「お待たせしてしまい申し訳ございません、陛下。」
音のない小要塞の最奥で、ニクスさんはおもむろに微笑んだかと思うとそう語りかけて頭を下げた。きっちり45℃のお辞儀。よどみのない敬語。つま先まで行き渡る独特の気。
それらはすべてニクスさんを優美に見せた。
普通ではないが、奇抜ではない女性だ。どの町にいてもおかしくないし、何なら日曜学校に一人はあんな感じの子どもがいたかもしれないと思うような、ありふれた人だ。
武器を取ったことがなくて、身を守るすべはないけれどそれでも精いっぱいに人生を楽しんでいる。
そういった印象をニクスさんに抱いていた俺は一連の彼女の動作を見て、列車の中での話に合点がいった心地だった。
***
「シュバルツァー様、本当にすみませんでした。」
「いえ、ニクスさんを危険に巻き込んでしまったのはこちらの手落ちですから。しかし本当に何かに巻き込まれたようでなくてよかった。」
深夜の貨物便でノルドに直行し、駅でトヴァルさんと合流した俺は折り返しの貨物便に飛び乗り、ルーレへと向かった。
その列車の中で、彼女はまず自分への謝罪を口にしたのである。
出自や立場がどうあれ、たった一人の人間とコンタクトを取るために犯罪組織でも屈指の実力を持つエージェントが動き回るなどいろんな意味で悪夢でしかない。
これでマクバーンを納得させられればこの旅路も決してつらくはない。
そう思ったのだが、どうやら彼女は長時間自分を拘束したことに対して謝りたいわけではないようだった。
「いえ、それもあるのですが少し事情が違って。
白状すると、私はわざとシュバルツァー様にわざとその結晶を所持していただくように芝居を打ったので……その、すこしだましてしまったということになります。」
「そうでしたか……そのことは自分にも少し非があることでしたから、構いません。それにしてもどうして自分にこの結晶を?」
マクバーンが彼女を「頭が良い」と評したときにうすうすそのことには気付いていた。
むしろ自分はそういった策略に嵌められてもおかしくない立場にあったのだから、気を抜いた自分にも非はある。だから気にするようなことではない。
それよりも話題に出たついでに返してしまおうと思い内ポケットから結晶を取り出すとトヴァルさんの視線が不思議な結晶にくぎ付けになる。結晶は朝焼けの光を吸い込んで神秘的な光を放っていた。
彼女の手にそれを持たせるとニクスさんはその結晶を掌の中に収めてぽつりぽつりと話し始めた。
結論から言うと、帰りの鉄路は体感としては非常に短いものだった。
ニクスさんの話が長く、複雑で、興味を引かれずにはいられなかったものだからである。
***
私は、この20年ほど人を探していました。
私にとって大切な友であり、上司であり、世界で一番尊敬している人です。
50年前、私は大きなけがをしました。昏睡状態に陥り、30年たってようやく私は意識を取り戻しました。
しかし、意識を取り戻した場所は私の故郷ではありませんでした。私の面倒を見てくれた方に故郷のことを聞いても知らないと言われるばかりで、私はどうすればよいかわからずに途方に暮れていました。
一時期は無気力に時間を浪費することもあったのですが、いつまでも呆けたままではいられませんでした。
最初は今よりももっと力ないというか、ほとんど這うようにでしたが、私は故郷に住んでいた人を探す旅に出ることにしました。
筆を執っていくつか文章を書いて日銭に変えながら、周りの方のご厚意とあたたかいお気遣いに支えられ、私は帝国までやってくることができました。
私が帝国に入国したのはほんの1か月前で、のーざんぶりあという都市に最初は滞在していました。
そのあといくつかの都市を回って、私はけるでぃっくにやってきました。
そこで、シュバルツァー様とお会いしたのです。
驚きました。シュバルツァー様は、私が探している人の持ち物を持っていたからです。
それはこの世に二つとないほど貴重なもののはずで、彼以外に持っていることはありえないはずのものです。
それをシュバルツァー様が持っているということは、私の捜し人がシュバルツァー様であったか、彼がそれをシュバルツァー様にお渡ししたか。
その二つの可能性しか考えられませんでした。
いずれにせよ、シュバルツァー様は私の捜し人のことを何かご存じのはずと思いこの結晶をお渡ししたのです。
これが結晶をシュバルツァー様に無理にでもお渡しした経緯です。
ご理解いただけましたでしょうか?
「……その、いくつか質問をよろしいでしょうか。」
「ええ、もちろんです。」
何というか、あたりを引いてしまったかもしれない。
顔が苦くなるような心地がした。
「ではまず一つ目なのですが、自分はそんな貴重なものを所持しているという覚えがないのですが、探している方の貴重品を俺が持っているのは間違いがないですか?」
「ええ。間違いありません。覚えがない、とのことですけれどシュバルツァー様は数か月ほど前にそれをお使いになったようなのですが、いかがでしょう。」
この世に2つと存在しないもので俺が数か月前に使用したもの。
そしてその存在だけでその贈り主を特定できるもの。
答えは言うまでもなく一つだ。
―――神なる焔。これは≪黒≫との戦いの時に使ったというか、使い果たしてしまったのだが。
「……成程。思い当たるところがありました。」
「何よりです。それを使ったことに関しては謝らないでください。あの人の持ち物ですし、あの人も使ってもらうために贈ったのでしょうから。」
「お気遣い、痛み入ります。」
「俺からも質問をいいかい?」
「どうぞ。」
「リィンが本当にその捜し人ってやつのことを知っていたとして、それとこの結晶を持つことがどうしてつながるんだ?」
それは俺も思っていたところだ。特別な結晶であるというのはわかったのだが、結局この石の持つ機能は導力の伝導率がいい以外にはわからなかった。
「その結晶は水分子の結合を整えて作ったものです。わかりやすく言うと超高圧の環境で圧縮した氷、といったところでしょうか。湖一つくらいの量の水を圧縮することでできています。
特に何かの機能があるわけでもないですが、おそらくはこれもこの世に二つとない貴重なものになるはずです。
これを私が持っているということは私が探している彼しか知りえないことですから、次にシュバルツァー様と彼が出会えばこれをシュバルツァー様が持っていることを不審に思い、何らかのアクションが起こるはずだと推測しました。
―――そして実際、そのようになったのです。
本当に申し訳ありません。たかが人探しに付き合わせてしまって。」
大切な人をお探しのようですし、幸い手掛かりがあったのですから気になさらないでください。
そういうべきなのだろう。申し訳なさそうにしている女性を紳士として安心させるべきなのだろう。
しかし自分もトヴァルさんも、この結晶の性質に唖然としてしまって、二の句が継げなかった。
「そ、その結晶が、湖一個分……?」
「?ええ、はい。とはいっても焚火にくべたくらいでは溶けませんから、この列車が水没するなんてことはありません。どうかご安心なさってください。
この結晶が融解するほどの熱があれば、水没するよりも前に帝国が焦土になってしまいます。」
信じられない。質量保存の法則はどうなっているんだ。ニクスさんも、俺も、普通に持ち運びができていた。
というか氷が導力の伝導体ってことは最近特にホットな超伝導体の素材の研究なんてこれで完結してしまうんじゃないのか。
情報量が多い。多すぎる。
まず間違いなく、目の前のニクスさんは異世界からの来訪者だ。
マクバーンはニクスさんを探していて、ニクスさんはマクバーンを探している。これで間違いないだろう。
戦闘能力はないらしいがそうとわかると警戒してしまうのもしょうがない。
そしてもう一つ聞くべきこととは別に、とても、とても興味が引かれ―――気になることがあった。
「あと、もう一つ質問なんですが。
ニクスさんはどうしてけがをしたんですか?」
50年前。マクバーンもその時期にゼムリアにやってきたといっていた。どう考えてもニクスさんのケガとマクバーンの失踪は関係があるはずだ。
「……すこし、長くなってしまうのですが……」
***
私は、故郷で人々の生活を支えるお仕事をしていました。
時に災いがあり、時に争いのある場所でした。
私は特に治水を担当しており、洪水が起こらないように水路を開き、干ばつが起こらないように井戸を掘る。そして人々に水と恵みをもたらす仕事でした。
機会平等の実現によって民衆に最大幸福を保証できるように私と彼は努めていました。
しかしある日、避けようのない災禍が故郷を襲いました。
人々は瞬く間に混乱に陥り、社会は秩序を失いました。
人々は他者を傷つけることに快楽を覚え、私と彼ではすべての争いを解決できなくなってしまうほどでした。
やがてその災禍は故郷の大地と空気を蝕み、私たちが愛した故郷の姿は変わり果てていきました。
私がケガをしたのは春の日の事でした。
せめてできることがあればと思い故郷の各地で混乱を収拾する活動をしていた私はその頃、共同で活動していた仲間とは離れて、主流水系の水質を改善するために山と湖を回っていました。
飲み水としてだけでなく、生活用水、そして作物を育てるために水は不可欠であるからです。その日も私は海にそそぐ川の水を清めていたのですが、そこで私はとある暴動に巻き込まれてしまいました。
そこで意識を失って、次に気付いた時には私は見知らぬ土地にいて、加えて数十年もの時間が経過していた、というのが大まかな経緯です。
「さっきから気になっていたんだが……お嬢さん、アンタ一体何歳なんだい?」
「と、トヴァルさん!?」
「シュバルツァー様、私は気にしていませんよ。そもそも、故郷には年齢を数える文化がなかったので正確な年齢はわからないのです。」
「へーそんなもんなのか……ただ聞く限り50年前の災害の時点でインフラや行政に関わる重要な仕事をしていたってことは……」
「トヴァルさん!!」
周りに人がいないとはいえ、女性に対してそういったことを言うのはさすがに感心しない。思わず注意するとニクスさんとトヴァルさんは楽し気に笑っていた。
こういった冗談めいた質問もさらりと答えてくれるあたり精神の熟達した大人なのだということを感じる。
「自分も少し踏み込んだことを聞いてもいいでしょうか?」
ニクスさんは少し首を傾けて微笑み、質問をただ待っている。
勇気を出して先ほどから気になっていることを言葉にした。
「その、不快にさせてしまったら申し訳ないのですが、ニクスさんとニクスさんが探している方との関係が気になるというか……」
「お、そいつは俺も気になるな。随分信頼しているみたいだし、幼馴染ってところかい?」
マクバーンはヴァリマールから『異界の王』と呼ばれていた。
それがどういった意味であるかは分からないが、本当に王族であるとするならばマクバーンは貴人ということになる。
そしておそらくマクバーンと縁があり、マクバーンのことを慕う彼女も。
邪推かもしれないが、深い関係にないといわれた方が驚いてしまう。
ニクスさんの話を聴いている限り彼とは単なる仕事仲間である以上に、家族か、恋人か、そういう関係性があっても不思議ではないように感じられた。
マクバーンが既婚者の可能性もあるということは別の意味で衝撃である。
規格外すぎるあの魔人をここまで慕う存在がいるとは、世の中分からないものだ。
「『彼』と私、ですか……対外的に見ればやはり上司と部下、のようなものだったと思います。私は本来彼の職務をサポートする役目がありましたから。ただ、仕事上での関係以上に私は彼の人となりや行いを尊敬していましたし、心からついていきたいと思っていましたよ。
どうやらもっと別のことについてお尋ねのようですけれども……おそらくその予測は外れていると思います。生後間もなくからの縁であることは確かですけれど私も彼もそう言ったことを意識したことはありませんでしたから。」
「でもすげぇ男だったんだろ?ひょんなことでくらっと来たりくらいはあったんじゃないのか?」
にこにことやけに楽しそうなトヴァルさんはまるで水を得た魚、といったところだろうか。
マクバーンのことをからかえる立場になることができたら面白そうだ、なんていう思惑がバレバレだ。
「これ以上ないほどに素敵な人だと思っていますけれど、くらっと来たことはないですねぇ。そういった感覚が私には『備わっていない』だけなのかもしれませんけれど。」
備わっていない。それはどういうことだろうか。
マクバーンも彼女に関して『そのようにできている』ということを言っていた覚えがある。
全く、話を聴けば聞くほどわからないことが増えていってきりがない。
「私は、」
ニクスさんは車窓をぼんやりと眺めている。流れていく景色を目で追うこともせずに、ただ遠くの山を見て感慨にふけっているようだった。
「私は、本当にちっぽけで、どれだけあがいても何も守ることができませんでした。
故郷にいたすべての命が失われていって、ただ混沌としていく狭い世界は直視できないほどに辛いものでした。
声に出せないような非道な行いによっていくつもの無垢な魂は傷つけられ、人々は未来への希望を失っていきました。
それは私も同じで、私がどことも知れぬ地で目覚めた時、私は消えてしまいたくてたまらなかった。
傷跡ばかりで汚くなってしまった体や名誉を損なった状態で、大切な仲間も失っているのにわざわざ生きていこうだなんて思えませんでした。
けれども、たった一人で蹲っていた私に手を差し伸べて下さる方がいました。私がその方の顔を見上げるために視線をあげると、その方の背中から差し込む光が目に入りました。
本当は怖くてたまらなかった。また殴られるのではないか、嬲られるのではないかとも思っていました。
けれどその方の声は穏やかで、不思議と心に染み入っていくようでした。その時に私たちを照らした太陽の光と、その方の手の温かさから私はかつての仲間のことを思い出しました。
私は、せめて彼の名残を見つけられたら、とそう思っていただけなんです。」
「それがまわりまわって、私はたくさんの人と巡り合えました。命を持つものは慈しみと優しさを持っているのだともう一度知ることができました。
――これも、『彼』の導きなのかもしれませんね。」
そう言って瞼を閉じ、何事かを考える彼女は満足そうだった。
俺とトヴァルさんは彼女に何と声をかけるべきかわからず、たた視線を交わし合っただけだった。
(なんというか、マイペースな人だな)
(ええ、本当に……)
まるでこちらの反応など気にしないで話が進んでいくという展開は覚えのあるものだ。
やはりこの人はあの男の関係者だろう。きっとこの口をはさめない状態のまま話が進んでいくノリは向こうの世界特有のものなのだ。
そうに違いない。
***
彼女はマクバーンに対して謝罪をしたきり、ずっと最敬礼の姿勢を維持していた。
本当にあのマイペースで危機管理という概念のなさそうな女性が貴人であるのだろうかと半信半疑だったのだが、彼女が見せる気風と雰囲気には人を惹きつけるカリスマのようなものがあるように感じられる。
ニクスさんの表情を確認するまでもなく、彼女の声は罪悪感を帯びていた。
下げられた頭を覆うヴェールが不安定に揺れていて、きっと震えているのだろう。
この反応はつまるところ、彼女とマクバーンの深い縁をこれ以上なく示していた。
彼女は確信したのだ。マクバーンが自分の捜していた存在であることを。
そして彼女はマクバーンが推測していた通りマクバーンと同郷の異世界人、ということになる。
当のマクバーンはと言えば、妙に凪いだ表情で彼女の様子を隅から隅まで確かめた後におもむろに口を開いたのだ。
「
彼がそう言って、彼女の震えは止まった。
ずっと下がっていた頭がゆっくりと上がっていく。ようやく上を向いた彼女の表情は戸惑っていた。
「、ニクス、と 申します」
たどたどしく彼女がそう答えると、マクバーンは握手のために右手を差し出した。
まるで初対面の人間にする挨拶でも交わしているかのようだった。
これまでの様子と両者の話から、二人が知己であるというのは覆しようのない事実だったはずだ。だというのに、なぜ初対面の振りをする必要があるのだろう。
ニクスさんも目を見開いて、差し出されたマクバーンの右手と本人の顔をかわるがわる見つめている。
マクバーンはそうして視線以外を動かそうとしない彼女の右手を取り、無理やり握手の体をとった。
「突然呼び出してすまん。ただ、会いたかっただけだ。」
それだけの言葉に、いったい何の意味があるというのか。
何の説明にもなっていない心のこもっていない謝罪を聞いたニクスさんは、しかし表情をくしゃりと歪めながらも微笑んだ。
万感の思いのこもる吐息。肩を震わせて涙を耐えながらも、気丈に立っていた。
「……っはい。わたしも、
彼女はマクバーンの右手に自分の左手を重ね、まるで愛おしいものをなでるように包み込みながら涙をこぼして、そして満面の笑みを見せたのだった。
(二人の世界、か……)
(リィンお前ああいうの得意だろ。ちょっと割って入って来いよ)
(無理だ)
(だよなぁ)
本当に、異世界人というのは意味が分からない。
肯定も否定もしない男、マクバーン。原作でも小説でも言葉足りなさ過ぎてマジで何言ってるかわからん。
ごーいんぐまいうぇい、ニクス。頼むからコミュニケーションをとってくれ。勝手に世界に浸らないでくれ。
どうして作者が描写するキャラクターは皆コミュ障になってしまうのか。
作者のコミュ障が悪いのか。