<宛>トヴァル・ランドナー様
とある旅行者を保護していただきたく、依頼をしました。
依頼を受諾していただけるようでしたら、通信にて連絡をお願いします。
伝令M。
トールズ第Ⅱ分校において最近何度か使われている言葉はとある指示を意味している。
『マクバーン来たれり。リィン・シュバルツァーは交渉に急行せよ。』
クロイツェン州での広域支援任務に突如として現れた劫炎は、その後何度かリーブスや特別演習の演習地に姿を現した。「鼻がいい」という本人の言葉の通り、マクバーンは必ず自分の行動圏内に姿を現した。
しかし第一次マクバーン事変とは異なり彼は何も要求しなかった。ただ突然やってきてはリィンのことを呼び立て、リィンのこと(というよりはリィンがまだ預かっている結晶)を一目見て帰っていく。
この男に秘密結社のエージェントとしての自覚はあるのだろうかと思う。何度目かの来訪の際にそのあたりを尋ねてみると
「今は休業中だ」
とだけ言われた。
何なんだそれは。
そしてそんな(少なくともリィンが持っている)常識が通用しない相手は、あろうことか学生寮のリィンの部屋に居座っていた。
「よう」
気の置けない友人の部屋にやってきたかのように振る舞っているが一応この男と俺はそう親しくできない、はずである。
「今日はどうして俺の部屋なんだ……」
正直明日の授業のための準備もしなければいけないのだから夜の時間くらいは邪魔をしないでもらいたいと思う。
「あまり多くの人間に聞かれたくはないんでな。片手間に聞く分には構わないが教会や魔女どもに流されるとちと困る。」
「なんでだ?」
周囲の目とかそんなものを気にするような人間には見えないが。
「一つは確証が持てないこと。もう一つは関係者が他にもいるかもしれないこと。それが理由だ。もう少しして確証が持てたら誰に言おうが気にしねぇが、“今”はダメだ。」
「さっぱり話が見えないんだが。」
この男は何を言っているのだろう。
元居た世界が違うからなのか、話がいつも通じないのだ。言葉が足りないと思う。
「片手間でいいからまずは聞けって言ってんだよ」
とりあえず楽な格好に着替えて椅子に座るとマクバーンは勝手にしゃべり始めた。全く自分勝手な男だ。
「まず、俺が今疑っていることから話す。
単純に言うと、
「は?」
「その可能性を俺はずっと排除してきた。50年この世界で暮らしてきて一度もそんな気配を感じなかったからだ。
だが、その気配の欠片とでもいうべきものをある日俺は察知した。」
「それがこの結晶ということか?」
マクバーンは鷹揚にうなずく。見たこともない物質だと思っていたが、まさか本当に“存在しないもの”だったとは。
透明な結晶。導力魔法との相性がいいことから何らかの伝導体であると考えていたがまさか異世界の物質だとでもいうのか。だとすればこれはあの≪塩の杭≫と同質のものということになる。
「この結晶…結局何なんだ?」
「なんだろうな?たぶん氷というのが近い気がするが。」
「氷?」
何かの比喩だろうか?これは触っても冷たくはないし、放置しても溶ける様子はない。自分の知る飲み物に入れるような氷ではないと言えるだろう。異世界の氷か、それとももっと見るべき本質があるのか?
「その結晶は俺で言う炎――つまり異能によって生み出されたものだろう。俺はその結晶を作れる奴を一人知っている。
もしかしてそいつが俺みたいにゼムリアにやってきたのかと思ってしばらく探し回ったが、結局何の手掛かりも見つからなかった。実際に会わない限りは何とも言えないだろう。」
「あんたの炎といい、この結晶と言い、そっちはそういう異能を使える存在がゴロゴロいたのか?」
世界が違うとはいえさすがに規格外が過ぎないだろうか。まるで≪七の至宝≫そのものに挑んでいるような心地に陥ってしまう。
「さぁな。まだ思い出せない。俺は生まれつき異能を使えたし、少なくともそいつもそうだった。だが他は知らん。
―――ともかく、俺の世界でその異能が使えるやつはたった一人だ。だが、俺はそいつを見ていないからそいつが俺の世界からきた存在とも言い切れない。」
確かにそうだ。ゼムリアでもマクバーンの世界でもなくまた別の世界で似たような能力を持つ存在がいたとしても不思議なことはない。もう何だってありなのだろう。
“鬼”の力があった頃は自分がどうなっても異能や超常的な力をどうにかして見せると思っていたが今はもうそんなことを思えない。
真正面から対抗するのはもう難しいだろう。どうにかこうにか戦う前に勝敗を決するようにしなくてはならない。
目の前に腰かけているような超常的危機はそんなこちらの都合を気にしてはくれないのだから。
「だが想像が当たっている可能性も否定できない。とにかく確定させる必要がある。
俺の知るそいつは俺と違って何かを傷つけることができない。異能の力もそう言ったことに使えないようにできているからな。
だが頭が良い。おそらく存在が蛇の連中にバレたらこれから起こる事態に良くない形で巻き込まれていくだろう。教会もその意味で信用できたもんじゃねぇな。」
「ちょっと待った。その“できている”っていうのはどういうことだ?」
「そういうものだってことだ。お前たちが1+1=2を疑わないのと同じで、それはどうでもいいんだよ。
頭を教え子のうちの一人がよぎった。彼女も生まれ方が普通の人間とは少々異なるために生まれた時からこうだった、という何かがある。それに近いということだろうか?
「要するに、この結晶を作り出した存在が俺の想像した奴と一緒なら、俺はそいつの存在を蛇や教会から隠す必要がある。
だから俺はそれの持ち主について調べたい。だがこの2か月間、何の情報も得られなかった。」
なんとなく、事情が読めてきた。
「俺は個人として依頼するぜ。それをお前に渡した存在に関する情報をくれ。」
そう言いながらマクバーンは一枚の小さくて薄い紙をちらつかせる。
その目はいつかのように狂暴ではなくて、過去を懐かしんでいながらもどこか困惑していた。
彼は家も故郷もないと言っていた。彼が帰る場所はもう失われてしまったのだろう。
同情しているわけじゃない。けれど、故郷の知り合いがいるかもしれないと知って黙っていられない気持ちは共感できるものだった。自分だって内戦の時には何よりも散り散りになった仲間の情報を求めたものだ。
警戒していた市井への被害も皆無だった。マクバーンが民間人に危害を及ぼさないか警戒してもらっていたが精々たまに赤いコートの奇抜な男が目撃されたくらいだった。
その男は何でも周囲に困った人がいればちょっとだけ助けたりもしていたらしい。
「ああも監視をつけていたんだからわかるとは思うが、俺は今回の件で騒ぎを起こすつもりはない。本来こっちの人間どもは関係のないことだからな。」
「わかっているさ。あんたはそういう筋を大事にするやつだっていうのは。警戒が過度だったのは謝る。だが俺はもうあんたと正面切って立ち合えるわけじゃないんだ。」
「よく言うぜ。」
≪劫炎≫には散々煮え湯を飲まされたものだが、個人を特定できないような情報であれば話してもいいだろう。
とはいえ本当にその人が民間人である可能性もあるわけだから、彼が納得するまでどうにか自分が面倒を見てやるのが一番安全と言えるか。
「……俺は、本当にある人がこれを落としたから、拾っただけなんだ。浮世離れした人だった。危機管理がなっていないというか、頭に危険っていう概念がない、みたいな。」
「……。」
「その人の行き先には心当たりがあるが、もうすでにその場所を出発してしまっているかもしれない。それに、あんたを一人で向かわせることも俺の立場からは許容できない。」
「ってことは、何か準備があるってか?」
期待に目を輝かせる男にはもう何を言っても引かないだろう。
ため息を一つついて俺はARCUSを取り出してとある連絡先にコールをかけた。
***
「そういえば、マクバーンとその人は家族かなにかか?」
「……≪観の目≫ってのも大したことねぇな」
「なんだと?くっ……当ててやる!」
「やめとけ。そもそも人生経験が少なすぎるんだよ、ひよっこが。」
***
「まったく、なんで俺までこんな茶番に付き合わされてるんだか。」
「そう言うなって。手間賃なら持ってきてやっただろうが。」
目の前の男は≪スタインローゼ≫の瓶を揺らした。男がこの世界にやってきてすぐのころに買ったもので男の話が本当ならば100万ミラ級のヴィンテージだ。
興味がないなんて言えるわけがない。今はまだ忙しくてゆっくりとした時間を取れていないが、帝国の情勢が落ち着いたらこれを仲間と飲むべく算段をつけ始めているくらいだ。
「手間賃はありがたいが、それはそれだ。通信が来たときはここまで大ごとになるとは思ってなかったんだよ。」
「それは俺のセリフだっつーの。シュバルツァーとクロウが組んだ時点で嫌な予感はしていたがまさかあの色呆け皇子まで首を突っ込んでくるとはな。」
あの夜、帝都にいたら急にリィンから通信が入ってきた。
面倒ごとの気配がしたが心底困っている様子であったので話だけ聞いて他に取り次いで退散しようとしたのだが、箱を開いてみれば帝国のどの勢力も触りたくない暗黒物質が出てきてしまった。
身喰らう蛇、執行者No.Ⅰ≪劫炎≫マクバーン。
リィンの話では変な気を起こす様子はないとのことだったが男には前科があり過ぎて信用したくてもできない。
しかし共和国の機嫌のことを考えると正規軍に任せるわけにもいかないし遊撃士協会に投げようにも≪蛇≫と対立していることを考えると頭が痛い。
騎士団や蛇が介入できないように動きたいとは無理を言ってくれるものだ。
そして黄昏以降、そういったどこの組織も触りにくいことを捌くのが俺の仕事であったので、本当に不本意ではあったが、このクロウ・アームブラストはこの男の監視を引き受けている。
俺やトワは休日を返上でこいつを監視することになったし、リィンなんて昨日の放課後からミッションを開始している。
帝国中で人手が足りないというのにこれだけの労力を割かせるのだから、この際スタインローゼ以外にも取り立ててやろうか。
「お前、ここまでしてどうするんだよ?」
「あ?」
「わざわざ何度も姿を見せたりして、騒ぎになっても気にしねぇで、お前にとってもリスクの大きいことのはずだ。確かめるって言ってたが、確かめた後はどうするんだ?」
たぶん大丈夫、なんてリィンは言っていたが、どうにも不安だ。
天災のような被害をもたらさなくなったとはいえ、その気になれば念じるだけで焦土を作り出せるこの男はこれからどうするのだろう。
オープンな情報として全体に共有されているわけではないが、結構な人数がこの男の最近の動向を認識してしまっている。執行者として≪蛇≫に戻るとしても、足を洗うにしても、何かと不便が付きまとうようになるだろう。
どこまでも気まぐれな男は外見も名前も知らないたった一人の人間に会うためにその自由を完全に捨てようとしているのだから、自分には理解の及ばないことだった。
(最初っから理解できるなんて思っちゃいねーが)
「そんなことか」
「なんだと……?」
「お前たちが理解できるとは思ってないが、そんなことは重要じゃあない。お前たちが騒ごうが蛇がどうしようが、俺の知ったことじゃない。大事なのはもっと別のところにある。」
「……」
「クロウ、お前は視点を変えるべきだな。この際シュバルツァーみたく日和っちまった方がいいんじゃねえか?」
「誰もがあんな風になれるわけじゃないのはアンタだって知っているだろう。」
「ま、それもそうか。」
黄昏の時に耳に挟んだ断片的な情報から、人智を超越した計画が進行しているのは気づいていた。
別の世界、可能性、実験、そして外の理。
情報のピースは集まりつつあるがまだ決定的な結論を下せる段階には至らない。
これで騎士団からも情報が搾り取れればもう少しわかりやすい構図になるんだろうが、考えれば考えるほど周りの勢力全てが真っ黒に見えてくる。
『信じられるものを信じて、やれることを一つ一つやっていこう』なんて姿勢を貫けるリィンのメンタリティが羨ましく見えるくらいだから、少し疲れているのかもしれない。
「……あいつは自分に打ち克って、ある意味覚悟を決めたんだろう。俺は腹はくくっちゃいるが所詮はただの流れものだ。あの域に至るまでにはまだもう少しかかるんだろうさ。」
「お前ならそうこう言っているうちに軽く成し遂げてしまいそうにも見えるが……
―――他愛無い世間話はここまでにしておくか。」
小要塞の最奥に至るための扉の前に、見知った気配が一つ。知らない気配が一つあった。
リィンが帰ってきたのだ。連れは足音からして女。捜索対象だった女だろう。
居場所が居場所だったために遊撃士協会に旅行者の保護という形で依頼して確保することになった。担当の遊撃士はあの広大なノルド高原を三日間走り回る羽目になったと聞いている。その旅行者を迎えに行くために何時間も列車に乗ったリィン(もう灰の騎神はいないし、カレイジャスも各地への慰問で飛び回っている)も含めて、本当にお疲れさまと言うしかない。
ここまでの騒ぎの種として自分たちを振り回してくれたのはさてどんな存在かと気になるが、ふと先ほどまでやけに饒舌だった男の様子が気になって横目で盗み見た。
男の顔は凪いでいた。
いっそ悲しみまで感じてしまうほどの表情で、俺はこの男がそんな顔をしているのを見たことがないからひどく驚いた。
この男は変なところで筋を通そうとする傾向があるが、基本的に自分の好きなように生きているのだ。どんな時だって、こんな『不満を呑み込むような表情』はしていなかった。
マクバーンの様子が気になり、盗み見ていたのを本格的な観察に変えようとしたところで、扉が開いた。
そこには女が立っていた。
ヴェールをかぶった黒髪の女だ。質素な黒のワンピースを纏い、華美なアクセサリーもつけていないその姿は、この男の関係者としては些か地味すぎるほどだった。正直結社の連中とまではいかなくとも奇抜な格好をした人間が現れると思っていたのだ。しかし彼女は町中にいる娘たちよりも洒落っ気にかけている気がする。口には出さないが。
ゆっくりとその女が部屋の中央――マクバーンの前まで近づいてくるにつれてその顔立ちがつまびらかになっていく。髪の色は黒、瞳は形容しがたい不思議な色をしている。肌の色は白く、紅を刺していないくちびるは薄く小さい。
何というか、帝国人と比べると穏やかというか、円やかというか、凹凸の少ない顔立ちをしている。その顔立ちの違いからかもしれないが、俺には女が一体どれくらいの年頃であるかわからなかった。(俺はかつてヴィータの若作りでさえ見抜いてやったというのに、だ。)
歩みは緩やかで、部屋に流れる時間が引き延ばされているかのようだった。やけにじれったいのに、リィンも、マクバーンも、口を開こうとしなかった。
やがて女は男の真向かいで歩みを止め、じっと男の顔を見上げた。
男は眼鏡をはずし、女を観察するように見下ろしている。
無音の空間の中でただ男と女が見つめ合っていて、だんだんと居た堪れなくなってくる。リィンに目を向けると目の下に少しばかり隈を作った彼も困ったように眉を下げていた。
この異様な雰囲気に水を差すのが恐ろしいのはリィンも一緒のようだ。特にこの男は水を差されることを嫌うからだろう。
どこまでも静かで、眉一つ動かさずに長時間見つめ合っているくせに、どことなく俺はマクバーンの緊張が高まっているのを感じた。この男に緊張なんて言葉が似合わないのは百も承知なのだが、その空気はどこか覚えのあるものだった。まるで沙汰を待っている罪人のような。あきらめと後悔と郷愁の入り乱れた虚無を抱えているような空気。
そんな空気の中、女はただ挨拶も何もしない不躾な男に微笑みかけた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません、陛下。」