(仮題)社会人貞操観念逆転もの   作:社会から取り残されてる感じ

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過去の自分を放棄し、自暴自棄に陥る3話

 

 

 日が落ちるのも早くなり、定時を迎える頃には車のライトがつき始める暗さになる。

 

 定時にはチャイム音楽が流れ、仕事で張り詰めた空気が緩みはじめる。

 

 少し遠くから流れている音楽を聴きながら、吐いた煙草の煙が少しだけ刺すように冷たくなった風に流れていく。屋上で時友は改めて季節の移り変わりを感じた。

 

 由科との話しは件の痴女騒動だけだったようで、煙草が吸い終わってからすぐに顧客のもとへ向かった。

 

 付き添いで行こうと言われた件は、大滝への退職願い報告があるため断ったら、機嫌を損ねたのかプンスカしながら会社を出ていってしまった。

 

 すでに由科は帰社しており、顔も合わせたが機嫌はまだ元に戻ってないらしく、そっぽ向かれた。

 

 由科とはデスクが隣なので、何となく居心地が悪かった時友は煙草を吸いに来たのだった。

 

 「ほんま腹立ったわあいつ、ってトッキー聞いてるー?」

 

 「聞いてますって。代理店が裏切ってて競合の見積もりも取ってたんですよね」

 

 「そやねん。こっちがつけてやった顧客やのに、ありえへんわぁ」

 

 喫煙所には先客がいた。朝エレベーターですれ違った茶色いボブヘアーの女性、神島麻琴さん。大滝と同じリーダー職で別エリアのグループを担当している。もともと大阪で中途採用され、昨年度から東京へ異動、それと同時に管理職に昇格した有能人材だ。

 

 (俺が知ってる神島さんはラグビーやっててムキムキの大柄な男性だったんだがなぁ)

 

 若干釣り目気味の切れ長な目。左目の横の涙ぼくろが色っぽい。チェシャ猫のように笑う口元は綺麗な歯がちらりと見える。自身の身長から考えて165センチくらいの身長で、腰の細さと足の長さがスーツ姿から浮き彫りになる。モデルのような立ち姿が映えるだろう。

 

 朝、そんな美人が座っていた席を座席表を見て、神島さんであることを確認しているので間違ってはいないはずだ。

 

 昨日までの神島と、目の前の関西弁ボブ美人の見た目の変化にギャップがありすぎて、しかし名前と話す愚痴は全く同じで、思わずにやけてしまう口元を動かないようにするのが大変だ。

 

 「まぁよくあるっちゃあんねんけど、いざされるとその度腹立つわぁ」

 

 「そうですね」

 

 「トッキーもあるやんなぁ、同じようなん。ストレス溜まらへん?」

 

 「まぁ、溜まりますよ。かといって結局俺の立場じゃ何にもできないんですけどね」

 

 まぁそうよなぁー、と神島は煙を吐く。所詮3年目の新卒じゃどれだけ結果を残していても、そんなものなのだ。

 

 「っと、そろそろ戻ろかー」

 

 「そっすね」

 

 「んぅー、あぁ華金やのにこれからまた仕事って辛いわぁ」

 

 最後の一吸い、バケツに火がついたままの煙草を捨てると階段を下りる。

 

 背伸びをして、固まった筋肉を解しながらエレベーターを待っていると、あぁそうやと思い出したかのように神島は振り返った。

 

 「朝すれ違ったときに、飲みに行こゆーたやん?」

 

 「ええ」

 

 「あれ、本気やからね」

 

 「? いいっすよ前もって言ってもらえば」

 

 「ほんまにっ? めっちゃ嬉しいなぁ。絶対、約束やで?」 

 

 着いたエレベーターに乗った神島は、機嫌の悪い由科とは対照的に、ニコニコと笑みがこぼれていた。時友は月に1回あるかないか、以前は神島とは飲みに行っていた。他の平営業も一緒だったり、二人だけの時もあった。

 

 時友にしてみれば、その感覚で飲みの誘いを受けただけだ。ただ今の神島にとってのそれは……。

 

 「ほんま、嬉しいわぁ」

 

 

 

 3Fに戻った時友がデスクを見ると、帰社したばかりの大滝がいた。

 

 まだ少し機嫌の悪い由科に若干の苦笑いを浮かべ、大滝を見ると目が合った。普段の堂々とした大滝らしくなく、やけに緊張しているような面持ちだ。目線がそれると、マネージャーのもとへ大滝は向かった。

 

 美津島工業は大口の顧客だ。売り上げ管理をするうえで、かなり重要であり、ゆえにリーダーである大滝が担当している。どうやら今日の訪問でさらに売り上げの見込みがついたのだろう。機嫌よさそうにマネージャーが大滝の肩を叩いている。

 

 「先輩先輩っ、何か大滝さん少し変じゃないですかぁ?」

 

 「そうだな」

 

 コソコソと話しかけてくる由科を、その原因が分かっている時友は軽く流す。美津島工業で何かトラブルがあってあの表情をしていたのではない時点で、時友の退職が原因でほぼほぼ正解だろう。

 

 部下が退職する程度、このご時世よくあることだ。現にこの会社でも退職者は毎月出ている。

 

 この世界では違うのか? とも考えたがやっている仕事内容と、他の社員の顔つきを見る限りは、昨日までと性別以外大差ない。

 

 それについ昨日まで冷戦状態の部下だ。自分で言うのもなんだが、気に入らない、扱いづらい部下が消えて、大滝としてもやりやすくなるだろう。

 

 自身の部下が辞めるのは、管理職にとって思っているよりダメージなのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、午前中に作っていた見積もりを、大滝のデスクに置いておく。今日は大滝の印をもらえば予定業務が終了する。提出は来週で問題ない。残るは大滝との話し合いのみだ。

 

 「あ、今日先輩早いんですねぇ。いいなぁ」

 

 由科の羨ましそうな視線を感じつつ、帰りの荷物をまとめてると大滝が戻ってきた。

 

 デスクに置いてある見積もりを見て察したのか、判子を取り出しながらチェックをしている。基本的に冷戦中だった時は大滝がいないときにデスクに見積もりを置いておき、時友が翌朝出社したら押印済みの見積もりが置いてあるというのが暗黙の了解とされていた。

 

 問題なしと判断され、見積もりが手渡しで返ってくる。その際に言葉はない。

 

 完全に業務が終わった時友はパソコンをシャットダウンし、大滝に話しようとすると、社用携帯にメッセージが入る。大滝からだった。

 

 『話しなんだが、打刻して2Fで少し待っててくれないか。煙草吸ってきても構わない』

 

 携帯から顔を上げ大滝を見ると、こちらを見ずにパソコンを開いていた。

 

 (まぁこれから話す内容が退職じゃあ、今ここでは言えないわな)

 

 「お疲れ様ですー」

 

 時友は言われた通り打刻し、2Fに向かった。出社の時同様、珍しく返事が来た。

 

 

 

 ◇ ◆

 

 

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「わっ悪いすぐに──」

 

 「まつ毛、意外と長いんですね」

 

 初めての距離は新しい気づきを齎した。見つめ合う瞳は大きく見開かれた。顔にかかる息は酒のせいか熱く、伝わる体温は鬱陶しいほどに熱を感じさせる。赤く染まる頬には、制御できずに溢れた涙が流れ、やがて重力に従い零れ落ちた。

 

 

 

 話しは2時間前まで遡る。

 

 2Fで待つこと5分。鞄を持った大滝が来ると、社内の人間に聞かれる可能性があるからと言われ、半ば強引に時友を居酒屋へ連れ出した。

 

 今日は金曜日で、その週に溜まったストレスを発散する社会人で、店に入れないだろうと思っていたが、どうやら席だけ予約をしていたらしく、会社の最寄り駅から歩いてすぐにある完全個室の居酒屋に入ると、すんなり席に案内された。

 

 「生でいいか?」

 

 「はい」

 

 かなり強気な金額設定がされている居酒屋で、昨日以前で同僚や神島と飲みに行くときは避けてきた店だが、大滝は慣れた様子で、飲み物とお決まりのフードメニューを頼んでいる。

 

 飲み物が来るまでの時間に会話はなかった。お通しとビールを運んできた従業員は、時友と大滝との間に流れる空気に、気まずそうに配膳していた。

 

 「お疲れ様」

 

 「お疲れ様です」

 

 形式的にグラスを合わせると、大滝はグビグビと一気飲みに近い形で、半分以上グラスを空けた。

 

 「仕事終わりの生は堪らないな」

 

 「そうですね」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 会話が弾まない。時友は無理やりにでも会社にいるときに退職願を出しておけばよかったと後悔した。

 

 となれば本題に早速入って、この時間をすぐにでも終わらせよう。時友は鞄に入れていた退職願を出す。

 

 「昨日話した通り、退職願です」

 

 「……本気か?」

 

 「えぇ」

 

 「……理由は」

 

 「それは──」

 

 「ハハ、原因が目の前にいるから言い辛いよな」

 

 「……」

 

 自嘲気味に、乾いた声で笑った大滝は、煙草に火をつけた。ゆっくり吸い込んだ煙を吐くと、残りのビールで喉を潤わせた。

 

 「分かっていたよ。私はあの時、会社を優先し、君を守ってやれなかった」

 

 「……」

 

 「すまなかった。本当に、すまなかった」

 

 大滝はテーブルに手を付けて頭を下げた。

 

 入社してから一度たりとも見たことない光景だ。どんな仕事も案件も、完璧にこなしていた大滝が、謝罪で部下に頭を下げるなんて、と誰しも思うだろう。

 

 しかし、時友にはその光景よりも引っかかる言葉があった。

 

 「あの時……ですか?」

 

 時友の疑問に、頭を上げた大滝は、少しだけ不思議そうな表情を浮かべ話し始めた。

 

 要約すると、3年目を迎えてすぐ大滝は、自身が担当していた重要な大手担当の一部を時友に任せた。その引き継ぎの際、先方側に飲み会を開いてもらったらしく、時友も当然同席していた。が、その飲み会がまともだったのはほんの僅かな時間だけだったらしく、あとは物珍しい男性社員である時友へのセクハラ三昧だったらしい。

 

 「私は君がセクハラを受けていたことを見ていた。本来なら男性社員である君を、最優先に考え守るべきだった。が、その時の私は会社のことしか頭になかった。君を守ることで先方の機嫌を損ない、売り上げを失う可能性がある。そんな最低な考えだ」

 

 「…………」

 

 「軽蔑されて当然だ。君を守るべき上司に裏切られた、そう思われても仕方な──」

 

 「ちょ、ちょっと待ってください」

 

 大滝の言葉を遮った時友は、すぐ帰ろうとしていたため吸っていなかった煙草に火をつけると、一人考え始める。

 

 (大手担当? セクハラ?)

 

 大滝が語ったすべて、時友には全く記憶になかった。確かに大手の担当をしてみないかと2年目末に言われたが、時友はそれを断っている。何よりセクハラとは、想像もつかなかった。男性社会で形成されたこの業界で、男である時友にセクハラをしたのは男、ということになる。それはこの言葉の通りなら真っ先にでも止めてもらいたいことだろうが、そんな記憶は一切ない。

 

 そもそも時友が辞める理由は、大滝が時友を守らなかったことなど一切関係ないし、事実としてもそんなことは起きていない。どうせ達成するだろうという、時友の優秀さが招く充実感のなさ。そこに気づいてから、失ったやる気と、押しかかる過剰なまでの期待に対する鬱陶しさ。そして慣れすぎた仕事に対する(失敗するほど深く追及できない)飽きっぽさ。それらが退職願をだす理由なのだ。

 

 今朝起きてから今まで、時友は別世界にワープしたのだという仮説を立てている。未だ信じられないが男性専用車両の存在、大半の男性社員が女性へ変化したこと。恐らくだがこの世界そのものをどうにかして調べれば、その変化は増えていくだろう。

 

 だが、変化していないところもあった。大滝や由科の存在だ。もともと女性社員であった2人は全くそのままとは言わないが、由科に関しては、間延びした話し方も、性格も、以前とそれほど変わっていない。

 

 今朝起きてからの異常は、外界的なものだけだと考えていた。だからこそ、昨日まで抱いていた感情の通り今日も行動し、退職願を出すことを躊躇わなかった。

 

 しかし、大滝の話しが真実なのであれば、これまで時友が過ごしていた過去、そのすべてさえ時友の記憶と違う可能性が出てきた、ということになる。

 

 それはつまり、時友という人間を形成してる幾つものピースがバラバラになっている状態なのだ。

 

 そして、それをすべて組みなおすことは難しい。記憶が当てにならない今、誰を頼ればいいのか。

 

 (そもそも頼れる他人なんていなかったか)

 

 親も兄弟姉妹もいない。友達もいない。時友は本当に自身が、一人なのだということを理解した。

 

 「はぁ、……ハハハ。もうどうでもいいわ。吹っ切れた。……大滝さんすみません、この件はもういいので、今日は飲みましょう」

 

 退職の話しをしたら突然思考に耽り、急に笑い出したら勢いよくジョッキを空けた時友に、大滝は面を食らったが、これまで見たことのない部下の姿に乗せられるがままお酒を飲み続けた。

 

 そうして2時間後、冒頭に戻る。

 

 トイレから帰ってきた大滝は、酔いがかなり回っていたのか、自らの足に引っ掛けて、時友を押し倒すように転んだのだ。時友はそれを抱えるように受け止めるが、時友も酔いが回っており受け止め切れず、一緒に倒れこんだのだ。

 

 「…………」

 

 「いってて、すまんな時と、も……」

 

 目を開いた大滝と目が合った時友は、じっとその目を見つめると、大滝は固まった。ほんの数時間前の自身のようで少し笑えた。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「わっ悪いすぐに──」

 

 「まつ毛、意外と長いんですね」

 

 「なっなにを言って──」

 

 時友は右手で大滝の頬を軽く触ると、垂れ下がる髪をゆっくりと撫でた。擽ったそうに大滝は体を捩ったが、時友は左手を腰に回し摩る。

 

 「腰も細いし、スタイルいいですね」

 

 「ぁっ、んぅっ」

 

 今の今まで想像もつかなかった、大滝が自身の上で喘いでいる。撫でている腰が小刻みに揺れた。

 

 今朝起きてから今までの出来事と、先ほどの大滝の話しを聞いて一つ、時友に浮かんだ説がある。

 

 『この世界は女性優位の社会であり、男性であるということだけで大きな価値があるのではないか』

 

 由科との痴女の会話、大滝のセクハラ行為の話し。この二つが時友の考える説を支えている。もちろん間違っている可能性もあるが。

 

 「ンゥ、はぁはぁ、あっ」

 

 この反応的に、何となく正しい気がしてきている、

 

 「とっ時友、ハッ、くぅっ、わっ私も女なんだぞっ……?」

 

 大滝の熱っぽい瞳からあふれた涙が頬にかかる。合った視線は外れることなく、お互いの呼吸音だけが聞こえる状態。徐々に荒くなっていく大滝の息遣いは、時友を興奮させる。

 

 そうして意を決したような大滝の顔が徐々に近づいてくる。時友はすっと目を閉じ、その瞬間を待った。

 

 

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