原初の火   作:sabisuke

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最近FCやっているんですが導力については基礎の部分があんまりわかっていないそうな。
いろいろ発見があるものです。

作者の拙速癖で一応定期的に確認しているんですがそれでもどこかに誤字があると思います。申し訳ございません。


15 オレド自治州出張任務

 「まさかメルカバというのが飛行艇のことだったなんて思いませんでした…」

 「守護騎士一人では動かせないもので、しばらくの間アルテリアで保管することになっていたんですが……紹介しましょう。従騎士のシアンさんとグラムさんです。」

 

 ウォーゼル卿に紹介されて二人の大人がコックピットの席から立ち上がる。一人は青い髪をした背の高い男性で、もう一人は黒髪の眼鏡をかけた真面目そうな男性だ。

 

 「通信士を担当しますシアンです。」

 「今回操舵をするグラムと言います。短い間ですがよろしくお願いします。」

 

 青髪の男性がシアン、そして黒髪の男性がグラムと名乗った。彼らはもともと別の守護騎士のサポートをしていたらしいが、しばらくの間ウォーゼル卿のサポートに回ることになったとのことだった。ウォーゼル卿がもう少し経験を積んだらまた新人の従騎士が配属されるらしい。

 

 「私はニクスと申します。ウォーゼル卿の甲種零型古代武装に当たります。どうぞよろしくお願いします。」

 

 甲種零型古代武装≪ニクス≫。私は星杯騎士団の騎士からそのように呼ばれていた。人間の手によらずとも異能の制御が可能な自立型兵装は甲種零型にあたるらしかった。実のところ武具というよりは高度な知能と思考から広く細やかなサポートが可能なソフトウェアシステムとして、私は扱われていた。

 その仕事は交渉や各所との連絡だけでなく古文書の解析や場合によっては古代遺物の封印も含まれる。

 

 二人と握手をすると私の手を握った二人の騎士は驚いていた。

 

 「はえー。本当にしゃべるんですねー。ヒト型兵装って聞いていたのでどんなのかと思ったのですけれどもう人間そのものですね。」

 「いやいやいや!完全に人間じゃないですか!見た目だけかと思ったらこの手は……」

 

 「その通りだ。」

 「ウォーゼル卿、一体どういうことですか?古代遺物、なんですよね?」

 

 ウォーゼル卿はどう説明すればいいかわからず眉をしかめている。彼は私を人間だと思いたいと言っていた。けれどウォーゼル卿も、私も、私が人間でないことなんてよくよく理解しているのだ。ウォーゼル卿にとってはそれが少し心苦しい、らしい。

 言葉に迷うウォーゼル卿に代わりグラム様に私は説明をした。

 

 「私が教会によって古代遺物に認定されているのは本当です。この体が人間のものであることも本当です。」

 「えええ……結局どういうことですか……?」

 

 

 

 「つまりですね、」

 「「つまり?」」

 

 

 

 「私はこれからウォーゼル卿の任務をサポートする、ということです。」

 

 お二人は何とも言えない顔をしていた。あまり納得がいっていないようだったけれども、ウォーゼル卿が二人に指令を出すと二人は席についてメルカバをセットアップさせていく。

 

 「機関部、セットアップ完了。『天の車』との同期率、30%…50%…85%…100%。操舵システムに異常なし、セキュリティシステムのスキャンも完了。」

 「通信系統も問題ないでーす。光学迷彩もスタンバイ。」

 

 

 メルカバの発進準備が整ったらしく、二人はウォーゼル卿を仰ぎ見て指示を待っている。

 ブリッジの中央にあるやけに大きくてちょっと古ぼけた司令官用の椅子に座っているウォーゼル卿は腕を前に突き出して二人に指示を出した。

 

 「よし。それでは只今より作戦を開始する。

 目的地はオレド自治州、共和国との国境付近上空。メルカバ、発進!」

 

 「「イエス・サー!」」

 

 前方に見える景色が下へ下へと下がっていく。

 星杯騎士団の天の車は浮かび上がり、さしたる揺れを感じさせることもなく駆け出した。

 

 

 

 

 

  「高度6000、周囲100セルジュに飛行船はありません。このままいけばあと3時間ほどで目的地に到着するかと思われます。」

 

 観測士も兼任するグラムさんは両手に舵を握って状況を教えてくれる。彼はメルカバの操縦が従騎士の中でも特に上手で正騎士に迫るほどだという。さっきメルカバスタッフの専門職を目指していると教えてくれた。

 星杯騎士は千人ほどしかいないらしい。だから騎士は皆何でもできるように修練を重ねる。メルカバの操縦も、工房でのクォーツの合成も、通信も、全部練習するのだとか。

 ウォーゼル卿はそれどころじゃなかったのでまだいくつかできないことがあると言っていたが。そんなウォーゼル卿は司令官の席にじっと座っている。いつかは覚える必要があるから、と仰って積極的に二人からメルカバの扱いについて話を聴いている、

 

 私は特にすることもないので、床にぺたんと座り込んでいた。

 

 「ニクス、足が疲れたなら下に休憩所があります。そこなら椅子もあるからここに座り込むのはやめた方がいいでしょう。」

 「なぜですか?景色はここからの方がよく見えますよ?」

 「……いや、気にならないのだったらいいんです。」

 

 

 

 PiPiPi…

 

 ウォーゼル卿が小さくため息をついて前に向き直ったとき、ブリッジに何かを知らせる音が鳴り響いた。通信士であるシアン様が座っている席にあるランプが赤く点滅している。

 

 「通信か?」

 「はい、えーっと通信先はレミフェリア……メルカバ壱号機からです。」

 「総長からか。繋いでくれ。」

 

 どうやら総長という人から通信が届いたらしい。聞いた限り星杯騎士団の責任者か何かだろう。そんなに偉い人からの通信だなんて、いったい何があったのだろうか。

 右側の天井から折りたたまれたモニターが出てきて展開される。

 

 

 「繋ぎまーす。」

 

 シアン様がそう言って何かのスイッチを押すと、モニターに映し出されたのは、深い緑色の長い髪を持つ女性の姿だった。

 

 『やぁガイウス。これから任務だそうだね?』

 

 

 

 

 私にとって衝撃的だったのは、その声。

 少し低くて、落ち着いていて、カリスマを感じさせる戦士の声。

 力と剣。自信と確信。どんな道をも踏み越えていく覚悟の宿った王者の声。

 

 あの女性だった。

 いつかのある時に始まりの地に突然やってきて、私を誘惑したあの女性。強い戦士だろうとは予想をつけていたがまさか星杯騎士団の総長だとは思っていなかった。

 

 そんな私の驚きをよそに二人は話を進めていく。

 

 「総長、はい。オレドで蛇の調査を4日間ほど。」

 『そうか。君はすでに顔が割れているからな。嗅ぎつけられないように気をつけろ。

 今回連絡したのは少し先の事の連絡だ。この任務が終わったら君には帝国方面に向かってほしい。』

 「帝国、ですか。」

 『リベールでの≪異変≫の時にも見られたことだが、蛇がおもちゃをばらまいていてな。その回収を頼みたい。トマスに任せていたんだが手が回らないと泣きつかれた。』

 「了解しました。……ニクスを同行させてもいいですか?」

 

 ウォーゼル卿の疑問に対し彼女は何でもない顔ですぐさま答える。

 一切の迷いのない声だった。

 

 『いや、それは許可できないな。君の知り合いは彼女が共和国にいると思っているんだろう?

 彼女には始まりの地で留守番をさせておいてくれ。』

 「そう、ですか。わかりました。」

 『……だが、持ち主である君が構わないならば私が彼女を預かることもできるが?』

 

 女性の提案にウォーゼル卿は驚いたように目を見開く。

 

 「え?」

 『知らない仲というわけじゃないのさ。

 ―――久しいな、ニクス。私のことを覚えているか?』

 「勿論です、戦士の方。私はあなたにお尋ねしたいことがいくつもあるのです。」

 

 『私に答えられることなら答えよう。何なら君を一人前のレディにすることだってできる。』

 

 女性はそう言って目を細めたが、それは随分とおかしな話であるように思う。

 私の精神には性別がないが、私の体は成人女性のものだ。その意味で私はすでにレディである。

 そして女性であることに一人前も何もないだろう。

 

 「私の体は女性体ですよ?」

 『女の体を持つだけではレディにはなれないものだ。

 ガイウス、オレドでの仕事が終わったら一度アルテリアに帰投してくれ。

 それでは女神の加護を。』

 「あ、ちょっと待ってください!」

 

 私の静止も聞かずに祈りの言葉を口にした女性は、通信を遮断したようでプツッという無機質な音の後にモニターは真っ黒になった。

 あわただしい人だ。私の話を全く聞いてくれない。

 

 「総長は相変わらずお忙しいようですね。

 ……それで、どうします?」

 

 ウォーゼル卿が私の顔を見て真剣な顔で何事かを聞いてくる。

 だが私には彼が何について聞いているのかわからなかった。

 

 「なにがですか?」

 「ですから、この任務が終わった後の事です。ニクスは始まりの地で俺の次の任務を待つか、総長と一緒にいるか選べます。どちらがいいですか?」

 「……できれば、あの女性と会う機会があった方が嬉しいです。私、あの方が人間になる方法を教えて下さるような気がするのです。」

 

 「わかりました。」

 

 ウォーゼル卿は静かに頷くと、前に向き直って再び何事かを二人の従騎士に言づける。

 メルカバはあと2時間と45分程度で目的地に到着するらしかった。

 その間、私はただブリッジの床に座り込んで前方に見える景色を眺めていた。空は青く、太陽は少し傾き始めている。

 

 現在時刻は午後3時35分。

 到着予定時刻は夕方の6時20分だ。

 

 到着したらまずは宿の確保と夕飯だな、なんて言っているウォーゼル卿が、二人の従騎士とオレドの名物について話している。

 

 

 私はただ、太陽のまぶしい光をぼうっと眺めていた。

 

 

 

***

 

 

 オレド自治州。農業が盛んな自治州で付加価値の高い高級果物や商品作物、そしてジャムやお酒などの加工品の輸出で経済を支えている自治州だ。アルテリアが宗主国である影響のためか星杯騎士団にとっては潜入のしやすい自治州であるらしく、教会の人間も()()()()()とのことだった。

 

 私は文筆家として、そしてウォーゼル卿は新任の巡回神父さんとしてオレドに滞在することになった。(最近こちらの世界の発音に慣れてきた。Rの発音が難しくてこれまで地名をうまく発音できなかったのだ。)

 到着したらまずは宿に行って、次の日から調査を行う。一日目と二日目は別行動。自治州各所で情報収集、三日目と四日目はウォーゼル卿と街道や遺跡を回った後共和国に近い高地のはずれでメルカバに回収してもらう予定だ。

 

 まさか単独行動を許されるとは思っていなかった。ウォーゼル卿は私が自由な行動をとれるように何かと便宜を図ってくださる。騎士団に拘束されようが、兵器として扱われようが辛いわけではないが、彼の優しい心からくる善意は非常にうれしかった。

 

 

 「今日からしばらくの間、よろしくお願いします。」

 「はい、4泊5日ね。宿でごはんは出ないからどっか別のところで食べるなりして。

 隣の居酒屋は安くてうまい、2ブロック先の料亭は高くてうまい。西街区のレストランは超絶高くてうまい。屋台で売ってる焼き林檎とか、ハニーローストナッツとか、スモアとかもうまい。

 カフェのコーヒーはオレド産の豆使っててここで飲んでいく方が安くてお得。おっけー?」

 

 宿の主人はとても早口な女性で、受付のカウンターで煙草を吸いながら新聞を読んでいる。何度も染めたのかして少し痛んだ茶髪をゆったりと括り、そのしっぽが彼女の肩にかかっている。顔は少し日に焼けていて、そばかすがあって、太陽の似合う人だと思った。

 

 彼女は帳簿に名前と住所を書く私に問うてくる。

 「あんた、どうしてオレドに?」

 

 視線を上げると、彼女は新聞を読んでいて、ちっともこちらを見なかった。

 「旅をしながら本を書いているのです。オレドには取材で来ました。」

 「へー。」

 「帳簿、こちらでよろしいですか?」

 「ん。これ鍵。」

 「ありがとうございます。」

 

 鍵を手に取って鞄を持つ。部屋は2階の西側の隅だ。到着したらゼオを呼んでウォーゼル卿に連絡を入れなければならない。今回行動を別にするにあたってゼオを呼ぶための特殊な笛をウォーゼル卿から預かっている。

 何でも人には聞こえないけれど鳥には笛の音が聞こえるのだとか。

 

 もしかしたら異能の影響で私にも聞こえるかもしれないな、なんて思いながらドアを開けると、そこには茶髪の女の子がいた。

 

 「あら?」

 「えっ!ご、ごめんなさい、まだお掃除が終わってないの。今日はお昼寝してしまったから、仕事が全部できていなくて……あの、その…」

 「構いませんよ。私は気にしませんから、どうぞ続けてしまってくださいな。

 少し座らせてはいただきますけれど。」

 

 女の子はホウキを手にしていて、この部屋を掃除していたのだと言った。幼いがどうやらこのホテルの従業員であるようだ。

 少女は大体12歳くらいだろうか。セミロングの茶髪をポニーテールに括り、動きやすい格好をしていて白い三角巾とエプロンを身に付けている。

 

 「私はこれからこの部屋に宿泊するニクスです。掃除をして下さってありがとう。」

 「えっと、チェンです。女将の娘で、お手伝いしてます。あの、あとシーツ張り替えるだけだから!ほんとにすぐ終わるからちょっと待って!」

 「急がなくて大丈夫ですよ、本当に気にしていません。あなたさえよければお茶でも飲んでいってくださいな。淹れてきますから。」

 

 私はそう言って持ち運び用の導力ポットでお湯を沸かし始めた。鞄の中からプラスチックのティーカップを取り出し、テーブルに白いクロスを敷けばお茶会の準備はほとんど終わりだ。

 ティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。数種類のスパイスと雑貨屋で買った新鮮ミルクを入れて少しの間蒸らす。

 本場であるノルドではスパイスと紅茶とミルクを一緒に鍋で煮立たせるが、旅先ということで簡単にできる方法で淹れることにしている。スパイスを砕いてから入れれば香りも強く出やすい。

 

 そうこうしているうちにチェンという女の子はシーツを敷き終わったのかして三角巾を外しておずおずと歩み寄ってきた。

 私は二つのカップにチャイを注ぎ、彼女に椅子に座るように勧めた。

 

 

 「い、いいの?私ただのお手伝いだよ?」

 「構いませんよ。私は一緒にお茶を飲んでくださる方を探していたのです。あなたがお昼寝をして下さっていてよかった。」

 「ふーん」

 

 彼女はチャイを一口飲んだ。

 

 「おいしい!味はお茶なのにちょっとスパイシーで緑茶と違う感じ……これどこのお茶?」

 「ノルドという帝国と共和国の国境地域で買いました。

 スパイスとミルクと一緒に飲むのですって。気に入って、たくさん買ってしまったんです。」

 「へー。ニクスさんはいろんなところに行ったことがあるの?」

 

 「ええ。旅をしながら本を書いています。」

 「本!?それってロマンスとか書く?だったら私買うよ!」

 

 ロマンス。男女の恋愛がメインテーマになった本だったか。私はあまり書かない。恋をしたことがないからだ。

 

 「うーん…ロマンスはあんまり書きませんね。今は星の神話を書いてます。」

 「星の神話?」

 「星には明るいのもあれば赤い星や青い星もあります。その星々がどうしてそうなったかを物語で紹介するのです。作り話ではありますけれど、結構人気ですよ。」

 

 「へー。」

 

 彼女はロマンスにしか興味がないようだった。思春期の子供はそういうものなのかもしれない。もともと女の子は恋というものに興味があって、素敵な男の人と素敵な恋がしたいと思っているのだとか。ユウナが言っていた。(その時の彼女の話はどちらかと言えばリィン様への文句がほとんどだった。)

 

 自分には、わからないものだった。

 性別という概念のない私には恋をするというのは無理があるのだろう。

 

 「母さんが心配するからそろそろ行かなきゃ。

 あんまり仕事が遅いと怒られちゃうし。ね、ね。また明日も来てもいい?

 仕事ちゃんとしたら休憩時間ちょっと余裕出来るからさ。」

 「構いませんよ。お待ちしておりますね、チェン様。」

 「チェン様だって!変なの。立場が逆になったみたい!」

 

 お茶ありがと!と言って彼女は三角巾を付けなおして掃除道具を手に持つ。ホウキとバケツと雑巾とゴミ袋で両手をいっぱいにしながらも器用に扉を開けて、そしてキッチリと閉めて出ていった。

 

 彼女が階段を下りていく音を聞きながら、私は旅行鞄を持って窓の近くに立ち、部屋の窓を開ける。

 笛をカバンから取り出そうと思ってしゃがむと、ばさばさという羽ばたきの音が聞こえた。どうやら笛を使うまでもなかったらしい。

 

 茶色い羽の大きな体をしたゼオは部屋の桟に脚をかけて立っている。大きくて真ん丸な金色の瞳をきょろきょろとさせながら、部屋を確かめているようだった。

 ゼオによるとウォーゼル卿も教会のほうに到着したとのことであとは私が連絡するだけのようだ。

 

 「こんばんは、ゼオ。ウォーゼル卿に到着しましたとお伝えして。明日は自治州の南側をバスで回ろうと思っています。」

 

 ゼオは心得たと一鳴きして夜空に飛び立っていった。月の光を背負う彼の雄大な姿は真っ黒なシルエットになった。彼が飛ぶ姿はとってもきれいだ。

 翼を広げれば1アージュは超えるかという大きさの翼は一枚一枚がとてもきれいな模様をした羽根によって構成されている。

 空を駆けることに特化した生物。それもまた一つの命の形なのだろう。環境に合わせた適応という進化の繰り返しによって、彼らは非常に美しい翼を得た。なんでも鳥というのは生まれた時からその種によって羽根の枚数と羽が生える角度が決まっているらしい。生きていくために自分たちにとって最適な翼を彼らは知っているのだ。

 

 やがてゼオの姿は家屋に隠れて見えなくなってしまった。北西に向かって飛んで行ったので、まっすぐウォーゼル卿のもとに戻るのだろう。

 

 

 (蛇……か)

 

 

 リーヴスを発つ前に、あの青年は言っていた。

 『マクバーンは大陸各地で暗躍する犯罪結社のエージェントです。』

 

 蛇の名は≪身喰らう蛇≫、というのだそうだ。騎士団は彼らと長きにわたって対立してきたとのことで、帝国での騒動でも執行者と呼ばれるエージェントや使徒という最高幹部と交戦したと言っていた。

 そして恐らくは、かの王もその蛇なのだろう。

 

 

 (おいたわしい)

 

 記憶をなくしていた。自分が何であるかを思い出すために力を振るわなければならなかった。

 そう聞いた。

 しかし民のことを思いむやみに力を使うこともできなかったらしい。

 

 やはり、かの王はお優しい。たとえご自身が何者であったかを忘れても、民を思う気持ちが心のどこかにあるのだから。

 陛下は、今は記憶を全て思い出したであろうか?

 

 死んだ者まで守れないとおっしゃっていた。

 ただ会いたかっただけだとおっしゃっていた。

 あの方は悲しんでいらっしゃるのだろう。

 

 そしてそれ以上にすこし、怒っているようにも感じた。

 怒りは、私には()()()()()()感情だ。寂しいという感情のなれの果て。火花のような、閃光のような、弾けるように鮮烈な感情の発露。私には備わっていない感情だ。

 陛下は私よりも多くの感情を持っていらっしゃる。あの方の表情は私にとって少し複雑で、難解だった。陛下の考えをそのお顔から察するということは、私は下手だった。

 

 楽しそうに笑って、少し寂しそうに顔をゆがめていらっしゃった。

 

 あのお方は私よりもずっとずっと感情が豊かでいらっしゃる。

 その感情があだになってお辛い思いをしていなければいいと、そう思った。

 

 

 窓の外の月は満月だ。

 そういえばあの方は地上に落ちてきてしまった太陽のように苛烈な炎の持ち主でいらしたのに、あの月のような静かな光をよく好んでいらした。

 

 窓から漂ってくる灰の香り。どこかの家で暖炉に火をつけているのかもしれない。導力式のストーブも販売されているが、薪をくべた火を好む人も多いと聞いた。

 

 私はその灰の香りがどこか懐かしくて、その夜はずっと月を見上げていた。

 

 

 

 夜が、更けていった。

 私は結局、眠らなかった。

 




アインルート「総長様のペット」が解放されました。

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