫉妬を抱いていたんだろう。当時はそんなこともよく分からないでいた。
けれど、小学生のオレの寂しさや苛立ちを和らげてくれたのは、学校の男友達二人と、和菓子屋の娘だった。
無鉄砲だがお人好しの楽と、お調子乗りでお喋りな集とは、クラスメイトとして、勉強を教えあったり、一緒に遊んだりして多くの時間を過ごした。
楽のお家がヤクザだから、としても関係なかった。自分から口を出さなかったオレに、一番に話しかけてくれたのは楽であり、集もそこに絡んできてくれた、と記憶している。
小咲とは、小学三年生の時だろうか。たまたま立ち寄った和菓子屋で売り子姿の彼女と出会った。
年も近いこともあって何かと話をするようになったオレ達は、気づけば親しい友達同士になり、オレはまるで離れゆく明香里の影を追うように、気ままに小咲を色々と連れ出してくことが増えていく。
そんなオレにも小咲は嫌な顔一つせず、いつもニコニコと笑みを浮かべてオレの手を取り、穏やかで優しくオレに接してくれた。
しかし、三人のおかげで自分という殻に閉じ込まらずに、楽しくは過ごせていた小学六年生の終わりに、転機が訪れた。
明香里が実は暫く前に離婚をして、明日花と二人でロンドンに残ったまま暮らしているということを、知佳さんから聞かされた。
ちょうど父がまた海外を、母と同じように飛び回ることが決まったのと、ほぼ同じ時期であった。
その二つを知って、オレはある決断をした。
楽や集と共に凡矢理中学校へ通うのではなく、単身でもロンドンのスクールに留学する。
何故なら自分も違うところへ行ってみたくなったし、それよりも何よりも明香里に会えるから。
このことを両親や知佳さんに話すと、存外に不思議なくらい話がトントン拍子で進み、何と明香里や明日花の家に三人で暮らすことになった。
この時のオレは、親しかった三人と別れることは悲しかったけれど、また明香里に会えること、明香里と過ごせることに喜びと期待ばかりしていた。
春休みの間に、知佳さんとともにロンドンへ渡った。
彼女らの家は、セントジョンズウッドのすぐ北にあるスイスコテージという、閑静で日本人駐在者も多い住宅街にあった。
玄関のベルを鳴らすと、返事をする女性の声が聞こえたと思えば、忽ち扉が開かれる。
「いらっしゃい!お久しぶりね、樹。それにお母さん」
「……お久しぶりです。明香里お姉さん」
「大きくなったわね。ささ、荷物も届いてるし、入って入って」
本当にいつぶりだろうか。
髪型こそ少し短くしてショートボブになっていたが、変わらず煌めくルビーの瞳や、漂ってくるレモンの香りがひどく懐かしかった。
背丈はオレが150cmを少し越したくらいであったが、すっかり明香里と同じ目線の高さになっていて、奇妙な感じがしてならない。
でも、やっぱり、会えてその姿が見れただけで、途端に自分の身体が自分のものじゃなくなるくらい固まってくるほど、とても嬉しい。そう、嬉しかった。
そのまま家の中へとあなたにぐいぐいと手を引かれながら、オレはその後ろ姿をただただ見つめてしまう。
しかし、次の瞬間、突如とした不安がオレを襲う。
ロンドン行きが決まる前に、知佳さんから聞かされていたことがあった。
「樹、どうしてあなたが明香里達と一緒に過ごすことを認めたと思う?」
夕日の映える縁側で、隣に座る知佳さんが真剣そうにそんなことを言うので、オレはキョトンとしてしまう。
「分かんない、なんで?」
「それはね、明香里のことをちゃんと見てほしいからよ。あの子は旦那とは嫌な別れ方をしたみたいだし、明日花のこともある。それに……」
――――あの子の体調のことがたまらなく心配なのよ。
知佳さんに言われるまで浮かれきった気持ちでいた自分は、突然地球の重力を一身に受けたみたいに、その気持ちを落ち着かせることになった。
こういう事は、オレには荷が重くて、役不足なことなのかもしれない。
けれど、オレは迷うこともなく決めてしまったのだ。
これからのことに決意するように、明香里に握られている手を、オレは強く握り返す。
あなたはそれを感じ取ったのか、こちらに振り返りフッと微笑んだ。
ロンドンでの暮らしは思ってたよりも早く慣れた。
アメリカ英語とイギリス英語の発音の差異にこそ、初めの内はスクールや買い物でも苦労したが、それほど時がたたない間に適応できた。
平日はスクールまでバスを行き来し、スクール先では授業を真面目に受けて、新たに出来た同世代の知り合いと昼食を食べ、休み時間にサッカーをして、またバスで家まで帰る。
そして、その帰りの途中で明香里の代わりに、幼稚園のようなところで預けられている明日花を迎えに行く。
最初にオレと会った四歳の明日花は、明香里の後ろに隠れてもじもじとしていたが、一緒に遊ぼうとお人形遊びなどに誘うと、パッと笑顔を咲かせて瞬く間に懐いてくれるようになった。
家に明日花と二人の時は、大抵元気に遊びに付き合わせてくる明日花のせいで、結構多くの時間を取られた。
けれど、まるで明香里のようなルビーの瞳と眩しい笑顔を、明日花はこちらに真っ直ぐ向けてくるので、オレもノーとは言えず、何だかんだでその時間をとても楽しんだ。
一方で、明香里の方はというと、普段は仕事に出ていて、いつも夕方には買い物袋に食材を抱えながら帰ってくる。
仕事帰りの時は、いつも少し疲れている表情を浮かべてはいたのだが、明香里は三人で夕食をとったり、休日にどこかへ出かけたりする時は、また天真爛漫なその姿を見せていた。
あなたは大学生の頃、何でも感情のままに表情や身体を動かして、良く言えば感情表現豊か、悪く言えば騒がしかったのだが、一緒にまた過ごすようになったあなたは、すっかり大人の女性の雰囲気を漂わせ、柔らかな笑みを浮かべてばかりだった。
明日花のいない一人やオレといる時には、その笑みを張り付けたまま、目の奥では思慮深く何かを考えているような、けれどやっぱり考えていないような表情をすることもあり、あなたが遠いどこかへ行ってしまいそうな気がして、オレはついつい見つめてしまう。
「何見つめてるの?」
「あ、いや、何でもないですよ」
「いつもそうやって言ってるじゃない」
「言ってません」
「意地になっても駄目なんだから」
そう言って明香里はオレの額をコツンと突くと、自室に戻ってマホガニー材でできたアコースティックギターを持ち出して来て、またソファの上に座る。
こうしてあなたにギターを教えてもらう時間ができる。
最初に明香里がオレの前でギターの弾き語りをしてくれた時は、確かそれは幼い時だけど、心が飛び跳ねそうなくらい興奮して、ため息をつくほど演奏中のあなたが美しくて、演奏が終わった瞬間、感想を聞かれる前に拍手をして、オレもギターをやりたいと口走ってしまった。
あれ以来、あなたが幼いオレを背後から包み込んでギターの弾き方を教えてくれた時間が心に沁みついてしまい、小学生の時にも学校と習い事の数々に埋められていない時間を見つけては、また教えてもらおうと練習していたっけ。
それがこの生活でも気分屋の明香里次第で叶い、あなたと過ごす時間の中でも特にお気に入りの時間であった。
上達していくギターや母譲りの歌声をあなたから褒められるのは嬉しいし、演奏するあなたの微笑んだ表情から揺れる髪、滲む首元、流れる指先を、まじまじと見つめていても小言を言われることがない。
他にも明香里から教えてもらうことはたくさんあった。
あなたは体調を崩しやすく、病院に定期的に通っていて、時折横になることもあったので、家事全般は自分でも勉強しつつあなたから教えてもらい、一定水準以上はこなせるようになったと自負できる。
特に料理では、あなたと一緒に台所に立って作業を行うのが心地よく、和風ハンバーグとかオムライスとかを教えてもらったし、お粥を作ることも度々あった。
作った料理がその都度、あなたの口から美味しいと言われると、心が浮き立つようだった。
それに、あなたは人間関係の機微に関して非常に敏く、オレや明日花の感情の揺れも気づけば察知されるし、オレがスクール先で疑問に思った人の行動について、情報を与えるだけで解に到達してしまうほどの洞察力があった。
オレも大人のあなたみたいに分かろうとして、スクール先のクラスメイト同士の関係などを注視したけれども、てんで分からないことの方が多かった。
まるで一種の超能力みたいだと、一度オレは明香里に尋ねたこともあった。
「そういうわけでもないと思うけど……。私達の親族はそういうことに目敏いらしくてね」
レモンサワーの缶の飲み口に視線を落としながら、明香里は柔らかな笑みを浮かべる。
「私も、本当かなって疑ってたんだけど、その内に人のあれこれに気づくようになって驚いたの。きっと樹も、近い将来そうなるわよ」
いや、やっぱり超能力みたいじゃねえか、と当時は心の内でツッコミを入れたが、今となってはそれも理解できる気がする。
そうやって周りの些細なことが驚くほど鮮明に、くっきりと分かりやすく頭の中へと入ってきたのは、あなたがいなくなってしまってからだった。
明香里と明日花と過ごして二年近くが経った春休み前、あなたが突然倒れて入院を余儀なくされた時、担当医だという方からあなたの余命が一年半もないと告げられた。
「こんにちは、明香里さん。窓、開けますね?今日は外の空気が頗るいいんですよ」
「ええ、そうみたいね、樹。学校の方はどう?」
「今日も、クラスメイトと一緒に授業を受けてランチしてきました。明香里さんは?」
「私も変わらずよ。ぐーたらと寝そべってるわ」
「それでいいんですよ」
明香里が入院生活をしてから、オレは学校が終わると、こうしてあなたの病室を毎日欠かさず訪れるようになった。
余命のことを告げられたあの日、ベットの上で申し訳なさそうに縮こまって横になる明香里に、気が動転していたオレは激しく怒り散らしてしまった。
あんなに怒りとか心配とか不安とか安心とかが一斉に表出したのは、それまでのオレにとっては初めての事だった。
ごめんなさい、と叱られた生徒みたいに涙目で俯く明香里の姿を目にして、ようやく我に返ったオレは、一番辛いのはあなたに違いないのだと思い直し、今度はこちらから謝り返した。
どうにも、明香里の抱えている病は治療法がなく、ロンドンのこの病院でしか進行を遅らせる治療を受けられず、それに数年前から通っていたのだと、担当医は言う。
けれど、今回明香里が倒れたことを受け、いよいよ入院生活を余儀なくされるほど病が進行し始めたらしく、絶対安静が命じられるようになった。
どうやら知佳さんには病気のことを言っていたようで、入院生活を始めた明香里のところにやってきて話をし、間もなく小学生になる明日花を、知佳さんの下に行かせることが決定した。
母親と会えなくなることで明日花はワンワン泣いて悲しがったし、一連の話し合いを聞いていたオレも、面倒は自分が見るからと反対したのだが、
「いいの。ただでさえ私のことで神経を割いてくれる中学生のあなたが、明日花のことまでってなれば手が回らなくなるわ」
言葉はやんわりとしているが、きっぱりとした表情で明香里は言う。
「これ以上あなたに負担をかけたくないの。それに、段々と弱っていくだろう母親の姿を見せるなんて、私には……」
明日花の母親である明香里本人からそう聞かされては、彼女達の家族でもない親戚のオレが口を挟める余地などないような気がしてしまい、結局はあなたの意向を飲んでしまった。
こうして、オレは明香里と明日花の住んでいた家で一人暮らしのような状態になり、入院する明香里のことを見守るような立ち位置に落ち着くこととなった。
この生活自体も、明香里や知佳さん、それに両親を熱心というよりかは半ば強引に説得したようなものだったので、オレはこれまで以上に勉学や家事などのことへ力を注いだ。
そういえば、明香里の呼び名も、明香里お姉さんから、明香里さんに変わっていた。
「さて、樹。今週はどんな曲を聴かせてくれるのかしら」
「ああ、今日のやつは、中々いい感じに仕上がりましたよ」
「へえ、楽しみだわ」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
オレは運んできたギグバッグから、明香里のアコースティックギターを取り出す。
明香里の見舞いに行き始めてから、自分の作った曲をこうしてあなたの前で披露することが段々と増えていった。
演奏中に明香里の方を見やると、あなたは愛しそうに柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ているので、オレはうっかりそのまま見つめてしまいそうになる。
明香里のことを少しでも元気づけようとかで始めたことだったが、気づけばオレにとっても欠かすことのできない一種の確認事項のようなものとなった。
その頃には自分自身の中で幼い頃から抱いていた、明香里に対する気持ちも段々と自覚できるようになっていった。
気持ちを自覚してくると、オレの場合、妙な恥じらいというものが無くなって、大胆なことを言ったりしたりすることに躊躇わなくなり、そのことでもきっと明香里のことを困らせたり、戸惑わせていたことだろう。
そういうことを続けていると、明香里に目を合わせてみても直ぐに目を逸らされるし、持ってきた果物を食べさせようとしても自分で食べるからと断られるようになり、その時は度々がっかりしていたことを思い出せる。
オレが15の誕生日を迎えた年明けの冬の日、その頃病状も安定していた明香里は珍しく外泊を許されたので、家で二人きりで祝うことにした。
久しぶりに二人で、食材やケーキの買い物をし、台所で隣並んで料理をし、くだらないことを話しながら食事をして、ギターを演奏しあった。
いよいよ就寝という時にオレは、一緒に寝ませんかと明香里に尋ねた。
明香里はうっすらと耳を赤くして、少し考えこむようにした後、あなたらしくなく控えめに頷き、オレからの頼みを了承してくれた。
明香里のベットで二人並んで横になっていると、あなたが肩をトントンと叩くので、そちらの方を見ると、あなたは起き上がって真剣な表情をしている。
オレも黙って起き上がり、明香里と向きあうように体勢を変える。
「どうしたの、明香里さん」
「樹は、若草のような子よね」
これまでも突拍子もないことは聞いてきたが、今回はその中でも最上級に見当もつかなかった。
「……それはまた、どういうことですか」
「……大学生の時に、あなたと一緒に過ごした頃ね。表情のほとんど変わらないあなたが、私が色々と連れ出す内に、嬉しいとか楽しいとか段々と感情を出してくれるようになったのよ」
「そう、でしたかね」
自分では意識してもなかったことだったので、聞いてる内にむずがゆくなってくる。
「ええ、まだ幼くて、若く瑞々しいあなたを見ていると、まだ芽を出して間もない若草そのものと重なってね。私はあの頃から、あなたのそんな姿に心惹かれたわ。今でも、新しい様々な感情を目覚ましていくあなたは、まるで若草のようなの」
薄暗がりの中、瞳を赤く煌めかせ微笑みをたたえる明香里に、つい魅入ってしまう。
「……そういうことですか。けど……、どうして、改まった表情でそんなことを?」
「それはね、あなたにとっての春は、まだこれからってこと」
明香里は生徒に言い聞かせる先生のように嘯く。
「……言ってる意味がよく分かりません」
本当はどんな意味なのか分かっている。
「今の内は分からなくてもいいの」
「嫌です。教えてください」
「駄目」
「教えてくれ」
逃げていこうとする明香里を逃さないよう、オレは語気を強めていってしまう。
「……ダメなのよ。樹、自分のしようとしてること、分かってるの?」
「分かってます」
怒った振りをして叱りつけようとする明香里にオレは対抗するように、この先の事なんてちっとも分かりやしないくせに意地を張る。
「いいえ、分かってないわ。あなたのしようとしていることは……、これから何年も、何十年も……、もしかしたらずっと、あなたを苦しめ続けることなのかもしれないのよ……
」
むくれていたはずなのに、明香里は言葉を紡いでいく内、オレの身を案じるかのように瞳を揺らした。
「後悔だけは絶対にしませんよ」
たとえそうなったとしても、それが今確実に断言できることだ。
「……どうして、そこまで」
消え入りそうな声で、明香里は動揺を隠せない様子でオレを見つめる。
「……物心ついたあの時から、あなたがずっと、心に焼き付いて離れないんです。オレの心の中心に、あなたがいる気がしてならないんです」
「……そう、なの……」
「はい」
オレは偽らないありのままの事を、真っ直ぐに届くようにと明香里に伝える。
瞳をさらに揺らしたあなたは、一度目を閉じて俯いたと思えば、次の瞬間にはそれまでとは少し毛色の違う、何かを覚悟したような表情になるので、オレは思わずドキリとしてしまう。
「……樹」
「はい」
「明香里と呼んで」
「……明香里」
「もう一回呼んで」
「明香里」
「そのまま、じっとして」
言われるがままに、明香里へ向き合ったまま、オレはじっとする。
すると、明香里がオレの頬から顎先をなぞるように優しく触れてきたと思えば、そのままあなたは顔だけをどんどんと近づけてくる。
あなたのルビーの瞳と思いがけずぶつかる。
赤い、近い、朱い、近い、紅い。
「目、閉じて」
目を閉じれば、すっかり視界は真っ暗だ。
自分の唇に、別の柔らかな感触がした。
あなたから漂う香りと同じように、レモンのような甘酸っぱい味がする。
お互いの息遣いを感じながら、冷気が肌をじりじりとさせる長夜に、オレは身を任せるようにして意識を手放した。
第十九話『アノヒト』をご一読下さり、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
それでは、また次のお話で。