龍門渕透華の手記
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――― 八月十七日
主に清澄によって出場を断たれた全国大会を観戦しに行き、その熱が高まるのを感じると同時にある思いが去来いたしました。やはり私たちはインターハイで戦い抜けるだろうし、優勝することでさえ不可能ではないのだろう、と。その思いは各県の代表が鎬を削る一回戦から、ふっと私の胸にやってきて、二回戦、準決勝とその大きさを増し、決勝を観る段に至っては “どうやってあそこに乱入するか” などと多少はしたないことすら考えてしまうほどでした。今はあえて優勝した高校などここには書きません。それほど私の過去に必要なこととは思えませんし、必要のある過去なら頭から消えることなどありはしませんから。
私は今、自室の机に向かっております。時刻は夜半を過ぎたあたりでしょうか。部屋にはもちろん時計もありますが、今は手元の小さな電灯しか点けていませんので時計を見るにはすこし暗すぎるといった具合です。窓から月明かりでも差し込めばさぞ風情のある情景となるのでしょうが、すべての物事が思い通りにいくわけでもなく、私の部屋の窓からは見えないところで月は輝いているようです。
私自身のことについて語りましょう。兎にも角にも私のことがわからない限り、この話は後にも先にも行けません。なにかの加減で川の流れから縒れてひたすら滞留する涼しげな水たまりみたいに。私の名前は龍門渕透華。龍門渕の名は全国的にも広まっているグループの名であり、その頂点の娘が私ということになります。ですが、私はそのようなことを語りたいのではなく、あくまで個人的な事柄にこだわろうと考えています。その個人的な事柄を語るにあたってまず申し上げておかねばならないのは、私が麻雀の虜であるということです。すべてはそこから始まりましたし、おそらくそこで終わるのでしょう。おそらくというのは私自身が確信を持てていないということに起因します。
私と麻雀との出会いはそれこそ記憶もはっきりしていないような幼少の頃だったのでしょう。物心ついたときにはすでに傍にありましたし、ルール自体も呑み込んでいました。ただその時点での私の麻雀に対する感情は好意的なものでもその反対でもなく、ただの遊戯のひとつだという認識でした。麻雀より興味を引く遊びなどそれこそ星の数ほどありました。虫を探して庭を駆け回るのもその一つに入るくらいだったはずです。泥んこになってカマキリを持った私が父様と母様といっしょに写真に写っているぐらいですから。つまり、麻雀と出会った初めの段階では興味などそれほど持ってはいませんでした。
強い興味を抱いたのは中学生の時分でした。人並みに年齢相応の経験をしました。それはほとんどが未熟なものに違いはありませんが、それらを経験すること自体が重要なのでしょう。小学生の頃に比べて肉体的にも成長したとの実感もありましたし、中学生のあいだは不思議な全能感が支配とはいかないまでも、脳裏をかすめることがしばしばありました。嫌味な言い方になりますが大抵のことはまず人並み以上にこなせましたし、それに驕らず努力をしたと胸を張って言うこともできると思っています。そんな折、学友から麻雀に誘われました。ルール自体は頭に入っていましたが、しばらくぶりに遊ぶとなっては勝手がわからず負けてしまいました。その場は時間の都合もあって、すぐさまお開きとなってしまいましたが、私は黙っているわけにはいきませんでした。負ける、というのがひどく嫌いなのです。
“衣” と “のどっち”。麻雀に付随して私と切り離すことのできない名前。見方を変えればこの二つの名前が私を麻雀に縛り付けていると言えるかもしれません。それは時に愛おしいものであり、疎ましいものであり、妬ましいものでもありました。比率で言えば愛おしいがもっとも高いように思われます。この二つの名前のために私は本当に全力を尽くしました。力の使い方の方向性こそ違えど、たったそれだけの違いしかありません。結果に満足しているかと問われれば、素直に頷くというわけにはまいりませんが。
さてどちらから語りましょうか。どちらからでも間違っていないのかもしれませんし、そもそも語ること自体が間違いなのかもしれません。それでも私はその必要を感じるので語るという選択肢を採ることといたします。しばしの間お付き合いいただければ幸いですわ。
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偶発性、というのは常にべったりと皮膚に張り付いて、いつだって爪を砥いでいるように思われます。論理的に突き詰めていけば偶発的なことなど存在しないのかもしれません。ですがそこまで論理を突き詰められない人間という種にあっては偶発性は宿命的なものでさえあるのでしょう。
衣の両親は事故で身罷られています。
その全容はひどく単純なもので車による事故でした。事件性など入り込む余地のない、完全無欠な事故。何にその不合理を訴えようと返事をしてくれるものはありませんし、夜通し嘆いたところで故人は戻るものではありません。いずれそれはただの事実として処理されるでしょうが、幼い身でそれをすぐさま理解すればそれこそ異常というものに違いありません。彼女は多少の異質をこそその身に宿していますが、紛れもなく人間であり、その当時はただの幼い少女以外の何者でもありませんでした。
しかし、これは私が中学二年生になってから知った事実でした。それまで私は衣の名前はおろか、天江という家名が存在することさえ知りませんでした。学校の授業の影響で家系図を調べるまで、血のつながりのある従姉を知らなかったのです。恥じました。後悔さえしました。
そのあと私が父様に逆らってまで起こした行動を自己満足と呼ぶ方もいらっしゃるかもしれません。衣に対するものでなく私自身に対する慰めだと糾弾されるかもしれません。私は甘んじてその全てを受け入れましょう。私は、衣を救おうとしました。亡くなられたご両親との思い出に浸り、時間を止めてしまった衣を外へと引きずり出そうとしました。衣の体躯は小さなものですので、力に任せてしまえば私の細腕でも十分に引きずり出すことは可能だったように思います。冗談はさておき、私は衣に会いにいきました。
目は口ほどにものを言う、と申します。衣の目は、排他的なものでした。十分な栄養を摂れていなかったのでしょう、肌は荒れていましたし、落ちくぼんだ目には濃い隈。女の命である髪には艶もありませんでした。
はじめ、衣の私に対する態度はそっけないというより敵意を持っていると言ってもいいものでした。話しかけることを拒むその目に、ほんの短い間とはいえ恐怖しました。その一瞬の躊躇が衣に私の印象を決定づけたのでしょう。衣は出て行け、と一言だけつぶやきました。この言葉にどれだけの重みがあったかは直に聞いた私にしかわからないでしょう。衣の口から実際に黒い球体がこぼれたかのような錯覚さえ覚えました。結局その日は何ひとつ言葉を発することもできないまま、すごすごと引き下がることしかできませんでした。
せいぜいが三年前のことだというのにどうしてこんなにも懐かしいような感じがするのでしょうか。あのときと比べれば状況があまりにも変わっているからでしょうか。過去のこととして思い込もうとしているのかもしれません。それはそうと、一度追い返されて以降、私は衣のもとへと足繁く通いました。あのときほど習い事をうっとうしく思ったこともありません。ただやはり、通い始めのうちはまったく取り合ってはもらえませんでした。
通い続けること二月経ったころのことだったでしょうか。彼女の様子とは不釣り合いに掃除の行き届いた部屋にあるものが転がっているのを見つけました。雀牌でした。麻雀。奇異なものです。それはちょうど私がインターネット上でそれなりの自信を身につけた時期でもありました。私は衣に雀牌について尋ねました。衣の目のずっと奥のほうにかすかな希望のようなものがちらついた気がしました。
「お前は打てるのか?」
これが衣から投げかけられた初めての言葉でした。ドラマチックなんてものからは程遠い現実的な言葉。麻雀が打てるかどうかの確認。ですがそれは私にとっては待ち焦がれたものでした。やっとここから引きずり出せる、とそう考えました。先ほども申しましたが、そのとき私は麻雀に関してある程度の自信を得たところで、衣には負けないだろうと考えておりました。私付の執事がタイミングを見計らっては接触していたようですが、基本的に衣はひとりでいましたので麻雀の経験などないと思っておりましたから。私の見通しが甘かったことは、そのあとすぐに気付かされたのですが。
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ずるり、と昏い底から手が伸びてきて、宙ぶらりんの私の足首をつかむ感覚。
翌日、私は陽も昇りきらないうちに目を覚ましました。心臓が早鐘を打っていたことをよく憶えています。寝室に一人でいるということにあれほど心細さを感じたこともありません。枕を叩いて投げて、たしか花瓶を割ってしまったはずです。心配になって駆け付けた執事に子供のような癇癪をぶつけました。謝罪こそしましたが、今でも申し訳ない気持ちは残っています。少なくとも私が取るべき行動ではありませんでした。
凄惨。私はあの夜を表現する言葉をこれ以外に思いつきません。折悪しく、その夜は月が真円を描いておりました。衣は月齢に応じてその異質の威力を変えます。満月というのはそれが最高潮に達するものでした。