(仮題)社会人貞操観念逆転もの   作:社会から取り残されてる感じ

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逆転世界の洗礼を浴びる1話

 時友(トキトモ)(ユウ)。某メーカーで働く営業マン。新卒として入社し、今年で3年目を迎えた彼は、一つ決断をしようとしていた。

 

 「もう残る理由もないよなー」

 

 『退職願』。時友が働く会社では手書きにて提出する書類を、今まさに書いている。文は適当にネットで調べたフォーマットを真似し、通販にて販売されている退職願キットに同封されている用紙に書いているのだ。

 

 最後に代表取締役社長の名前を書き、封筒にしまう。すっきりとした気持ちになった彼は、冷蔵庫から125mlのビールを取り出すと、一気に呷った。

 

 「ツムちゃんも賛成してくれるのか。おーよしよし」

 

 鈴の音とともに、胡坐をかく左足に飼い猫(ツム)が乗ると、にゃん、とかわいく返事をした。人差し指で軽くなでると、喉をゴロゴロと鳴らしている。

 

 そもそも時友がなぜ今の会社を辞めるのか。それは上司である大滝(オオタキ)にある。

 

 業界的に男性社会が根強い中、女性営業マンとして優秀な成績を収め続けた大滝は新卒6年目にしてリーダー職(課長クラス)まで昇進した。会社としても期待がかかっている有能人材だ。今現在で入社11年目を迎える大滝は、今のマネージャー(部長クラス)が順当に昇進すると同時に、マネージャーへと昇進ルートが内定しているとまで言われている。

 

 そんな優秀な上司のもと仕事をしている時友は、大滝ほどではないにしろ、優秀な新卒社員として1年目を過ごした。担当企業が少ない中、他社新規企業に対し積極的に営業をかけ、1年目のノルマを問題なく達成すると、大滝の期待とともに2年目のノルマは大きく増加した。

 

 しかし時友は営業職として、そこそこ優秀だった。2年目ノルマも達成以上の結果を残し、会社に目をかけられるようになる。当然大滝からもだ。

 

 3年目に入ると、自分にかかる期待とは反比例に、達成することにやりがいを見いだせなくなってきていた。要は飽きっぽいのである。背にかかるそれが重荷に感じてきていた時友は、仕事をさぼるようになっていた。そして一度さぼると日に日にずるずると、サボる時間は増え始め、時折直行とは名ばかりの社長出勤をし始めた。

 

 そんなことは2か月も続けば、大滝も時友に注意をする。

 

 「時友、最近の君からはやる気が感じられない」

 

 100%大滝が正しい。しかし、優秀であるという自負と、2年間の実績が時友に素直さをなくさせていた。

 

 「別に、ノルマ達成しているからいいじゃないですか。やる気がなくても」

 

 僅か2年の社会人経験のない時友の言葉は、大滝の琴線に触れた。時友は会議室から漏れるほどの大声で怒鳴られ、しかし時友の話し半分といった態度がさらに火に油を注いだことから大滝はエスカレートし、ついには同僚たちから時友の乱と語られる一幕にまでなったであった。

 

 そこからの半年、時友と大滝の間に会話はほぼなく、冷戦状態となったのだった。

 

 そして今日、時友は冷戦状態を一時休戦とし、大滝に退職の旨を伝えた。明日、退職願を持っていく。はっきりと。

 

 

 これまでの人生において、失敗や挫折経験をしていない時友は、物事の上澄み部分での成功を収め続けてきた。そしてどんなことも最後までやり遂げられない、消えることのない飽き性が彼の中に生まれたのだ。

 

 「まぁ、これでこの会社ともおさらば。金もそこそこあるし、少しゆっくりしようかな。な、ツムちゃん」

 

 にゃあ、となく飼い猫ツムちゃんがあくびをすると、時友にも眠気が出てきた。呷ったビールの缶を捨て、歯を磨き寝る準備を整えると電気を消し、飼い猫へのおやすみとともにベッドに横になった。

 

 熱しやすく冷めやすい、飽きっぽい彼の社会人生活は、これにて一つのピリオドが打たれた。

 

 

  

 が、そのピリオドが本当に打たれるのは大分先のことであることを、この時の、時友はまだ知らないのであった。

 

 

 

 ◇ ◆

 

 

 

 珍しく夢を見た。やけに感覚がはっきりとしている、大学の時の彼を神様の視点で見ている夢だ。

 

 しかし、それは彼が経験した大学生活とはかけ離れていた。友達、ではなく知り合いたちが楽しそうな会話をしていて、笑顔が生まれていて、その中に時友がいて。

 

 それはかつての自分が描いていた夢、そのものであった。

 

 

 

 ◇ ◆

 

 

 

 「……、なんつー夢見てんだ」

 

 まるで悪夢から覚めるように、勢いよく体を起こした時友は、額の寝汗を拭い、スマホを見た。毎日設定しているアラームより、少し早く目覚めたようだった。

 

 「っとごめんなツムちゃん。起こしちゃったか」

 

 いつの間にか布団に忍び込んでいた猫が、少し眠たそうに時友を見ていた。ゆっくりと撫でてあげると、ベッドで丸くなった猫に、時友は悪夢から少しだけ落ち着いた。

 

 それからシャワーを浴び、歯磨き等の身支度など出勤の準備を整えていく。大体いつも通り、家を出る20分前にすべての準備が済み、テレビでニュースを愛猫とともに見るのが時友のルーティーンだ。

 

 日本の現状も、世界の情勢も興味はないが、知らないことで周りから取り残されていく感覚を時友は嫌ったが故だ。

 

 「…………」

 

 ぼーっと、時間が過ぎるのを待つように、もはやテレビを見るという行為ではなく、変わりゆく風景のように眺めている。

 

 しかし、普段と違い、そこには明確な違和感を時友は感じた。

 

 見覚えのない女性アナウンサーがニュースを読んでいる。いつもの男性アナウンサーが何故かいない。

 

 (……番組はいつも見てるのと同じだよな)

 

 チャンネルは間違いなくいつもと同じだった。まあ風邪か何かでお休みしているのだろうと納得する。

 

 『次のニュースです。自称会社員の女が、痴女の容疑で逮捕されました』

 

 「は?」

 

 25年間生きてきて、実際には聞いたこともない言葉が耳に入ってきた。思わず声が漏れる。

 

 『昨日11月2日午前8時頃、自称会社員の女、秋葉(アキバ)和巳(カズミ)容疑者が痴女行為の容疑で現行犯逮捕されました。被害者の男性は電車にて通勤していたところ、性的に触られたとして今回の逮捕に至ったとのことです。秋葉容疑者は、男性にとにかく触れたかった。モテない人生に絶望していたと供述し、犯行を認めているとのことです』

 

 加害者の秋葉和巳の写真が映ると、時友にさらに疑問が浮かんだ。

 

 (こんな綺麗な人がモテない? 逆に男を手玉にとってそうなくらいだぞ)

 

 目はパッチリとして、すっと鼻筋が通り、少し薄めの唇が男を誘うように鮮やかだ。全体的にパーツが整っている。

 

 時友は唖然としているが、アナウンサーやコメンテーターはそれが当たり前のような顔つきでコメントをしている。

 

 『ここ数年で痴女容疑の件数が増加傾向にあるそうですが、松本さんはどう思われますか?』

 

 『同じ女として恥ずかしいですよほんと。こういう人たちのせいで、私たちもそういう目で見られますから』

 

 『ただ男性専用車両がその時間帯あった中、通常車両になぜ入ってしまったのか。男性専用車両が満員で入れなかったのかどうか。そこは少し考える余地があると思いますけどね』

 

 『今回のことをうけて、男性を守る会から、男性専用車両の増設の打診が入っているそうです』

 

 男性専用車両? 男性を守る会?

 

 クエスチョンが時友の頭から次々と出てくる。夢でも見ているのか、いやさっき夢は覚めたはずだ、と自問自答が止まらない。

 

 固まっている時友に、愛猫は撫でが足りないと言わんばかりに、動かない手に頭を擦り付けていた。

 

 「痛っ」

 

 飼い猫に手を噛まれる。衝撃的なニュースに止まっていた思考がようやく動き始めた。愛猫を見ると少し不機嫌そうだ。

 

 「ごめんごめん。ちょっとばかしぼーっとしてたよ」

 

 両手で軽く撫でてあげながら時間を見ると、少しだが時間が過ぎていた。急がないと電車が一本遅れてしまう。

 

 「じゃあ行ってきます」

 

 鞄を持って時友は出て行った。後ろではいつもよりないがしろにされていた猫が不機嫌そうに一鳴きした。

 

 

 

 予定通りの電車には間に合った。いつもは5分以上前には着くので列の前に並べるのだが、今回は遅れた分列の後ろだ。

 

 スマホを見ながら電車到着まで待っていると、ここでも違和感を感じた。

 

 (女性ってこんないたっけか? この時間この車両で)

 

 時友が並んでいる列には、いつもの男性のサラリーマンが全くいない。昨日まで大体固定のメンバーが並んでいた車両になりつつあったが、今日は全く違う見たこともない女性ばかりであった。もちろん女性専用車両ではないことは確認済みだ。

 

 (そういや男性専用車両ってニュースでやってたよな)

 

 そんなものが本当にあるのか、しかも昨日までなかったというのにだ。疑いが晴れないまま、何となしに他の車両に並ぶ人たちを見ると、男性しか並んでいない列があった。こんな時期にも拘らず、汗をかいている暑苦しそうな中年のサラリーマンに、男子高校生。いつも見ていたメンバーが全員そっちに並んでいるのだ。

 

 そして何故かその全員がギョッとした目でこちら、というよりかは時友を見ていた。まるで珍獣でも見るかのような視線だ。

 

 その目線に耐え切れなくなった時友は、スマホに目を戻し適当なニュースアプリで時間をつぶした。そうして電車が到着する。

 

 「は? ……あっ」

 

 扉が開くと、そこにはパっと見女性しかいなかった。いつもと全く違う景色に時友は固まると、後ろから押されるように電車へと詰め込まれた。

 

 中には女、女、女。自分以外はすべて女性の満員電車。しかも押されて体勢が若干崩れた状態での乗車だ。時友の頭にある言葉が思い浮かぶ。

 

 『痴漢冤罪』

 

 モラルの低下からなのか、男性が触れてもいないのに痴漢と叫び、そうして示談金で大金を得ているというのが話題になり、映画の題材にもなったくらいだ。

 

 今の時友の体勢は、まさにそうなりかねないものだった。

 

 右手には鞄があり、それが人に引っかかってひっこめられない。上半身は前の女性に若干覆いかぶさるような前傾姿勢、下半身は前の女性にくっつかないよう足に力を入れて何とか触れないようにしているが、時間の問題かもしれない。

 

 とにもかくにも、身動きが取れない状態だ。どうにかして吊革に掴まりたいところだが、少なくとも次の駅に到着までは耐えるしかない。

 

 そんなギリギリの状況が続く中、電車の揺れで少し体勢が整ってようやく気づく。

 

 (……触られてるのかこれ?)

 

 やたらと手が体に当たっているような気がする。特に尻や、ジャケットの中の腹部に。ずっと触っているわけではないので勘違いの可能性もあるが、やたらと頻度が高い。しかもただ触れるだけでなく撫でるような手つきでだ。

 

 だんだんと擽ったくなってきた時友は、図らずも体を捩ってしまった。

 

 「ひゃっ」

 

 (やばっ)

 

 ガタンゴトン、と電車の揺れも相まって、前のスーツの女性に体がぶつかると、女性から小さく声が漏れた。しかも運が悪く、このタイミングで電車が到着し扉が開くと満員から超満員へとなる程の人が押し合い圧し合いでなだれ込んでくる。

 

 いよいよ逃げ場がなくなった時友は、前の女性と完全に密着しており、背中には柔らかいものが押し付けられている状態だ。時友の周囲360度は女性のみ。さらに体の前後左右には、なぜか手や鞄でガードしていない、女性の体が完全に密着している。まるで4人の女性に抱きしめられているようだ。

 

 女性らしい柔らかさを全身で感じ、フェロモンのような匂いが充満する閉鎖空間で、楽園を装う地獄を時友は耐えている。そしてそれは意識をすればするほど、時友に異性を感じさせる。

 

 (まずいまずいまずいまずいっ)

 

 「……んっ、はぁはぁ」

 

 (なに擦り付けてんだ前の女はっ!? 誰だ尻触ってるヤツは!?)

 

 もはや疑惑でもなんでもなく触られている。完全に掌で撫でられている。横からはまるで興奮しているような、息遣いが聞こえる。前の女性は、パンツスーツで美しいラインが見えるお尻を少し突き出し、揺れに見せかけては擦り付けている。

 

 手の甲で撫でられるように触れられていたが、今では手の平で好き放題に触られている。

 

 (ひぃっ!?)

 

 「はぁ…はぁ…」

 

 首筋に女性の髪の毛が、筆で撫でるように当たり、声を漏らしかける。舐めるような手つきで触れられていた、時友の上半身をまさぐる手は、ようやく見つけたのか、時友の乳首を爪で優しくひっかくように変わった。ネイルでもしているのだろう。指ではなく、爪だけが刺激してくる。

 

 時友も若い男だ。いかにこの状況に耐えようとも、生理的な欲求を抑制するのには限界があった。

 

 「ひゃっ」

 

 (ヤバッ!)

 

 股間に押し付けられていた尻肉を押し返すほどの血液が集まってくる。いよいよ本格的に冤罪で捕まる自分を想像し始めた時友は、生理欲求を抑えようとするが、混乱した頭では生物の本能に従うだけだった。

 

 そして、まずいと思えば思うほど非日常が浮き彫りになる。思考はこれは現実だという認識から、もしかして夢なのではないか、と欲望を正当化する方向に流れ始める。

 

 時友の視線には押し付けられている肉があり、その先には女性らしい細い腰がある。肩に掛かる柔らかな髪が少し荒い息遣いに合わせて揺れている。

 

 もし、この腰を両手で掴めたら……。

 

 

 

 『間もなく三間崎駅に到着いたします。お出口は右側です』

 

 「──っ」

 

 瞬間、時友は現実に冷めた。会社への最寄り駅にもうすぐ到着する。時友は最早迷惑を考えずに体勢を整える。先ほどまで抱いていた危ない思考を振り切るように、強引に。

 

 この地獄から出るのに残り十数秒。体勢を整えられた時友は少し安堵し、息をつく。周りを見られる状況ではないが、自分のしていたことをようやく自覚したのだろうか、あるいは同じ駅で降りるのか、時友に伸びる手は一つ、また一つと減っていた。

 

 尻を時友の股間に押し付けていた、前のスーツの女性に関しては顔が最早青ざめているレベルだ。こっちがするべき顔色だと言ってやりたい。

 

 扉が開くと同時に、大量の人間が押し出された。時友が乗っていた車両はエスカレーターに近く、我先にと列に並んでいる。が、今の時友にそうする余裕はなく、壁にもたれ掛かって深呼吸をしていた。現実であることを強く意識するためにだ。

 

 「ふぅ……、よし」

 

 電車の扉が開いてから閉まるまでの時間で落ち着いた。ふと、元凶を探すため辺りを見回す。一緒に外に押し出されたはずの、パンツスーツの女性はいつの間にか消えていた。

 

 逃げられた、と言っていいのだろうか。普通に考えたら痴漢されていたのは自分であるが、女性が男性に痴漢したなど誰が信じるだろうか。しかも複数の女性たちに。

 

 「……考えても仕方ないか」

 

 時友は切り替えてエスカレーターの列に並び始めた。

 

 

 

 「……先輩、だったよねぇ、あれ」

 

 

 

 まさか先ほどの痴態を同僚に見られているとも知らずに。

 

 

 

 




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