若草のような君に   作:享郎

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 第三十一話にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

 今回で最終話となります。

 それでは。


第三十一話 ハルノヒ

「特別に想える誰かを見つけなさい」

 

 ここは一体どこだろう。自分のベットの上でも、知佳さんのお家でも、イギリスにいた頃の家でもない。

 目を開けばそこは真っ白な世界で、起き上がってみれば、どうやら駅のプラットフォームのようだ。声のした方を向けば、そこには随分と見知っているのに、もう会えないと思っていたはずの人物の姿がある。

 

「あら、お目覚め?ぐっすりだったわよ、あなた」

「あ、明香里……?!どうして、ここに……?」

「さあ、どうしてでしょうね」

 

 まだ当惑気味で駅のベンチに座ったまま動くことのできないオレに対して、明香里は凛とした表情を顔に貼り付けたまま、とぼけるようにそんな事を言う。

 線路沿いに立つあなたとオレとの間は、学校の廊下の幅程度にしかないはずなのに、どうしてもこれ以上近づいてはならないと、心も体も金縛りにあっている。

 

「……約束」

「え?」

「約束、守ってくれてるのね」

 

 顔色一つ変えないまま明香里は、オレの目を真っ直ぐに見つめてくる。相変わらず輝きが色褪せないルビーの瞳は、こんな時でさえ綺麗だと感じてしまう。

 

「取り付けた身としては、安心できるわ」

「それは、そうですよ、あなたとの約束なんですから……!」

「ええ、そうね」

 

 ここでようやく明香里は初めて、固くしていた頬を緩めたような気がした。あなたにそんな暖かく優し気で、でもどこか淋しさが伴う表情を見せられては、オレも何かしなければという気持ちが湧き上がってくるが、変わらず身体を動かすことがない。

 遠くからは汽笛の音が甲高く響いたと思えば、見えなかったはずの列車がいきなりそこに現れたような気がして、驚きに包まれるしかない間に、列車は停車位置へピタリと止まってしまう。

 

「そろそろ、お時間かしら」

 

 明香里はそれだけ言うと、また表情を凛としたものにして、オレに背を向けて開いた扉の向こうへ足を踏み出そうとする。

 

「待ってくれ!!まだ、あなたに伝えたいことが……!」

 

 きっとこれが最後のチャンスに違いない。あなたへの思いの丈を全てぶつけられるのは、今この瞬間しかないような気がして、オレは必死に手を伸ばして明香里を呼び止めようとする。

 

「駄目よ、樹」

 

 叫び出さんかとするオレの口を、瞬間移動でもしたかのような素早い動きで、こちらに戻ってきた明香里が人差し指で押さえつけてくる。

 

「私に伝えきれなかったその想いは、私に伝えるんじゃない」

 

 オレに助言を送ったり諫言をしたりする時にいつもしてくれたみたいに、明香里は諭すような落ち着きのある声とともに、赤で満ち溢れたその瞳を突き刺してくる。

 

「その熱は、あなたの春に、余すことなく伝えなさい。若草は同じ若草と一緒に、立派なものになってね」

 

 初めて会った頃の太陽みたいな満面の笑みで、明香里はそれだけ伝え終わると、すっきりとして甘酸っぱいレモンの香りだけ残して、列車に乗り込んでいってしまう。

 駅には発車を知らせるベルがけたたましく鳴り響き、列車は音を立ててゆっくりと動き始める。扉越しにうっすら見えるあなたは、こちらに嬉しいようで悲しいような笑みばかり浮かべて、こちらにささやかに手を降っている。

 列車の向かう先には、この真っ白な世界をさらに照らし出してくる強烈な光が現れる。それを見た瞬間、テレビの電源をコンセントから切ったみたいに、オレの意識はぷつりと途絶えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ませば、いつも見る天井がそこにある。

 部屋はすっかりカーテン越しから伝わってくる、暖かで穏やかな陽光に包まれており、昨日までの台風の荒れ模様からはとても想像のつかないくらいだ。

 隣では明日花が気持ちよさそうに、まだ夢の世界を楽しんでいるようだ。規則正しいリズムの寝息を立てる音だけが、目覚めたばかりのオレの耳に入ってくる。

 すると、右手が途端に寂しげに置かれてあるのを感じて、オレは思わず右に勢い良く顔を振り向ける。明日花越しにいたはずの、春の姿がそこにはない。

 今日はどうやら、春の方が早起きをしたみたいだ。

 オレは明日花を起こしてしまわないよう、静かにベットから起き上がってから、大人しく自分の部屋から出て、音を立てないまま階段を下り、洗面台へと忍び足で向かう。顔を洗い、歯磨きをし、僅かな寝癖を少し直して、春がいるであろう台所を目指す。

 台所やリビングに繋がっている、洗面台に近い扉は開きっぱなしのようだ。オレは壁の側に張り付いて、中の様子をバレないように覗き込んでみる。

 そこには、オレのエプロンを勝手に拝借しておきながら、鼻歌まじりで上機嫌に鍋の様子を微笑んで見つめる春の姿がある。

 外から流れ込んでくる陽の光のせいだろうか、恐らくスープの香りの良さのせいだろうか。台所で春が調理しているだけのはずなのに、この光景が他の何よりも美しく愛おしく感じられて、オレは春の整った横顔から目が離せなくなる。

 しばらく隠れるように眺めてばかりな事に気づいて、さすがにこのままではいけないとオレは思い立つ。相変わらず鼻歌で歌ってばかりで夢中な春に気づかれないように近づき、背後につくと後ろから包むように目元を両手で隠してみる。

 

「わわ、何ですか」

「だーれだ」

「……ふふっ、さあ、どなたでしょう?」

「答えないと、離してあげない」

「離してもらわなくても、良いですよ」

「そしたら、オレも名前で呼んであげない」

「それは、困りますね……」

「さあ、答えて。だーれだ」

「はいはい、おはようございます、樹」

「ああ、おはよう、春」

 

 オレが手を離すと、少し頬を膨らましたようにしながら、どことなく嬉しそうで優しい笑みを浮かべた春が、こちらに顔だけ向いて見上げてくる。

 背が一回り小さくて、オレにすっぽりと入り込んでしまいそうな春のそんな仕草が、どうしようもなく愛しさで溢れていて、オレは離した両手をそのまま春の腰へと回してしまう。

 両手を回され抱きつかれたことで、春は一度びくりと驚いたように体を跳ねさせはしたものの、そのまま何も言わないで受け入れてくれて、お玉を持たない手でオレの両手を確かめるように優しく触れる。

 

「樹って、こんなに甘えん坊さんでした?」

「いいじゃんたまには、こんなオレでも」

「はい、その通りですね」

 

 オレは春の頭に自分の顎を乗せる一方で、春はどこかくすぐったいようにはにかみながら、オレの両手に置いていた手を今度はオレの頬に触れさせる。

 

「ねえ、春」

「何ですか?」

「恋って、焚き火するみたいだ」

「……と言いますと?」

 

 オレの突拍子もない発言に、さすがの春も訝しげな様子で尋ねながら、目線は間もなく出来上がりを迎えるスープに向けている。

 

「一度火を起こせば、暫くは激しく燃え上がる。けれど、その火を絶やさないためには、燃料の薪をくべ続けないといけない」

 

 オレは春の頭からどいて、代わりに右手を離したらそのまま、綺麗で艶のある春の髪を梳くようにして撫でる。

 

「だからさ、どんな些細な幸せや喜びも、お互いに拾い集め続けよう。それが出来れば、きっといつまでだって君と一緒にいれる」

 

 いつも表情をころころと変えながら、それでいて大事なところはしっかりと見落とさないでいてくれる春の姿が思い浮かぶ。何もかも見通せてしまえる明香里とは違う、春の春らしい良さをオレ自身が見失わないように決意しながら。

 

「オレはそうでありたい。オレは春を、愛しているから」

 

 先程まで見ていた夢の内容が思い出せたようで、やっぱりどんな感じだったか思い出せない。けれど、これでいいのだ。望むものは今、目の前に実在してくれているのだから。

 

「私の方こそ、あなたを愛しています、樹」

 

 この世で最も大切だと思える人物からの返答に、オレは思わず零れだしてきそうなものを懸命にこらえようとする。抱き留めていたはずの彼女は、オレの両手を外してスープをそっちのけにこちらへ振り向く。

 目に涙をためながらも、今まで見た中でとびきりの笑みを浮かべる春を見て、オレは自然と顔を近付けていく。春も春で物欲しそうな視線を送った後に目をそっと瞑り、つま先立ちをして少し背伸びしようとする。

 やがて、お互いの唇が触れ合い、春の柔らかな感触が伝わる。カシスオレンジのような、豊かな香りと優しい甘さが広がってくる。

 明香里、オレにもどうやら春が来たようです。駄洒落なんかじゃありません。正真正銘の春が到来しました。

 この後、階段を勢い良く駆け下りてくる足音が聞こえ、お互いに離れてからしばらくぎこちなさが解けなかったのを、朝食中に明日花から何度も突っ込まれてしまうのは、また別のお話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 心地よい陽気に包まれて、今年もまたこの季節がやって来る。

 間もなくお昼を迎えるだろう時間に、私は時計の方を何度か確認しながら、厨房でお店に出す商品となる和菓子の餡を練っている。

 

「春~!そろそろ上がりな!」

 

 すると、廊下の方から暖簾越しにお母さんがそう呼びかけてきたと思えば、そのままこちらへと駆け寄ってくる。

 

「ほらほら、愛しの彼が帰ってくるんでしょ?」

「そうだね、じゃあ後は頼むね」

 

 お母さんはニヤニヤと笑みを浮かべて、恋バナもよろしくねなどと言うから、私は軽く赤面しつつ、自分の部屋に戻り作務衣姿から、昨日長時間悩んで考えていた今日のための服に着替える。

 持っていくものもちゃんと確認してから、階段を下りて裏の玄関から出ていこうとする。そうして靴を履き終えた時に、背後から声をかけられる。

 

「春さん、お兄さんによろしくね」

「ありがとね、明日花ちゃん。行ってくるよ」

「はい、楽しんできてね」

 

 ちょうど休憩中だったらしい明日花ちゃんに見送られて、私は玄関の引き戸を開けて外に出る。今年の春から大学生になる明日花ちゃんは、高校生の頃からうちの和菓子屋へ熱心にバイトに来てくれるので、私達は彼女の存在に非常に助けられている。

 お店は何店舗か変わったとはいえ、小さい頃からあまり変わりを見せない商店街の通りを抜けていき、その出口までやってくる。そこからは、高校の頃の通学路とは反対方向にある駅に向かって、急ぎ足で歩き出す。大丈夫、この調子でいけば、あなたが着く前に間に合う。

 十分ほど歩いた後に、待ち合わせ場所である凡矢理駅の北口まで辿り着く。私は時計をもう一度確認してから、オブジェのある広場の中央で周囲を見渡す。よかった、どうやら私の方が先みたい。

 上を通る線路を眺めていると、東京方面からの電車が一本やってきたのが見えた。もうしばらく経たない内にあなたと会えると思えば、私はこの歳になっても胸の高まりが抑えられなそうで、また付き合い始めたばかりの高校生みたいになってしまう。

 次々と改札から人々が出てくる中で、探し求めていた人物がそこに紛れながら、こちらへと真っ直ぐに向かってくるのが見えて、私は嬉しくなって大げさに手を振ってしまう。

 そんな私を見たあなたは、いつもの澄ました表情を朗らかに崩して、ささやかに右手を振って私に応えてくれる。

 

「おかえりなさい、樹」

「ただいま、春。相変わらず、分かりやすいな」

「えへへ、つい嬉しくて……」

「嬉しいのは、オレも一緒。髪、また少し切った?」

「あ、気づいちゃいました?」

「そりゃあ、気づくだろ」

 

 そう言う樹は、少し前髪が伸びたような気がする。私は樹の勧めと和菓子作りのために、高校2年生の辺りに風ちゃんにお願いし、思い切ってショートヘアーにしてもらった。今日の髪だって、昨日の内に風ちゃん頼んで少し切ってもらった。

 

「よく似合ってる。いいんじゃないか」

「あ、ありがとうございます……」

 

 これはまた今度、風ちゃんにお礼を差し上げないとな。私が初めてショートを見せた時から、樹はこの姿をとても気に入ってくれている。

 

「さ、行きたい場所があるんだろ。案内してよ」

「はい!早速向かいましょう!」

 

 樹はそう言って右手を差し出してくるので、私は喜んでその手を取り、駅を後にして本日の目的地へと向かい始める。

 

「仕事の方はどうでした?」

「ああ、久々の遠出だったけれど、上手くいったよ」

「そうですか!良かったです!」

 

 普段はこの町を拠点にしている、敏腕のファイナンシャルプランナーとして働く樹は、今回珍しく一月ほどシンガポールの方へ遠出しに行った。だからだろうか、以前よりもさらに逞しさを増して、すっかり貫禄すら漂うくらいまでになっている。

 交通量の多い大通りから逸れて、人の数がまばらになりがちな住宅街へと私達は入っていく。

 

「そういや、あの二人。この前もまた相談しに来てさ」

「お姉ちゃん達ですか……」

「ああ、結婚式の段取りどうしようってさ……」

 

 お姉ちゃんと一条先輩が二人揃って樹に泣きつく様を、私は容易に想像できてしまい、早くも二人のドタバタな将来を案じ始めている。

 樹が高校三年生の頃の夏に、どうやら先輩達を巡る約束の一件が終着したらしく、その辺りからお姉ちゃんと一条先輩はお付き合いを始めているが、何かと樹に相談しては説教を喰らってるみたい。お姉ちゃんから聞いた話ではあるけれど、それでも面倒を見る辺り、樹も充分彼らに近いお人好しな気がする。

 結婚かあ……。樹と出会ってから、彼此十年になろうとしてるけれど、そんな話は一度もした覚えがないし、互いに寄り添いあっている関係がずっと続いてきているから、あまり深くも考えたりしてなかった。

 二人それぞれに浮いた話も一度もないし、いっそのことこのまま事実婚みたいな感じでもいいんじゃないかと思ってしまう。一方で、周りの知り合いが結婚していく様を見ていると、やっぱりそういうものに憧れてしまうもので。

 今日の夜に二人でいる時に、さらりと聞いてみようかな。

 そんなことを考えていると、目的地の公園に辿り着く。私は樹の手を引きながら、よく整備された芝生の上にシートを敷き、二人でくっつきながらそこへ腰を落ち着ける。

 周りを見渡せば、数多くの桜の木に包まれており、少し離れたところでは花見をする人達で賑わう。空も快晴で、絶好の花火日和となっている。

 

「よく、こんな場所見つけたな」

「この前散歩してたら、通りがかったので」

「へえ、そうなんだ」

「ええ、折角ですし、お昼にしましょ」

「春のお弁当?」

「勿論ですよ~。デザートに石衣も持ってきちゃいました!」

「おお、気が利くね、さすが春」

「もう十年くらい一緒にいますからね」

「そうだよな……」

「はい……」

 

 私はバッグに入れてきた弁当箱の袋を取り出しながら、桜を見上げて感慨深そうにする樹の横顔を盗み見る。相変わらず羨ましいくらい端正な横顔と、綺麗なブライトグリーンの瞳が、私の心をぎゅっと締め付けてくる。

 

「あのさ、春」

「何です?」

 

 すると、何か思い立ったように、樹が自分の手持ちのバッグに手を伸ばして、その中を探し物があるかのように漁り始める。

 

「この前の誕生日、一緒にいてやれなかったろ」

「そ、そうでしたけど、仕方ないじゃないですか……」

「それでもだ。寂しい思いをさせたんだ、悪かった」

 

 樹も私もすっかり大人の年齢になって、手に職を持っているからこそ、そればかりはやはり起こり得ることなので、樹に何も落ち度なんて無いと思う。けど、寂しかったのは事実なわけで、このように言ってくれるだけでも私としては嬉しい。

 

「それでさ、思ったんだ。オレも、ちゃんと示すべき時だって」

 

 真剣な口調で樹はそう言うと、ようやくバッグの奥深くに眠っていたらしい探し物を見つけて、ほっと一息ついている。そんな姿が私には可愛く見えて、愛おしい。

 

「春、渡したいものがあるんだ――――」

 

 樹はその大きな手のひらに収まってしまいそうな小箱を、わざわざ大事そうに両手で包んで差し出してくる。もう初心な高校生ではない私は、その箱の中身が分かってしまい、どういうわけか独りでに涙が溢れてきてしまう。

 春、それは出会いの季節でもあり、別れの季節でもある一方で、新たな始まりの季節である。

 暖かな風が桜の枝を微かに揺らし、私と樹の間を縫うように流れて、その訪れを穏やかに教えてくれた。

 




 最終話『ハルノヒ』をご一読下さり、ありがとうございました。

 三ヶ月続いたこの物語も、これにて幕を閉じます。

 裏話とかは、活動報告に載せるつもりです。良ければご覧下さい。

 また、何かリクエストなどありましたら、お気軽に教えて頂いて構いません。

 感想や評価等、お待ちしております。

 最終話までお付き合い下さいました方々、繰り返しになりますが、今作をお読み頂きありがとうございました。

 それでは、また次のお話で。
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