今日から二学期です。
それでは。
背中とシャツの裏を汗で張り付かせるほどの、うんざりするような暑さは影を潜め始め、初秋の爽やかな風が程よい感じで体に吹き付けるようになった。
今日から多くの小中高で新学期が始まるということで、道行く先でまばらに見た小中高生には、楽しかった夏休みを名残惜しむような、これからの日常への回帰に辟易するような表情が映る。
そんな通りすがりの彼らに同情しつつ、オレは別の意味で煩わしさを抱えて、久々の校門をくぐり抜け、一番乗りに教室へ辿り着いてから、荷物を置くだけで足を止めずに、職員室へと真っ直ぐ向かう。
オレは廊下をなるべく急ぐように歩きながら、昨日小咲と春の家に明日花と遊びに行ってた時に突然やってきた電話の相手とその内容を思い返しては、再会に喜ばしさを覚えると同時に、これからまた面倒なことになりそうな厄介事を孕んだような気持ちとに挟まれ、心を乱さないよう深呼吸をする。
職員室へと入ると、先生方も新学期への準備等に追われてか慌ただしく、それでいて再び始まる生徒達との関わりに早くも倦怠感を覚えている雰囲気だ。
「あーー!!樹ちゃんだ~!!」
そんな職員室の空気に吹き飛ばしてしまうかのように、清涼感溢れる若く女性らしい高い声が届いてくる。
呼ばれたオレは集まり始める視線を無視するように、こちらに無邪気に手を振ってくる声の主の元まで黙って向かう。
やがて、並べられたデスクの目的地に辿り着くと、そこには副担の福田先生ともう一人、スーツ姿でピシッと決めてきた様子である女性の姿がある。
「お久しぶり、樹ちゃん!元気してた?」
「おはようございます。そして、お久しぶりです、
「アハハ、私も~」
首元をスッキリ見えるくらいに、青みがかった黒髪のロングヘアを頭の後ろで纏めて、トレードマークのようなカチューシャで髪留めをする
小学生の頃、楽と集の三人で遊んでる時にたまに楽のお姉ちゃんみたいな人として、オレは羽さんと知り合った。何度か一緒に遊んだこともあるが、羽さんは良い学校に行くという理由で転校していった一方で、オレがイギリスに住み始めた時に、既に飛び級を重ねて大学に通っていた羽さんと会ったのは中々に驚いた記憶がある。羽さんとオレがこうして顔を合わせるのは、それ以来およそ四年弱だ。
「にしても、本当に大きくなったわね~樹ちゃん!身長どれだけ伸びたの?」
「夏休みに病院で一度測ったら、182cmありました」
「ええ!?そんなに!!」
「奏倉先生、それに宮森、そろそろ……」
オレと羽さんが身長が伸びたかどうかなどくだらない話をしていると、さすがに見かねてこれまで静観していた福田先生から、困ったように断りが入れられた。
羽さんもついうっかりみたいな表情を浮かべた後に、元々正していた姿勢をさらに正して、眼鏡をくいと上げこちらを捉える。
「樹ちゃん、昨日話した通り、今日からあなた達のクラスの担任を務めることになったから、これから改めて宜しくね!」
「はい、こちらこそご教授のほど、宜しくお願いしますよ」
折り目正しく言葉を向けてくる羽さんに対して合わせるように、オレも背筋を伸ばして軽くお辞儀を返す。
その様子を見て一息ついた様子の福田先生は、縒れていたTシャツの襟を少し正して、この後のクラスの皆との対面までの流れを淀みなく説明してくれる。
うんうんと生真面目に聞く羽さんを横目に見ながら、オレは福田先生の話を聞き通しつつ、頭の中で楽達が羽さんを見た瞬間にどんな顔をするのか、想像にふけっていった。
「キャ~!!奏倉先生よ~~!」
「おはよーございます!!」
「お荷物お持ちします!!」
「おはよ~今日も皆元気だね~」
教室の前方では十人くらいの人だかりが出来ていて、皆が嬉々とした表情を浮かべながら、教室へとやって来る人物を迎えている。
羽さんは今日も身だしなみをばっちり整えて、まさしくデキる女感を見事に演出しながら、颯爽と教室に登場してきた。
「……あんたのお姉さん、ものの一週間で凄い人気ね」
「昔から人に慕われる質ではあったけど、ここまでとは……」
「さすがだね~羽姉は」
通学鞄を机にどさりと置きながら、桐崎さんは前方で繰り広げられる賑やかしさを首だけ横に流す。楽も机に腰掛けて、呆気にとられるようにその様子を眺めている。集はからからと、可愛い女の子を見る時と同様のにやけ顔で相槌を返す。
「本当それ、おかげでオレも前よりかは気楽だよ」
「一学期の時は皆、何かあれば樹君に集中してたもんね」
楽の隣でオレも、まるで自分の仕事を押し付けてやったように軽口を叩く一方で、オレの若干斜め後ろにいる小咲は、穏やかな口調で応じてくれる。
「今やこのクラスどころか、学校中のアイドルみたくなってるもんな~」
「先生達にも既に一目置かれてるらしいしな」
「へーそうなんだ」
にやけ面のまま明るい調子で言う集に、オレも羽さんを訪れるにつれて変化していく職員室の様子をそのままに伝えていく。
実際羽さんが来てからは、クラスメイトから呼び寄せられるのも羽さんと二分してきているし、きっちりと仕事もできて愛想の大変良い羽さんのおかげで、オレに限らず福田先生や、多くの生徒や先生の助けになってるようだ。
オレから見れば、羽さんは少し頑張り過ぎだなとうっすら気にしていたのだが、観察している内に本当に要領が大変よく、対人でも素でああなので、今では杞憂だったと感じている。
この一週間を振り返りすっかりと感心して、いまだ数人の女生徒に囲まれて笑顔を絶やさない羽さんを眺めていると、気づけば何人かの男子達が、血の涙でも流さんとばかりに楽へと押し寄せてきていた。
「羨ましいぞてめー一条!!!」
「こんな素敵な先生と一つ屋根の下などとー!!!」
「だからオレが知るかって!!」
狙った獲物を捕り逃さない肉食動物のように、困惑する楽を取り囲むクラスメイト達を見ながら、オレは助けを求める視線を流す楽に、こればかりは諦めろと目を横に振って返す。
「いいな~毎日一緒なんだろ~~?」
「幼なじみのお姉さんと共同生活なんて禁断だよ禁断……!」
「はあ!?ちょちょちょアホかお前ら!」
にやにやとくだらない妄想でも浮かべているんだろうか。性が関わると興奮する年頃の男子高校生みたく、迫りゆくクラスメイト達に楽は必死に否定を入れようとしている。全く、一緒に暮らしているくらいで動じずにいられるなんて、彼らはいつ頃になるのか。
斜め後ろから、じとりとした視線をにわかに感じる。きっとこれは気のせいに違いない。
「いくら幼なじみとは言え、オレ達は本当の姉弟みたく育ってきたんだぞ。今更異性として見れるワケねーだろ!」
「えー?そういうもんかー?」
恥じらいつつ、しかし語気を強めにして、楽は尤もらしい理由をつけて否定をするので、色めき立っていた男子達も、首を傾げながらだんだんと落ち着き始めた。
「…………本当に?」
「……あ?何疑ってんだよ」
一方で、この一連の出来事ををじっと猫目になりながら聞いていた桐崎さんが、疑わしそうに楽へと尋ねる。先程まで突っかかられて疲れた様子の楽は、呆れたようにして返す。
「楽ちゃ~~ん!」
普段のクラスの雰囲気へとそのまま流れていきそうなタイミングで、人だかりからようやく抜け出してきた羽さんが、いかにも困ったといった感じで楽を呼ぶ。
「お弁当貰うの忘れちゃった」
「ああ、はいコレ」
手を合わせて申し訳なそうにする羽さんに、楽は準備良く鞄から弁当の入った袋を、さっと取り出しては造作もなく渡す。
すると、羽さんが何か気づいたように、楽の髪の方へと上目遣いで視線を送る。
「も~楽ちゃんたら寝グセついてる」
「バッ……だから学校でベタベタすんなって……」
楽よりかは2、3cmほど背の低い羽さんが、右手をスッと伸ばして楽の寝癖のついた髪の毛に触れる。両手で盾するように楽はしているが、顔を赤らめるばかりで羽さんの侵攻を食い止められないでいる。
実際には、よくできたお姉ちゃんが可愛げのある弟をあやすように。そうでなければ、付き合い始めのカップルみたいに映りそうなやり取りが、教室中央それもクラスメイト眼前で繰り広げられるので、中には羨ましそうに見つめる者や、頬を赤らめ目を背ける者。戸惑いを隠せずにいられない者や、烈火のごとく怒りを燃やす者など、様々な反応が二人へと向けられていく。
「キィェエエェェエェ~~~!!!」
その中で音割れしそうなほど甲高い声が響き渡り、何事かとオレはその方向へ目を向ければ、般若のごとく顔を歪めながら怒りの形相で楽を守る形で、羽さんの前に立ちはだかる橘さんの姿がある。
「ちぃよっとお姉さ~ん?教師と生徒がベタベタするのはよろしくないのではありませんかぁ??」
「ハッ!確かにそうね!」
怒気と恨み節を言葉尻にどんよりと含ませている橘さん。思えば、こんな呪怨めいた橘さんなんて、見たことがないかもしれない。橘さんは一方的に、羽さんを嫌ってでもいるのだろうか。
そんな橘さんを見ても私ったらと囁く羽さんは、素でおとぼけた感じで眼鏡に手をかけて、「先生モード解除~♡」と言うと、眼鏡を外して椅子を持っていき、楽をそのまま無理矢理そこへ座らせていく。
「はい楽ちゃん、じっとしてて~」
「ちょ、いいって!!」
「わいに理屈は通じんとよかー!!?」
周りの人なんかお構いなしに羽さんは、いたって当たり前のことかのように楽の髪に手をかけて寝癖を直そうとする。
そろそろ楽の胃に穴が開きそうなのも、橘さんの血圧が天元突破しないためにも、オレはこの場を収めようと羽さんへと近づく。
「羽さん、楽だって高校生なんだから、寝癖くらい自分で直せますよ。それに、次の授業もまもなくですし」
「……そうね、私ったらつい普段の感じで」
頬を人差し指でかきながら、羽さんはちょっとばかし名残惜しそうに楽から離れる。楽の方はというと、ようやく一息ついて椅子を元の位置へと戻しに行った。
「橘さんも、あんまりギャーギャー言わない」
「け、けれど宮森さん!この人は、この人はですね……!」
「落ち着いて。楽のためにも、ひとまず収めてくれない?」
「ぐっ……!そういうことでしたら」
怒りで我を失いそうになるくらい動転していた橘さんも、楽の名前を出せば落ち着きを取り戻してくれる。橘さんがこうなった場合は、取り敢えず楽の名前を使うとどうにかなると、経験的に得てきていたし今回も上手くいきそうだ。
「そうだ、樹ちゃん」
クラスの皆もそれぞれ散開して、次の授業の準備に取り掛かり始めた頃、オレは羽さんに呼び止められる。
「このあとの英語の授業なんだけど、また英会話の相手役頼まれてもいいかな?」
「またですか、いいですけど」
「ありがとう!じゃあ教科書65ページのLesson5のところ見ておいて!」
「はい」
よろしくね~といった感じで、羽さんはまた別の生徒に声をかけられつつ、教壇の方へと向かっていく。オレもそれを見送った内に、窓際のいつもの席へ戻り、引き出しから教科書とノートを取り出す。
オレは教科書をパラパラと開き、今日の授業内容を確認しようとすると、リュックサックにしまわずに机に置いたままのスマートフォンから通知音が鳴った。
スマホをマナーモードに切り替えてから、メッセージの内容を確認してみる。『今日もまた中庭集合ね』とだけ、簡素にお昼の場所を伝える文面だけ送られている。送り主は小咲のようだ。
小咲の方をちらりと見やると、こちらに目配せをしてニコニコと笑みを貼り付けたままの姿がそこにあるので、オレもやれやれと思いながら電源を切り、リュックサックのポケットへと雑っぽくスマホを流し込む。
ふと空いた窓からそよ風が吹くので、窓の外へ目を向けると、一年生のようだ。体育のためにグラウンドへぞろぞろと出てきている。その中にこちらの教室を見上げてきている春の姿が、隣連れ添う風ちゃんとともに目に入ってしまう。
春はこちらへ元気よく右手を大げさに振っている。まるで小学生みたいに無邪気。春を見つめて微笑む風ちゃんと同じように、オレも今、口元を緩めて笑みを浮かべているのだろうか。オレも彼女らへささやかに左手を振り返す。
春は満足したように白い歯を見せたと思えば、風ちゃんに一声かけて、既に先生を中心に集まり始めてた人だかりの中へと、急ぐように駆け出していく。
今日が快晴なのもあってか、学校のグラウンドはまるで海の砂浜みたいに、白く鮮やかにオレの目に映ってきた。
夏休みを経て二学期になっても、小咲と春からのお弁当は変わらず継続している。
第二十一話『シンニン』をご一読下さり、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
私はどうしてか21という数字を、とても気に入っています。
なので、今回が二十一話目ということもあり、気分を一つ変えて、二十一時に投稿してみました。
それでは、また次のお話で。