原初の火   作:sabisuke

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【必須】護身術の訓練依頼

<依頼人>ニクス
 そろそろ町の外に出てみたいのですが、これを機に護身術を覚えようと思います。能力の使用に関してもご意見をいただきたいので、シュバルツァー様にご教授いただきたく思います。


7 シュバルツァー式護身術訓練

 

 

 

 自由行動日の朝、いつものようにセレスタンさんから受け取った依頼を確認してみると今日は珍しいことに一件しか依頼が来ていなかった。

 早目に終えることができたら武具の手入れに時間をかけてみるのもいいかもしれないと思いながら依頼内容を確認すると、依頼者の欄には先日から奇妙な縁を感じる女性の名前が書かれている。

 

 (護衛術の指南……?)

 

 確かに、必要かもしれない。

 今後旅をつづけるにしても、どこかの組織に身を置くにしても、一人である程度のトラブルに対処できるようになっておいた方が何かといいだろう。

 こちらの精神衛生上も望ましいことのように思える。

 一朝一夕に習得できるものではないかもしれないが、何より重要なのは現状から一歩踏み出そうとする勇気だろう。

 

 しかし護身術を指南するとなると、ある程度広さのある場所で実践を交えた指導をする必要がある。

 ニクスさんのもとを訪れるのは分校の設備の使用許可を取ってからがいいかもしれない。

 

 俺は学生寮内で特にトラブルがないかを確認した後、まず分校に向かうことにした。

 

 

***

 

 「意外と広いお部屋なんですねえ」

 「射撃訓練をする生徒もいますから、ある程度の広さと設備はどうしても必要なんです。今日は護身術の指導なので、この訓練場を使います。」

 「実力と言っても私、武器を持ったことがないのですが大丈夫でしょうか?」

 「護身術は相手を攻撃するためのものではありません。まず大事なのは怪しい人間に近づかないこと、危険を感じたらすぐ逃げることです。」

 「はぁ……」

 

 「復唱してください。」

 「はい?」

 「なんだか信用できないので俺がさっき言ったことを復唱してください。」

 「あやしいひとにちかづかない。きけんをかんじたらすぐにげる。」

 

 武器を持ったこともない一般女性が例えば暴漢に襲われた場合、これを退治することは限りなく不可能に近い。

 危機の回避がある意味最大の護身術と言える。

 

 「女性は力が弱いので、大抵の相手に力で勝つことができません。大切なことは逃げることです。」

 「避けようとしても捕まった場合にはどのようにすればいいのですか?」

 「その時は力を必要としない方法で拘束をほどきます。人体の構造上、関節の可動範囲には限界がありますから、曲がらない方向に向かって曲げるように力をかけるのが一般的です。

 例えば……」

 

 俺は自分の右手でニクスさんの左手首をつかむ。

 

 「このように掴まれたとき、どのように相手の拘束をほどきますか?」

 「えーと…」

 ニクスさんは左手を押したり引いたりするものの、拘束はほどけない。力はそれほど込めていないが、ニクスさんの振りほどこうとする力も弱いので捕まえているのは簡単なことだ。

 右に大きく振ってみたり、上下に動かしてみるがちっともほどけない拘束にニクスさんはだんだん焦り始めた。

 

 「え、人間の握力ってこんなに強いんですか?」

 「俺はあんまり力を入れていませんよ。もう少し本気で振りほどいてください。」

 挑発してもニクスさんは弱弱しく腕を振るだけで、まるで猫に叩かれているかのようだ。

 この人は身を守ろうという意識があるのだろうか?

 

 「えっと、関節ですよね。関節を曲げる……」

 ぐるぐるとひねってみたり、手首を胸元に引き寄せてみたりしたニクスさんは俺の腕が動きにくい方向を発見したのかして、ぐっと引き寄せて外側に前腕を回した。

 俺は手首の可動範囲をこえてひねることができずに彼女の手首から手を放した。

 

 「ほ、ほどけた!」

 「そんな感じです。こんな風に正しい向きに回転やひねりの力を加えることで相手はそれ以上拘束することができなくなります。

 そして拘束をほどいた後にどうしますか?」

 「……どうするんですか?」

 

 この人は頭が良いのにどうしてこんなにリスク管理がすかすかなんだろうか。

 

 「逃げるんですよ!さっき復唱してもらったじゃないですか!」

 「あ~……そういえばそんなこともありましたね。」

 「いいですか?逃げるっていうのは何よりも大事なことなんです。いきなり危害を加えてくる人間というのは大抵対話もできないことが多いです。

 話を聴いたり、平和的解決を目指さないで、とりあえず逃げてください。

 それで軍や遊撃士に通報すれば問題なく解決しますから。」

 

 わかりましたとニコニコ頷いている彼女は本当に理解してくれているのか定かでない。

 

 (………)

 「どうしましたか?」

 「いえ、何でもありません。拘束を振りほどく方法は状況によって違いますから、ケース別に試していきましょう。」

 

 

 

***

 

 

 拘束の振りほどき方を習うだけだというのに、シュバルツァー()()の予想よりも私の要領が悪く、案外時間が経過してしまっていた。

 武器の使用や異能の使用に関しては見送りとなり、次回以降の指導で考えることになってしまった。

 彼の多忙を考えると、次回なんてものがあるかはわからない。出来ることなら自分の身の振り方を決めるまでに街道くらいは一人で歩けるようになりたいが、彼だけの協力では難しいかもしれない。

 勇気を出して、先日新しくできた友人たちを頼ってみるのも一つの手だろうか。

 

 いかにも運動センスのよさそうなユウナはもちろん、あんなに華奢で小さい体なのに士官学院生として立派にやっているアルティナから教わる護身術も、それはそれで参考になるだろう。

 

 「では俺は部屋の鍵を返してきますから、少しここで待っていてください。」

 「はい、お待ちしております。」

 

 朝10時くらいから初めて、今はお昼時だろうか。一日の食事回数は大抵1回(午後3時に紅茶とパンを食べる。ティータイムと呼ばれる文化らしい。)だが、こうも天気がいいのだから野外で何か食べてみるのもいいだろう。

 日光浴というのはゆっくりと時間を過ごすだけで心と体に活力がわいてくる。それと食事によるリフレッシュを同時に行うことができるので効率的だろう。

 午後はカーネギー書房で取り寄せた導力学の教科書を読んでみてもいいし、そろそろお昼寝なんかもしてみたいところだ。

 リーヴスは優しい人ばかりのようだし、噴水のある広場のベンチなんか気持ちよさそうだ。

 

 ぼんやりと午後の予定を考えていると久しぶりの運動で体が疲労を感じているのか徐々に体にだるさと眠気がやってくる。

 ”前”はこんな現象がなかったというのに、人の体というのは不思議だ。

 食事も睡眠も必須というわけではないが、活動の多かった日はちょっと眠くなったり、いつもより甘いものが欲しくなったりする。

 

 あの方も、そんな感じの不思議な体なのだろうか?

 あの時は見た目と混ざり具合を確認した程度だったが、随分私とも事情が異なるようだった。

 髪の色なんて青なのか赤なのかわからないし、お腹を出していて寒くはないだろうか。

 炎の化身みたいな人だから『冷え』とは無縁なのかもしれない。

 おそらく容れ物は元からこの世界に存在していたもののようだけれどあそこまで混ざってしまうだなんて随分相性が良かったようだ。

 

 それこそあの方とアングバールのような―――

 

 

 

ガシッ

 

 

 「あら?」

 

 

 なんだか右手に圧を感じる。

 さっきまで感じていたような感覚だと気づいて成程これは人間の手だと理解した。

 誰か知り合いが私の姿を見てお昼ご飯に誘ってくれたのか、それとも蔵書室に新しい本が入ったか―――

 その手の持ち主は誰かわからないが用向きを尋ねようとして右を向くと、大きな体が目に入った。

 

 「??」

 

 知り合い、ではないような気がする。士官学院の制服ではないし、白いコートの教官服でもないし、執事のスーツでもない。

 誰だろう、と顔を見上げようとしたところで私の視界はぐるん、とひっくり返った。

 

 

 ゴッ

 

 「いたっ……どなたですか?あの、どいてくださいませんか?」

 「………」

 

 頭を強打してしまい何が何だかわからないが、背中に人間の熱が触れている。

 どっちが上でどっちが下なのか。自分がどこを向いているのか。自分の背中に乗っているのは誰なのか。

 何もわからない状態で、顔を動かして状況を確かめようとするその瞬間にもその誰かは私の両手を背中に持って行って片手で拘束してしまう。

 引っ張ってみても、動かしてみてもびくともしない。

 シュバルツァー様の握力(本人は力を込めていないといっていたが)よりもずっと強い力だった。

 

 ということは、自分の上に圧し掛かっている人間は男性なのだろう。

 引き倒されて、頬は冷たい床に触れている。

 細かい砂が顔に当たって、痛い。強かに打った頭もいたい。

 どうしようもなく、不安になった。

 

 何だか前にも、こんなことがあった気がする。

 

 自分の背中に乗っている男性は私の手を取りまとめている手とは逆の手で、私のヴェールを取り払おうとする。

 ”私”の唯一の持ち物。大切なもの。なくしてはいけないもの。

 それにだけは、誰にも触れられたくなかった。

 

 「よしてください」

 

 

 私は、断りなく私の宝物に触れようとする不届きものに告げた。

 それに触れられてしまえば、私は自分が抑えられないだろう。

 もしもなくなってしまえば、私は私でいられなくなるという確信がある。

 私が、人として生きていくために。過去を忘れないために必要なヴェールは、記憶の架橋なのだ。

 

 しかし言葉は聞き入れられることなく、男性はなおも私の頭を手で探って留め具を外そうとする。

 だから、我慢がならなかった。

 私の言葉を聞き入れないのならば、聞かせなければならない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 「よしてくださいと、いっているのです」

 

 詠唱も、駆動も必要ない。

 準備や仕掛けがなくても結果だけを引き出すことができる異能。

 世界で授かった奇跡の一端。

 それは水と流れを支配する異能であった。

 一度念じれば、圧し掛かっている男性の目の前に質量が現れる。

 

 男性が反応するよりも前にその質量はひとりでに動いて男性に衝突した。

 

 「ガッ……」

 

 あまりのエネルギーに男性は拘束を緩めたようで、私は這って男性の下から抜け出す。

 全く誰だというのだろう。士官学院にしてはセキュリティが甘くはないだろうか?

 ヴェールの乱れを直して背後で伸びている存在を確かめる。

 

 長身、成人男性、武器は所持していない。

 覆面からこぼれている髪の毛は見覚えのある色をしている。

 知り合いだ。それもついこの間お世話になったばかり。

 

 

 

 「あの、もしかしてオルランド様ですか?」

 

 先日私が食べきれなかった料理を食べてくれた恩人は、びしょぬれで床に伏したまま力なくサムズアップした。

 

 

***

 

 

 「すみませんでした……」

 「いやー、いいよいいよ俺もご婦人相手に結構乱暴しちゃったし。」

 「ランディさん、やっぱり俺がやった方がよかったんじゃないですか?」

 「お前さんばっかニクスちゃんと話しててずるいと思ってたもんでね~。ここいらで一つ接点でも欲しかったのさ。」

 

 抜き打ちテスト、だと。

 あれから困ってしまった私の前に姿を見せたシュバルツァー様はそのように種明かしをした。

 一人でいるのにぼんやりしていて危険を察知できなかったこと、手をつかまれてすぐに対処しなかったこと、すぐに逃げずに対話を試みたこと。拘束から抜け出してからもその場から離れなかったこと、知り合いだとわかった途端に警戒を解いたこと。

 その他もろもろの理由から私の対応はシュバルツァー様に0点と断じられてしまった。

 しかもできるだけ使用しないと決めていた異能まで使ってしまって自己嫌悪が半端なものではない。

 

 「しかしすごい力だったな。ニクスちゃんは水を操るのかい?」

 「ええ、はい。水や蒸気などの流体に指向性を持たせて操作できるというのが私の異能です。例えば水を持ち上げたり、思っている方向に流したりできます。

 わかりやすく言うと『そこにある水を動かす』能力と言えるでしょうか……」

 「さっきは何もないところから急に水が出てきませんでしたか?」

 「あれも『存在する水』です。」

 

 私は手の中から『結晶』を取り出した。

 

 「いざというときのために一定量の水をこんな形で持ち歩いているんです。シュバルツァー様にお渡ししたものほど多くの水ではありませんけど、これ一つでバスタブ一杯くらいですかね。」

 「……質量保存の法則は?」

 「異能、とだけお答えします。私にも細かいことはわからないんです。ただやってみたら都合のいいようにできてしまったというだけで、さっきの説明も後付けなのですよ。」

 「何でもありだな、ほんと」

 

 あの方の力を見ていると異能というのは無制限な万能の力のように思えるのかもしれないが私の場合はそうではない。

 私はあまりきれいに混ざらなかったし、そもそもの力が強くないのであの方と比較すれば落ちこぼれもいいところだ。

 あんなに無制限に炎を出せるあの方の方がおかしいと声高に叫びたいが、あの方にとっては今も昔もあれが当然であるのだし、以前の知り合いというだけで過大な期待を受けてしまって肩身が狭い。

 

 「しかしいざ本番となるとニクスさんは相手に遠慮してしまって手を振り払うことも難しいようですし、護身術というのは現実的じゃないかもしれませんね。」

 「やはり私は異能を使うのが一番慣れていますから、それを使わないと決めてしまうと何もできなくなってしまうみたいです。」

 「そういえばどうして異能を使わないことにしたんだ?」

 「詳しくは言えませんが、私の異能は無制限に使えるものではなくて……水を動かすために一定の代償を払う必要があるんです。長期的、もしくは継続的に能力を使うというのは非現実的ですから、いっそ使わない方がいいかと思いまして。

 あとは単純に目立ってしまうから、ですかね。私はこれからもこうして社会の中の一部として生きていきたいと思っていますから、あまり他の方と違う行動はとりたくないんです。」

 

 手詰まり、だった。

 自分一人では戦えない。自分の身を守れない。それはこの世界では致命的なことであるらしい。

 シュバルツァー様によると私は他の方に比べ危機感というものが薄いらしく、危険なトラブルに巻き込まれる可能性が高いとのことだった。これを解決するためにせめて自分を守る手段を覚えられたらいいと思ったが、それで異能に頼り切ってしまえば意味がない。

 私は人として生きていきたいのだから。

 

 「……焦ることはありませんよ。人には得手不得手がありますから。」

 「それに練習次第ではちゃんとリスク管理ができるようになるかもしれないしな。今回だって最終的に異能を使ってだったが反撃自体はできたんだし。」

 

 あれは反撃というよりも私の深層意識に刷り込まれた調()()に近いというのは、言わぬが華なのだろう。

 

 

 「とにかく、今日は本当に迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした。貴重なお時間をいただいたのにちゃんと結果が出せなくてごめんなさい。

 しばらく自分でも異能の振るい方について反省させていただきます……」

 頭を下げると、ヴェールの上からぽんと誰かの手が乗った。

 その手は掌を使って私の額を持ち上げようとするので、私はその力に従って自然と頭が上がる。

 手の持ち主はオルランド様だった。

 

 「誰だって最初はそんなもんさ。ニクスちゃんは伸びしろいっぱいあるし、ゆっくりでいいんだよ。」

 「ランディさんの言うとおりです。最初からすべてができる人間なんてそういませんし、できることからやっていけばいいんです。」

 「オルランド様、シュバルツァー様……」

 「あ、あとそれ。」

 「?」

 「呼ぶときはランディって呼んでくれ。見た感じ年も近い?んじゃないか?」

 「……俺のこともシュバルツァー、ではなくリィンの方で呼んでいただけますか。いずれ妹も紹介しますから区別できなくなってしまいます。」

 

 

 「ではそのようにさせていただきますね。」

 改めてお礼を言うとランディ様はいまだに少し湿った髪を括りなおしてけらけらと笑い、私たちを昼食に誘ってくださったのだった。

 

 

 

***

 

 

 「思ってたんだけど何でリィンは敬語なんだ?」

 「……」

 「えーっと、計算上は私は皆さんより年上ということになるから、ですかね?」

 「え、マジで?」

 「(こちらに来たのが20年前で、少なくともここ50年は確実に生きているらしいです。それ以前は向こうの世界の重役だったみたいで……)」

 「(……ってことは100歳越えの可能性も?)」

 

 「私はあの方と同い年のはずですよ。同時に生まれましたから。(ニコニコ)」

 


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