『紅い蝶ひとひら』―呪われた青年とからかい癖のある幽霊少女の、じれあま怪異事件ミステリ― 作:時雨オオカミ
「さあて、やろうか」
にやりと、その唇が
「うんうん、すぱっとあの首切り裂いてやりたい……ところだけれど、今回はアタシが本命じゃないからねぇ。ねえ、お兄さん。アタシが
視線はある一点から外さぬままに彼女が問うてくる。そんなの、決まっているだろう。
「安定するほうを」
「……なら、作戦Bのほうだねぇ」
「よろしく頼む」
この刀は『
この刀は俺の『無謀だと感じる精神』に反応するため、今の『斬りたい相手が見えず』『その状態で攻撃を当てる』という状況でも充分に力を発揮するだろう。それが、紅子さんが提案した作戦Aだ。
しかし、そのためには相手のある程度の居場所を予測しなければならない。紅子さんが、囮となって場所を示さなければならない。
……そんな作戦を、俺が選ぶと思ったら大間違いだ。
確かにこれなら簡単に怪異の幻影を殺せるだろうが、わざわざ好きな人を危ない目に遭わせる男がどこにいる? 少なくとも、この場にはいない。
「きた」
紅子さんは、俺の横から動かずにその唇を開いた。そして、作戦Bを決行する。
「アタシと、そこの
その言葉のすぐあとに視界がぼやけて、一度瞬きをする。次の瞬間、俺は一気に『視える』ようになったシルエットへと駆け出していた。
「紅子さんは、俺が守る!」
彼女を守りたいという決意が薔薇色の炎を灯し、淡い燐光となって刀に宿る。
「よろしくね、おにーさん」
こうして宣言通りいつも守らせてくれればいいんだけどな!
いつもは守るどころか、俺が守られることだって多い。こういうときにこそ格好良いところを見せておきたい、ものだ!
ぐんっと利き足で踏み込んで、紅子さんの言葉以降『硬直』したまま動かなくなっている幻影へと迫る。
肉迫。落ち窪んだ婆さんの
斬撃の音を置き去りに、幻影が上半身と下半身でばっさりと両断された。
動きの止まった『足売り婆さん』に太刀を当てることなど
「お疲れ様、上手くいったね」
「ああ、よかった」
腰元に揺らぐように現れていた赤と白が特徴的な鞘に赤竜刀を納める。するとぽふんと軽快な音と薔薇色の炎の中に鞘ごと刀が消えて、最後には赤い小さなドラゴンに変化した。
「きゅっきゅー」
「リンも、おつかれ」
「リンちゃん、お疲れ様だよ」
俺の紅子さんがリンに言葉をかけると、赤いドラゴンは片手をあげて明るく笑うと再び鞄の中へと収まっていく。
事態の終息は呆気なく、一分にも満たなかった。
紅子さんは「これで分かったかな?」と俺に向かって言うと、こちらを見上げてくる。
「ああ、今回の対処法は三つの段階が必要だった」
「そう、まずは『足売り婆さん』が出てくる時間帯や、出回っている噂の下調べ。それから、その噂をどう操作するかだね」
足売り婆さんに対して行なった作戦Bは、紅子さんに加えてターゲットを俺も増やすという単純な話だ。しかし、足売り婆さんは基本的に『誰々のところへ』と指定され、一人をターゲットにする怪異。
その怪異に複数人をターゲットに指定したら、どうなるか。
噂に沿ってしか動くことのできない幻影の行動は単純だ。
想定外のことが起こり、
そして、一瞬動きを止めて、致命的な隙を作りながらどうするかの結論を出す。俺達はこれを利用することにした。
「でもそれなら、最初から俺の名前を噂に入れればいいんじゃなかったのか?」
「それはダメかな。だって、アタシのことを噂に混ぜてターゲットにできたのは、アタシがこの街の『怪異』だからなんだよ?」
深く考えずに彼女の作戦を聞いて、早急に対処したわけだが、実のところ俺はその理由までは聞いていなかった。だから彼女のその言葉に首を傾げる。
「どういうことだ?」
「怪異同士を戦わせようなんて、人間なら面白がりそうなことでしょう? ほら、映画とかでもよくやってるし」
「まあ、そうだな」
有名な怪異同士が共演する映画なんてザラにある。
「たとえば……対処法の噂を流すときに、お兄さんの名前を混ぜたとしようか。そうしたら、それを聞いた人はどう思う?」
「だ、誰だそれ……って?」
紅子さんは頷くと人差し指を立てた。
「そう、その通り。人の名前だね。けれどその人のことなんて知らない。なら、『捏造した適当な名前を指定してもいいんじゃないか』……人って、そう考えちゃうものなんだよ」
「なるほど、噂の内容を掌握しづらくなる、と」
「そう、適当な名前を使って拡散されちゃったら、もし本当にその名前の人がいたとき、指定されたターゲットの前に姿を現す怪異の行動範囲はぐっと広がってしまう。そうなれば被害が拡大するだけで、事態を収めづらくなる」
それに比べて、元からこの街の怪異として名前が知られている紅子さんなら、怪異同士が会ったらどうなるか……という好奇心を刺激して『統一された噂』
となって広がっていく可能性が高かったと。
「だから、噂の掌握はまず、アタシの名前を使うことが必要だったんだよね。幻影の行動範囲を狭めるための、簡単な推理だよ。これが二段階目。そのあとは……アタシが囮になるかならないかで、キミに決めてもらったわけだけど」
しっかり理解できた。相手を追い詰めていくための詰め将棋のような推理を。彼女はこうして説明もしてくれるのでありがたい。
三段階目は俺の判断である。紅子さんを囮にするか、しないかの。
「さて、今回のことで質問は終わりかな? 令一お兄さん」
「ああ、よく分かったよ。先輩さん」
「ふふ、それじゃあ後始末はもうないし、帰ろうか」
便宜上、彼女は俺の先輩にあたる。
怪異と神様の世界に一歩踏み入れた、俺の。
「そうだ、ねえお兄さんが『おゆはん』を作ってくれないかな?」
彼女はわざとらしく舌ったらずに言いながら、俺にしなだれかかってくる。お触り禁止って言ってたのはどこのどいつだよ。
しばらく俺を見上げてくる彼女と見つめあって、溜め息をつく。
彼女はあまり料理は得意ではないらしく、ときたまこうして俺に料理をしてくれと頼んでくる。
俺自身は『呪ってくれやがったクソ野郎』に数年監禁されていて料理を覚えざるをえなかったので、非常に不本意だったが……料理は得意分野だ。
今は、こうして頼られるのならまあ悪くはないかなと思っているけれど。いくら好きな人だからといって二つ返事で頷くのもどうかと思い、妥協点を考えて言葉にする。
「そうだな、買い物に付き合ってくれたら一緒に作るよ。なにがいい?」
「クリームシチューが食べたいなあ」
可愛らしいリクエストに快く頷いて、部屋にある冷蔵庫の中身を思い出しながら買うものを頭の中でリスト化していく。
そうして考えていると、紅子さんはなにを思ったのか悪戯っ子のような顔で俺を見上げてきた。
「令一さんの、あったかくて、どろっとした、白いアレが、好きなんだよねぇ?」
「んぐふっ」
むせた。
「紅子さん、からかうのもいい加減に」
「クリームシチューのことだけれどね? ふふふ、相変わらずいい反応してくれてありがとう」
紅子さんの小悪魔っぷりにも、もう慣れたと思っていたんだけれど……そうは上手くいかないようだ。
「頭脳労働したあとは美味しいもの食べないとね」
「腕を奮って、用意してやるよ」
「やった」
小さく喜ぶ彼女の横顔を見て、目を逸らす。
ああ、やっぱり惚れた弱みなんだなあ。
すっかり暗くなった帰り道を歩く俺達の姿を、夜空に浮かぶ月だけが見つめていた。
◇
そう、これは未来の話。
俺が
蒸し暑い、八月のとある夜。
俺は彼女と出会い、からかわれ、そして呪いを解くためにその手を取った。
怪異と神様達のいる世界へ。
人間と共存し、生きようとする人外達の世界へ。
非日常から、更にその先の非日常へ。
これは俺が『赤いちゃんちゃんこ』という怪異の少女と出会い、そして、幽霊の彼女に恋をするまでの物語――。