ゼオ賢いなあ
フレディを出せるのはいつになるだろう…
私たちの任務であった≪結社≫の調査は、ウォーゼル卿が思ったよりも早くに誰かがそのしっぽを見せたおかげで急速な進展を見せたと言えた。
二日目にはウォーゼル卿が他の3つの祠の調査を行い、私が郊外の調査を担当した。この調査の結果、ウォーゼル卿を『見ていた』誰かの潜伏先は郊外でも街でもない、ということが判明したのだ。
独自の拠点をどこかに展開している可能性が高い。
そう判断したウォーゼル卿の言葉がきっかけで、私たちはこの潜伏している集団の規模を推測することを今回の調査の最終目的とした。
≪結社≫の構成員でなかったとしても、≪結社≫の息がかかった傭兵である可能性も考えられるらしい。一流の猟兵団ともなると手段を問わないことがあるとのことで、あまり大々的に動くことはできないとの見解だった。
3日目に私が命じられたのは、子どもたちの魂が眠る北の祠を荒らそうとしている人間の調査だ。私が祠に水鏡の術を使って遠見をしたとき、3人ほどの集団が「良くない目」で祠の周りを囲んでいた。
怪しい人間を探せと言われても、私には誰かが怪しいと思うことができない。人を疑うことができないのだ。
だからできることなんて、こんなことしかないと思う。
「チェン様、今日は私の部屋のお掃除は結構です。しばらく執筆をしていますから、申し訳ないのですけれど、お茶も明日でいいですか?」
「あれ?そうなの?でもニクスも仕事しないといけないもんね。
いいよ~。楽で助かる助かる。」
チェン様にそのように言って部屋に誰も立ち入らないようにし、旅行鞄から布に包んだ丸い鏡を取り出す。その鏡は銀と鋼でその縁を飾られていて、私がこのオレドの市で買ったお土産のうちの一つだった。
私はその上に小瓶の中の水を一滴垂らす。
垂らされた水は表面張力の影響を受けてぷっくりとドーム状になり、やがて薄い膜のように鏡の表面を広がっていく。
『 水よ
わが眷属よ 』
私が小さくつぶやくと、声に応えるようにして水の膜が淡く光りだす。
本当は、こんな詠唱をする必要はないのだ。異能とはそういうものだから。
だけど私は異能の力が弱まっていて、強く念じたり詠唱の力を借りて想念を強く保つことでしか大きな術を使えない。
『 星の雫
空の涙
光を導くものよ
汝は目
汝は手
報せを我が下に示せ 』
払われていく代償。体が痛んだ。
あの心優しい騎士に知られては、また彼が心を痛めてしまうかもしれない。彼のことをそれほどよく知っているわけでもないが、なんとなくそう思った。
鏡に張られた水の膜が、殊更強く光る。そして以前同じ小瓶の水を垂らした祠のある場所とつながる。
異能を活用した遠見の術。水鏡と呼ばれる術だ。故郷にいたころには使えなかった術だ。ゼムリアに来てまだ間もないころ、故郷の情報を集めようとしたときに必死になって練習した術。
結局故郷はちっとも見えなかったが、私の影響下にある水がある場所は比較的よく見えるようになった。
鏡の上の膜がゆらゆらと揺らめく。まるで水中から水面を見上げた時のように、向こうの景色はぼやけている。水さえあればできる気軽な術だが、不明瞭なのは欠点と言えた。あと音が聞こえない。
水面の向こうにいるのは、おそらく人間だろう。それも複数いる。
皆一様に赤い服を着ていて、大柄だ。上下でそろいの衣服なのか、全身が赤い。何人かは黒い物を持っているがあれは何だろう。
バシャン
「あっ」
誰かが地面を踏んだのか、殊更映像が揺れてしまう。膜の波紋が乱れ、そしてそれが直らないうちに彼らは去っていったようだった。
痛む頭を押さえて向こうの景色に目を凝らすものの、祠には以前の静けさが取り戻されていた。
「ここまで、ですか…」
術を解いて鏡の上の水をふく。頭がぼーっとした。近くのメモに先ほど見たことを書き記して、椅子にもたれかかった。
奇跡的にあの人たちの靴に水滴がついていれば、見えないこともないだろうが、それを見るためにはもう少し無理をしなくてはならない。少なくとも連続して視ることは不可能だ。
さむい。
指先が冷たくなってきた。
歯ががちがちと音を立てる。
異能の弊害だ。やけに体の機能が落ちてしまう。詳しくもない人間の体の中で何が起きているのか、私にもわからないが、使い慣れた力をちょっと行使するたびにこれではさすがに困る。
痛いとか、だるいとかであればまだ耐えられるのだが、純粋に異能を連続して行使できないのは辛い。小瓶や結晶といった“仕込み”も日常的にしなければならないし、古代武装としての仕事だってある。
せめて出力だけでも上がってくれないものだろうか。
私は首にかけていた笛を吹き、ゼオを呼びよせる。
今はウォーゼル卿と共にいるかもしれないが、彼の羽毛はあたたかい。着込んでも着込んでもどうにもならない冷えをどうにかしてくれそうな気がした。
ゼオ。
そして彼の友である心優しい騎士。
あの騎士はどうして同種である人間を殺さなくてはならないのだろう。たとえ殺すべき対象が罪人であってもその役目はあまりに重い。
そしてゼオはどうして人間でないのだろう。せめて人の言葉を話す権能があれば、あの騎士に言葉を届けてやることができただろうに。
ああ、いけない。
あの女性が諫めてくれたではないか。人を哀れんではいけないと。
ウォーゼル卿も、ゼオも、もっと強くなる。大丈夫、だいじょうぶだ。
きっと善き縁が彼らに訪れる。
羽根の重なる音がした。彼だ。
「ぜお」
窓の桟に脚をかけた誇り高い鳥を自分のもとに呼び寄せる。彼にとってはぐったりとしている私が珍しいのかして、近くにまで飛んできてくれる。
私は鳥を抱きしめたことがないからどのように触れてよいのかわからないが、ワンピースの袖から出ている両手で彼の羽に触れた。
彼の羽は一枚一枚が大きい。私の手よりも長い羽で構成されている翼にはたくさんの間隙があってそこに熱が溜められている。
翼の表面に触れるだけで、私はそのあたたかさに眠たくなってしまいそうだった。
「あったかい……」
このまま、少し昼寝をしてしまおう。
そして起きてから甘い物でも食べて元気を出してからもう一度―――
「何をしているんですか?」
「ほあぁ!?」
誰だ。
今、誰かに声をかけられた。
いきなりのことだったので自分からも変な声が出た。
誰だというのだろう。
せめてノックでもしてもらえないと気づけないかもしれないというか……
「ノックならしましたよ。」
穏やかな声音の低い声はすぐに隣から聞こえてきた。
座ったまま横を見上げると法衣を纏ったウォーゼル卿が立っている。
「ウォーゼル卿……」
「ゼオが突然飛び立ってあなたの部屋に入っていったので、何かあったかと思いまして。暖を取りたかったんですか?」
「え、ええ……実はそうなんです。すみません、そんなことで呼びつけてしまって。
ゼオともう少し仲良くなりたいな、と思っていたものですから。」
「………いえ、俺も空き時間でしたから。お気になさらず。」
なんとも言い表せない微妙な空気が流れた。
「神父さーん!飼ってる鳥、見つかった!?」
部屋の外から聞こえてきたのはチェン様の声だった。それに応えたウォーゼル卿は外に出ていこうとする。
「あ、ウォーゼル卿。こちらをお持ちください。」
彼に先ほど見たものを書いたメモを渡すと彼がちらりと目を通した。
「これは?」
「先ほど水鏡の術で見たものです。おそらくは調査対象かと。情報が少なくて申し訳ありません。」
「いえ、十分です。……それでは
そう言って部屋を出ていくウォーゼル卿は、扉のすぐそばでチェン様とお話をしているのか、見つからなかったなどと嘯きながら遠のいていく。
部屋には私と、ウォーゼル卿に連れていかれなかったゼオが残った。
「ゼオ……あなたの友は心優しいですね」
ゼオは扉の外の人々に気付かれぬように小さな声で、しかし誇らしげに一鳴きした。
***
上下ともに赤い衣服を着た大柄な人、複数。黒いものを携行。
それだけのメモだった。可能性はいろいろと考えられたが、一般人が複数人で上下を赤の服に揃えるということはないだろう。そんな集団が街中にいればきっとすぐに気付く。
人目を隠れて行動しなくてはならない複数人の集団、ともなれば携行している黒いものは後ろ暗いものと考えていいだろう。
銃か、何かが入ったトランクか。
恐らくは異能の行使により具合の悪そうな彼女に追加で情報を聞くことも憚られたため、今はそれらしい場所を探すくらいしかできることがない。
司教に人が隠れられそうな場所についての心当たりを聞き、下見をしておいた方がいいかもしれない。いざというとき戦闘になって地の利が向こうにだけあるという事態は避けたいからだ。
空を見上げても、友はいない。
あまりに青い顔をした彼女の傍で湯たんぽにでもなっているのだろう。
今回の任務は一人になることが多いと思う。一昨日の夜も結局自分の考えを整理できずに一人で街道に出た。
やはり、人を殺すことが役目であるからといって許されていいものだとは思えないのだ。
他の守護騎士たちの仕事を貶しているわけではない。彼らは彼らなりの答えを出して役目をはたしている。
要は自分がどう思い、どう向き合うかということなのだろう。
外法に認定されるのは更生する余地がなく、救いようもない外道ばかりだ。そんな許されない罪にまみれた外道に情けをかけるのも、間違っているのだろうか。外法が害してきた人たちに、失礼なことなのだろうか。
祈っても祈っても、答えは導き出せない。
それもそうだ。答えを出すのは俺であって、女神ではないのだから。
殺すか、殺さないか。結局はその二択だというのに、そのどちらにもあまりに大きな理由がぶら下がってしまっている。
まだしばらくの間、答えは出そうになかった。
ため息をついていると、天高くから、吼える友の声が聞こえてきた。
「ゼオ!」
彼に分かるように腕を掲げる。まだもう少し彼女のもとにいると思ったが彼女が俺のもとに返してくれたのだろうか。
腕に留まった彼の脚には先ほどのメモと同じ紙が括りつけられている。さてはゼオを呼びよせたことの謝罪か、それかゼオを置いて行ったことへの感謝だろうとあたりをつけ解を友の脚から取って広げる。
紙に書いてあったのは、そのどちらでもなかった。
『 村 北 港 いそいで 』
さらなる異能の行使により明らかになった情報だと、すぐに分かった。その反動で彼女がどうなっているか、心配ではあったが俺にはこの紙の指示に従うという役目がある。
それが俺が歩むと決めた騎士の道だからだ。
ゼオが俺を宿に誘導する様子も見せないということはひとまず大丈夫だと考えていいだろう。俺は礼拝堂で借りている仮の居室から槍を取り出し、街道へと駆けだした。
オレド自治州はゼムリア大陸の最北端にあると言っても過言ではない。秋には流氷がやってきて冬には完全に凍り付いてしまう北の海岸は夏の間だけ港として機能する。
おそらくはそこのことを指しているのだろう。中心街の西側にある村から北に行ったところ。道はないが、地図を確認すれば確かに港に直行できる最短ルートだ。もしかしたらその一団が村と港を繋ぐルートをすでに確立しているのかもしれない。
俺は急いだ。
司教の依頼も、外法に対しどう向き合うかも、この時だけは忘れていた。ゼオが導くままに木々をかき分け、魔獣一匹がようやく通れるようなけもの道を往き、息が切れてしまうまで走った。
やがてゼオが俺の100アージュほど先にある一本の針葉樹に留まった。ゼオはそこから動かず、じっとどこかを見つめているようだった。
俺は長距離の移動で逸る心臓と止まらない呼吸をできうる限りで抑え、その木にひたりひたりと近づいた。
幹の根元に座り、軽く体を預けると、肩に友が乗る。
「(この向こうか?)」
ゼオがうなずいた。
自分の前にある茂みの隙間から向こうを覗き込む。
自分がいる場所はどうやら高台の上にあるらしく、崖のように切り立った段差の上から、その集団を見下ろすことができた。高さはおよそ10アージュといったところだろうか。
そこはもともとは海だったのだろう。今はあまりの寒さで分厚い氷の陸になっているそこに、その集団がいた。
集団の構成員たちは、皆一様に紅色の軽鎧を纏っている。近くに停泊している飛行艇と、その肩のマークを見れば彼らの所属は明らかだ。
―――≪身喰らう蛇≫の強化猟兵。
「しかし、何だってこんな寒いところで偵察なんぞ……」
「仕方がない。今はどこも警戒されているからな。こんな辺鄙なところでもないとダメだろうさ。帝国軍も、あれだけの騒ぎがあったってのに立ち直りが早いもんだ。」
「しかしギルバートの奴はまだ戻らんのか。あいつ、ここが寒いからって一人トンズラしてるんじゃないだろうな?」
「その時はまたカンパネルラ様に言って遊んでもらうように仕向ければいいさ。」
「お前カンパネルラ様に嘘つく度胸があんのか?帝国の一件以来機嫌が悪いだろう。」
「本当に機嫌が悪いのはマクバーン様のほうさ。」
ギルバート・スタイン。その名前が出るとは思っていなかったが。相変わらずのようで気が抜ける。
集団は6名。一個小隊といったところか。歓談している彼らは中央の焚火に身を寄せ合い、寒さをしのいでいるようだった。飛行艇も凍り付いた海の上に停めているくらいだ、きっと寒いに違いない。俺もさっき走ったせいで汗をかいたのが急激に冷えて、今にも震えてしまいそうだった。
ギルバートは外しているみたいだが、合流しないうちに制圧してしまったほうがいいだろうか。聖痕の力を使えばあの練度の連中を捕縛することもできるだろう。
それにこの寒さだ。あまり長い間、潜んでいられる自信もなかった。
「(ゼオ……フォローを頼む。)」
うまくいくかはわからないが、やるしかない。
俺は槍を手にして幹に隠れるように立ち、ポーチからゼラムカプセルを取り出してそれを嚥下した。
途端、体の中心から闘気にも似た熱が発生するのを感じる。震えそうだった歯をかみしめ、暗示を解くきっかけとなる一節を口にする。
「我が深淵にてきらめく金色の刻印よ――――」
守護騎士は聖痕の力を制限するために暗示をかける。あまりに大きな力のため常時開放していては身が持たないからだ。
そして決まった言葉を口にするとその暗示が溶けて、聖痕のリミッターが外れる。
体の熱が、血が、背中に集まって渦巻くのを感じる。
初めてこれを発現させたとき、まるで友の持つ翼のようだとも思った。肩甲骨からぐっと飛び出していきそうな力の奔流。非現実的な浮遊感を俺にもたらしてくれる麻薬のような力。
実際は翼よりももっと恐ろしくて、果てのないものだったが、俺はこの力があれば皆を守れるような気がした。
世界に羽ばたいていけるような気がした。
そしてそれを現実にするために、俺は未来への願いと希望をこのしるしに託している。バルクホルン師父から受け継いだ道と証がたとえ俺には過ぎたものであったとしても、この未熟な自分を今まで支えてくれた人に報いたくて、俺は俺の意志と力で善き明日を引き寄せてみせると。
俺が俺自身にそう誓ったからだ。
血が逆流してしまうかのような不快感と、目の前の人間たちを圧倒しようという闘気。これに押し流されてはいけない。獅子の咆哮は誰かを殺すためのものではないのだから。
それは守るために。共にある者たちの命と未来を守るための力だ。
「その猛き咆吼を以て―――我が槍に無双の力を与えよ―――!」
吼天鳳翼衝。
獣が天に吼えたかのように。鳥が空に羽ばたいたように。
まっすぐに雲へと向かっていく槍は、太陽には届かずにやがて俺たちのいる地上に戻ってくるだろう。
しかしその槍は声もなき誰かによる安寧への願いと明日に進む意志を纏い、乾坤を震撼させる一つの矢に変わる。
轟音が凍り付いた海を割る。
音の波が木々を揺らし、氷の隙間から上がる飛沫は空飛ぶ船を飲みこんだ。
「む……加減を誤ったか。」
力の細かい制御ができず、海の氷を割ってしまったらしい。海に飛び込む必要があるかと思って法衣に手をかける。冷たいだろうが生来体は丈夫だ。すぐに救助を済ませれば風邪はひかずに済むだろう。
ぱちん
フィンガースナップが周囲に響いたのは、そんな時だった。必死になって氷の上に這いあがろうとする強化猟兵たちが安堵したような、絶望したような顔をする。
―――道化師か。
単独では分が悪いが、交渉の余地はあるはずだ。
炎の幻術の出現を今か今かと待ち構えていると、やがて氷の上に現れるものがあった。
ドズッ
それは杭だった。氷の上にようやくの気持ちで上がってきた強化猟兵たちを氷河に縫い付ける真っ白な氷の槍。それは
「あ、あれ……カンパネルラ様……?」
縫い付けられた猟兵の一人が寒さに打ち震えながらも彼らの主人の名を呼んだ。
しかしその哀願に反して、彼らを温める炎は訪れない。
代わりに聞こえてきたのは女の声だった。
「あら、寒いのですね。可哀そうに。そこでじっとしていてくだされば、今すぐ温かいお湯を用意しますから、少し待っていてくださいな。」
「ニクス!?おい、ニクスか!?どうしてここに!」
まさかここに来るとは思わなかった。てっきり能力を行使した代償でベッドに沈んでいるかと思ったのだ。彼女は俺の頭上、針葉樹の枝の一つに腰かけている。ゼオをその膝に抱いているようだった。
「ええ。ニクスです。体調不良が先程治りましたので参りました。ウォーゼル卿のような活躍は難しいですが、せめてお手伝いはさせていただきますね。」
そう言って彼女はいまだに水の中にいる猟兵を不可視の力で持ち上げると、一か所にまとめて縫い留めた。
「えっと……飛行艇はどうします?」
「無理をしなくていい。下りてきてください。」
「はい、ただいま。」
そう言って彼女は随分高い場所にある枝から俺が立っている地面までを水の柱でつなぐ。そしてそれに手をかけて、ゆっくりと滑り降りてきた。
「助かった。しかし体調は大丈夫なのか?」
「先ほどスモアをチェン様から頂きまして。それでだいぶん元気になりました。」
そう答えた彼女の顔はいまだ青白い。さっきの能力の行使で疲れているのだろう。ベール越しに彼女の顔色を確かめる俺を見て考えを察したのか、彼女は説明してくれた。
「単純に水を動かすほうが、遠見の術みたいな複雑な術よりも楽なのです。今の行使ではそれほど疲れていませんよ。ほんの少し、寒いだけです。
ウォーゼル卿も、どうぞ上着をお召しになって。」
彼女は微笑んで柔らかい布とコートを差し出してくる。遠見の術で戦闘になると察していたのだろう。
汗を拭いて上着を着ると、今までの戦闘の疲れからか、聖痕の全能感から解放されて寒さをようやく感じるようになったのか、歯が震えだす。
唇の隙間から漏れる息すらも凍り付きそうだった。
「メルカバを今すぐにここに呼びましょう。
……こんなことなら近くに待機させておくべきだった。」
「不測の事態は防ぎようのないものです。彼らには気の毒かもしれませんけれども、せめて温かいお湯を用意しましょう。」
「ああ。俺が火をおこしますので、そんなに多くは要りませんよ。」
俺がそう補足したにもかかわらず、ニクスは甲斐甲斐しく身動きの取れない猟兵たちの世話を焼いているようだった。体を乾かし、あたたかいお湯に触れさせ、拘束したことを詫びているようだ。その姿はまるで母の様だとも思う。
俺が導力通信でメルカバを呼び寄せている間に反撃されやしないかとも思ったが、猟兵たちはニクスの様子に随分と毒気を抜かれていたようだった。
中には泣いているものもいる。
いろいろなことがあり過ぎたのだろうか、それとも他人の優しさなど久々だったのか。
ニクスが彼の涙をぬぐってやったとき、炎が勢いを増した。
「ん?」
何か変な向きの風が吹いたかと思ったが、炎はどんどん大きくなっていく。やがて炎が見上げなければいけないほどの高さの柱になると、それは風に吹かれてゆらゆらと揺れた。今にも倒れそうなのになぜか倒れない炎の柱。
膝をついて猟兵と向かい合っていたニクスも不審に思ったのか、立ち上がって炎を見つめた。
「なんだ……?」
「――――あなた様が、こんなに寒いところにいらっしゃるとは思いませんでした。
いつもの御召し物では、お腹が冷えてしまいますよ。
マクバーン様。」
彼女の呼び声を受けて、炎はまるで人のような形に収束していく。マグマのような、ぎらつく熱の塊から、赤い衣が見えた。
「俺も、お前がこんなとこにいるとは思ってなかったぜ。
お前、教会と何やってんだ?」
炎の向こうから現れたのは、火焔を冠する最強の執行者だった。
彼は右手に何かを持っているようで右手だけが炎の柱の中に引っ張られている。
「……クソ、こいつマジで適性がねえな。
オラ!!さっさと出てきやがれ!」
そう言って彼が無理やり炎の柱から引っ張り出したのは一人の人間だった。
「あぁべし!!」
体のいたるところが軽く焼け焦げている彼は氷にぶつかってよくわからない声を上げる。それはこの隊を預かっているというギルバート・スタインだった。
「あら、彼はいったい…」
「この隊の長であるギルバートというものです。今は放っておきましょう。」
マクバーンはニクスの方を見た。彼女のことを一目見て何があったのかを察したのか、呆れたように一つ息を吐いた。
「ニクス、俺はお前に深入りするなと言ったはずだぜ。だってのにお前何やってんだ?中途半端にしか混じらなかったってのに随分力を使ったみてぇだな?」
「深入りはしていませんよ。私はただの協力員ですもの。」
間違いではない。ただ、そのままの真実でもない。彼女はマクバーンを刺激しないようにそう述べたらしかった。
「………。」
マクバーンは何かを考え、そして一つ指をならすと、俺とニクスの周りは炎で囲われた。まるで俺たちを閉じ込めるかのような炎の檻はどんどんと隙間がなくなっていく。
「!?」
「大丈夫です。この炎は隠すためのものですから。」
何を、何から隠すというのか。そう聞きたかったが、目の前の炎の壁を見るとパニックに陥ってしまい、何も言葉が出なかった。軽く生命の危機だというのに、そう落ち着き払っていられる彼女の精神はどうなっているのだろう。
さすがにこれは、知っていても驚くと思うのだが。
ただじっと待っていると、炎の壁は徐々にその勢いを弱くしていく。
視界が開けると、そこにはただマクバーンだけが立っていた。他にうずくまっていたはずのギルバートや猟兵たちはどこに行ったのかと思ったが、どうやら彼らはマクバーンの後ろで臥せっているようだった。
「マクバーン様、彼らはただ知らなかっただけです。」
「知らなかったからと言って罪がなくなるのか?こいつらは俺の命令を無視した挙句、墓を荒らそうとしていた。それは罰を受けるに足る罪だ。」
「彼らに、今一度償いの機会を与えてはいただけませんか?」
「聞く道理はないな。」
ニクスは、彼女の要求を突き放して猟兵を連れて行こうとするマクバーンに食い下がった。まるで彼の炎を恐れてなどいないかのように、彼女は進言した。
「どうかお願いです。あなたの炎は彼らには熱すぎる。誰かを燃やしたいのなら、どうか私にして下さい。彼らはもう十分にあなたから罰を受け止めました!」
その言葉を聞いたマクバーンはゆっくりと手を掲げ、俺を指さした。
つまり彼は、猟兵の身柄と俺を彼女の天秤にかけたのだった。
「そこの第八位を焼き尽くしていいってんなら、俺はこの七人をお前に引き渡そう。
一人と七人だ。悪い取引じゃないだろう?」
「ニクス、耳を貸してはいけない!」
彼女は、唇を震えさせたままマクバーンから目が離せないでいたようだった。
寒さからでなく恐怖で顔を震わせた彼女は、歯をならしながらマクバーンに問いかける。
「……あなたは、あなたは本当に、我が王であらせられるか……?」
俺に彼女のその問いの真意を知ることはできない。
ただ、ニクスは何かこの男に裏切られたような顔をしていた。
「――――前も言ったぜ。王は死んだんだ。」
マクバーンはただそれだけ言い残すと、選べなかった彼女の前から猟兵たちを連れ去り、自身もまた炎の向こうに消えていった。
あともう少しでアルテリア編も終わります