原初の火   作:sabisuke

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 そろそろ真面目にプロット組んだ方がいいなと思い始めました。




17 想いの眠るゆりかご

 

 

 困った。

 大いに困った。

 

 

 「せんせーー!風呼んで、風!もっかい!!」

 「リリも!リリもビューってやる!!」

 

 教会の法衣に縋りついてくるのはまだ幼い子供たち。

 ゼオを飛ばして風で勢いを付けさせているところを見られてしまい、子供たちからの印象はすっかり『風使い』だ。

 クラフトなどで風を槍に纏わせているので間違いではないかもしれないが、普通人間の男はそういうことはできない。一般人には見られないように気を配る必要があったというのに、村の子供たちに見られてしまった。

 日曜学校の指導が終わったからと油断してしまっていただろうか。

 

 「ざ、残念だが俺はもう街に戻らないといけない。来週来た時はいくらでも風を呼ぶさ。」

 「ええええーーー!!」

 「リリ、ビューってやつやる!ハオシェンと飛ぶの!」

 

 彼らには俺が来週は来ないことがばれているのかもしれない。

 

 この村の子供はたった二人。

 ハオシェンという共和国出身の少年と昔からこの村に住んでいるリリという女の子。二人はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいるらしい。見ていて微笑ましいやり取りをする彼らはとても元気で、できればおねだりも聞いてあげたいとは思うのだが、今日は少し道を急ぐ理由があった。

 

 とはいえこの二人を邪険にするのもかわいそうだ。

 

 

 どうしようかと迷っていると、そこに助け舟がやってきた。

 リリと同じ髪の色の女性――リリの母親だ。

 彼女は後ろからリリを抱き上げると、目を合わせてリリに問いかけた。

 

 「リリ、今日はお料理をするんじゃなかったの?」

 「ママ!そだった、リリ今日おりょうりする~。

 せんせー、リリびゅーってするの今度でいいや。ハオシェンもばいばい!」

 

 「えーーーっ!なんでだよリリ~~」

 「リリ今日からおりょうりのトックンするの。だからばいばいだよ!」

 「待てって!」

 

 リリとその母親が手を繋いで家に戻ろうとするところをハオシェンが走って追いかける。俺から興味をなくした二人は、連れ添って歩き始めた。

 

 助かった、と思っていると子供たちとリリの母親がこちらを振り向いた。

 

 「「せんせ~~!さよならーー!」」

 

 腕がちぎれそうなほどに大きく振って、二人の子供は大声を張り上げている。リリの母親もぺこりと頭を下げていた。

 俺も別れの挨拶を返そうと思い、息を吸い込んだ。

 

 「ああ!!また会おう!!」

 

 俺が大きな声で挨拶をすると風がごおっっと唸った。

 二人はその風を肌で感じてキャッキャとはしゃぎ、木製の家に飛び込んでいく。それを確かめた俺が村から一歩外に出ても、彼らが楽しそうに笑いあう声が耳の中に残っていた。

 

 

 

 

 

 村と街を繋ぐ街道のやや村よりのところに、一か所分かれ道がある。西に行くと村、東に行くと街、そして北に行くと祠がある。

 街を囲むようにして存在する4つの祠のそのうち1つ。分かれ道を北に行けば、やがて祠に至るための長い長い石階段が現れた。

 

 

 その階段の中腹に、誰かが腰かけている。

 

 「…驚きました。本当にあんなメモで分かってくださるなんて。」

 「どんな言葉にも、規則性があるということです。素直な言葉でしたからすぐにわかりましたよ。」

 

 

 そこに腰かけていたのはニクスだ。無理にとは言わないができれば手を借りられたら助かると思って買い物メモに見せかけた暗号をゼオに届けてもらったのだが、まさかこんなに早く到着するだなんて思わなかった。

 

 「どうしてわかったんです?符牒を共有してはいなかったでしょう?」

 「数量がなかったので買い物メモでないことには割とすぐ気が付きました。あとはウォーゼル卿が欲しがりそうにないものもありましたから。」

 「成程。気をつけます。」

 

 ゼオに届けさせたのは食べ物の頭文字を繋げれば集合場所を示す暗号だった。万が一ゼオが道中で襲われてメモが奪われても大丈夫なように買い物メモに偽装したのだ。あってもなくても困らないもので暗号を作るのは大変だったが、彼女にとってはあの程度を読み解くのは朝飯前だったようだ。

 

 「祠は4つあったでしょう?外れていたらどうするつもりだったんです?」

 「途中まで来たらゼオが案内してくれましたし、あなたの大きな声も聞こえました。

 …あなたこそ、私が迷子になるとは思わなかったのですか?」

 「不思議なことに、あなたならきっと来ると思っていたんです。あなたには何も教えていないのに。」

 

 階段に腰かける彼女に並び立つと、彼女はワンピースについた砂を払いながら立ち上がる。長い石階段はまだ真ん中だ。ここからあと何段、上ることになるのだろう。

 ゆっくりと一段ずつ階段を上る彼女の歩く速さに合わせてのんびりと足を運んでいく。少し足がもつれそうだった。

 

 

 「そういえば、どうして私をお呼びになったんですか?」

 

 彼女がふと尋ねてくる。

 ベールの向こうの不思議な色をした瞳が、きょとんと丸くなっていた。

 

 「ここは、水にまつわる場所だそうです。水の異能を持つ神官であるあなたならば、何かわかることがあるのではと思いまして。」

 「そうだったのですか……」

 「それに、村に赴く途中で嫌な視線を感じました。この自治州に彼らが潜んでいるようであればどうにか居場所だけでもつかみたいと思ったんです。」

 

 ニクスは、少し困ったような顔をしていた。その微笑みはいつものものよりもやや眉が下がっていて、若干だが彼女を人間らしく見せていた。

 

 「騎士の方は異能の使い方について私よりも詳しい気がします。私が水鏡に挑戦したのなんて本当に最近の事だっていうのに、どうしてそんなことができるって皆さまご存じなのでしょう?」

 

 騎士団は、彼女を古代兵装として最大限活用しようとしていた。彼女自身の高い知性を生かした古文書の復元と解析、水の異能を利用した法術の発明、果てには伝導体の量産までを彼女に強要しようとしている。

 彼女にとって異能の使用が負担になることなど、気にしていないかのように。

 それは『水を操る』という異能の可能性を探っているようであり、彼女をゼムリアでの生活から切り離すための第一歩だった。

 

 「お役に立てるならばいいのですけれど」

 

 彼女はいつもそう言って、騎士団に快く協力してくれる。

 異能を使ったり、頭で考えたりして仕事に取り組む彼女はいつもいつもニコニコとほほ笑んでいて、実際異能の代償というものが何なのかを俺たちは知らないままだった。

 彼女は階段をのぼりながら、またいつものように微笑んでいる。曖昧な指示にも従い、最大の結果を残す彼女は兵装としてこの上なく優秀だ。

 

 人間としてはいまだ不完全である彼女が兵装として扱われると途端に高く評価されるというのは、まったくの皮肉なのだろう。

 

 

 「あら、着きましたねぇ」

 

 石の階段を1000段ほど上っただろうか、隣のニクスは少し息切れしながら、祠を見つめた。森の中にポツンと建てられた東方風の門の向こうにはドールハウスくらいの小さい小屋のような何かがある。気象観測に使われる百葉箱と少し雰囲気は似ているかもしれない。

 文字が青いインクで書かれた札が何枚か張られていて、この人形の家が祠というものらしかった。何かの装置、もしくは古代遺物に相当するものは見当たらない。

 祠の両開きの扉は閉じられているが、門の中に入ってこれを開けることは憚られた。

 

 「これを視ればよろしいのですか?」

 「お願いします。」

 

 彼女は一つ頷くと小瓶を取り出し、その中に入っている水を地面に零していく。彼女が瓶をいくら傾けても、水は枯れることがない。水はずっと柔らかい土を濡らし続けている。

 

 「一体どういうからくりなんですか?」

 「たくさん入っているだけですよ。無限なんてことはあり得ません。」

 

 そして彼女は瓶のふたを閉じたかと思うと、今度は地面に染み込んだはずの水が意思を持ったかのように動き始める。彼女が腕を持ち上げて地面と水平になるように構えると、水の流れはまるで蛇のようにするすると地面を進んでいく。そして祠の四つ足に絡みついて祠を支える木材に染み込んでいった。

 

 「……確かに誰か来ていますね。あまり多くはないみたいです。扉も開けてはいません。申し訳ないのですけれどわかるのはそれくらいです。」

 「いえ、十分です。地元の方はあまり寄り付かないということはすでに聞き及んでいますから。誰かが来たということは彼らが潜伏している可能性を視野に入れたほうがいいでしょう。夜にまた連絡を入れますから、明日の朝まで待機していてください。」

 「かしこまりました。」

 

 微笑む彼女の顔は少し青い。異能の行使の代償によるものであるようだ。

 

 「少し休んでいきますか?」

 「そうですね……近くに泉のある匂いがします。少し足を延ばしてみましょう。」

 「泉ですか?しかしこの先には道が……」

 

 彼女は門をくぐると祠の裏に回ろうとする。

 背の高い草や針葉樹が祠を取り囲んでいるかのように思えたが、どうやら祠の裏には細い道が存在したようで、そこだけ獣が一匹通れる程度の細い道ができていた。誰かが踏み均したというよりは、その道の上にだけ植物が生えていないようだ。

 

 彼女は俺を先導するように歩き始めるが、何分狭い道だ。図体の大きい俺では進みづらく、顔に木の枝が当たりそうになる。

 

 しかしこの森には随分動物が少ない。鳥の声も獣の唸り声も一切聞こえない。

 だが動物の姿は見えないというのに、命の気配だけが濃くてどこか不自然だった。匂いでも音でもないが肌の感覚、とでも言い表そうか。()()がこの森に生きていることを風が報せてくれている。

 

 「ニクス、ここには何が生きているんですか?何かがいることはわかるのですが普通の動物や魔獣ではないような気がします。」

 「まだ生まれる前の命なのだと思います。」

 「生まれる前の命?」

 「ええ。生き物は何も最初から体を持っているわけではありません。私の故郷では母親のお腹や卵の中に新しい体が出来上がっていくとき、どこかのタイミングでその命に魂が宿ると言い伝えられていました。その魂が、ここに集まっているのでしょう。」

 「成程……霊魂のようなものが泉に吸い寄せられているということですか。」

 

 「その理解で支障はないでしょう。

 ほら、ご覧になってください。美しい泉ではありませんか。」

 

 ニクスが足を止めた。彼女のさらにその先には植物があまり生えていないようで、開けた場所のようだ。彼女の後ろから向こうを覗くと、そこには水面が広がっている。

 沼と呼ぶにはあまりに澄んでいて、池と呼ぶには清すぎる。水の流れも一切ないその水たまりは、確かに泉と称するのがあっているように思えた。

 

 「なんて清い水だ……」

 「ええ。先ほどの祠が祀っていたのはこの泉だったようですね。もしかしたら精霊が棲んでいるかもしれません。」

 「では、あまり長居をするのも悪いですか。精霊の眠りを覚ますのも気が引ける。

 …しかし、オレドの水がこんなに綺麗だったとは。食べ物が上手いのも道理です。」

 

 オレドの飯はうまい。麦も、野菜も、味が濃くて密な感じがした。良い水はよい作物を育てるということかと思ったが、隣のニクスは首を振ってそれを否定する。

 

 「いえ、農作物を育てている水の水源は別に存在すると考えていいでしょう。」

 「なぜですか?」

 

 「水があまりに清いと生き物は生きられないものです。肥えた土にはそれに合った水というものがあります。

 ここの水は些か静かすぎる。」

 

 独特な表現だ。水というものは火や風に比べれば元々静かだが、言われてみれば確かに川の水と比べると流れが少なくて静かな気はする。

 

 しかし彼女が言わんとしていることは俺の考えともまた違うことなのかもしれない。

 

 彼女の顔を覗き込むと、珍しく微笑みのない表情をしていたものだからそう思った。彼女は無言で目を伏せて、祈りを捧げはじめる。

 何が何だかわからないが、とりあえず自分もそれに倣った。精霊がいるかもしれないのだから、住処に踏み入ってしまったことを詫びなければ。

 

 

 

 

 

 ニクスは、太陽が少し傾き始めて影が長くなるまで祈りを捧げ続けていた。

 

 礼拝堂に戻ってこれたのは、もう夕方の事だった。

 予定よりも帰りが遅くなってしまった俺は、司教に謝りに行くついでに騎士としての仕事の補佐をするニクスを司教に紹介しに行った。

 

 「フランシスコ司教。帰りが遅くなってしまい申し訳ありません。北の祠に行っていたのですが、調査が長引いてしまいました。」

 「成程、北の祠にまで足を延ばしていたのですか。あなたの友が知らせてくれましたので、幸い何も滞りはありませんでしたよ。

 しかし、あなたも一人で外に出るとは中々無茶をなさる。村へはバスが出ていますから、次からはそれを待つとよろしいでしょう。」

 「申し訳ありません、司教様。しかし私はどうしても北の眠りの地を目にしたかったのです。」

 

 彼女がそう言って頭を下げると、司教は白眉をぎゅっと寄せて彼女のことをじっと見た。

 

 「あなたは……」

 「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。私はニクスと申します。ウォーゼル卿の古代兵装として任務を補佐しております。」

 「そうでしたか……。」

 

 そういったきり、司教は樫でできた重厚な机に両肘を付き、ゆっくりと両手を祈るように組んで黙り込んだ。

 ニクスはそんな司教の前で膝をつき、頭を下げた。

 ―――まるで王の御前で何かの許しを請うているようだった。

 

 「司教様、恐れながら進言させていただきます。

 かの泉の眠りは、今まさに妨げられようとしています。しかしその者も、泉の水が何であるかを知らないようなのです。どうか私に諫言する許しをいただけませんか?」

 

 四方の壁が本棚で覆いつくされた司教の執務室がまるで玉座の間にでもなったかのようだった。両手を組んだままじっと黙っている司教は、何事かを考えこみ、そしてしばらくすると手を掲げてニクスに命じた。

 

 「顔を上げなさい。」

 

 ニクスはそう言われるがままに顔を上げる。

 

 「私から、星杯の騎士たるウォーゼル卿と、そしてその剣たるあなたに依頼します。無垢な魂らが眠る泉を這い回ろうとする蛇を捕らえ、その愚かさを説きなさい。

 そしてどうか、彼の者らにもう一度、安らかなる眠りを与えなさい。」

 

 無垢なる魂が眠る泉。

 司教のその言葉が意味するところは明白だった。

 

 「ま、待ってください!無垢なる魂が眠る泉とは……まさかあの祠は……」

 

 ニクスは司祭の眼を見ると、司教は小さく頷いた。

 

 「ウォーゼル卿、あの泉には生まれる前に死んでしまった幼子たちの魂が眠っているのです。何の罪もなく、ただ祝福を受けることを待っていた多くの命が不幸にして失われた後、あの場所で眠りにつくのでしょう。」

 

 ニクスの言葉は、俺の予測を肯定するものだった。

 驚きのあまり司祭を見ると、司祭は重々しく口を開いた。

 

 「祠は、最初はこの地の三方にしかありませんでした。

 それぞれは知恵の実である林檎、人の糧たる麦、そして恵みの象徴たる樹。それらを祀る祠でありました。

 

 まだ医療の技術が発展しておらず出産の成功率が低かった時代には、悲しい事故が何度も起こりました。父親の行き場のない憤りを鎮め、母親の悲しみを慰めるために。

 そして何より、生まれてくるはずであった尊い命にせめて安らかな眠りを与えるためのゆりかごとして、4つ目の祠ができたとされています。

 あの泉の水は、なぜかどこへ流れずとも濁らない。それこそあの泉に眠る魂たちの心のようにいつでも清らかなのです。

 

 ……君たちには、どうかあの泉が荒らされぬようにしてほしい。

 これは公にはしていないことのため、知らず知らずのうちに誰かが不徳を成すこともあるかもしれません。だからどうか、その者に気付かせてやってください。あの祠だけは、どんな時でも静かな場所でなければならないということを。」

 

 俺は息をのんだ。あの泉で感じた曖昧な命の気配。あんなにも生きていた気配を感じたというのに、それが死者の魂であったとは。

 

 「あの泉には、多くの善良な魂が眠っています。彼らはまるで生きているみたいでした。それはあの泉がオレドの人々の手によって善く守られてきたからなのでしょう。」

 

 床に両膝をついたままのニクスが俺を見上げている。どうするのかと、視線で問うているようだった。

 勿論、放置はできない。蛇であろうとなかろうと、死者の眠りは妨げられてはならないのだから。

 

 「僭越ながら、その任を受けさせていただきます。彼らの穏やかな眠りと安らぎを守るために、この槍をふるうことを誓いましょう。」

 

 

 俺の宣言を聞き届けた司教は、俺たち二人に退室を命じた。

 ニクスが立ち上がって退室し、そして俺も続こうとしてその直前に、俺は司教にあることを尋ねた。

 

 

 「…その者は、誅するべきでしょうか?」

 

 その俺の問いに対して、司祭はただこう答えた。

 

 「君に委ねます。」

 

 

 

***

 

 

 「ニクス!」

 「チェン様……」

 

 宿に戻った私に声をかけてくれたのは受付で番をしているチェンだった。チェンは雑誌を読みながら受付をしていたようで、カウンターには温かい飲み物の入ったマグとチョコレートの空き袋があった。

 

 「今日は朝早く出ていったって言うのに、随分観光してきたんだね。」

 「ええ。村の方まで行ってきましたよ。チェン様は受付のお仕事ですか。」

 「今日の午後はずっとね。この雑誌もさっき買ったばっかだってのに随分読んじゃったよ。」

 

 そう言って彼女が振ってみせた雑誌はどうやら帝国のものであるらしかった。

 

 「帝国の雑誌ですか?」

 「んー。さすがにおしゃれだよね、帝国の人は。服とか結構堅い感じだけど髪の色とかは自由というか、随分明るい髪の人が多いみたい。」

 「ああ、確かに西に住む方は明るい髪の方が多いですね。北の方に行くと銀髪の方もいらっしゃいましたよ。」

 「こっちは色が明るいってもプラチナブロンドだからなぁ……帝国の人の方が参考にはなるや。」

 

 そう言って何周も読んだという雑誌を眺める彼女の眼は、しかしまだ興味を失っていないようでゆっくりとページをめくっている。

 

 「私はファッションには詳しくありませんけれど、お力になれることがあったら言付けてくださいね。」

 「んー。」

 

 どうやら赤毛のスタイリングについて迷っているらしいチェンは集中し始めたようなので私はそのまま受付左手の階段を上り、部屋に戻った。

 部屋の窓の桟には、昨日のように月明りを浴びるゼオがいた。

 

 「ゼオ。勝手に窓を開けてしまうだなんて、悪い子ですね。」

 

 一鳴きしたゼオは窓から飛び立って部屋の中を少しだけ滑空し、そしてコート掛けにその鋭い爪をひっかけた。

 

 「今日はお手紙はないのですか?」

 

 ピューイ、と一鳴きするゼオの脚には何も括りつけられていない。どうやら彼は彼の意志でこの部屋を訪れたらしい。

 私ですら察するところがあるのだから、友である彼の目にはウォーゼル卿がここ最近迷っていることなど明らかだったろう。しかし今はウォーゼル卿に一人の時間を与えるべきだと思ったらしい。

 

 ウォーゼル卿は、夜の街道を歩いているのだとか。最も信頼しているであろう仲間を連れずに槍だけ持って身軽な格好で出ていったと聞き、それにあえて付いていかなかったことがゼオの気遣いなのだと知る。

 

 「あなたたちは本当に、心から信じあう“友”なのですね……」

 

 

 友。

 友、とはどんな存在だろう。

 

 私はかの王の友であると思っていた。ともに国を支える同志なのだから、そして炎と水という対とも言える異能を互いに有しているのだから、私たちは友なのだろうと、私はそう考えていた。

 しかし私は、陛下の悲しみを癒すことも叶わず、世界の終末の際に傍にいることすらも叶わず、ましてや今は炎を恐れている。

 

 あんなに尊敬して、心から信じていた炎が自分の心に灯った瞬間、私は怖くなった。

 自分の愚かさが、この炎を強くして誰かを傷つけてしまったらどうしよう。

 陛下に、自分を許すために誰かを救うと約束したのにそれを果たせなかったらどうしよう。

 そんなことで私はもうずいぶん悩んでいる。陛下は、あんなにも容易く自らの炎を御しているというのに。

 

 どうすれば人間になれるだろう。

 何をすれば私は個人として生きられるのだろう。

 それをずっと考えていても、何も答えが出ない。心の中の火をどうすればいいか、ずっと迷っているからだ。

 

 真に彼の友であるというならば、私はこんな迷いを踏み越えて、自分の道を探すべきなのだ。騎士団の兵装としてでも、それ以外の形でもいいから、私は誰かの助けとなるために何かをなすべきなのだ。

 しかし私は今、迷っていることを心のどこかで喜んでいる。

 

 

 ウォーゼル卿が導いてくれる。

 私が何をするべきで、誰に手を差し伸べるべきか。どのように異能を使うべきか。そのすべてをウォーゼル卿が管理してくれると期待しているのだ。

 

 

 

 浅ましい。

 愚かにもほどがある。

 

 

 

 彼は自分の在り方に悩み、今その迷いを踏み越えるための一手を必死に考えているところなのに、私は彼に自分の迷いのすべてを押し付けようとしている。

 

 私は、自己を得たい。人間になりたいと思っている。

 けれどこんな見苦しい迷いに囚われたいとは思わない。

 ましてそれを誰かに委ねようとも思えなかった。

 

 

 私は私として、この迷いを断じなくてはならない。

 

 

 「ゼオ、私は迷いを超えてみせます。私が私になるために。

 

  そして誰かの友になるために。」

 

 

 何をすればいいかなんてわからない。明日からどうなるかもわからない。

 もしかしたら、私は私の迷いと向き合うことがつらくて途中でくじけてしまうかもしれない。

 

 ただ、月夜に響く鳥の声がいつもよりも頼もしく聞こえた。

 




人間とニクスの違いというのはいくつかあるかと思います。

これまでのニクスだったら、きっと迷うなんてことはしなかったでしょう。管理者がいて「こういう方針の政策を立てろ」と言ったらそれに従っていたでしょうし、その態勢に何の疑問も持たなかったと思います(たとえ管理者がどんな迷いを抱えていても)。
ニクスは一度マクバーンに自分を処断してもらおうと彼に決断を迫っています。炎でこの体を焼いてくれないかとお願いしています。
その願いは、自分が心からそうされたいと思っているというよりも、マクバーンに自分をどうにかしてほしかったのでしょう。

きっとマクバーンにとってはいい迷惑だったと思います。
彼がニクスのことを友だと思っていてもいなくても、きっとそんなことに炎を使いたくはないはずです。


しかしニクスは己の心に火が点いて、そしてガイウスの「先に進むために迷う」姿を見たことで、「迷う」ということを学習しました。

一つ人間に近づいたと言えるかもしれません。

迷った結果、ニクスがどんな決断をするかはわかりませんが、迷うということは人間にとって無駄ではないと思います。決断に根拠と自信が付随するようになりますからね。きっとニクスも結論を下した後にそう思ってくれるでしょう。


そうやって、ニクスは「人間として生きること」に向かい合っています。
個人として生きていこうと、頑張っています。


そして異界の王は故郷の事と向き合わなくてはいけません。
「王は死んだ」なんていう一言で片付きません。だって最後の民であるニクスは今ここに生きているのですから。

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