「え、もう旅立たれたんですか?」
翌朝、彼女に不思議な宝石を返すために風見亭を訪れたのだが、本人は早朝にチェックアウトを済ませてしまったらしい。
「そうなのよ~。なんか不思議な子だったけど癒されるからもう少し滞在してくれたらよかったのに。」
「行先について何か話していませんでしたか?彼女に届けたい落とし物を届けに来たんです。」
「うーん、大自然を見に行きたいっていうからノルドをすすめたけどそのくらいだね。」
「ありがとうございます。」
そのあと彼女が訪れていた農家にも足を向けたが、どうやら彼女は直接挨拶ができなくて申し訳ない、突然だけれども次の目的地に向かうので到着したらまた手紙を送るという旨の手紙を投函しただけのようで、会っていないと言われてしまった。
「どうするんだこれ……」
そんなこんなで結局本人に返せないまま演習地に帰投することになった。
机の上には不思議な光を湛える石が鎮座している。その石は窓から入り込む光と室内の導力灯の光を取り込んで、光の波紋を机に映し出している。
「お?リィン、帰ってきてたのか。――ってその石はどうした?未加工の幻耀石、いや違うな……」
「ええ、先程。
実は先日とある女性を護衛していたんですが、その人が落としたんです。自分が拾ったんですがいろいろあって返しそびれてしまって。
明らかな貴重品ですので扱いに困っていて……」
自分にもこの石の正体がわからないこと。落とした本人がケルディックを出発して別の地に旅立ってしまったこと。おそらくノルドに向かったと思われることを伝えた。
「ノルド高原か。最近忙しいからなぁ。届けるってのはちと厳しいか。」
「ええ。こんなことなら連絡先を聞いておくべきでした。」
「お?珍しいねぇ。リィンが口説き損ねるだなんて中々手ごわい嬢ちゃんじゃねぇか」
「誤解です。」
何というか、そう。もうお腹がいっぱいなのだ。
人の気持ちを受け止めるほどの甲斐性がない臆病な自分からすれば人々の気持ちは確かにありがたいのだが、お腹がいっぱい過ぎて何も考えられなくなってしまう。
「ハハ、モテる男はつらいねぇ。お兄さんもリィンにはかなわねえなぁ。」
「……それはそれとして、モーニングでも食べませんか。」
「おーいいぜ。今日はマヤの奴がとってきたベアズクローを使ったフレッシュチーズたっぷりのパニーニだとよ。」
「サンディの創作料理は本当においしいですから楽しみです。」
「違いない。支援課の時よりも食に関しては間違いなく充実してるな」
「そうなんですか?」
「基本的に支援課は自炊だったが、一人を除いて得意分野が偏っててなぁ……」
「へぇ…皆さん何でもそつなくこなしそうな印象があったので意外ですね。」
「そりゃお前さんのことだっつの。」
石を懐にしまってたわいもない会話をしながら部屋から出ると、食堂車から急に知った気配が“現れた”。人の集まる食堂車に、まるで何も気にかけないように。
教育施設であり、軍事施設でもあるこの列車に突然現れる傍若無人ぶり。
「―――!!」
「この気配…いや、“熱”は――!」
ARCUSの戦術リンクをランディ教官と結んで武装を確認し、食堂車へ続くドアの手前で一旦停止する。
何事かと立ち尽くしているシドニーにはTMPとの連絡で演習地から離れているミハイル少佐への連絡を頼み、ランディさんと視線を交わした。
(突入しますか?)
(生徒たちが危険だ。――行けるな?)
(はい!)
「動くな!!」
食堂車に配置されたテーブルにけだるげに腰かけているのは結社のエージェントである≪劫炎≫のマクバーンだ。
「生徒たちは今すぐに外へ避難しろ!コードFで警戒態勢!その後はミハイル少佐の指示に従うように!」
「教官!」
「ご一緒します。」
マクバーンと対峙した経験のあるⅦ組の面々は援護に駆け付けようとするがそれは悪手だろう。
「いや、ここは俺とランディ教官で交渉にあたるからその必要はない。他の生徒と一緒にいざというときのために避難してくれ。
場所を考えると、本気でやり合うわけにもいかないからな……」
何せデアフリンガー号は動く軍事施設だ。武器も、弾薬も、資源も山ほど積んでいる。装甲列車とはいっても内部から≪劫炎≫にさらされてはひとたまりもないはずだ。
「でも!」
「……トワ教官。自分にはランディ教官がいるので大丈夫です。生徒たちをお願いします。」
「――了解しました。コードF、そしてミハイル少佐の帰投まで警戒態勢を維持します。リィン君、無茶しないでね!」
黄昏の時に何度も言われた言葉だ。無理、無茶、無謀。周りを頼れ、みんなを信じろ、そんなことばかり言われてきた。
後から振り返ってみればあれは仕方のなかったことなのだろう。自分も、周りも。ああいう振る舞いしかできなかったと思う。
少数の個人にあまりに大きすぎる力が集中するとろくなことがない。
「全く信用がねぇことだ。安心しろよ。ここで暴れるなんてことはしねぇ。黄昏では世話になったしな。」
「過去の自分の行いを振り返ってから言ってくれ。それで?わざわざ何の用なんだ?」
「結社は帝国から手を引いただろう。お前もそろそろ召集かけられてんじゃねぇのか?」
マクバーンは俺の目をしっかりと見ているもののこちらの質問に答える様子はない。確かに炎を出したり、姿を変えるようなそぶりは見せないが、どこかおかしいと感じる。
「おい、どうした?」
「……いや、確認しただけだ。ほれ。」
男は掌を上に向けて差し出してきた。
「「?」」
「あ?シュバルツァー、お前持ってんだろ?早くそれを出せっつってんだよ。」
「何のことだ?」
「とぼけるんじゃねぇ。コートの右の内ポケット。出せよ。」
ランディさんとマクバーンの視線が胸元に刺さる。先ほどの不思議な石を持ち歩くときは万が一にも落とさないようにするために内ポケットに入れている。
それのことを言っているのだろう。
「これは預かりものだ。本来持つべき人がいる。俺はこれを所有しているのではなくこれを本来の持ち主のもとに届けたいだけだ。あんたこそ、これをどうしようっていうんだ?
この石の持ち主について、何か知ってるんじゃないのか?」
「最初に訂正するが、それは石というよりはただの
全くの膠着状態だった。
自分は公務員として民間人の情報を犯罪組織のエージェントに渡すわけにはいかないし、その持ち物についてもしかり。
届け先がわかっているとしても届け物ならばこの男ではなくカプア運輸に頼めばよいのだから、わざわざ渡す道理はない。
「お互い腹割って話そうぜ。お前がそれをどこで、誰から、どんな風にして預かったのか。俺には知る権利がある。
お前がそれに関する情報を話してくれるなら俺は結社の事に関して何かしら譲歩してやる用意だってあるんだがなぁ?」
「この結晶そのもの、付随する情報と諸々の権利はお前ではなく持ち主に由来するものだ。第三者が何を言おうとも本人が交渉に同席しない限りは俺は何も言わない。
そちらがどんな条件を用意していようとも、それがしかるべき筋だからだ。」
沈黙が走る。外はどうやら天気雨が降り始めたようで、窓から光が差し込んでいるのにいくつもの水滴が車体を叩く音がする。
暖かい時期ならともかく、冬にこんな天気になるとは珍しいものだ。それもこれも全て目の前の男のせいなのかもしれない。
「……ま、それもそうか。」
緊迫したこちらを気にも留めずにテーブルに肘をついて何やら考え込んでいた彼はやってきたときと同じようにいきなり転移陣を展開させると立ち去ろうとする。
その顔はどこか穏やかで、あの黄昏で一瞬だけ見せた表情とよく似ていた。呆れているような、あきらめているような。そして何かを懐かしむような表情。
「ま、持つべき奴の手に渡ったってことなのかもしれねぇ。シュバルツァー、俺としたことが焦り過ぎたようだ。一連の詫びは追ってさせてもらうさ。」
「ま、待て。まさかお前さんこんだけ騒がしといて帰る気か?」
「俺には家も故郷もねえっての。詫びはするっつってんだからお前らはそれを受け取る準備だけしときゃいいんだよ。
―――ああ、シュバルツァー、生還おめでとさん。クロウにも伝えといてくれ。そんじゃあな。」
「人の話を聴けよ!!」
そうしてランディさんの叫びも空しく、ミハイル少佐の帰投も間に合わないまま、『第1次マクバーン事変』は幕を閉じたのだった。
***
列車という乗り物に慣れず、途中の駅で手間取ってしまったこともあり、あの町を出てから丸一日と少しは経った気がする。
その後、どうにか駅員と軍人らしき人に頼み込み、真夜中の貨物便に乗せていただいたのだ。
人が乗ることを想定していないのか、コンテナとコンテナをつなぐ本当にわずかなスペースに鞄を置いて、体を寄りかからせて、朝が来るまでゆられていた。
夜明けが近づいていくにつれて、気温は下がっていく。頬をなでる風は冷たく、鋭く、澄んでいく。雪が降ろうとしているのか、湿った風だった。
眠れなかった。
あまりにまばゆくて。あまりにあたたかいから。
あの日失われたはずのくすぐったくなるような命のささやきが、この地には満ちているから。
そして先日、私は見つけてしまったから。
原初の火の流れを汲む清冽なる炎。何よりも清らかで優しいあの光の名残を。
あの炎の名残はカグツチに違いないだろう。しかしそれを宿していた青年はどう考えても彼ではない。たとえ百万回生まれ変わっていたとしてもあんな幸の薄そうな苦労人の雰囲気を彼が醸し出せるはずがない。
それにあの青年が彼だとしたら、カグツチを使ってしまった状態で放置するのは不自然と言えるだろう。たやすくはないかもしれないが彼が“力”をふるえばもう一度作り出すことくらいはできるはず。
聞けばこの国では動乱が起きたばかりだというから、きっと彼はこの世界のどこかにいるに違いない。彼は騒ぎを見逃せるような人ではないから。
だから私はいつかたどり着ける。
大地に嬲られ、雲に溺れて星の川を渡る羽目になったとしてもこの旅の終わりには、必ず地上の太陽に巡り合えるはずだ。
彼に何が言いたいわけでもない。何かをしたいわけでもない。ただ生きていることを確信したいだけなのだ。何よりも信じていたあの力が今もどこかにあることを確かめて、安心したいだけなのだ。
「はひゃー」
間の抜けた声が漏れる。
夜明けだ。自分の口から漏れる吐息が視界に薄く靄をかける。凄絶な光が山の間から私のもとまで届こうとしている。
網膜を刺し貫くようなその光は、しかし私の目を焼くことはなく、ただ優しく私の体を黒衣ごと包んでくれた。
そうしてノルドに到着して、外へ出ようとする私を、中年の軍人が呼び止めた。
「姉ちゃん、まだ夜明けだってのにどこに行くんだ?ノルドじゃ馬がねぇとどこにも行けねぇぞ。」
「お気遣いいただいてありがとうございます。でも知り合いが迎えに来ることになっているので、大丈夫ですよ。」
「集落の奴か?そんな連絡、入ってなかったが……。それにそんな恰好じゃぁ寒いだろ。当直室のマシンで申し訳ないがコーヒーくらいなら淹れるから、
って―――あれ?」
軍人の心配も最もだった。私が他の人間と全く同じ機能と性質を持つ生物であったならきっと私はこの大自然の中ですぐに死んでしまうだろう。
だが私はヒトではない。だから心配は無用なのだが、今は見た目が見た目なのでしょうがないことなのだろう。
むしろ喜ばしいことだ。この世界のヒトは他の存在をいつくしむことができることを先の軍人は証明したのだから。
扉を開くと、冷たい空気がヴェールをなびかせた。
広い。思っていた以上に広い。
扉を開いただけなのに、今目にしているのはこの土地のたった一部でしかないのに、広くて、広くて、広い。
さっきから広いしか言えない。
言葉にする必要がないくらい素敵な雄大さ。冷たい風は突き刺すような厳しいものではない。愛嬌のあるような優しいそよ風だ。
この土地の風は神聖なものであるという。それが草を揺らして、草はかさりかさりと微笑み合っている。
命たちはまるで生まれたての妖精のはばたきのように気まぐれで、老獪な軍師の掌のように冷たい。
気にいった。
ここはいい土地だ。
空が近いし、風はヒトを愛している。
まずは軽く30年くらい住んで、様子を見てみようか。