原初の火   作:sabisuke

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32 毒麦

 

 

 

 

 やられた。

 この自分が、もう辛酸をなめるまいと決意を新たにした自分が、また一人の人間に一本取られてしまった。

 

 あの饗宴は大成功を収めた。それは文句のつけようもないくらいで、長老たちが苦虫を噛んだ顔をしているのを見て思わずほくそえんでしまったものだ。

 しかし、その後に彼女がまさか雀士たちを取り込んでいるとは思わなかった。

 

 あの麻雀での敗北者たちは自分の配下とする予定だった。中々に有能な人間たちだったのだ。老いぼれの八つ当たりで死んでいいようなものたちではなかった。制裁を受けて路地裏で転がっているところを拾い、恩を売って全員自分のもとに引き込んでしまおうと思っていたのだ。

 

 だがこちらが働きかけるよりもこの女性が彼らを救い上げる方が早かった。彼女の善性を甘く見ていたのだ。

 

 「ニクスさん、重ね重ねにはなりますが、本当にありがとうございました。

 こちらはお礼です。少ないですが、ニクスさんのお力になれば幸いです。」

 「いいえ、私のしたことなんてただのゲームですから…。」

 

 目の前で微笑んでいる善の魔性はそのゲーム一つでどれだけの男たちが泣きを見たのか気付いているのだろうか?

 一晩で3つの派閥が瓦解してしまったのだ。あの対局で入り込んだどうしようもない日々にはすぐに手を入れさせた。あとはあの3人を回収すれば共和国への足がかりが完成するはずだった。

 

 たかが3人。されど3人。

 集まれば文殊の知恵も引き出せる。

 ぼろぼろの派閥に埋もれていた原石だったが、私が自ら手塩にかけて育ててやろうと思っていたのに、逃した魚は大きいとはこのことか。

 

 あの夜に関しては傍目には万事成功を収めたと言っていいだけの出来だったため、余計にその一点だけが残念でならない。

 完璧に一歩届かない不完全ほど私の神経を逆なでするものもないだろう。

 

 悪鬼羅刹にすら喧嘩を売るような筋金入りの極道が、今では一人の女性に飼いならされているなど、笑止千万というもの。

 彼らは自分から彼女の力になりたいと願い出て、治療が終わり次第彼女が設立したノーザンブリアの支援団体に合流する予定らしい。

 

 これが、これがこの女性のやり口か。

 落ちぶれた人間を誘惑して光ある道に引っ張り上げるしか能のない女性と思っていたが中々油断ならない。本来、救いようのない悪人を正道に引きずり込んでしまうなんて愚かなこと。

 どうせなくなりもしない悪を自覚して自分は真っ当な道を歩むべきではないと道半ばあきらめてしまうのが関の山だ。

 

 だというのに、だというのに!

 彼らの心に信仰が芽生えてしまった!

 たった一人の女性を神聖視し、敬い慕う一心でそんな道を歩める強い存在になってしまった!

 

 

 「……はぁ。」

 「どうしました?」

 

 まぁ、いいか。

 時には妥協も重要だ。覇者には立ち直りの速さも求められるもの。

 いつまでもくよくよ失敗を嘆いていてもしょうがない。

 その暇があれば次への一歩を固めることに注力しよう。

 

 

 「いえ、本当にニクスさんが私に雇われてくれないのが残念でならないのです。」

 「……それは、本当に申し訳ありません。ありがたいお言葉であるとは、わかっているのです。」

 「いいんです。あなたには使命がある。またこうして、友人として会っていただければ私はそれで満足ですよ。」

 

 そう言うと、彼女は薄布の向こうで少し幼く笑った。

 彼女は幸いなことにまだ幼い。『友情』とか『義』とか、そういった言葉に弱いのだ。それならそれを最大限活用するというのが私のやり方だろう。

 

 私は私の、彼女は彼女の。

 それぞれのやり方で一番利益を引き出せるように、都合のいい時だけ彼女を使えばそれでいい。

 

 この世はただのゲームだ。

 私も、彼女も結局は駒に過ぎない。

 ならばそれを出来うる限り愉しむ。それが人生。それが生き様。

 

 「ありがとうございます。友と呼んでいただけるなんて光栄です。」

 「あなたがあなたである限り、私が私である限り、きっと誰にもこの友情を裂くことはできません。どうかこの異郷の地で友誼を結んだ証として私のことはどうぞツァオ、と。」

 「ええ、ツァオ。私の友。私のこともどうぞニクスと呼んでください。」

 

 私に打算があっても、謀略を企てていても、この女性は私と友になれて嬉しいのだという。変わった女性だ。きっといつか、彼女はろくでもない死に方をするだろう。

 たくさんの人を悲しませて、たくさんの人を喜ばせて、死ぬだろう。

 きっと後には混乱と破滅だけが残る。

 

 人々はまるで旅人が空の星を見失ったかのように、長い夜をさまようことになるに違いない。

 

 

 「―――私、あなたのような人を知っています。」

 「ほう?もしかして初恋の相手ですか?」

 

 彼女は戯れるようにそう言った。

 声音で故郷の男と知れた。彼女の心に深く何かを刻んだ人間のようだ。

 

 「いいえ。故郷で最も賢く、義に厚く、心配性な男でした。彼のしなやかな肢体は強い力をもたらしませんでしたが、彼はいかなる勇猛な兵の槍の一撃にも屈せず、反骨心が豊かで、よく笑う人でした。

 彼はよく仲間を支え、戦術と戦略を以て時代を制したのです。」

 「……私、その方と似ていますか?」

 「いいえ、ちっとも。けれどあなたのような人だったのです。

 私たちの仲間は、決して彼を楽しませることができませんでした。彼の心は底の抜けたコップのようで、いくら慈しんでも飢えを訴えるのです。ただ闘争と勝利を求めいかなる敗北にも死にませんでした。」

 

 心当たりがある。

 血は自分にとっての水で、悲鳴は子守唄のように聞こえた。母の優しい愛を私はうまく受け止めることができなかった。生まれた時から、歪だったのだ。

 

 「その方は言いました。『人は争いに負けるのではない。心に負けるのだ。』

 ―――私が知る限り、誰より強靭な人でした。あの夜、あなたが笑ったでしょう。それを見た時、少し彼を思い出したのです。」

 「そんなに立派な方と重ねていただけるとは、名誉なことです。」

 

 彼女が神の御使いであるならば、これは預言であろうか。

 

 「あなたは闘いに生きる人。あなたがいつか、長い闘いの果てに栄光と誉れある勝利をつかむことを願っています。」

 

 彼女が言ったのは意外な言葉だった。

 

 「いいんですか?私が勝てば、誰かが負けてしまいますよ?」

 「友の歓びを願わない者はいません。それに誰かが負けることは私にとって幸いです。誰かが負けた時、誰かが傷ついた時、私はその人に手を差し伸べる許しを得ているのですから。」

 

 人間は、闘争を避けられない。

 種類や規模が違えども力を振るわねば生きていけない。

 誰かが勝って、誰かが負ける。そんな競争は生れ落ちた時から始まっている。どんなに不平等でも、どんなに弱くても、私たちは戦わなくてはならない。

 

 「世の中の敗者すべてを助けるつもりですか?きっと疲れますよ?」

 「可能かどうかはわかりません。けれど私は私の手が届く限りの人を助け、これを救います。そのために生きると決めたのです。」

 

 何が最も強靭な男か。

 この者の心は、きっと如何に鋭い矛でも壊せないだろう。

 

 「……それでは、私がもしも戦いに負けてしまったら、その時はお世話になりましょうかね。」

 「ええ、私はあなたを助けましょう。友とはそういうものなのでしょうから。」

 

 呆れた。

 ろくでもない死に方なんてものじゃない。

 もっともっと苦しい爪痕を、きっとこの女性は人の心に残す。死ぬわけがないと誰かに思わせて、そして無残に死んで、誰かをそれ以降ずっと苦しめるのだ。

 

 

 「ツァオ?あの、疲れているのではないですか?」

 「いえ、この程度どうということはありません。

 

 しかしニクス、あなたは本当に災いのようだ。」

 

 こんなもの、生きた災害でしかないだろう。

 きっと誰も彼女の前で正気ではいられない。

 

 

 「ふふふ、それ、彼にも言われました。」

 

 

 私は肩をすくめた。人間誰しも考えることは同じということか。

 本当に、敵対心を持つのが馬鹿らしい。この女性は敗北を知らないのだから、いくら痛めつけたところでこちらの手が痛いだけだ。

 

 「それでは、私の友によきご縁のありますように。」

 「我が友に女神の加護のあらんことを。」

 

 女性は、そうして去っていった。

 次に彼女がいつ来るかわからないが、できればもう来てほしくない。記憶から彼女のことを消したいくらいだ。彼女のことを覚えている限り、私は彼女を忘れられないだろう。どんな人間よりも慈悲深い怪物が、いつか自分を救いに来てしまう可能性を捨てきれない。

 

 

 (そんなのごめんです)

 

 悪の道は、自分に合っている。

 どうしようもなく愉しいのだ。彼女に更生させられてはたまったものじゃない。

 

 はぁ、これではいかなる戦いにも負けられない。

 本当に厄介な女性だ。

 

 「ラウ。」

 「はっ」

 

 自分の右腕を呼びつけた。

 彼女への腹いせをするためだ。

 

 「これを彼女に送ってください。彼女ならきっと喜んでくれるでしょう。」

 「かしこまりました。」

 

 あの女性は、どんな手段でどれだけ痛めつけても痛そうな顔をしない。まるで痛覚がないかのようだ。ならば、彼女ではない誰かで憂さを晴らすしかない。

 

 (ニクス、私は悪人です。それと友になることが、それを救おうとすることがどれだけ愚かであるか。一度だけ教えて差し上げます。)

 

 初回サービスで授業料は免除して差し上げますから、せいぜい困ればいいのです。怪物が人間の皮を被ってしまったことを悔い改めてみなさい。

 

 

 笑顔が漏れる。

 これから起こることを考えると悦の感情が抑えきれないのだ。口の端が歪んで吊り上がっていってしまう。

 

 

 慈愛に満ちた彼女のような微笑み?

 ああ、あれ疲れるんですよね。肩が凝るのでやめました。

 やっぱり歪な方が、私には合っているようです。

 

 

 

***

 

 

 

 『で、釈明はそれだけですか?』

 「えっと、リィン様。どうして私怒られているんでしょう?」

 

 

 ニクスです。

 私、なぜか今通信をしています。

 特務支援課の液晶に映っているリィン様のお顔はとても怖いです。

 

 『主観で物を言わないでください!ガイウスから全部聞いています!』

 「ええ!?ウォーゼル卿が?」

 『トマスさんもトマスさんですしガイウスもガイウスですがあなたもあなたです!俺が事情を聴いた時どうしようかと思いましたよ!』

 「えっと……申し訳ありません。」

 

 とりあえず、リィン様はお怒りのようですので謝っておきましょう。

 

 『何が悪いかもわかってないくせに口先で謝らないでくれますか!?』

 

 ううん。

 これは、本気だ。本当にリィン様は怒っていらっしゃる。

 彼は私の考えを説明するように求めているようだった。

 

 「リィン様。私はリーヴスを出て以来当然のことをしてきたつもりです。騎士団の方や、ウォーゼル卿に支援していただいて、そのお礼として労働をしていました。あとは困っている人がいたら助けるようにしましたし、わからないなりに最善を尽くしてきたつもりです。

 ……私は間違っていたでしょうか?」

 

 リィン様は額に手を当ててため息をついている。どうやら彼は少し混乱しているようだった。

 

 『あのですね、ニクスさん。確かに人助けはいいことです。騎士団の一件は…俺たちにはどうしようもないことです。言ってもなんともならなかったかもしれません。

 でも、あなたには根本的に人間の感覚が備わっていないんです。』

 「人間の、感覚……」

 

 

 『人は殴られると痛いですし、誰かに害されると悲しいんです。誰だって、そういった不当な行為に抗議する権利があります。

 騎士団の拘束も、九龍であなたが受けた暴力も、スリにあったことも、騙されそうになったことも、ツァオ支社長の謀略に巻き込まれたことも。

 全部全部抗議するべき不当な行為に当たるんですよ!

 というか本当にあなた理不尽な目にあってばっかりじゃないですか!』

 

 「けれど私、辛くないんです。殴られても痛くないですし…」

 『そんなのは関係ないんです。友人がそんな目にあってるって聞いて俺たちが平気でいられると思っているんですか?』

 「皆さまがとてもやさしいことは私も知っています。私の友人でいてくれることもありがたいことだと思います。でも私、人を助けたいのです。」

 

 困っている人がいれば全員助けたい。

 傷ついている人がいればその人の善悪など関係なく癒したい。

 

 そう思うことは、悪いことなのだろうか。

 

 『だったらせめて自分の身は守ってください。武器を携行するなり、不意打ちで反撃するなりして自分の安全だけは確保してください。それでしたら俺たちも少しは安心できますから。』

 「それは……」

 

 

 それは、できない。

 私は人を害することができない。

 人に暴力を振るうことができない。人に血を流させることができない。

 

 そういう()()なのだ。

 

 

 『ともかく、ユウナの春休みが終わるまでにどうにかしてください。ニクスさんにどうにもならないようでしたらまずユウナとアルティナに今回のことを報告します。それでリーヴスに連れてきてもらいますから、護身術をもう一度学びましょう。』

 「二人に言わなかったのですか?」

 『さすがに情報量が多すぎます。難しい問題でもありますから混乱させてしまうでしょうし。』

 「ご心配おかけしてしまってすみません…。」

 

 リィン様は優しさからこう言ってくださっている。

 私のことを心配してくださる。お忙しい中通信に時間を取っていただいた。二人に報告することも一旦保留にして下さった。こうして私に選択肢を与えて下さっている。

 

 全て、彼の優しさであることはわかっているのに、私は彼の思うような答えをきっと出せない。

 人を助けたいと思って行動に移してしまうし、人を傷つけることもできない。

 

 「少し、考えてみます。」

 

 考えても考えても、きっと私はその答えを出せない。

 結局、人を傷つけることなく人を助ける。誰かが傷つかないと人を助けられないのならば自分が傷つく。そういう結論に至ってしまう。

 

 私は頑固だ。どれだけたくさんの人と関わっても、どれだけたくさんの人に心配をかけてもそのようにしか生きられない。

 

 『相談には乗りますのであまり思いつめないでください。ニクスさんがしていることは危険な目にあっていることを除けば称賛されるべき行為なんですから。

 ただ、あとちょっとご自分を慈しんでほしいというだけなんです。』

 「……ほんとうに、ありがとうございます。」

 

 リィン様はそうして通信を切断した。支援課のオフィスの一階、広いダイニングに私だけがぽつんと立っている。

 

 リィン様をどう説得しよう。

 そのようにしか生きられないことを何と言えばわかっていただけるだろう。

 

 「あ、終わりましたか。」

 「ティオ様……」

 「リィンさん、すごく怒ってましたね。でもそれってみんなが思ってることです。ロイドさんもランディさんも、エリィさんや私も、結構心配しました。」

 

 私は、人の心がわからない外道なのかもしれない。

 何度同じことを繰り返しても自分の在り方を変えられない。そうして私を思ってくださる人の心を蔑ろにしてしまう。

 

 「申し訳ありません……。」

 「元気で、健康でいてくれればそれでいいんです。ほら、クロスベルでも物資の支援とかならできるんでしょう?危険なところから離れても人を助けることはできるはずです。」

 

 

 そんなことはできない。

 私はもう見てしまった。

 あの終末に向かう世界で、ノーザンブリアで。貧困の惨めさに蹲り、尊厳を災厄によって踏みにじられ、救いと助けを求めている民の姿を見てしまった。

 私はもう目をそらせない。飛んでいきたい。助けたい。癒したい。彼らの傍に寄り添いたい。彼らはそれを何より求めているだろうから。

 

 私がついている、そういったときの彼らの安心した表情を私は忘れない。私のような存在でも、ただのシステムでも、人を助けられる。人にあんな幸せな安らぎを与えられる。

 

 私はもう知ってしまったから、もう戻れない。

 

 

 「……ありがとう、ティオ様。少し頭を冷やしてきます。」

 「えっ、あ、あのっ…!」

 

 

 みっともない。

 見苦しい。

 ぐちゃぐちゃになった思考を整理できず、ろくな挨拶もしないまま走り出してしまった。

 

 ビルから飛び出して、ただ走った。

 体力がないからすぐに息が切れるけれども、それでも走った。

 走って走って、頭が思考で一杯になっていく。

 

 (……こんな状態では、戻れない。)

 

 ジェイは賢い子どもだからきっとわかってしまう。私の迷いを見抜いてしまう。頭を冷やして、落ち着いてから帰らないと。

 私は東通りから逃げるように反対方向へと走った。西通り、住宅街、大聖堂の前まで来た。

 

 私はもう一度誰かの前にこの迷いと悩みを詳らかにするべきなのかもしれない。けれど、今の私は誰かにまともに何かを説明できるような状態ではない。

 

 こういう時は、水の流れる音を聞きながら時間が経過するのを待つしかない。

 時間は、悲しみも混乱も安らげてくれる。あったものや思ったことをゼロにはしてくれないけど、その重たさを軽くはしてくれる。

 

 (滝の音…)

 

 マインツ山道という道には大きな滝があるようで、渓流特有の早い水の流れが体に響く。水の飛沫と冷えた風の匂い。走って火照った体を冷やすように湿った空気が私の体を包んでいく。

 まるで心から何かが流れ出ていくかのように自分の胸も冷えていく。体が震えて、自分の愚かさが身に染みた。やがて迷い悩む気持ちに私の無力さも悔しさも混じって爪の色まで曇らせた。

 

 これがヒトになることの、苦しみ。

 私が選んだ道。辛くも痛くも悲しくもないけれど、ただ困難であると思う。難しくて、私は逃げ出してしまいたい。

 

 人になるためには、人と支え合わなければならない。

 人と支え合うためにはまず自分を守らねばならない。

 

 知っている。わかっている。けれどできない。

 誰も傷つけたくない。そんな勇気がない。何も悩み苦しむことなく、私はみんなと笑いあいたい。

 

 これがわがまま、というものなのだろうか。

 それとも傲慢?

 

 わからない。わからない。

 私はどうすれば私の思うように生きられる?

 私のなりたい人になれる?

 

 

 「生きることって、難しいですね」

 

 

 声が、聞こえた。

 一人だと思っていたのに。誰にも会わないで済むような場所まで歩いてきたと思ったのに。

 慌てて振り向いた。山道のつり橋の上に一人の女性が立っている。美しい人だ。

 

 「こ、こんにちは。」

 「ごきげんよう。あなたが思い悩んでいるのを見てつい声をかけてしまったんです。初対面ですけれど、私では力になれませんか?」

 

 優しい女性だ。こんなどうしようもない悩みを抱えている見知らぬ人間にもそう言ってくださるなんて、喜ばしい。そんな優しい人が笑いかけて下さるというそれだけのことでなんだか心がふわりと軽くなったような気がした。

 

 「ありがとうございます。あなたのお気持ちだけで、心が楽になったような気分です。」

 「あら、でしたら悩みを口に出せばもっと楽になるかもしれません。」

 

 それもその通りだ。

 先ほどは大聖堂を通り過ぎてしまったけれど、悩みを口に出して言語化できるくらいには落ち着いてきた。女性が自分から話しかけて下さったおかげだろう。

 

 「ええ、では少し長くなってしまうかもしれませんが…」

 

 私はその美しい女性に自分の悩みを打ち明けることにした。

 

 自分のことを心配してくださる人がいるけれど、私はすこし危険な場所に行って困窮する人を助けたいと思っていること。

 周囲を説得したいけれど、心配はかけたくないこと。

 自分がどのように成長するべきか悩んでいること。

 誰かを特別好きになりたいのにその気持ちがわからないこと。

 

 誰かを助けたいけれど暴力が怖いこと。

 

 全部を話した。その女性はとても聞くのが上手で、その若さでは考えられないくらいに賢かった。その方は両者に時間が必要だと言い、お互いが頭を冷やす必要があると助言をくださった。

 

 そしてその間に新しい支援の形を考えるのはどうか、と。

 構想はよいのだから必ず助けて下さる誰かが現れるはずだ、と。

 一人では矛盾してしまって無理のあることも、二人、三人ならできるかもしれないと教えて下さった。

 

 

 それはまさに青天の霹靂というべき提案だった。

 確かに、ウォーゼル卿と行動を共にしていた時は何回も彼に助けていただいた。危ない目にあいそうなときはフォローしてくださったし、ジェイとの関係を取り持ってくださったのもウォーゼル卿だ。

 

 誰かの力を借りる。誰かと協力する。それはとてもいい案だ。

 

 我らの王も、決して一人で戦いに勝ったわけではない。

 彼には仲間がいた。友がいた。兵を統べる将がいて、策を練る軍師がいて、そして政治を助ける私がいた。

 人の力とは、支え合うことで生まれる力なのだ。

 

 私は教えを授けて下さった女性に心からお礼を言った。

 

 「ああ、ありがとうございます!あなたは私が気付けずにいたことを気付かせてくださいました!これで私の友人もきっと納得してくださると思います。」

 「あなたの憂いが晴れたのなら私も一緒に考えた甲斐がありました。」

 「あの、どうかお名前を教えていただけませんか?お礼をさせていただきたいのです。今は私何も持っていませんけれど市内に帰ったら何かあなたにお礼の品を…」

 

 是非とも何かお礼がしたい。キリカ様のように物語を捧げてもいいが、あまり本を読まない方かもしれない。何がいいだろう?工芸品か、化粧品か…

 そう考えをめぐらす私の提案を彼女はあっさりと切って捨てた。

 

 「あら、その必要はありません。」

 「それは困ります。どうかお礼をさせてください!」

 「……でしたら、この場でできるもので構いません。」

 

 成程、彼女はどうやらクロスベルに住んでいる人ではなかったらしい。それならば確かにここから市内まで戻るのも大変だろう。

 

 「私にできることでしたら何でもおっしゃってくださいな。」

 

 本当に今は何も持っていない。手ぶらだ。けれどこういう場合は彼女が満足することが一番大事なのだろう。

 白い手を取って少し背の高い彼女の目を見上げると、彼女は本当に美しく微笑んだ。魅力的な女性の美しさだったことは、覚えている。

 

 

 

 「では、お言葉に甘えさせていただきますわ。」

 

 

 

 だが、なぜか私はそれ以降のことをあまり覚えていないのだ。

 滝の音と、鳶の鳴き声と、頬に触れた彼女の手。

 

 私が覚えているものと言えば、その程度のものである。

 





???「今なんでもって言った?」

転んでもただでは起きないツァオさん。
嫌がらせが不発になったので別の策でがんばる。

ニクスが嫌いとかではなく、ただの意地。

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