原初の火   作:sabisuke

40 / 42
第三夜 戦場

 

 

 

 

 「――――――――――」

 

 

 

 

 ある日、あの男は桃の木の下で言った。

 その言葉を私は今でも覚えている。

 

 男の言葉に、私はこう返した。

 

 「本当に、できると思っているんですか?」

 

 「やってみねぇとわからんだろうが。」

 

 「はへー、すっげぇなぁ。俺そんなこと考えたこともねぇべ。」

 

 「お前はもう少し賢く生きたらどうです。算術もできないだなんて、郷里で困らなかったのですか?」

 

 「んなこと言ってもよ、俺が困ってたら皆助けてくれるって!そんで俺も誰かが困ってたら助ける!そーいうもんじゃねーの?」

 

 「ま、世間ってのはそういうもんだな。オメーの言うとおりだ。」

 

 「はぁ……まったくこれだから顔のいい男は……」

 

 

 まったく。

 全く持って馬鹿な男たちだった。

 

 大きすぎる野望。理屈で言えば叶うはずのない大望。

 男はそんな理想を馬鹿正直に信じていたのだ。

 

 そしてこの男なら、それを叶えられるかもしれないと思ってしまった私は、この時国一番の愚か者だった。

 

 

 「オメーらこれからどうすんだ。行く当てあんのか?」

 

 「ねーんだなこれが!郷里に帰ってみたけど石投げられちったわ~」

 

 「……奇遇ですね。私も、特に行く当てがないんですよ。」

 

 

 嘘だった。

 

 このとき私は国の最高学府に入学する試験に受かっていた。親兄弟は私が学者の道を歩む権利を得たことをまるで自分の事のように喜んだ。

 

 

 が、しかし。

 私にとってこのまま大学に入学するなんて展開はつまらないものでしかなかった。まるで子供がマッチに火をつけて遊ぶように。虫の巣に熱湯を流し込むように。

 ただその方が楽しそうだからという理由で、私は男たちについていくことにした。

 

 

 「どうしようもねぇ奴等だ。つっても俺も行く当てなんざないが……とにかく金もないし、義勇兵にでもなって食い扶持稼ぐとすっか!」

 

 「応!槍働きなら任せろってんだ!」

 

 「はぁ、しょうがないですね……」

 

 

 私よりも年上の旅人と、私よりも年下の元軍人。そして本の虫だった私。

 誰が見たところで共通点の見いだせないような、そんな三人だった。桃の木の下で偶然出会って、木陰で涼んでいる間に若者らしく世間話をしていれば、なぜか友人になっていた。

 

 今思っても、何の脈絡もない出会いだった。

 

 私たちは、三人ともが自分以外の二人の光に惹かれていた。

 だから理由なんてなんだってよかった。

 私たちはこの二人が自分に足りないものを与えてくれるのではないかと勝手に期待して、たったそれだけの理由で友人になった。

 自分の求めているものが何かもわからないのに。

 それを二人が持っているかもわからないのに。

 

 

 

 「おい!大丈夫か!?」

 

 「げほ、がっ、あ……すいません、う、動けな、くて…」

 

 「ちっとは気張れや!」

 

 初めての戦場は、散々だった。

 団結も何もない即席の軍団。ただ簡素な具足と錆びた武器を与えられ、矢の飛び交う草原に放り出された私は、ただ怯えていた。

 

 足を何度ももつれさせて敵の投石を避けることすらまともにできない私を、二人は何度も助けてくれた。

 そう私ばかりに構っていれば、自分たちの安全すら危ういものになるだろうに。彼らは私を先導しながら、ちらちらと後ろを気遣ってくれていた。

 

 途切れる呼吸を整えることも叶わず、私はただ新しい友人たちを追いかけるので精一杯だった。私はこの初陣で剣を鞘から抜かなかったほどだ。

 

 

 ああ、忘れない。

 忘れないとも。

 私はすべての戦場を覚えている。

 命を懸けて戦う兵士たちのまばゆい光をすべて、覚えている、

 

 

 充満する血の匂い。

 反射で込みあがってくる胃液。

 砂の混じった風。

 耳を劈く雄叫び。

 死体。

 前を行く背中。

 

 男が槍を振り上げる。

 飛沫が上がる。

 どれだけ多くの血を浴びても、その男の槍の冴えは鈍らない。

 

 顔にかかる赤の水滴。

 叫び声。

 

 足音。

 

 風の滞る戦場で、ただ男たちは命を叫んでいる。

 蝋燭のように魂を燃やして、血を油にして、荒ぶる熱を鈍い色の刃に乗せて。

 

 今、ここに生きているのだと。誰もが叫んでいた。

 

 私はこの日、命がこんなにも輝くことを知った。

 

 ああ、男が剣を振り上げる。肉の抵抗も、摩擦も切り捨てるように一閃。

 ただ障害を排除ためだけの無駄が削ぎ落された動き。

 

 屍が転がって、自分の息すらも埋もれていきそうなこの砂嵐の中で、二人は誰よりまばゆい。立ちはだかる敵すべてを切り捨てて、自分こそがこの戦場を生き抜いてやると。そう体で、剣で、槍で、語っているかのようだ。

 

 なんて強い。

 なんて儚い。

 

 

 どこかで誰かが吼えた。

 けれどその残響は、友が振るう剣の唸りにかき消されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 「……戦場では、すみません。役立たずで。」

 

 「はっはっは!おめーさんが戦い慣れしてないってのは皆わかってんよ!むしろその見た目で強かったらこえーって!」

 

 「あなたね……いやその通りなんですが…」

 

 「ま、気にすんなってことだ。生き残ってなんぼだからな、そこの男前を盾にしてるくらいでちょうどいいんだよ。」

 

 「まーかせとけって!」

 

 

 野営地。

 昼間の喧騒が嘘のようだった。

 音と言えば火にくべた薪が燃える音と、疲れ果てた義勇兵が語り合う声くらいなもので、昼間のあの叫び声を思えば皆死人のように静かだ。

 

 けれど野営地に墓場の不気味さと冷たさはなく、むしろ暖かい空気に包まれていた。

 

 今日を生き残ることができた。郷里でもない場所で死なずに済んだ。兵士たちはそれを喜び合い、星の光の下でゆっくりと語らう。

 私の二人の友も、そう。

 

 ぎらぎらとした眩しさは鳴りを潜め、まるで別人のように静かな目で酒瓶の口を濡らす友。赤みを帯びた顔。少しフラフラとした動き。へにゃりと情けない笑顔を浮かべて、幼児よりも稚い。

 

 「飲まねーの?」

 

 「下戸ですから。」

 

 「ふーん……」

 

 真ん丸の月を眺めながら、男たちは今日を振り返り、明日を想起している。ただ指示されるまま動く駒の兵隊が、焚火を囲んで愛した女たちの話で盛り上がっている。

 

 

 「考えこんじまって、どうした?」

 

 「―――生きているなぁと、そう思っていたんですよ。」

 

 「そりゃぁそうよ!学者先生ってば変なこという~

 生きてなかったら俺ら何なの、って!あ、もしかしてテツガクってやつ?」

 

 「……子守歌代わりに本当の哲学について教えてあげましょうか?」

 

 「げぇっ勘弁して~俺そういうの苦手なんよ。星物語くらいしか無理」

 

 「ガキか?」

 

 

 

 生きている。

 今までどこにいても、どんな本を読んでも得られなかった生の実感。

 音を聞いて、光を見出して。私は今、人生で最も『生きている』。

 

 

 「星物語と言えば、最近の学説ですけど…月にはウサギがいるそうですよ。」

 

 「えっマジで!?」

 

 「蟹もいるらしいですよ。」

 

 「じゃあ月って海あんのか!」

 

 「いやさすがにないだろ……」

 

 

 男たちの顔を照らす炎がゆらゆらと揺れる。

 そのあたたかな光を吸い込むように、私たちは力を蓄えていく。

 

 星の光と、月の明かりと、火花の輝き。

 それらをいとおしんで、明日も生きて夜を迎えるのだと誓う。

 

 (―――私は、闘いが好きなのかもしれない)

 

 戦場なんて恐ろしいと思っていた。兵士なんて冗談じゃないと思っていた。

 だが悪くない。むしろ好ましい。

 

 命を削るような戦いとその狭間においてのみ得られる充足を、私は生まれて初めて知ったのだった。

 

 のめりこんでいく。

 どこまでも。深く、深く、巻き取られるように。沈み込むように。

 

 (―――もっと)

 

 もっと、この充足を得たい。

 もっと、『生きていたい』。

 

 もっと、この二人と、     。

 

 

 

 

 

 

 

 「閣下、報告いたします。拠点の設営に関しては各集落で許可をいただきました。物資の搬入に関しても滞りなく。現在交渉役を派遣して敵の補給線を寸断すべく工作を進めております。」

 

 「いや、ご苦労。報告書も確かに受理した。

 本当に君が入隊してくれて助かったよ。些か血の気の多い男ばかりでね、こういったことにまで手が回らなかったんだ。」

 

 「ははは、現場の兵士あってこその私です。こうして事を進められているのも彼らのおかげです。」

 

 「いやはや、謙虚だねぇ…。

 しかし君、兵舎住まいのままでいいのかい?狙えば首都勤務も夢じゃないだろう。」

 

 「自分にはあの環境が合っているものですから……」

 

 「そうかい?辛くなったらすぐに言うんだよ。ああ、それと私の友人が君と会いたがっているんだ。今度紹介させてくれ。」

 

 「承知いたしました。それでは自分は失礼します。」

 

 

 広いくせに締め切っているせいで煙たい部屋からそそくさと退出する。

 いやに古臭い扉を閉めて、安い建材を踏みしめる。いつ来てもここはかび臭い。

 

 廊下をまっすぐに進んで曲がり角を右折すると、待ち構えていたかのように大きな二つの体が現れる。

 泥水を吸い込んだ衣服をまとう大男二人。彼らは体の薄い自分の前に立ちはだかった。

 

 傍から見れば、カツアゲか何かに思われるかもしれない。

 

 

 「よぉ、どうだった。」

 

 「相変わらずゴミみたいですよ。中央に来ないか、と。」

 

 手短に報告をすれば私の横を歩く二人は大声で笑った。

 私もおかしくてたまらない。話していて笑わなかった私を誉めてほしいくらいだ。

 

 「さすがお偉方は目が節穴ってやつよ!スリルジャンキーに後方勤務なんて務まるわけがねーわな!」

 

 「ええ、本当に。まだまだあなた方の勇姿を目に納めないと…死んでも死に切れませんよねぇ……」

 

 「いやー俺やっぱり学者先生のことわからんわ。何で頭よくって弱っちいくせにそんな勇気あんの?」

 

 「俺らとつるんでるくらいだ、この男も阿呆なんだろうよ。」

 

 「聞き捨てなりませんねぇ」

 

 

 私たちは決して戦場から離れようとしなかった。

 全員が部下を持つようになっても、私に参謀本部への誘いがかかっても、三人で馬鹿みたいに戦場を駆け回った。

 

 目が回るほど眩しくて、汚くて、悪臭の漂う地獄のような昼。

 星と月と火の支配する中で静かに酒をすする極楽のような夜。

 何度も死の寸前に立って、何度も生の実感を得る。そんな波乱に満ちた生活がたまらなく愛おしかった。

 

 それは私が本当にそういった刺激を求めていたからなのか、それとも二人の盟友と一緒だったからなのか、わからない。

 そんなことがどうでもよくなるくらいに、私たちは全力で今日を生きていた。

 

 

 「しかしもうすぐ宣戦布告だな。ようやくというべきかね。」

 

 「本当、もう軍属何年目?って感じ。いやーこれが終わったら田舎で麦育てるわ!」

 

 「俺も家買うか。給金溜まってるしなぁ……」

 

 だから二人がそんなことを言って、私の頭の中は真っ白になった。

 最強と言われた軍隊をどうやって切り崩そうか、会話の途中ですらも考えを止めていなかったのに、全ての回路が停止してしまった。

 

 「――――――」

 

 「…どうした?」

 「どったん?」

 

 

 「―――いえ、何でも。副官が心配になっただけです。」

 

 そう、絞り出すのが限界だった。

 

 「あー工作中?まぁだいじょーぶっしょ~」

 「お前が育てたんだから信じてやれよ。」

 

 そう言ってまた金の使い方に、時間の使い方に関する話に花を咲かせる二人。

 彼らは、彼らは私が必死になって今という時間軸でもがいている間に、未来を見ていた。

 

 今日を生きることで精一杯な私と違って、明日を見据えていた。

 

 

 その事実を認識して、私はようやく気付いた。

 

 私は今まで、二人の背中を追ってしか来なかったこと。

 友、そう呼ばれて舞い上がっていたが本当は並び立ってすらいなかったこと。

 対等だと思っていた関係が、自分の中で崩れていく気がした。

 

 二人が、どこか遠くに行ってしまいそうだった。

 

 私の知らない女を娶り、私の知らない場所で子どもを育てる二人。

 私の知らない仕事について、私の知らない誰かと時間を過ごす二人。

 

 あの日本当は行く場所のあった私と違い、本当にどこにも行く当てのなかった二人が、その時見失っていた目的地を見つけようとしている。

 未来を捨てた私を置いて行こうとしている。

 

 

 それを、どうして許せるだろう。

 今更一人になって、今更別れを告げられて、どうして耐えられるだろう。

 

 

 私たちは、ずっと『生きていられる』。

 誰も未来の保障されていない炎天下の戦場で、私たちだけは静かな夜にたどり着くためのチケットを持っている。

 

 その、はずだった。

 

 

 戦場が、必要だ。

 私たちは戦いの中で生きてきた。

 血の流れる荒野で友情を見出してきた。

 

 ならば私たちは、これからも戦場で生きるしかないだろう。

 

 「今回も無事に終わるといーなー。」

 

 終わるな。

 

 「たまにはぐうたら過ごしてみたいもんだ。」

 

 そんな日など来なくていい。

 

 

 乱世なんて、いつまでも続けばいい。

 私はもうそこでしか『生きられない』。

 

 

 

 

 見ているか。

 見ているか、異郷の剣士よ。

 

 私の心は毀れている。

 神に救えるはずもない、友にしか縛れぬ執念が、私を駆り立てる。

 

 私は悪魔と契約を交わしてでも、誰に恨まれても、この二人を失いたくはなかった。

 たったそれだけの理由で、幼子のような我儘で、私はいくつもの策を弄した。

 

 

 「はあ~~~、勝った勝った!大勝利!」

 

 「長かった、な。まぁこれでしばらくは落ち着くだろうよ。」

 

 「……本当に?本当に、終わったんでしょうか。」

 

 

 例えば生前に罪を犯した者が迷い込む地獄というものがあったとして、そこに行くことになっても構わないと思っていました。

 彼らが次に口を開いて、別れを告げられることの方がずっとずっとつらかった。

 

 

 「え、え、どういうこと?おっさんぶっ倒したじゃん。これで終わりっしょ?」

 

 「まだ、各地では混乱が収まっていません。いくつもの地域で戦乱の爪痕が残っているのです。これから重税や、不景気が民衆を襲うでしょう。けれども既存の政治体制でこれを立て直すことはできません。」

 

 「……言い出すってことは、何か策があるのか?」

 

 

 

 「改革です。腐敗した基盤を覆して、新しい国を作ればいい。

 ――――私たちになら、可能です。」

 

 

 戸惑っていた男たちの瞳に、決意が満ち溢れていく。

 彼らにも心当たりはあったのだ。汚職、収賄、予算の着服、犯罪者との密通。そう言ったことがありふれていた。

 地方の領主が自警団を立ち上げなければいけないほどに、資産家が武装集団を所有しなければならないほどに、この国の治安は悪かった。

 

 誰もが何らかの形で戦わなければ、生きていけなかった。

 

 

 男たちが視線を交わす。私はもとより、二人も、選ぶ答えなんて決まっていたようなものだった。

 

 正義感の強い彼らがそんな状況を看過できるはずがないのだ。わかっていた。

 

 「ああ、それもそうだな。まだまだ理想の国には程遠い。」

 「さっすが学者先生~。もうちっと一緒に頑張んべ!」

 

 引き返せない。

 もう悪魔の手は離せない。

 

 けれどそれでいい。

 泥沼でいい。

 終わることのない戦いだとしても彼らとともに過ごせるのなら、それだけでいい。

 

 

 

 滑稽だろう?

 愚かだろう?

 

 だがそういうものだ。人を惹きつける善性は、時に誰かを狂わせる。

 悪魔すら恐れぬ強さを、与えてしまう。

 

 ああ、これがよいことなのか、悪いことなのか。

 私にはもうわからない。激動の渦に溺れて息すらもできない私には、判断するほどの理性なんて一片たりとも存在しない。

 

 

 私の罪を裁くことができるものがいるとすれば。

 それは人の心を持たない怪物だろうよ。

 

 

 

 





  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。