原初の火   作:sabisuke

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活動報告などで多用しております「拝読」が謙譲語だと知りました。皆様申し訳ありません。
正しくは「ご覧いただきありがとうございます」でした…


第4章 クロスベル編
27 善いサマリア人


魔都・クロスベル。

エレボニア帝国とカルバード共和国に隣接する西ゼムリアの経済都市だ。多くの資源・情報・資本が流入するために著しい経済発展を遂げたが、その一方で都市全体が犯罪の温床となることは避けられなかった。

二大国の対立も相俟って現代の受難の地とも呼ばれるべき街だろう。

先日めでたく帝国からの再独立を果たし、今現在は国際社会での基盤づくりを再び果たすべく住民全体が一丸となって努力している。

 

その受難の地に、東からの来訪者が二人。

 

 

「はぁ……導力バスってのはせせっこましいね。」

 

一人はやせこけた榛色の少年。曲がった背筋と妙に達観した口調からどこか大人びた印象をも感じる。少年は新品と思われる衣服を着崩しており、余った袖を苛立たし気に捲っている。

 

「審査も無事終わりましたから、あと一本乗ったらクロスベルですよ。ようやく到着といったところですねぇ」

 

もう一人は喪服を身にまとった女性である。ストッキングやベールで素肌や顔も覆い隠した淑女ではあるが、未亡人というには少し幼くも思えた。彼女はバス停の時刻表を確かめ、少年と何やら話をしている。

 

アルタイル市からのバスに同乗していた乗客から視線を集めていた二人組は、兄弟というには年が離れすぎており、友人というには身分が違い過ぎるように思える。

女性は教養ある貞淑な女性であるのに対し、少年は粗野で生意気な遊び盛りの子どもだ。警備隊の隊士も不自然には思ったが、審査の際に提出された書類は正規のものであり、何の後ろ暗い点もなかった。

 

「それにしても、あんたノーザンブリアの出身だったんだね。そうは見えないけど。」

「あちらにいたのは20年くらいでしょうかね…各地を転々と旅しておりましたけれど、あの場所ではいろんな方にお世話になりました。」

 

ちなみにこの女性の戸籍は、女性がとある人から()()()()()()()()()であるが、それは少年が知らなくていいことである。

彼女は常に真っ当であり、出自がどんなに不審であっても善人であることに変わりはない。そんな彼女を見えない形で支援する人々は、案外多いのである。

 

 

「クロスベルについたら何をしようかなぁ…」

 

 

ともあれ、少年は期待と夢で胸を膨らませていた。同年代の少年少女がそうするように、空を見上げて雲の流れをぼんやりと眺めながら、風に髪を揺らしていた。ひょんなことから突然開けてしまった未来に半ば呆然としながら、可能性の塊に思いをはせていたのだ。

 

まるで空に心を奪われてしまったかのような少年の横顔を眺める女性の顔には微笑みが浮かんでいる。きっちりと対称であり、慈愛を感じさせる笑顔だ。しかしこの時女性が一体何を考えていたのか、知る者はいない。

彼女は自分の旅路をしっかりと見据える少年を微笑ましく思うと同時に、ある決意を固めていた。この女性には、なさねばならないことがあったのだ。いつからそんなものが課せられていたのか、誰によって課せられ、一体何が彼女を駆り立てるのか。

彼女は誰にもそれを教えたことはなかった。

 

彼女は何も言わない。彼女は賢く、聡明であり、そして優しい女である。

しかしいつだって、真実を語ることはない。

彼女はこの世界で最も残酷なものを知っているからだ。

 

 

「おい、何ぼーっとしてるんだよ。バス来たぞ。」

「ええ、はい。今参ります。」

 

 

仲が特別いいとも特別悪いとも言えないそんなやり取りを経て、二人は市内に向かうバスに乗り込んだ。クロスベルという地で何かを見出すために。

どこか正反対な二人は二人掛けのシートに腰かけたが、どちらも痩せているために普通に座ると少し距離ができてしまった。

バスでの道中、二人は何の言葉も交わさなかった。必要がないからだ。

 

少年と女性は、旅路を共にしているが互いのことをほとんど何も知らない。どこの生まれであるのか、親がどんな人であったのか、体にいくつの傷跡があって、何を好み何を嫌うのか。

何も知らないが、それでよかった。二人は満ち足りていたからだ。これから己の夢をかなえてみせるというその決意で、彼らの胸は一杯になっていたから、別に互いがどんな存在であれ構わないと思っていた。

 

 

実は二人は似通っている。

親はなく、帰る故郷もなく、これまでいた土地は平和とは言い難い。そして善良な魂を持つが女神を信奉しない異教徒であった。

決意を胸に秘めた似た者同士の異邦者たちは、この日受難の地に降り立ったのである。

 

 

 

 

***

 

 

 

春の新緑が光に照らされている。

点々と咲くラベンダーの花、目にも鮮やかな草木、柔らかい芝、川の流れる音。それらの自然が作り出す音は車のガラスに遮られて少しくぐもって聞こえてくる。

先日まで滞在していた街はとても賑やかで、特殊な構造の耳にはいささか刺激が強かったので緊張した精神がほどけていくような心地だった。

 

 

窓側の席に座り、外を眺めている少年。

私がまずするべきことは彼をクロスベルまで送り届け、そして彼の周囲の環境を整備してやることだ。ウォーゼル卿にも頼まれたので、学習環境は特に面倒を見てやるべきだろう。

若く、有望で、善良な少年だ。

まるであの日拾い上げた命のようにかわいらしくて、勇ましい。その聡明さと機転の良さは英傑の素質と言っていいくらいだろう。

 

自分は間違いなく、ジェイとあの命を重ねて見てしまっていた。否定のしようがないほど、彼をかわいがろうとしてしまう。可能であれば彼が成人し、夢をかなえるまで傍にいたい。支援をしてやりたい。自分が見込んだ少年が晴れがましい気持ちで顔を輝かせる日が楽しみでならない。

 

しかし、私にはそれができないだろう。

 

 

そもそも、計算を間違えていた。

私は陛下への拝謁が叶う前、事が起こるなら30年はあとだろうと思っていたのだ。

甘かった。

自分は30年眠っていたのだ。それに気づいたのがシュバルツァー様に陛下のもとへと案内された時であったので、それはもうどうしようかとも思ったものだ。私は20年もの間何を考えていたのかとすら思う。故郷に戻れなくなったことに絶望している場合ではなかったというのに。暦も異なる世界に来てしまったがために時間のずれに気付くのが遅れてしまった。

 

とにかく、事態はいつ動き出しても不自然ではない。

彼から受け取った手紙も、その前兆を示唆するものであった。

 

もう、その時が近いのだ。

 

 

その時が来ると明確にわかったのは、陛下のお顔を拝見したときだ。

あのときに、最後の確信を抱いてしまったのだ。

 

ああ、私は行かねばならない。

 

それは天啓にも似ており、何の根拠もない直感による閃きだった。しかしそれを感じ取ったからには私は行かねばならない。たとえどんな労力が必要になろうとも、たとえどんな代償を払ったとしても、私は行かねばならない。

 

 

最初は、こんなことをしても何にもならないと思っていた。

それよりもこのゼムリアの地で困窮する人々を救うのが今生の使命であると思っていたのだ。ノーザンブリアの荒地で目にした民の苦しみを忘れたことはない。男も女も、子どもも老人も、全ての人が苦しんでいた。飢餓と貧困に喘ぎ格差を憎む怨嗟の声が耳にこびりついたかのように離れない。

彼らを救うべきだと思う。彼の地を清めねばならないと思う。

 

けれど、あの方のお顔を見たときにその気持ちが揺らいだのだ。

それよりも優先せねばならない事態があると思った。この方に忠義を示さなければならないと、あの日々を取り戻さなければならないと思った。

盲目的なまでの忠誠心に駆られて私はそれまで心に抱いていたものを捨て去ろうとしてしまった。そして、あの方はそれを諫めるかのようにご自身を王ではないと称された。

 

今でも、私はあの方の言葉の真意をくみ取れずにいる。

 

全ての民の嘆きを聞き届けられるように作られた耳はすべての言葉を解するというのに、あの方の言葉の意味だけは私にとっていつも難解で、よくわからないのだ。

私はあの方に尽くしたい。この身と魂のすべてをかけて、民を導くことを助けるために働きたい。あの方の姿を見るたびに私はその盲目的な気持ちに突き動かされてしまう。

あの方が王ではないと仰るのならば私の気持ちなどただの重荷にしかならないのだから、忘れてしまったほうがいいのかもしれない。

けれども、私はどんなに頑張っても故郷と民と王を愛おしく思う心を忘れられないのだ。

 

 

我が王。私はあなたの友であり、臣下であると思っていました。それがすべてだと思っていました。

あなたが王でないというのなら、いったい私はなんであるのでしょうか。

 

私にはあなたの言葉だけがわからない。

だから私は、私の思いを信じ使命を果たします。

 

 

 

ジェイの成長を楽しみに思う心に嘘偽りはない。だが彼の成長を一から十までこの目で確かめられるとも思っていない。彼をクーロンから連れ出すときにそれを心苦しく思ったものだが、ウォーゼル卿の様子だと彼がジェイのことを気にかけてくれるようだ。あまり悪いように考えずに済むというのは随分気が楽だった。

 

彼は彼で生きていくだろう。

私は私にできる範囲でそれを支えながら、使命を果たせばいい。

 

 

実に単純明快な話だ。

 

 

***

 

 

九龍も相当だったけれど、この街もこの街で猥雑だと思う。

何というか、金融都市として時代の最先端を行っていますという風に繕っているのが余計に歪だ。様々な人間が溶けあうように身を寄せ合って、中身はぐちゃぐちゃであるというのに、病魔のようなものを取り除いただけで乱れていたものが整然とするとでも思っているのだろうか。

 

クロスベルというのは実によく人間性を繁栄した都市だ。

 

東通りの宿に荷物を降ろした僕は、何とはなしにそう思った。

 

言っておくけれども、別に僕は九龍の外の人間に期待なんかしていない。ニクスや生臭神父のような俗っぽさがないような人間は少数派だということをきっちり分かっている、

人間には欲求があって、それを満たすためにあたたかなベッドと、うまい食事と、そして人の体温が必要だ。けれどそれがまるで後ろめたいことのように隠されたり、都合の悪いものであるかのように扱われるとむかむかするのだ。

 

皆同じ人間なのに、自分たちは特別で理性的だとでも思っているのか。

 

悪びれもせずに犯罪をする九龍の人間と、欲を持つくせに欲を恥じるクロスベルの人間。なんというかどっちもどっちだよね。

 

「クロスベルを見てみてどうですか?」

「…なんというか、思ったよりぐちゃぐちゃしてるよね。九龍とは別の意味で。」

「というと?」

「旧市街とかさ、ああいうのがあからさまに隔離されてるとみられたくないんだなーって気持ちを感じる。隠したってしょうがないのに。」

 

ベッドに寝転びながら足をばたつかせているとニクスはサイドチェストに水を置いた。僕はそれを取ってボトルのふたを開ける。寝転びながら呷ると少し水がこぼれてしまった。

 

「…この街は嫌でしたか?」

「そうじゃない。僕は人間ってのがどうしようもない生き物ってことに呆れてるだけ。神様はどうしてもう少しマシな生き物に作らなかったんだろう。」

 

女神というのは創造の神であるらしいけれど、その産物である僕らはこんなに不完全でなんというか、どうしようもないのだ。あやまちを犯したり、傷つけられたくないくせに傷つけたり、後ろめたいことをやったり。どうして僕らはそんなにダメな生き物なんだろう。

 

……やだやだ。やっぱり女神のことを考えると鳥肌が立つ。

 

 

「ふふっ…」

 

 ボトルをベッドに投げだすと濡れた口元にハンカチがあてがわれる。真っ白なニクスのハンカチだ。ニクスはいつも浮かべている微笑みよりもちょっと楽し気に笑っている。

 

「なにさ。」

「いいえ、やはり貴方、神学校に向いているかもしれませんよ。」

「はぁ?」

 

何を言い出すのだろうこの女は。人のことを信心深いと言ったりアルテリアに行けばいいと言ったり、訳が分からない。

 

「神が人に試練を与えるのならば、人が神に試練を与えることも許されるでしょう。本当に神が絶対であるならば、たとえ誰が疑おうとその正しさに揺らぎはないはずです。」

「あんたも神様は正しいって思ってるわけ?」

 

どこか、含みのある言い方だと思った。

 

「正しさとは、比較の末に生まれてくるものです。何物にも勝る正しさが神であるとするならば、神は普遍でしょう。しかしジェイ、神は死ぬのですよ。」

「……どういうこと?」

「いずれ自分の言葉で理解できる日が来ます。安心してください。」

 

こいつは驚いた。何もわからない。

この女はいったい何を言っているんだ?

胡乱な目でニクスを見ても、ニクスはただただ微笑むばかり。ふざけんなと叫んでやりたいが、この女で口げんかに勝てる予感が全くしない。抗議したところでまた一蹴されるのが目に見えている。

わざわざ無い頭を捻ってまで興味もないことを聞いたところでしょうがない。僕はベッドに体を沈めて寝ることにした。バスに長時間乗っていたせいで体がミシミシ悲鳴を上げて辛いのだ。

自分の体が軽いのか、ここのベッドが上等なのか、僕の体はスプリングに跳ね返されて体を打ち付けると同じくらいの力を受けて飛び上がる。

 

そうして楽しんでいる僕を横目に、ニクスは外出するようだった。

 

「出ていくの?」

「ええ。私はとにかく、あなたは長期の滞在になるでしょう?住居や学校のことを調べてきますから、ゆっくり寝ていてください。鍵は持っていきますから街に出ていただいても大丈夫です。暗くなるころには戻ってくださいね。」

 

ガキじゃないんだぞ、と言おうとしたがニクスを見るとやけに楽しそうに旅行鞄を広げているので何か言うことも憚られてしまった。この街からはちょっとばかし浮いてしまうような清らかな女は、手提げかばんを手に持ってのんびりと出ていく。

 

 

自分はともかく、か。

確かにそれはそうだ。思えばあの女は僕に金を渡す約束くらいしかしていなかった。クロスベルに来ていろいろと面倒を見てくれているのもあの女のお節介でしかないのだ。

ゆくゆくはあの女はクロスベルから出ていく。

 

考えてみれば当然のことだというのに、なんだか現実味がない。

僕の前に現れた時と同じように、僕の前から去るときも、突然だというのか。今更寂しさなんてないけれど、変な女だと思う。

自惚れじゃなくて、僕はあの女に可愛がられている。あの女に少なくない額の金をもらっているし、あの女は僕が真っ当に生きていくことを心から喜んでくれている。だというのに、あの女はその可愛く思っている子どもの前からいつかは姿を消すなんて、あんな風にほほ笑みながら口にするのだ。

 

 

僕は母親が死んだときおかしくなってしまうくらい悲しかったし、辛かった。思い入れがある人間との別れとはそういうものなのだと僕は知っている。

だというのにどうしてあの女はあんな風に平気な顔をしているのだろう。

 

 

わからない。

女神なんていうものよりもずっと確かにそこにいる癖に、どんな人間よりも不確かだ。わからない。わからない。あの女が、わからないのだ。

 

どうして、あんな風にほほ笑むのか。

どうして、当たり前に人を助けられるのか。

どうして、誰に傷つけられても嘆かないのか。

 

僕は九龍にいた多くの人間と同じように、そしてこのクロスベルにいる多くの人間と同じように、どうしようもない人間だ。

あの生臭神父も、どうしようもない奴だ。

 

そんな僕たちとあの女は違い過ぎる。

余りにもあの女は人間離れしていて、訳が分からない。

 

何を食ってどう育てばあんな人間になるというんだ?

 

 

ま、いいか。

どんな女だろうと僕の役に立ってくれているのだから、いいんだ。

 

 

「……これからどうすっかな…」

 

僕は今、何でもできる。

自由で、金があって、応援してくれる誰かがいて、安全に生活できている。

今日は、明日は、明後日は、何をしよう。

 

この僕が未来のことについて考えられる日が来たことが、ようやく実感として心の奥の奥からじわじわと湧き上がってくる。

温かくて、黄色い色の、ふわふわとした何か。

柔らかくて形がなくて、じんわりする気持ちのいいきれいなもの。

そんなものが僕の胸のあたりを満たして、僕はゆっくりとあたたかい泉のようなどこかにゆっくりと沈んでいく。

 

 

もう、寝てしまおう。

春の日差しが東方風の丸い窓から差し込んできていて、布団はあたたかくて、空気は乾いている。

こんなにも心地いい場所でただ自分の事だけを考えてうとうととしていられる。

 

 

こんなに、こんなに幸せなことはない。

いつぶりだろう。こんなに柔らかい気持ちでいられるのは。

 

 

***

 

 

龍老飯店を出て最初に向かったのは行政区の市民会館だ。行政施設は閉館するのが早い。学校と住居の情報は資料も多くなるだろうからできることなら後回しにしたかったけれども、ジェイとは今夜のうちに話し合っておきたい。

 

住居は東街区のアパートで単身用、治安が良く便利なエリア。学校は…飛び級でも通える高等教育施設が妥当と言える。士官学院でも比較的若くのうちから通った学生がいるそうなので医科大学や工科大学ならきっと子供でも相応の知識があれば受け入れてくれるはずだ。

 

(…社会問題を組み込んだ医療小説でも書いた方がいいでしょうか)

 

私が知る限りジェイは随筆よりも物語を好んでいる。書籍をきっかけにして知識を肉付けしていく方向性で勉強を見れば短期間の勉強でもどうにか試験を突破できるかもしれない。

贔屓目かもしれないが集中力と意欲と地頭がある。きっと大丈夫だ。

 

 

「それではこちらの資料をいただいても宜しいのですか?」

「ええ、勿論です。またお困りのことがあればいらしてください。」

 

優しい受付の方がクロスベルだけでなく近辺の地域にある高等学校の資料をくださった。なんでも電車通学で学校に通う人が一定数いるらしい。彼の年齢を考えると寮があるのが一番望ましいが、ジェイは十分に自立しているのだし、そういった学校も選択肢に入れるべきだろう。

あれもこれもと考えているうちに資料の束は随分分厚くなってしまった。これでは持ってきた荷物が倍になったようなものだ。今日はこれからが本番だというのに、先方に呆れられてしまうかもしれない。

 

行政区から東側に抜け、港湾区に移動する。

私はたくさんの紙が入った手提げかばんを背負いなおしてクロスベル通信社の戸を叩いた。

 

 

 

「お待ちしてました!先日は連絡をいただき、ありがとうございます。」

「こちらこそ突然の連絡となってしまったにもかかわらずお時間をいただき、ありがとうございます。」

 

クロスベル通信社には以前からお仕事のオファーをいただいていた。これまでは滞在している場所の出版社を頼って作品を出していて雑誌や新聞の連載を持つことは少し難しかった。しかし今回雑誌に掲載する連載小説を書いてほしいというお話をいただき、この滞在を機に作品を見ていただくことにした。

 

通信社でよい評価がいただければクロスベルでの単行本の出版などもやりやすくなるかもしれない。虫のいい話かもしれないけれどもほんの少し、そういう気持ちもあった。私は文筆家としての活動をこれまで以上に頑張ろうと思っていたのだ。

 

それは単にお金を稼ごうとか子どもたちの学習の助けになるようにとかではなくて、私に書きたいものができたからだった。

最初はぼんやりと思っていただけだったけれど、キリカ様に差し上げるお話を書いていて、私は自分が本当に書くべき物語を見つけた気がした。

 

あのお話の比にならないくらいに長い物語になるだろう。聖典とまではいかないがそれに近いくらい長くなる気がする。

この世界で私にしか書けない世界の話。とある王が数々の戦いを乗り越えて国を治める話。多くの英傑たちと力を合わせる冒険譚。

 

今回通信社に持ち寄ったのはそのお話ではなくまた別の中編小説だけれど、いつかはその本を出版できるように実績を積み重ねていきたいと思っている。

世界観が独特、とかいうレベルを通り越して別の世界のお話だ。不評かもしれない。受け入れてもらえないかもしれない。異教徒の話であると思われるかもしれない。

 

けれど私はそれを記したい。

それを人々に認めていただけるように、頑張っていきたい。

それは私が見つけ出した使命とは別の、人生での目標のようなものだ。

生活していると、そんなものがどんどん増えていく。あれが見たい、これが食べたい、あんなことがしたい、こんなことがしたい。

全部叶うとは思ってないけれどできれば全部叶えたいと思う。

案外、生きることはそういった欲求に支えられているのかもしれない。

 

 

「ニクスさん、先日郵送していただいた原稿と合わせて拝読したのですが、やはりわが社としては連載小説だけでなく、コラムなども持っていただけないかと思っているのですがいかがでしょう?」

「ありがといお話なのですけれど、クロスベルを離れたりもするでしょうからあまり社会情勢に即したことをすぐには書けないと思うのです。」

「社会問題についてのコラムもいいですが、人生相談のコーナーを持つなんて案もありますよ~」

「人生、相談?」

 

 

私が。

誰かに、人生について相談される?

まさかそんなことがありえてなるものだろうか。私は人間として不完全なのだ。

 

「ええ。恋愛とか、将来とか、勉強とか……読者からのお悩みに答えるんです。最近は教会に懺悔するよりも共感を集める方法での悩み相談というのが流行っているんですよ。」

「雑誌に掲載すると多くの読み手から悩みについて共感を集めることができる、ということですか?」

「そうなんです!匿名性も高いですから結構リクエストも来ていて…ラジオなんかもいいんですけれどクロスベルにはあまり著名なキャスターがいませんからね。」

「……。」

 

黙り込んでしまった私に何か思うところがあったのか、女性記者は「ま、考えといてください~」と言って私の原稿をパラパラと眺めていく。

 

「あ~学園モノですか?最近は警察モノとかちょっと大人向けの話が流行ったのでこう言うので若い層の関心も引けると助かります!

…あ~懐かしい。私もこんな時期あったなぁ…」

 

彼女は随分と元気で、エネルギッシュだ。記者という職業を目指し、その道を往くプロフェッショナルで、職業と仕事に誇りを持っていることが話をしているだけで伝わってくる。

小説を読んでいる表情を見ているだけで彼女が読んでいるシーンがどこかわかるほどに善く動く表情はしかし彼女の印象を幼くさせない。彼女の信じるものに一本のしっかりとした筋があるからだ。

 

「……こういった子どもたちの思春期特有の悩みとか、純粋な疑問って案外大人にも響くところがありますよね。私この女の子の台詞好きです。私もこんなこと思った覚えあります。結局うやむやになっちゃったんですけど…。」

「案外そんなものかもしれませんね。悩みや疑問に答えが見つかることなんて稀で、大抵はそれより気を取られてしまうことが出てきてしまって、それどころでなくなってしまいます。」

「そうそう!ほんと、悩んでたことなんてほんのちょっとしたことで忘れちゃうんですよね~!」

 

いつか答えを出さねばならないとわかっていることでも、今度こそ向き合わなくてはならないと思っていることでも、本当に答えが出せることは少ない。

答えを出すことが難しくて、そして周りは決して自分が答えを出すまで待ってはくれないからだ。時間というものは残酷で、都合よく針の進みを緩めたり急にしたりはしてくれない。いつだって平等で、公正だ。

 

余りに忙しない世の中に生きていて、私たちは様々なものを見落としている。

そんな中でも自分の人生をかけて向き合っていくべきものを見つける。辛くて、苦しくても逃げられないことを確信するほどの命題に必ず出会う。

その命題は人によって違うけれども、みんなそれを解決したいと思ってあがいている。

 

この中編小説は成長途中にある子どもたちがそれぞれの課題に出会ってしまい、迷い悩みながら答えを探していく物語だ。自分の悩みに手いっぱいになった子どもたちは時に衝突しながらも人生という旅路へと漕ぎ出していく。

 

 

「今のご時世、大事なのは何としてでも障害を砕く力というよりは、人を受け容れるような優しい勇気なのかもしれません。」

「優しい勇気…よい言葉ですね。今度使わせてほしいくらいに。」

「あっ私、小説家にもなれちゃうかも~?」

 

おどけた調子でにこにこと笑う女性記者は、私が提出した原稿について再来月の雑誌に掲載することを確約し、章分けなどについての詳しい打ち合わせをしたいと願い出た。

彼女が食事をしながら話したいというので、私は彼女に宿泊先を教え、明後日に龍老飯店で打ち合わせをすることになった。

 

良い反応だった、と思う。

これからのことは何ともわからないし、その雑誌を読んでくれた方がどんな感想をくださるかはわからないけれど、見込みがあるとは思っていただけたはずだ。

ここまでメジャーな雑誌での連載は初めてだから、緊張する。クロスベルタイムズと言えばクロスベル以外に住む人も購読していることで知られているくらいだ。

評価してもらえれば、きっと文筆家としての活動に弾みがつく。

 

今までちまちまとしか書いていなかった本が、より多くの人に読んでいただける。

完全新作も出版の機会がやってくるかもしれない。

 

(……ここから、ですね。)

 

 

人のために生きる。

人を救うために人になる。

もっと多くの人を、助けられるようになりたい。

 

ただそれだけでぼんやりしていた気持ちが、どんどん具体的になっていく。

セルナート様は私の未来を、見抜いていらしたのだろうか。初めてお会いしたときにあの方はこんなことを言っていらした。

 

私の手は弱き民に差し伸べるもの。

私の言葉は教えを授けるためのもの。

 

その通りだ。私は本を通して子どもたちに何かを教えたい。そして同時に困窮に苦しむ人々を助けたい。

どうして彼女はそんなことまでわかったのだろう。私はその時どのようにして人を救うべきか、まだわかっていなかったというのに。

 

彼女は、私のことを何だって見抜いて見せた。私の過ちも、私の迷いも。彼女は人の何たるかを知っていて、私はそれを知らなくて、愚かだった。

私が人になるために、彼女はなんと言ってくださっただろうか。

 

 

『己の心の中に灯る炎に身を任せるのさ。燃えるような劣情に身を焦がして、愛したいという衝動で脳髄を揺らしながら、その小さな唇で直接――――』

 

 

(……いけない)

 

それは、いけない。

体が震えてしまう。何が何だかわからなくなってしまうから、だめだ。

自我を失ってしまいそうなほど、心が揺れてしまう。あの時の彼女の熱を忘れられないほどだというのに、どうして正気でそんなことに舵を切れるだろう。

 

もしも、もしも本当に彼女が言うままこの心の奥に灯る炎に身を任せてしまえば―――

 

 

 

「ニクスさん?」

 

「……え?」

 

港湾区の路上で立ち尽くし、考え事にふけっていた私に声をかけて下さったのは、先日九龍でお会いした青年だった。

 




クロスベル編が始まりました。
ちょっとずつ中盤に向けて動き出した?感じでしょうか。
自分でも終盤しか決めてないのでこの小説が一体どれくらいの長さになるのかわからないのですよね…

ニクスがジェイに与えたお金は20年間ちまちま本を書いたお金が殆どなんですがたまに偶然に偶然が重なって手に入ったお金とかが結構ある。

金銭感覚のないニクスにとってはどうかわかりませんが、九龍でゴミに紛れて生活していたジェイにとっては相当なお金だったようです。早速服を購入した模様。

しかしお話を書いているとキャラクター(ニクス)に愛着が湧いてきますね。
最初は人でなしを書いていたつもりなんですが随分かわいらしくなってしまってる気がします。
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