原初の火   作:sabisuke

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<依頼人>ニクス

 この世界のことを教えて下さる方を探しています。
 報酬については応相談とさせていただきます。


5 一般常識に関する講義

 「本当にお世話になりました。」

 

 晴れやかな顔で感謝の言葉を紡ぐニクスさんは本当にうれしそうだ。ケルディックであった時はどこかぼんやりとしていたが、今は活力に満ちている。

 

 「お役に立てたなら何よりです。ニクスさんはこれからも旅をなさるんですか?」

 

 マクバーンのことはただ一目見れたらいいというニュアンスのことは言っていた。目的が達せられた彼女はこれからどうするのだろうか。正直なことを言うとマクバーンを結社から遠ざけ続けてくれると嬉しいのだが。

 

 「そのあたりのことはまだ決めていなくて…いろんな人と相談しながらこれからのことを考えようと思っています。自分に何ができるのかはわかりませんが、どんなにちっぽけでも誰かの役には立てると思っていますから、社会をよくするためのお手伝いなどができればいいと思っていますけれど……」

 「ニクスさんならきっと百人力ですよ。」

 「ありがとうございます。でも帝国のことについて私は何も知りませんので……正直なところ急に広大な海の中に放りだされてしまったかのような心地です。」

 

 つまり、彼女はマクバーンと違ってこちらに来てからまだ日も浅いから何も知らないのだろう。日曜学校に通っていたわけでもないし教えてくれる存在がいたわけでもないようだからそれが当然なのだが、彼女は魔獣や導力魔法についても知らないのだろうか?

 その仮説があっていれば初めてあった時の様子にも説明がつくのだが……

 魔獣=襲ってくるもの、身の安全を脅かすものという認識がないのかもしれない。さすがにそんな状態で社会に放り出すというのは一人の教師として気が引ける。

 

 「俺でよければ帝国の地理や社会、最近の国際情勢や経済状況などについてお教えしますよ。」

 「あら、そういえばシュバルツァー様は教鞭をとられているとのことでしたね。お手間をおかけして申し訳ないのですけれど、お願いしてもよろしいですか?」

 「お任せください。それと俺の方が年下なわけですしそのシュバルツァー様というのはよしてください。俺はそんなに偉くないので……」

 「個人はその出自や身分に関係なく、尊ばれるべき存在だと思っています。年齢に関係なくあなたが私に多くのことを教えて下さるように、私にとって他の方はみな師であるのです。どうか敬わせてください。」

 

 何というか、正論なのだが、どうにも面映ゆくて背筋がかゆくなるというか、ちょっと寒気がするような気も……

 

 寒気?

 

 まさかと思い振り返ると、『虚無』をその顔でもって体現したマクバーンが俺を見ていた。

 一体何が気に食わないというのだろう。

 

 「マクバーン様もご一緒にいかがですか?()()()()()()()()()でお茶を買いましたから飲み比べをしてみましょう?」

 「ハン……」

 

 マクバーンはニクスさんの提案を鼻で笑うと小要塞から出ていった。

 

 「あ、おい……勝手に外に出るんじゃねぇよ!」

 

 クロウがやれやれといった様子で追いかけていって、最奥には俺とニクスさんの二人になってしまった。

 

 「えっと……ニクスさん、すみません。」

 「いえいえ、お気になさらないでください。マクバーン様も楽しそうにしていらっしゃいましたから私たちはお茶の準備をしにまいりましょうか。」

 

 

 

 「え?」

 「??」

 

 

 

 「楽しそう、だったんですか?」

 「ええ。そのように見えましたよ。きっと佳境に入ったあたりでお顔を見せてくださると思います。」

 「そ、そうですか……」

 

 俺には全くそう見えなかったが、二人には二人にしかわからない特殊な符牒か何かがあるんだろう。幸いニクスさんとは比較的意思の疎通ができているし、この際だからいろいろな疑問について意見を聞いてみるのもよいかもしれない。

 ニクスさんを図書室まで案内し、入門書をいくつか見繕ったあと、食堂に場所を移して日曜学校で学ぶようなことを伝えていくこととなった。

 

 「こちらが帝国の地図です。

 縮尺は50万分の一ですので1リジュが50セルジュに相当します。

 エレボニア帝国の首都である帝都ヘイムダルはおおよそ帝国の中心にあり、鉄路で各都市にアクセスすることが可能です。

 今回の移動を例にとると、ニクスさんはここにあるケルディックからルーレまで移動し、そして北上してノルドまで行ったわけですね。」

 

 「こんな長距離を短時間で移動できるなんて随分輸送力に優れているんですね。私が乗った列車は貨物を多く積載していましたが旅客もたくさん運ぶことができるのでしょう。しかし鉄道は鉄路がなければ通れない仕組みであるようですが、やはり建設コストに見合う利益が?」

 

 「ええ。鉄路でターミナル同士を連携させて物資や人を運び、そこからは整備された街道を導力車を用いて運搬します。鉄路でカバーできないほどの長距離であれば飛行船で空を行き来することで対応しています。距離とコストに合わせて使い分けるのが一般的です。」

 

 「なるほど……やはり帝国とはかなり広い。民族や宗教に関する社会問題は発生していませんか?」

 「ゼムリア大陸のほとんどの地域では空の女神が信奉されています。七耀教会という施設の人々が伝え広めており、総本山はアルテリア法国にあります。各地で精霊などが信仰されている場合もありますが、宗教による対立が起きている例は多くはありません。」

 「……」

 

 「民族問題の方は、東側の隣国であるカルバード共和国で深刻になっていますね。共和国は多くの移民を受け入れてきた歴史があり、融合しきらなかった多文化が衝突を起こしているんです。」

 「そうでしたか。悲しいことではありますがやはり人が集まれば争いは避けられないものなのですね。治安維持に関してはどのような組織が?」

 「行政としては軍隊、警察などが多いですが、民間には遊撃士協会という組織があります。」

 「ほうほう……」

 

 呑み込みが早い。速すぎるくらいだ。まるで乾いたスポンジのようにニクスさんは知識を吸収していく。

 俺の専門ではない技術的なことに関しても俺は大した説明ができていないのに七耀石とオーブメントの存在を伝えただけでニクスさんは概要をつかんだようだった。今は旧型のARCUSを興味深そうに触っている。

 

 「これ、少し開いてみてもいいですか?」

 「もう使っていませんので構いませんが、工具がないと厳しいのでは?」

 「??」

 

 その手には細い棒のようなものが握られていた。彼女は荷物を職員室に預けていたので手ぶらのはずなのだが、気にしてもしょうがないということか。

 彼女は興味深そうにクオーツを付けたり外したりしながら回路のエネルギーの流れを目視で確認しているようだ。

 

 「面白いですか?」

 「とても。先ほどお話にありました七耀石に関して聞いた時も気になりましたが、随分と()()()にできています。七耀石の純粋な結晶ではなくセピスを複数繋ぎ合わせてクォーツを合成できるなんてにわかには信じがたいですもの。」

 「それってそんなにおかしなことなんですか?」

 「セピスは七耀石の欠片とのことでしたが、この割れ方を見るに劈開という性質があるようです。とすると、クォーツの加工の際には異なる欠片同士の劈開面を繋ぎ合わせているのではなく溶融などで加工していると考えるべきでしょう。完全な劈開を有する物質はクォーツのように曲線的な形に加工することが難しいからです。

 さらに興味深いのはそこから現象を引き出すという性質ですが……これに関しては推測の域を出ませんので私自身の宿題とさせてください。」

 「一目見ただけでそこまでわかりますか。旧型とはいえ戦術オーブメントは非常に複雑な機構であると聞きます。ニクスさんならば今すぐにでも研究の最前線で活躍できそうだ。」

 「本職の方には敵いませんよ。お上手なこと……」

 

 驚くべき洞察力と慧眼で教えてもいないことを導き出して見せるニクスさんには思わず舌を巻いてしまう。本当はこの人、俺が教える必要なんてなかったんじゃないだろうか……

 

 「シュバルツァー様のような立場のある方も導力器と太刀という二種類の兵器を携行していること、導力器が広く普及していることを考えると導力は有限であれどもクリーンなエネルギーなのでしょう。些かエネルギー革命が円滑に行き過ぎていることが気になりますが、そういうものなのでしょうね。」

 

 導力革命を起こしたC・エプスタイン。彼は故人であるが、その名前を先日ある場所で耳にした。

 ≪根源≫のマリアベルによれば“世界”のことについて何か知っている様子だったが死人に口はない。気にかかる情報だが真偽を確かめることすら困難と言えるだろう。

 思わせぶりで、さも重要だといわんばかりに目の前でちらつく情報たちは断片的でそれらのつながり方がいまだ不明瞭だ。しかしこの真実の究明を見過ごしてしまえばまた黄昏のようなことが起こるのではないかと思うとぞっとしない。

 もしもこの世界の成り立ちを知ることができたとして、自分たちにどうにかできるとも限らないのだが。

 

 そんな俺の不安を見抜いたのか、ニクスさんはオーブメントから顔をあげた。

 

 「何か気がかりなことがあるようですが、真実とはえてしていつかは明らかになる運命にあり、そして私たちの想定よりもはるかに理不尽なもの。あれこれと悩まずともシュバルツァー様ならば大丈夫ですよ。」

 「自分はそこまで能力の高い人間ではないのですが……」

 「ふふふ、ご謙遜を。」

 

 超人ではないのだ。期待されても困る。苦笑していると彼女は分解したARCUSを元通りに組み上げたようでそれを返された。試しに回復魔法を駆動してみると、いつも通りに癒しの魔法が組みあがる。事前知識もなしに、元通りに組み上げて見せたのだ。

 

 「すごいですね。本当に元通りだ。」

 「あら、捨てる気で私に貸してくださったんですか?貴重品なのでしょう?感心いたしませんね。」

 「あなたが貸してくださった結晶と比べればありふれたものですよ。

 

 そうだろう?」

 

 上階から近づいてくる気配の持ち主を見上げて同意を求めてみれば、マクバーンは紙袋を片手に階段を下りてくる。

 

 「クク……その通りだ。せいぜいこの世に二つとない貴石を目にできたことを喜びやがれ。」

 「そうさせてもらうさ。ところでその袋の中身は…?」

 

 「パンケーキだが?」

 「「ぱんけぇき。」」

 「なんだよその目は。」

 

 結社最強の≪火焔魔人≫がルセットでパンケーキを購入したなんてにわかには信じがたい。ニクスさんも不思議そうにしている。

 

 「ニクス、お前()()()()()()()()んだろう?いい機会だ。初体験ってのをさせてやるよ。」

 「……」

 

 何を言っているんだこの男は。

 大人の女性の姿を取っているニクスさんだが、どうにも無垢で無知な子供に見えてしまい、俗な話を振るのは気が引けるというのに。

 

 

 「…食うって、どうやるんですか?」

 

 

 しらけた視線をマクバーンに向けていた俺の目は、彼女の言葉によって驚きに見開かれることとなった。

 そんな俺の驚きをマクバーンは鼻で笑った。

 

 「シュバルツァー、何面食らってやがる。何度も言うがこいつは違うんだよ。生命、魂、感情の在り方がそもそも人間とは違う。こいつのそれは人間のように成長とともに育てられたものじゃない。生まれた時から気の遠くなるような年月をこの精神性のまま過ごしてきた。俺たちはそういうものでしかなかったってことだ。」

 「つまり……マクバーンのその好戦的な性格は生まれつきってことか。」

 「ま、その通りだな。」

 

 「マクバーン様、私に食事って意味があるんでしょうか」

 「知らねぇよ。だが娯楽としてはまぁまぁイケるぜ?」

 「娯楽……」

 「こーやって、口ん中入れて、噛む」

 

 ぎこちなく使い捨ての木製フォークを握ってパンケーキをやや大きく切り取ったニクスさんはマクバーンに習って扱いに戸惑いながらもパンケーキを口の中に収めた。

 もぐ、もぐ、もぐと咀嚼が何回も続いて、嚥下する様子がない。

 

 「ニクスさん、そろそろ十分に噛めたでしょうから、飲み込んでみてください。」

 

 ご  っくん

 

 なんだかすごい音がした気がする。詰まらせた様子はないが、初めての食事がパンケーキとは少しハードルが高かったのではないだろうか。乳児だって離乳食を必要とするのだからもう少し楽なものから慣らしていくべきだろう。

 ニクスさんは初めての食事にやや疲れてしまったのかして、黙りこくっていた。

 

 「大丈夫ですか?水をどうぞ。」

 「あ、ありがとうございます。食事、は初めてですけれど、驚きました。この充足感は確かに飲み物を飲むだけでは得られないものですね。豊かな甘み、香りと風味…

 材料の味以上に作り手の工夫と努力が垣間見えるようです。

 計算され切った工程と比率。このパンケーキへのこだわりは尋常ではありません。

 こんなものを当たり前に作り出すことができるなんて、まさに料理は人間の叡智の結晶ですね。」

 「クク……何よりじゃねぇか。買ってやった甲斐があるってもんだ。」

 

 マクバーンは薄い紙きれをテーブルに置いたかと思うと立ち上がると炎の転移陣を展開してこの場から去ろうとする。

 

 「マクバーン様?」

 「残りはやるよ。―――俺は帰る。」

 「またお前は勝手なことを……クロウはどうしたんだ?」

 「今回の礼はそれでおさめといてくれ。ニクス、これから生きていく中でおそらくお前は多くのものを目にすることになるだろうが、深入りはすんじゃねぇぞ。俺みたいになる。」

 「お気遣いをありがとうございます。縁があればあなた様とまたお会いすることが叶いましょう。」

 「ハン……そんじゃあな」

 「良き縁のありますように」

 

 俺の質問を無視してどこかすがすがしい様子で言葉を交わす二人は、満足気である。連絡先を交換した様子もないし、次にいつ会えるかもわからないというのにそれでいいのだろうか。

 そもそもニクスさんはマクバーンが犯罪組織に身を置いていることに気付いているのだろうか。

 

 この二人を引き合わせれば騒動は収束すると思っていたが、全てがすべて丸く収まって解決、というわけにもいかなかったようだ。結局わからないこともたくさん残ったままだったし、何より不安なのはマクバーンとニクスさんの未来だ。

 彼らはこれから、どうやって生きていくのだろう。

 

 マクバーンが自己を確立するために激しい闘争を求めて結社に身を置いていたのなら、ニクスさんとの邂逅を果たしたことでその目的は達せられたはずだ。もうこれ以上大陸を混乱に陥らせる計画に加担する必要はない。しかしテロリストとも考えられている彼を受け入れられる環境は俺には思いつかない。

 そしてニクスさんのこれからも、どうなってしまうのだろうか。おそらく戸籍を持たない彼女は表社会で真っ当に生きていくことが難しい。そして彼女の異質さは生活していくうえでどうあっても付いて回るだろう。

 

 ただ生存していくだけならきっと彼らにとってたやすいだろうが、できるならば二人にも社会の中で人と幸せを分かち合っていくような、そんな喜びを知ってほしかった。

 世界という故郷を失った彼らだからこそ、俺にとって大切なこの世界を愛してほしいと思った。

 この社会には、いろいろな人間がいるから。

 

 しかし同時に、どんなに優しい人間にも闘争と生存のための本能が備わっている。心の中の天秤が傾いてしまえば、彼らのような異質な人間は排斥されてしまうだろう。

 彼らがどんな不便を強いられていたとしても、どれだけ不遇を辛く思っていたとしても、時として人は心無い行動をとる。

 二人は強く、そういった目にあっても逆境に負けないだけの強靭な精神と柔軟な意思を兼ね備えているのだろう。しかし俺には、彼らがひどく孤独に見えてしまったのだ。

 過去をたった二人で共有して、他の人間に明かす素振りも見せない二人の悲しみや怒りは俺には計り知れない。

 しかし彼らが過去に深い傷を負ったのならば、どうか暖かな人々のやさしさに触れてそれを癒してほしかった。

 

 

 「シュバルツァー様、心配をかけてしまったようですね。」

 「俺は、俺はあなたたちに安全に生活してほしいです。辛いことがあったなら、その分心休まる時間があってほしいと思っています。

 しかし自分はどうやってそれをあなたたちに保証できるかがわからないんです。

 

 ……すみません、無力で……」

 

 

 「――――――。」

 

 彼女は目を閉じて、俺の言葉の意味を慎重にとらえようとしていた。そしていくばくかの言葉を口の中で練るように薄い唇をもごつかせてから、瞼と口をひらいた。

 彼女の微笑みは、まるで母が子に向けるような慈愛がたっぱりと含まれた笑顔だ。

 

 「シュバルツァー様はいろいろとご存じのようですからそれを踏まえて私見を述べさせていただきますね。

 思うに、私たちはこれから初めて人として『生きて』いくんだと思います。私たちは昔、ただ力を持つ存在でした。与えられた使命を疑わず、ただ生命を持つ存在を守るためにありました。

 そこに喜びも悲しみもなかったけれど、私は満ち足りていました。私は故郷が好きだったからです。たとえそれが神に与えられたプログラムだったとしても、私はあの遠い地にある故郷を愛していました。

 

 確かに故郷は失われて、私たちはまた新たな場所で生きていかなくてはならない。ゼムリアという場所に私たちは生れ落ち、叡智も名誉も何もないまっさらな人として、様々な苦難を乗り越えて喜びを人と分かち合いながら時を歩んでいきます。それは一つの過酷な試練のように見えるかもしれません。

 

 不安な気持ちがないといえば嘘になりますが、それ以上に私は嬉しいんです。

 あの方にもう一度出会えたこと。あの方も私と同じように一人の個人として生きていくと選んだこと、過去を分かち合えたこと、そしてシュバルツァー様やランドナー様のように優しい方々と巡り合えたこと…

 素敵なことが沢山あって、私はこの世界も大好きになりました。

 だから、私はきっと生きていけると思います。

 

 これが何があるかなんて私にはわかりませんけれど、人々が放つ光に導かれながらきっと歩んでいける。そう思っています。

 

 ―――そしてそれは、あの方にとっても同じなんでしょう。

 あの方はようやく、自我を確立したという意味で私と同じ≪赤ん坊≫でしかない。これからどこでどんな風に生きていくかということはあの方自身がこれからゆっくりと考えていくでしょうから……だからどうか今は見守ってくださいませんか?この世界での先輩として。私の人生のお師匠様として。

 

 もし、もしもあの方がこの世界の倫理に反した行いを取ることを選んだら。

 その時は私が彼を説得してみますから。誼で、話くらいは聞いてくれるかもしれません。」

 

 

 「ニクスさん……ご存じだったんですか。」

 「細かい事情に通じているわけではありませんが、皆さまの立場から考えれば何があったかは何となく。

 あの方の力は、あなた方にとってみれば非常に強力でしょう?私たちの故郷の文明を繁栄に導いた王の力ですから、“力”の概念がないこの世界であの方を初めて目にしたときの皆さまの御心は察するに余りあるというものです。

 しかしあの方はその力をふるうために必要な指針を失っていただけなのだと思います。私があの方と離れて未来へ進む希望をなくしてしまったのと同じように。

 

 だから、だからきっともう大丈夫だと思います。私が今明日への希望を再び得たように、あの方も力の本質を再び知ることができた。

 私が知るあの方は真に賢君でした。尊き生を営む民衆を傷つけるために力を使うなんてことはもうできないはずです。」

 

 

 「本当に、信頼し合っているんですね……。しかしもう少し彼を引き留めるべきでしたか。お話の時間も多くは取れず、すみませんでした。」

 「シュバルツァー様には十分ご配慮いただきましたよ。あの方のお言葉は、おそらく人として生きていくことの決意表明みたいなものだと思います。

 ……あの方も、思うところがあったのでしょう。」

 

 ニクスさんは立ち上がると机の上を片付け始めた。

 

 「私もしばらく答えが出るまではこの地でゆっくりと考えてみようと思います。何か力になれるようなことがあれば、どうかお声をかけてくださいね。

 今回の事のお礼がしたいですから。」

 

 資料を抱えて図書館への道を歩こうとする彼女に続いて席を立つと、彼女はちょうどマクバーンがおいていった紙片を手に取っていた。あの男が学生寮の俺の部屋に忍び込んだ日、渡してきたものと同じだ。その紙片には雑な字で短い単語が書かれている。

 

 「『協力券』……?」

 「マクバーンによるとお礼に何をするべきかわからないらしくて、炎が必要になったときにその券を使って呼べと言われてしまいましたよ。本人が目の前にいないときにどうやって使えばいいのかもわかりませんけどね。」

 「ふふふ、本当に…でもいいアイディアですね、これ。力の強いあの方らしいお気遣いですこと。」

 

 資料を彼女の手から受け取って食堂を出ると、傾いた西日が差し込んできた。橙色の光にニクスさんの被るヴェールが透けて、レース細工の奥がほんの少し光の下にさらされた。

 

 「……」

 「どうかなさいましたか?」

 「―――いえ、何でもありません。少し西日が目に沁みてしまって。図書室に本を戻して荷物を取りに行きましょう。」

 

 

 彼女の側頭部には、おとぎ話の精霊のような尖った耳と羊が持っているような形の角が備わっていた。

 それこそは彼女が異界の存在であることを示す何よりの証拠であることなのだろう。

 そしてそれを隠しているということは、彼女はこの世界で人々と関わりながら生きていこうとしている、ということだ。

 

 (俺に、その決意が応援できるとよいのだが……)

 

 西日がまぶしい。手をかざしながら空を見上げると低い空に一番星が瞬いていた。

 

 

***

 

[協力券<火焔>]を手に入れた!(二枚目)

 

 イベントアイテム:協力券<火焔>

 いざというときにマクバーンが何かを燃やしてくれることを保証するチケット。

 使い方がわからない。

 

 

***

 

 

 夜。

 月は出ていなかった。今日は新月だ。リーブスの空は寒々としており、星の光が街をちらちらと照らしている。

 人目につかないところに、奇抜な風体の男が一人立っていた。男は街をぼんやりと見つめている。そしてそこに近づく気配があった。

 何か考え込んでいる男に、その存在は気安く語りかけた。

 

 「あんだけ熱心に探していたくせにあっさり巣に帰るとは、ちと薄情なんじゃねぇか?」

 「―――クロウか。」

 

 マクバーンのもとを訪れたのはベージュ色のコートを纏った若い男だ。クロウと呼ばれたその青年は少し酒臭い。どうやら近くの酒場で飲んだようだ。

 

 「追加報酬か?≪スタインローゼ≫はもうねえぞ。」

 「もっといいもんせしめに来たに決まってるだろ。

 釘差しも兼ねてだが、満足したんだったらもう面倒ごとに巻き込むんじゃねぇ。泰山鳴動してなんとやら、ここまで巻き込まれて結局また腰の抜けるような結末しかなかった。これに味を占めて体よく利用されたくはないからな。

 逢引きをするなら人目のねぇとこでやってくれ。目に毒だっつの。」

 

 うんざりとした様子の青年に対して、男は何もしゃべろうとしない。

 

 「念願の探し人が見つかってよかったというべきかもしれねぇが、結局お前たち二人はどういう関係だ?あの女はこれから蛇と関わる可能性があるのか?

 それだけでもはぐらかさないで喋ってもらおうか。」

 「クク、はぐらかしてるつもりはないんだがな。」

 

 男は上着から眼鏡を取りだすとそれをかけて青年のほうに向きなおった。

 

 「以前話した通り、あれは俺のいた世界での知り合いだ。向こうでは仕事が多かったもんでな、それを手伝っていたというのが一番近い。

 ≪蛇≫との関与については、俺の方からも気をつけておく。あいつが俺の見ないところで巻き込まれないように言っておいたから大丈夫だとは思うが、結局のところ面倒ごとってのはあれを気にする限りついて回る。」

 「どういうことだ?」

 「気にかけるべきは蛇だけじゃねえだろ。騎士団も、財団も胡散臭いことに変わりはねぇ。あいつは本質的に俺と同じ厄ネタだ。勝手に生きていくだろうからほっとけ。」

 「“異能”はどうだ?」

 「危険性はないな。」

 「そんだけ分かれば十分だ。じゃ、俺は行くが他人に迷惑かけんなよ?」

 「どいつもこいつも信用のねぇことだ。気が抜けてわざわざ動く気にもならねぇからしばらくは大人しくしてるさ。」

 

 

 青年は男の返答に満足して夜の街を歩いて行った。

 一人残った男はなおも街を見つめている。思うところがあるようだ。

 

 

 「人の営み、世界、未来……か。

 せめて愚昧な王のケリは、付けとくべきなのかもな。」

 

 何かを心に決めた様子の男は一陣の風と共に姿を消し、そこに残ったのは炎の残滓だけだった。

 

 

 


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