原初の火   作:sabisuke

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23 少年老い易く学成り難し

 

 

 

<少年:ジェイの主張>

 

 別に僕はアンタみたいに身なりのいい人間からなんか言われることがムカつくって言ってるわけじゃない。世の中は最初から不平等だからね。

 女神を奉じてる奴からなんか言われるのが最高にムカつくって話。

 

 そもそもさ、おかしくない?

 女神って何?まずはそっから話そうよ。

 

 僕ほんとに女神ってやつが嫌いなの。別に存在を否定するわけじゃないけどさ、こんな痩せた人間一人救えない癖してなんでそうありがたがられてるわけ?

 言っとくけど僕が九龍に流れてきたのは僕のせいじゃない。どっかの腐った男が僕の母親を捨てたから、僕はこんな腐った街にやってくるしかなかった。

 それから盗みだってしたし、喧嘩ばっかりだけどさ、それはこんな街で生きるためにしょうがなくやってることで、僕だってこんなことしたいわけじゃないよ。他の街で生きていけるくらいの金があれば真っ当に生きてやるさ。

 

 そんな僕のことを助けてくれなかったのは女神のほうじゃないか。

 女神がちょっと祝福の息をあの男にかけてくれればさ、僕の母親も死ななかったし僕は九龍に流れてこずに済んだよ。

 あんな無能な女をさ、神様だって言ってるような奴にあれこれ指図されたくないよね。

 人を見る目ってか神を見る目がないんじゃないの?エイドスなんかよりこの女の方がよっぽど僕を助けようとしてくれてるよ。

 この女は僕が生きるためにお金をくれようとしていて、僕はそのお金があれば真っ当に生きていける。アンタがそれを阻止する正当な理由って言うのがどこにあるの? 

 これはいわば正当な取引なんだよ。この女が僕の真っ当な未来をこの通帳のお金で買ってくれてるってわけ。

 

 僕は生きるために必要なことしかしてない。

 九龍なんて言う街が生まれちゃった時点で物事はどうしようもなく詰んでるってこと、わかってくれてる?

 

 

 

 

<神父:ガイウスの主張>

 

 君は辛い思いをしてきたんだろう。

 それは俺の想像を超えるような痛みや悲しみを伴ったものかもしれない。

 

 けれどそれで君の行いが正当化されるものではないことは覚えておいてほしい。

 たとえ生きるためでも、人は人から物を盗んではならない。それは女神が我々に説いてくださった正しく生きるための戒めの一つだ。

 

 君がこれからこの街を出て生きていくならばなおのこと、盗みという行為は正されなければならない。この街では刑とは私刑のことを指すだろうが、他の場所では違う。法に基づいた刑が君の身に降りかかってくるだろう。

 それで辛い思いをするのはきっと君の方だ。

 

 それに、全ての人には良心というものが備わっている。

 倫理と言ってもいいだろう。人としてするべきではないことをすると、いずれどこかで自分のことを責めてしまう。

 「あれはしょうがないことだったんだ」と正当化しようとしても、抜け出せないほどの深みにはまってしまうんだ。苦しくて、辛い道だ。

 俺は君にそんな道を歩んでほしくないからこうして君に正しさを説いていることは知っていてくれ。

 

 この街には犯罪がはびこっていることも、君がそんな場所で精いっぱい生きてきてくれたことも確かだ。女神は君の命が今あることを祝福し、君がこれから正しく生きることをお許しになるだろう。ただしそれは過去の行いを悔い改めるのならば、だ。

 君がこれまで犯した罪を正しく数え、それと向き合うことで君はこれから外の世界で真っ当に生きていくことを許されるんだ。

 

 そうしなければ君は将来誰かを傷つけてしまう。

 君のように辛い思いをしてしまう人が生まれてしまうんだ。

 もうこれ以上間違いを犯さずに済むように、君は悔い改めるべきだと思う。

 

 

 

 

<作家:ニクスの主張>

 

 私はあなたにはこのお金を手にする権利があると思っています。

 最初はあなたがかわいそうだから、あなたにせめて穏やかな生活を営んでほしいから、お金を渡そうと思っていました。

 

 けれどそれは私の間違いでした。私は私が何を思ってあなたにこの通帳を渡したのか、勘違いしていたのです。

 ただお金を渡すのならば他の子どもでも、大人でもよかったでしょう。けれど私があなたに渡した理由、それは私があなたに高い知性があると思ったからです。

 

 あなたがそれを正しく使うだろうと、そう思ったからです。

 私欲のためにただ消費するのではなく、回りまわって多くの人のためになるとそう予感しました。一種の投資のようにとらえています。

 私はあなたにただ生きてほしいのではない。あなたに学んでほしい、社会の中に生きてほしいと思っています。

 

 私は賢く、そして暴力と略奪の恐ろしさを知っているあなただからこそ、そのお金を手に取る権利があると思います。

 そのお金をこのように使いなさいと誰に言われることがなくても、あなたは悲しみを生み出すことはしないはずです。

 

 ウォーゼル卿にはジェイのことで何か心配事があるのかもしれません。彼がクーロンの外で道を誤るのではないかと思うのかもしれません。これが盗みに当たり、女神の教えに反するというのであれば、私はもう一度彼にこのお金を与えましょう。

 私が彼に願いを託し、生きるための糧と人を救うための力としてお金を渡します。

 

 そしてウォーゼル卿に何か憂いがあるのならば、あなたが彼を見守り、彼の行いの証人となっては下さいませんか?私は彼が間違いを犯すとは思いませんが、卿の目で確かめることが一番安心できるでしょう。

 アルテリアには物事を学ぶための施設もあると聞きます。きっとそこでなら彼はその才能を開花させることができるでしょう。

 

 ああ、これはよい案ではないでしょうか?

 

 

 

 

***

 

 

 

 「全然、よくない!僕にアルテリアに行けって!?女神のお膝元じゃないか!絶対に嫌だよ!」

 「……あなたの提案を悪く言うつもりはないが、彼にとっては少し辛いかもしれません。アルテリアには信心深い人が多いですし、学校も神学校ばかりです。」

 「あら、そうなのですか?」

 

 全く、この女は何を考えているのか。

 僕の主張を聞いていたくせに、それを聞いて尚アルテリアに向かわせようとするだなんて気がおかしいとしか思えない。僕は女神に祈りを捧げてるやつを見ると鳥肌が立つんだ。アルテリアなんて行きたくもない。

 

 「しかし、どうしてそこまで女神が嫌いなんだ?」

 「はぁ?僕の言うこと聞いてなかったの?そんなの助けてくれなかったからに決まってんじゃん。母親が死にかけてるときは僕も一生懸命お祈りしたよ。でも死んじゃった。祈れとか信じろとか言うくせにさ、結局助けてくれない。そんなことじゃ救われないんだよ。」

 

 信じる者は救われる、とか。そういう言葉を僕は馬鹿じゃないのかとずっと思っている。

 どれだけ女神を信じて祈ったところで、結局不幸はなくならない。若くして死ぬ奴もいるし、何もしてないのに殴られたり、犯されたりする。

 最初にいるのが一握りの悪人だったとしても、そいつらがいると一瞬で街中の人間が腐る。街中の人間が悪人に媚びようとして、誰かを傷つける。悪人は自分たちに媚びたやつから助けていって、ますます他の人間は媚びるために傷つける。そうして皆が不幸になっていく。

 結局この連鎖を断ち切れないような存在をどうしたって信じる気にはなれなかった。

 

 

 

 「あなたは、女神の力を誰よりも信じていたのですね。」

 

 

 僕の向かいに座った女はそう言った。僕はもうこの女が大金をくれるという話も忘れてこの女の発言をこき下ろした。

 

 「はぁ?馬鹿じゃないの?僕は女神なんて信じないって何度も言ってるだろ!」

 「けれどあなたは女神が助けてくれるのではないかと思っている。裏切られたと思う気持ちは期待があるからこそ成り立つのです。」

 「僕が女神に期待してるって?昔の話だよ、そんなの…」

 

 「ええ。あなたは今女神に深く失望している。

 祈りに応えてくれなかったこと、超常の力をふるってくれなかったこと、人々の崇拝という期待に反していること…それらは女神の罪であると思っている。」

 

 そうだ。僕は女神なんて間違ってると思う。間違ってるのに拝まれてるっていうことが最高にムカつくって思っているんだ。

 

 「そうだよ。人はみんな貴重な時間を使ってまで祈る。女神が叶えてくれるわけじゃないのに。女神は結局僕らの不幸を取り除いてくれたりしない!

 信じたところで何も救われないんだ!」

 

 女神が本当に皆に敬われるほど立派な存在であるというのなら。

 世界を創造するほどすごい力を持っていたのだとしたら。

 

 どうして僕はこんな街に流れ着いてしまったのか。

 どうして僕の母さんは死んでしまったのか。

 その問いにはどんな聖職者も答えてくれない。神父もシスターも「人はいつか死ぬものだから」ってそんなことを言う。

 

 「僕が聞いてるのは!どうして!母さんがあんなに泣いて、うめいて、苦しみながら死んだかってことだ!

 …人が死ぬのなんてわかってる。でもいい行いをした奴は幸せに死ぬって聞いて僕は納得がいかなかった。母さんだってたくさんいい行いをしてた。よく人助けをしていたし、身を売ってまで僕を養おうとしてくれてた。

 そういういい行いの事を善行って言うんだろ。女神は善行ってやつが好きなんだろう!?

 

 けれど女神は母さんの祈りを聞いてくれなかった!」

 

 母さんは、一人で僕を育てようとしてくれた。

 お金が必要な時は誰かから盗むのではなく自分で稼いでいた。

 そんな立派な母さんは、僕が元気に育つようにといつもお祈りをしていた。けれど僕はどうしようもない街に流れ着いて、盗みをせざるをえない奴になった。

 

 最初は変な男に騙されて、九龍に行けば優しい人がいっぱいいるよって言われたのを信じてやってきた。でもこの街に入ってすぐにやばい場所だって気付いて引き返そうとした。

 けれど街の奴等は僕みたいなカモを見逃さずに、街の奥へ奥へと引きずり込んでいった。僕はいつの間にか街の出口から遠いところにいて、何度も出ようとしたけど力の強い大人たちに阻まれて出れなかった。

 

 街をさまよってるうちにお腹が減ってきた。道端で死ぬか、誰かから盗んででも生きるか。結局はその二択になってしまって、僕は盗むことを選んだ。

 

 騙されたことが悪いのか。

 子どもの僕が大人より弱かったことが悪いのか。

 生きようとしたことが悪いのか。

 何も悪くないはずだ。誰に否定されても僕はそう信じている。

 

 「女神の教えを守るために死ぬなんて間違ってる。教えを守るのは善く生きるためで、死ぬためじゃない。信心深い奴を見ると、僕が間違ってるって言われてるみたいでいやなんだ。

 僕は間違ってない。僕は、僕はこうするしかなかった……」

 

 立ち尽くした僕の手を、女がとった。

 女は両手で俺の右手を包み、逆立った僕の神経をなでさするようにゆっくりと話し始めた。

 

 「祈りとは、ただの願望を示す行為ではありません。

 祈りとは、約束なのです。自分が善き行いを通して望ましい結果を手繰り寄せるという約束……

 

 だから女神がお願いを聞いてくれないというあなたの指摘は正しいものと言えるでしょう。

 あなたはそれだけでなく、女神の教えの価値も知っている。教えが何のためにあるのかを知っています。それこそはあなたが賢く、やさしい人である証拠です。

 何より、あなたは道徳を知っています。盗みが倫理に反することを知っていて、まっとうに生きたいと思っている。

 

 全て、すべて正しいことです。あなたは罪から解き放たれるべきです。自分で決めたことを成すために、あなたはこの街から出るべきだと思います。あなたは教えがなくてもきっとまっすぐに生きていけるでしょう。

 

 ―――やはり私には、あなたが正しい人に見える。世界にいくつもある正しさの、そのうちの一つをあなたが持っていると思います。本当に、ほんとうに、あなたという命が失われなくてよかった…。」

 

 僕の右手をぎゅっと握っている眼前の女が言ったことを僕はあまり理解できなかった。けれど、この女は、僕が生きていることを喜んでいるらしかった。

 変な奴だと思う。

 

 僕はせっかく大きな音を立てて椅子から立ち上がったというのに、なんだか色々と馬鹿らしく思えてきた。この妙な女が言ってることも何もわからなくて、僕はただ立ち尽くしていた。

 そして女が促すままにもう一度席に着いた。

 女は何が嬉しいのか、涙を目に溜めながら僕のことをほめそやした。何度も何度も僕を賢い賢いと言って頭を抱きしめ、生きていてくれてありがとうと何度も言ってきた。

 

 暫く僕のことをぎゅっと抱きしめていた女は、突然お茶のおかわりを淹れてくると言ってそそくさと後ろを向き、お湯を沸かし始めた。

 けれども本人が随分物を取り落としたり、茶葉の缶をつかみ損ねたりしているので、騒がしいことこの上なかった。

 僕はなんて慌ただしい奴だと思った。

 

 「忙しない女だなぁ」

 「…君は彼女と出会えたことに感謝したほうがいい。」

 「はぁ?」

 

 いったいどういう意味だ、そう聞こうとして部屋にノック音が響いた。どうやら客人が来たようだった。最近この女は近所の子どもたちに読み書きを教えているという噂だから、きっと子どもだろう。

 

 「…?」

 「ああ、きっと近所のガキだよ。」

 

 隣に座った神父(絶対ただの神父じゃないと思う)がやけに扉の方を気にするので、そう教えてやったのだが、しかし神父はなおのこと疑わしく思ったようで、眉間にしわを寄せた。

 

 「何?僕の言うこと疑ってるわけ?」

 「…いや、そうじゃない。」

 

 歯切れの悪そうな神父はちらりと窓の外を一瞬見て、少し半身になった。まるでいつでも立てるように備えているかのようだった。

 

 

 

 「はい、おはようございま―――」

 

 

 

 応対しようとした女が扉を押し開くと、女の体が()()()()()()()()

 まるで瞬間移動でもしたみたいに、女は玄関からいなくなった。支える力をなくした扉が閉じていく。僕はこのとき何が起こっているのかちっともわからなかった。

 

 

 「は?」

 「追いかけるぞ!」

 

 

 神父がやけに素早く立ち上がり、閉まりかけた扉を開けるとそこには誰もいない。通りでは朝市がやっていて、人がごった返している。女はどこにもいなかった。

 今の一瞬でどこに行ったのか。僕はまだ通帳受け取ってないぞ。あの女に持ち去られてしまった。いや、きっとノックをした奴に連れ去られたのだろうとは僕にだってもうわかる。だけどこの街で誘拐なんていう大胆なことを白昼堂々やろうとする奴等が誰か、僕はうすうす気づいていて現実逃避がしたくなっていた。

 

 (嫌な予感がする)

 

 「ゼオ!」

 

 悔し気な顔をした神父が中空に向かってその長い腕を差し出す。何をやっているのかと見ていると、そこに一羽の鷹がやってきた。鷹はやけに慣れた様子で神父の腕に留まると一声二声ぴゅいぴゅいと鳴いた。

 

 「神父じゃなくて鷹匠ってわけ?」

 「タカジョー?なんだそれは。とにかくニクスが攫われたから追いかけるぞ。」

 「僕に指図するな!」

 

 僕はあの女じゃなくて、あの女が持ってる通帳を取り戻しに行くんだ。神父の間違いを訂正すると、神父はため息を一つ吐いて大通りの雑踏の中に駆けだそうとする。

 

 「馬鹿!そっちに行くならこっちの路地を通った方が早いっての!」

 「なら道案内を頼む。ゼオによるとあの摩天楼の方に行ったようだ。」

 「げっ」

 

 ああ、いやな予感が当たってしまった。

 九龍の街の名もなき摩天楼。それこそはこの街を牛耳っている黒月のオフィスだ。趣味が悪いことこの上ないが、この街の担当者にとってはお気に入りらしく無秩序に増改築を繰り返される摩天楼の上では今日もクレーンが動いている。

 

 「早く行ってくれ。時間がない。」

 「あ~クソッ」

 

 こんな面倒ごとになるんなら、あんな馬鹿な女に関わらなければよかった。僕は心からそう思ったけれども、やっぱりあの通帳に記された大金が頭から離れなくて、神父が飼ってるらしい鷹を追いかけることにしたのだった。

 

 

 

 






七耀教会が祈りをどう定義しているかわからないので本話でニクスが言っている祈りの定義はニクスの考えであることをご承知おきください。

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