原初の火   作:sabisuke

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26 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

 

 「―――かくして三人の若者、誓い合えり。彼ら、生まれる時と日を違えども兄弟の契りを結びしからには、心同じくして助け合い、困窮するものを救わん。同年同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せんことを願わん。天よこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、これを誅すべし。」

 

 ああ、実に美しい。

 これが物語か。

 

 「何を読んでいるんだい?ブルブラン。」

 「おや、カンパネルラか。フフフ…気になるか?」

 「見せつけといてよく言うよね。」

 

 道化師は随分気が立っているようだ。あまり刺激してはこの原稿が燃えてしまうかもしれない。

 

 「物語だ。最近面白い作家がいてね、彼女が新作を書いたというので拝読している次第だ。」

 「へぇ、新作の生原稿ってやつ?でもそういうのって盗むと怒られるんじゃないの?」

 「普通はそうかもしれないが、これは彼女が私に贈ってくれたものでね。」

 

 そう、彼女は私にこの物語を捧げてくれたのだ。

 彼女は『時間がなくてこれくらいの長さしか書けなかった』と謝罪文を残したが、それでも『カーネリア』くらいの長さはある。世界観も独特でこの私の心を楽しませるに十分な傑作と言えるだろう。

 

 「どんなストーリーなんだい?」

 「近日中に出版されるだろうから自分で読みたまえ、と言いたいところだが多忙な君は本を読む時間もないだろうからな。しょうがない。」

 「本当に、忙しくてイヤになっちゃうよねぇ。」

 

 カンパネルラは私の向かいに椅子を引っ張ってきて腰かけた。

 報告と見届けの繰り返しも彼にとっては飽きてきたのだろうか、化粧では隠し切れない隈が目の下には浮かんでいる。

 

 「…この物語は創作歴史小説と分類するべきかな?

 とある地のとある男はある日故郷で起きた戦乱に巻き込まれる。混乱する民衆を見て奮起した彼は志を同じくする勇士たちと共に決起し、一騎当千の力を持って少数の軍勢でこの戦乱を鎮圧する。彼はいくつもの戦いを経て土地を任されるようになるが、その名誉に驕らずに人を身分で差別することなく領地の安全を保ち続けた。

 男は民衆に慕われた賢君となったわけだが、他の地方はまたその国での覇権を争うべく戦乱を起こそうと画策する。領地を有するためにこの戦乱に巻き込まれていった男は、長きにわたる争いに身を投じることになる…という話だ。」

 「結構長そうな感じだね~僕には読む時間が足りないかもしれないや。」

 「いやしかし傑作だぞ。途中で何人も軍師が出てくるがこれがいずれも鬼才と言うに足る男でな。いやはやこんな人物を考え付くあの作家はどういう頭をしているのやら。」

 「ふ~ん…最後はどうなるの?」

 「男は最初の戦乱で決起するときに二人の勇士と誓いを交わす。生まれた時が違えども死ぬときは同じくしようという誓いだ。

 だが、その内一人はある戦いで敗れ敵に処刑されてしまう。そしてまた別の戦いにおいてもう一人も処刑される。そして男はどこか心に空虚なものを抱えたまま表向きは王としてよき治世を敷いた、というわけだ。」

 

 大まかなあらすじを、と言うよりは結末を聞いたカンパネルラは声をあげて笑う。部屋に誰かが入ってきたのに気付いていないのか、それとも気にしていないだけなのか。

 

 「へ~かわいそう!いいねその結末。僕そういうかわいそうな終わり方が大好きなんだ!」

 「道化師のお気に召したようで何よりだ。しかし、魔術師の機嫌は損ねてしまったようだね。」

 

 入室してきたのは火焔魔人だ。随分ご立腹のようで手には炎を乗せている。

 

 「あれ?マクバーンじゃないか。なんだい?怒ってるのかい?」

 

 さも今気づきましたといった様子の道化師と憮然とした様子の火焔魔人。彼らは最近折り合いが悪いようだった。どうやら何か確執があるようだが、藪はつつかないに限る。

 火花を散らしながらにらみ合う二匹の蛇をよそに立ち去ろうとするがそれは魔人によって見とがめられてしまった。

 

 「…おいブルブラン。お前何逃げられると思ってんだ?」

 「マクバーンってば怖いねぇ。ほらブルブラン、彼にかわいそうな王の話を聞かせてあげなよ。」

 

 煽るカンパネルラはマクバーンで気晴らしをしようとでもいうのか。全く優雅でない話だ。誰も彼もが魔人の炎をやり過ごせるわけではない。

 

 「……君は相変わらず悪趣味だな。」

 「ブルブランに言われたくないなぁ。」

 

 さすがに今の発言は見過ごせないが抗議するならば次の機会といったところか。私は今にも怒りを炎として噴出させようとする災厄の火種に彼女から受け取った原稿を投げ渡した。

 

 

 「―――どうしてお前がこいつの原稿を持ってる?」

 「当然だ。私はどんな秘密をも盗み出してしまうのだよ。」

 

 それでは、さらばだ!

 

 私が薔薇をその場に残して去った後、果たして場がどうなったのか知る者はいない。

 

 

 

***

 

 

 どうしようもなく、気が立っている。

 あれもこれも、全てあの神官が俺の言いつけをちっとも守らないせいだ。深入りをするなと俺は二度も忠告した。だというのにあの馬鹿はちっとも守らないしいつまでも疑うということを覚えない。

 外の世界を知ればいくらか染まるだろうと思った俺が馬鹿だったのかもしれない。

 

 まさか騎士団の第八位だけでなく怪盗紳士にまで接近を許すとは思っていなかった。

 ましてやあれが本を書いている、だと?

 

 

 「あの馬鹿…なんてものを書いてやがる。」

 

 将来王になる男と、若き英傑二人が交わす誓い。それは長い戦乱の世で終ぞ守られることがなかった。軍の将である英傑たちは王を一人残して死に、王には民と国が遺される。王は誓いに沿って死ぬことが許されずに、軍師や神官と国を治めた。

 

 ああ、よく知っている。

 あの誓いを俺はもう諳んじることができるとも。

 

 どうして、忘れることができたのだろう。二人の友が死んだときのあの無力感を俺は生涯忘れないだろうと確信していたというのに。

 長い年月、俺はその国を治めることになった。そのすべての記憶を取り戻すことはいまだ叶わないが、この物語の中にそのすべてが書かれているというのか。

 

 俺の生と故郷の美しさのすべてを記すにはあまりに薄いこの紙の束に?

 

 そんなわけはない。

 あの神官は俺と同じように長命であったが、俺のことをすべて知っているわけではない。あれも結局は俺の知らないところで死んだ。

 災厄によって乱れてしまった国を目にすることが無いようにと神殿に閉じ込めていたのに、あれは外に出た。

 それまで一度も俺の指示に反抗したことがない神官は、その時初めて俺の意に背き、そしていつしか死んだ。

 

 俺がその時どう思ったか、俺はまだ思い出せない。

 悲しんだのか、怒ったのか、何も思わなかったのか。失望したかもしれないし無力感に苛まれたかもしれない。

 

 いずれにせよ、あの国はもうない。

 俺の故郷はもうないのだ。

 

 

 「…どうでもいい……」

 

 

 滅びるなら滅びろ。

 死ぬなら死ねばいい。

 もうたくさんだ。世界なんて、もうどうでもいい。

 俺はもう二度と背負いたくない。故郷が滅んだと知ったときのあの空虚な感覚を、二度と感じたくない。

 

 女々しいと、弱虫だと言わば言え。

 故郷がなくなった絶望を知る者だけが、俺に石を投げる資格がある。

 

 その意味で俺に石を投げる資格があるのはあの馬鹿だけだが、あれは俺を責めない。いっそ俺のことを憎めばいいものを、俺を未だに王と呼ぼうとする。

 

 俺は王ではない。

 俺を王たらしめていた民はみな死んだ。俺が治めるべき土地は滅んでしまった。

 一度は名も失くし、罪も犯し、力を暴走させた。

 

 それがどうして王であると言えるだろうか。

 

 

 『あなたは本当に我が王であらせられますか?』

 

 

 違う。

 俺はお前の王ではない。

 王は死んだ。あの国とともに死んだんだ。

 

 

 もう思い出せない。

 故郷の空の色も、海の温かさも、光の明るさも。

 思い出したくなんてない。

 

 

 しかしあの悪趣味な怪盗が俺に押し付けてきた物語には、旅人でしかなかった王が治めてきた土地がどれだけ美しいかが記されている。

 その国には緑の海があり、炎のような夕焼けと閃光のような夜明けを繰り返したという。すべての民は王を慕い、夜は親が子にその武勇を聞かせた。王を支える軍師と子孫。木に実る桃と檸檬。大地の恵みと空の涙。戦いの炎と陣太鼓。民と赤子、命の営み。

 そのすべては確かに俺の生き様であったのかもしれない。

 

 いまだに俺が思い出せないあの故郷を、甘やかにあの阿呆は書き連ねている。

 

 だが、だがその物語に記されていない事柄があった。

 

 

 (お前はどう生きたんだ?)

 

 

 神と王に仕えたもの。海に揺蕩いながら政を為したもの。

 この物語を書いた奴は、そいつのことを一番よく知っているはずだ。だというのに、ちっともこの物語にはそいつが出てこない。

 

 詐欺だ。

 王と兵だけで国が治められるとでも思っているのか。

 出版されたら必ず文句を言ってやる。

 それか俺があいつの名義を騙って勝手に続編を出してやろう。

 

 王のように強いくせに全く力をふるおうとしない神官が、王の友になると勝手に宣言して、政を仕切ろうとする話だ。

 最後は、国がいつまでも栄えたことにすればいい。

 

 物語の中でくらい、故郷が栄えても誰も文句は言うまい。

 

 幸いなことに奴の作家としての名も判明した。

 あの馬鹿は星の名前を冠していた。

 

 あいつがあこがれていた、北の空にずっと光り続ける連星の名前を。

 

 

 ああ。今なら少し、思い出せる気がする。

 俺は泳ぐのが下手だ。あいつとは違い水に弱い。だが俺は恐れることなく記憶の海に体を投げ出す。

 なぜ人は記憶を海に例えたのだろう。これが炎の群れや溶岩の流れであったなら、きっと俺にも記憶を手繰り寄せることは容易かっただろうに。

 

 

 「北の天に、回らない星があるそうですね?」

 「旅人の標か?あれはたしかに回らないが、動きはするぞ。」

 

 

 確か、そんな話をした。

 神殿の中で水に浮かぶあの神官は相変わらず何を言っているのかわからない遣いに指示を出しながら俺に突然聞いてきたのだ。

 あれは外を知りたがった。

 

 神殿を出ることが許されていないために、戦いがある度外に赴く俺に、よく話をねだったのだ。

 俺はあの神官に比べて持っている語彙が少なく、故郷を表現することが下手だった。しかしあれは俺の声音や言葉の選び方から、故郷が素晴らしいことを知っていたようだった。

 

 

 「タビビトノシルベ、そういう名前なのですか?」

 「違う。星の二つ名だ。」

 「ではなんという名前なのでしょう?」

 

 

 どうして、こんなことばかり思い出すのだろう。

 俺は己の武勇のすべてを思い出せないくせに。

 あれの死にざまを思い出せないくせに。

 

 記憶の海で、俺は今日もまともな記憶を手繰り寄せられず、溺れている。

 

 

 「ポラリス。そう呼ばれている。」

 「よい名前ですね。」

 

 あれは星を好んでいた。

 それはなぜだったか。いつの日だったか聞いた記憶はある。

 なぜ星を愛するのか。決して手が届かないとわかっているのに。

 

 記憶の断片の中で、あの神官は海に浮かびながら答えたはずだ。

 確か、赤い珊瑚に体を預けて、あの白い角をひっかけながら、言ったはずだ。

 

 

 「――――――」

 

 

 ああ、思い出せない。口が動いている。薄い口がよく動くものだと思った。

 お前の言葉は忘れまい、そう思ったはずなのに。

 俺は大事なことばかり忘れてしまう。とんでもない阿呆だ。

 

 

 ほんの少し焦げた(俺が燃やした)原稿用紙の一枚目、書き出しの前にその星の名前が書かれている。ポラリスは、3つの恒星が非常に近い距離にあるためにまるで1つの星であるかのように見える。

 

 3つが身を寄せ合って輝く星を、あれは特に好んだ。

 

 そして星の名に続くように、物語は始まる。

 

 

 一人の旅人が仲間を得て、失うまでの物語―――

 

 

 

 

 

『 一人の旅人がいた。

 

 その旅人は腰に一振りの剣を佩いていた。身なりはみすぼらしいものであったが、瞳ははるか遠くを見つめ、唇は赤く、豊かな頬の男だ。どこか悠然とした微笑みを絶やすことがなく、賤しくは見えない男だった。

 若いその旅人は、どこまでも広がる草むらの中にたったひとりぽつんと立って、ただ遠くを見つめていた。

 

 彼の傍を川の水が流れていく。

 

 風は清かに草を揺らし、彼の額を擽った。

 太陽の高く、緑豊かな夏の朝のことだ。 』

 

 

 その旅人はまだ災いを知らない。

 悲しみを知らない。絶望を知らない。

 

 故郷の栄華を虚しい心で受け止めながら、ただ復讐への野望で身を焦がす。

 

 この物語の終わりにおいても、結局この旅人は自らの心に宿る炎を消すことができずに終わる。

 炎と言えば自らのうちにのみあると信じて疑わず、災いの火種が外から襲い来るものであることを知らないままに、この物語は一旦の終幕を迎えるのだ。

 

 

 自分も、それを知らないままでいられたら、どんなに良かっただろう。

 

 

 





あのキリカさんは怪盗Bの変装だったわけですが気付いた人がいたらすごいなと思います。

少し短いですがこれで東方人街編は終わりました。
次回からクロスベル編が始まります。

あっあと書き出しは某国史です。

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