今回は、何やら進展がみられるかも。
それでは。
夏が確実にその姿を現してきた。
五月の終わりの土曜日の午前中、オレはこの前のプール掃除の時と同じように、楽から呼び出され、楽の自宅前まで来ている。
「おはよう、樹。呼び出しちまって、わりぃな」
「構わないよ。おはよう、楽」
というのも、今日の朝方、楽の方へ宮本さんから電話が来て、どうやら小咲が風邪を引いたので、せっかくなら楽がお見舞いに行けば?みたいなことを伝えられたらしい。
さすが宮本さん、気づいていないわけがない。それに、なんとも強引だ。
けれど、楽が一人で行きづらそうにしていたら、宮森君と一緒に行けばいいじゃない、と何故か言われたらしく、楽はそれを名案だと思ったのだろう。
こうしてオレに連絡して、今に至っている。
どうして宮本さんは、桐崎さんなどの名前を出さず、オレの名前を出したのだろうか。
まあ、今日はいつもの用事はないからいいのだが。
「やっぱり、男一人で女子の家に行きづらくてよ。樹がいてくれると心強いよ」
「本当は一人で行けるといいんだけどな」
「……いや、小野寺の家に男一人で行くのはな……」
鈍感のくせに、こういうところどうしてか奥手の楽に、オレは呆れるような視線を向ける。
「……それに、オレって、春ちゃんにやたらきつく見られてるだろ?樹がいてくれると、春ちゃんも少し柔らかくなってくれるかなって」
「確かにな」
それはその通りかもしれない。
小野寺さんは、楽と桐崎さんとのニセコイ関係を知らない。いまだに楽が小咲を狙う二股、いや橘さん含めると三股野郎と思っているらしく、いまだに楽のことをどこか見極めてやる、といった感じで接しているみたいだ。
その点、オレは小野寺さんから随分と慕われているようだ。可愛い後輩なので、先輩冥利に尽きるのだが。
「それでだ、樹。小野寺のお見舞いに、何か買っていくんだけど、どうすっか」
「ひとまず、スポーツ飲料水かなんか持って行けばいいだろ」
「だな。あとせっかくだし、春ちゃんにも何か持ってこうと思うんだが、何がいいと思う?」
「……それだったら、あれがいいんじゃないかな」
買い物も決まったので、オレと楽は足並み揃えて、本日の目的地へと歩き出した。
「あれ、お店閉まってるぞ?」
「ほんとだ」
お店の前の張り紙には、『暫くの間都合により休業とさせて頂きます』と書かれており、お店の窓も扉も締め切られている。
商店街を見渡しても、空いているお店はあまりなく、日の当たる時間はいつも賑やかな通りも閑散としている。
恐らくは、商店街同士の付き合いかなにかで、小咲達のご両親も駆り出されているのだろう。
「そういや、確か宮本も裏から入れって……」
「なら、裏からお邪魔するか」
オレ達が裏手へと回ると、引き戸式の玄関が見えてくる。
「それじゃあ、インターフォン押しなよ。楽」
「え、オレがか……!」
「何照れてんだ。楽が呼ばれてるんだから。押しなよ」
「お、おう……」
これは、楽が玄関前でインターフォンを押すか押すまいか、葛藤している様子を隠れて眺めている方が、何倍も面白いかもしれない。
楽がインターフォンを押すと、「はーーい」と声が聞こえ、トントンと階段を降りてくる音がする。
それにびくりと楽が反応しているので、緊張をほぐしてやろうと思い、楽の脇腹をツンと押す。分かってるよと言いたげに、こちらを恨めし気に一瞥する。
「はい、どちら様で……」
すると、パジャマ姿の小咲が、少し咳き込みながら玄関の扉から現れる。
その途端、思いっきり扉を壊さんばかりにピシャリと閉めてしまったので、楽は驚き、オレは呆然とする。
「あれ!?ちょ……小野寺!?どうしたんだ小野寺―!!?開けてくれー!!」
楽はあまりのことで動揺してるのか、扉をバンバンと叩きながら、小咲に呼びかける。少し落ち着いたのか、小咲はまたとりあえず扉を開けてくれる。
「い……一条くん、い……樹君も、どうしてここに……」
「え……宮本が用事あるから代わりにって……」
「そんな話聞いてない!!」
「えぇ!?」
宮本さんのことだから、そんなことだろうとは思ったけども。
楽は、小咲と会えて喜んでいるのか、それともガッカリしているのか、よく分からない顔でぶつぶつ言ってくる。
こちらとは反対方向を向いて頬を赤らめ咳き込んでいる小咲を遠目で見遣りながら、オレはまあまあと楽を宥めておく。
……小咲の様子を見る限り、どうやら楽もチャンスありそうじゃん。
「じゃ……じゃあひとまず上がってくれる?お見舞いありがと」
「え、いいのか?」
「なら、そうするよ。小咲、具合はどう?」
「う、うん平気。まだ熱はあるけど、お薬も貰ったし」
「そうか、良かった」
立ちながら会話もできてるし、今日ちゃんと安静にしておけば、すぐに治るだろう。
「そういや今日、店閉まってたけど。いつもは休日もやってるよな」
「ああ、実は今お母さん達、商店街の人達と旅行中でまだ2、3日帰らなくて」
やっぱり。楽がこちらを見て何か言いたげにしているが、あえて無視して、そろそろ小野寺さんがどこにいるのか、気にし始める。
小咲大好きな小野寺さんのことだから、てっきり付きっきりで看病してるもんだと……。
ところが、いきなり背後の玄関先から、ドサッと何か落としたような音がする。
「な、な、な……!?み、宮森先輩……!!それに、一条先輩まで……!?」
ホームランバーアイスを口にしてわなわなとしながら、信じられないものでも見るかのように、小野寺さんはこちらを見つめている。
「おはよう、小野寺さん。今日は、楽から連絡を受けて、一緒に小咲のお見舞いに来たんだよ。驚かせちゃって悪いな」
「い、いえ……、宮森先輩は、その、構いませんよ……!けど、一条先輩!なんであなたまでいるんですか!!さっさと出ていってください!!」
「わー!待って待って春ちゃん!!」
小野寺さんは、もじもじしながらこちらに応えたかと思いきや、突然キッと表情を一変させて、楽の背中を押して、玄関の方へ押し返そうとする。
「コラ春!一条くんは私のお見舞いに来てくれたんだよ?失礼な事しちゃダメ!」
「お姉ちゃん……、でも……」
「そうだぞ、小野寺さん。実はな、小野寺さんにも渡すものがあって……」
ここでオレは、準備していたものを取り出す。
「これ、涼美屋の苺大福。この前好きって言ってたろ」
「えええ!?そんな……!覚えてくれてたんですか!?私、この苺大福が本当好きで……!」
小野寺さんの好みについては、この前の帰り道とかで耳にしていたので覚えていた。
小野寺さんは、とんでもなく食べたそうに熱い視線を、苺大福に送っている。
「まあな。けどこれは、ここに来る前に楽と二人で選んだものなんだ。楽のおかげで選べたようなもんだし」
「そ、そうだったんですね……」
「だからさ、その苺大福と引換と言っちゃなんだけど。今日のところは、楽に小咲のお見舞いをさせてやってくれないかな?」
「~~っ!!し、仕方ないですね!今日のところは、少しは居させてあげますよ!宮森先輩に感謝してくださいね、一条先輩!」
「……ありがとう」
「ありがとな、小野寺さん」
小野寺さんは、大事そうに苺大福の箱を抱えながら、捲し立てるように楽に言葉を投げかけた。
オレは楽へと、良かったな、とアイコンタクトを送る。
楽は、どうしてかまるで神でも見るかのようにした後、こちらへ親指を突き立ててくる。
「じゃあ少し台所借りてもいいか?昨年のお礼におかゆか何か作りたいんだけど」
どうやら楽は一度、小咲にお見舞いされた経験があるらしい。
「え、いいのに……」
小咲は遠慮がちにそう言うが、こういう時は勝手に進めた方がいい場合だ。
「オレも手伝うよ」
「あ、じゃ、じゃあ私も手伝います!お姉ちゃんはちゃんと休んでてね!」
かくして、三人によるおかゆ作りが始まったのである。
「……それで、何を企んでるんですか?お姉ちゃんが弱ってる所につけこもうって腹ですか?」
「……何も企んでないって……」
小野寺さんはボウルで卵をかき混ぜながら、楽へと小言を投げている。
楽は、何と答えればよいのか困りながらも、鍋の様子を見ている。
オレはというと、下準備をした後、使い終わった用具を洗っている。
「……とても信用できませんね。彼女のいる身でこんな所に来て、美人の彼女さんに怒られませんか?」
「うぐっ……、それは……。それには深~い事情があってだなぁ」
「へ~~。それは興味深いですね。二股が許される事情って一体何なんでしょう?」
「ほぐっ……」
ボコボコに責められてるじゃないか、楽。
この状況を見かねたオレは、ある提案をしようと、水道の蛇口を閉める。
「あのさ、楽」
「なんだ、樹」
楽だけでなく、小野寺さんもこちらに注目する。
「小野寺さんにはさ、話してもいいんじゃないかな。その事情ってやつ。このままだとさ、誤解されたままで一方的に楽が不利益被るだけだぞ?」
「……そうだな、樹。実はな、春ちゃん……」
楽は、できるだけ包み隠さず、集英組とビーバイブとの関係で、高校生活の間は楽と桐崎さんがニセコイ生活をしないといけないことを、小野寺さんに丁寧に説明した。
小野寺さんは、初めは全く信じられないといった様子であった。
だが、証人としてオレが立ち会ってること、これまでの楽の言動を振り返った結果、信じてくれそうな様子である。
「そうだったんですか……。一条先輩にはそんな事情が……」
小野寺さんは俯きがちになりながら、何かを考えるようにしている。
「……とりあえず、おかゆ出来ちまったから、冷めない内に小野寺に食べさせようぜ」
「ああ、そうだな」
「はい……」
楽の一声で、オレ達は作ったおかゆと、冷たい麦茶を持って、小咲の部屋へ向かう。
「お姉ちゃん、おかゆが出来……、なんで掃除してるの、お姉ちゃん!!」
小野寺さんが扉を開けると、風邪を引いてるにも関わらず、部屋を掃除していた小咲が、ビクンと驚いて、困ったような笑みを浮かべて振り返る。
「も~~!病人なんだから寝てなきゃダメでしょ~?」
「あはは……、つい……」
こういう他人のために無理しちゃうところ、小咲は昔の頃と全く変わってないな。
驚き呆れながらも、どこか小咲らしさがあって、微笑ましくもある。
一方、楽はというと、そわそわしながら、小咲の部屋を見回している。
オレも小咲の部屋に来るのは、小学生以来なので、内心奇妙な感じだ。
「じゃあお姉ちゃん、水分取ってしっかり休んでね。スマホ鳴らしてくれたら、いつでも来るからね」
「あ……うん」
気づけば、小野寺さんは小咲に少しおかゆを食べさせてから、小咲のおでこに手を合わせて熱を測り終えたようだ。……小野寺さんから言われたあとの、小咲の様子が若干気になるが。
「ほら!先輩方、行きますよ!」
小野寺さんはオレと楽の間を縫うように、小咲の部屋から出ていこうとする。
「……楽、気づいてるか」
「ああ、なんか変じゃねえかと思ったが……」
小野寺さんがオレらの間をすり抜けたときに、違和感は確信へと変わった。小咲の部屋から出た後、オレは小野寺さんへ近づいていく。
「……悪いな、小野寺さん」
「え?って、ふぎゃあ!!?」
オレは小野寺さんのおでこに、自分の右手を重ねる。……やっぱりか。
「ちょっ、ちょちょちょちょ!?いきなり何するんですか、宮森先輩!!」
「……小野寺さん、小咲の風邪うつってるだろ」
「う……!うつってなんかいません……!この通り元気でピンピン……!」
思いっきり顔を赤くしながら、小野寺さんはそう懸命に否定する。
オレは困ったようにしながら、楽に言って持ってこさせた体温計を、小野寺さんに渡し熱を測らせた。
体温計には、『38.2℃』と表示されている。
「……寝ろ!!」
「嫌です!!」
楽は少し怒ったようにそう言い、小野寺さんは必死に否定する。
「私まで倒れたら、お姉ちゃんの事、どうするんですか!?」
「……オレ、今日は何もねぇから、良ければ面倒見るけど」
「オレも同じく、今日は面倒見るよ」
「……で、でも……!」
煮え切らない小野寺さんに対し、オレは前にもやったように諭す。
「いいか、小野寺さん。今、倒れでもしたら、誰が責任を一番感じると思う?」
「そ、それは……」
「分かってるかもしれないけど、それは小咲だ。小咲に余計な心配かけさせたくないだろ?それに、オレや楽もそうだ。もう少し早く気づいてやれなくて、悪かったな」
「い、いえ、そんなことは……」
「だからさ、こういう時は先輩を頼りなよ。ちゃんと小野寺さんには休んでほしいんだ」
「……わ……かりました……」
それだけ言うと、小野寺さんは伏目がちになり、しょんぼりと床を見つめている。
……他人のために無理しちゃうあたり、姉妹でそっくりだな。
「よし、じゃあ小野寺さんは部屋に戻って寝てな。楽は、ちょっとついてきてくれ」
「はい……」
「おう」
小野寺さんがちゃんと自分の部屋に戻っていったことを確認してから、オレと楽は先程の台所へと、階段を降りていく。
「にしてもさ……」
「ん?」
「樹って、色々なことによく気づくよな」
台所まで辿り着くと、楽はどこか感心したように腕組みしている。
「そうでもない、ただ気になるようになってしまった、というだけで」
「……この前話してくれた、あの人のおかげか?」
「……否定はできない」
確かに、オレが今のように、人への洞察力や観察力を磨けたのも、そのことが切っ掛けではあった。
無性にむずがゆくなってきたので、オレは話題を逸らす。
「そうだ、楽。お前、小咲のこと見てやりなよ」
「は!!?」
面白いように楽はその表情を一変させる。
「オレは小野寺さんの面倒見るから、小咲の面倒見てやれるのは楽しかいないんだよ」
「い、いやいや……!だって、風邪で寝てる女子の部屋にだぞ!?」
「……いいから。こんなチャンス、滅多にないぞ。小咲の話し相手になってやれ」
「……わ、分かったよ。恩に着るよ、樹」
「それでよろしい」
それだけ言うと、楽は小咲のところへと向かう。
オレは小野寺さん用のおかゆを作ろうと、その下準備に入り始めた。
「はあぁ~~……」
パジャマに着替えて、私は布団のベットに入り込んでいる。
体調悪いかも。そう感じたのは、ちょうど出かけてるときだったけど、まさか熱がこんなに上がっちゃうなんて……。
帰ったら、いるはずのない宮森先輩達がいて、少し気を張っちゃってたのもあるかも。
先輩達に、迷惑かけちゃったな……。
そうして自分なりに反省していると、扉の方からコンコンと音がする。
「入ってもいいか?」
「……どうぞ」
よっ、と言いながら、宮森先輩は両手が塞がってるにも関わらず、器用に肘や足を使って、するりと私の部屋へ入ってきた。
どうしよう……!そういえば私、男の人を自分の部屋に招き入れるなんて初めてだ……!
もう少し、お部屋綺麗にしとくべきだったかも……。
「小野寺さん、まだ何も食べてないんだろ?おかゆ作ってきたんだけど、食べるか?」
「は、はい。ありがたく頂きます」
身体に倦怠感を覚えてはいるけど、実際のところお腹は空いてきていた。
先輩のこういう気遣いは嬉しいし、何より先輩の手料理が食べられるなんて……!
体調崩して良かったかも。
そんな不謹慎なことを考えていると、私の目の前におかゆを乗せたスプーンが伸びてくる。
「ほら、口開けて」
「え、えええええ!?」
こ、これって、まさか!俗に言うあーんってやつじゃないの……!?
まさか先輩にこんなことまでしてもらえるなんて……。
「はい、あーん」
「あ、あ、あーん……」
おかゆを口に含むと、暖かく優しい味が口の中に広がる。先輩、料理もできるんだ……。
「お口にあうかな?」
「は、はい!とっても美味しいです……!」
「それは良かった」
先輩はホッとしたように、柔らかな笑みをこちらに向けてくれる。それを見た私には、先輩の先程の言葉がリフレインしてくる。
先輩を頼りなよ……か。
もう少しだけ、わがままになってもいいよね。
「先輩、またあーんしてくれますか?」
先輩は意外そうな表情を浮かべたものの、すぐにまた優し気な顔つきに戻る。
「ああ、いいよ」
それからというもの、私は先輩に何度かあーんをしてもらった。
あんまりに幸せな気持ちになれるものだから、熱が上がっちゃってるんだろうなぁ……。
それに身体が応えたのか、一気に熱くなって、疲れてきて、ちょっと……、苦しくなってきちゃった……。
すると、おでこの方にひんやりとした感触が広がる。
「冷えピタ、貼っといたから。ゆっくり寝なよ」
先輩は、スポーツドリンクを私の枕元に置き、おかゆを食べ終えた食器を持って、立ち上がろうとしている。
……まだ、行っちゃヤダ。
気づくと、私は先輩のシャツの裾を掴んでいた。
「私が、寝るまで……、その、手を……、繋いでもらっちゃ、ダメ、ですかね……」
私は、涙目になりながらも、先輩にあんまりなワガママを言う。
「……わかった、寝るまでな」
先輩は、それ以降何も言わずに、私の頼りなさげにしていた小さな手を、頼もしく大きな手のひらで、優しく包み込んでくれている。
さすが、私の王子様だ。なんだかスゴく安心するし、気持ちいい……。まるで、吹雪吹き荒れる中のかまくらにいるような感じする。
あのね、先輩。私、やっぱり、先輩、のこ、と、が……。
先輩への想いを重ねる内に、私の意識は深い海の底へ沈められていった。
時刻は18時を少し過ぎたあたりを指している。
扉の方からコンコンと音がした。
私は返事をすると、扉の前で立っていた人物は、そろりと部屋の中へ入って来る。
樹君はこちらを見るや否や、私のベットに前がかりにもたれかけて眠ってしまっている一条くんを見つけて、なぜか少し溜息をついている。
「樹君。春の方は大丈夫そう?」
「ああ、すっかり気持ち良さそうに寝てるよ」
「そっか、よかった」
「楽、寝ちゃったの?」
「うん、私もさっき起きたんだけど、その時には……」
「そうか……」
そこから樹君と私の間には静寂が流れ、部屋の中には一条くんの、規則正しいリズムの寝息がスヤスヤと聞こえてくる。
「小咲、体調はどうだ?」
「うん、だいぶ良くなったよ。春や一条くん、そして樹君のおかげだね」
「いえいえ」
「ほんと……、今日はありがとう。こんな時間までいてくれて」
「用事もないし、大丈夫だよ」
何でもないように樹君は言ってくれてるけど、私にとってはスゴく嬉しいことなのだ。
「楽とはさ、なんか話したか?」
「えーっと、最近のクラスのこととか、樹君のこととか話してたよ」
「オレのこと?どんなこと話したの?」
「ほら、樹君って、小学校のときは一条くんとも私とも知り合っていたでしょ?」
「そうだな」
「だからね、それぞれの樹君との思い出を語ってた、って感じかな」
「……なんか、恥ずかしいな、それ」
「アハハ、あの時と比べても、樹君、随分と大人っぽくなっちゃったもんね」
樹君との会話は、なぜか一条くんの時とは違い、余計に恥ずかしがったりしないし、お互いがぎこちなくなることもなく、川が流れていくように自然と話が続いていく。
かと言って、ドキドキしてないのかという訳でもなく、心はポカポカとしているけれど、どこかちょうどいい温度で落ち着いているような気がする。
「……この部屋に来るのは小学生以来だから、なんだか奇妙な感じがしちゃうな」
「ふふふ、そうだよね」
「あの時と比べても、今の小咲って、雰囲気とかあまり変わらないよな」
「そうなのかなあ……?」
「そうだよ。穏やかで優しい、心地よい雰囲気のままだ」
「そ、そうなんだ……」
なんだか今の私の心は、シーソーの真ん中に立っているみたいだ。
約束の男の子と樹君との間で揺れ動いた小学生時代。
中学の時には一条くんが現れた。
樹君という重りを完全には落としきれはしなかったけれど、時を重ねるにつれて、あの時の約束の男の子かもしれない一条くんに傾いていった。
あとはその傾きに身を任せて下りて行けば良かったものを、今年の春にまた樹君は現れて、私の心は再びシーソーの中央で立ち往生するはめになった。
……樹君に今のこの気持ちを知られたら、樹君はどんな反応するかな。
昔と比べて、今の樹君は、はるかに自分の周りがよく見えていて、私の気持ちのことも、そのうち気づいてしまいそうだ。隠し事が上手くない私だから、尚更だ。
一条くんと樹君、私は今、どっちの人に恋をしているのかな……?
「あのね、樹君……」
「ん?」
私は少し、今でも心に残る思い出の引き出しを開けてしまう。
「嫌、だったら、してくれなくてもいいんだけど……」
小学生の時、体調を崩して横になっている私に、樹君は知らずの内にお見舞いに来てくれたっけ。
何も言わず、幼さを感じる小さなその手で、私の同じように小さな手をただ握り締めてくれていた、あの頃の樹君の姿を思い浮かべる。
「もう少し寝たくてね。それで、私が寝るまで、隣で手をつないでいてくれるかな……?」
私はなんて大胆なことをしているんだろう。
けれど、この気持ちの在り処を確かめたい気持ちに押されてしまい、左手を差し伸べながら樹君にわがままを言ってしまう。
「……いいよ、寝るまでなら」
樹君は一瞬驚いたような表情を浮かべた。
けれど、ふっと息をついた後は、私のささやかで少しは大きくなった手を、さらに大きくて温かいその手で握ってくれたまま、黙って私の傍に寄り添い続けてくれた。
ああ、やっぱりだ。
あなたにとっては何でもないことなのかもしれないけれど、こんな私にはまるで特別なことのように感じられてしまうし、なんだか安心出来てしまう。
早く、この気持ちを、はっきり、させないとね……。
抗いようのない眠気に襲われて、私は意識を手放した。
いつの間に寝ていたんだろう。
私は目をこすりながら開け、むくっと眠気眼のまま起き上がる。
時計の針は19時20分を少し過ぎた辺りだろうか。
「目が、覚めたか」
「ふわっ!?み、宮森先輩!?」
宮森先輩は、ベットの側面にもたれて座りながら、こちらの方へと向き直る。
「もしかして、ずっとここにいてくれたんですか……!?」
「ずっと、というわけじゃないんだけどな」
ということは、お姉ちゃんのところにも様子を見に行ってくれてたのだろうか。
「そうだ、小野寺さん。体調の方はどうだ?」
「はい、おかげで随分と良くなりましたよ。見てください、この通り!」
私は腕を上下させながら、先輩に見せつける。
「ハハハ、そいつは良かった」
「お姉ちゃんたちの方は、大丈夫そうですかね?」
「ああ、小咲も楽も、今はスヤスヤ寝てるよ」
「そうですか……」
お姉ちゃん達の方も、どうやら問題なさそうでホッとする。私はまた、先輩に伝えなければならないことがあるみたいだ。
「先輩!今日はこうして一日中、私だけでなくお姉ちゃんの分まで看病してくださり、ありがとうございます!!それに、一条先輩とのことも、ありがとうございます……!」
「どういたしまして。けど、楽のことは、楽に言ってやりなよ」
「う……、そ、そうですよね……。私、これまでにいくつも一条先輩にきついことを……」
先輩への感謝の気持ちを伝えられたのは良かったけど、一条先輩にはなんて声をかけてあげればよいか、分からなくなってしまう。
「……楽にはさ、一言ちゃんと謝れば、それで十分なはずだぞ」
「そう、ですかね?」
先輩は、そんな私を見かね、視線を落とし、一層落ち着いた声をかけてくれる。
「ああ。楽は、バカがつくほどの、お人好しだからな。だから、一言で十分だ」
「確かに……。あとで一条先輩にあったら、そうしますね」
「ん」
一条先輩を小学校時代から知っている宮森先輩の言うことだから、間違いないだろう。
小学校時代から知っている……。
そこで、宮森先輩のことで関連して、頭の中にはもう一人の存在が浮かんでくる。
「お人好しといえば、小咲もだけどな。病人なのに、部屋を掃除してたのは、さすがに驚いたな」
私の心でも読んだのだろうか、タイミングよく、先輩はお姉ちゃんの名前を出す。
「宮森先輩は……」
「ん?」
「先輩は、どれくらいお姉ちゃんと仲が良いんですか?」
私は、小学校のときに、先輩とお姉ちゃんが仲が良かったことなんて知らなかった。
当時知っていたのは、お姉ちゃんには、同年代に仲の良い男の子がいるらしい、ということだけだった。
「どれくらい……と言われると、少し困っちゃうな。お互いに、なんというか、気兼ねなくいられるような感じがするかな。小咲と話すのは、落ち着くしな」
「そ、そうなんですか……」
聞き出した自分が悪いのだけれど、私にはまた、この前のプール掃除で見た二人の姿が思い出されて、あの胸の痛みが甦ってくる。
「それで……、お姉ちゃんには名前呼びなんですか?」
私のこの気持ちは溢れ出して、言葉となって宮森先輩に向かってしまう。
「そうだな。元はと言えば、小咲の方からそうしよう、と言ってきたのだけれど」
……お姉ちゃんの方からだったんだ。
あの大人しいお姉ちゃんが、小学生の時とはいえ、自分から名前呼びを言い出すなんて、よっぽど……。
私は、自分の中に膨れ上がる黒い妄想にどうにか蓋を閉じようとするが、どうにも抑えきれない。
もしかして、お姉ちゃんは、昔、宮森先輩のことを……。そして、今も……。
「先輩、お願いがあるんですけど……」
「何?」
私はそんな思いを打ち消そうと、正座で向き直り、真剣な眼差しで先輩を見つめる。
「私のこと、これからは小野寺さんじゃなくて、春、と呼んで頂けないでしょうか?」
だって、あなたは私にとって、かけがえのない王子様、のように感じるから。
そんなあなたには、私のことを、少しでも特別な存在として認識してもらいたい。
「……分かったよ。春」
先輩は一瞬何か考えるようにしたけれど、またこれまでも見せてくれたような、優し気な表情のまま、私の名前を口にしてくれた。
「はい!樹先輩!」
私にくれたのと近いくらい、いや同じくらいの喜びを与えられることを願う。
私は先輩の名前に心を込めて、とびきりの笑顔で伝える。
第七話『オミマイ』をご一読下さり、ありがとうございました。
いかがだったでしょうか?
これにて呼び方だけ言えば、小咲も春も同率ですね。
それでは、また次のお話で。