原初の火   作:sabisuke

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更新遅れまして申し訳ない…


最終章
37 異邦人の説得


 

 

 「ーーーハァ、またかよ……」

 

 目の前の奇抜な男はうんざりとそう呟いた。明らかにやる気のなさそうな態度と不遜な物言いにいつもなら呆れかえるところだが、今回は無理もないかと思っていた。

 この男を呼び出したのは自分だが、我ながら申し訳ないという気持ちもあるのだ。

 

 「悪いが、俺たちでは手の打ちようがないんだ。」

 

 「アレは厄ネタだからほっとけっつったろうがよ……」

 

 「俺たちが放っておけるような性格じゃないってことはもう十分にわかってるだろう?」

 

 そう言うとマクバーンはサングラスの奥の瞳を伏せてため息を吐く。ゴキリと首をならして、俺に向き直った。

 おせっかいだとか、お人よしだとか、そういったことは何度も言われてきた。自分では当然のことだと思っているしそもそもそれが本当か嘘かなんてことは重要でなくて、大切なのは友人に無事でいてほしいと思うこと。そして自分に何ができるかを考えること。

 そう開き直ってしまえば、他の誰かが何と言うかなんていうことは案外気にならなくものだと最近気づくことができた。

 

 「ったく、すっかり可愛げもなくなっちまってよ。」

 

 マクバーンはつまらなさそうにそう言うが、俺もいい歳になってきたのでそろそろ子どもの様にからかって遊ぶのはよしてほしいと思う。それともそうやって軽口をたたくことこそが、彼にとっての激励なのだろうか?

 自分本位で周囲を振り回すようなことばかりしていたように思える男も、思い返してみれば色んなことのきっかけになっていたような気もしないでもないでもなくはない。良い奴とも言い切れないが、悪人とも言い切ることも出来ない。マクバーンは総合してみるとそんな男だった。

 

 「マクバーンってさ、結構わかりにくいよな。」

 

 「……説教か?」

 

 「別にそういうのじゃないんだ。ただほら、最終的には手伝ってくれるだろう?」

 

 彼のことを悪人とは言い切れない理由。本来は災害たる存在であるマクバーンからどこか優しさのようなものを感じてしまう理由は、きっとそういう所にあるんだと思う。恐ろしい力があるのに非情ではなくて、反社会的であるのに人道に寄り添おうとする。異質なのに、異物になり切らないところ。対立しているのに、分かり合えそうな余地を見出してしまいそうになるところ。

 それは一般に、人間味と呼ばれるであろうものだ。

 

 「ハン、勘違いしてんじゃねぇよ。ただのけじめだ。」

 

 やれやれと肩をすくめる男は、仕草だけ見ればどこかに居そうな青年のようだ。奇抜な見た目をしているが面倒見のいい不良と言われれば、確かに、そうも見える。

 今一度観察してみるとむしろこの男が王族であることの方が信じられないくらいだった。自分の知っている貴人というのは、もう少し雰囲気があるというか、こんなにオラついていない。

 

 「んだよ?」

 

 じっと向けられる視線はさすがに見とがめられてしまった。

 それにしてもただの興味本位で観察しているのに本気で怒らない辺り、この男も昔に比べ丸くなったというべきか。昔は問答無用、みたいな雰囲気があって、もっと棘がついていた気がする。

 

 「いや、何でもない。ニクスさんのことだけど、ガイウスと一緒に遺跡調査に行くとは聞いていたんだが一週間前から一切連絡が取れなくてな。さすがに心配になったんだ。」

 

 教会の案件に手を触れてしまったため大陸東部へはガイウスに同行してもらうというニクスさんの報告を受け、ガイウスが一緒なら大丈夫だろうと安心していたというのに、まさかガイウスごと行方不明になるとは思っていなかった。当たれる所は当たってみた。教会や騎士団だけでなく、少し無理をして現地での情報も取り寄せてみたのだが、やはり足取りはつかめない。ガイウスが騎士団に定期連絡をして、それきり二人の行方はわからなくなってしまっていた。

 

 「……遺跡調査、か。」

 

 「心当たりがあるのか?」

 

 「どこにあるかはわからんが、何があるかは想像がつく。」

 

 「え、どういうことだ?」

 

 「あいつを見つけてから特にだが、不自然には思っていた。もう何が起きてもおかしくない、ってところまで来ていたってわけだ。」

 

 やってられん、とぼやくマクバーンは勝手に自己完結してしまっている。一体なんだというんだ。頼むから俺にもわかるように状況を説明してくれ。

 

 「俺にもわかるように説明してくれないか?」

 

 内心の戸惑いをそのままマクバーンにぶつけると、彼はだらりと組んでいた足をほどいて靴の底で遊ぶように床を叩いた。顔の前で手を合わせたり、ぼーっと俺のいるあたりを眺めてみたりして、とにかく何か迷っているようなそぶりを見せる。

 

 「なにか思い当たるものはあるんだろ?」

 

 訳が分からず問いかけると、彼は一瞬目を伏せて、そしてようやく俺をまっすぐに見た。

 彼の目は、いつもとどこかが違った。以前とどのように違うのかをうまく言えはしないが今の彼の瞳はまるで炎のような揺らめく熱を秘めていた。

 

 「遺跡ってのはおそらく、ゼムリアの遺跡じゃねぇ。俺たちに縁のある場所だろうな。

 ―――ああ、あり得ないとはわかってた。()()()()()()()()()()()()とは薄々思っていたさ。だが、まさか本当にありやがるとは……」

「ま、待ってくれ!ゼムリアのものじゃないって、それって…」

 ≪外の理≫。ゼムリア以外から来たモノ。世界の法則から外れたもの。

 それは時に災厄であり、覆しようのない力の概念である。まるでゼムリアに属する存在では上回れない事が定められているような、異物。

 

 「遺跡自体は無害だろうが、結局は遺跡も入れ物に過ぎないだろう。何が入ってるかわからないビックリ箱ってとこだな。」

 「つまりニクスさんは遺跡の中に何があるのかを確かめに行ったってことか?」

 

 「あるいはもう既に中に何があるかを分かった上で向かったかもしれん。」

 「……一応聞くが、その中身について心当たりはないのか?」

 

 「さすがに俺にはわからん。だがアタリをつけることくらいは出来んだろ。」

 

 そう言ったマクバーンは頭を掻きむしった。説明が面倒なのだろう。

 

 「まず当たり前の前提だが、何かがどこかに移動するためには、その何かが存在する必要がある。ないものは動くこともできない。俺やニクスがやってきたのも、塩の杭が突然現れたのも、どこかにあったからだ。」

 

 幼体や不完全な状態ではなく完成形で何かが突然現れた、ということはそれがゼムリアで生まれたのではなく、別の場所で生まれたものが移動してやってきたことに等しい、と彼は語る。

 外の理は、恐らく超自然的な方法でゼムリアに突然やってきた。まるで異なる時空間を渡ったかのようにどう考えてもあり得ないプロセスで。理屈や常識を超越した説明しようもないことが、彼らには起こったのだ。

 

 「つまり、ゼムリアに移動してきたものは、移動する瞬間に元の場所に存在したものだ…って伝わってるか?」

 「な、何とか……」

 

 例えばマクバーンが故郷からゼムリアにやってきたケースで考えれば、マクバーンはその時故郷で生きていたので移動することができた。もしも死んでいたならば移動してきたところでこうして生きてはいない。

 元の場所に存在するからこそ、別の場所に移動することができる。ということだろう。

 

 「移動してる途中で物質が変化する可能性もある。俺みたいに移動した途端に何かと混じっちまう可能性もあるだろう。だが、そもそも移動という現象が起こるためにはそれが存在していないといけない。」

 「なんとなくはわかるが、それがどうして重要なんだ?」

 

 存在するものしか移動ができない。移動が起きたということは元の場所に存在したということ。それはわかる。だがそれがなぜゼムリアにやってきた異物を限定できる手掛かりになるのだろう。

 

 「そりゃあ、俺がいた場所がすでに存在しないからだ。」

 

 

 「え?」

 「正確に言うと、俺に移動現象が起こったときにもう殆どのものが存在していなかったというべきか…」

 

 

 マクバーンは異邦人とでもいうべき存在だ。ゼムリアで生まれ育ったのではなく、故郷からゼムリアに『移動』したときにゼムリアの人間と混ざってしまった。

 そしてマクバーンの故郷は彼の言葉からもう失われていると推測されている。今の発言も合わせると、彼は世界が崩壊しかけた時に移動現象に巻き込まれた、ということになる。

 

 「殆どのものって、具体的に言うと生き物とかか?」

 「動物、植物、無機物、建築物、果てには山だとか川だとかそういうものも形をなくしていたはずだ。最後の方には世界全体が荒れ果ててた、ような気がする。」

 

 そういえばこの男、記憶喪失だったか。珍しく具体的な発言をするので忘れていたが彼の記憶は完全ではないのだ。別の事なら思い出せるだろうか。

 

 「何でそんなことになったのかはわかるか?」

 「あー……確かそれに関して調べてたはずだ。各地で水が枯れ始めたんでアイツの観測が出来なくなって、あちこち見て回った……。」

 

 マクバーンは眉間に指をあてて思案していたが、そうしているうちに記憶の果てに至ったのか、あるところで諦めて姿勢を楽にした。

 

 「ワリー、思い出せねぇわ。ま、とにかく移動現象が起きた時、あの場所に存在していたものなんて限られてたってことだ。」

 「まぁ、思い出せないものはしょうがないか。だが限られてたってことならそこから予想できないのか。」

 

 

 「言える事といえば概念や存在として強固で、とんでもなく格が高いってくらいだろ。世界の破壊の引き金に匹敵する強度あるいは質量であり幾千年と続いた歴史と同等の神秘ないし奇跡とも考えられる。」

 

 「……つまり分かりやすく言うと?」

 

 男は大事な結論のフェーズでまたも解釈に困るような言葉を使った。ただ単語の羅列からして不穏だ。心臓の裏を撫でられるような不安感が湧いてくる。発言をかみ砕くように要求すると、男は実に簡潔な言葉で答えた。

 

 

 「頑張れば一つの世界を壊せるくらいヤバい存在ってことだ。」

 

 「……それ凄くまずい状況じゃないか?」

 

 それはすでにゼムリアに来てしまっている。いつ大陸に災いをもたらすかわからないような爆発寸前の火種だ。いくらこの世界の人々が対抗できない存在であるとしてもそんな場所にニクスさんが何の報告や相談もなく向かっただなんて、眩暈がしそうだった。

 

 「ヤバいことにはヤバいが、ヤバいだけで無害な物だってあるだろ。世界を壊せるってのはあくまで潜在能力の話だ。」

 

 それはそうかもしれないが、実際調査に向かったであろう二人とは連絡が取れていない。彼らはもしかしたら今まさに危険な状態にあるかもしれないし、その脅威が大陸全土に波及する可能性だって否定できないだろう。

 実態の分からないものがいつの間にか存在していた。それだけで人の恐怖を駆り立てるには十分だ。

 

 「……ぞっとしない話だ。どうにかできないのか?」

 

 ゼムリアの存在で対抗できないようなものだとすれば戦車や飛行艇を配置して警戒態勢を作っても意味があるかどうか。周辺の人に避難を呼びかけることしか出来ることがない。遺跡は人里離れた砂漠地帯にあると言うからまだ混乱も避けられるかもしれないが出来ることがあるならばやっておくに越したことはない。

 マクバーンは暫く考えたのちに答えを出した。

 

 

 

 「方法はある。が、手段はどこにもない。」

 「は?」

  何を言っているんだこの男は。あるならある、ないならない。その二つしか答えなはいだろうにあるのにないとは結局どちらだというのか。世界が明日にも甚大な被害を受けるかもしれないという話の流れでこちらは戦々恐々としているのに、余り頓智のようなことを言って戸惑わせるのはやめてほしい。そんな抗議の気持ちを込めた視線を向けるとマクバーンはさすがに説明の必要を感じたのか口端をもごつかせた。

 

 「あーほら、あれだ。なんつーの?その遺跡にヤバいもんがあったとして。それをどうにかするためには同じくらい強い道具を使わないといけないってのはわかるか?」

 「……強い魔獣には強い武器、ってことか?」

 「そうだ。奇蹟には奇跡。異能には魔法。同じくらい希少なものだからこそ対抗できる。世界に一つしかないようなものには、同じくらい貴重なものじゃねぇと話にならんってことだ。」

 

 また話が段々と複雑になってきた。遺跡の中にある未知の存在が考えられる限り最悪のものだったとするならば、それはゼムリアの世界に存在しないほど貴重なものでないといけない、ということなのだろうか?

 

 「それに対する兵器として一番強いのが俺たちの故郷で唯一無二だったものってことだ。ここまで言えばわかるだろ。」

 

 「……。」

 

 

 わからない。そもそも俺は彼の故郷についてろくに知らないのだからわかるはずもないのだが、無茶ぶりをするものだ。

 

 俺は目の前でふんぞり返る男を指さした。

 炎の異能を持つ魔人。異界の王と彼は呼ばれていた。王というくらいなのだからそれは唯一無二だろう。その立場にある者はいつだってその時代にたった一人だ。

 

 

 「ちげーよ。」

 

 「じゃあ何なんだ。」

 

 マクバーンでないとするならば。

 

 

 ……薄々は分かっていた。が、どこかで違っていてほしいとも思っていたのかもしれない。そんな気持ちから、俺はマクバーンに尋ねたのかもしれない。俺は俺が知っているその存在が、自分たちと同じようにありふれた人間であることを心のどこかで期待していたのだろう。

 

 「―――わかってるくせに聞くんじゃぁねえよ。

 言ってしまえば世界に二つとないほどに希少なものであればいい。誰にもできないことのできる何とも違う構造を持つものならばそれでいい。」

 

 希少性という条件さえ満たせばいい。他の条件は前提条件に含まれない。

 マクバーンに対抗する程の魔法を習得したエマが決して剣の達人ではないように。逆にどんな剣の達人でも至宝に対抗できないときがあるように。それは問題ではない。

 

 そういうものなのだ。

 

 「強くなくてもいい、ってことだな?」

 

 だから彼女は自分が遺跡に行く意義があると考えた。誰に相談する理由もなく、付き添いすら必要だとは思っていなかった。

 誰かを傷つけられないとか、護身術も使えないとか、そんなことはどうでもよかったのだ。彼女が元居た世界でもこの世界でも特異な存在であったということ。それこそが必要なことで、他はおまけでしかない。

 

 

 「そういうこった。何度も言うが、ほっとけ。アレが何とかできると踏んだんなら過程がどうであれ最終的には何とかなる。」

 

 

 マクバーンがそのように言うのは、彼女を信頼しているからなのだろう。彼女がどんな能力を持っているか。彼女がどんな存在であるか。それを知っていて、この世界の誰よりも信じているからなのだろう。

 確かにそうかもしれない。彼女はそういったことが可能なのかもしれない。たとえ彼女が最も良い結果を必ず持ってくるとしても。彼女を信じるマクバーンを信じるにしても。

 

 

 「なあ、マクバーン……」

 

 「んぁ?」

 

 「―――アンタ、ニクスのことが心配じゃないの!?」

 

 

 バタンと扉が立てる音と、少女の叫び声と、どちらが先だっただろう。明け放たれた扉。廊下につながる部屋の入口に、少女が二人立っていた。

 俺も彼も、気配からいることは分かっていた。だがいても問題ないだろうということで放っていた。マクバーンは二人が聞いたところでどうにもならないだろうと思っていたから。俺は二人が知るべきことだろうと思ったから。

 

 なぜなら二人は、彼女の友人であるのだから。

 

 「私はニクスの事凄く心配だった!これまで手紙が来てたのに突然来なくなって、通信もつながらないし、誰も行先を知らないなんてぞっとした!

 ニクスがどんなふうに生きてきたかとか、どうして時々いなくなるのかとか、知らないこともいっぱいあるけど、それでもあの子が優しいってことは知ってる!私たちと違うところがあったとしても友達だって心から思ってる!」

 

 ユウナは、ずかずかと部屋に踏み入り、呆然としている様子のマクバーンの胸ぐらをつかんだ。強い力でぐっと引き寄せ、ぐらぐらと揺さぶる。

 

 「アンタは?アンタはどうしてそんなに他人事だと思えるの?過程がどうあれって言うけど、大変な目にあうかもしれない。怪我をするかもしれない。今元気にしているのかすらもわからない!

 同じ故郷で同じ時間を過ごしたんでしょ?私たちの知らないニクスを知ってるんでしょ?過去の事は大事だと思ってるくせに!思い出したい記憶だって求めてるくせに!どうしてそこまで投げやりになれるのよ!」

 

 「……過去は過去だ。知るのが早かろうが遅かろうが今更変わらねぇ。なくなったものは戻ってこない。それに記憶も半分戻ってる。今更急ぐ必要だってない。」

 

 マクバーンの目は、冷めていた。

 先ほどまで火花すら散るような、そんな目をしていたというのに。ユウナを見た途端にまるで異なる動物でも見ているかのような目をした。

 けれどユウナはそんなことを気にはしない。まっすぐで、素直で、いつだって人の心に直接触れてしまうような、そういう所があった。

 

 「早くても遅くても変わらない?急ぐ必要がない?じゃあニクスが死んでしまっても後悔しないわけ?」

 

 「するかよ。俺がどんな世界に身を置いているのか忘れたのか?」

 

 「嘘よ!絶対するに決まってる!故郷がもうないって知ったときあんなに悲しそうにしたくせに、ニクスが死んで悲しまないはずがない!」

 

 「………」

 

 マクバーンは沈黙した。ゆっくりと口を閉じて、そして二、三回瞬きをした。

 少しだけユウナから目線をそらして何事かを考えるようにぐっと口を結んだあと、確かな決意を秘めた視線でユウナを貫いた。

 

 「何よ。言い返せるなら言い返してみなさいよ。」

 

 「悲しむことと、後悔することは違う。知っている存在が死ねば、それを悲しむこともあるかもしれねえ。だがあの時ああすればよかっただなんてことは”俺”は思わない。」

 

 「……意味わかんない。」

 

 「”俺”と縁のあった全てのことは、もう終わった。そもそも全部がなくなって、もう変えようのない過去になった。アルバムの写真みたいなもんだ。俺が過去を思い出せるなら、写真があろうとなかろうと問題じゃない。

 俺はこの世界で必ず全てを思い出してみせる。俺が見たもの、感じたもの、信じたこと。家族、友人、故郷の風景と音のすべてに至るまで。それは誰も知らない。俺の記憶の中にしかない。」

 

 わかるか?とニヒルに笑うマクバーンが問いかける。

 ユウナには答えようもない。わからないからだ。マクバーンの決意も、信念も、諦観も、自分のすべてを失った人間にしか共感できないことだった。

 

 沈黙が部屋を支配して、数秒。まるで五倍ほどに引き延ばされたかのような時間だった。マクバーンは荒々しい手つきでユウナの拘束を外すと、どこかへふらりと立ち去ろうとした。

 

 「―――ちょっと、どこ行くのよ!」

 

 「手伝いはしただろ。あとは勝手にしろ。」

 

 「どうせなら捜索まで手伝ってほしいものです。」

 

 「うるせぇな……」

 

 ぼやきながら部屋を出ていこうとする背中を見て、俺はふと最近見た夢のことを思い出した。現実離れした余りにも酔狂な夢。非日常の連続。自分の精神とかけ離れたなにか。嵐のようにやってきて、通り雨の様にいなくなったもの。

 

 異質な何かが教えてくれた言葉。

 

 「マクバーン!アンタ未来のことは考えないのか!?」

 

 ぴたりと、足が止まった。

 

 突然現れたその存在は過去に囚われて現在を見ようとしない誰かがいるのなら、未来に目を向けさせろと。そう教えてくれた。未来とは過去を見ているばかりでは描けない絵であり現在に立ち返らないと考えることすらできない概念。未来について考えれば、自ずと現在について考えるようになる、らしい。

 

 俺にはこの言葉の本質はまだ理解できない。連なった時間の流れの後ろを見るか前を見るか、そういう話なのだろうけれどもまだピンとこない。

 でもマクバーンは違うはずだ。彼の過去に存在した彼にとって大切な誰かの言葉なら、きっと心に届くはずだ。

 

 「……シュバルツァー。何が言いたい?」

 

 部屋を出ていこうとしていたマクバーンが振り返った。その顔を見れば、俺が誰からこの言葉を聞いたのかわかっているのだと知れた。

 

 「―――『今日を生きていなければ明日をつかむこともできず、昨日を語ることも許されない。』って、受け売りなんだが。マクバーンはこの言葉の意味わかるか?俺にはまだよくわかっていないんだ。」

 

 「教官わかってないんですか?」

 

 ユウナとアルティナが白い目で見つめてくる。けれどこの言葉の真意はきっとマクバーンやニクスさんにしかわからないことなのだろう。俺の夢の中に訪れた空想のような何かは、彼らの過去の一部だと名乗っていたから。

 

 「『空想の世界ではなく、美化された思い出でもなく。現在こそが未来を定める。今自分に何ができるのか、今の自分は何がしたいのか。ただその二つを現在と呼ぶ。』……そういう話か?」

 

 「あ、ああそうだ。そう言っていたと思う。」

 

 マクバーンは深くため息を吐いた。

 

 

 「……それこそ簡単な話だ。『たとえ何に反しても、やりたいことをやれ』。たったそれだけのことを、ひねくれた奴が言うとそうなる。」

 

 「まぁ、それは確かにって感じよね。」

 「というか当たり前の事では?誰だってやりたいことをしたいです。」

 「ははは…まぁいろいろ事情がある時もあるからな……」

 

 好き勝手に意見を述べる俺たちを、マクバーンはまるで遠いものを見るようにぼうっと見ていた。その眼差しは冷たくはなく、また炎のような熱を秘めたものでもなかった。

 懐かしむでもなく、強く求めるでもなく、そこにある事実を受け容れるような。そんな視線だった。

 

 そしていつものぶっきらぼうな口調で言った。

 

 「―――ああ、そうだな。そのありがたい教えに従って、この俺がお前たちが今したいことを手伝ってやるよ。」

 

 ありがたがれよ、と恩を売るように言う彼の口は緩い微笑みを形作っており、その笑顔はまるで彼がいつも背負っていたような何かがやっと降りたかのように柔らかかった。

 そうして彼はどこかに行った。不可思議な力で転移するのではなく、自分の足で、外へと出ていった。

 

 

 「…素直じゃないです。」

 

 「探しに行きたいって言えばいいのに。男ってこれだから…」

 

 「こらこら。今俺たちが出来ることと言えば彼に協力してもらうことくらいだ。しっかり連れてきてくれることを期待しよう。」

 

 これがリーヴスを離れられない俺たちが今打てる最善手。誰よりも異質で、俺たちに不可能なことを可能にできる存在。彼ならきっと困難にも対処できるだろう。というか彼でどうしようもならないなら多分俺たちにもどうにもできない。

 不安に思っていた心も、マクバーンほどの実力者が対処に当たっているとなると不思議と和らいでいった。

 

 「早くニクスと会いたいな~…」

 

 「ええ。会って話がしたいです。」

 

 二人の和やかな声。きっと彼女たちはまた一緒に食事をしたり、物語について感想を言いあったり、そんなとりとめのない日常を思い描いているのだろう。

 手紙に書ききれなかったことを、沢山共有したい。記憶からあふれかえりそうな日々の出来事を彼女にも知ってほしい。そんな当たり前のちいさな願い事が二人の頭を満たしていた。

 

 

 「二人とも、これからのことについて考えるのはやるべきことをやった後だ。昨日指示したとおりに手配してくれ。」

 

 『はい!』

 

 やるべきことはまだまだ多い。頭に描く将来への期待を現実に叶えるために。平穏を取り戻した先にある平和をつかみ取るために。

 俺たちは前に踏み出さなければならない。

 

 

 


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